<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


シングルモルト『グレン・タルファス』

 エスメラルダは、毎年この時期にやってくるお客に微笑んだ。

「久し振り。タルファス」
「悪い、また、誰か頼めないかの」
「お安いご用よ。みんな、貴方のお酒のファンですもの」
「すまんの」

 ごま塩頭をがりがりと掻いた、老人は、ふてぶてしい笑みを浮かべた。

シングルモルト『グレン・タルファス』。深いスモークの香りに、甘い花のような芳香を醸し出す、琥珀色した酒は、アルコール度数45゜とやや高めだ。飲み下すと、得も言われぬ香りが鼻腔に上がってくる。ストレートで飲むもよし、軽く水割りで飲むも良し、通常タイプの8年物と、こくの深まった15年ものが黒山羊亭の定番メニューに載っている。
 ワインも、ビールも良いものだけれど、静かにカウンターに止まって飲むには、この琥珀色の酒が欠かせない。
 
「居合わせて、ラッキーと言ったら良いのか?」

 カウンターで、まさに、そのグレン・タルファス15年をちびちびと飲んでいた大きな人影が揺れた。タルファスに、グラスを掲げて笑いかけたのは、オーマ・シュヴァルツだった。
 気配が顕になると、それはもう、迫力のある姿なのだが、ひっそりと飲んでいた時には、これほどの姿をどう隠していたかと思えるほど静かで、気がつくのが遅れた。タルファスは、この常連に笑いかけた。

「おお?今日は一人か。嫁と娘はどうした?」
「らぶはにーな二人は、今日は観劇。人気の一座が来たんでね。俺は、チケット取りに並んで、今しがた、お役御免になったワケ♪」

 愛妻・愛娘。公言してはばからないこの男が、タルファスは気に入っていた。自分には、逆立ちしても出来ない事を、すんなりとやってしまうからかもしれない。妻は、少しでも見習ってくれたらと言って笑うが、自分は自分である。それは、お互いわかっている。にやりと笑うと、みっちりとついた腕の筋肉を拳で叩く。

「相変わらず、使われとるのぉ」
「ちちちち。ビシ☆幸せな毎日」

 交渉が成立したと見るや、エスメラルダは、楽しげに微笑んで、ドレスの裾を翻したのだった。

「ふふふ。じゃあ、オーマ。よろしくお願いするわ」
 





 タルファス醸造所は、王都から、程近い、山を背景にした麦畑の向こう。山の裾にあった。頑丈な石作りの平城は、タルファス城砦と呼ばれている。中庭をぐるりと四角に取り囲む居住区と、馬小屋。居住区の地下から降りる地上と同じほどの広さを持つ地下空間に、びっしりと封を切られるのを待って眠っている酒樽がある。そうして、一番手前には、出荷する為の瓶が、所狭しと並んでいる。
 そんな城砦の中庭で、数人の男達が、大人の背丈ほどある樽を拭き掃除していた。
 綺麗に拭き上げて、天日に乾かし、その後は…サラマンダーの炎で焼きしめてもらうのだ。
 その頃、タルファスに、正式に頼まれたオーマは、城砦の裏の崖を眺めて、楽しそうな笑みを浮かべていた。
 
「タルファスのおやっさん&燃え燃えナマモノ&俺等のラブの結晶が酒を造るってかね?」
「お前さんとのラブは要らんぞ、わしは」
「あ!酷い!俺のラブを受けとってくれんのかねっ?」
「あ〜煩いのおぉ。ちゃっちゃと行って、ちゃっちゃと連れて来てくれよ?」
「へいへい」

 去り際に、オーマの腹をどついて行く事を忘れない、元気なタルファスに苦笑する。
 元気だが、もう、この崖は登れないのだ。登れないなら、頼めば良いと、きっぱり割りきれるタルファスだったが、やはり寂しいのかもしれないと、小さな背中を見送る。
 そうして、見上げるほどの崖に手をかけると、ひょいひょいと身軽に崖を登って行く。

 登った先には、常緑樹の背の高い木々がバランス良く森を形作っていた。暗くも無く、木々の下には花々が咲いている。とても、美しい森だった。
 太陽の光が降り注ぐ森の中を、瑠璃色の蝶が舞飛んで行く。きらり、きらりと太陽光が森の生き物達に反射して光る。

