<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>





■オープニング

 …近頃、黒山羊亭で時々飛び交っている噂がある。

 エルザードから少し離れたところのさ。森の近く――丘から見渡せる場所にぽつんと廃屋あるだろ? ワフウのヒラヤ…和風の平屋っつーのか? 元はそんな感じの建物でさ。なんつーか、それ程長く放って置かれた――って感じじゃないんだけど、建物の壊れ方が尋常じゃねぇとか言う話で。瓦礫混じりに黒っぽく見えるってこた焼けてもいるのかな。とにかくさ、どっからどう見ても魔物か何かに襲撃食らったって風なんだよ。そこの店主――ああ、その建物って元は古道具屋だか質屋だかでさ。そいつもぶっ殺された――っつぅか、魔物に食われたんじゃないかって言われてるのな。
 それも結構大物にやられたんじゃないかって言われてもいるんだよね。いや眉唾じゃなく結構信憑性あるんだよ。…かの聖獣王もその廃屋の方向で異様な黒い気の膨張を感じたって話だし。でも確認は出来なかったって話でさ。え? 確認できなかったんなら何とも言えないじゃないかって? いや、でもさ、あの偉大なる聖獣王までもダシにするかよ単なるつくり話でさ。その名前が出て来た時点でマジでそれっぽい事あったんじゃないかって思わない?
 実際それから後はどうもその件、腫れ物扱いでよ。当の廃屋に滅多な事じゃ誰も近付こうとしねぇんだ。一応エルザード外だっつったって、それ程遠い場所じゃねぇのにだぜ? まともな検証もしてねぇ。単純に危ねぇだろそんなところに正体不明の魔物が出た痕跡があるなんつったらさ。…何で放置してんだよ?
 いやそりゃ確かに俺程度にゃ計り知れねぇお考えが御上にゃあるのかも知れねぇが…見ちまった以上そう簡単に済ませらんねぇんだっての。あ? 何を見たって?

 …ここだけの話だぜ。冒険行く途中であの廃屋の見える例の丘を通ったんだけどな、偶然、当の廃屋のトコで何か人みたいなのが動いてるのが見えてよ。…今、腫れ物扱いで滅多に人気が無いって言ったろ? ずーっとそんな調子なんだから廃屋の周りで人なんか動いてる訳ねぇんだよ。で、ちょっと気になって…何かと思ってそれとなく見たら――その動いてるモノといきなり目が合っちまった。…恥を忍んで言うがそれだけでこの俺が金縛りにあったみたいになっちまって、マジでぶっ殺されるかと思ったよ。何つーか…背筋が凍るくらい凄まじい殺気だった。でな、こっちに来る――そう思ったら、そのガキ…どう考えても魔物の類だと思うんだが、予想に反してそのガキは異様なくらいの身軽さで廃屋の上に飛び上がって、その向こうに消えちまいやがった。…いや、それ見た時はさすがにほっとしたぜ。…あんな殺気ぶつけられちまえば…殺られるって本気で思ったからな。
 本当に魔物だったのか? どんな姿かって? …だから見掛けはガキだよガキ。何つーか和風の着物っつーかそれにしてもちょっと違和感あったか。うん? そうそう、ケサ…袈裟着てたな。ガキっつー意味じゃなくても坊主みたいな格好してたか。…頭は坊主じゃなかったけどな。とにかくマジやべえくらいの殺気感じたんだって。いや俺のクラスじゃ魔物の気だったかどうかまでは…そりゃわからねぇけどさ。でもよ、俺がどれだけ冒険に出てると思ってる? 自慢じゃねぇが俺のレベルでそんじょそこらの殺気程度でビビる訳ねーっつの。それも目の前じゃなくってある程度離れた場所からのだぜ? …並の相手だったら殺気ぶつけられても鼻で笑える距離だよ。あーそうだよ。…るせえな。笑うんじゃねぇ。ありゃ経験しなきゃわからねぇって。そこまで言うなら手前も見て来やがれ。
 …遭っちまったら最後、俺を笑えなくなるって事だけは言い切れるぜ。

 んあ? んだよエスメラルダ。…袈裟と言えば蓮聖様ここのところ見掛けないわね? 誰だそいつ? 名前は風間蓮聖で一応仏門僧侶やってるらしい異界人の常連? あっそ。それよりこっちの話信じろっつの。
 マジで変な魔物居付いてるって。あの廃屋。
 嘘だと思うなら確かめてきやがれ。



■…ならば確かめてみようか?

