<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


+ 魂遊び−調査編− +



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―― 死にたいのね。貴方、死にたいのよね?


「違うっ、違う、私は、私、はぁっ――――!!」


―― やっぱり貴方も寂しい人。
―― さあ、こっちにいらっしゃい……。
―― 私なら貴方を大切に守ってあげるから。


「いやだ、いや、いや……いやぁぁあああ……ァァアっ!!!」


―― 可愛らしい子供。
―― きっと貴方は……良い『  』になるわ。



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「エスメラルダ、最近この街に通り魔が現れるという話はお聞きでしょうか」
「詳しいことはそこまで知らないのだけれど、何だかばたばた人が倒れていると言う事は聞いているわ」
「その件に関してこちらから依頼を申したくて今回参りました」


 王室付きの騎士が黒山羊亭の踊り子、エスメラルダに軽く頭を下げる。
 硬くならないでと言い含めた後、彼女は騎士に飲み物を差し出した。業務中なので酒は結構だと言うと、お水よ、と笑って返される。


「依頼内容はその通り魔の調査をして頂くことです。我々が調査を行なってもいいのですが、すでに顔を知られている身ですので下手に動けば犯人に気付かれてしまう可能性が御座います」
「そうね。貴方達が動けば相手も行動を控えてしまうでしょうね。そうなったら捜索は困難になってしまうわ」
「現時点で分かっている情報は此処に書き記させて頂きました。ご覧下さい」


 騎士は輪状に巻かれ、紐で閉じられた紙を差し出す。
 エスメラルダは其れを広げて書かれている事柄に目を通した。時間が経つにつれ、険しくなっていく彼女の表情。
 その紙には簡潔にこう書かれていた。


・犯人はどうやら女性であるようだ。
・犯人はどうやら寂しい人を狙っているようだ。
・犯人はどうやら相手の魂を抜くようだ。
・犯人はどうやら夜にしか出てこないようだ。
・犯人はどうやら貴族であるようだ。


「……『どうやら』と『ようだ』がえらく続くわね」
「すみません。証言してくれた方々が皆あやふやな発言をなさるのでどうも肯定文で書けないのです」
「証言?」
「はい、倒れた人が魂を抜かれた時に傍に居た人、です。その方々の殆どは犯人の姿は見えなかったそうですが、中には霊感が強い方がいらっしゃいまして、かすかに声を聞いたり姿を見たりしたらしく、このようなあやふや証言に……」
「犯人は幽霊なの?」
「……それも少々分かりかねているところです。倒れた方の中には全く霊感のない方もいらっしゃって」
「良く分からないわね」
「ですから調査をお願いしたいのです」


 騎士は懐からじゃらっと金の入った袋を差し出す。
 依頼料と言う事だろう。エスメラルダはその多さに眉を顰めた。大金を差し出すと言う事はそれだけ危険性も比例している可能性が高い。


「今回は調査だけで良いのよね?」
「はい。その調査結果によってこちらも動くかどうか考えさせて頂きますので」
「……分かったわ。冒険者さん達に声を掛けてみるわね」
「宜しく御願い致します」


 騎士は頭を下げた後、出されていた水を煽り飲む。それから再度お礼の意味を込めてお辞儀をした。エスメラルダは彼を見送り、残された紙に手をかける。


「……危ない仕事になりそうね」


 外を見遣れば、ポツポツと雨が降ってきた。



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 黒山羊亭からの依頼を受けたのは女性と男性一名ずつ。
 エスメラルダは彼らに説明をしながらため息を吐いた。


「良いこと。今回の件はくれぐれも内密にお願いするわね。貴方たちに頼むのは騎士さん達が動けないからなの。だから貴方方が調査していることも出来るだけ知られないようにして頂戴」
「ええ、分かっているわ。今回の件に関してだけど、私の飲み友達もやられちゃってね。此処は一つ、協力しないといけないと思って手をあげたのだし、それに……」
「それに?」
「いえいえ、ゴホン。実はちょっと最近仕事してないからお金がなくて取立てが……ゴホンゴホン。あー、気にしないでね」
「……まあ、こちらとしては詳しい情報が手に入るなら何の問題もないのだけど……」


 女性の方はナーディル・K。
 彼女の隣に居るもう一人……オーマ・シュヴァルツの方を見遣れば、彼は怪訝な顔付きで真剣に紙を見ている。その様子にエスメラルダは一瞬声を掛けるのを躊躇った。


