＜聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記＞
東方の焔
心臓の鼓動がかまびすしく聞こえる、そんな静けさだけがそこにある夜だ。息が上がっている。あれが近くにいるのだろうか？ 少年は右腕をなるべく人目に晒さないよう、暗がりを選んで夜の街を歩いた。右腕が疼いている。痛みが意識と理性を呑み込もうとする。気分が悪かった。影の中で梟の目みたいな鈍色の光が、少年を見下ろしていた。見られている、そう思って何度も振り返る。遠くの方で弦楽器や打楽器の喧噪が、騒ぐことで覆い被さる夜をかき消そうとしていた。そうすることで、自分たちが夜の支配者だと主張するみたいに。
痛みを和らげる、あるいは傷ついた羽を休ませる鳥のように、少年は酒を求めて彷徨った。どこもかしこも、仕事を終えたばかりの冒険者が集まっていた。その中で少年は身を隠す。闇に紛れて飛び交うコウモリを真似て。
「いらっしゃい」
返事はしない。血の臭いに気付いたのだろうか。マスターが眉を顰める。カウンターの隅に隠れるようにして座る。マスターが注文を訊き、少年はなるべく度の強い酒を頼んだ。
「やるね。でもその服は見たことがない」
「そうかもしれない」
声が震えていたのに気付き、語尾を濁す。利き腕ではない方でグラスを掴み、布きれに湿らせ腕に宛がう。視界が歪む、あるいは滲んだ。死んだのではないか、そう思う程の痛みが全身を駆けめぐり、腰の力が抜けた。その痛みを力で押さえ込むように、残った液体を喉へ流し込んだ。同時に吐き気がして口を抑える。
「腕、やられたのか？」
心臓が締め付けられる。
「はい」
「理由は？」抑揚のない声でマスターが訊ねる。
「焔の影。山のように大きな。イマがそこに」
「イマ？」
「女性」
「丁度良い。そこにいる奴に訊いてみな」
【第三討伐隊二等陸曹より急募】焔の影〈ほむらのかげ〉
東方の伝説に出てくる実体のない現象。水のある場所では魚の形をし、森のある場所では獣の形をとり、砂漠では鳥の形をとる。その体は一様に山を思わせる巨大な闇に包まれている。頭部には見る者を吸い込むような一つの目。何故、そこに現れるかといった原因は分からない。ただ、ときおり耳を塞ぎたくなるような大声で嘆き、動物を畏怖させ、空を轟かせる。ある一定の時期から各地に出没し、被害は後を絶たない。討伐を求む。
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ちょっと前まで事ある度に憎まれ口を叩く相棒だったはずなのに、この数日覇気が無くなったように背中を丸めて寝込んでいる。エヴァーリーンは戸口に背中を預けてから、体のラインに沿って盛り上がったシーツを眺める。シーツの端で彼女の金髪が申し訳程度に出ているけれど、カーテンを締め切っているせいか、ここから表情は伺えない。このまま寝過ごすつもりなのだろうか。もうすでに午後を回っているというのに、ジュドーは一向に起きる気配すら見せない。
エヴァーリーンは態とらしく空咳をしてみて、開いた戸口を拳で二回ほどノックする。ベッドの中でジュドーの肩がぴくりと動いた。
「何？」ジュドーがか細い声で呟く。
「何って、仕事は？」エヴァーリーンは腕組みを解いてベッド際に歩み寄る。ジュドーは答えない。枕に顔を埋める彼女を横目に、カーテンを開け広げる。
「眩しい」ジュドーは芋虫みたいに寝返りを打つ。
「もう昼よ」
明るい陽射しを取り入れた床に、血で汚れたタオルや包帯の類が散在している。ジュドーのことだ。まともに治療も受けないで生傷を増やすつもりなのだろう。闘うこと以外は「ど」がつくほど甲斐性無い彼女を、自分が世話しやらなかったらどうなるのだろう。このままベッドの上で飢え死にしてしまうのでは、そんな不安さえ過ぎる。
