<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


泣く、白藤


 春も終るかと言う夜は、ほんのりと肌寒く、しかし、もう身を切るような寒さは無く。
 それは、真夜中。街外れ、森に近いような場所から、しのび泣くような音が聞こえて来た事に始まる。
 気がついたのは誰であったか。

 尾を引くようなその声は、聞いたものを寂しくさせた。
 一晩だけなら、そのしのび泣きは、春の風のもたらす風情として聞き流せた。
 しかし、しのび泣きは一晩では終らなかった。

 決まって真夜中。
 僅かな風に乗って、寂しい泣き音は街を吹き抜ける。
 寝入っていれば、何も問題は無いのだが、気配に敏感な者は、泣き音がする前には起きてしまっていた。そうして、その泣き音を聞いてしまうと、寂しくて、悲しくて、眠れなくなってしまうのだ。
 そうして、寝不足は、圧倒的に女性が多く、一家の主婦が寝不足で昼働く姿に、ついに、自警団の中から、有志が真夜中の泣き音の探索に乗り出した。

 音は、始終続いているわけではなく、かすかに「嗚呼」と尾を引くように聞こえたかと思うと、しばらくは聞こえず、安心した所で、また、「嗚呼」と聞こえる。間隔は同じでは無く、聞けば身の内からざわざわと、寂しく悲しい心が持ちあがり、落ち着かない。
 街の自警を担う男達で、腕には多少なりとも覚えがあるが、いかんせん、相手は泣く音だ。それが人ならどうにでもなるが、人ならざるモノならば。先頭に立つ自警団の団長は諸刃の長剣の柄を、片手で軽く押さえながら、腰が引きがちの団員達に声をかけつつ、溜息を吐いた。
 
 どれくらい歩いたろう。街を出て、しばらくすると、立派な石作りの塀が見える。
 あれは、数十年前に継ぐ者が絶えてしまった家だ。
 団長が自警団に入る年だったのを思い出す。
 大きな屋敷と庭のある家だったが、継ぐ者が無ければ、街に没収される。没収され、その後は家の中の価値ある物は競売にかけられた。だが、家自体は酷く古かったので、誰も改修して入居しようとは言い出さなかった。改修するには新築の三倍も費用がかかると大工が太鼓判を押したからだった。
 街も街外れの家をどうこうするほどの余裕が無く、そのまま放置していたのでは無かっただろうか。
 
 泣く音は、どうやら、その崩れた石壁の向こうから聞こえてくるようだった。

 「嗚呼」

 溜息とも、泣き声ともつかない、尾を引くような寂しい声が、自警団達を撫ぜて吹き抜ける。
 すぐに帰りたい。
 団長も、同じ気持ちだったが、団員達の手前、盛大に溜息を吐くと、ひとり、崩れた石壁から中を覗いた。
 そこから見えたのは、星明りに照らされた白い花。
 かなり、遠くにあるようなのだが、その花だけが、浮かび上がるかのように揺れていた。
 長く尾を下げるように、棚いっぱいに咲いている白い藤。
 
 団長は、その白藤が揺れると、寂しい泣く声がするのに気がついた。
 満開に咲く白い藤が、風を孕んで鳴くのだろう。

 満足気に頷くと、帰還を命令した。
 昼にあの藤を切れば良いだけだ。

 だが、昼、剣の変りにのこぎりを手にした自警団は、嫌な光景を見る事になった。棚は、確かにあった。だが、そこには藤など咲いてはいなかった。庭には雑草の花が風に揺れているだけで、手入れをされた白い長藤の姿は無かったのだった。
 




 
「…勇敢な団長さんは、夜通し藤を探してさまよった挙句、疲労困憊の上、安静が必要…ってとこか」

 オーマ・シュヴァルツは、昏睡している団長をついでとばかりに診ると、溜息を吐く。隣で、同じ、医を職業にする、樹木医のスサが頷いた。茫洋と微笑んでいるその姿は捉え所が無く、そのまま会話も止まりがちだ。
 どうも、調子が狂う。
 オーマは、城下町の裏街道に迷い込んだと思ったら、妙な張り紙をつけて、ここに居た。 
 下調べは、朝の内に樹木医のスサが済ませていた。棚に僅かに絡みついたまま枯れている藤の枝と、根元から切られている切り口が4本。庭の東にまだ根が生きてあるという。

