<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


戯れの精霊たち〜チェロ弾きと風の精霊〜

「いい森ですね」
 ――そう思って、デュナン・グラーシーザはこの森にやってきた。
 不思議な森だった。生物の気配がまったくしない。
 それでもどことなく穏やかな木々が、爽やかな風に揺られてさざめいている。
「ここならチェロの練習に集中できそうだ」
 どこか、腰を落ち着けられる場所はないか。
 そうやってふらふらと森の中を歩いているうちに、たどりついたのは小屋だった。
 小屋の前に、ちょうどよさそうな切り株がある――
 デュナンは切り株に腰を下ろして、抱えていたチェロを地面につけ、ふうと息をついた。
 と――
「こんにちは」
 どこからか声が聞こえて、デュナンは振り向いた。
 小屋、の入り口に。
 長身の眼鏡をかけた青年が、立っていた。
「こんにちは」
 デュナンは慌てて立ち上がろうとする。が、チェロが邪魔ですぐに動けない。
 青年は、「いいですよ」と言って穏やかに微笑んだ。
「俺はクルス・クロスエア。この森の守護者です。――チェロを弾きにいらしたんですか」
「あ、ええ。俺はデュナン・グラーシーザ」
 デュナンは座ったまま、二人は握手を交わした。
「よかったら、聴かせていただけませんか」
 物腰柔らかく、クルスは言った。
「喜んで」
 デュナンは微笑んで、それからそっとチェロの弦に弓を当てた。

 低く奏でられるメロディーが、静かな森に広がっていく。
 森がさざめいた。まるで喜ぶかのように。

 風が――
 一陣。

 デュナンの傍らを吹き抜ける。

「?」
 デュナンは奏でる手を止めないまま、不思議な風の動きに身を任せた。
 風は、まるでデュナンを囲うように吹いた。旋律にあわせ、くるくると舞うように。
「ああ」
 クルスがふふっと微笑んだ。「音楽につられたな。フェーが来てる」
「フェー?」
「風の精霊の名前ですよ」
 首だけ回してクルスのほうを見ると、クルスは微笑んだままそう言った。
「風の精霊は二人いるんですが、そのうちひとりが無類の音楽好きでね――すぐ踊りたがる」
「それが、フェーという名の?」
「ええ」
「……今、ここに来ている?」
「そうです」
 フェー、おいで――とクルスが呼ぶと、風が動いた。クルスに向かって。
 それはたしかに、意思ある動きに感じられた。
「精霊ですか……」
「ここは『精霊の森』と呼ばれています。何人かの精霊が棲んでいる――実はお願いがあるんですが」
「なんでしょう?」
 デュナンは演奏の手をやめた。
 クルスは微笑をたたえたまま、
「フェーが、あなたをとても気に入ったようだ。……フェーに体を貸してやってくださいませんか」

 青年の話はこうだ。
 この森に棲む精霊たちは、そのままでは森から出られない。
 自分は、外の世界を精霊たちに見せてやりたい。
 そのためには、誰かの体に宿らせて連れて行ってもらうしかないのだ――と。

「はあ……」
 デュナンは突然の話に、少しだけまぬけな返事をした。
「要するに……フェーさんを俺の体に宿らせればいいんですね?」
「ええ、よろしければ」
 デュナンは少し考えた。が、特に断る理由がない。
「まあ、時間もありますし。いいですよ」
 風がデュナンにまとわりついた。――これが精霊なのか。

 意識を重ねる瞬間はほんの一瞬――
 体の中を、風が吹きぬけるような感覚。

『わーい!』
 頭の中で、小さな女の子を思わせる声が響いた。
『楽器、楽器! わーい!』
「あなたがフェーさん?」
 頭の中で、風が巻き起こるような不思議さ。
『私、フェーだよ。あなた、でゅなん?』
「デュナン、ですよ」
『でゅなん』
 ……微妙に発音が違うが、まあいいだろう。
「しかし……森の外ですか」
「ええ」
 クルスが微笑ましげに目元を和らげ、「そいつは気まぐれですが、いい子です。連れて行ってやってください」
「はあ……何か、気をつけることは?」
「そうですね。気をぬくと空を飛んでいきます。あと踊りだします」
「………」
 それは重要な問題な気がしたが、とりあえずデュナンはうなずいた。
「まあ、なんだか森の外に出るのが怖い気もするけれど……」
『森の外、行こっ』
「ふむ……」
 楽しげな少女の声を無下にはできなかった。
「そうだな……じゃあ、森の外で一緒にチェロ弾いてみる?」
『うん! うん!』
 フェーは簡単に同意した。
 そんなわけで、デュナンは風の精霊を体に宿したまま森の外から出ることにしたのである。