エヴァーリーンは溜息をついて床に落ちていた衣服や下着を片づける。献花台に立てられた花瓶の水を入れ替え、テーブルにパンとミルクが載ったトレイを置く。
「食事ここに置いておくからね。ちゃんと食べてる？」
「ああ」
嘘ね、と言いかけそうになるところで喉に押し込む。ジュドーに何があったのか分からない。けれども自分の問題を処理できないほど彼女が子供ではないということは分かっている。お寝坊さんに節介焼きは御法度、そう書いた置き手紙を丸めて呑み込むように、エヴァーリーンは部屋を出た。
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数日後、仕事の話が舞い込んできた。風の便りでジュドーを捜している、という話を聞いたので、それらしい情報を辿りつつ、街中を訊ねて回った。けれども彼女と顔見知りの人間は知っているどころかその関係性すら否定する。まるでおぞましいものでも口走ったみたいに黙りこくる彼らは所謂相棒の被害者達だ。思わず苦笑してしまう。彼女を捜す人間には二通りのタイプがある。特定の相手を倒して欲しいといった類の話か、報復のための復讐か、そのどちらか。いずれにしても焦臭い仕事だ。
噂の火種をばらまいたのは故買屋をしている男だった。盗品や足がつかない程度の贋物を闇ルートで仕入れて、需要のある場所へ高値で売り捌くのだが、例によってこの男は過去に二度ほど相棒にこっぴどくやられている。
エヴァーリーンは酒場のカウンターでその男を見つけると、彼の隣に座り「随分と景気がよさそうね」と声をかける。男は声に驚いたのか、口をつけたばかりのジョッキから金色の液体を吹き溢して、目を丸くさせる。
「あんた」と言って口を裾で拭う。男は嫌なものでも見るように眉を顰める。呂律が回っていない。頬が赤いのは酔っているせいだろう。
「姐さんとこの子守か」男は口角を「へ」の字に曲げて笑う。下卑た声だった。
「子守？ 冗談でしょ」カウンター席の中で脚を交差させ、大袈裟に両手を広げる。それから最上級の優しさを込めて言う。「うだつの上がらない子犬の面倒を見るのは得意だけど」そう言ってやるなり、男の首に回した鋼糸を手許に手繰り寄せる。カウンター席で小さな悲鳴を上がる。
「おい、俺が何をしたってんだ」苦しげに喉を唸らせる男はエヴァーリーンの前で離してくれと手をばたつかせる。「待て待て、何もしてないって」
「何もしてない割りには羽振りがいいのね」頬杖をついたまま手許の鋼糸に力を入れて、微笑む。
「分かった。分かったから、離してくれ」
エヴァーリーンは手を離す。解放された男はぐったりと項垂れてから恨めしげにエヴァーリーンを睨む。「少しだけ姐さんの名前を拝借した、それだけだ」と切れ切れに吐いた。
「少しだけ？」
「そう、少しだけ」
「私は嘘が嫌いってここのマスターでも知ってるわよ。ねえ」
エヴァーリーンは卓上をこつこつと鳴らす。グラスを磨いていたマスターは勘弁してくれと言わんばかりに肩を竦める。
「素直に話しちまえよ」
「参ったなぁ」溜息を吐く。「あんたもジュドーの姐さんにも敵わないよ」男は舌打ちをしてから、ビール追加、と指を鳴らす。
マスターがそれくらいにしとけよと苛立ちを見せるが男は聞く耳を持たない様子だ。仕方なく樽から新しい液体を注いだ。カウンター上を滑るジョッキが男の掌に収まる。
「飲むかい？ どうせ暇なんだ、付き合ってくれよ」
「丁度良いわね。墓地にシングルベッド借りてるの。お望みとあらば貴方のサイズに合わせた棺桶もプレゼントしてあげる」
「ああ、あんた最高」
男は苦々しく叫んだ。
