<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


魂のこもった鏡

「……ものにはな、魂がこもることがある」
 黒山羊亭のカウンタに座って、そうぼそぼそと話し始めた中年の男性がいた。
「何のお話?」
 エスメラルダは訊いた。中年男性はまず「俺はサズラという。……彫刻家だ」と言った。
「彫刻家さん? それで、一体何が――」
「彫刻とは関係ないんだがな。俺は鏡をよく利用していた。まあ、人間の像を作るときに自分を映してみたりな」
「ええ……分からなくもないけれど。それで?」
「その鏡は祖父の代から使っていて、古い。その鏡に――」
 魂がこもったらしいんだ、とサズラは言った。
「人間のように意思を持った」
「それで……」
「このエルザード城下に紛れ込んだ」
 鏡だけにな――とサズラはつぶやいた。
「人に変身するのがうまいんだ。おまけに能力までうつしとってしまうらしい」
「―――」
「ヤツはこれをさがしているんだ」
 サズラは懐から何かを取り出した。
 ――割れた鏡の破片だった。
「これを手に入れようと……ヤツは俺を狙ってくる。鏡を割られたことでかなり凶暴になっている。怒っているんだ」
「その破片を返してあげればよいのじゃないの?」
「………」
 サズラは無言で、自分のズボンの裾をあげる。
 足に、大きな傷跡があった。
「……鏡は俺を憎んでいる。まず俺をうつしとって、容赦なくノミで襲いかかってきた」
 返してやりたいのはやまやまなんだ――とサズラは言った。
「だが……思わず俺は逃げ出してしまって、そのあと鏡がどこにいるか分からない」
「それじゃあ……」
「破片を返してやりたい。返すだけじゃなく、俺の手で鏡にはめこんでやらないと……自分自身ではできないだろうからな。俺はこの足でうまく動けない。誰か、鏡を捕まえて……きて、くれないか……?」
 サズラはそう言って、肩を落とした。

     **********

「あんまりしんみりするんじゃねえよ」
 うつむいたサズラの肩を、後ろからバンと叩いた人物がいた。
 オーマ・シュヴァルツ。黒山羊亭の常連である。
「鏡か……昔から人は心の鏡とも言いやがるモンだがよ、その鏡にとっての[心を映すモン]は何なんかね?」
「あの……あなたは……」
 サズラがゆっくりと振り向き、巨体のオーマを見上げる。
 オーマはうなずいて見せた。
「俺はオーマ・シュヴァルツ。……心配すんな。俺が手伝う」
 彼は頼りになるわよ、とエスメラルダがサズラに言った。
「話を聞かせて頂いたのですが……」
 サズラと同じくカウンタに座っていた紳士が、すっと立ち上がった。
「エルザードの人々が安心して暮らすには、早く鏡を修理してやらねばならないようですね。微力ながら助勢致します」
 歳はもう老年に達しているかいないかぐらいだろうか、二本の角を生やし、そのうち一本が折れている。立ち振る舞いはとても礼儀正しい、銀髪の紳士だ。
「おんや。お前さん初顔だなじいさん。失礼だが名を聞いてもいいかい?」
 オーマがその角をしげしげと見ながら言うと、紳士は丁寧に礼をしながら、
「はい。グレディア=レナティスと申します」
 と言った。
「グレディアさんか。俺はオーマ・シュヴァルツ。よろしく頼む」
「いえ、こちらこそ」
 二人が握手を交わしていたそのとき、
「その……私たちも参加してもよいだろうか?」
 傍のテーブルから、二人の少女が立ち上がった。
「んん? ああ、アレスディアに千獣(せんじゅ)か」
 オーマはすっかりなじみとなった二人の女戦士に笑いかける。
「グレディアさんにサズラよ。こっちの銀髪の子がアレスディア、こっちの黒髪の子が千獣ってんだ。かなり強いからな、女の子でも頼りになるぜ?」
 オーマに紹介され、銀髪に青い瞳を持つアレスディアと、黒髪に赤い瞳を持つ千獣がグレディアにそっと礼をした。
「お初にお目にかかる。私はアレスディア・ヴォルフリート」
「アレスディアさんですか。こちらこそよろしく」
 アレスディアとグレディアが握手をする。
「あ……の……、私、千獣……」
 千獣はたどたどしいしゃべり方でちょこんと首をかしげた。彼女の挨拶形式に、握手というものはないのだ。
「千獣さん。よろしくお願いします」
 グレディアは気を悪くした様子もなく、にっこりと千獣に笑いかけた。
 サズラは次々と集まってくる戦士たちに、ほっとしたように微笑んだ。
「ありがたい……お願いします、皆さん」
「さあて」
 オーマが両拳をごんと打ち合わせた。「早速会議と行こうぜ」

