<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


ピカレスク  −路地裏の紅−


******


■序章


薄く雲が張った空には、嵩を被った月がある。

それは、とても紅く、陰惨な光を放っていた。

そんな中、婦人は一人立つ。

両手には血に塗れた短剣を持ち

足元には数人の死体。

短剣は、ぬめった液体を被ったままに、鈍く月光を反射する。

婦人の影は薄く延び、それは何処までも、延々と続いているようにも見えた。





「こりゃあ、見事なもんだな」

昨晩の殺人事件、その検死に駆り出されたのは医師、オーマだった。黒髪を軽く手で掻き、死体を見る。被害者は軍人と言う事もあって、軍も躍起で犯人逮捕に力を注いでいた。
死因は失血でのショック死だろうか、見事に頚動脈をすっぱりと一太刀入っている。おびただしいほどの血が首の皮膚へとへばり付き、元々は動脈なのだから…鮮やかな赤をしていただろうに、今ではその欠片すらも伺えない黒い固体と化している。
注意深く視線を注ぎ、遺体を調べている。此れは玄人の仕業だろう、そう思える点が幾つも見当たった。…試す意味はあるだろう、オーマは惨殺死体の首筋をすっと撫で、一つ息を吐いた。

「…悪いが、少しコイツと二人にさせてくれねえか」

他の検死官たちへとそう声をかける。少しほど検死官たちはざわめいたが、オーマの声はとても真摯なものだった。納得したのだろう、皆は検死室から出て行きオーマは遺体と二人きり。澱んだ眼差しはオーマを見ようとはしない、ただ虚空を見つめているだけだ。

「さ、お前さんの言いたい事、全部俺に言っちまいな。…楽になるぜ」

オーマは緩く笑みを紡ぐ、遺体は喋らない。しかし、オーマの目の前には一人の婦人の姿が投影された。黒髪の、紅いドレスの婦人、後姿でぐっと両手に短剣を握り締めている。何処となく、その背は小さく…とても、か弱そうにも見えた。どうやらそれは、死者が最後に見た光景らしい。真夜中、紺色の天鵝絨に白い半月が上方に浮かんでいた。
…オーマの目が軽く瞬いた瞬間、その映像は煙が掻き消えるようにして消えてしまう。あっという間だった。また、オーマは遺体の首筋を撫でてやる。

「…ありがとよ」

一言、短くも、温かみのある声を一言、今はもう返答できぬ…身体となった遺体へと振りかけ、開いたままの目を閉じさせてやった。目を瞑ったの遺体は何も喋りはしない、触れたオーマの指先には、死者の冷たさだけが残っている。
さて、オーマは一つ目に見得た情報を整理する。黒髪、紅いドレスの婦人…。短剣は両刀。主に実行時間は夜。

「赤、ねえ」

…あれは生命を表す色でなかったか?生命を現す者が、人の命を狩る者か。皮肉なもんだと、オーマの口元には苦笑が浮かんだ。



■■

闇は見事に透明な蒼色の空を食いつくし、その大きな身体で世界を覆った。今宵は雲ひとつ無い晴天だが、浮かぶ月は欠けている。小説に書かれたものとぴったり同じ。まるで世界があの小説を模倣したかのように動いている。
白く細い手に在る一冊の本、壁にもたれ路地裏でまるで誰かを待つようにしている女が一人、…赤毛の…シェラ・シュヴァルツ。

「おそいねえ…」

待ち人は未だ来る気配は無い、息を吐けばゆれる赤毛。其の時、白い肌に濃く映る影が一つ。影からして大きな体躯、シェラは誰だか分かっていたようにゆるりと顔を上げる。影の持ち主は少し眼鏡を指先で掛け直した。

「未だ来てねえか?」

オーマ・シュヴァルツは低く重圧のある声でシェラへと問いかけた。それは赤毛の妻も待っているだろう、殺人鬼の事を指す。月は欠けようとも強く街を照らし出し、今宵はとても明るく白夜とでも言おうか。
オーマは小説片手のシェラへと歩み寄る、未だ来ぬ影への事を考えてか、眉間には深い谷が浮かんでいた。シェラは軽く笑えば、小説を持った方の手を振るってオーマへと声をかけ。