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先日、ジュドーの活躍を耳にした（厳密に言えばエヴァーリーンも参加していたのだが）王立教会の枢機卿が直々に彼女を捜せと宣ったらしい。使者を遣わせたが町中どこを見つからず、結局故買屋の嘘八百に乗せられて情報料兼捜査料を、彼曰く〝日頃の行いが良いから教会の布施を頂戴した〟らしい。あの男の辞書に信仰心なんて言葉はなく、代わりに幸も不幸も金次第書とかれているのだろうけど、兎に角あの男の吐いた内容が正しければ概ねの筋としては納得できる範囲だ。
けれども枢機卿が東方の件に首を突っ込むというなんてことは俄に信じがたい。その上にジュドーを呼びつけるなんて、裏があるので来てくださいと大手を振って主張しているようなものだ。用心に越したことはないが、彼女のことだ、上手い話には見境無く飛びつくかもしれない。そんなことを思いながら帰路へと着いてる途中、足を止める。風邪を引いてもないのに急に頭痛がして、エヴァーリーンは長嘆息を吐いた。相棒の嬉々とした表情が目に浮かんだからだ。
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翌日宿屋で寝込んでいたジュドーは東方の焔に関する話を聞くやいなや詳細も訊ねず態度を百八十度変えて、文字通り、ベッドから飛び上がった。
「どこだ？ どこに行けばいい？」
「貴女、馬耳東風って言葉知ってる？」予想通りの反応にエヴァーリーンは溜息を吐く。
「枢機卿が私を呼んでいるのだな、エヴァ」
「馬の耳に念仏。はい、聞こえますか？」
「そうかそうか。よし、行こう」ジュドーは早速着替えにかかる。雨天中止になって駄々を捏ねていた子供が太陽を拝んで狂喜乱舞するのと同じだ。昨日の男が自分のことを子守だと揶揄していたのを思い出して、エヴァーリーンは額に手をやる。否定しなきゃよかった、そう呟いた。
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故買屋がいた酒場に例の使者を見つけることができた。何のことはない、故買屋に面会の約束を取り交わさせたのだ。あの男が他人の言伝を律儀に履行するか不安だったけれども、それなりに発破をかけた甲斐があったようだ。
まだ正午を回ったばかりだいうのにその客は全身黒ずくめのクロークを羽織り、これから葬儀代の話でも始めようか、といった様子で挨拶すらせず、押し黙ったまま椅子を引いて手を差し伸べる。座れ、ということらしい。
テーブルへ近づくとグラスの類は一つも置いてない。ふとカウンターを見ると困惑した表情を浮かべてマスターが首を振る。エヴァーリーンは唇の前で両手を合わせて舌を出す。腰に片手を当てたマスターは、時計を指差す。早いとこその奇妙な客を帰してくれ、そう解釈したが、この客と人並みの会話が成り立つかどうかすら怪しい。
ジュドーはクロークの客の隣に腰掛け、エヴァーリーンは真向かいに座った。やや緊張した面持ちで彼か彼女か分からないクロークの客とジュドーを見比べる。春の陽気と冬の寒冷を交互に体験している錯覚に襲われた。相棒はきょとんとした表情でテーブルの淵に顎を載せている。そのうちボール遊びに飽きた犬みたいに眠りだすんじゃないだろうか。
「あなたが枢機卿の使いですか？」沈黙に耐えきれずエヴァーリーンは切り出す。
「はい」
拾える音だけで判断するならその声は女性のものだった。
「その」と言ってから少し間を開けてその女性の反応を見る。黙ったまま俯く女性の表情はフードに隠れて読み取れなかった。「枢機卿がジュドー・リュヴァインを捜していると仰ったそうですが、単刀直入に用件だけ伺わせてください」
