<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


邪悪なる魔導師

 その日、黒山羊亭に現れた老年の男は、やけに機嫌よくエールを飲み干していた。
「おじいさん、いいことでもあったの?」
 エスメラルダがくすくすと笑いながら、男――ザヴァエの頼む酒を用意する。
「おお、いいことがあった。いいことがあったのさ」
 ザヴァエは赤くなった顔で嬉しそうにそう言い、
「ん。ちょっとそこの。そこの若いの」
 と近場にいた青年を呼んだ。
 青年が「は?」ときょとんとした顔をする。ザヴァエは青年に、エスメラルダが持ってきたエールを差し出した。
「わしのおごりだ。飲め」
「え……いいんスか」
「飲め飲め。わしは機嫌がいいんだ」
 青年は嬉しそうに、エールをごくごくと飲んだ。
 ザヴァエは他にも二人の人間――一人は青年、ひとりは女性に声をかけ、同じようにエールをおごった。
「いったい何があったのザヴァエさん」
 エスメラルダが微笑ましそうに見つめていた、そのとき――
「………っ」
 ザヴァエにエールをおごってもらった青年のひとりが、突然頭を抱えた。
「あ、……熱い……っ」
「え?……どうしたの? エールで酔ったのかしら……?」
「熱いいいいい!」
 続いてエールを飲まされた他の二人も。頭を抱え、熱い熱いと騒ぎ出す。
 エスメラルダは慌てた。しかし、ザヴァエは笑って見ているだけだった。
 頭を抱えていた青年たちに、さらなる異変が襲った。爪が伸び、すべての歯が牙のように鋭く伸び、そして背中から――突如生えたコウモリのような黒い翼。
 青年たちの瞳が真っ赤に燃え上がり、近場のテーブルを叩き割り、ガラス窓を蹴り割った。
「ど、どうしたの……!? 何をしたの、ザヴァエさん……!」
 ザヴァエは哄笑した。
「はははは……! 我が研究の成功だ! 我が研究、人間を魔物に変える研究の成功だ!」
「何ですって……!」
「ははははは……! この店には冒険者が多いと聞くが、さてお前たちに彼らを元に戻す力はあるかな? 戻す方法はわしだけが知っている! だがこの魔物たちはわしを護ろうとするだろう! さあ、人間である彼らを相手に、お前たちはどうするかな?」
 ザヴァエは哄笑し続けた。
 ふいに、エスメラルダは思い出していた。この老人は――魔導師であることを。