「未だだよ、それに…此れに乗ってる時間も曖昧だ。何時来るんだか知れないよ」

シェラが振るう小説には、今宵、行われるだろう猟奇に濡れた行いの、恐らくは一部始終だろう文章が書かれてある。しかし、其の時も場所も曖昧。今日である事だけが確かな情報なのだが…主人公の影は、一欠けらすらも月夜の下に見当たらない。
夫婦そろって一息ため息をつく、それは未だ現れはしない者の事を想ってか。…ふと、オーマの眼鏡が月光を反射した。逆光の中、見える物は深々と静まった建物たちだけ。そ知らぬふりをする様に、家々は澄まして立ち並んでいる。

「…シェラ、行くぞ」

オーマの目は、其の時何かを捕らえたか、闇の巣窟、裏路地へと足を大きく踏み込んだ。裏路地へ数歩、踏み込めば頭上に月は輝くも、建物が恩恵遮り闇の犇く別の次元のような感覚すら覚えてしまう。
闇が闊歩するこの一直線の路地、其処に君臨せし王は…紅いドレスをはためかせる婦人。綺麗に切り揃えられた黒髪は揺れている。闇に濡れた瞳は、地に這い蹲るようにして倒れる影を見つめていた。シェラが思わず一歩踏み出せば、路地に走る水音、足元へとシェラの金の瞳が瞬いた。

「…“浮浪者の、男”…」

ぽつりと呟いたのは小説の一節。そう、シェラの瞳に映ったのは、紛れもない浮浪者の男そのもの。ぼろきれの様な服は黒く塗れ、表情は見えないが大きく口を開けているのだけは分かった、どろどろと黒い液体を、まるで洞穴のように開いた口から吐いている。
オーマはドレスはためかせる、細腕の婦人と対峙していた。いや、対峙と言うよりは、向き合っていると言うほうが正しいだろう。ただ、婦人のみ威圧的な気を発している。それにオーマは気圧される事無く、静かに婦人を見つめていた。

「奇遇だなあ、こんな良い月だ。暗い路地から出て、月光でも浴びたらどうだ?」

まるで旧知の仲と話すような親しげなオーマの言葉、シェラは彼なりの考えが在るのだろうと汲み取ったらしい。後で控え、男の遺体の顔へとハンカチを被せてやった。浮かばれないかもしれないが…、此れで勘弁してくれと手を合わせる。

「…わたくしは、月も、ましてや陽の下を歩ける者では在りませんの」

知っていらしたと思ったのですけれど?
婦人はそう続けた。微かに差し込む月光が、婦人の口元を照らす。真っ赤な唇が弓なりに反り艶めいた色を出した。オーマはグラス越しに其れを見つめ、目を細める。婦人の笑みは陰惨に、しかし穏やかさを含んだもの。相反する二つが同居したその笑みに、少し異常を感じてしまう。
…暫く、三人の間を沈黙が絡んでいた。その絡みを解いたのは、低い声。

「お前さん、ルベリアって、花を知ってるか?」

婦人に声を投げ掛けながら、懐より取り出したるは一輪の花。それはシェラが小説より言霊を見出したものだった。可憐な其の姿は健在で、オーマの手の内で強かに揺れている。

「…知りませんわ、それが、何か?」

「想いを映す花さ、さて…お前さんの色は何色になるかねえ」

オーマの言葉が紡ぎ終わった瞬間に、しゅんと一筋、紅い風が走る。綺麗にとがれた銀の短剣の刃、それは婦人にとっては牙なのだろう。確りと握り締められたまま、刃はオーマの頬を擦れ擦れに掠めていた。

「知らないと、言っているでしょう。お節介は後の悲劇に繋がりますわよ…!」

そしてまた繰り出される一撃は、オーマの腹目掛けて。しかしそれは、オーマの締まった体を引き裂く感覚とは、無縁の空虚な闇を切り裂いたのみだった。婦人の身体は大きく傾いた、しかし転びはしない。ぐっと足を前へと踏み込み耐える。
婦人の目はギラリと光った、てらてらと光る銀の装飾美しくも、まがまがしい血糊が付いた短剣が、月光を反射する光もまた婦人の目と同じ。

「ああ…、あんた、そんな物騒なモンを振り回すもんじゃない」

思わずシェラは婦人へと声をかける。しかし、それは届いた風には見えない。婦人は腕を振るわせ、次はシェラへと牙の矛先を向けた。
シェラは黄金の目を開けば、片足軸にして身体を回す。無駄な動きは無い、無駄な距離もとられてはいない、実に手馴れた動きで婦人のすぐ横っ腹の部分を、短剣を避けながらも手に入れた。
素早くシェラが伸ばしたのは婦人の短剣、シェラが予想外に避けてくれたお陰、婦人の手は力んでおらず。少し力を入れれば、容易にシェラへと片方の短剣が移った。