「私は、念のためサズラ殿についていてはいけないだろうか」
 そう言い出したのはアレスディアだった。
「破片を狙っていると聞く。全員が鏡をさがしに出た際に、サズラ殿が狙われれてはひとたまりもない」
 万が一のために私はサズラ殿についていようと思う――という言葉に、オーマとグレディアがうなずいた。
「そうですね。破片を狙っている、というのが本当かどうかもまだ分かりません」
 グレディアが言えば、
「でも……破片、なら……私に、貸して、ほしい、な。サズラじゃ、なくて、こっちに、来て、くれる、なら、それが……いい」
「よしサズラ。とりあえず破片を貸してくれ」
 オーマに呼びかけられ、サズラは懐から丁寧に布に包まれたものを差し出した。
 中をたしかめる。――きらりときらめく鏡の……破片。
 破片の中に四人の戦士が映っている。
「アレスディアにはサズラと黒山羊亭の護衛を頼もう」
 オーマが言う。アレスディアが強くうなずく。
「私は、さしあたっては聞き込もうかと思います。鏡の居場所を見つけるため……」
 グレディアは落ち着いた声でそう言った。
「そうだな。待ってるよりずっといい。こっちからも行動を起こさなきゃなあ」
「それに私でしたら、聖獣装具を持っていない限りあまり素早く動けませんので……鏡に姿を映されても平気かと存じます」
「なるほど……」
 オーマがふーむとうなる。「いざとなったら俺の霊魂軍団を使おうと思っていたんだが……グレディアのほうがアテになりそうだな」
「ありがとうございます」
 グレディアがにっこりと微笑んだ。「鏡を発見してからは、どういたしましょうか?」
「そうだな、その後は――俺がちょっくらやりてえことあるからよ」
「私、は……」
 千獣がそっと口を出す。「私、は、鏡、に……言いたい、こと、ある……」
「そうか。よし、とにかくグレディアに聞き込みを頼んで、破片は千獣に持たせて……千獣の姿を写されるとさすがにヤバいからな、俺が千獣の護りにつこう。サズラのことは……」
 オーマたち三人の目がアレスディアを見る。
「大丈夫。任せて頂こう」
 アレスディアはうなずいた。

     ***********

 アレスディアにサズラを任せ、オーマ、グレディア、千獣の三人は黒山羊亭を出た。
 破片は千獣が大切に握っている。
 天使の広場までやってくると、グレディアは単独で聞き込みを始めた。
 サズラに似た人をさがし、また道行く人々には「知り合いで不自然な行動を取る人」を見かけなかったかと聞いていく。すでにサズラ以外の姿を取っている可能性を考えてのことだ。
 しかし、聞き込みの結果はかんばしくなかった。
 アルマ通り、エルザード王立魔法学院にまで足を伸ばしてみたが、無駄だった。
「おかしいですね……」
 ――よもや。
 三人は顔を見合わせる。
「まさか……!?」
 うなずきあい、三人は走り出した。ベルファ通り――黒山羊亭へ。