     **********

 かちゃん、とテーブルの音を立てて立ち上がったひとりの人物がいた。
「……静かな食事の時間を邪魔したヤツには容赦ない制裁を」
 ちょっとアブない表情でその金の瞳を輝かせたのは、ユーア。男性にも見せる外見や言動を見せるが、そう、れっきとした女性である。
「ちなみに、俺的辞書より抜粋……!」
「何なんです、それは」
 傍らから眉間にしわを寄せ、やれやれとため息をついた少年がいた。
「それではまるで無法地帯のマフィアのように身勝手この上ない。しかし……こちらの魔導師殿のほうがずいぶんと無法地帯のようだ」
 少年、実年齢はとてもあっちへ行ってしまっている彼はAngelica(アンジェリカ)といった。
 アンジェリカは椅子に座ったまま、のんびり足を組んでいた。
「そちらの、自分流法を貫いていこうとしているお嬢さん? 他にも魔導師殿に反応している方々はいるようですよ」
「ん?」
 ユーアは店内を見渡す。「俺を邪魔しようってのか?」
「それは違う。キミの言っていることは崖から落ちそうになっているところに手を差し伸べてくれた人のその手を振り払うかのように矛盾している」
「そんな小うるさい口は俺は知らねえ」
 ガシャン! ガシャン!
 そうしている内にも、店内のテーブルは破壊されつつあった。
「どうにかして……!」
 エスメラルダが悲鳴をあげる。
 すっと、立ち上がった少女がいた。
「クルス、の、研究、の、ほう、が、ずっと、マシ……」
 たどたどしい口調でしゃべるのは、長い黒髪に赤い瞳をした千獣(せんじゅ)だった。ちょこんと首をかしげて、
「なん、で、魔物に……変えた、の?」
 ……変、なの。
 そうつぶやいて、少女はきょろきょろと辺りを見渡した。
「まあ、いいや。えっ、と……三人、を、傷つけ、ない、よう、に……押さえ、れば、いい、んだよ、ね……?」
 答えてくれる人間を探したようだ。
「どうやらそのようだ、千獣殿」
 近くのテーブルから、もうひとりの少女が立ち上がった。こちらは長い銀髪に青い瞳……幾重もの刃を重ねたかのような槍を手にしている。
 彼女の名は、アレスディア・ヴォルフリートと言った。
「……三人の攻撃を気にせずに魔導師を捕獲するには――鎧装だな」
 彼女はコマンドを唱える。
 それとともに、手にしていた槍が形状を変え、アレスディアの体にまといつき鎧となった。
 槍の代わりに手には剣が残り、
「しかし……簡単に気絶してくれるかは分からぬし、下手に数を打てば三人の傷が増えていく。それは避けたい……」
「そ、う……?」
「魔導師だけを狙うべきだな。だが捕まえたところで人に戻す方法を簡単には教えはせぬだろうし、いずれにせよ、人を魔物に変えてしまうような邪な研究を放置しておくわけには――いかぬ」
 ふいに襲いかかってきた魔物化した青年を、剣の柄で食い止め、アレスディアは店内に声をかけた。
「他に……! 誰か手を貸してくださる方はいらっしゃらぬか……!」
 近くで、小さな少年が小首をかしげた。
「人間が魔物に……それは大変なことですね。自分も強力しましょう」
 歳の頃十歳を少し越えたくらいだろうか。黒い髪に、緑の瞳がやけに映える、不思議な少年だった。
「ソーンの魔導師はレベルが高いので、俺のような非戦闘系の魔導師にはたいしたことはできないかもしれませんが……まあ、やれるだけやってみようと思います」
「キミが非戦闘系魔導師?」
 アンジェリカが、この期に及んでのんびりミルクを飲みながら、少年――ゾロ・アーに向かっておかしげな笑みを見せた。
「キミが非戦闘系なら、この世のすべての魔導師は戦いには向いていない」
「おや、何のお話でしょう」
 ゾロはそ知らぬ顔で、魔物化した人間たちの攻撃範囲外まで抜け出した。そこから様子をうかがおうとしているらしい。
「まず魔物の行動を抑制ですね」
 もうひとり、立ち上がった少年がいた。
 青い髪にこちらも緑の瞳。ただしゾロに比べるとずっと優しげな顔立ちをした、十七歳ほどの少年だった。
 リュウ・アルフィーユ。冒険者になって少しの彼は、真剣なまなざしを魔物化した人間たちに向ける。
「魔物になった人の心は操れるのかな? ザヴァエを護ろうとする気をなくせばいいんだ」