 と。
 黒山羊亭、カウンター。…件の噂についてがなっている男が、少し離れたテーブル席で酔っ払っているのが視界の隅で見える。リージェ――リージェ・リージェウランにすれば今の話、今初めて聞くような噂でもない。似たような話はこの場で何度か聞き齧っていた。だが、今回男が大声で話していたそれは――少しだけ、具体的な要素が新たに出て来ている上、男の話し振りからして、真に迫っているようなところがあり。…そこまで言うんだったら、そいつは相当な強さを持つ奴なんだろうと思う。…それは噂となれば尾鰭が付くのは必然だが、少なくとも今の話は――実際の、体験談に聞こえた。
 そろそろ、今回のこれはひとまず――男の言う通り、確かめる価値があるかも、と思える噂になっている。
 …エスメラルダがカウンターに戻って来る。リージェがその顔を見るともなく見ると、小さく息を吐いてから、控え目な笑顔を返して来る。リージェが今の話を気に留めていた事に、気付いている。
…今の彼の話――最近よく聞く噂なんだけどね。場所柄からして私も少し引っ掛かってはいるのよ」
「エスメラルダも?」
「ええ。…ひょっとするとその噂の廃屋、蓮聖様のお弟子さんのお店だったんじゃないか…って。まぁ、元々私もそのお店の場所、詳しく聞いてはいなかったし直接お店に伺う機会も無かったから…本当にそうかどうかははっきりしないんだけど」
 ただ、エルザードの外、あまり離れていない場所で、他者に迷惑の掛かり難い場所――殆ど人気が無い場所。それと森が近くにあるとか…その程度しか聞いてないから。
「じゃあ、噂の元がそのお店なのかも…って事、なのか」
「そうなのよ。そこが心配なの。勿論違っているならそれに越した事は無いんだけど…蓮聖様もここのところ全然顔見せに来てくれないし」
 考えてみればこの噂が聞こえるようになってからは、全く音沙汰無し。
 …まぁそれ以前も、時々しか来てくれない人ではあったけど。
 と。
「強き想いが渦巻き淀みと為りて紡ぎ見せやがるは何なんか…ってかね?」
 はぁ、と溜息混じりに憂えてみるエスメラルダの声を受け、それまで黙ってグラスを傾けていたカウンター席のもう一人から静かに言葉が紡がれる。…言葉の方は静かではあるが風体の方はあまり静かでもない。ド派手な風体にばっちり筋肉ビルドアップ済みの巨漢。まぁ、ここに来るのにもっと突飛な服装をしていたりする事もあるが…今は一応彼が通常着ている服と言うか、和洋折衷めいたヴァレル姿で決めている上、少々怪しく聞こえてしまうだろう桃色言動は控えている。
「…オーマさん」
「何を想い見てそこに留まるか…殺気篭められた思いとは何か。確かめてやる必要はあらぁな。…エスメラルダまで悩ませてるとなっちゃあ、余計だ」
 そこまで言って、オーマ――オーマ・シュヴァルツは豪快にグラスを干す。…ちなみに中身はこの酒場で一番強い酒、ストレート。それでも特に酔った様子も無い。表情は変わらず、今話に出た噂について考え込んでいるよう。
 リージェとオーマ、どちらからともなくちらりと視線を交わす。
「…あんたも、調べるつもりか?」
「…嬢ちゃんもか?」
「その価値はあると思うから。…歌に作る必要が出て来るかもしれないし」
「てぇ事なら…どうせだ。この親父と一緒に行くとすっか?」
「…良いのか?」
「おう。ここで会ったも何かの縁ってな。よし。そうと決まりゃあ…もう少し確り情報を集めた方が良いな…さっきの酔っ払いの話じゃあ、エルザードから少し離れたところの森の近く、丘から見渡せる場所にある廃屋に、着物姿…ってか袈裟姿の小僧みたいな坊主?の魔物が居付いてるって話だったが…」
「着物…あまり馴染みが無い服装だな…異界人だろうか」
 …言葉通じるんだろうか。
 リージェ、ふと疑問。
 が、いやいや、とオーマがすぐに否定した。
「そこは問題無いだろ。事実何の問題も無く今俺と話してる訳だしな」
「…言われてみれば」
 オーマは見るからに異界人である。…が、それを周囲に忘れさせるくらい、この世界に馴染んでいる――と言うか、世界の方がオーマに引き摺られ馴染まされている。
 どうやら、いつの間にやらリージェもそんな「忘れてしまっていた」一人だったらしい。
「…おうよ。こちとら異世界ゼノビア出身のヴァンサーソサエティ所属ヴァンサー、種族については…ヴァルスの祖にゃなるが俺自身はヴァルスたァ言えねぇし詳細不明の腹黒イロモノ内蔵中、ってね。何だか良くは知らねぇが…特にこっちの世界の言葉の勉強した記憶もねぇが、いつの間にやらこうやって普通に話はしてるぜ? そう言うってこたァ…お前さんはここ聖筋界――とと、こっちの世界で生まれた存在な訳だよな?」
「ああ。…あたしはここソーンで生まれ、今まで何とか生きている。ここ黒山羊亭のような場所で歌曲を歌い奏でる事で――提供する事で日々の糧を得ているんだ」
 …歌姫、の方は知っていたかもしれないが…吟遊詩人をしていると、あんたに言った事があっただろうか?
「それで歌を作る必要、って事か。得心行った」
 と。
「どうやら…前聞いた噂より話が幾らか具体的になっているようだな?」
 …納品がひとまず終わったところで、気になってた事に関わってみるかと繰り出して来てみれば。
 カウンターに座り話しているリージェとオーマのその後ろ。いつの間に――いつからそこに居たのか、顎に手を当て、ふむ、と軽く頷いている長い長い黒髪を持つ女性が一人。あまりと言うより全く愛想はなく、無表情。
「エスメラルダのところに来れば何か新たな噂も入っているかと思っていたが、期待以上だ」
 と言うより、私のところが世間と没交渉なだけとも言うが…まぁその辺の事はどうでも良い。
 と、背後から唐突に訳知り風に語られ始めた流暢な科白に、目を瞬かせリージェは振り返る。…誰?
「…あの?」
「ああ、済まんな立ち聞きをしてしまって。私はシェアラと言う。織物師をしている者でね。…エスメラルダとは良くしてもらっている。…まぁ、そうは言ってもここを訪れる者の内でそうでない者はタチの悪い酔っ払いぐらいなものだろうが」
 ひとりごちながら、シェアラ――シェアラウィーセ・オーキッドはカウンターの向こう側、エスメラルダにも声を掛け軽く挨拶。少し遅れて、リージェも名乗り挨拶を返す。
 と。
 よ、と片手を挙げたガタイの良い――いやむしろガタイが良過ぎてカウンター及びスツール、グラスがおままごとめいて見えるド派手な巨漢のオーマの方もくるりと振り返ってシェアラを見ている。
「…俺には挨拶は無しかい別嬪さん?」
「ん? ああ、久し振りだなオーマ。…前に顔を合わせたのは何年前だっけ?」
「…おいおいおい。何年て程経っちゃいねぇぜ?」
「そうだったか? まぁ気にするな。大した事じゃない。…それより今の話だ。噂の元になる廃屋だが――エルザードの外、森の近く、商隊や冒険者が比較的多く通りがかるような丘から見渡せる場所、そしてその逆、廃屋の方からも丘の上に居る人物に気付ける位置関係――それに子供のような僧形の魔物が居た、となるとまずエスメラルダの懸念は的中だぞ」
「…知ってるのか?」
「以前蓮聖に奴の弟子の件――龍樹の件で頼み事をされてね。ちょうどここ黒山羊亭でその話が出たからエスメラルダも知っていると思うが、その時に私も行った。私はその時の店の位置は憶えている。…噂の廃屋と位置を照らし合わせれば一発だろう? 少なくとも今ここで聞かせてもらった限りでは、合致する」
 …だが決め手とはまだ言えない。そうだな――どうも今ここに居る中では、廃屋の位置関係については先程の酔っ払いの発言が一番信用出来そうだな。そうひとりごちると、シェアラはすたすたとテーブル席へ――件の噂を大声で振り撒いていた酔っ払いのテーブルまで向かい、当の酔っ払いに何事か会話を求める――が、当然酔っ払いには理屈は通じず。そしてシェアラは見た目通りのオーマ曰く別嬪さんと言う事で、何やら怪しいちょっかいを出されかけ――直後には酔っ払いの方が当然のように床とお友達になっていた。にっこりと不自然なまでに微笑んだシェアラがその酔っ払いの髪を無造作に掴み、顔を上げさせ何事か訊いている。と、さすがに酔いが醒めたか何やら必死な――真剣な顔でこちらもシェアラに答えている。そのままで暫く会話を続けた後、やっと男は解放された。その間、シェアラの言外の威圧に負けてか、周囲も――同じテーブルに着いていた連中すらも、誰も手出しできていない。