「先に行った三人は大丈夫かしらね」
 エスメラルダが心配そうに、黒山羊亭を出て外の様子をうかがいに行く。
 エスメラルダとて冒険者の強さは知っているが、心配なものは心配なのだ。
「鏡は姿を映し取り……能力も映し取るというが……」
 黒山羊亭で、アレスディアは少し悩んでいた。「私のルーンアームの場合……黒装も鎧装もなのだろうか? もしくは映ったほうの能力だけを映し取るのだろうか?」
 どちらか分からぬのが少々不安だが――、とアレスディアは手にしていた幾重にも刃が重なったような形態の槍をかざした。
「今回は……鎧装で行く」
 『我が身盾として、牙持たぬ全てを護る!』
 槍が――形状を変えてアレスディアの体にまとっていく。
 灰銀色の鎧姿となって、アレスディアは槍ではなく剣となった得物の先をとんと床に置いた。
 この姿ならば、攻撃力は劣るものの、護るのには適している。
「サズラ殿。必ずお護りするから、ご安心を」
 アレスディアの言葉に、足の不自由なサズラは「ありがとうございます」と深々と頭をさげた。
 と、そこでエスメラルダが黒山羊亭内に戻ってきた。
「何か異変はなかったか?」
 アレスディアはエスメラルダに問う。
 エスメラルダは微笑んだ。
「大丈夫」
 そして、サズラに「足の怪我は大丈夫?」
「ああ、おかげさまで……」
「そう。――残念ね」
「―――!」
 アレスディアはとっさにサズラを引っ張った。
 ひゅっ
 短剣が空を切る。
 エスメラルダが、ちっと舌打ちする。
「まさか……鏡!?」
 アレスディアはサズラを背後にやりながら、呆然と見慣れた踊り子の顔を見つめた。
「エスメラルダ殿の姿を映し取ったか……!」
 しかし、とアレスディアは思う。
「破片は――ここにはないぞ!」
 短剣の攻撃を剣で受け止めながら、アレスディアは叫んだ。
「それともサズラ殿自身を憎むか!? なぜだ――!」
 エスメラルダの姿をしていたものが、ゆらりと輪郭を変えていく。
 灰銀色の鎧。長い銀色の髪。青い瞳。
 アレスディアの姿に――
「……くっ」
 アレスディアとまったく同じ剣、『征竜』を手に向かってくるもうひとりのアレスディア。
 アレスディアはひたすら攻撃を受け止めることにとどめた。被害が黒山羊亭に及ばぬよう、攻撃を受け流すことも最小限に控える。
 アレスディアの言葉はまったく無視して、鏡はひたすらアレスディアの背後のサズラを狙っていた。
(破片だけでなくサズラ殿も狙うか――!?)
 今ここで、自分はどうすべきか。
 下手に攻撃して、鏡に傷をつけてはいけない。仲間たちが気づいて戻ってくるのを待つべきか。そう言えば本物のエスメラルダはどうした? 店内に戻ってきていない。暴力を振るわれたか――?
「………っ!」
 ガキィッ
 受け止めていた剣を力任せに押し返し、アレスディアは肩で息をした。
 鏡だけに利き手が逆だが、力量がまったく同じだ。まさか、同じ力を持つ者と戦うことがこれほど体力の消耗するものだとは思わなかった。
「数多くとは言わぬが……」
 ギン ギン ガキィン!
「今までさまざまな者と戦ってきた」
 ひたすら受け止めること、護ることを優先しながら、アレスディアはつぶやいた。
「しかし、自分と同じ顔を持つ者だけは、さすがに、初めてだ……」
 けれどなぜだろう。
 顔の造り。姿、身長体つき何もかも同じはずなのに。
 ――自分自身とは決して思えない。
 どうしてだろうとよくよく観察してみて、ふと気づいた。
(そうか……表情だ)
 あの殺気立った青い瞳。
 アレスディアは殺気立つこと自体が滅多にないし、あったとしてもそんな自分を鏡で映して見たことなどあるわけがない。
 表情だけで、瞳に走る色だけで、これほど別人に見えるものなのか――
 やがて――
 勝てないと判断したのだろうか。それとも破片がないことをようやく認めたのだろうか。鏡のアレスディアが攻撃をやめた。
 一歩一歩退いていく。――悔しそうに。
 そして、ぱっと背を向けて走り出した。
 黒山羊亭をそのまま出て行く――
「サズラ殿、ご無事か?」
 足の不自由な依頼人の様子をたしかめると、サズラは足の傷を痛そうに押さえながらも、
「あり……がとう、ございます。助かりました……」
 その表情があまりに暗く、アレスディアは不安になった。
「本当にご無事か? どこか怪我をなされたか?」
「いいえ……大丈夫です」
 サズラはそう言ってから、小さくつぶやいた。
「……あれほどに憎まれているとは……」
「―――」
 アレスディアは言葉をつまらせた。
 鏡の攻撃の激しさ。一番知っていたのは他ならぬアレスディアだったから。
「アレスディアさん。エスメラルダさんが」
 サズラに言われ、はっと気づいたアレスディアは黒山羊亭を飛び出した。
 エスメラルダは、横を向いてすぐそこにいた。壁にもたれかかるようにして気絶している。
(このエスメラルダ殿は……本物か?)
 アレスディアは慎重にエスメラルダの頬を叩いて、その目を覚まさせる。
 エスメラルダはふっとゆっくり瞼をあげて、
「あら、私……」
 とぼんやりとした瞳でアレスディアを見た。
「エスメラルダ殿。大丈夫か? お怪我は?」
「アレスディア……ええ、私は平気……少し……たしか、見慣れない人におなかを殴られて……」
 言いながらもエスメラルダは頭を押さえる。
 これはおそらく本物だ。アレスディアはその勘を信じることにした。
「さあ、店内に戻られるといい。……護れなくて、申し訳ない」
 エスメラルダはゆっくりと顔をあげ、「馬鹿ね」と微笑んだ。