「ほほう。少年、なかなか面白いことを考えるじゃねえか」
 ユーアが瞳をきらきらさせながら、道具袋から何か液体を取り出した。
「心を操る薬……! 俺的調合で作った試作品だ、試してみるか? ちなみに本当は簡単な薬草を作るつもりで作った薬なんだがな」
「……何だか知らんが、物騒な話だな」
 アンジェリカと同じように、いまだに椅子に座ったまま高く足を組んでいる青年がつぶやく。
 青い瞳がきらめく。しかし彼の場合はその身にまとった紅蓮の外套のほうが目を引いた。
 安宅莞爾(あたか・かんじ)。二十歳をいくらかすぎたほどの彼は、魔物たちが暴れて崩壊しかける黒山羊亭の様子を眺めて、
「……いつもと変わらないのどかな風景だな」
 とのたまった。
 どうやら彼にとって、いかなる予想外の出来事が起こっても当たり前の光景であるらしい。
「どうでもいいが、試作品を使ってどうする。ただでさえ実験台にされた連中をさらに実験台にする気か」
「ゆ、ユーア殿……その薬が心を操る薬だと、どうしてご存知なのだろう……か……」
 聞いてはいけないことをアレスディアが聞こうとした。
 ユーアは胸を張って、
「それはもちろん、一回」
「それ以上言うんじゃねえユーアー!」
 慌ててユーアの口をふさいだのは、巨体の持ち主――オーマ・シュヴァルツだった。
 今日の彼はいつになく真剣だった。ザヴァエに向かって赤い瞳を向け、
「お前さんはそれでも『人間』以上にはなれねえと思うぜ、ザヴァエ」
「ふふ、何とでも言うがいい。それ……魔物たちの力がそれだけと思うな?」
「なに……?」
 よく見ると、アレスディアとリュウが一生懸命行動を抑制しようとしてしきれない魔物化した人間たちは、他の客を襲っていた。
 まるで御伽噺の吸血鬼のように、その首筋にかみつき――
 するとかみつかれた客は一瞬かくんと力が抜け、
 次の瞬間には――その背からばっと獣の翼が生えた。
 ぎらりと、光る魔物の瞳が増える。
「増殖能力もありやがるのか……!」
 オーマが悔しげにつぶやく。ようやく口を解放されたユーアが、
「俺の薬で一発だ。何しろ俺は簡易な傷薬を作ったつもりで毒薬作って死にかけたことあるくらいだからな、効き目は保証するぜ」
「キミの言っていることは、たまたま声をかけてみた魔物が言うことを聞いてくれたからこの世のすべての魔物は人間の言葉を解する、と言っていることに似ている」
 アンジェリカがミルクを飲み干す。
「今回の仕事は戦闘ではないだろう……」
 莞爾が腕を組んで冷静に言った。「根本的な解決策として……魔物になった連中から血液でも採取して特効薬でも作ったほうがいい」
「はははは! このわしの作った魔物たちに特効薬など存在するものか……!」
 ザヴァエが高笑いをする。莞爾は冷たくそれを見つめた。
「特効薬などいくらでも作れるさ。……そっちの女と違って、俺はまともな薬が作れるからな」
「何を失礼な。こんな薬でも作っておけば色々と役に立つ――」
「だー! ユーア、お前は黙ってろっ!」
 オーマが再びユーアの口をふさぎ、
「特効薬か、それはいい案だが……とにかく、人間に戻ったときに瀕死状態になってるっつーのも考えられるからな。それに色々……不確定要素が多い。攻撃は控えたほうがいい」
「だからそう言っている」
 莞爾の言葉に、オーマはふと不安げに、
「しかし……血液はどうやって採取する?」
「それはあんたたちに任せる」
「結局は人任せかよ!」
「世の中には適材適所という言葉がある……覚えておくといい」
 莞爾はそういって、エールを一口飲んだ。
「まったく。常に動く影に『お前はその形が一番似合っている。そのまま動くな』と言っているようなものだ」
 アンジェリカがようやく立ち上がった。
 そして、奥の席で――
「タダほど高いもんはねぇって言うが……」
 ぐいっとジョッキを飲み干して、金髪に赤い瞳をした男がはまきを口にした。
「いっぱいのエール酒で魔物に変えられちまうたぁ、ちょいと高すぎやしねぇか?ったく、こうも魔物くさくなっちゃあ、せっかくの酒も飲めたもんじゃねえ。仕方ねえ――」
 俺も手伝ってやるよ――と、トゥルース・トゥースが立ち上がった。