「何かの強き『想い』がそいつの心にも、聖都にも、この雨にも満ち、楔となって縛り付けてやがる――……、そんな風にも感じやがるってかね。今回の件はよ」
「あら、オーマさんはそう感じるの?」
「たかが雨なのに……」
「雨も充分『力』の象徴になりえるさ。雷が神鳴りだと言うように、一概に『たかが』なんて言葉で括っちゃなんねえなぁ。よし、いっちょ調査に出かけるか」
「それにしても、気になるわ。犯人さんのこと。魂を抜くなんて特殊だし、なにより決定的なことがないところが魅力的だわ! 調査は得意よ。この服装なら影に紛れるしね」


 二人は顔を見合わせ、うんっと頷く。
 それから互いにどういう方向から調査に乗り出すか思案し始めた。結果、ナーディルの方は街の人々に何か変わった事はなかったか訊ね、オーマの方は独自で調査をすると言う事である。エスメラルダの見送りを受けながら二人は街へと出て行く。
 そんな彼らにも容赦なく雨は降り続く。


 しとしとしと。
 寂しげな音が、街を満たしていた。



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「最近変わったこと? んー、うちの息子が務めているお屋敷のお嬢さんがどうも体調が宜しくないってことくらいかな。ほらここんとこ雨続きだろう? そりゃ身体も壊すわなー」
「何、あんたあの幽霊もどきの調査してんのかい? あーあー、あれには本当に困ってるよ。あの騒ぎのせいで夜は皆して家の中に閉じ篭っちゃってさぁー。あたしんとこは酒屋だよ? 飲み屋なんだよ? 夜が勝負だって言うのに本当、迷惑なんだよね」
「何か変な噂がないかって? ……いやー、俺は何も聞いてねえけどなー」
「ああ、反対に良い話ならあるよ。ほら、アウィスター家のお嬢さんが結婚する話。あんた知らないかい? あそこのお嬢さんは大恋愛で結婚するんだとさ。羨ましいこったで」
「んー、俺が知ってる噂っていったら丘の上の貴族がパーティ好きだってことくらいだよ。他をあたった方がいいんじゃないかね」


 街の人々に声を掛けながら歩く。
 大した収穫は得られないまま、ナーディルは広場に出た。出来るだけ身体を縮めるようにしながら木陰の中で雨宿りをする。髪の毛からは僅かに水滴が落ち始めた。


「街の人が知ってるのはあんまり関係のないことばっかり。今欲しいのは結婚式だとか風邪だとかそんなレベルじゃないって言うのに……本当、こんなことじゃ調査と言えないわ。どうしようかしら……」


 懐からエスメラルダから預かった情報の書かれている紙を見遣る。
 あやふやな言葉で書き綴られたそれらを眺め見て、眉を寄せた。出来ればこれらの情報を確定の方向に持っていきたい。一つでも良い。何か固定出来そうな情報はないだろうか。
 そう思いながら必死に目を走らせる。
 ふと、視線が止まった。


「……犯人は夜にしか出てこないのよね。そうだわ、夜よ。夜に何か重要な手がかりが見つかるかもしれない……ッ、くしゅん! ……まあ、それまで雨宿りしなきゃ、かしら」


 濡れた服が体温を奪う。
 雨に濡れるのは平気だと彼女は心の中で呟く。分厚くて灰色の雲が空を支配する。ちょっとやそっとではこの雨は収まりそうにはない。むしろ黒山羊亭を出てから雨足が強くなって来ている気がする。


「ずぶ濡れにはなりたくないわね」


 天を睨むように見上げる。
 サー……。
 雨の音が、静かに変わった。



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 一方、独自で調査しているオーマはある病院に居た。
 医者でもある彼は被害者達が集まる病院に侵入してこっそり診察を装い、当時の状況とその時満ちていた想いを具現精神感応で『形』にするという方向で調査を進めていた。眉間を摘んで息を吐く。そうして視えたものを確認した。


「女つーのはビンゴ、だな」


―――― 死にたいのよね? 寂しいのよね?


「触れた奴ら全員、女の『声』を聞いてやがる」


 口元に手を触れさせ、目を伏せる。
 見えてくるのは感応した映像。頭の中にスクリーンのイメージを出して其処に視た物を映し出した。傍に居る人間が見る必要はない。彼女に必要なのは『寂しい人間』だけ。
 伸ばしてきた手はまだ幼かった。顔までは完全に読み取ることは出来なかったが、それでも幼子だと思った。


「てっきりどっかの悪ぅーい魔法使いやらが何か目的を持って魂を集めているのかと思ったんだが……子供となっちゃぁ、ちょっと視点を考えにゃあなんねえな。子供の潜在能力は計り知れねえし、もしかしたら無意識にやってやがんのかもしんねぇ。……他に何か決定的なものを探すしかないな。まあ、こういう状態なら魂の輪廻バランスが崩れ始めてるはずだな。そっち関係の機関も回ってみるっか」