     **********

 黒山羊亭に向かって、ベルファ通りにやってきたオーマたち三人――
 ふと、千獣が虚空を見て言った。
「あれ……アレス、ディアの、気配、が、する」
「なに……!?」
 オーマが足を止める。そこはまだ黒山羊亭には遠い場所だった。
 千獣は耳に手を当てて、目を閉じた。
「アレスディア……こっち、に……向かって、る。でも……アレス、ディア、じゃ、ない」
「鏡がサズラのところに行ったのか……!」
「アレスディアさんのお姿を映して……そして今こちらに向かっているとおっしゃるのですね?」
 グレディアが千獣にたしかめる。
 千獣は目を開き、こくんとうなずいた。
「ではお二人はそこのあたりの陰に隠れていてください」
 グレディアは近場の家の陰を指す。
「私が、アレスディアさんにひとりで近づいてみます。話しかければ反応するでしょう」
「よし。頼んだぜグレディア……!」
 オーマは千獣とともに家の陰に隠れた。
 待つこと数分……
 鎧装で、アレスディアそっくりの娘が、ベルファ通りを走ってきた。
 グレディアは笑顔で近づいた。
「アレスディアさんではないですか」
 鏡は、びくっと反応して、足を止めた。
「どうなさったのですか? そんなに急いで……何か、困ったことでも?」
「あ、ああ……ちょっと、探し物をしている」
 アレスディアとまったく同じ声で――
 しかし、グレディアは見ていた。――今、自分が映っているアレスディアと同じ青い瞳に、不敵な色が走ったのを。
 鏡の口が、そっと開いた。
「――あなたは、私の探し物の場所をご存知のようだ」
 アレスディアの鎧の輪郭が、ぐにゃりとゆがんだ。
 鎧が解け、銀髪が短くなり、頭からは角が生え――
 グレディアの姿に。
 グレディアは冷静に微笑んだ。
「私の姿になっても、いいことはございませんよ」
 鏡は驚いたような顔をした。
 ――目の前で同じ姿になられても、驚かれなかったことがないのだろう。
 グレディアは徐々に立ち位置を変えて、家の陰に隠れている二人が鏡の背後に来るようにした。
「町の人々には危害を加えませんでしたか? 鏡さん」
 優しい紳士の微笑み。
 同時に――
「破片はこっちだ……!」
 オーマが、家の陰から飛び出した。