 …何事も無かったようにシェアラがカウンターに戻って来る。
「やはり龍樹の店で当たりだ。…ああ、どうやらあのテーブル周辺に居た面子の酔いを醒ましてしまったようでな、また新たに注文が入るかもしれん。よかったなエスメラルダ」
「………………気持ちはわからないでもないけど、あんまりお店で乱暴な事はしないでね?」
「無論だ。必要が無ければそんな面倒をする気はない。…初めから大人しく答えていれば良いものを、身の程知らずな事をするからだ」
「…シェアラさん、強い人…なんだな」
「我が愛妻を思わせる見事な手並み☆ …とと、それはさて置き。…つぅと、シェアラが行った事のあるその龍樹とやらの店が噂の元の廃屋で決定って事か」
「ああ。この様子では…龍樹の封印がまた解けたと言ったところだろう」
「…また?」
「以前の依頼とも重なる話だ。この蓮聖の弟子の龍樹――佐々木龍樹だが、その身の内に『魔性』なるもの――まぁ有態に言えば自分自身で制御する事が出来ない化物のような人格とでも言うべきか――そんなモノを飼っていてな。それを常時封印しておく事で、漸く人らしい生活を行えているらしい」
 だがその封印も半永久的に効くと言う訳では無く、その封印を施してからある程度の期間だけ効力のあるものらしくてな。それで、封印の効力が切れる兆候が見えると…故郷で新たな封印を作りそれを使って封印を更新し続け、今までやってきたらしい。
 龍樹の使っているその封印は…具体的には枷のような手鎖のような、いやそうは言っても自由を奪うよう鎖で実際に繋がれている物でもないんだが…とにかくそんな風に両手首にそれぞれ填める少々無骨な環でな。故郷の巫女が魂込め――魔力を篭める事で封印の用を為すようになると聞いている。
「…故郷って、ここソーンと行き来が出来るのか?」
「らしい。少なくとも蓮聖は…天使の広場を介し、ちょっとそこまで出掛けるくらいの気持ちで任意に行き来が可能なようだ」
「…そりゃ珍しい。うちの方…ゼノビアの方だと…偶然次元が繋がった時くらいになるんだがな?」
「詳しいところは私も知らない。だがとにかくその蓮聖が故郷に戻らなければ故郷に居ると言う巫女に封印作成を頼む事は不可能だろう。それが出来ている以上は、故郷で巫女に封印を作り直してもらっている、と言うのも今疑う必要は特にない。この封印、予備の作り置きが出来ないものでもあるらしいからな。…何にしろ再び効力を得たその封印を我々の前に持ってきて、新たに龍樹に封印をしていたのは確かだ」
 …ちなみに龍樹本人が故郷に戻らないのは――そもそもソーンに来たのも、もしもの時――封印が解けた時、極力他者に迷惑が掛からぬようにと考えての事だったらしい。こちらの世界の方が、そんな場合に都合の良い拓けていない場所は多いからな。…確かに全域が把握出来ないくらい広い事は皆も認めるだろう? どの種族も土地に対しての人口密度は程々だ。その上に――異世界の者を受け入れる余裕まであるくらいなのだし。
「で、以前私と他三名の者が請け負った仕事は、龍樹の為の新たな封印を蓮聖が故郷から持ち帰るまでの龍樹の番と言うか…蓮聖の留守中に封印の効力が切れてしまった時の為の、再封印までの時間稼ぎを頼みたい、と言うものになる」
 その時は、暫くは保ったんだが、結局ははっきり封印が解けてな。
 まぁ、時間稼ぎと言われていたから我々もそんなつもりで色々誤魔化していられたんだが…何も知らずに本気でぶつかっていたらあれはきつかったかもしれないな。それに奴の『魔性』は――ただでさえそんな状態だと言うのに、その上に酷いダメージを受けるなり疲労がピークに達するなりすると――つまりは個体として生命活動を行うに危機だと自覚すると、己の身を守る為に段階を追って力の箍が外れていく――言ってしまえばやられればやられる程個体として強くなる、と言う性質まで持っている。
 その時は一段階目の箍を外してしまったんだが、それでもいきなり全能力値が跳ね上がった感じに見えた。そこで蓮聖が帰って来て止められたから良かったんだが…蓮聖曰くその箍、五段階目までは確認しているとあっさり言われてな。しかもそれ以上が無いとは言えないと来た。
「…その龍樹ってのも僧形か?」
「いや。蓮聖とは違う格好をしていたが。龍樹も和装は和装だったが…袴姿だったな。それに弟子と言っても仏門の弟子ではないらしいし。実際、龍樹は店を持って商売していた訳だしな。そうだな、あの良く似た身ごなしからすると、弟子と言うのは武術か何かの方じゃないかと思うがね」
「…」
「…蓮聖…さんの方はどんな人なんだろう」
「食えない奴だよ。…まぁ人当たりは良いし物腰も柔らかいかもしれないが…腹は読めないね」
 そもそも黒山羊亭のエスメラルダとお客さんとしての顔馴染みである時点で生臭坊主確定だろうし。
「…だが廃屋での目撃証言があるのは、蓮聖の方になるんじゃねぇか?」
「そうだな。あいつの外見は弟子より若く見えるくらいだ。人によっては子供にも見えるだろうな。剃髪もしていない。…そして袈裟も着けている僧形だ。当て嵌まる」
「いまいち見えねぇな…シェアラの話を聞く限り、魔物と呼ばれそうな可能性があるのは龍樹の方になりそうだろ。…それともあの酔っ払いが蓮聖の方偶然見掛けてビビり過ぎて吹いてるだけか?」
 聞く限りは――蓮聖の方も相当な技量がありそうだしな? そんな奴に殺気なんぞぶつけられちゃあ…場所が遠かろうが中途半端な奴はちびるかもしれねぇからな。
「…その蓮聖さんが、龍樹さんを探していた、って事…なんだろうか。
 これはこの場での単なる推測に過ぎないが――シェアラさんの言う通り龍樹さんの封印が解けてしまったから、それを抑える為に蓮聖さんが追っていると言う可能性がまず一つ。それから――着物と言われた時点でソーンでは珍しい服装だから二人が混同されてる可能性もあるかもしれない。…噂だけではどちらがどちらとははっきりと探り難い。蓮聖さんと龍樹さんが取り違えられている事もあるかも――廃屋に居るのが蓮聖さんでは無く、封印が解けている状態の龍樹さんの方かもしれない。
 …そもそも…店主が殺されたんじゃないか、魔物に食われたんじゃないかとも言われているが、シェアラさんの話を聞くに――当の店主である龍樹さんがそう簡単に死ぬようには到底思えない」
 どうも、話を聞いても――結局、わからない事ばかりだな。
 …どちらにしろ実際に行って確かめるしかない、か。
「だな。…んじゃ決行はいつにする?」
 思い立ったが吉日筋たァ言うが、これから向かうか?
 あっさり言って、オーマがリージェとシェアラの両方を見遣る。…これからとなると思いっ切り夜である。
 と、オーマの提案に、リージェがまず躊躇いを見せた。
「あたしは…調査は出来れば昼間にやりたい」
 廃屋周辺では警戒の必要があると思うから…夜陰に紛れてしまっては、危険が増える。
「まぁな。そりゃそうだ。…安全第一で行くならそれがいい。
 が、な」
 …危険だが…異は異を。闇は魔を呼び招く夜が良いかもたァ、思うんだが。
 ぽつりと、オーマ。
 リージェの方も、静かに受ける。
「…夜の方が真実が見える可能性がある、か」
 否定はしないけれど…。
「ま、無理にたァ言わねぇよ。危険なんざ無ぇに越したこたァねぇからな」
 ところでシェアラの方はどうだ? とオーマは改めて水を向ける。と、私はどちらでも構わないが、とこちらもあっさり。
 だが、そう言った上で。
 これからすぐに、では無く明日に回して――初めに昼、後で夜、と、両方行ってみれば良いんじゃないか? ともぽつり。
 昼の内の方が周辺の様子が調べ易いのは否定のしようが無いし、夜になってからの方がその内面に潜む真実――魔力的な意味では調べ易そうだと言うのもわからないでもない。
 どちらも一長あるのだから、ならば両方行けばいい。

