<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


戯れの精霊たち〜水の巫女〜

 月明かりがいつもよりまぶしい。
 ――心が躍っているせいだ、とレピア・浮桜は思う。
 いつもとは違う服装で少し動きづらい。けれど彼女は走っていた。
 エルザード聖都とは少し離れた場所――

 『精霊の森』へ。

「やあ、いらっしゃい」
 と森の守護者クルス・クロスエアは言った。
「こんばんは。いい夜ね」
 レピアは彼に軽く踊り子風の礼をした。
「ああ、いい月夜だ。……今日はいつもの踊り子の服じゃあないんだね」
「ええ」
 いつもより少し露出のおさえられた服。胸元は青い宝石で飾っている。そして髪を銀細工のティアラが飾り、その中央部には胸元と同じ色の宝石が取り付けられ、レピアの額で静かに輝いていた。
「遅くなってしまったけれど――」
 レピアは弾む心でクルスに言った。
「約束どおり。マームをあたしに宿してくれる?」

 『精霊の森』――
 そこは精霊たちの棲む森。普段は誓約により森から出られない精霊たちを、森の外に出してやりたいと願ったのがクルスだった。
 彼は独自の方法を生み出した。すなわち、他人の体に精霊を宿らせること――

 森にはたったひとつだけ、泉がある。
 その泉に精霊がいる。マームという名の女性の精霊が。
 レピアはかつてマームと話したことがあった。そのときに約束したのだ。いつかマームを自分の体に宿らせると――

 クルスに促されて泉に行くと、泉はいつもどおり静かに水をたたえていた。
 ――変わりない。マームの泉だ。そのことが嬉しくてレピアは微笑む。
「マームが喜んでいるよ」
 クルスが言った。彼には、普段人には見えない精霊の姿も見えているし声も聞こえている。そのことが少し羨ましい。
「マームは元気?」
「それは宿してみれば分かるんじゃないかな」
 クルスはいたずらっぽく言って、「それじゃ……早速」
 と泉に――マームに向かって手をさしのべた。

 意識を重ねる瞬間は、まるで水が体中に染み渡っていくよう――
 心地いい、とレピアは思った。

『こんばんは、レピアさん』
 頭の中で、懐かしい声がした。
 ああ、本当に変わらない。これはマームの声だ。
「遅くなってごめんね、マーム」
 レピアは少し冷えたように思える体をいとおしく思う。それはマームが宿った証だから。
 重なった意識の中で、マームが嬉しそうに微笑むのが分かった。
『レピアさんが元気でよかった』
「マーム……マームも元気でよかったわ」
 遅くなってごめんなさい――と、レピアはもう一度繰り返した。
「この服ね。水の巫女の装束なの。これを親友のエルファリアに頼んで取り寄せてもらっていたから――時間がかかっちゃった」
『とても似合います、レピアさん』
 心から褒められていることが文字通り心から伝わってきて、くすぐったい気持ちになる。
「ねえ――」
 レピアは傍らで見ていたクルスに顔を向けた。
「あなたも、少し、話を聞いてくれる?」
「僕でよければ」
 とクルスは微笑んだ。

