<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


『オウガストの絵本*−人魚姫の姉−』


< 1 >

「お茶を入れますね」
「あら、お茶なら私がいれましょうか?」
 部屋の住人・詩人のオウガウトの言葉に、リラ・サファトは今座ったばかりのソファから中腰になった。豊かな毛束が揺れ、艶のあるライラックの髪から水滴がしたたる。
「いえ、あなたはお客様ですから。このタオルで髪を拭くといいですよ」

 家の中で炊事洗濯などをして一日過ごすことの多いリラは、外出の機会は少ない。今日、魔法使いダヌの館を訪れたのは、疲労回復によいという料理を教わるためだった。だが、老婆は、約束の時間迄に帰れなかったのか、それともその約束さえ忘れたのか、不在だった。だからと言って腹をたてることもせず、『すぐに戻るわよね?』と扉の前でのんびり待っていたのだが。そのうち雨まで降り出して。
 隣のアパートメントに住むオウガストが、雨宿りに部屋へ入れてくれた。

 居間のテーブルには、包装を解かれたばかりの数冊の絵本が乱雑に置かれていた。手描き手作りの一冊ものの絵本だ。
「さる富豪が、お嬢様の贈り物用に私に依頼したものですよ。同居人の画家と一緒に作りました。きれいな絵本でしょう?
 絵本の中に入れるようにというご所望で、その条件は満たしているのですが。不良品だと言うんで返品されて来たんです」
「不良品なのですか?」
「ダヌから貰ったインクで書いたら、それがどうもマジック・アイテムだったようで」
 読む人によって、ストーリーが変わってしまうのだと言う。

 異世界から持ち込またお伽噺たち。それらをオウガストなりに書き直したと言うテーブルの上の絵本は、不良品と言われても、表紙絵を見ているだけでも楽しかった。
「あ・・・」
 その一冊を目にした時、リラの手が止まった。美しい少女、でも、彼女の下半身は魚の尾だ。30世紀の地球から来たリラには懐かしい童話だった。
「気に入った本があったら、どうぞ暇潰しにお読みくださいな」
「はい」とリラは頷いて、『人魚姫』の表紙をめくった。


< 2 >
 
 末の妹姫が家出したニュースは、王の一族を動揺させた。父のポセイドンは玉座に深く腰掛けたまま三叉をきつく握り、怒りを押し殺した。母の人魚の女王は白い指で顔を覆い、哀しみの声で忍び泣きした。

「びっくりよね。魔女に声を差し出して、代わりに人間にしてもらったらしいわ」
「前にここを通った船。あれに乗った王子に恋をして、追って行ったのですって」
 何番目かの姉たちが、岩の上で髪を梳きながら情報を提供する。よく晴れた午後、リラたち姉妹は、波が荒くて人が訪れぬ岩場で休んでいた。彼女らの口調はまるで他人ごとのようだ。姉妹が多いせいで親身になれないのか、それとも『恋』や『家出』という刺激の方が強すぎたのか。
『末の妹?ここにいるのは姉たち?私に、こんなに姉妹がいたかしら?』
 リラは小首を傾げる。見慣れぬ尾鰭。私って、人魚だったの?
 オウガストの居間で絵本のページを捲った記憶も、本の中に入ったという意識も、リラには無い。
『ああ、そうだったわ。私は人魚のリラ。下から二番目の妹』
 素直なリラは、すぐに物語に同化した。

 リラは、長いライラックの髪を、サテンのワインカラーのリボンで結んでいた。肩にはアイボリー・レースのショールを羽織る。これらは全て、難破船で見つけたものだ。ショールも元は純白だったかもしれない。もしかしたら、ショールでなくベール・・・頭にかぶるものかもしれない。
 姉たちも、水しぶきに光る宝石のネックレスや、陽に輝くシルクの肩掛けで身を飾る。肩掛けは、ドレスを裂いて作ったものだ。他にも、人形や、きれいな箱など、船乗りたちが落とした商品には楽しいものが多かった。リラたち王族は禁止されているが、装飾品欲しさに、美しい歌声で船乗りを惑わす人魚も多いそうだ。
 アクセサリーなど身につけずとも、人魚たちは皆十分に美しい。姉たちの長い髪は、スカイブルーや、レモンイエロー、チェリーピンクなど、色とりどりで。こうして陽に当って濡れて輝いてもオーロラのようだし、海の中でしなやかに踊る様も見とれるほどだ。リラは自分の髪の色も好きだ。エメラルドの暗い水の中で、妖精の燈火のように明るく見えるライラック色だった。
 日溜まりでのお喋り。リラはそう多弁ではないが、姉たちが小鳥や鈴のような声で取り止めのない話をする、そのゆったりした時間が好きだった。
 妹が、この幸せを捨てて出ていくなんて。人間の男に恋をするなんて。