 と、鶴の一声ならぬシェアラの一声。



■廃屋にて

 そして三人が噂の廃屋――元・古道具屋である龍樹の店へと向かったのは次の日の昼過ぎ。まだ日のある内とう事で、まずは周辺の様子、下見中心に考えての調査である。
 そうは言っても当然、警戒は怠らない。噂とシェアラの話から総合して考えると、目撃されたのは蓮聖の方――つまりは『魔性』の心配が無く話が出来る筈の相手である。そして今ここには彼と面識のあるシェアラも居る。ちょっとした保険――になるかどうか。
「…派手にやったな」
 言葉通り派手に破壊された瓦礫混じりに焼けた黒焦げの建物を見渡し、シェアラはぽつり。その廃屋が――店が健在であった頃を知る身にすれば、今目の前に広がる光景にはそんな感想が出て来てしまう。
 廃屋の位置関係は、噂の通り丘から望める場所、森とも近い。周辺に人気も無い――他者に迷惑を掛けないように。その目的で選んだ事もわかる。店の敷地や間取り、周囲の地形はどうなっていたか。見た通りの風景や地理条件だけでは無く、たった一度だけの来訪だが一応店の以前を知るシェアラの記憶も頼り、三人は中に入る前に地図として起こし確認してみたりもした。何処が店の部分だったか、寝起きしていたのはどちらの方か。応接用の部屋は。何が置かれていたか。出来る限り、元々の情報を皆で共有する事を考える。
 さりげなく廃材の焼け焦げ具合も確かめてみた。何で焼けたか、程度はどのくらい。柱以外も燃え残り、黒くもなっていないで済んでいる場所もまだある以上、それ程の熱ではないと見た。何故か切断面だけ焼け焦げている場所もある。…こういった家屋は火に弱いもの。それでいて何とか全てが焼け落ちる…までは行かず、少しは家屋の形が残っている。残っているところには血飛沫らしき痕まであった。
 焼かれたのは普通の炎でか魔法的な炎でか。その区別は付くか。…特に魔力の痕跡が残る炎とは、違うよう。ただの炎。それでも――普通の炎で燃えるのと同様の痕跡しか残さない、魔法的能力を使用しての発火も有り得ない訳では無い。
 三人それぞれ、地図と照らして廃屋の内部に当たる部分を探索に行く。…まぁ、探索とは言えそれ程大袈裟な事でも無い。人が一人住んでいただけ――つまりは大した大きさの家では無いのだから。一応、古道具を商う店ではある為、小物大物、商品を置くスペースも含めその分広くはとってある。が、それでも結局、一家庭が住む程度の広さを持つ、普通の一軒屋、と言った程度の大きさで済んでいる。
 オーマがふと壁に――瓦礫に手を触れていた。己が持つ能力の応用として、具現精神同調を試みている。この場にて何が起きたか、いつ廃屋となったのか。名の出ている二人――蓮聖と龍樹の行方は。異なる力の蠢きを探る。…まぁ何と言うか、この具現精神同調、言い換えるならば霊視同様の能力とも言える。
 シェアラが以前、龍樹の店を訪れたのはもう随分前の事になる。…とは言え彼女の場合時間感覚が狂いがちな身なので具体的にいつだったのか、あまりはっきりはしない。が、蓮聖の依頼が黒山羊亭で出されていた時――シェアラたちが店に行ったのはその後の事である、と言う訳でエスメラルダの方がその時期を憶えていてくれ、それで細かい時期について確認する事が叶う。
 それから後は、蓮聖と龍樹の――この師弟二人と龍樹の店の無事な姿は殆ど確認されていない。…エスメラルダ曰くほんの数度だけ、それも僅かな時間だけ蓮聖が黒山羊亭を訪れた事があったらしいが、その時は特におかしいところも無かったらしい。…そしてそれももう、随分前の事になる。
 店の客人だった人間を捜そうとも考えてみたが、そもそも店の関係者自体が消えているので誰が顧客だったかを外側から捜すのは至難の技だ。以前の時、シェアラも店で客人の一人には遭遇しているが――その客人についても明らかなのはその外見と、あまり珍しいものでもない購入した商品だけ。他の肝心なところは――住んでいる場所も行動半径も名前すらも知らない。魔道を利用して顧客を捜すにしても――残された廃屋の何処の要素から材料に使い辿ったらいいのかの見当が付かない以上、術法を効果的に行えるとも思えない。…そうなると、何があったかは――オーマ同様、場に残された強い想いから記憶等の情報を読み取る事くらいしか思い付かない。
 何度か、場所を変えてオーマとシェアラはそれぞれ場から記憶を引き出してみる。…垣間見えてくる状況。後頭部高い位置で一つに括り流されている長い髪。袴姿、と武家の子弟らしき風体ながら差料もなくそんな匂いの薄い若い男。同じ袴と言うのなら学者とでも言う方が似合いそうである雰囲気。その男の袖口からちらちら見える黒い環とそこから伸びる断ち切られた短い鎖。…これが、龍樹。
 店が健在である頃の記憶。穏やかな物腰の静かな男。何処か、他から一線を引いている印象。この場では店の主として礼儀正しく商いをしてもいた。特に流行ってはいないようだったが、それなりに客は付き、普通に生活は出来ていたようである。
 僧形の子供――龍樹の師に当たる蓮聖も時折来訪している。年の頃が子供と視える外見だがそれはあくまで童顔故、表情や物腰からして本来は子供どころではないだろうと思わせる。そんな彼はさりげなく店と龍樹の様子を伺いつつ、常連客の如く長く居座っている。そんな事が多いが――別にここに住んでいる訳でもないようだった。
 …次に視えたのは店の破壊、『その瞬間』に至る道。血塗れた人々が店の中にぽつぽつと倒れ伏している。明らかな刀傷。血飛沫が床と壁どころか梁や天井にまで及んでいる。斬り込まれ破壊された壁から場違いなくらい清々しい日の光が射している。凄惨な光景が広がっている中、蓮聖も居合わせている――空気からして張り詰めて重かった。今起きている現実では無いのに、視た時にはそんな空気の感触まで同時に来た。永劫に感じる僅かな静寂、転瞬、師弟で切り結び、鎬を削り合っている。
 龍樹の方は長さや拵えの方は真っ当な――だが当人の放つ気同様、異様な気を放つ刀を振るっている。蓮聖の方はどういう原理で造られているのか判別し難い――まるで拵えごと青銅から一体成型に切り出したが如き色を持つ、莫迦みたいに長い刀を振るっている。…朱色が散っているのは龍樹の持つ刀とその服。蓮聖の刀の方には人を斬った痕跡はまだ無い。倒れ伏している者――絶命した者は龍樹が、手を下している。
 尋常でない打ち合い。それでも蓮聖の方は龍樹の行為を何とか止めようと動いているのが端から見てもわかる以上――まだ同じ人物だと信じられる姿と言える。だが、龍樹の方は――これがあの穏和な男と本当に同じなのかと思える狂気染みた異様な姿を見せていた。風体が同じ分、その変貌振りは余計に異様に見えてしまう。浮かべる表情も違い、獰猛ささえ思わせる。纏う鬼気も凄まじい。瞳は普通に黒かった筈だが――こうなってからは饐えた血の如く赤黒い剣呑な色彩を帯びている。…その時点で龍樹は『魔性』状態になっているようだった。
 だが。
 シェアラはふと疑問を抱く。
「…変だな?」
「あん?」
「いや、龍樹の封印は――封印の効果が切れる時になると、装着している枷型の環が外れていたんだ」
 どうやらこの環――封印の鎖、効果が無くなると、勝手に自然に外れてしまうものだと言う事らしい。
 だが今、霊視で視ている限り――この手首の環、そのまま外れていないように視えるんだが。
「オーマも龍樹の手首を注意して視てみてはくれないか。…外れていない…だろう?」
 言われ、おう、とオーマも受ける。再び具現精神同調に戻り暫し視てから、確かにな、とシェアラに同意する。
「ねえさんの言う通り外れてねぇ。…つぅ事は、これでも一応封印とやらは解けてねぇって事になる訳か?」
「だが霊視で視る限り、以前私が遭遇した時の『魔性』と同様の状態にしか思えない」
「…確かにな。この異なる力の蠢きは――俺にも尋常のモンにゃ思えねぇ。この刀…どうやら得物まで本人と同化してやがる。負の力とも言い切れねぇが…炎の系統…魔力たァ違うのかも知れねぇな? 制御が離れて荒れ狂ってる感じか。取り敢えず具現じゃねぇ事は確かだが…いや、力の性質としてはむしろ具現とは相反する方向か…? こりゃあ、何か…ねえさんが思ってたより根が深いのかも知れねぇぞ」
「…そうだな」
 続き。…やはり店の破壊は龍樹の『魔性』暴走が最大の原因ではある様子。だが――その前がある。店の裏手。これもまた和風の着物の上に、西洋風の外套を腕を通さず肩に掛け羽織った姿の――これも静かな印象を持つ一人の少女の姿がぽつんと佇んでいる。面影が何処か蓮聖に似ている。だが蓮聖とは明らかに別人。纏う色素も全体的にやや濃い上に、彼よりも背が高い。そして明らかに女性である。
 龍樹の様子が何処か変わったのは、彼女の姿を見付けてからの事。…龍樹の『魔性』の暴走は、その佇む少女の姿を見付けた事が、本当の切っ掛けと言えるのかもしれない。…この少女は誰なのか。
 …他方、歌と演奏以外に魔法的能力を持たないリージェは、ここで何が起こりこんな廃墟になったのかを探るのはシェアラとオーマの二人に任せ、警戒しつつ自分の目の方で周囲の様子を調べていた。歌姫であり吟遊詩人とは言えども、身も軽く、そこらの軽装な戦士に引けを取らないだけの支度はしてある。そして実際に支度に見合うだけの実力もある為、彼女もまた一人で動いていても特に危なげは無い。
 前情報からして無いとは思いつつ、それでも念の為探してはみるが取り敢えず店主の――龍樹の死体も見当たらない。噂の中の目撃証言にあった蓮聖らしき姿も、今の時点では何処にも見当たらない。人の気配は自分含め同行した三人のもの以外、無い。過去に心ならずも請け負って来た暗殺稼業故か、リージェはその辺りの気配を読む術には長けている。それ程過信するつもりは無いが、異なる力を持つ存在であってもリージェにはそれなりにわかるもの。…気配が無いものを相手取ったとしても、その時は研ぎ澄ませておいた自分の勘が働く。勘が働けば気配を読むのと同じだけの用は足る。…昔は命が掛かっていた。そんな生死の境で身に付けたものはそう簡単に無くならない。
 それぞれの調査の最中、オーマが見慣れぬ一輪の花をいつの間にか持っている。何処から取り出したのか――偏光色に輝く花弁の花、ルベリア。本来はオーマの故郷ゼノビアに咲く花で、オーマたちがソーンに来訪する時にどうやら種も紛れ込んでいたらしい。それ以来、ここソーンでも時折、花を咲かせている。
 このルベリア、真実の想い映し見る事が叶う花。そんな伝承がある花でもあり。この噂に纏わる強き想いに惹かれここに来たオーマにすれば、持参するのも自然な事だったかもしれない。
 この廃屋に――この地に満ちる在りしの想いは。
 ルベリアの花に映し見る。
 ――…白。
 それは、ただの純真、無垢さを示す清冽な白では無くて。
 見る者を突き刺してくるような、攻撃的な白――慟哭にも似た、空白。
「…痛いくらい、白いな」
 見る間に、色が移ろう。
 刷毛で刷いたように、さっ、とルベリアの花が黒になる。
 中間点は無く。
 鮮やかに変貌する。
 黒に。
 様々の色が澱んだ末の黒では無く、象牙を燃やした墨の如き単一の、迷いの無い黒。
 正反対の、色。
 こちらも白と同じく、何処か、痛々しささえ感じられる色。
 白の直後に、黒の色。
 ぶつかり合う対極の、決断の色。
 どうも、この映された白と黒と言う無彩の色自体に意味があると言うより、完全に相容れぬ反対色が、混じる事無く同時にでも無くそれぞれ表れたと言う事にこそ、意味があるような。

 …何かこの場にて、異なる二者の妥協不能な、対峙があった。
 そんな色に、思えた。
 素直に見るなら――蓮聖と龍樹、彼らが対峙したその時のそれぞれの真の想いが、今の色。

 それでも今は、何もない。
 噂は噂、今はこの場には何者も居ないのか。

 だが何か、腑に落ちない。
 三人共、まだ何かが重要なパーツが欠けているような、そんな気がしていた。

 …このまま、夜を待ってみようかと言う話になる。





 警戒を解いた訳ではない。だが結局何も起こらない誰も現れはしないそこで――取り敢えずシェアラとオーマは場から視た記憶を、情報の共有の為リージェにも伝えている。――…面影が蓮聖と似た一人の少女と龍樹が遭遇した事。その後も龍樹は店を通常通り営業している。だが、龍樹当人の雰囲気の方が何処と無く変わっていた事。蓮聖が来訪する。相対し何事か話している。その時点ではまだ剣呑では無かったが、程無く――何が切っ掛けになったか龍樹が豹変し刀を取る。偶然来訪していた不運な客人を巻き込み、血飛沫伴う狂気を見せる。蓮聖は己の持つ数珠の一つを――莫迦みたいに長い刀に変化させ、それに対峙。切り結ぶがそう簡単に決着は付かず。
 握られていた、ただの刀だった筈の刀が龍樹と同じ黒色――土色の炎めいた気を放っている。龍樹の斬り裂いた場所が何故か黒く焼け焦げる。龍樹の気の色と大きさが赤黒く炎のように荒れ狂う。龍樹の振るう剣技に、魔法的な効力までが伴い始めた。場が原形を留めなくなる。崩れかかる壁。家屋の一部。倒される置かれた甲冑。もうもうと立つ埃、凄まじい煙。そんな中響き渡る剣戟の音。刀身がかち合い散る火花。それが舞い散る埃や砂にでも粉塵爆弾の如く引火したのか――唐突に、爆発まで起こる。家屋の一部が吹っ飛ぶ。…それでもまだ、生きた者の気配は残っていた。鬼気は消えていない。そしてまた、冷静に過ぎる剣戟の音が続く。
 …だが。
 どうも、それらの結末が、わからない。
 何処の時点でかいまいち見切れない。ただ、二人共の姿が、剣戟の音がいつの間にか消えている。
 そしてそれ以降の事は噂の通り。
 この場所は放り出され、今に至る。