 グレディアに変身させた利点は二つあった。
 ひとつ。グレディア本人の言う通り、聖獣装具を持たぬ状態のグレディアはさほど動きが早くないこと。
 ひとつ。変身するときに必要な時間を――その目で確かめることができたこと。

 オーマは千獣に家の陰にそのままでいるように言い、己は姿を現した。
 鏡がはっと顔をあげ、その輪郭を揺らめかせようとする。
 しかしオーマは次の瞬間には青年の姿になっていた。
 鏡が再び輪郭を揺らめかせる。
 その頃にはもうオーマはミニ銀獅子の姿へ。
 鏡の輪郭がぐにゃぐにゃになった。
 再び元の姿に戻ったオーマを見ても、ゆがんだ輪郭が戻らない。
 オーマは何度も何度も連続瞬間変化を繰り返し、鏡を翻弄した。
 鏡が――
 ようやく輪郭をはっきりとさせた。
 ――鏡、自体の姿で。
「よし、千獣出て来い!」
 呼ばれて、千獣が家の陰から飛び出してくる。
「グレディアも! 行くぞ!」
 オーマは本来の姿に戻った鏡に、具現精神感応で干渉して、鏡の中の世界へと空間をつないだ。
 それはあらかじめ、グレディアや千獣と打ち合わせしてあったことだった。
 三人はそろって鏡の中の世界へと飛び込んだ。

 鏡の中は――いくつもの鏡が浮遊し、しかしどれも隅が欠けている。
 ひびの入ったものもあり、オーマたちを歪んだ姿で映しだした。

 空中に浮かぶような道。
 その先に――
 鏡自身が、いる。


「聞きてえんだよ……」
 目の前にある鏡を相手に、オーマはつぶやいた。
 古い鏡。縁を飾る細かい彫刻は、ひょっとするとサズラの祖父か親か――サズラ自身によるものかもしれない。
「サズラとは、大切な相棒だったんだろう……? どうして、憎んだりしたんだ?」
『………』
 鏡の返事はない。
 鏡の端が、欠けてなくなっていることが切なく寂しい。
「俺たちは、サズラが鏡を割っちまったことしか知らない。――それ以上に、何かあるのか?」
 ――鏡は、何かを模倣するもの。
 しかし、
「何かを映してるだけじゃなくて……お前さんが本当に映し出したい想いは、なんだ?」
『………』
 鏡は無言だった。ひたすら無言だった。
 鏡の世界がゆがむ。ゆがんだまま、隅の割れた鏡だけが浮遊する。
 千獣が、
 そっと……胸元に抱いていたものを差し出した。
「ほら、破片……、ある、から」
 ぐらり
 世界が揺れる。
「サズラ、が、はめこん、で、直すって……言って、た、から」
 ぐらり
 ぐらり
 ――世界は、鏡の心そのもの。
「私、には……分から、ない、けど」
 千獣は一生懸命語りかけた。「憎しみが、ある、なら、思い切り、叩き、つけたら、いい」
『………』
「思うに、サズラさんのお仕事を手伝うことに誇りを感じていて――」
 グレディアがつぶやいた。
「それを完璧に遂行できない今の自分の姿に、絶望しているのかもしれません」
「………」
 オーマが黙り込む。
 千獣が一途な瞳で鏡を見つめる。
 ぐらり
 ぐらり
 世界が揺れる。
「想いは、叩き、つけたら、いい。いい、から……一緒に、帰ろう……?」
 ゆらり……
 鏡が反応した。
 その鏡の中に、サズラがいた。
 鏡の前で彫刻の作業をするサズラ――
 その、手に持っていたノミが。
 ふいに、彼の手を離れて――鏡に飛んだ。

 ―――っ!!