『私ね、踊るのが好きなの!』
 フェーは朗らかに頭の中で言った。
『だからね、音楽大好きなの!』
「そうかい」
 デュナンは微笑んだ。エルザード聖都に戻って、天使の広場へとやってくると、
「聴くだけじゃなくて一緒に奏でてみようか」
 噴水の囲いに腰を落ち着ける。
『音楽! 私踊っちゃう!』
「いや……弾くからね。踊るのは堪忍してくれないかな」
 踊りながら弾けたら立派な大道芸である。第一、次に弾くときに「前のときみたいに踊れー!」と野次られても困る。相当に困る。
「まずは俺が弾いてみるからね」
 デュナンはチェロを構えて、弓を当てる。
 低めの柔らかな音が、天使の広場の空気を変える。行き交う人々の足を止める。
 子供たちが集まってきて前に座った。やがて大人たちも。
『わあ、ニンゲンがいっぱい!』
 フェーは興奮したように言った。『ニンゲン! ニンゲン!』
 デュナンは一曲弾き終えた後、
「さあ、今度は君の番だよ」
『え? 私も弾くの?』
「弾いてごらん」
『わーい!』
 体の支配権をフェーに渡すと、フェーは大喜びで弓を動かし始めた。
 ぎーこぎーこぎーこ
 先ほどとはまったく違う音色に、聴きに集まっていた人々が仰天する。
 ぎーこぎーこぎーこ
「いい音でないよ〜」
『焦らずに。俺がやってたようにやってごらん。あ、それと女言葉は勘弁してください』
「オンナコトバ? 分かんないけど、分かった」
 ぎーこ ぎーこ ぎーこ……
 音は素晴らしくへたくそなのに、フェーはやたら楽しそうに弾いた。
 ぎーこぎこ ぎーこぎこ ぎこぎこぎーこ ぎーこぎこ
「たのしーい!」
 一体何がそんなに楽しいのか、精霊は声をあげる。
『よかったね』
「うん! ええとこうやってこうやって」
 ぎこぎこいっていた音が、やがて正しく音を奏で始める。好き勝手弾いてるわりには、音楽好きなだけに上達も早いらしい。
「えへへっ! いい音が出るー!」
『いや、だからしゃべり方に気をつけて――』
「綺麗な音ー!」
 きゃはは、とフェーは言うことを聞かずに笑った。
『だから女言葉は……』
 デュナンはため息をつく。
 それにつけても、ハイテンションな精霊だ。風の精霊とはこんなものなのだろうか?
 フェーの無茶苦茶な演奏は、しかしなぜか人を集めた。好奇心がほとんどだっただろうが――そのうちに人々が陽気な表情になる。
 フェーの明るさは、どうやら表情に、体の動きに出ているらしい。
 それが、人々にうつっているのだ。
 フェーはやがて、歌いだした。風のような歌を。
 人々の間を吹き抜けるような、人々の頬をかすめていくような、爽やかな、伸びやかな。

 デュナンは不思議な心地に陥る。
 このまま世界中へと飛んでいけそうな、風に乗るような心地。

(そう言えば……)
 デュナンはふと思い至る。
 音――それは空気を震わせること。
 風――それは空気そのもの。
 音、すなわち風。風、すなわち音。
(だからなんでしょうか……)
 フェーが明るく笑えば、いたずらな風が吹いたときのように皆は軽く笑い、
 フェーが優しく旋律を奏でれば、優しい風が吹いたときのように皆は穏やかな気持ちになり、
 フェーは……
 音楽、そのものなのかもしれない。

 フェーのかき鳴らす音楽は風。
 風が吹き、旋律をより遠くへと。
 それほどうまい演奏ではないというのに、人がどんどんと集まってくる。
 デュナンは心地いい気分になった。
(そうだ……音楽と風は一体ですね……)
 ――当たり前のことを、改めて実感できたことが嬉しくて。

 旋律は広がっていく。世界へ、人の心へ。どこまでも、どこまでも……

     **********

「やあ、お帰り」
 『精霊の森』の小屋に戻ると、クルスが外に出て待っていた。
「フェーが満足そうな顔をしているな。ありがとうございます、デュナン」
「とんでもない。俺こそ満足です」
 デュナンは笑った。