          **********

「ここに痺れ薬がある!」
 ユーアが声高に叫んだ。「ちなみに薬草を作ろうとしてできた!」
「お前はどういう薬作成法をしてるんだーーー!」
「つっこみ却下! というわけでこれを魔物化した人間たちに飲ませれば痺れて動けなくなる!」
「……不確定要素が多すぎるのだが」
「つっこみ再び却下! ただここでひとつ問題があって!」
「な、なんだろうか、ユーア殿!?」
「魔物が増えすぎて、薬が足りない……!」
 全員が、意味ねえーーー! とつっこみかけた。
 そう、それほどに今――魔物の数は増えつつあった。もはや戦おうと決めた冒険者たちと、早々に逃げ出した客、そしてエスメラルダ以外に魔物ではない人間はいない。
 魔物化したひとりが、エスメラルダに襲いかかろうとする。
「きゃっ……」
 エスメラルダが悲鳴をあげて避けようとし、つまずいて転んだ。そこへ容赦なく魔物の一撃が――
 と、
 魔物の動きが、ふいに止まった。
 魔物化した青年は、耳に手をあててうずくまるように、動かなくなった。
「なに……?」
 必死に体勢を立て直したエスメラルダに、
「エスメラルダさん。あなたは俺の傍にいてください」
 ゾロが丁寧にエスメラルダに言い、彼女をかばうように立った。
「外に逃げたとしても、魔物たちが外に出て行かない保証がありませんので」
「あ、ありがとう……」
 外見年齢十二歳ほどの少年にかばわれても、少年がまとうそのまとう雰囲気がエスメラルダを安心させた。
「でも……今のはなに?」
「気にしないでください」
 とゾロはそ知らぬ顔で、動かなくなった魔物化青年を見つめていた。
「僕のマリンソードで眠らせれば一発かな」
 リュウが愛用の聖獣装具の剣を構えながらつぶやいた。
「? マリンソードにんな効果があったか?」
 オーマが尋ねると、リュウはにっこり笑って、
「大量の水を発生させて溺れさせる。店が壊滅するかもしれないけど」
「……落ち着け」
「片付け大変そうだなあ……」
「いやだから、それ却下な、リュウ」
 えーと不満そうな声をあげるリュウを無視して、オーマはメンバーを見回す。
 アレスディアはすでに、防戦一方だった。ゾロはエスメラルダを護ることにとりあえず集中するようだ。莞爾はこの期に及んでいまだ椅子に座って足を組んでいるし、アンジェリカは何をしようとしているのか分からない。ユーアは……今回は何もさせないほうがいいような気がする。
 千獣は、ぽつぽつと何事かをつぶやいていた。
「私は……数人、押さえる……おじいさん……狙った、ら、向かって、くる、かな。……確か……人が、魔物に、なった、ん、だっけ……?」
 ……なんか……私と、似てる、ね……?
 そんなことを小首をかしげながら言った千獣は、
「でも……私の、ほうが……魔物、に、なれる、よう、に……なって、から、長い、かな」
「千獣……」
 オーマは何となく声をかけかけた。
 な、に? と千獣がきょとんと振り向く。
「……いや、何でもねえよ。お前さんが平気ならよ」
「……? 平気、だよ?」
「はははは! 嬢ちゃん、なかなかいい女じゃねえか!」
 トゥルースが千獣の肩に手を回して、豪快に笑った。
「よし、嬢ちゃん。お前のほうが上だってこと証明してこいや」
「……? う、ん……」
 暴れまわる魔物化した客たち。がしゃん がしゃん ばきっ どかっ どばきゃっ 次々と物が破壊されていき、エスメラルダがたまらず目を閉じ耳をふさぐ。
「ああ……黒山羊亭もおしまいかしら」
 彼女はうわごとのようにそうつぶやいた。
 老人の高笑いが店に響く。
「はははは! ほとんどの冒険者が逃げ出したか……! さて、お前たちはどうする? どうするんだあ?」
「いちいちうるさいな、キミは。少し黙っていたまえ」
 アンジェリカがびしりと老人に向かって指を指す。
「そうやってふんぞり返っていられるのも今のうちだ、せいぜい楽しんでおくがいい」
「何を……っ!」
 老人が右腕を振る。
 それに促されるように、魔物の数体が、アンジェリカを狙った。
「まったく……」
 ため息をついたアンジェリカの姿が、すっと消えた。
 と思うと、下から魔物たちのみぞおちにむかって手刀が飛ぶ。
「か、はっ……!」
 まともにみぞおちに一撃をくらった魔物は、そのまま気絶するのではなくなぜか痙攣した。
 そしてばたりと倒れる。
 アンジェリカは次々と、自分にけしかけられた魔物たちのみぞおちに手刀を放つ。
 その全員が、床に倒れてびくびくと痙攣していた。
「ん……? それはもしや、痺れ薬では?」
 ゾロが首をかしげた。
「ほほう。よく分かったものだ。その通り、たった今この魔物たちにはしびれ薬を注入した」
「……不確定要素が多いといっただろうが」
 莞爾がぼそりとつぶやく。
「そこのお嬢さんのしびれ薬よりはまともだ、安心したまえ」
「何を言うかっ。俺の作った薬の効果を知らねえからんなことが言えるんだろうが」
「聞かなくても分かるものも、この世にはたくさん存在する」
 さて、とアンジェリカは老人に向き直った。
 その視線を逃さず、魔物たちの数体がすかさず老人の前に戻ってくる。
 やれやれ、とアンジェリカはため息をついた。
「厄介だ。ああ、本当に厄介だ」