 オーマたち三人の体に激痛が走る。ほんの一箇所を、しかし思い切り突き刺されそこからびしびしと痛みが広がっていく、そんな感覚。
 そして――
 続いて、三人の視界がゆがんだ。
 サズラが、悲痛な表情でこちらに向かって手を伸ばしていた。その姿にひびが入り歪んでいた。

 ――三人に、まるで己のもののように内から伝わってくる絶望感。

 それは時に、違う感情へとすりかわり。

 鏡の中に、いつの間にか二人のサズラがいた。
 ひとりのサズラが、ノミをふりかざし、もうひとりのサズラの足を傷つけていた。

 足を怪我したほうのサズラが鏡の破片を手に、その場を逃げ出した。

 ノミを持っていたほうのサズラは――
 もう、何もかも訳が分からずに――

「痛みと……絶望と……」
 オーマがつぶやく。
「ないまぜになって……自我を失っちまったのか……」
 当たってたなグレディア、とオーマは紳士を見やる。
 グレディアは沈痛な面持ちでうつむいていた。
「あれほどの痛み……そして……悲しみ。我を失ってしまい、そして取り戻すすべがなかった……」
 グレディアのつぶやきに、オーマは続けるように鏡に言った。
「なあ、答えてくれ。……お前さんが映し出したい姿は、なんだ?」
 鏡の中の画像が歪み――
 ひび割れた中に、サズラが現れた。

 満面の笑顔のサズラが。

「やっぱ、り……」
 千獣が、ちょこっとだけ微笑んだ。「やっぱ、り……」
 ねえ――
「一緒に、帰ろう……?」
 破片を差し出し、手を差し伸べる。

 世界が――
 歪んでいた世界が――
 ひび割れていた世界が――

     **********

 オーマが等身大の鏡を布に巻き、腕に抱えてグレディア、千獣とともに黒山羊亭に戻ってきた。
「………っ!」
 サズラががたんと椅子を鳴らして立ち上がる。
「ご安心を、サズラさん」
 グレディアが胸に手を当てながら、微笑んだ。「鏡も分かってくれたようですよ。綺麗に直してあげてくださいね」
「……本当に……」
 サズラの表情が泣きそうにゆがむ。いや、すでに泣いていたのだろうか――瞳が赤い。
「サズラ殿は……鏡に襲われて、ショックを受けていらしたから」
 サズラの隣に座っていたアレスディアが、そっとサズラの背をさする。
「それは憎しみでも怒りでもなかったぜ」
 オーマは言った。
「ただ……どうしていいか分からなくなったんだ。こいつは……子供みたいなもんだ」
「―――」
 サズラは涙を流した。
 オーマが鏡を床に置き、布を取る。
 千獣が破片をサズラに返した。
 サズラは――布の中から現れた相棒の、欠けた部分に、その破片をはめこんだ。
 そして、
「すまなかった……すまなかった……っ」
 ぽろぽろと涙のしずくが鏡面を打つ。
「……今は、仕方ないけどな、サズラ」
 オーマはかがみこんで、サズラの顔をのぞきこんだ。
「いつか、またこいつに笑顔を見せてやってくれ。こいつの一番の望みは、それらしい」
「―――!」
 サズラは驚いたように目を見張り――そして、
 泣き笑いの顔になった。
「鏡……ちゃんと、綺麗に直してやるからな」
 つぶやく誓い。相棒から、相棒へと。
 鏡はひび割れたまま。けれど、
 その中に映る相棒の顔は、真っ赤に目を腫らし――そして、とてもいい顔をしていた。


 ―Fin―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1953/オーマ・シュヴァルツ/男/39歳(実年齢999歳)/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】
【2919/アレスディア・ヴォルフリート/女/18歳/ルーンアームナイト】
【2989/グレディア=レナティス/男/64歳/異界職】
【3087/千獣/女/17歳(実年齢999歳)/獣使い】

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■         ライター通信          ■
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グレディア=レナティス様
初めまして、笠城夢斗と申します。
このたびは初の依頼へのご参加、ありがとうございました!
とてもやりづらい設定のシナリオだったかと思いますが、お付き合いくださり感謝しております。
またお会いできる日を願って……