<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


【楼蘭】藤・酔恋


 娘が一人、今年も見事に咲いた楼蘭の端にある藤棚へと走る。
 この藤の時期にだけ訪れる薬師が、なんとも不思議な酒をくれるらしい。
 それは藤の力を込めた、不思議な不思議なお酒。
 好きな人に飲ませればたちまち恋の虜になるという。
 そんな噂を聞きつけ、毎年藤棚には歳若い娘が集まるという……


 そんな噂を聞きつけ、シェラ・シュヴァルツは件の藤棚へと足を運んだ。噂では若い娘達が集うと聞いたのに、どうしてだろう、人っ子一人見当たらない。
 いや、見当たらないと言うのは御幣か。
 少年が一人、藤棚の下でのんびりと藤を見上げている。
 風貌は―――薬師。
 ならば、彼が藤の力を込めた酒を配っていると考えるのが妥当。
「こんにちは」
 シェラはすっと少年に向けて声をかけ、その顔を覗き込めば、少年は全て知っていると言わんばかりのどこか達観した笑顔で1つの薬瓶を取り出した。
「どうぞ。お代はいらないよ」
 シェラはそんな用意周到ぶりに些か驚き一瞬瞳を大きくするが、噂を思い返してみればこの目の前の薬師が取った行動は間違いではない。
「ありがとう」
 たとえ幾つになろうと、結婚して何年と月日がながれようとも、いつまでたっても女心は変わらないもの。
 昔は告白もプロポーズも自分からだった。だけど、捕まえるだけではなくて、捕まえて欲しい。
「程ほどにね、太太(奥様)」
 ひらひらと手を振る薬師にシェラは笑顔で振り返った。
 後日、シェラは腕によりをかけて作った弁当を手に、藤棚へと急ぐ。
 夫であるオーマ・シュヴァルツに、
「綺麗な藤棚があるから花見でもしないかい?」
 と、誘い、早速腕によりをかけて…と、弁当を作ろうとしたオーマを先に追いたて、一生懸命弁当を作り上げた。
 今では先を行ったオーマが藤棚で一人待っていることだろう。
 シェラは少女の頃に戻ったかのようにうきうきとした気持ちを抱え、藤棚へと急ぐ。
 勿論オーマにはこの料理の中に当時を再現させるために、一次記憶喪失になるオーマ所持の薬草が混ざっているのは秘密だ。
 そしてこの薬草の効果でKOした所に酒を飲ませる。
 完璧だ。
 しかし、そんな事しなくても料理の味だけで相手をKOさせられると思うのだが、それを言ってしまってはどんな返り討ちが来るか分からないので黙っておこう。
「待たせたね」
 シェラは片手をあげて、藤棚の下にしつらえられた木のベンチに腰掛けるオーマを呼ぶ。
「いや、この藤はぁ、眺めてるだけで時間を忘れそうだ」
「そうだね」
 オーマの視線に促されるようにシェラは髪をかきあげて藤を見つめる。
 仄かににおう藤の香り。
「さ、オーマ。食べておくれ」
 今日は一段と腕によりをかけてきたから。
 にっこりとシェラは微笑んで、御重の蓋を開ける。
「お…おう」
 花見といえば、花見弁当は欠かせないのだから、違和感はないのだけれど、シェラの料理の腕前を熟知しているオーマは冷や汗を盛大に流し、箸を持つ手が震え、もしその場にいたならばゴクリと決意のつばを飲み込む音が聞こえたかもしれない。
 箸で玉子(だと思う)を掴む、シェラの顔を見る。
 にこにこにこにこにこ。
「遠慮しなくていいんだよ?」
 食べさせてあげるよ。仕方ないねぇ。と言わんばかりの表情で、シェラはマイお箸で料理を掴むと、
「っちょ、待って。お願い!」
 オーマの静止の声を無視して口へとドンドンと運んだ。
 ごくん。と料理が喉を通り、オーマは見上げた藤の花が歪むのを見る。
「……っ?」
 料理の効果だけで充分昇天しかかってはいたのだが、それはいつものことで多少の耐性もついていたのだろう、何か別のものが入っていたらしいことに気付く。
 しかし、それをシェラに問いただそうとそっと彼女の顔を見れば、逆光で口元だけが弓形に笑っている姿を見た。
(……☆&%■☆!?)
 完全に目を回して藤棚で倒れているオーマの傍らに、シェラはゆっくりと膝を付く。
「さて……」
 薬師から貰った小さな薬瓶。
 シェラはそっとその藤の香りが漂うお酒を口に含むと、そっとオーマに口付けた。