「藤…が無くなれば…あるいは…」
「藤の根を掘り起こすってか?だが、それは、好かない」

 オーマは決めていた。怪異を起こすのは、亡くなった老女か、そうでないのか、調べて見ないとわからないが、もし、老女がなんらかの形で怪異に関わっているのなら。
 そこまでの想い、受けとめてやりたいと思って来たのだから。

 樹木医は、そんなオーマを見て、こっくりと頷いた。

 自警団は、解決するまで、近寄りたくないようだった。腕自慢の彼等だったが、盗賊や人相手なら本領を発揮するが、怪異は不案内なのだ。しかたのない事である。オーマは、スサに案内されて、街外れというよりは、森に近いような場所にある、古びた屋敷に辿り着いた。ぐるりと屋敷を取り囲む灰色の石壁は、あちらこちらが崩れ落ち、崩れた場所からはもとより、ひび割れた場所からも、雑草が顔を出し、蔦が這っている所もあった。

 廃屋。

 そんな言葉がぴったりの場所だった。
 昼の光がある時間帯でも、妙に物悲しい。
 広さを確認すると、借りていた鍵で門を開ける。鉄の門は、錆が浮き、嫌な音を立てて開いた。
 雑草の生い茂る庭だったが、スサが朝、道を見つけていて、藤棚に辿り着くだけなら苦労はなさそうだった。
 蔦が伸び、雑草が伸びても、その姿をかろうじて残しているのが、遠くに見える。
 辿り着くだけならば。
 オーマは、黒髪をがしがしと掻くと、手に持ったガーデニングの道具を広げる。

「…全部、除草する気ですか?」
「…無理かね…やっぱり」
「夜…までには無理…。藤棚の回りだけなら…」
「まあ、そうだわな」

 腰までもある雑草を、無造作に掻き分けながら、スサは振りかえると笑った。街中より、表情があるように思うのは気のせいか。
 先導されるままに歩けば、風化して、今にも崩れそうな藤棚に辿り着く。
 オーマは、今朝方探し当てられた藤の根を目の当たりにして、眉をひそめた。藤は、棚を這うようにして育つ。根元から切ったからといって、簡単には棚から外れない。普通に見ても痛々しい木の残骸だった。

 二人は、出来る範囲で藤棚の回りの除草に励んだ。スサの指摘で、躑躅、沈丁花、連翹、木蓮、コブシなどの春の花の木も姿を現す。ここは、春に美しい区画なのだろう。だが、そのほとんどは、無残に切られていた。元の姿はさぞ立派だったろうと思うだけに、オーマは胸が痛むと共に、腹立だしく思った。無頓着に切られて嬉しい生き物など居ないのだから。
 そうして、なんとか回りを整えた頃、夕闇がやって来る。
 暖かい春の空気が、途端にうすら寒いものとなる。
 一晩中、藤を探してさまよった自警団の団長も、昼間から居座る事は考えなかったろう。
 雑草に埋もれた、蔦文様のある焼き物の一人用の椅子が5客。欠けてはいたが、まだ充分に座れる。生成りに濃紺で彩色されたその椅子を、藤棚のまん前に持ってきて、スサと二人で座って待っていた。
 
