<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


■真白の書■



 以前には、御家族と一緒においで下さったオーマ・シュヴァルツ様。
 他の御二人の言葉とは少し方角の違う言葉を綴られて、そうして叱られておられたのですけれど、とても朗らかで懐の深そうな方ですよ。
 今回は、御一人でふらりと立ち寄られて書を開かれていらっしゃいます。

「さて――どうするかね」

 よく通るお声ですから、もしかしたら御本人は呟き程度の気持ちでおられたかもしれませんが、私にもマスタにも聞こえております。
 なにやら人面なんとかと呟かれたり、うんうんと頷かれたりもされたのですけれど、はたとペンを持つ手を見下ろされたかと思えばひどく真面目な御顔をされました。それから、少しだけ辛そうな色を覗かせてそのペンを走らせて……そう、それはオーマ様の過ごされて来た世界の言葉でしょうか。

 名前と、言葉と、それらが滲んで広がる様をまばたきひとつせずに見据えられておられます。


 紡がれる物語はひとかけら。
 真実とも言えぬ、偽りとも言えぬ、それ。
 けれど、そのひとかけらの中にも想いは映されるのでしょうか――


** *** *





 対峙する相手が瞳を合わせないことを、オーマはとうに気付いていた。
 真正面から相手を見ることの出来ない執行者。
 オーマを見ながらオーマを見ない相手は、あるいは己の判断により世界から切り離される生命の嘆きに苦悩したのだろうか。オーマ程であればともかく、他の同僚――ヴァンサー達には許されない行いを一手に預かる機関は残酷だ。
 それは、対象のみならず、所属する者達に対してさえ。

「どういう、つもりだ」
「封印を」

 同じように具現能力を有している相手であるのに、詳細の知れぬ特殊な機関に属するというだけでまるで違うその存在。
 オーマの知己にとて風変わりな輩はいるが、それとはまた異なる。
 抑揚も僅かに唇の片端だけを引き攣らせるそれを笑いのつもりでいるのか、己の瞳をきろりと向ける先に向かい合う相手を置かないその人物。名も知らぬ相手。けれどその職務を示す名は、知っていた。


 ――考えてみる。
 具現と称される、まさにその言葉のままの能力をふるうものの中でウォズと名付けられたものが何某かの形を取る。それが日常を侵食し、生命を脅かし平穏を奪う。
 ――考えてみる、その先を。
 壊れた平穏を再度組み立てる為にはそのウォズを退けなければいけない。
 じきにその望みを叶えるだけの力を持つ、ウォズと同様の能力を持ちながら異なる立場の何者かが現れる。それはヴァンサーと呼ばれる忌まわしくも頼もしい筈の存在。
 ――考えてみる、その先で、聞く裁定を。
 けれどヴァンサーはぐるりと日常を形作っていた風景の、名残のような世界を眺めてからひとつ頷いてこう言うのだ。
 『絶対法律の――』
 言葉が耳を抜けて脳に届くよりも早く世界から切り離される。逆に何もかもが世界に拒まれるのを見続けて最後に己も拒まれる。見開いた眸に映るヴァンサーである筈のウォズに抗する存在である筈の存在だけが日常に残っているそれだけは、常に同じ。


 歪んだ顔が怒りだったのか、嘆きだったのか、かつて見たその瞬間の顔にあった感情の名前はいまもオーマには解らない。記憶に灼き付いてはいても、解らない。
 さらに等しく灼き付いている、呼吸もままならないのではと思わせる顔は裁定者だっただろうか。
 オーマが見た住民と重なる苦しげな顔は、誰の。