 今度は体の内側から風が吹き出すような感覚――
 フェーとの分離が終了した。

「……ん? なんだ? フェー」
 クルスが虚空に向かって話している。おそらくその視線の先にフェーがいるのだろう。
 デュナンは、フェーがどんな姿をしているのか知りたくなった。音楽そのものの精霊……
「デュナン」
 クルスの視線がデュナンに来る。
「はい?」
「フェーが、あなたの演奏で踊りたいと言っています。演奏していただいていいですか?」
「踊り……ですか」
 デュナンが小首をかしげると、クルスは微笑んだ。
 そして、虚空に向かって指をつきつけた。
 その指先に光の粒が生まれる。たくさんの、きらきらと光る粒子が――

 ――行け

 命じる声のままに、光輝く粒子はどこかに向かって一直線に走る。
 そして、ある一点でふわりと何かを包み込むように止まった。
 人の形の輪郭を飾るように――
 やがて粒子が弾けて消えた。
 同時に、
 ひとりの少女が、空中に生まれた。

『きゃははっ! でゅなん、踊りたいよ〜!』
 まだ十歳ほどに見える少女は、くるくると虚空で踊るように回りながら言ってくる。
 声が……
「フェー?」
 デュナンは呆然として声をかけた。
『フェーだよ。私、フェーだよっ』
 ぴたりとデュナンに体を向けて止まり、フェーはにっこり微笑む。
 体にまとっている薄黄緑のレースの衣が、空中でふわふわ浮いている。
『ね、踊らせて?』
 フェーはかわいらしく首をかしげてにっこりした。
 デュナンは微笑んだ。
「喜んで」

 切り株に腰かけ、チェロを構え、弓を弦に当てる――

 目の前でフェーがひらひらと飛んでいる――

 弓が、

 ゆっくりと、

 弦を、

 ――……

『きゃはっ! きゃはっ! でゅなんの音、好き!』

 フェーが舞う。

 旋律が森の木々をさざめかせる。

 フェーの薄黄緑の衣がふわりと虚空で揺れる。

 風を感じた。

 音楽と風は一体――

 デュナンは風とひとつになる感覚を覚える。

 風が自分に宿る感覚は、フェーのおかげでもう分かっていた。

 風とひとつになる――

 しなやかに動く指先、弓、そして体。

 目の前で踊るは風の精霊。

 この音はどこまで届くのだろうとふと思った。どうせならば――

 フェーの踊りも、ともに見てほしい。

 風のようにふわふわと、時にいたずらに、時に優しく、くるくると舞うこの精霊を見て欲しい。

 それは風。笑顔を持つ風。

 そう、フェーは笑っている。

『でゅなん、もっともっと!』

 言われてデュナンは微笑んで。

 そして弓を動かす手に少しばかり激しさを増して。

 フェーが笑う。そしてリズムに乗って踊る。

 ああなんて――

 何て自然なリズム、なのだろう……

 こんな音も出せたのか、とディナン自身が驚く音もあった。

 こんな音色を出してくれるのかと、相棒のチェロを頼もしく思った。

 それに気づかせてくれたのは、まぎれもない、目の前で舞う精霊……

 世界中にこの音を届けたい。

 同時に、この精霊のためだけに音色を奏でたい。

 相反する想い。けれど自然にわきあがり、デュナンの中では何の疑問もなく。

 デュナンの心も躍りだしたような気がした。うちからうちから湧き出してくる何かが、弓を動かし指を動かし、そして体を揺らして。
 風の精霊とともに、踊っているような気がした。
(踊りながら、演奏することも、本当はできるのかもしれませんね――)
 そんなことを思って笑った。
 新しい発見。知っていたはずのことを新たに知ること。
 今日は素晴らしい一日だ。
 それをこの音色に乗せよう。そう、
 すべては精霊のために。そして世界中に届けるために――


 ―Fin―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0142/デュナン・グラーシーザ/男/26歳(実年齢36歳)/元軍人・現在何でも屋】

【NPC/フェー/女/?歳(外見年齢9歳)/風の精霊】
【NPC/クルス・クロスエア/男/25歳(実年齢不明)/『精霊の森』守護者】

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■         ライター通信          ■
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初めまして、笠城夢斗と申します。
このたびはゲームノベルへのご参加ありがとうございました!遅刻納品申し訳ございません。
音楽と風の精霊は、とても相性よく、書いていて心地よかったです。ありがとうございました。
よろしければまたお会いできますよう……