 グレン・タルファスの秘密。と、いうか、製造法はあまり知られていない。
 樽を焼きしめるという事は、何処の醸造所でも考える所であるし、いくつかそういう醸造所もある。だが、その炎に、花の芳香が混じる、金色のサラマンダーに焼きしめてもらっているのは、このグレン・タルファス以外には無いはずだった。
 何しろ、金色のサラマンダーは、タルファス城砦の裏の、崖の上の森にしか生息を確認されていないという。
 サラマンダーに樽の仕上げをしてもらうのを考えたのは、初代タルファス。もう100年も昔で。いたずら好きの初代タルファスが崖に上って、森で遊んでいるうちに、仲良くなったという話しだった。

「ん〜。ホント、めっちゃ綺麗」

 タルファスから、サラマンダーについては、おおよそ聞けていた。
 大きな猫ほどのサラマンダーは、金色の透けるような翼を持ち、ドラゴンを小さくしたような形で、猫が鳴くような、ニャアともキャアとも聞こえる、甲高い声を上げるという。好物は花。
 だから、この森には花が多いのかもしれない。
 けれども。どうやれば出てくるのかは、わからない。タルファスが行くと、寄ってくるらしいが、他の人間では誰も出てこないようなのだ。
 それは、オーマも同じ事のようで、歩き回っても、リスや虫などの小さな生き物の気配は満載なのに、サラマンダーの影も形も無い。昼の光が、草花や木々に反射して、金色に光るのも、見つけにくい理由のひとつかもしれない。ひとつ唸ると、オーマは腰に吊るしていたポーチから、下僕主婦渾身のお弁当を取り出した。お握りに卵焼きにタコさんウィンナー。プチトマトとブロッコリーに、星型にんじんのグラッセ。日当たりの良い、手ごろな場所に座り込むと、それを広げて、じっと待つ。
 好物は花だと聞いていても、やっぱり、試して見たい。

「…」

 思わず、黙々とお昼ご飯にしてしまうオーマだった。
 綺麗な森を、汚したりしないように、きちんと後片付けをする。
 そうして、食べ終わると、手を合わせて、ご馳走様をし、ぽん。と、手を打った。
 思いついたらしい、その手には、具現化現象で現した、猫じゃらしと可愛らしい鈴のついた棒が握られていた。

「遊びましょ〜道具〜っ!」

 仲良く遊んだという、初代タルファスが見たら、きっと大受け間違い無し。満面の笑顔で、猫じゃらしと、鈴を振り回しながら、あまり、派手に音を響かせないように気を使いながら森を探索するオーマだった。

「…」

 しかし、これも効果が無さそうだった。がっくり肩を落とすと、見る間に、手にした猫じゃらしと鈴は空間に消えていく。腕を組むと、再び何かを思いついたらしく、片手を胸の前に出す。すると、その手には、やはり具現化されて出てきた、複雑な模様の描かれた、角笛が現れた。

「崇高なるナウ筋知能生物のみに全筋全霊訴え届く角笛〜っ!」

 片手に掲げて、嬉しそうに叫び、その、崇高なるナウ筋知能生物のみに全筋全霊訴え届く角笛を拭いた。ふひ〜。とか、ぷひ〜とかいう、悲しげな音が響く。すると、ぽよんとした弾力性のある、水のゼリーのような、西瓜ほどの大きさの固まりが、オーマを襲った。もとい。オーマに懐いた。

「…」

 また、やってしまったようだ。再び、がっくりと肩を落とすと、その手からは、角笛が消える。
 オーマは、ソーンに来てから数えるのも嫌になるほど拾った、良くわからない生き物を、今回も拾ってしまったようだった。背中に乗って、首筋辺りに納まったそれは、ひんやりして気持ちが良い。夏場には重宝しそうだ。などと考えつつ、撫ぜてやると、嬉しげにそのゼリー状の生物は振るえる。可愛くない事も無い。
 きらきらと光る、森を見渡しながら、オーマはまた考える。

「最後の手段〜」

 片目用サイバーアイ・スコープが、瞬時に具現化され、オーマの片目に装着される。
 オーマの出身地であるゼノビアは、機械文明が発達していた。赤外線に反応する、スコープなどが良い例で。炎を吐くサラマンダーだ。高性能のそれの、数値を変え、設定温度を高くすれば、その温度差と大きさで見つけられないかと思うからだ。
 少しずつ、設定を上げながら、森を見渡す。
 無数の小動物達の姿が、透明なスコープに写り込む。
 そこで、微妙に温度高い、大きな固まりが空を移動する姿が映り込んだ。