 そこまで話を続けた後、当面の危険は無いようだと見たか――オーマがもうちょいルベリアに頼んでみらァ、と廃屋内の別の位置に移動してみる事にした。…廃屋の場に満ちる想いを映し見る――この場合、対象が個人では無いからどうしても漠然としてしまう。ならば細かい場所によっては、ルベリアの花越しに映る想いが違って見えてくる可能性もある。だから、今まで映し見てみた場所だけでは無くもっと別の場所――別の位置で見ればまた別の想いが見えるかも。そうも考えてみた訳で。
 既に皆で一通り調べては見てあるので、リージェとシェアラは特にオーマに付いて回る事はせず、話し込んだその場で――恐らく元は応接用の部屋だったと思しき位置で、待ってみる事にする。日はそろそろ傾いて来る時間。じき夜だ。
「…また時間稼ぎが必要か、と思っていたんだがな」
 拍子抜けと言うか何と言うか。蓮聖も龍樹も居そうにないとなると。
「…噂の目撃証言にあった奴は、ここで、何かを探していたんじゃないだろうか」
 常にここに居ると言う訳では無く。
「それは例えば――目撃されたのが蓮聖であると仮定するなら、龍樹をか?」
「もしくは――目撃されたのが蓮聖さんと仮定するなら、己の面影を持つ少女の方を」
「…そこも何かがありそうだな。店の裏手に当たる場所で佇んでいた少女…妙に存在として気配が稀薄だった」
 あれが舞姫様とやらの可能性はあるんだろうか。
「舞姫?」
「ああ、言い忘れていたな。舞姫と言うのは奴の封印を作っている巫女の名と聞いている」
「…。でもその舞姫さんだったなら、龍樹さんの方でいちいちそれ程の反応をする必要は無くないだろうか」
 シェアラさんが聞いている話によれば、封印の効力が切れる時期になる度、世話になっている訳なのだし。
 なら、故郷に居る筈のその舞姫さんがソーンに居る事自体に驚いて、と言うのも何だか無理がある気がするし。…事実はともあれ、蓮聖さんは故郷とここソーンを自在に行き来していると言う話なんだろう? そして龍樹さんの方は自分の意志があった上でソーンに来ていると言う話でもある。なら、舞姫さんの方がソーンに来る事だって有り得ない訳じゃない。
「…だな。彼女が舞姫と仮定すると――その後の反応がちと大袈裟過ぎる気がする」
 これも言っていなかったかもしれないが――龍樹の封印は、力の強弱では無く施術者と被術者の深い関連性が物を言う、とは聞いている。だが私やオーマの視たあの対峙で、何か特別な心の交流があったようにも思えない。ただ、お互いがお互いの存在を確認した、それだけで言葉もろくに交わしていなかった。
 あの対峙について――強いて何かが特別だったのだと言うのなら、ただ相見える事それ自体。ただ顔を合わせる事、それ自体が何か特別だったと言う事のように見える。

 と。
 話している二人の視界に入る位置に、不意に、影が差す。
 二人とも、オーマが戻ってきたかと思いそれとなくそちらを見るが、違った。
 そこに居たのは二メートルを越すド派手な巨漢では無く、淡い色を纏う小柄な和装の姿。
 片手に無造作にぶら提げられている青銅色の、適度に湾曲した莫迦長い細い棒――刀。
 そして二人が――シェアラとリージェが確認したかしないかのところで、その姿はもう消えている。
「――…蓮聖?」
 差した影の正体と思えた名をシェアラがぽつりと呼んだ、途端。
 風が来た。
 草鞋が踏み込んだ位置も見えない。異様に低い位置、滑り込んでくる一陣の疾風。青銅の如き鈍い青色が大輪の如く大きく翻る。視線と切っ先、まず標的になったのはリージェ。シェアラよりリージェの方が風に近い位置だった――先に狙われた理由はそれだけだったのかもしれない。咄嗟にシェアラがリージェを思い切り突き飛ばす。間一髪、青銅色の切っ先はリージェに至っていない。リージェがそれまで居た位置の瓦礫が、スポンジか何かのようにさっくりと斬り込まれ破壊されている。
 シェアラに突き飛ばされるまま、その方向に自ら飛び退ってもいたリージェ。その瞬間、殆ど反射の領域で自分を襲い来る風に対しナイフを投げている。咄嗟だったので自信は無いが、一応急所では無く袖を引っ掛ける形に狙っている。風の視線はそのナイフが到達する位置を追っていた。青銅色の長大な刀を持つ己の肩口から二の腕にかけ二本刺さっている。柄を握る手首にも掠っている。が、見た限りでは風はそれらを殆ど気にしていない。どうも、そのナイフに対応していたら――避けたり弾いていたら攻撃の動きが鈍ると見てわざと対応らしい対応をしなかったようにも見える。
 だが風の意識を少しも逸らせる事が出来てなかったのなら――あんな殆ど不意打ちのとても素早い攻撃を、例えシェアラの助力があったからと言って満足に避けられたとも思えない。リージェが警戒の為事前に数本用意しておいたナイフで風の意識を逸らす目的が果たせたのか否か。判別し辛い領域で事が起きている。
 リージェを突き飛ばし攻撃から避けさせたシェアラは、自らも飛び退りすぐに周辺状況を把握した。懐からハンカチ程度の小さな織物を取り出すと、そのまま片手で祈るように捧げ持ち口の中で小さく何事か詠唱。一度息を吹き込んでからその織物を風へ向けてではなく明後日の方向に投げ放つ――織物が鳥の形になり、素早く飛び立つ。…まぁ向こうも向こうですぐに気が付くだろうが念の為、別行動中のオーマへの連絡。殆ど同時に周辺への結界も張っている。以前この店での依頼時に密かに張っていたのと同じ、店全域を覆うもの――過去に一度施術した事のある結界。以前と全く同じ効力同じ範囲でとするなら、殆ど考えずとも術式は同じで済む。即座に張れる。
 それから、風との対峙を考える。リージェも弱い訳ではないだろうが、それでもこの『風』が相手ではきつかろう。シェアラとしては元々、時間稼ぎの必要――つまりは噂に語られる『魔物』と、ある程度本気での戦闘を行う必要があるだろうと考えていた為、ここを訪れた時点で事が起きればすぐにも臨戦態勢に移れるようには頭を切り換えてある。
 だが。
 その相手が、少々予想外。
「――…こう来るとはな」
 龍樹じゃなくて――蓮聖じゃないか。
 なのに。
 目の前の蓮聖のその様子は――まるで『魔性』である時の龍樹と――重なる。
 一言も言葉を発する事なく、再び――今度はリージェでは無くシェアラを狙い、一陣の風――蓮聖はシェアラに肉迫した。シェアラにとってもこの相手との手合わせは初めての事。だがそれでも、霊視でその身ごなしは視ているし、弟子の方なら戦う姿を直接見た事もある。事前情報は少しはある。だが今回は以前の龍樹の件とは事情が違う――本来、解決策を持つ方の人物がこれでは、どう決着を付ける必要があるか。そこから考えなければならない。
 初めから、一段階目の箍が外れている状態の龍樹の如き――いやひょっとするとそれ以上の強さに思えた。魔法で反撃を試みるが、次第に、呪文詠唱の手間すらも惜しくなる。力はあるが攻撃自体は大振りと見、近接戦闘を試みもするが――それでも蓮聖当人の動きが無茶なくらいに速い為、シェアラの方が翻弄されている状態になる。
 元々体術に関しては護身術程度の腕前。対峙はぎりぎりもいいところ――致命傷にならない程度の軽い傷は既に数ヶ所負ってしまっている。反面、向こうは無傷。このままでは少々辛いか。
 …とは言ってもまぁ覚悟の上。シェアラとしてはあまり焦る事も無い。今の蓮聖に比べ体術では劣り、戦局の変わる速さ故に魔法も自在に使い難い状況下であっても、ぎりぎりでも致命傷を躱し続けられるのはシェアラの経験と実力故である。それに、まだ奥の手も幾つか持っている。
 本当に危険な攻撃だけは完全に躱しながら突破口を考える。体術で上回るのは無理、相手の速さに魔法を追い付かせるには呪文詠唱の時間が邪魔だ。…さて、奥の手の一つ――己の力の封印を解くか、否か。
 ふと気付けばリージェの美しい歌声が聴こえてくる。爪弾かれる竪琴の音が後を追う。それらに気付く少し前から、シェアラの動きが軽くなっている――敏捷性が上がっている? …歌と演奏に魔力をこめ歌姫らしく外側から援護している訳か。素直に有難く受けつつ、シェアラは――ひゅ、と息を吸う。
 そして。
「――…シェアラウィーセ、参る」
 力を封じる呪文としている守り名ウィーセを改めて付け直し、己が名乗りを上げる。
 直後。
 呪文の詠唱が消える。が、殆ど同時に、手刀で鋭く空を打つようなモーションと共にシェアラウィーセの意志のまま繰り出された真空の刃が蓮聖を襲う。普通の魔法の速さではない――だからこそ不意打ちになる攻撃。今度ばかりは完全に予測しない無防備な状態で受け、蓮聖の動きが一時止まる。畳み掛けようとシェアラウィーセもまた前に出た。自分が掛けていたショールに魔力を付与し蓮聖の身柄の――そしてその握る長大な刀の拘束を試みる。
 が。
 それより先に、蓮聖はシェアラウィーセから飛び退っている。それまでは何は無くとも攻撃が第一。もし戦術的に一度退いたとしてもすぐにまた前に出ていたのだが――今度は、何故か下がったままで攻撃に出て来ない。
 と、僅か俯いたその顔、その唇に微かな笑みが浮かんでいる。にたりと邪悪さまで感じさせるような表情。『魔性』状態の龍樹にも通じる、攻撃的な狂気の混じる笑み。
 何か、別のものに気付いたようだった。
 蓮聖が意識する方向が変わっている。変わったそこで、蓮聖は迷い無く地を蹴り今度はそちらへと疾り躍り掛かろうとする。標的はシェアラウィーセではなく、リージェでもない。蓮聖が動いた方向には――肩に小さな鳥を留まらせた、ド派手な風体、大柄な影が今度こそ現れていた。
「オーマ!!!」
 危険だ。
 そうシェアラウィーセが警告を発するが、遅い。
 否。
 遅くは無い。
 オーマは、初めから。
 攻撃されても抵抗する気は無かった。
 攻撃されたのなら、怪我厭う事無く受けるつもりだった。
 シェアラウィーセから自分へと移った意識には、移ったその刹那に寸分の時差も無く気付いていた。そして同時にリージェでもシェアラウィーセでも無く自分へと攻撃が向けられた事に、離れていた二人に大事が無かった事に安堵する。
 オーマの肩にはシェアラウィーセが連絡の為使い魔として利用した織物製の小鳥が留まっている。そうで無くともシェアラウィーセの結界が張られた時点で、リージェの歌声と竪琴の音が聴こえた時点で、蓮聖の異様な気が感じられた時点で――オーマは早急に二人の元へ戻る必要を感じ、来た。そうしたら、この通り。
 蓮聖の持つその刀、元々莫迦みたいに刃渡りの長い無茶な得物である。本来、オーマ程度の体格があって初めて使いこなせるかどうかと言うレベルの大きさになる得物。並の使い手ならば――それも蓮聖程度の体格であるなら動きを阻害して当然になる。そもそも持って動く事を考える以前に、まともに持ち上げ振るう事さえ難しいだろう。だが蓮聖は殆ど切っ先は後ろに流したままで動きを殺さない。俊敏な動きはそのまま、長い事がハンデになっていない。だからこそのこの武器なのか。
 そんな長大な刀を、ここぞと見たその刹那に、凄まじい膂力と速さを持って一気に振り回す。対象に叩き付けるようにして振るわれる。動き自体は大振りな筈なのだが、蓮聖の敏捷性と膂力の両方がとんでもない為に振るってから対象に届くまでの時間差がとても短く、隙にならない。どんな技量なのか目標も大抵外れない。そしてその術の破壊力はとんでもない。その術で斬られたなら――対象はまず巨大な岩石であったとしても問答無用で容易く両断されるだろう。人程度の大きさの生身であるなら、尚更。…両断どころか、その切断面までこそげ飛ばされてしまうかもしれない。圧で潰れてしまうかもしれない。対象以外の物が間合いの内にあっても、邪魔にはならない。その苛烈な一刀で諸共に破壊する。当然のように蓮聖の技量がそう告げている。
 そんな攻撃が――青銅色の刃が、無防備なオーマのその首に、吸い込まれる。