     **********

 レピアは装束が濡れるのも構わず、マームの泉のほとりに座り込み、足を泉にひたす。
 冷たくて心地よかった。
「ここにいればマームも少しは落ち着くでしょう?」
『ありがとう、レピアさん』
 ほんのりと安心感が伝わってくる。やっぱり自分の泉にいるのが一番なのだろう。
 クルスはレピアの隣で片膝をついた。
 レピアは少し足を動かしてみる。
 泉の水面に、波紋が広がる。静かな、穏やかな。
「この装束はね――」
 胸元の青い宝石に手をやりながら、「水の巫女の装束なんだけど……水の巫女……シャーマンっていうのはね、私の国では水の精霊を身に宿して、その力を正しく使う……そういう存在だったのよ」
「水の精霊を身に宿して、か」
 クルスが感慨深げにつぶやいた。そうよ、とレピアはうなずいた。
「あたしはそのシャーマン見習いだったけれど……落ちこぼれだった」
『レピアさん……』
「いいのよ。仕方なかったんだから」
 レピアは軽く笑う。
 ――もう過去のことだ。
 足を動かすと、水面の波紋がいっそう広がり、
 泉に映っていた月が少し形を変えた。
「あるとき……水の精霊の神殿に、ひとりの踊り子がやってきたんだ」
 目を細めて、水面に映る月を眺める。
 輪郭がゆらゆらと揺らめいて、それでも輝いたままで。
 何だか今の自分の心のようだと思った。
「――『浮桜』っていう名前の踊り子だった……」
「ん? それじゃあキミは――」
 クルスがレピアを見る。
 レピアはうなずいた。
「ん。あたしはその人に踊りを習った。その人はあたしの師匠よ」
 踊り子にならないかと誘われて――
 とても心が揺らいだ。
 『浮桜』の踊りは、とても豊かな感情を表現する、美しい踊りだったから。
「でも、正直に言えば即断はできなかったけれどね。あたしは水のシャーマンにだって本気でなりたかったから」
『レピアさん……』
 頭の中で、穏やかなマームの声がする。
『伝わってきます……レピアさんは本当に、水の精霊が大好きでいらしたんですね』
「そうよ」
 ――心が直接伝わる。
 何て素晴らしい心地だろう。
「でも、あたしは踊り子になることを決めた」
 レピアの視界には、ゆらゆらと揺れる水面の月。
 ――あの頃の自分の心のように。輝いているけれど輪郭は揺らめいて。
「それで……あたしは水の精霊を宿せる力を悪用しないよう、水の精霊の神殿の地下で十二年間封印された。石版に……」
『………』
 マームが押し黙る。
 けれど、心は伝わってきた。
 ――マームは、悲しいと思っている。
 レピアが封印されていた期間が苦しかったことが伝わって、マームも苦しく思っている。
「マーム……ありがとう」
 レピアは微笑む。
『え……?』
 マームが不思議そうな声を出した。
「何でもないわ」
 レピアは泉の水をすくった。
 さらさらと、水は指の隙間から流れ落ちた。
「今でも、水の精霊は大好き……」
 もう一度すくう。
 指の隙間から逃げてしまう水が、そんな水がいとおしい。
「だから、マームに出会えてよかった。また水の精霊をこの身に宿らせることができるなんて……」
 濡れた手で、胸元をそっと押さえた。
 とくん とくん 鼓動が伝わってくる。
 この心の中に、今。
 大好きな精霊が、いる。

 ぱしゃん

 足を大きく動かして、水面の月を揺らした。
 どれだけ形を歪まされても。
 月はどこまでも輝いていた。
「――消えないのよ、あたしの心からも、光が……」
 レピアは立ち上がる。
「昔も思ったっけ……水の精霊を宿したまま踊りたいって」
 ――その夢が今、叶う。
 レピアはそっと手を天にかざした。
 しなやかな腕が、空気をつかむように動く。
 いつもつけている貴金属がない。
 代わりに衣擦れの音が、レピアの動きを飾る。

 さら さら さら

 ふわ ふわ ふわり……

 レピアは踊りだした。
 どこか神聖で
 どこか優しげで
 どこか憂いを帯びて
 そしてどこか幸せそうで

 さら ふわ さらり

 ふわ さら ふわり

『レピアさんの体の中は、心地いい……』
 マームがつぶやいた。
『あなたの心……とても心地いい……』
 レピアの顔に微笑みが浮かぶ。

 さらり さらり さらり……

「マーム、一緒に踊りましょう」

 ふわり ふわり ふわり……

 踊っていると必ず感じる、内から湧き上がってくる熱が今日はない。
 けれどそれも、水の精霊を宿しているせいなんだと思えば気にならない。

 腕を動かせば衣擦れ
 さらりと腕から落ちてくる透ける布が
 とん、と地を蹴ってターン
 ふわりと広がる布が

 マームが身を任せてくれているのが分かる。
 ――マームとともに踊っている。
 ふと、マームから何かが伝わってきて、レピアはそれを実行した。
 両手を空中で、まりを持つように丸く形づくると、あっという間にそこから水が湧き出した。
 レピアはそれを空へと放り上げた。
 ――雨のように水が
 ――きらきらと月明かりを反射させる水が
 レピアは何度も水を生み出し、それを空へと放り投げた。
 雨が降った。きらきらと輝く雨が。
 不思議な不思議な雨が。
 その雨を浴びながら、レピアは踊る。濡れることなど最初から厭っていない。
 肌からしみこんでくる水の冷たさが心地よくて。
 ふわあっと全身を広げると、冷たい水気に空気が当たって、ひんやり冷えた。
 レピアはくすくす笑った。
 ああ、どこまでも気持ちいいんだろう――