「!」
「…安心しな、これであんたをって訳じゃあない、この短剣もどうにもしやしないさ…」

婦人を安心させるように掛けるシェラの言葉は、少しほど重みがあった。手に持った短剣の何と禍々しき事か、銀は聖なる金属と言われているにも拘らず、人の血でも吸い過ぎてしまったのだろうか。発する気に、シェラの手が少し震えた。…婦人はと言えば、踏み込んだ足に力を入れ、体勢を一瞬で持ち直す。飛び退ける様にして背後へと飛び、夫婦と間合いを開けた。
婦人の目は夫婦を射るようにしてきつく睨み据え、唇も少しほど戦慄いている。其れはまるで、手負いの獣が警戒を示すような…そんな姿を髣髴とさせた。…婦人の革靴に多く皺が入った、それを見逃さなかったのはオーマ。
再度婦人の足は大きく夫婦へと歩みだされた、いや、飛び掛ったという方が正しいだろうか。足捌きはまるで本当の獣のよう、迅速に夫婦に向かって短剣を閃かせた。振るった短剣は…どうなったかと言えば

「もう、止めた方が、良い」

婦人の手首は思った以上に細い、其れが判ったのはオーマ。婦人の力の入る短剣握り締めた手首を、手刀で叩いたのだった。キィンと高い音が路地へと木霊する。時は既に深夜となり、其の音を聞きつけたのか、ざわざわと鼠や虫が移動する音が聞こえた。
婦人はまたも厳しい目線を投げ掛けた。普通、これほど嫌がる相手を見れば気が引かない訳はない。それでも、オーマは根気強く接するつもりなのだろうか。大きく腕を伸ばし、婦人の細い身体を引き寄せた。婦人は予想していたよりも大人しく、武器を落としてしまった所為かも知れない。

「止めるんだ」

低い声は路地には響かない、地を這い、きちんと振動が伝わったのは婦人の耳だけだろう。オーマの太い腕は婦人を押し潰さぬように、やんわりと抱きしめている。それは恋人というよりは、親子の抱擁の様でもある。至高の愛、見返りを求めぬアガペーの様な。オーマの腕は、婦人に対して優しかった。
婦人は其れを黙ったままに受けている、それが届いたかどうかはいざ知らず。オーマは花を、ルベリアという名の花、其れを弛緩した婦人の手へと。…婦人の手へとわたった花は、何処と無し光を帯びているように見えたが、其の光の色はどうやら白や明るいものではない。明かりと言える物とも定かではなく。
オーマは腕を緩め、身体を離す。ぐっと握られた花は、何故だかとても元気が無い。婦人の目線は握られた花へと降ろされた、が、其れは何とも生々しい。血はおびただしく流れ落ち、薄汚れた石のタイルを汚して行く。婦人の目は驚愕と恐怖に見開かれ、握っていたものを地面へと叩きつけるように放った。
ルベリアは厳しくも、音や重さまで忠実に具現化を施していた。それは、婦人にとって最も酷だったろうか…。
ガツン、ごろり、べとり…

婦人を見据える双眸が、月光に反射する。…具現化されたのは女の生首だ。
気付けば月は真上より遥かに下へ、もう夜は明けようとしている時。だというのに、どうした事だろう。婦人の目は亡霊を見るように、驚愕と恐怖に塗りつぶされたまま、瞬き一つしない。

「…っ母様…!」

嗚呼、懐かしい。この言葉を言ったのは、何時ぶりかしら。…婦人は、少し脳裏の奥底で、懐かしさに浸っていた。首の持ち主は婦人の母親、という事らしい。見ていた夫婦は、立ちすくむ婦人の様子を見る。

「な、それはお前さんが向き合わなきゃあ、いけねえモンだ」
「…死んだ人間と向き合って、どうしろと言いますの!悪趣味な洗礼ですわ…!」

婦人は明らかに動揺している、怒鳴り声はヒステリーを起こしているのか甲高く…高らかに路地へと木霊する。頭を何度も気が触れたように振るって、息を切らせたまま夫婦を睨み据えた。具現化された生首を、無造作に蹴り飛ばし首をもう一度大きく振るう。
シェラは婦人を警戒させないようにと動くのを控えていたが、どうにも相手の心の壁は分厚く高い。聳える其の巨塔を突き動かすのは中々難しいだろう、例え我が夫であろうとも。気が触れたような婦人を目の前にしては、とてもではないが不安が拭いきれない。夫に関してではなく、婦人に対しての。
有り余る慈悲を注ごうとも、この婦人に届くのだろうか?