 と、思ったが。
 その直前。
 刹那の紙一重。
 肌に刃が触れるか触れないか。
 そのくらいの位置で、ぴたりと止まる。
 呼吸する程度の僅かな僅かな動きで、その刃に触れてしまいそうな位置。武器も武器、攻撃も攻撃。常人離れした筋力が無ければそんな位置での寸止めなど出来る筈も無い。だが蓮聖はそこで止めていた。何か他の力が働いた様子は、無い。
 それ以上は、動かない。
 刀身が、僅か震える。
 その震えに気付いたところで――蓮聖の息が荒くなっているのにも気が付いた。何か衝動を無理矢理抑えているような、印象。…刀を振るい戦っていた時の蓮聖には、息を切らせる様子すら無かったのに。
「…それがお前の、想いって事なのか?」
 言いながらオーマがただ静かに蓮聖を見下ろす。と、それだけで蓮聖はびくりと慄いた。自らが向けた刃は呼吸するだけで肌に触れてしまいそうな位置にあるまま。そう見てか。慄いたそこで、蓮聖はオーマから僅か刀を引いている――引いてはいたが、それでもオーマの首の皮膚がほんの少しだけ切れていた。
 それでもオーマは動じない。
 避けもしなかった。向けられた刀をちょいと退かす事さえ、今の蓮聖のぎこちない動きを見るならオーマには出来ただろうが――しなかった。
 オーマの完全に無防備な姿、それが蓮聖に何かを感じさせたのか。…オーマの場合訳がわからず攻撃を受けた訳ではなく、刹那の間に向けられた殺気も尋常でないその攻撃も、全て把握した上での無抵抗。目を見ればそれはわかる。自分へと襲い掛かる動きを全部見ている上で、避けもせずここまで動じていない姿もまた凄まじい。まるで、相手が何をしようが親が子を抱くように――全て受け入れようと言う覚悟が出来ている。…オーマの態度はそんな風で。
 刀をオーマから僅か引きはしたが、まだ蓮聖の息は荒い。腕の震えも、まだ止まらない。刃とオーマの間合いは少しは開いたが、再び攻撃の意志を持ってその刀が振るわれるとなれば殆ど大差無い位置。蓮聖の腕の震えは――何かに必死で抗っているような、そんな力が篭められている風にも、見えた。
 蓮聖は刀を向けたそのままの姿で、俯き、何かに耐えている。
 絞り出されるような掠れた声がした。
『――…っ…ニゲ…逃げられ…よ』
 蓮聖の声。だが蓮聖は僅か離したそれ以上オーマから刀は引かない――退かない。否、退けないのか。そう思わせる態度であり、発言。
 オーマは蓮聖のその声を聞いても逃げない。それどころか、よいしょとばかりにその場で少し屈む。固まっている蓮聖の目の前、目線を合わせるくらいの位置に、わざわざ。
 そしておもむろに、ずっと持ったままでいたルベリアの花を、すっと差し出す。
 ふ、と蓮聖の震えが止まる。
 虹の如く自ら光輝く花弁。
 その強い輝きが目を射るが、同時に何処か、安らぎを与えもするその花。
 蓮聖がその光を視界に入れたその瞬間に合わせ、リージェが竪琴の弦、中程の一本――それをごく軽く、一度だけ爪弾く。ユニコーンの鬣で作られた弦が澄んだ一音を響かせた。…この人が何かに囚われているのならその解放を。己を取り戻して下さいとリージェはその音で語り掛ける。心に直接訴える。
 同刻、オーマはシェアラウィーセの動きに気付く。先程蓮聖及びその刀の動きを捕らえようとしたのと同様、ショールを使っての捕縛か――攻撃か。
「…シェアラ」
 オーマはそれを静かに咎めた。…ここは任せて欲しい。何であれとにかく倒したくはない。死なせたくも無い。自分は彼の殺気抱くまで思い詰めるに至ったその想いが知りたい。
 が、心配するなとの言葉と共にシェアラウィーセはそのまま動く。そして、するり、とシェアラウィーセのショールが蓮聖の握る刀を絡め取る――と言うより、蓮聖が彼自身で刀を振るう手を止めようとしている力の足しにする。
 彼女は腕っ節の方はそれ程の自信は無いが、魔法の方なら元は高等魔導師――そして今も隠居したとは言え、力衰えた故の隠居では無く好んで魔道の研鑚も重ねているくらいである為、むしろ本職として高等魔導師だった頃より強大な力を持っている。その力を効果的に使えるならば、並ならぬ膂力が相手でも容易く抑えられる。
 オーマが無抵抗と言う意外過ぎる技を使い蓮聖を止められそうだと見たところで、オーマと蓮聖と、両方の希望に叶うだろう形に助力の方法を少し考えた。完全に力尽くで対抗する気も、捕縛してしまう気ももう無い。