「く……っ数が増えすぎている……っ」
 鎧装と剣でひたすら魔物たちの攻撃を受け流そうとしているアレスディアは、苦戦していた。
 何と言っても相手は人間だ。下手に傷つけるわけにはいかない――
 ざしゅっ
 鋭い魔物の爪は、アレスディアの鎧には何の意味ももたない。
 だが――
 アレスディアの、顔には効果があった。
「………っ!」
 戦士の心構えとして。顔を狙われても決して目を閉じてはいけない。
 頬を裂かれる寸前――
 ――久しぶりの感覚だ。そんなことを考えていた自分が不思議だった。
 赤い血の珠がはねる。
 ざっくりと、
 頬が裂かれて、
 痛みを通り越した熱さがアレスディアを襲った。
「この程度の痛みなど――!」
 ガシッ
 次々と顔を狙ってくる魔物たちの爪を剣の柄で受け止めながら、アレスディアは吼えた。
「これくらいのことで、あなたたちを救うことを諦めてたまるか―――!」

「アレス、ディア……」
 千獣はアレスディアが怪我をする瞬間を見ていた。
 その刹那に湧いた感情――
「今、助け、る……」
 自分に向かってきた一体を膝蹴りで黙らせ、そして、
「ちょっと、大、きい……子、に……手、伝って……もうおっと……」
 腕に巻いてあった呪符を織り込んだ包帯を解き、
「簡単、に……捕まって、くれ、ない、だろう、から……捕まえ、る、とき、は……相手、の、攻撃を、受けた、瞬間……」
 千獣はぱっと駆け出した。アレスディアの方向へと。
 走りながら、包帯をはずした手を大きな獣の手へと変化させた。
 人をわしづかみできそうなほどに――
「千獣殿……!」
 アレスディアが叫ぶ。
 魔物たちが、千獣に気づいて振り向く。
 そしてその一部が、一斉に千獣に向かって襲いかかってくる。
 千獣は――
 獣化させた手で、その数人をわしづかみにした。
 びりっ
 収まりきらなかった数人の服が破れる。
「ごめ、ん、ね……」
 千獣はさらに襲いかかってきた数人を、もう片方の獣化させた手でわしづかんで止めた。
「もう、少し、の、辛抱、だか、ら……ね」

 リュウはひたすら魔物を傷つけないよう、マリンソードで生み出す水で押し返していた。
 彼の周囲が水浸しになり始めていた。
 リュウはアレスディアと違い、防御の力がない。
 少年はどんどんと傷ついていく。
 それでも――彼は誓っていた。
「絶対に傷つけない……!」
 自分の心の中で。

「……どうやら血液保存などと言ってられなくなってきたようだぜ、兄さんよ」
 トゥルースがはまきをくゆらせながら莞爾に告げる。
「……そのようだ」
 莞爾は淡々とそう返した。
 そして――
 唐突にさっと壁まで移動した。
 そのあまりの素早さに、トゥルースまでもが一瞬唖然とした。
 莞爾はそのまま壁に張り付いてよじのぼり、とっ、と壁を蹴った。
 紅蓮の外套がひらめく。
 空中から斜め下へ突進――
 ザヴァエの周囲にいた数人の魔物を蹴り倒した。
 そして、ザヴァエをすかさず捕まえようとして――

「お前!」

 トゥルースが鋭く叫び、指にはめた聖獣装具のロードハウルを輝かせた。
 ライオンの雄たけびが、店内を震わせた。
 ――莞爾の背後から飛びかかろうとしていた数人の魔物化人間が、動きを乱す。
「……余計なお世話だな」
 莞爾はすらっと剣を抜いて背後の数人をなぎ倒す。
 しかし、その間に老魔導師は別の場所へと移動していた。

 ――転移魔法が使えるのだ。

「ちっ。魔導師ってやつぁ……」
 トゥルースは転移魔法を使った老魔導師の姿に舌打ちした。
「しかしまあ……要はあのじじいから連中を魔物から元に戻す方法を聞きだしゃあいいんだな」
 トゥルースに向かって、数人の魔物たちが威嚇の姿勢を取る。
 トゥルースははまきを手に取り、にやりと口角を上げた。
「俺にかみつくつもりなら、よく考えてからにしな。喰いついた獲物のほうが大きいことだってあるんだぜ、ベ・イ・ビー?」
 彼の背後に――
 闇が、広がった。
 無限大の闇が――
 魔物たちがひるむ。トゥルースが豪快に笑う。
「はっはあ! パーティの始まりだぜ!」

