<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


■真白の書−その在り処−■



 出されたペンを取って慣れた仕草でそれを書に添えられて、そこでその方は顔をマスタへと向けられました。綴りかけた頁からペンを遠ざけて眩いばかりに光を零す硝子森へ瞳を向けた姿。
 キング=オセロット様が真白の書を開かれたままなにかを懐かしまれたのだとは、静かに語られた過日の出来事から私が考えたことですけれど。
「次の冬、少年だった彼はどうなっているのだろうな」
 そのとき、私は――と、そう仰るオセロット様。

 春を告げる花に関わった出来事だそうです。
 それを思い出し、話された少年のこと。
 懐かしみ、そして案じ、己の現在を思い、私はどなたの心情も推し測るばかりですから確かなことは何も申せません。ただ、普段いらっしゃる折のお姿とは異なる空気だと見る程度。
 マスタは当然ながらお客様に踏み込むことはありませんから、沈黙が落ちて室内にはちらちらと鳴る硝子森の音だけが迷い込んでおりました。

 そのいっときはどれほどの時間だったでしょうか。

「さて」
 その硝子音ばかりの空間を変えるべくであるように、オセロット様が浮かべておられた微かな笑みを深めて声を上げられます。苦みさえ感じさせた微笑みは塗り替えられて落ち着いた色を刷かれ。
「相変わらず、長い前置きとなってしまった」
 言いながら一度は遠ざけたペンを再び手に取られました。
 では、と仰って走らせた頁にはお名前と文字。今回はただ一文字の、その言葉。

「鋼の身となり、命長らえたことを後悔するつもりは、ない」

 強い声。過去ばかりを求めるものではない声。
 けれどその、春に向かっていた頃の冬の出来事を語った後の呟きに連ねられた言葉の残り。
 綴られたひとつだけの文字は、お話と少年となによりもオセロット様の過去と現在と、無数の意味を呑んで記されたのですね。広がって染み渡るただ一文字は。

「それでも、時の流れをこの身に刻めなくなったことの重さを、時々、感じる」

 睫毛がその黄金の色に光を乗せて伏されます。
 ゆるやかに綴られた書の一頁へと。


 ――ただ一文字が。
 多くの意味を呑んでそして、記憶を映して書に描くいっときの世界。
 現か幻か。
 それは定かではなく綴られるばかりの物語。

 私もマスタもただそれを、お見せするばかり――


** *** *





 なにをするでもなく、空を見て人を見て道を見て、それは道行く人々の中でどれだけの者が真実可能であるのだろうか。
 いっときのことであれば休息だとばかりに瞳を閉じて風を感じもするだろう。
 けれどあくまでもそれは慌しい日常の中の、ごく一時的なものだ。
 そしてそういった、目的を持たず興味のままに古書を覗き通りを眺め、日々それらを繰り返すことの出来る――出来る、とするのは最早ある種の向き不向きと人生経験が必要だろうと様々な人生を垣間見る酒場の人間が言ったことがあるからだ――少数の人間。

 キング=オセロットは間違いなく、その少数に含まれる存在だった。

 さてこれは春の半ば、冬の衣裾は遠くなった季節が舞台。
 彼女の繰り返しの日々の中の小さな波紋をひとつ、拾い上げてみよう。


** *** *


 新芽の薄緑が濃色の葉に重ねるようにかかり、咲き誇る花にも似た鮮やかさを立ち並ぶ木々の頂点に示している。冬が過ぎ春が訪れ、夏を思わせる陽射しがときに現れる季節にはそれは殊更に多く目を惹いた。
 おぼろげな輪郭が日毎に鋭く明瞭なものになる影の下から遠くそれらを望み、オセロットは咥えた紙巻から深くその香りを咽喉へと導く。呼吸に合わせて溢れて広がる香りと漂う紫煙。靄のように周囲に重なるそれらにごく僅かに目を細めて佇むのはなにも一日だけのことではない。
 同じように何処かで何かを眺めてはその人とは違う時間を満たす世界を見る。
 駆けてゆく子供、追う子供、すれ違う老人、店先の二人連れ、日毎時毎に異なる世界の中の命を彼女は黄金の髪と紫煙を紗幕に見守って過ごす。それは多くの日々の中のこと。