「ええ。〈東方の焔〉を倒した、そうですが？」
鼻につく言い方だった。なるべく冷静を装い、無理矢理笑顔を作るよう努める。
「倒しました」引きつった顔でエヴァーリーンが断言すると、クロークの女性は暫く考えるようにして米神に人差し指を当てた。それからテーブルに添えていた指で軽快に縁を叩き、ようやく拳でぽんと掌を叩く。
「ああ、この方がジュドー・リュヴァインさん？」そう叫んでからすでに深い眠りに落ちていた相棒を指差す。「わたくしてっきり貴女が本人かと思ってましたの。失礼ですが貴女は？」
段々腹が立ってきて、エヴァーリーンは堅く拳を握りしめる。耐えろ、そう自分に言い聞かせて答える。
「私はエヴァーリーンです。彼女の、腐れ……いえ、知り合いです」
「知り合いのエヴァさん？ どうして貴女がここに？」
「これの保護者……じゃなくて代理人です」横目でジュドーを睨め付けるが、涎を垂らしたまま鼻提灯を作っている。起きたらただでは済まさない、そう誓った。
「あら、そう」クロークの女性は自分に全く無関係な話でも聞いたように、相槌を打った。今すぐこの席を立ってから、寝惚けた相棒を蹴り飛ばし、早々と帰ってしまった方が幾分か精神衛生上良かったかもしれない。何度かその想像を繰り返し、試行錯誤し、頭の中で実行したが、結局相棒のためにと、なけなしの理性を働かせてその場を耐え凌ぐことにした。
「まず」と語調を強める。怒りを表に出さないつもりだったが、拳で叩いたテーブルが揺れる。「用件を言ってください。後ほど彼女に伝えます」
「そうね。そうして頂けると助かるわ」クロークの女性は懐から地図を取り出し、テーブルに広げる。
「ここから西方に湿地帯があるの。そこに〈東方の焔〉を見たと、地元の行商が証言しています。ジュドー・リュヴァインさんにそこへ向かって貰って、討伐して頂きます。報酬ははずみますわ」
「ジュドーがね」
「そう。彼女が。出来るわね？」
「ええ、よく話し合ってから決めます。そうよね、ジュドー」口早に言ってから、ジュドーの肩を強引に引っ張り上げ、頬を思いっきり叩く。何が起きたのか分からず、目覚めたばかりのジュドーが寝惚け眼のまま目を瞬かせる。
「今、エヴァが鬼のように怒っている夢を見た」
「だそうです。私たちは忙しいのでこれで」
そのまま相棒を椅子から引きずり降ろして酒場を後にした。
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暗い雲が立ち込める平原は灰色一色の空と泥沼で草の原を挟んだサンドウィッチのようだった。上から灰、緑、灰。空から大粒の雨が絶えず大地に降り注ぎ、生えた草の根元で泥水が跳ねる。道という道は無く、地平線は霧で霞んでいた。単調な平原が続き、それほど高くはないが、膝まで丈のある草の原が辺り一帯を覆い尽くし、足場を悪くさせている。緑の抵抗と雨は限りなく二人の体温と体力を奪っていた。行く手を阻む植物がエヴァーリーンの苛立ちを募らせて、思わず叫ぶ。
「むかつく」
湿気った地面を蹴った。泥水が嘲笑うように爪先で跳ねる。靴は茶色く汚れ、内側まで水分が侵入していて、足取りが重かった。それが原因で幾度と無く足下を掬われそうになり、その内数回は派手に地面へと倒れ込んだ。泥まみれになった顔は幸か不幸か雨が綺麗に流してくれるけれども、その代わり、水をたっぷり含んだ服が悪路と共謀して不安定な歩調をさらに悪化させた。頭上では水桶をひっくり返したような雨が降りしきり、髪を伝って流れてくる。それを手で払い退けて、エヴァーリーンはもう一度叫んだ。
「むかつく」