「攻撃は……よしたほうがいいな」
 オーマは低くつぶやいていた。
「イフリートよ……頼むぜ、連中の動きを止めてくれ」
 自分の守護聖獣に願う。
 ――魔物化した人間たちの守護聖獣にコンタクトをとってくれと。
 ついでに、仲間たちの守護聖獣にも。

 仲間たちが、ふいに湧きあがってきたパワーに驚きの声をあげる。

 オーマはにやりと唇の端をつりあげた。
「守護聖獣の力ってのぁ……無視できないんだぜ」

 魔物化した人間たちの動きが、のろくなった。

「仕方ねえなあ」
 薬が使えなかった腹いせに、ユーアが鞘におさめたままの剣で次々と魔物たちをなぎ倒していく。
 使い慣れた剣。今日は炎をまとわせることはせずに、怪我をさせず器用に鞘を打ち込んでいく。
「ったくよ。――俺の食事の邪魔をするんじゃねえよ」
 彼女の背後に、白い虎の影が見えていた。
 白い虎が吼える。
 魔物たちを横薙ぎに打ち飛ばして、
「次はどいつだ? 俺のストレス解消につきあいやがれ」
 ユーアは目を細めて魔物たちを見渡した。

「向かってこない敵に手を出すのは、あまり俺の趣味ではない」
 アンジェリカはえらそうにふんぞり返っていた。
「俺は頭脳で勝負する。この頭がやられてはかなわないのでな」
 ――結局のところ、彼は動くのが嫌なだけなのだが、
 彼の背後には――複数の獣の体を持つスフィンクスの影が見えていた。
「趣味ではない。まったく趣味ではない」
 スフィンクスの力を借りることは――とアンジェリカはつぶやいた。
「しかし……出てきてしまったものは仕方がない。せいぜい威嚇に使わせてもらおう」
 魔物たちはアンジェリカの異様な雰囲気に押されて、誰も彼に襲いかかれなくなっていた。

「ん……」
 千獣は急に湧き上がってきた力に困ったように小首をかしげた。
「どう、しよう……。この、まま、じゃ……皆、を、押し、つぶし、ちゃう……」
 彼女の背後には、巨大なイタチの影が見えていた。
 両手にわしづかんでいる両方合わせて七人にもなる人間たち。
「ん……。でも、だい、じょう、ぶ、かな……」
 千獣は感じる力の雰囲気に、そっと微笑んだ。
「この、力……切り、裂く、力……。押し、つぶす……わけ、じゃ、ない」
 心配、しないで、ね?
 かわいらしくほんの少し微笑む彼女の、
 獣の手の中で――
 びくびくと、千獣の言動ひとつひとつに震えている人間たちがいた。

「聖獣……?」
 突然鎧装の硬度があがったことに驚きながら、アレスディアはつぶやいていた。
 背後に、確かな気配がする。
 ――青銅の巨人の。
 ぎち ぎちぎち
 今まで以上に爪の刺さらなくなった鎧。人間たちの、伸びた爪がぼきぼきと折れていく。
「ああ、すまぬ――」
 アレスディアはそのさまを見て、思わず謝っていた。
「しかし、案ずることはない。人間に戻れば、そのほうがちょうどよい長さ……の、はずだ」

「何だか、僕の出番は少ないようですねえ」
 エスメラルダをかばっていたゾロは、苦笑しながら戦況を見ていた。
 彼は近場に、ジョッキが割れて中身が流れ出しているのを見て、
「ああ、ちょうどいい」
 とそれをぱっと生き物に変化させた。
 きゃっとエスメラルダが悲鳴をあげる。
「そ、それはなに……?」
「見てのとおり。虫です」
 そしてゾロは、それをこちらに向かってきた人間たち数人の耳に取り憑けた。
 ――寄生虫だ。
 内部から、ぞわぞわと寄生していく。
 人間たちの動きが止まる。
「ああ、よかった。これで下手に攻撃しなくてもすむ」
 ゾロは微笑んだ。
 その背後に――黒い、悪魔の影が見えていた。