 風に吹かれ小さく揺れるのは盛りを終えて落ちた花首。

 植え込みの傍の枯れたその色に瞳を走らせてからオセロットはこつりと靴音を響かせた。
 冬が過ぎればときに季節を戻しながらも春へ夏へと向かっていく。
 吹く風にもその気配をまざと感じながら道を辿る。視界の隅で小さな影が二つばかり動くのを捕らえ、これも素早く視線を走らせれば姉妹らしい二人が広々と作られた花壇の半ばに座り込んでいた。
(弔いか)
 花壇のものとはまた別に、幾本もの切花を包みの上に乗せている。
 掘られた穴。起伏のある包みは動かない。時折通行人が声をかけては姉妹を撫でて歩き去る。そして子供達が拙い手付きで作り上げたのだろう墓標、その行為の意味は問うまでもなかった。
 未成熟な嗚咽の声がオセロットの聴覚を刺激する。
 優秀すぎる感覚は自然な流れで取捨選択を行い、日常的な部分ではそれ相応の音だけを残しているはずだ。情報として得ている量と実際に意識している量との差は意識する程の珍しさを覚えない――とうの昔に。今の身体を得て以来のものであるのだから、それも当然だった。

 ――命。
 生まれ育ちいつか朽ちるもの。

 感傷に浸る趣味はオセロットにはないが、瞬きのように過ぎるものはある。
 まさに今その頬を撫でた冷たい風のようにごく一瞬に。
 春の陽気の中で冬を思わせる風の冷たさは、まだ日々の中で紛れ込んでは掬い上げる指から零れる砂のように身近に現れるのだけれど。
 止めた歩みは再開されず、風景の一部として姉妹の背中と花壇とを見ている。
 何故だか気にかかり動かずにいるオセロットの意識はけれど、その一欠片を記憶の何処かへと向けてもいるのだ。姉妹の背中に隠れて包みは穴に納められている。それを見ながら。

「生き長らえた身は鋼、か」

 呟きを流して風が吹く。
 冬の名残を思わせながらけして冬の冷たさではない風が。
 オセロットの身を形成する物質は本来ならばそれで充分に温度を変えるだろう。
 鋼。かつて捨てた肉体。その違いは感触だとかでなく熱感でも明らかで。
(そうまでして生きて――いや)
 埒も無い、と泡立ったらしからぬ思考については内心でかぶりを振って否定する。
 生を悔やむ、悲劇に酔い己を疎む、そんな思考はしていなくとも思い出したように現れるそれこそがオセロットの中で瞬きのように過ぎるものの一つだ。だがあくまでもそれは通り過ぎ、浮かび、あるいは溢れかけて引くだけのもの。

 冷えた風が吹く。
 姉妹は土をかぶせて祈りを捧げている。
 耳が拾い上げた泣き声はどこの赤子のものなのか。
 ……その響く命の声と、自分は同様に生きているのだろうか。
 特異な外観の者も多い世界の中であるのに、つと己の生を否定しかけてオセロットは一度視界を閉ざして塞き止めた。

「この空模様にでも引き摺られたかな」

 自らの、普段と違う感情の揺らぎに苦笑しながら見上げた空は翳り広がる雲。
 吹く風も存在を主張し始めている。姉妹達は供えた切花の茎半ばまで土をかけて重石代わりにしている、それが立ち上がった小さな背中の向こうに見えた一瞬。


** *** *


 遠ざかる二つの背中を見送りながら、姉妹のいた花壇へと近付く。
 盛り上がった土の下にいるのがどのような生物であったかは知らねど、大切にされていたのだと明らかな弔いにそっと瞼を伏せる。紙巻はすでに日々携帯している灰皿に吸殻を納められて煙もない。
 崩れ行く天候を教える風が、特有の香りを乗せて強く通り抜ける。
 一度伏せた瞼を開いて空を見上げれば雲は先程よりも厚く暗く広がりつつあった。

 ああ雨が降る。

 天候に体調まで左右されるというのは稀に聞く話だが、それがまるで当て嵌まっているようではないかと皮肉な気持ちで考える。生身はとうに捨てたのに、とまだ感傷の淵から戻らぬ己を悟りつつ思う。
 どこかから、洗濯物を、という声。
 母が子を手伝いに呼ばわる遣り取りを拾い上げてオセロットは、見送った姉妹の背中を考えた。
 なにか気に掛かり見ていたのだ。
 どこがというのではなく、不審な何があるでもなく、けれど二人から目を離すのも躊躇われる。
 感傷的な思考だけはなかった。論理的とはいえない、むしろ感覚的なそれがオセロットの意識を命を弔う姉妹の小さな姿に向かわせていたのだ。
(だが何事もなかった)
 どこかの親子の遣り取りは扉の閉まる音を最後に途絶えている。
 その声達のように姉妹も親と元気に会話をするのだろう。

 思いながらもそこで視線を二人の去った方向に向けたのは、ざわざわと経験に拠る勘ともいうべきものがまだ何かを訴えていたから。だから。

 ぽつ、と頬を叩く雨粒。
 何かに押されるように足をそちらへ向ける。
 人通りの少ない外方向への道だ。
 気付けば空模様の程に相応しい薄暗い世界が広がって。
 緩い坂の下を見るのはすぐだった。