 目が覚めたとき、何故だか知らないが紫の細かい花が咲く庭園の下で倒れていた。
 確か、藤棚と言ったと思う。
 銀髪赤目の青年は曖昧な記憶を手繰り、何故ここに自分がいるのだろう? と辺りを見回した。
 たったと藤棚に駆けて来た少女の姿を目に留め、青年は顔を輝かせる。
「彼女……あぐっ!」
 しかし後頭部からの強烈な打撃に青年の言葉は最後まで紡がれる事なく途切れ、少女が去っていく姿に落胆に肩を落として、怒りに瞳を燃やしつつばっと振り返る。
「何す……!?」
「目覚めて直ぐそれかい。オーマ」
 完全に愛用の鎌を持ち、呆れ顔でそこにいたのはシェラだ。
 いや、ずっといたのだけどもオーマが気が付かなかっただけで。
 シェラはすっとその得物である大鎌をオーマに向けて、にやりと強気な笑顔を浮かべる。
「さぁ、始めようか」
 そしてその一言に、オーマははっとしたように顔をゆがめ、瞬間に間合いを取った。

―――勝った方が、何か云う事を1つ聞くこと

「なんだよ、おい、勝った方がって……!」
 銀髪の若返ったオーマは、シェラが口にした少々おかしい賭けに悪態をつきつつも、繰り出される鎌の軌跡を紙一重で避ける。
 そのたびにギリギリで通り過ぎるシェラの舞う髪と、強気な笑顔に心臓の鼓動が早くなるのを感じる。
(なんなんだよ! なんなんだよ、俺はよぅ!!)
 オーマはどこか恥かしさなのか別の理由なのかは分からない、紅潮する自身の顔を手で押さえつける。
 逃げようとも逃げることは叶わない。
 ならば勝つか、負けるか。
 藤棚から離れた草原で、シェラの鎌が三日月の軌跡を描く。
 応戦するためにオーマも両手に大剣を携える。それは巨大銃器と姿が酷似し全てのものが過去へと戻っていた。
 強気な笑顔で折角広げた間合いさえも一瞬で詰めてくるシェラに、ただただオーマは翻弄されるのみ。
 いつもの俺だったら…!
 そんな言葉がオーマの中を駆け抜けていく。
 だけれど、その言葉さえも生まれてくる胸の鼓動の早さに掻き消える。
 なりあう金属音。
 カウンターどころか繰り出される鎌に応戦するだけで精一杯のオーマ。
 綺麗な女性(ひと)だ。
 そして強い女性。
 綺麗なだけならばオーマから声をかけていただろうが、シェラからはオーマが苦手とするオーラが立ち上っている。
「どうしたんだ!?」
 殆ど応戦一方のオーマにシェラの声が響く。
「本気で来ないとその首が胴体から離れるよ!」
「ちっくしょ…」
 半分挑発とも取れるその言葉にオーマは不機嫌に顔をゆがめ悪態を付くが、どうにもどこかで渦巻く良く分からない気持ちのほうが主導権を握っているのか、身体は上手く動かない。
 具現の能力を使おうにも、生み出されるのはへんてこ物体ばかり。
「なんだよ! 俺ぇええ!!」
 自分で自分が良く分からずにオーマは叫ぶ。しかしシェラの攻撃は止まない。
 時間としては一瞬。しかし、当事者達にはまるでスローモーションのように、シェラはオーマの間合いに飛び込み優しくそっとその頬に触れ、瞳を見つめた後、鎌の柄を薙ぎオーマの身体を吹き飛ばした。
 オーマは飛び上がった体勢から迫り来る地面をきっと見据え、空中で回転するとざっと地面に降り立ち、地面の肩膝をついてぐっと口元を拭う。
 きっと余裕の顔つきで微笑むシェラを見据え、大剣を持つ手に力を込める。
 やられたままで、終りたくない。