「俺はゲリラ戦に集中したかったのだがな……」
 剣を操りながら、莞爾は淡々とつぶやいていた。
 彼の視界に、巨大な獣の手でわしづかまれている人間たちや、寄生虫に取り憑かれた人間たちが見えている。
「……いつもと変わらない、のどかな風景だな」
 彼はつぶやいた。
 そして、拳を床にたたきつけた。
 前方へ扇状に拡散する光弾を飛ばし、軌道上にいた人間たちが打ち飛ばされていく。
「まったく……思うようにいかないのは好かんのだが」
 ――彼の背後には、下半身が蛇の怪物の影が見えていた。

 もう少しだ――
 リュウは必死で、マリンソードの水のみで応戦していた。
 もう少しで、相手を怪我させずに倒すという目標を達成できる。
「僕も、やればできる――」
 彼の背後には、巨大な海竜の影――
「やってやるさ……!」
 向かってくる人間たちを水で押し流す。
 人間たちはごぼっと水を吐き出し、苦しそうにあえいだ。
「ごめんね、口とか鼻とかに入ったら」
 リュウは真顔で謝った。「でも、魔物になるほうが苦しいよね――あと少しで、助けるから」

「おらよっ」
 最後のひとりをトゥルースが放り投げる。
 それを、オーマが受け止めた。
「ははっ。何か知らんが、俺らは気が合うかもしれねえな」
 同じ巨体同士、トゥルースとオーマはなぜか笑いあう。
 彼らの背後には、ライオンとイフリートの影――
「さあて……」
 トゥルースの赤い瞳が光る。
「馬鹿な……」
 老魔導師が、必死で転移しようとした。
 しかし、老魔導師自身の守護聖獣の邪魔で思うように魔術が使えない。
 店内では――
 どこに転移しようが、冒険者たちが待っている。
「俺の食事を邪魔した分は、つぐなってもらうぜ」
 ユーアが老魔導師の前に立ちふさがった。
「ユーア、落ち着け」
 言いながら――
 オーマも、今までにない表情を浮かべていた。
 その表情に、ザヴァエはひっと縮み上がった。
「ザヴァエ……なぜ人を魔に変えた。なぜそれを考えた」
 オーマはユーアを押しのけて、ずいと迫る。
「真の意味で魔となった……人じゃねえモン、知ってやがるか?」
「な……何の話だ……」
「知らねえんだな。はっ。知らねえんだな……!!」
 オーマは嘲笑するように――否、自嘲――するように――笑った。
「ザヴァエよ。お前がお前として生きていくか――【それ】を知って禁忌を犯してみるか? 望むなら見せてやるぜ……!」
「……一時の感情に任せて剣を振るえば、私もこの老人と変わらぬ……」
 アレスディアが苦しそうにつぶやいた。「それは分かっている。分かっているのだが……どうにもこの手の手合いを見ると穏やかにできぬゆえ……尋問は、どなたかにお任せしてもよいだろうか」
「俺の自白剤でも飲ませるか」
 ユーアが傍らに立って言う。
「僕のマリンソードで口に水流し込みましょうか?」
 リュウが物騒なことを言い出した。
「死んでしまうだろう」
 莞爾が淡々と二人を制する。
「ふむ」
 オーマが深くうなずき、「ここはこんな尋問でどうだ?」
 唐突に霊魂軍団を召還し、こちょこちょと老人をくすぐり、さらにラブラブ抱擁、加えて接吻迫って――
「そりゃ魔導師の貞操の危機だろうよ」
 オーマを制した人物がいた。
 トゥルースが群がっている仲間を押しのけてザヴァエの元にやってくると、
 がっ!
「……ったく、くさくって仕方ねえ」
 ザヴァエの額をわしづかんで、低くつぶやいた。
「におうのはあの魔物化した人間どもじゃねえ。じじい、てめえからだ」
 誰にも聞こえないように、小さな声で――
「そこの筋肉男も知ってるようだがな。魔物ってぇのは、姿形のことじゃねえんだ。心に巣くう闇のことだ。俺はそいつを嗅ぎつけ、狩る。……てめえの闇も、例外なく」
 こぉう――