先ほどまで太陽が雲の合間で見え隠れする程度の空模様だった。数時間経つと青紫色の空が急に暗く変化し、気が付くと長い間戸棚に閉まってあった新聞紙みたいに色あせていた。やがて空が大粒の涙で泣き出す頃にはエヴァーリーンの疲弊が頂点を迎えていた。このまま倒れて眠りたい、弱音を吐く質ではないが、体が重いせいか眠ることがとても自然に思えた。
「エヴァ、どうした？」
ジュドーが振り返る。心配した様子で手を伸ばすが、休憩という素敵な考えには思い至らないようだ。エヴァーリーンは差し伸べられた手を握り「あの女むかつくー」と叫んでから、彼女の腕を巻き込むようにして倒れ込んだ。膝まで泥水のスカートが翻り、柔らかい草と泥の絨毯が二人の体を迎え入れる。倒れたジュドーは呻き声を上げて、陸に上がった魚みたいに手をばたつかせた。
ようやく体制を持ち直したジュドーが言う。「エヴァ、怒ってばかりいると皺が増える」
「殴るよ」
上半身を起き上がらせてみるとジュドーが口を尖らせていた。その表情は泥で汚れていて、思わず吹き出してしまう。
「ジュドーは泥パックがご趣味ですか」
「エヴァは泥の厚化粧みたいだぞ」ジュドーは笑った。
そうやって暫く起きあがれずに雨に打たれていると、風を切るような音が頭上を通り過ぎた。エヴァーリーンは空を仰ぐが思わず手で庇を作る。雨粒が眼球を叩くため、直視できたものではない。霧がかった視界の片隅で、雲の下を泳いでいく影を捉えただけだった。
「いた」ジュドーが別の方向を指差して叫んだ。
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巨大な影が口笛のような音を鳴らして、空を縦横無尽に滑っていった。エヴァーリーンは鋼糸を握りしめ、上体を前に屈めて走った。水がリズミカルに跳ね上がる。ジュドーは蒼い刀を構える。
次第に音が間合いを詰めてくる。その音が峠を迎えたところで巨大な影が二人の間を的のように滑空してくる。二人の間を通り過ぎた所で影は翼を横に広げ、風を包み込んで勢いを殺した。風圧が落ちてくる雨粒を止め、泥水を波のように舞い上がらせ、辺りの草の穂を押し倒す。
エヴァーリーンは振り返る。大きな鷲のように見えた。体は塗りたくったように淡い闇に覆われ、暗い海の底を映しだしているように思えた。鷲の頭部を見るとあのときと同じ一つの目が、孤独な目が睨むわけでもなく、虚空を見つめている。巨大な鷲は二人を威嚇するように甲高い声で吼える。
「東方の焔よ」鋼糸を握りしめて叫ぶが、土砂降りの雨音がエヴァーリーンの声をかき消した。
ジュドーは真正面から走り込む。納刀状態から手早く刀を抜き、そのまま上へ斬り上げる。雨を掠っただけだった。すんでの所で鷲が翼で空気を叩き、巻き起こる疾風にジュドーは身を屈める。しばらくして追い打ちをかけようと走るが、大空の彼方。彼女の頭には正攻法しかないのだろう。直情的に斬撃を与え続ける、それ彼女のやり方だ。けれども明らかに足場が悪いせいで身動きが鈍っている。エヴァーリーンは溜息を吐いて、フォローに回る。
「ジュドー、ひきつけて」声が届くか不安で諸手を振る。
気付いた彼女が頷く。
エヴァーリーンは風の方向を確かめ、綱糸を草の原の間に張り巡らせていく。好機は着地の瞬間だ。足を引っかけ地面に抑え付ける、そんなイメージを頭の中で描く。罠を作り終えると、ジュドーが鷲に向かって吼える。
鷲が西の空中で旋回する。ジュドーに向かって高度を落としていく。ジュドーは相手に追いつかれないよう同一方向に向かって走る。その先でエヴァーリーンは待機していた。
意に反して鷲は地上すれすれを滑空してくる。巨大な影が目の前へ迫ってきて、身を屈めた。風圧がだけが通り過ぎる。
警戒してる、そう判断を下した。
振り返ると、急角度へ方向転換し、上空へ昇っていく鷲の影が見えた。
ジュドーは再び持ち場に戻り、空を見上げる。