 雨が降る。
 泣いている、少女。
 泣きながら逃げている、一人の少女。
 誰も居ない。家路を急いで細い路地へ行ったのだろうか。
 明らかに子供を追って来たと知れる影。角を曲がって飛び出した男が小さな刃物――それでも子供を脅すには充分過ぎた――を掴んで口汚く罵りながら腕を伸ばして小さな肩を捕らえんとする。だがそれはオセロットが立ち塞がり止めた。
 自分が渾身の力で殴ればむしろ命がない。
 理解しているからオセロットは男を『撫でる』程度にして手早く縛り上げると子供を抱え上げた。
「もう一人は?」
 先程見た服装の片方だ。
 わからない、と泣きじゃくる子供。ともかくこの子を人の多い場所へ。
 踵を返して再び疾走する。
 勢いを増した雨が軍服を濡らすが構わず子供を抱え込んで駆けた。

 そうして戻った街中で、驚く適当な店舗の人間に子供を預けるとすぐさま背を向けて再びオセロットは駆ける。
 急ぎだが状況は説明した。
 しかし冒険者なりが間に合わずとも、せめて方角だけでも確かめておかなければ。

(間に合うか)
 己の親切を考える暇もなく石畳を蹴って追う。
 あるいは姉妹の片方も逃げ惑っていたのかもしれない。険しい眸が小さく動く人影を、まだ人の形とも知れぬ距離ながらじきに捕らえた。
「逃がしはしない」
 小さな呟きを落とす頃には更に距離を詰めている。
 だが遠い。強く踏み出し過ぎたか足元で石が削れていく。
 射撃にはまだ遠い。まだ距離を稼いでいない。
 出力を調整して速度を上げる。街の人々もまばらな外方向であったのが幸いした。
 石畳から剥き出しの土へ移っても微調整だけを駆ける間に済ませると足を更に蹴り上げて追う。

 担がれた少女がオセロットを見て唇を開く。
 たすけて、と届くはずもない距離を越えて拾い上げた聴覚。
 気のせいだ。聞こえる距離ではない。いかなオセロットでも拾い上げることは不可能な距離だ。
 けれど聞こえたのだと、笑み程ではないが口元を緩めた。

 命であるのか、ともかくとしても。
 何某かは確かに己にも在るのだ。

 この日に浮かび上がっていた感傷は、降り出した雨の中で追う少女を見据えて駆ける間に投げ捨てられ、あるいは奥底に再び潜り、失せる。
 ただ気に掛かっていた理由である悪意が彼女の意識の及ぶ範囲で行動に至った、その事実を見据えて追うオセロットの意識には相手を捕らえること、それ以上に少女を救い出すこと。まずそれが鮮明に色を付けて主張していた。
「待て!」
 駆ける。
 撃つにはあと少しだ。けれど相手が誰かと合流するよりも先に自分が追いつく。ならば子供の前で凶器を扱うよりも格闘で収めるべきか。考える間にも距離は縮む。
 雨が体中を叩く。小さな命が風邪をひきはしないだろうか、と頭の隅で考える。
 今の自分を為す鋼の身が、強く足元を蹴り上げた。
 小石が跳ねる音。

 ――手が届く、助け出せる。助けてみせる。

 雨に濡れて冷える鋼も今は、熱い。
 生の証、命の在り処だとだとまざと示す如くにただひたすら。

「たすけて!」

 高い声の主を励ますように微笑んで見せた。


** *** *


 キング=オセロットという、緩やかに日々を過ごす術を知る女性の中の小さな波紋。
 人為にもよるだろうし、状況にもよるだろうし、条件は様々にあるだろうけれど彼女はしばしばこういった事柄を多くは依頼として請けている。報酬は確かにあるが彼女の情によるところもまた多い。
 それは彼女の知人に問えば容易く知れるところのはずだ。

 この後?
 知る必要もないだろう。
 語る必要もない。

 彼女は雨の中で確かにもう一人を助け出したのだから。

 これは春の半ば、冬の衣裾は遠くなった季節が舞台。
 とても静かに凛と立つ女性の日々の一幕。





** *** *


 それは、真白の書が映した物語。
 望むものか、望まぬものか。
 有り得るものか、有り得たものか、あるいはけして有り得ぬものか。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【2872/キング=オセロット/女性/23歳(実年齢23歳)/コマンドー】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、雰囲気は少し違うかしらと思いつつご挨拶のライター珠洲です。
 何層構造の話なんだと言いたい流れですが、プレイングで言及していただいた内容と一緒に書に書く場面、それから中身、のつもりです。間に更に一層あるなんてそんな……!
 なおライターの中でイメージが固まって、逆に齟齬が生じている可能性もあるかと思われます。
 ちょっとこれ違う、という部分があれば仰って頂ければ幸いです。
 ご参加ありがとうございました。宜しければまた書を開いて下さいませ。