 海底の王宮に住むリラ達は、日暮れ前には海辺から部屋へ戻った。外から帰ると、豪奢な真珠や虹色の貝で飾られた壁は、コバルトの膜に覆われたようにぼやけてゆらゆら揺れて見える。大きな海藻のカーテンが時々水泡を離し、シャボン玉が飛ぶように水面へと逃れて行った。
 螺鈿のテーブルに、握り拳ほどの大きさの水晶が置いてあった。不思議に思って手に取ると・・・地上の・・・どこかの砂浜が表面に映った。
『あんたとあの子は、一番仲がよかったじゃろう?あの子の頼みでね。あんたに、自分の様子がわかるように、って』
 しゃがれた老婆の声が耳に響き、リラは辺りを見回す。が、魔法使いの姿は無かった。声は、手にした水晶からだった。まるで岩の上にいる時のように、音が鮮明に聞こえた。

 水晶は、砂浜から次第に陸地を映し出し、その国の城の中へ視点を移した。庭園は薔薇や蘭が咲き乱れ、リラも初めて見る美しさだった。庭園の隅に立てられた小屋、妹はその一室に寝かされていた。庭師夫婦の話も聞こえ、『浜辺で倒れていたところを助けて、ここへ運んだ』という内容だった。
 とにかく、両親に、妹の無事を伝えなければ。父の怒りは心配によるものが大きいはずだ。母も、様子を知ることができれば、心労も和らぐだろう。

 こうして、水晶は居間に置かれ、家族全員が妹の様子を見守った。


< 2 >

 水晶の中の妹は、リラと同じ色の髪を耳の横で結んでいた。青い瞳はリラと同じ形。リラとそっくりの、少し丸い愛くるしい鼻、小さな唇。軽い衝撃と共に、リラは「そうよね。双子だったわよね」と、急に思い出した。
 回復した妹は、地の上を歩けることがさも嬉しそうに、ダンスでも踊るステップで裸足で庭園を歩いた。お茶目な仕種で花壇のレンガを歩いてみせて、庭師夫婦を笑わせたりした。洗いざらしの木綿のドレスにはツギが当たり、アクセサリーも身につけていなかったが、妹は美しかった。風が吹くと、花壇の花びらが一斉になびく。木綿のスカートも、ライラックの髪も、蝶のように踊った。
 庭園を散歩していた王子が妹を見初めるのに、そう時間はかからなかった。
「そこよ、行け!もっと王子にしなだれかかれ!」
「王子の手を握れ!」
 水晶を囲み、姉たちは賑やかに応援した。ゲーム感覚ではあったが、みんなの応援の気持ちは本物だ。妹は、王子と結婚できなければ、海の泡となって消える約束を魔女としていたのだから。
「命まで賭けたなんて・・・」
 リラの小声の呟きは、姉たちの嬌声に掻き消される。妹は、自分にそれほど自信があったのか?必ず王子の愛を勝ち取れると?
『ううん、きっと、ちがうわ・・・』
 今度は声に出さなかった。
 会いたかった。側に行きたかった。ただそれだけなのだ。人魚のリラに有るはずもない、ふわりと優しい恋の記憶。心の奥の奥、前世の記憶のように残っている、甘いパステルカラーの想い。
 藤棚の下を王子と並んで歩く、妹の表情。自分と同じ顔の、その輝きに既視感を覚える。自分もそのときめきを反芻し、しばし幸せな気持ちに浸った。

 だが、相手は一国の王子。妹と恋に落ちても、彼には許嫁があった。身元の知れない娘との結婚など、許されるはずもない。
 王子は駆け落ちも考え悩んだが、対立する国の姫との結婚で、戦争が回避されて兵士の命が幾つも救われることを無視できなかった。