 吸い込むように、何かが――

「……ま、なんだ。ここでもぬけの殻になられても困る。手加減してやるよ」
 トゥルースは小さくつぶやいた。

「あとは、自白させませんとね」
 いつの間にかゾロが近くにやってきて、虫をザヴァエの上に放した。
 ザヴァエに寄生虫が這っていく――

 寄生虫に操られたザヴァエは、簡単に魔物化を解く方法を自白した。
 そして、壊れた店の修理をし始めた。
「原因を作った人間が、当然始末もつけませんとね」
 ゾロはすまし顔でそう言った。
 ――誰もが一瞬、少年の姿をした彼を恐ろしく思った。

     **********

「片付けはじじいに任せてよ――」
 人間たちが元の姿に戻ったのを確かめてから――
 トゥルースは、陽気に声をあげた。
「せっかくだ、みんなでパーッと飲みなおさねえか?」
「俺は遠慮する。酒は嫌いだ」
 アンジェリカが嫌悪感むきだしでふんと横を向く。
 向いた先では、ザヴァエがせっせこと大工仕事をしていた。
「はははっ。まったく、原因が結果を元に戻そうとする。おかしなさまだ」
 少年は笑った。
「んじゃあお前だけ飲まねえでよ。他の連中はどうだ。姉さん、酒余ってっか?」
 トゥルースは、ようやく自我を取り戻しつつあったエスメラルダに声をかけた。
 エスメラルダは苦笑して、
「奥にきっとあるわ」
 と言った。
 彼女にしてみれば、店をここまで破壊され、客をボロボロにされ、ろくな夜ではなかっただろう。
 だが――
「全部忘れて、パーッとやっちまおうぜ!」
 オーマがどこからともなく、彼の愛花「ルベリア」を取り出した。
 不思議な色に輝く偏光の花――
 それを幾輪も取り出して、仲間たちに配り。
「これが今日の俺たちの絆の証だ! ありがたく受け取れ!」
「これ……食えるか?」
 ユーアがぼそりとつぶやいた。
 オーマはびくっと一歩退いた。
 ルベリアは確かに食べられるのだが――
「食べないでくれ……頼む」
「そうだ、食べないでくれユーア殿。これは私たちの絆、だ」
「きず、な……」
 千獣が包帯を腕に巻きなおしながら、不思議そうな顔をしてルベリアの花を見ていた。
 ゾロやアンジェリカは、興味深そうに見ていた。
「ふむ。がらではないが。たまにはいいかもしれない」
「いいですね。美しい花です」
 莞爾はルベリアの花を手でもてあそびながら、
「……いつもと変わらない、のどかな花だな」
 とつぶやいた。
「これで薬草作ったら、何ができっかなあ……」
 ルベリアをくるくる回しながらユーアはひとり思考にふける。
「もうよせ……お前は薬作るのは……」
 エスメラルダが、奥からたくさんの酒を持ち出してきた。
 おっと、とオーマがすかさずそれを運ぶのを手伝いに行く。
 がはは、とトゥルースが愉快そうに笑った。
「さあお前ら、飲もうぜ! 今夜は宴会だ……!」
 トゥルースの服の胸ポケットにはルベリアの花――
 きらきらと輝いてそこに在った。

 そして真のパーティが始まる。
 楽しげな彼らの横で――

 ザヴァエはひたすら寄生虫の促すままに、店の修理を行っていた。


 ―Fin―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1953/オーマ・シュヴァルツ/男/39歳(実年齢999歳)/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】
【2542/ユーア/女/18歳(実年齢21歳)/旅人】
【2598/ゾロ・アー/男/12歳(実年齢784歳/生き物つくりの神】
【2774/Angelica/男/16歳(実年齢427歳)/魔石錬師】
【2919/アレスディア・ヴォルフリート/女/18歳/ルーンアームナイト】
【3087/千獣/女/17歳(実年齢999歳)/獣使い】
【3117/リュウ・アリュフィーユ/男/17歳/風喚師】
【3249/安宅・莞爾/男/22歳/スイーパー】
【3255/トゥルース・トゥース/男/38歳(実年齢999歳/伝道師兼闇狩人】

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■         ライター通信          ■
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アンジェリカ様
初めまして、笠城夢斗です。
今回は初の依頼参加、ありがとうございました!お届けが遅くなって申し訳ございません。
アンジェリカさんの口調は難しかったですwでも、考えるのはとても楽しかったです。
よろしければまたお会いできますよう……