 ふ、と蓮聖の身体から力が抜ける。
 …かたじけない。搾り出すようにそう呟くと、蓮聖はがくりとその場に膝から崩れ落ちた。



■事情

 …そうは言っても、蓮聖はそのまま意識を失った訳でもなかった。よろめき足許から崩れはしたが倒れはしていない。立ってはいられなかったのだろうが、意識の方ははっきりしたまま、廃屋に残された瓦礫に身体を預け座り込んでいる。
 もう大丈夫かと見たシェアラウィーセはショールを利用し魔法で拘束していた刀を離す。三人の目の前、蓮聖の手の中で、莫迦みたいに長い青銅色の刀が同じ色の数珠に変化する。それを元々付けていた血赤珊瑚の数珠と共に手首に絡めて始末を付けてから、蓮聖は三人に謝罪しつつ、くたりと脱力していた。リージェがそこに寄り添い、蓮聖のその左腕――刀を握っていた方の、先程自分が傷付けた腕を取る。抵抗は無い。腕を取ったままリージェは囁くような祈るような歌を歌う――ナイフで付けられた傷が程無く癒される。ちなみにその時には、蓮聖以外にもリージェの歌の効果があったのかはたまた二人の方は自分で治してしまっていたのか――シェアラウィーセもオーマも完全に無傷になっている。
 そこで、まず開口を切ったのはシェアラウィーセ。蓮聖の方――座り込んだその姿を見る限り、まともな反応が返るかどうかわからないくらい疲弊しているようではあるが、今の彼の状態はどうなのか確認する必要はある。訊く事が出来るなら、事情を問う事も。
「…何があった?」
「…貴方がたは既に御存知とお見受けするが。シェアラ殿に、御二方」
 声を掛けると、俯いたままながら存外確りした声が返る。どうやら一応、シェアラウィーセの名前は憶えていたらしい。これは事情は聞けるなと判断し、シェアラウィーセは他の二人の事も簡単に紹介した。…こっちの可愛らしい歌姫はリージェ、派手ででかい方はオーマ、と。
 それから、蓮聖に答える。
「…お前の言葉、否定はしないが――我々がここで調べその結果知り得たのは、ここで起きた客観的な事実についてだけになる。どうしてそうなったのかの理由や経過は何もわからん。お前が何を考えていたのか、龍樹が何を考えていたのか、あのお前と似た面影を持つ娘は何者か…そこまでは知らん」
 私がこの店の以前を知っていたから――龍樹の『魔性』絡みかとは比較的早い内から予想していたが、それで今のようにお前の方が出て来たとなれば余計にわからない。つまり我々は肝心なところは何もわかっちゃいないと言う事だ。…シェアラウィーセはそこまで言い、はぁ、と息を吐く。
「…外じゃここの事はかなり噂になってるぞ」
 魔物の棲み付いている廃屋として。だから今回、我々も来てみたんだがな。
「…ですか。シェアラ殿だけでは無くリージェ殿にもオーマ殿にも、本当にとんだご迷惑を。特にオーマ殿にはその身を呈してまで私の鬼の性を止めて頂け、誠にかたじけない限り…」
「…つってもお前、ありゃあ最後は自分の意志で止めただろ?」
「…貴方に少しでも抵抗の意志が見えたなら、恐らくあのまま斬り込んでいましたよ」
「…そうなのか?」
「貴方は私の動きを全部追えていた。反応するならすぐにも出来た。そんな方が無抵抗で真っ直ぐこちらを見ているんです」
 それで、違う、と漸く身体の方でも気付けました。
「何が違う?」
「私が刃を向けねばならない相手と」
「…そりゃあ」
 龍樹の事。
 オーマは口には出さないが、具現精神同調で確認した光景から察するに、その名前しか思い当たらない。視た中では実際に刃を交えていた。
 名前を続けないオーマに対し、蓮聖は暗黙の内に、はい、と肯定する。…口にまで出て来ない名前については当然、察している。
「龍樹なら無抵抗は絶対に有り得ないんですよ。あいつは全て承知で刀を取りました。朱夏を見て、朱夏がそこに居る事を知って――己の『魔性』に身を委ねる事を選んだんです」
 だから、自分から私に刃を向けた。
 私がそれを許さない事も知っていたから、先に訣別を告げて来た。
 龍樹は、己の中の『魔性』は本来何を求めているのかを、知りたくなったのだと思います。
 そうなれば、もう舞姫の封印すらも意味が無い。
「…それは…どういう意味なんだ?」
 怪訝そうに問うリージェ。と、蓮聖は少しだけ間を置いてから――漸く顔を上げる。
「――…朱夏の死で、初めて龍樹の『魔性』はその顔を覗かせました。切っ掛けは、悲しみ故の狂気だったのだと、思います。それまでは、あいつの中に『魔性』は存在しなかった――いえ、存在はしていたのかもしれませんが、顔を出す気配すらも無かった。朱夏の生きている内は、何事も無く済んでいたんですよ。
 つまり、全てが朱夏の死から始まっているんです。なのにこのソーンに、龍樹の目の前に、今更――何事も無かったように朱夏が現れた。…朱夏がそこに居るなら、あいつの中の『魔性』は封印するまでも無く隠れるか。当初はそうも思ったのですが――龍樹の中の『魔性』の衝動は消える気配は無かった。消えるどころか増していた。朱夏はそこに居るのに。…龍樹はそう私に言いました」
 それから、舞姫様に、すまない、と伝えてくれと。
 …それだけで、あいつの心はわかりました。
「舞姫の施す封印は、ただ力の強弱とは別の要素が大きく物を言う、と以前シェアラ殿にはお話しした事があったと思いますが――本当は、龍樹自身の意志があって初めて封印の効果があるようなんですよ。『魔性』は本来外からの力には反発する。だから力が強いだけの封印では意味が無い。場合によっては力尽くでは余計に危ない。…攻撃と見なされたら封印どころか逆に力の箍が外れます。龍樹自身が施されるその封印を許していなければどんな封印をしても殆ど効果は無い。…あいつはああ見えて頑固ですし、心の底から他者を信用する事が滅多に無いんです。私でも、心の底から全面的に信用されているとは思えない。朱夏の死後――龍樹は舞姫にだけ、己を委ねる事を許していたんですよ。だから舞姫の封印が効いた。表層の意識がどうであろうと、一番根にある本音の部分で『魔性』を抑える事を望み続けていたから。そして同時に――舞姫の事だけはそこまで委ねられるくらい、信じていたから」
 だが、朱夏と舞姫の二人では、龍樹は――どちらを選ぶか。どちらを選んだか。
 その答えが、この場の現状を生み出している。
「…私は『魔性』のままでいる龍樹を放っておく訳には行かない。龍樹が『魔性』を抑える事無く今のままでいる事を望むなら――その責任を取らなければならないのは、私になる」
「師としての、か」
「同時に、父としてですよ。…朱夏は私の娘であり、龍樹の許婚でもありました。私の故郷にて、疾うの昔に死んだどころか――魂も何もかも、命であった証すら全て喪われている筈の存在です」
「――」
「龍樹が今生きている他の娘より朱夏を選んでくれた事は父として師として素直に嬉しい事は否定できません。…だがそれでも、死者は死者。それも有り得ない死者になる。ソーンには具象心霊と言う存在もあるようですが――朱夏ではそうなる希望すらも本来有り得ない。…この場で存在している事自体がおかしいんです明らかに。それに舞姫の健気な想いも私は知っている。当然龍樹に無闇な殺戮を行わせたくもない。…ここに来て、私の娘の為に弟子にまで理を外れさせる訳には行きません」
 だから私は、龍樹に思い直させる為――叶わぬならば殺すつもりで、鬼の性に身を委ね相対しました。
「それで今に至る、と」
「…ところで、肝心の龍樹の方は何処行ったんだ?」
「わかりません」
「…わからないってこたァねえだろ」
「…。いつの間にか、姿が無いんですよ。ですが――刃を交える最中目を離した訳でもない。見ている限り、何処かへ移動した――普通の移動ではなく転移のような瞬間移動の手段を含めて考えたとしても――どうも様子が違う。気配も同様、移動した痕跡が全くないまま、気配の残滓のみを微かにその場に残したままで――だが当人はいきなり存在しなくなっている」
 私は『魔性』がどんなものか完全に理解し切れている訳でも無いので、何とも言い切れないのですが。
 それでも、そんな消え方をされては、他を捜せない。
 まず、ここが先。
 だが――何がどうなってその状態になったのかが、どう調べても、掴めない。
 他へ捜しに行く事を思い切れない。…自分が居なくなったその時に現れるかもしれないと何度も考えてしまう。可能性が一番高いのはどうしてもここになるから。…消えた気配が残る、消えた龍樹自身の家。龍樹はソーンでは他の場所は殆ど知らない。…だからこそ、余計に。
 以来、龍樹の姿を見失ったこの場所に人の気配が近付く度――生者の気配を見つける度、ここに来ていました。
 …次第に、私自身も正気を失い掛けていたのかもしれません。
 龍樹を止めなければ――殺さなければならない、ただその想いにだけ駆られていて。
 生者であるだけで、龍樹であるかそうでないか、その区別すら付かなくなり始めていた。
 その結果が、貴方たちの見た通りです。
 蓮聖にそこまで話を聞いてから、シェアラウィ−セは、ふむ、と考える。
「…だからと言って――やはりこのままここに残り続けていてもあまり意味は無いと思うが」
 そんなシェアラウィーセの科白に、リージェもこくりと頷き、続ける。
「あたしは龍樹さんの事は話でしか知らない。でも、さっきの蓮聖さんの戦い振りは『魔性』状態の龍樹さんと近いとシェアラさんが言っていた。だったら――そんな存在するだけで危険を感じるような気配は、ここには、もう感じられない。あたしは龍樹さんは本当にもうここには居ないと思う」
「俺も同感だ。…この場にはお前らがぶつかったその刹那の想いしか残ってねぇ」
 その想いが余程強い想いだったのか、他の想いはぱったり残っちゃいねぇぜ。となりゃ…もう次の手段を講じるべきじゃないか? 他行って調べた方が、まだ見付かる可能性ありそうに思えるけどよ? 
 言って、オーマがルベリアの花の匂いを嗅ぐように自分の鼻の側にそっと持ってくる。…ルベリアの花弁の色はもう偏光色に戻っている。
「それより、だ」
「?」
「お前の気持ちはわからないでもねぇよ。俺にもちょいと事情のある愛娘が居るからな。…ただ、責任とやらの取り方――殺す、って選択肢は消せねぇか?」
 言いながらオーマはルベリアの花を受け取れとばかりに蓮聖に差し出す。何事か良くわからないながらも、蓮聖は差し出されるまま受け取った。特に抵抗する理由も無い。
 と。
 その偏光色の花弁が輝く――静寂を打つ、深い深い蒼の色。
 色が変わった事に軽く驚く蓮聖に、オーマは静かに言い聞かせる。
「お前の真の想いの色だ」
「………………こんな形で見せ付けられます、か」
「…自覚あり、か」
「言魂として出す気はありません」
 何があろうと殺したくなど無い、殺すつもりは無いと言う本心を。
 言わない事で自分を抑え込む。そして鬼となり己の心に反しようとしている。それだけの強い意志も見せる色彩。深い深い蒼を湛える凪の水面。動じない、静かなままで。穏やかである事、凪を望む鮮やかに澄んだ色。…本来争いは好まない。けれどひとたび波打てば、凄まじい嵐をも厭わない。
「…ああ、でも言われてみれば私の守護聖獣は青銅巨人タロスになりますから、その意味でもこの色はわかるような気がしますね」
「そんな風に逃げるなよ」
「…私の力では、龍樹を思い直させる以外に――いえ、あいつが思い直す事はまず無いでしょうから――殺す以外に止める方法が思い付けないのですよ。朱夏の方は――どう扱ったら良いのかすら、わからない」
 既に存在しない筈の存在を。
 既に死した筈故に、例え決死の思いでこの手に掛ける事を考えても――存在しない筈のその身に新たな死の意味があるかもわからない。ならばその朱夏の姿は龍樹の願望が見せたただの幻覚か。否、龍樹の様子を見る限り――違う。
 あいつはそこまで弱くない。…それに今の龍樹には、舞姫が――舞が居るのだから。
 …それは絶対に惑わないとは言えない。だが同時に何の切っ掛けも無く、唐突に惑う事もないだろう。そのくらい、朱夏の死から数えても龍樹の心は落ち着いていた筈だ。少なくとも蓮聖にはそう見えていた。
「…その朱夏さんの方は、何処に居るんだ?」
「私は、まだ顔を合わせていません」
 出遭ったのは、龍樹のみ。
「だったら余計によ。こんなところに留まってるよりそっち捜すのが先決じゃねぇか? わからねぇなら確かめるしかないだろ。まずはお前の娘――少なくとも龍樹がそう認めた相手に直接当たってみる必要がある」
「…」
「蓮聖。身内の事だからこそ、今のお前の目は余計に曇っているんじゃないか」
 ここに留まっていても意味が無い。龍樹を止めたいと言っても、動かなければ始まらない。お前一人で如何ともし難いなら好都合な事にここには今御節介が三人も居る。…好きに頼ればいい。
「…シェアラ殿」
「あたしは吟遊詩人だ。…想いを広く伝えて行く事が出来る。今聞いた話から歌を作る。そうすれば――流離う間に二人を捜す事は難しくないと思う。それに、龍樹さんの『魔性』について、世間の人々に警告を発し注意を促す事もできる」
「…リージェ殿」
「お前の力じゃ龍樹を殺すしか解決法が見付からねぇってんじゃあ…明日の聖筋界ソーン親父桃源郷を夢見る腹黒イロモノ親父大胸筋としちゃあ、ここァ一肌脱がなきゃなんめえ」
 殺さねぇで済む道、一緒に考えてやらァ。
「…オーマ殿」
 と、三人それぞれから、有難い言葉を聞いてから――蓮聖は一時、黙る。
 そして。
 私もまだまだ煩悩が多いようだ、と苦笑混じりに吐いている。何処か諦めた口調――それは、自分一人で抱え考える事を諦めた。そう言いたげな。
 口には出せずとも、心に問うなら弟子の龍樹を助けたい、そして――詳細はわからぬまでもその必要がある状態にあるのなら、娘の朱夏も助けたい。…過去には一度助けられなかったのであるから、尚更。
 …己を投げ打ってでも何でも、今の蓮聖にはその二点が最優先事項。
 ならば、三人の言う通り。