 だけれど、その微笑の下にあるものは―――

 オーマの大剣が地面に突き刺さる。
 そして、地面に倒れたオーマを押さえ込むように、シェラはその上から座り込んで、鎌の刃を器用にオーマの薄皮一枚に当てる。
「あたしの勝ちのようだねぇ」
 少し蒸気した頬で眉根を寄せて肩で息をするオーマと、流石に全盛期のオーマと対峙したせいか同じように肩で息をしながら、シェラはにっこりと微笑んだ。
「さぁ、どうする?」
 まるで最初から勝つことを予想していたかのような台詞。
 シェラはオーマの口から言って欲しかった。だから、普通だったら勝った方“の”云う事を1つ聞くという賭けが、勝った方“が”云う事を1つ聞くという形にわざと変えたのだ。
 愛していると言って欲しいけれど、この極限とも言えるような状況からの、オーマの本心が聞いてみたくて。
 オーマは首元ギリギリに当てられた鎌の刃にちらりと横目を向けて、一度長く細く息を吐く。
 ゆっくりと一度瞳を瞬かせて、真上から覗き込むシェラの瞳を真正面から捉えた。
「俺を捕まえるのか?」
 オーマの記憶は薬草の影響でシェラに出会う前まで戻ってしまっている。そして、シェラは当時オーマを追いかける立場にあった者。
 だけれど、シェラはそんなオーマの問いには答えずにただ微笑むのみ。
「なぁ、それよりも」
 オーマは地面に横たえていた手をゆっくりと持ち上げシェラの頬に触れる。
 そしてそっと指先を動かし、その唇に触れた。





 ゆっくりと寄り添うようにして二人は藤棚へと戻ってきた。
 違うのは、オーマの姿が黒髪だったのが銀髪になって、見た目も少しだけ若返っているようにも見える。
 人が見当たらない藤棚は、もしかしたら別の力が働いて他人を見えないように工夫されているのかもしれないが、逆のそれが2人には丁度よかった。
 風の音と共に揺れる紫の花の房。
 匂いがあるようなないような―――そんなさり気ない香りが辺りに広がっている。
「おや」
 そんな藤棚の先、藤の下で立ち尽くす薬師に気付き、シェラは視線を向ける。
 その声に気がついたのか、薬師はそっと振り返った。
「これは仲睦ましいことで」
 胸の前で手を合わせているのか、両の長い袖口どうしが合わさり手先が見えない。
 シェラはそっとその薬師の元へ歩み寄り、
「ありがとう」
 軽くその小さな身体を抱きしめて、頬にキスをした。
「それは異国風の礼と取ってもいいのかな?」
 薬師はまるで驚いた様子もなく、いつもの笑顔でシェラに問う。
「あぁ、勿論」
 その光景を複雑な表情でオーマが見つめていたが、シェラにとっては本当にただのお礼に過ぎない。
 シェラはそのまま薬師の耳元に疑問を述べる。
「噂で聞いた仙人様…だね?」
「私はただの旅の薬師だよ」
 シェラの言葉を遮るように薬師はにっこりと微笑みそっと呟く。そして、
「向先生何好(旦那さんによろしくね)」
 と、一言残して風と共に消えていった。
「やきもきしたかい?」
「いいや」
 オーマはゆっくりとシェラの元へと近づき、そっとその肩を抱きしめる。

―――シェラは俺を愛してる。そうだろう?

 そして、誰も居なくなった藤棚のベンチに2人より沿い、その匂いが消えるまで静かに流れ行くときを楽しんだ。










☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【2872】
シェラ・シュヴァルツ(女性・29歳)
特務捜査官&地獄の番犬(オーマ談)

【1953】
オーマ・シュヴァルツ(39歳・男性)
医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 【楼蘭】藤・酔恋にご参加ありがとうございます。ライターの紺碧 乃空です。飲む側飲ませる側で少々描写を変えようかと思ったのですが、これは一気に真っ直ぐにしたほうがいいかもしれないと思い、同一ノベルとなっております。ご了承くださいませ。
 お久しぶりでございます。戦いから愛を確かめ合うという関係は、ロシア民話の若返りのリンゴと命の水などから感銘を受けまして、勝敗自由とありましたがもう負けるしかないなと決めていました(笑)余談ですが、民話のほうでは、男性は勝った女性にキスを願っています。
 それではまた、オーマ様に出会えることを祈って……