 今まで羽織っていた白衣をばっと脱ぎ、傍に居た看護士に渡す。
 それからオーマは外に出た。地面を見れば水溜りが沢山出来ている。空から降ってくる雨はさらに激しくなっていた。時間が流れるにつれ、雨足が酷くなってくる様子にオーマは眉を顰める。
 寂しくなるような静かな音が、辺りを満たす。
 今が昼なのか、それとも夜なのか分からなくなりそうなほど光を奪う雲。


「……待ってろよ。絶対に解放してやるぜ」


 ザァァアア……。
 雨が応えるかのように、激しさを増した。



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「あら、オーマ」
「お、ナーディルじゃねえか」
「何か情報入った? こっちはあんまり入ってないんだけど……」
「そうだな。輪廻バランスが崩れてないか、調べてみたんだがどうも微妙でな。そっち関係に強いお偉いさん方が口を揃えて『崩れていない』ってー言うんだよ。と言う事は、皆抜かれただけで今のところ無事ってわけだ」
「良かった……それなら皆無事そうだし、安心だわ」
「あと犯人はやっぱ女。それから子供」
「子供? 大人じゃないの?!」
「ああ、今までの被害者を直接『視』てきた。ただの女の子に対して皆物凄い感情を沸かせててな……この胸に恐怖がびしばし伝わってきた」
「女の子……一体どうして……」
「で、夜にしか出ないっていうんでじゃあいっそのこと夜に調査するかって思ってよ」
「……考えることは同じね」


 ばったりと道の真ん中で出会った二人は互いの得た情報を交換し合う。
 時刻はもう夜を指し示す。雨の中立ち尽くすのも何だと二人で近くの屋根の下で雨宿りをさせてもらうことにした。雨を避ける術がないわけではない。だが、何故か雨を遮ることを躊躇われた。


 黒山羊亭を出る頃はまだポツポツとしたものだった雨。
 だが、今はどうだ。まるで空自身が悲しんでいるかのように強く強く水を降らせている。ナーディルは服の水気を軽く払い、両手を前の方に伸ばす。手の平に当たる水滴が冷たかった。


「ッ、うわぁあああああ!!!」
「何、悲鳴!?」
「あっちの方からだな! 急ぐぞ!」


 悲鳴がした方へと急いで駆ける。
 出来れば雨に濡れたくなかったわとナーディルは呟くが、今は其れどころではない。オーマが曲がり角を急いで曲がる。雨によって滑りそうな地面が憎らしい。


「助け、助けて……ぃやぁあぁぁぁぁあ!!」
「な……ッ!」
「これは……」


 二人が駆けつけた場所に居たのは犯人と被害者。
 犯人はオーマが調べたとおり、どうみてもまだ幼い女の子。被害者である男性はすでに魂を抜かれてしまった後らしく、ぐったりと身体を横たえていた。建物の影になっているため、犯人であろう女の子の顔の形までは見とれない。ふわふわと光の塊が周りを囲むが、其れが彼女の表情を照らすこともなかった。
 犯人の手の中には今抜いた魂であろう発光物がある。少女はそっと其れを顔の前まで持ち上げる。


 そして ―――― 少女に『喰』われた。


 ごくんっと飲み込む音が二人の耳に届く。
 一気に寒気が走った。オーマは拳を作り、唇を噛む。ナーディルはぐっと息を飲み、足を前に進ませた。


「貴方ね、今までの犯行は全部……」
「ナーディル、落ち着けッ」
「これが落ち着いていられますか! 私の友達もやられたのよ!? きっとあんな風に、食べられ――――」


―― 貴方、寂しい人?


 いつの間に移動したのか、少女がナーディルの目の前に立っていた。
 背の高さは彼女の肩付近ほど。まだ成長途中であることは間違いない。長く垂れ流した髪の毛が顔を覆いつくしているので、手を伸ばせば触れられる距離に居るのに顔を見ることは叶わない。


 オーマがナーディルの前に立ち塞がる。
 それからじりじりと後退して間合いを取った。空気が一気に冷える。雨のせいだけじゃない。少女の纏っている『何か』が揺れた。


―― 違う。貴方達は死にたいとは思ってない。
―― 貴方達ではあれにはなれない。
―― 貴方達みたいな強い人は私が守ってあげる必要はない。


 声が頭の中に入り込んでくる。
 二人はばっと耳元に手を当てた。少女の唇だけが嫌に浮き出て見えるのは何故だろう。動くたびに何かが抜かれていくような感覚がする。
 ずるぅり……。
 何かが這うような音がした。