 ――世界に拒まれる瞬間を、考えてみる。


「ヴァレキュラインが出張る程じゃねぇはずだ」
 瓦解した日常の中で、オーマは奥歯を噛み擂り潰す程に力を込めて声を押し出した。
 ソサエティの中でも特殊な機関であるのはヴァレキュライズ。
 名と職務ばかりが知れるそこに間違いなく所属する眼前の相手をぎりと見る。
 その民間人でなくとも怯える厳しさを乗せた眼差しを相手――ヴァレキュラインの一人は気に留めず、僅かなずれで焦点をオーマの向こう側に合わせたままの目を眠たげに瞬かせた。ふぁ、と状況にはそぐわない欠伸を一つ。
「貴方の判断は貴方のものだろ。僕は片付けようと思った、それだけ」
「俺が直前に確かめた状況じゃ、住民は救助の余裕があったがなあ」
「じゃあ急変したんだよ」
 オーマという人物にしては珍しい厭味のような声音にも白々と返してまた相手は唇を引き攣らせる。今度は両端を、無理に動かす風に吊り上げてみせた。
 無防備に――実際は筋肉が意識せずとも備えて緊張していることは明らかだが――佇むヴァレキュラインの、そしてオーマの周囲にいささか荒れた街。けれどそこに人の姿はない。
 ウォズと共に、ほんの少し前に誰もが世界から切り離されたのだ。
 その生死を問わず。
「街は、まあ無事だから」
 多少壊れたから報告がちょっと面倒かな、と続ける言葉を知らねば、その語調だけであったならば、些細な失敗をしたのだと思わせるヴァレキュラインの声。
 己の裁定の結果を理解していないのだと瞬間相手に感じ取らせるそれに、確かにオーマも騙されかける。ヴァレキュラインに先んじて街を訪れてウォズを封印出来ていれば。せめて同刻に現れてヴァレキュラインと遭遇していれば。そういった自身への怒りに似た感情さえもが背を押して唇を開かせたのだ。
「ほっといたらどうせ僕の仕事だっただろうし、先に嫌な事は済ませたいし」
 お前は、と声を出しかけた。
 封印は回避出来る被害の程度だったのにむざと全てを封印した相手に、言葉を投げかけて、けれど止めた。
 話すだけ無駄だということではなく、厭う調子が感じ取られたからということで。
「だから僕の判断で、ヴァレキュライズに寄越されるのも近い件だとして、封印」


 ――拒まれる、己を自覚して最後に見るのはきっと。


 辛かろう、と。
 言って慰めの声を落とすのはきっと簡単なのだ。
 彼らには、彼らの苦悩がある。具現による被害があまりに酷ければ、その基準に拠って生者さえもを世界から弾き出す。それが如何程の重みであるのかは、新参のヴァンサーにはどうしても理解し難い。
 長くソサエティに在るオーマなればこそ、確かに彼らの手が必要とされる程の被害の広がりも有り得ると知っている。必要な法、ではあるはずなのだ。ときに聞くヴァレキュラインが街一つを住民ごと封印した、だとかいう話を非難の色を滲ませて話す新規のヴァンサー達の会話を聞き、頷ける部分頷けない部分を考えてみたことも幾度となくある。

 ヴァレキュラインが行動の根とするそれは、絶対法律。

 被害を見、封印をする。
 通常のヴァンサーとは異なり封印能力が圧倒的に強い彼らがそれを行使して受ける代償は、なんなのだろう。
 封印の叶わないものは存在しないとされる程の力を行使する代償は何処にあるのかと、それはあるいは精神ではないのかと、ヴァレキュラインの何某かを知る者であれば口にする話だ。そうかもしれないとオーマ自身も思う。けれど同時に否定もあるのだ。
(それだけじゃねぇんだろう)
 生命の気配がまるでない空虚な街中で対峙するヴァレキュラインの、オーマよりも若い面差し。唇は今も引き攣れて震えては笑みのように上に動く。笑いたいのか、笑いたくないのか。
 幾度となくヴァレキュラインと相見え、確かに彼らの精神は他の者達に比べて破綻しているとは感じた。それは確かだ。そしてその原因は代償もあるとしてもいい。
 けれどそれだけではなくて、そうではなくて。