 怪異は。

 すぐに現れた。

 幾分か生暖かい、甘い花の香りを含んだ風が、頬を撫ぜると、瞬きをする間に、自分の座っている場所が何所かわからなくなり始める。椅子の硬い感触が薄れ始める。

「想いの欠片が香りとなりて幻想となりて、在りし日の想いの為に遺ってやがるのかもしれねぇな」

 オーマは眉をひそめて、鍛え抜かれた身体に力をまわす。
 懐に、大切に入れておいた、ルベリアの偏光輝く花に想いが宿ればそれでよし。そうでなければ…。
 ぼう。と、視界に浮かび上がるのは、1メートルはあろうかという見事な白藤。
 真っ暗な夜に、浮かび上がるかのように、オーマの目の前に姿を現した。
 かすかに震えるようなその白藤の姿は、泣いているかのようで、せつなくなる。

 嗚呼。

「その想い、俺が貰いうける…」

 風が、尾を引くような泣き声を伝える。
 その泣き声は、とても寂しい。

「どうしたかった?何を伝えたかった?…それとも、ここの女主人そのものなのか?」

 嗚呼。

 白藤は呼びかけに答えない。

 悲しい。

 寂しい。
 
 悲しい。

 寂しい。

 言葉にすれば、そんな言葉。
 だが、泣くだけで、何を求めるとも、何を恨むとも、まったく伝わってこない。それなのに、空間さえも歪ませるほどの泣声を上げている。

「藤…が…泣いている…だけです…」
「これだけの想いでか?!」

 振りかえると、スサの姿が見えない。
 香りに迷ったのか。
 迷ったのは、自分か、スサか。
 オーマは軽く舌打ちをする。攻撃をするタイプの怪異では無いのが救いか。スサまでは手を回すことを考えていなかった。

 ふわりと漂う甘い藤の花の香りが、じわじわとソーマを包む。
 視界が狭まり、目の前いっぱいに白藤の花が迫る。
 怪異を起こすほどの悲しみを放ちながら。

「会いたいのか?女主人に?ならば、必ず会わせてやる!だから、泣くな!」

 この怪異を起こすのが、藤の悲しみなら、悲しみの元凶は、切られた事では無く、会えなくなった事であろう。そう、オーマは思う。好きな人に会えない事は、悲しい事だからだ。自分が切られる事よりも。

「泣くな!」

 そんな、オーマの気持ちが届いたのか、ルベリアの花に、悲しみの白藤の姿、淡い乳白色の色がほんのりと色を移しはじめた。乳白色の色した花は、ゆっくりとオーマの手の中で、鶏の卵ほどの丸い結晶に変化する。

 嗚呼嗚呼嗚呼。

 泣声は、長く尾を引き、だが、次第に小さくなり。

 ―――ありがとう。

 固まりかけた乳白色の結晶から、最後にその一言が、ようやく…こぼれた。

 柔らかな光を放ち、白藤の思いは結晶になった。
 目の前にある藤の棚は、昼に見た姿と変らず。
 振り帰れば、困ったように微笑む、スサが立っており。

 吹き込む風は、春とはいえ、まだ幾分か冷たく。
 その風の中にはもう、泣声も、花の香りも含まれては居なかった。
 ただ、春の気配だけが、オーマを包んでいた。

 オーマは軽く眉を寄せ、手の中の卵を撫ぜるのだった。




















+++登場人物(この物語に登場した人物の一覧)+++

整理番号:1953 PC名:オーマ・シュヴァルツ 性別:男性 年齢:39歳 職業:医者兼ヴァンサー(ガンナー)

同行NPC名:スサ 性別:男性 年齢18歳 職業:樹木医



+++ライター通信+++          

 はじめまして。ご参加ありがとうございました!
 複数人のシナリオになる予定でしたが、手違いでおひとりに。オーマ・シュヴァルツ様、申し訳ありませんでした。
 ステキな設定や過去話に、ついコメディに走りそうになるのを押さえつつ、書かせていただきました。
 気に入っていただけたら嬉しいです。
 老女は、亡くなってから随分と経っているので、ここには現れませんでした。
 藤が、寂しくって、我慢の限界が来て泣き出したと。そういう事でした。樹木は気が長いですが、この藤は、甘えん坊だったみたいです。自警団の団長は、敵意を持って藤に近づいたので辿り着けませんでした。そこを汲んでもらって嬉しかったです。