「ナーディル、足元だッ!」
「ッ、何よこれ!」
「影だっ、影が動いて……畜生ッ!!」


 浮き上がってきたのは『影』。
 自分達と全く同じ姿が其処にあった。真っ黒い影達がゆらぁりと立ち塞がる。それから拘束するために手を動かした。
 その手は腰に、胸に、顔に絡みつく。ねっとりと水気を含んだ感触が気持ち悪い。逃げようと色々試みてみるが、全く同じ能力を持つそれらにダメージはない。
 そのまま引きずり込むように力を込められる。


 引き摺りこむ先は ―――― 『下』。


 石畳の中にどんどん飲まれていく二人の身体。
 足先から太股へそして、腰、胸へと地面が近付いてくる。
 そして最後には首元。


 このまま何も出来ずに飲み込まれてなるものかと二人は足掻く。
 手を出来るだけ伸ばし、地面を引っ掻く。爪ががりがりと音を立てて引っ掛かる。オーマは何かないだろうかと懐を弄った。


「そうか、ルベルアの花があったッ!!」
「何をする気!?」
「いいから見てろ……ッ、行け!!」


 オーマは一旦びちゃっと辺りの水溜りに花を漬ける。
 それから偏光色の其れを勢い良く少女に投げつけた。其れはゼノビアに咲く人の想い映し見て輝き、時に奇跡をも起こすと呼ばれるもの。その花の輝きが少女を勢い良く照らす。その瞬間を逃してなるものかと、オーマは花が映し出した雨の中に潜んでいたモノを自身の能力によって『具現』させた。


―― ……て。
―― 違う。
―― お願い、助けてっ……!
―― 『お前』は引っ込んでいろッ!!


 声が重なって聞こえる。
 少女は頭を押さえながら苦しみもがく。影達の力が僅かに緩んだ。


「何だ、何が言いたいんだ……ッ」
「オーマ、早くして……ッ、じゃないともう持たな……」
「叫べーッ!!」


―― お願い、『  』を止めてぇッ……!!


 少女の想いが叫ぶ。
 同時に辺り一面に光が溢れ、何も見えなくなった。だが、光が収まり始めると、当然見えなかったものが見え始める。オーマは瞼を何度も瞬かせながら、辺りを見回した。飲み込まれていた身体はすでに地面の上にあり、其処にはナーディルも居る。


「てて……大丈夫か?」
「……」
「っと、気絶、か。仕方ないな」


 オーマは道に座りながらふぅっとため息を吐く。
 横たわっているナーディルを見遣り、それから天を仰いだ。


「……雨が、泣いてるねぇ……」


 ザァアアアア……!
 雨が更に加速度を早め、容赦なく身体に降り注いだ ―――― 『三人』に。



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 黒山羊亭に戻ったオーマとナーディルはベットに横たわっている少女を見つめる。
 すよすよと寝息を立てる少女の顔を見れば、特に秀でて美人と言うわけではないが、醜いというわけでもない。何処から見ても何処にでも居そうな平凡な女の子だった。


「で、その時うっかりオーマさんが具現しちゃったのがこの女の子なわけね」
「良い情報だろう?」
「むしろ最高級ってところかしら、本当に良い調査を有難う。この子が気が付けばきっと何か掴めるはずだわ」


 エスメラルダは依頼人に連絡を取るといって出て行ってしまった。少女は依頼人が来るまでこの黒山羊亭であずかると言う事らしい。
 見ているだけならば他の女の子と変わった点はない。だが、二人を襲ってきたのはこの少女に間違いない。影を操る能力といい、魂を飲み込む行動といい、犯人であると言わんばかりだ。
 だが、二人はどうも納得がいかない。


「どう思う? あの子、助けを求めてたわよ」
「だが、今回の調査はここまでだな。俺達にあの子をどうこうする権利はねえからな……だが」
「だが?」
「こりゃぁ……ちょっと胡散臭くなってきやがったぜ?」


 窓を見遣ればまだ雨が降っている。
 ガラスに当たる水滴を眺めながらナーディルも頷いた。ザァアァァァ……。音が止まない。黒山羊亭が深々とした雰囲気に包まれる。


―― お願い、助けてっ……!


 目を伏せれば、あの時の少女の声が二人の頭の中で響いた気がした。



……Fin



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2606/ナーディル・K/女性/28歳(実年齢28歳)/吟遊詩人】
【1953/オーマ・シュヴァルツ/男性/39歳(実年齢999歳)/医者兼ヴァンサー(腹黒副業有り)】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、今回参加有難う御座いましたv
 前後編の前編と言う事でナーディルさんには実はこっそり重要な部分での調査をして頂きました。後半色々危なかったりもしましたが、少しでも気に入って頂けると嬉しく思いますっ。