「リラ!」
 部屋を訪れた長女のピンクの髪は、首辺りでザンバラに切られていた。
「おねえさま、その髪は?」
 美しかった姉のあまりに無残な様子に、リラは茫然として口を開いた。見ると、長女の手には、レモンイエローやスカイブルーの・・・他の姉達のものと察せられる毛束も握られていた。
「髪を切って、魔女に売るのよ」
「・・・えっ?」
「魔女が、魔法の短剣と引き換えてくれるって言うの。その短剣であの子が王子を殺せば、元の人魚に戻れるって。私達のところへ戻って来れるの。死ななくて済むのよ」
 リラの尾が驚きで跳ねて、陶器の人形を倒した。それは、ゆらゆらと、嘲るように舞って床に落ちた。
「おねえさまは、あの子が、自分の為に王子を殺せると思うのですか?」
「魔女が言っていたわ。自分を去っていく男には、かえって憎しみが募るものだと」
「・・・。」
 魔女の、幾重にも深く皺の刻み込まれた顔を思い出す。だがあの魔女もかつては若く、激しい恋をしたのだろう。
 その理論も理解はできる。だが、妹は・・・。
 例えばリラなら、絶対にその短剣は握らない。
 いいのだ、泡になることは恐くない。だって、好きな人と一緒に過ごせて幸せだったのだから。
 姉達が届ける短剣は、妹の心の重荷になるだけだ。
「私は、やめた方がいいと思います。あの子を悲しませるだけです」
「リラは、髪を切りたくないのね?だから、そんなことを!」
「違います・・・」
 恋を知らない姉達に、どう説明したらいいのだろう。リラの頭の中で文字が渦巻き、でも一つとして完全な言葉にならずに流れに沈んで消える。リラはもどかしくて唇を噛んだ。
 リラひとりの力で、姉達を止めることはできない。「わかりました」と、リラは首筋からバサリと鋏を入れた。『何かしたい』という姉達の気持ちは痛いほどわかるし、それはリラも同じだった。細い指で握り切れなかった髪の小枝が、水の流れに乗って幾筋も流れて行く。

 その短剣は、手紙を添えた宝箱に入れられ、カモメに託された。カモメは城で暮らす妹の窓辺へと届け、確かに彼女の手に渡った。だが、リラの予想通り、その短剣が使われることはなかった。
 王子の結婚式の朝、妹は浜辺から静かに海へと帰って行った。リラ達が水晶を見守る中、彼女の体はどんどん透明になり・・・やがて水に同化して、姿が見えなくなった。一粒、二粒と、汚れのない真珠のような泡が水面へと昇った。
 姉達は泣きじゃくり、抱き合って悲しみ合う。父はついに居間へは来なかった。母は黙って俯いていた。
 妹は、海と溶け合って・・・海そのものになったのだ。リラは自分に言い聞かせた。それでも瞳の涙を止めることはできなかった。

* * *

「最近は、船が沈まないわね」
 あれから数年が過ぎた。時間は痛みを和らげて思い出に変え、日々はいつものように流れていく。姉達は、今日も岩の上で潮風に笑いさざめく。みんなの髪もすっかり元の長さに戻った。それを飾る宝石が手に入らなくて、少し退屈している。
 沈没船が少なくなったのは、船同士の小競り合いが無くなったからだ。王子が敵国の姫と結婚し、戦争は回避された。
「あ、豪華な帆船!沈めちゃおうかな〜」
「ダメよ、おとうさまに叱られるわよ」
 陽に飽きた姉達は、王宮へ戻る為に次々に水に飛び込んだ。最後のリラが、ふと船を見ると・・・水晶の中で見た青年が、甲板で子供を抱いて美しい婦人を伴えていた。そうだ、帆船のマークはあの国の紋章だ。
 波頭の一粒一粒が、ざわざわと心騒いでいるように見えた。海になったあの子はきっと、王子の幸せを喜んでいると思う。
 海の水は、王子の乗る船をいとおしむように抱きかかえ、優しく揺らしていた。


 < END >


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 外見年齢 / 職業】
1879/リラ・サファト/女性/16/家事?

NPC 
オウガスト

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■         ライター通信          ■
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発注ありがとうございました。
人魚姫の、姉の視点からの物語。いかがでしたでしょうか。
リラさんの髪があまりに素敵なので、こういうお話になりました。