 覚悟を決めた蓮聖は、改めて、助力を請う。
 最早、私事で間に合う段階では、なくなってしまいましたから――と。



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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

 ■3033/リージェ・リージェウラン
 女/17歳/歌姫/吟遊詩人

 ■1514/シェアラウィーセ・オーキッド
 女/26歳(実年齢184歳)/織物師

 ■1953/オーマ・シュヴァルツ
 男/39歳(実年齢999歳)/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り

 ※表記は発注の順番になってます

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 …以下、登場NPC(■→手前/□→公式)

■本文で実際登場
 ■噂曰く廃屋に棲み付いている魔物/風間・蓮聖(かざま・れんしょう)

■名前のみ
 ■廃屋の元主人/佐々木・龍樹(ささき・りゅうじゅ)
 ■朱夏(しゅか)/蓮聖の娘、龍樹の元許婚、故人…の筈
 ■舞(まい)/龍樹の『魔性』を封印していた巫女、姫と言われるのは愛称のようなもの

■オープニングから、本文にも登場
 □エスメラルダ/蓮聖とは面識あり(店の御得意様だったらしい)
 ■噂吹いてる酔っ払い/オープニングの一人称がそれ

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          ライター通信
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 今回は発注有難う御座いました。
 …参加が三名様なのに、気が付いたらやたらと長くなってました…(汗)
 何だか冗長に感じてしまうようでしたら、申し訳ありません…。
 それと、何だか話の筋がややっこしいかもしれません…。一応、今回のこれは今後ソーンで部屋を作って展開しようと思っている話の準備編・予告編のようなものになります。

■オーマ・シュヴァルツ様
 初めましてで御座います。…と言うか櫻ノ夢でも殆ど同時に御世話になりました。
 行動ですが…反発無し無抵抗と来て下さるとは思いませんでした…と言うか、設定内にある「不殺主義が弱点」と言う意味が良くわかった気がします。危険です。相手の技量によっては怪我どころか速攻で命取りに来る事もあるでしょうから…。今回の蓮聖の場合はぎりぎりで良い方の目が出ましたが…どうぞお気をつけ下さいまし。
 それと実は私、文字だけが土俵なライターの癖に色彩表記に関して無駄に拘る傾向もあるので、ルベリアの花の「想いの色を映す」と言う設定については…何だか凄く楽しんで書かせて頂いておりました。
 そして櫻ノ夢でも記しましたが、やっぱりオーマ様の言葉遣いや行動を当方で上手く表現出来たのか相変わらず不安なままで御座います…(汗)。…何かありましたらどうぞお気軽に。

 少なくとも対価分は満足して頂けていれば幸いです。
 ではまた、お気が向かれましたら先の話も、どうぞ宜しくお願い致します(礼)

 深海残月 拝