 ――世界から去るその瞬間に、生者がどれだけの暗い感情を射投げるのか。


「用が無いなら戻る――じゃあねヴァンサー」
「……無理すんなよヴァレキュライン」
 言葉を止めて沈黙したきりのオーマ――正確にはオーマの方向、だが――から視線を外してヴァレキュラインが足を出す。
 靴先が地面を擦り耳障りな音を紡ぐ、だらしない動きにも取れるそれが傍を通り過ぎる頃に投げたオーマの言葉には彼は首を傾げてまた唇を引き攣らせたきり返事はしなかった。相手によってはヴァンサーに対して過剰な攻撃性を見せることもある。それを思えばこのときのヴァレキュラインは、静かだった。
 それが良いことなのか、悪いことなのかは判断するものではないだろう。
 ヴァレキュラインの背を一度見遣ってから、オーマもまた足を踏み出した。

 何もない空っぽの街へと。

 ゆるゆると足を動かして見て回る。
 生存者は、いない。封印を逃れた者もいない。ただ街があるだけ。
 器が残っただけましというべきなのか。状況次第では街ごとの封印も有り得る。いや住民を全て封印したのであれば街が残るというのも――考えて、そこでオーマは嘆息した。
「許せとは言わねえさ。先に来れなかった俺だって恨んでくれていい。ただ」
 言い淀むのは、かつて見たその瞬間の表情の所為だ。
 理解しかねていたいっそあどけない面差しが歪んで瞳を開く、ぎらつかせるそれを裁定を下し執行者となるヴァレキュラインにひたすらに刺し、遮断されてしまった声の限りに罵り嘆く。背を向けていたヴァレキュラインの顔が一瞬背けられて表情が知れて、その病んだ唇。笑うしかないと泣きそうに肩を揺らして結局笑った。
『嫌な事は』
「――あいつらも、苦しい想いを抱いていくんだってことだけ、な」
 そのときのヴァレキュラインと、この日のヴァレキュライン。
 明らかな別人であるのに引き攣った唇が重なった。


 破綻していく、彼ら。


* * *


「――やぁれやれ」
 往診の帰りに記憶を手繰り寄せてしまったらしい。
 切欠はもう考えないことにして、寄って来たエルザード在住のやんちゃっ子たちを軽く抱き上げては回してやる。けらけらとひとしきり笑い声をあげて子供達は去っていく。唐突なことだ。
 子供達をしばし見送るその向こう。色濃く伸びる陽があれば自然と細められる瞳。
 気さくに声をかけては笑うソーンの人々はかつて過ごしていた世界の、日常をときに呼び起こす。
 夢の中だけでなく、言葉ひとつ音ひとつ香りひとつ、様々な糸端からオーマの記憶を引き寄せるのだ。そのたびにオーマは僅かな感傷を身の内に感じ取り。


 思い出す懐かしい世界。今生きる穏やかな世界。
 そう、ゼノビアも、ソーンも、共に大切な故郷だ。
 道を繋ごうと試みたりもする程に大切な。


 だから優劣をつけるものでもないけれど、ただ彼らを思い出すと考える。

「お前達が俺と同じように、こっち来てたら」

 彼らの病んだ眼差しだとか、笑い損ねる唇だとか、泣けない瞳だとか、それらから思い出す苦しそうな表情はきっと、癒されるだろうに。
 彼らがヴァレキュラインとして在る以上、それはゼノビアでは叶わないことで。
 ならばソーンであれば叶うのではないかと。


 それはきっと、考えたところで意味は無いのだろうけれど。
 それでもときにオーマは考えるのだ。

 ずっとずっと。彼らを思い出すたびに。





** *** *


 それは、真白の書が映した物語。
 望むものか、望まぬものか。
 有り得るものか、有り得たものか、あるいはけして有り得ぬものか。

 ――小さな世界が書の中にひとつ。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1953/オーマ・シュヴァルツ/男性/39歳(実年齢999歳)/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、ライター珠洲です。
 毎度ながら「こんなん出ましたけど」的シナリオご参加ありがとうございます。
 オーマ様自身が前面には出ていない物語な気もしますけれど、視点的にはオーマ様寄りですね。言葉とそこから出て来た話についてはどれくらい真実と重なっているかしら、と『私』ではありませんがどきどきです。
 副題については、お一人様としては初ということでつけておりませんがご容赦下さいませ。