エヴァーリーンはその間、罠の位置を確認し、調整する。
空で旋回を繰り返す鷲が、遠巻きに二人を見下ろしている。このまま高みの見物を決め込むつもりなのだろうか。
翼が左へ倒れる。鋭角を保ち、高度を落としていく。
降下。雨と空気を裂いて音が近づいてくる。
ジュドーが叫ぶ。
合図、走り出す。
エヴァーリーンは綱糸を握りしめる。
また低空飛行。速度を上げた影が目の前を通り過ぎていく。
地上を舐めるようにして、左上空へカーヴしていく。
急旋回。
しまった。
高度を上げずそのままエヴァーリーンに向かって突進してくる。
気が付くと走っていた。
そうだ、走れ。
激しい呼吸の震えが体にぴったりと密着している。
足がもつれて草むらの方へ倒れる。
轟音が頭上を通り過ぎる。
「エヴァ！」ジュドーが叫ぶ。
体を起こして体制を立て直す。
空を仰ぐ。
泥で視界が滲んだ。
「どこ？」
「あっちだ」ジュドーが指差す。
垂直真上の遠方で霞んだ影が蠢いている。フルスピードで上空へ昇り詰めていく。
背面のまま宙返り、螺旋を描きながらエヴァーリーンに向かって落下してくる。
一つ目がエヴァーリーンの心臓を捉える。
「エヴァ、離れろ！」
エヴァーリーンは身動きが出来ない。
竦んだ足が言うことを聞いてくれなかった。
腰の力が抜けてしまいその場にへたり込む。
「エヴァ、走るんだ」ジュドーの声が遠くで聞こえる。
轟音が近づく。
自分が落下しているような、錯覚に襲われる。
虚ろな眼球が距離を縮めて、肥大化していく。
逃げられない。
目を瞑る。
誰かが肩を掴む。
気が付くとそこにジュドーがいた。
彼女はそのまま刀を構える。
鷲が咆吼する。
空と地上の一騎打ちだった。
轟々とした黒い滝が目の前を降り注ぐ。
エヴァーリーンは滝壺の中で耳を塞いだ。
全てが通り過ぎてから、柔らかい静寂が訪れる。
雨音も、風のどよめきも、草の擦れ合う音も。
全て消えて新しい空気が漂っていた
最後の一滴がエヴァーリーンの額へ落ちる。
雫は髪を伝って流れる。
七色に輝いていた。
空を仰ぐ。
雲一つない。
オレンジ色に染まった空と夕凪の雲が、隙間から顔を出していた。
「ジュドー？」
彼女は立ち竦んだまま振り返る。
ジュドーは何も答えずにただ微笑んだ。
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その後、暫く夕陽を眺めていた二人の目の前にクロークの女が現れ、拍手で迎えた。
「東方の焔の実体を捕らえることに成功しました。わたくこれでも魔法使いなのです。東方の焔を解析し、研究資料として提出すれば枢機卿もお喜びになります。あなた方には感謝致しますわ」
二人はまんまと利用された訳である……。
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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【整理番号 ／ ＰＣ名 ／ 性別 ／ 年齢 ／ 職業】
1149／ジュドー・リュヴァイン／女性／19歳／武士
2087／エヴァーリーン／女性／19歳／鏖
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、吟遊詩人ウィッチです。なるべく気張らないよう書きました。エヴァーリーン様のキャラクターがイメージとして掴みやすく、とても書きやすかったです。また二人の力関係も書いているうちに分かってきたので、書いていてとても楽しめました。お二方にも楽しんで頂けたら幸いです。ではでは……。
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