 レピアは踊る。マームを宿して踊る。
 マームに踊りを教えるかのように踊る。
 自らの幸せのために踊る。
 踊る。踊る。踊る。

 このまま、呪われた時間――朝が来たって構わない。
 踊っていたい。このまま踊って 踊って 踊って

 ――……

     **********

 レピアは呪われた身。神罰<ギアス>のために、太陽が昇ると石化する。
 レピアは石化が始まる直前にマームを解放した。
 そして、笑顔で石となった。

 石化が解けたとき――
 傍らにはクルスがいて。
「……もう、夜?」
 レピアは思わずつぶやいた。いつもよりずっと早く呪いが解けた気がする。その不思議な心地。
 クルスは笑った。そして、
「もう帰らなきゃならないだろうけど、もう少しつきあってくれるかな」
「え?」
 青年が泉に向かって指をつきつける。
 その指先に、光の粒子がたくさん生まれる。

 ――行け。

 命ずるがままに、光の粒が一斉に一点を目指して走る。
「あ……」
 レピアの胸が弾んだ。これは――
 光の粒は、やがて人の形の輪郭を飾るように集まって、
 弾けた。
 そして代わりに現れたのは、透き通った体を持つ女性――
「マーム!」
 レピアは泉のほとりに駆け寄る。
 泉の上空にふわふわと浮いて、インパスネイト、《擬人化》されたマームが微笑んでいた。
『レピアさん』
「マーム……姿も見られて嬉しいわ」
『その……踊りを』
「え?」
 レピアが小首をかしげる。
 マームが頬を染めた。
『踊りを……せっかく教わったので……見て頂けますか』
 レピアは目を丸くした。
 それから、破顔した。
「もちろん……!」

 マームの踊りはどこかぎこちなく、そして初々しく。
 レピアは胸が温まるのを感じた。
 マームの踊りは……その踊りが表す感情は……すべて、自分に向けられた愛情だと、伝わってきたから。
(マーム……素敵よ。相手に伝えられるなんて……最高の踊り手だわ)
 精霊の踊りが終わる。レピアの拍手が森にこだまする。
「マーム! 素敵だったわ――!」
 レピアは水際までやってきたマームの手を取った。
 マームは照れたように微笑んで、
『レピアさんの踊りで……踊りで人に気持ちを伝える方法を学んだ気がしたから……。実践できたでしょうか?』
「マーム……もちろんよ!」
『よかった……』
 マームはそっとレピアの手を握り返して、微笑んだ。
『私たちは、“しまい”でしたよね、レピアさん』
「ええ、ええ、姉妹だわ」
『今回お会いできたことで、もっともっと強く“しまい”になれた気がします。違うでしょうか?』
「そうね、そうね……!」
 涙が一粒こぼれた。
 ああ、あれほど焦がれた水の精霊と、こんなにも強くつながって。
 ああ、涙がとまらない。
 当然ね、マームは水の精霊だから。

 ――あなたは水の巫女ですとマームが言った。
 ――だってこうして私に色々なことを教えてくれる。
 ――あなたはまぎれもなく水の巫女です、と。

 ――マーム、あなたこそ。
 ――あなたこそ水の巫女なのかもしれない。
 ――こうしてあたしを喜ばせてくれる、あなたこそが……

 二人は一晩中手を握り合っていた。
 温まらないマームの手。そんなこと気にしない。
 放したくなかった。宿っていなくてもお互いに伝わった。

 あたしたちは水の巫女――

 二人でひとつの水の巫女――

 朝日が昇る。レピアの石化が始まる。
 レピアは涙を流しながら。嬉し涙を流しながら、そうしてそのまま石になった。
 姉妹たる水の精霊が、ずっと手を握っていてくれることを確信しながら――


 ―Fin―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1926/レピア・浮桜/女/23歳/傾国の踊り子】

【NPC/マーム/女/22歳/泉の精霊】
【NPC/クルス・クロスエア/男/25歳/精霊の森守護者】

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■         ライター通信          ■
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こんにちは、お久しぶりです。笠城夢斗です。
今回はお約束どおり森にいらしてくださってありがとうございました。
水の巫女の装束で踊っているところを表現するのは難しかったですが、レピアさんが気持ちよく踊ってくださっているととても嬉しいです。
本当にありがとうございました。
またお会いできることを願って……