「…あれ…か…」

 蔦の這う木の上の方に咲く白とピンクの小さな花の周りを周っている。
 どうやら、その花が特に好物のようだ。
 オーマはその花を、両腕を円に囲った中、いっぱいに具現化して現して見た。甘い花の香り。この香りは、グレン・タルファスたる為の香りだった。
 オーマは、琥珀色の酒を思い出し、何故、サラマンダーの炎に花の香りがつくのか納得して、微笑んだ。
 すると。

 キャア♪

 甲高い声が響いた。
 ドラゴンを小さくしたようなサラマンダーが、透明に透ける金色の翼をゆっくりと動かして、一直線にオーマに寄ってきた。

 キャアァ♪

 オーマの腕に止ると、鳥の卵ほどの頭を、小さく傾げて、オーマと花を見比べる。

「どうぞ」

 オーマは満面の笑みを浮かべて、サラマンダーに頷くと、サラマンダーは、嬉しそうにひと鳴きし、花束に顔を突っ込んだのだった。





 サラマンダーと、「水枕くん」と名前をつけたゼリー状の生物を連れて、オーマが城砦に戻ると、すっかり準備万端整った数十の樽に、サラマンダーは高い声を上げて、笑うように近付いて行った。焦げない程度に、焼きしめるその様は、熟練の炎さばきで、感嘆する。
 目を細めてその様を見ているタルファスに、オーマは考えていた事を聞いてみる。こちらの話しが通じるほどの知能があり、長く親睦を深めているサラマンダーならば、可能ではないかと思うのだ。

「んなあ、タルファスのおやっさん、呼び笛とか、何か作って、覚えてもらったらどうかね?」
「…オーマ。お前さん、友達を、呼び笛で呼びつけるかね?」
「…いいや」
「頼み事をしに行く友達は、迎えに行くもんだ」
「友達なら、困ってたら来てくれるもんでもあるぜ?」

 オーマの言葉に、タルファスは、黙ってごま塩頭をがりがりと掻いた。
 見る間に樽の焼きしめが終わると、サラマンダーは尻尾を振り回し、高い声を喜びに響かせて、タルファスに突進する。猫が身体を擦り付けるように、タルファスの顔に甘えていると、ふと、何か気がついたらしく、声を上げて、タルファスの腕から飛び上がった。
 そうして、タルファスの奥さんと一緒に、労いの食事を運んできていた少年の頭の上に、ぴたりと止った。

「おやっさん?」
「甥っ子でな。いずれ、この城砦と、タルファスの名前を継ぐ子だよ」
「へえ…」

 初めて会う、サラマンダーに、大喜びの少年は、年の頃なら15.6歳だろうか。サラマンダーと同じような金色の頭と緑の森のような瞳の、大柄な子だ。
 働く大人達にからかわれながら、離れないサラマンダーを頭に乗せて仕事を続けている。サラマンダーは、酷くご満悦のようだった。
 
「よく働くし、気立ても良い」
「おやっさんに似なくて?」
「おお。…て、オーマ。土産に23年をやるつもりだったが、いらんようだの」
「えええええっ!!うっそ!うっそ!嘘と言ってっ!」

 にやりと、人の悪そうな笑みを浮かべると、少年とサラマンダーの方へと歩き出すタルファスの後を、オーマは慌てふためいて追いかけるのだった。












 +++END+++







+++登場人物(この物語に登場した人物の一覧)+++

1953:オーマ・シュヴァルツ/性別:男性/年齢:39歳/職業:医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り

NPC:タルファス/性別:男性/年齢:75歳/職業:モルト職人


+++ライター通信+++

 オーマ・シュヴァルツ様。いつもご参加ありがとうございます!
 呼び笛で怪しげな生物が?という下りに、つい、生物を押しつけてしまいました。某猫型ロボットのノリで。
 この後、ちゃんとお土産は貰って帰れました(^^ヾご存知かと思いますが、いずみの書く話の中でしたら、グレン・タルファス23年はお飲み頂けます♪「水枕くん」も使えます。水枕くんは、雨水が葉や花に溜まって、消えなかった子です。森の子です。マイナスイオン出ているかもしれません。

 森に対する配慮や、その後の事まで、丁寧なプレイングに毎回驚かされて、嬉しがっています。
 気に入っていただければ嬉しいです!ありがとうございました!