「あんた、もう少し自分を省みてみな?何か見えてくるかも…」
「お黙り!良い事…!これ以上、下らないものを見せるつもりでしたら…!」

声を飛ばす婦人の顔は憤怒に歪む、未だ警戒心崩さぬ婦人の言葉に、瞳もまだまだ針山のように鋭い。少しほど、オーマの口端には苦々しい笑いが乗っている。さて、どうすれば良いのか…

「そういうわけじゃあ、ねえんだがなあ」

蹴飛ばされた花は既に、具現化を解き萎れた物となっていた。腰を屈め、腕を伸ばしそっと大事に手に取った、花。恐らくは、婦人にとって畏怖の対象であれど、とてもまた大事なものだったろう。
具現の能力はここぞで発揮すべきだろう、婦人の為に。オーマの手には光溢れ、それはまた神々しい。花は更に萎み、小さくなり行き、オーマの手の中へと隠れてしまえば光も消えた。
空には太陽が頭を覗かせていた、鴇色の空を背景に、逆光となった婦人の表情は見難い物。オーマは微かに光る石、影に置けば黒く、光に透かせば輪郭が赤くなる。何と美しい色か、それは生命そのものを表す血の色をしていた。
石は双子のように、瓜二つの石がもう一つ生まれていた。発光する輝石を一つのみ、婦人へと投げて遣す。オーマはにやりと笑う、意地の悪そうな笑みだが…朝日に照らされ、何とも優しいもの。

「綺麗な石だな、お前さんの想いの色だ」

手の中へと放り込まれた輝石、先ほどの悪夢のようなものが変化したようにも思えたのか、婦人は少し苦々しげに顔を小さく振るった。

「…わたくしの色は、こんな…」

婦人が言いかけた言葉を遮るように、カシャン、音を立てて二本の短剣が婦人の足元へと帰ってきた。腰を折り、大事そうに抱え上げた二本の短剣。何か言おうとしてか、婦人の目は少し上へと向けられたが、オーマは首を振るう、シェラは柔らかに笑顔を作った。

「無理に答えを出そうとするモンじゃあ、ないよ?」

シェラは赤毛を揺らせ、子どもに言い聞かすような声音で声をかける。緩く腕を振るい、目を少し細め「ね?」そう言葉を付け足した。婦人は、何処となし悔しげな息を吐く、短剣は腕に抱いたまま。差し込む朝日は強い、建物から伸びた射光は明るく路地を照らした。二体の遺体は倒れたまま、もう二度と動くことは無いのだろうが。
静寂が暫く空気に含まれていたが、それが掻き消えるようにして消えたのは多くの足音。我に返ったように婦人はぱっと顔を上げ、足を鞭のようにしならせ空を跳んだ。赤いドレスの後姿は、直に屋根へと消え行くだろう。夫婦は二人で其の後姿を静かに見送っていた。
直に軍の捜査隊が来るだろう、オーマは一つ息を吐く。さて、あの婦人の心に何か植えつけられたろうか?

「…大丈夫さ」

…オーマは目線を長年連れ添った妻へと向ける。何もかも判ったような笑みを向けられれば、オーマとしては笑うほか無く…。

「シェラにゃ、勝てねえなあ」

鴇色の空の下、柔らかな笑みを称えている妻は美しい。愛しい其の身体を抱きしめようと腕を伸ばせば−−−−…
聞こえるどやどやと騒がしい音、軍の人々のお陰で其の雰囲気は、台無しになった事は言うまでもなく…。





□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

【 整理番号1953/ PC名オーマ・シュヴァルツ/ 男性/ 39歳(実年齢999歳)/ 医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】
【 整理番号2080/ PC名シェラ・シュヴァルツ/ 女性/ 29歳(実年齢439歳)/ 特務捜査官&地獄の番犬(オーマ談)】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

■一個の部分が個別となっております!


■オーマ・シュバルツ 様
こんにちは、発注有難うございます!ライターのひだりのです。
今回は、少しほど危険な物だったのですがどうだったでしょうか…、戦闘シーンがちまちま入っておりますが…(笑)
少し戦闘よりも説得を重視して書いてみました、オーマさんらしい優しさが表せれて居れば幸いなのです。
そして、納品が遅くなりまして申し訳ありません…;

では、また機会がありましたら、オーマさんを書かせていただきたい所存です。
これからも宜しくお願いいたします。

ひだりの