<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


パーフェクト・カップケーキ教室

「ええと……苺にチョコレート、それから紅茶葉……」
「肝心の小麦粉に……卵にバター」
「それからお砂糖。材料はこれで揃ったのかしら?」
「たぶんね。あとは家にあるものでなんとかなると思うよ」
 エルザードの石畳をゆく、ひと組の男女がいる。
 傍目に見れば、恋人かとも見えたが、よくよく観察すれば、ふたりの空気は、愛し合うふたり、というのとはすこし違うようだ。
「うまくいくかなぁ……」
「大丈夫。コツを覚えればすぐさ」
 葵の言葉に、紅姫は微笑みながら、頷いた。
「そうだね。葵ちゃんが教えてくれるんだもんね」
 すこし恥ずかしそうにうつむく。
(本当は、ちょっと口惜しいんだけど)
 呑み込んだ言葉は、すこしだけビターなチョコレート味。
 彼に贈りたくて、挑戦したケーキがどんな末路をたどったのかは、あまり思い出したくもない話だ。見兼ねて(あるいは、これ以上被害に遭わぬためだったかもしれない)彼がお菓子づくりを教授してくれるというのはいいのだが。
 お菓子を贈りたい当の相手につくり方を教わるというのも釈然としない。
(まあ、いいか)
 背に腹は変えられぬ。
 コツをつかめばいいのだと、葵は言った。基礎をしっかり習っておいて、いつか、腕を上げて吃驚させてやろう。
「どうした。にやにやして」
「……ん、なんでもない」
 紅姫は、葵を見つめ返した。
 葵は、世界の境さえ越えて、再会を果たした、彼女の兄だ。
 紅姫が妹であるということも含めて、もといた世界の記憶は失われているけれど――。それでも兄妹は、聖都の片隅に、ひっそりと、穏やかな日々を送っていた。
 それは、そんなある日の出来事。

「じゃあまず、粉をふるって。薄力粉とベーキングパウダーを合わせて」
「わかったわ」
 言われた通りに、粉をふるいにかける紅姫。
 葵は、前回のケーキを知っているだけに、注意深く見守るが、彼女の手元はべつだん危なっかしいこともない。ただ粉をふるいにかけるだけなので失敗のしようもないわけだが。
「じゃあ、次。バターを練るからね。こっちのボウルに、この泡立て器を使うといい」
「うん」
 手取り足取りとはこのことか。
 葵は、ソーンで暮らすようになってから、思いもかけず、自分のお菓子づくりの腕に気づいた。あるいは、記憶がないもといた世界では、こういう仕事をしていたか、趣味であったのかもしれないな、と思う。
「なめらかになってきたら、砂糖を入れて。2、3回に分けて、すこしずつ入れていけばいいから」
 ここまで、何の問題もなく進んでいるのを確認して、葵は、お手本も兼ねて、自分の手元でもつくりはじめる。手際よく、もうひとつのボウルの中でバターと砂糖がなめからなクリーム状になっていった。
「これで……いいの……?」
 不安げな紅姫。
「大丈夫。できてる」
「よかった」
「じゃあ卵を入れよう。よーくまぜて。ここでほんの少しだけ塩を入れるんだ。ほんの少しだけだよ」
 お菓子というものはレシピ通りにやるのが肝心だ。逆にいえば、きちんと分量を計りさえすれば、そうそうひどい失敗はない。そしてカップケーキは簡単なメニューだったから、これなら紅姫といえどもまともなものが完成するだろう。せめて見た目だけでもちゃんとしたものができれば、彼女も自信がつくはずだ、と、葵は思っていた。
「それをさっきの粉と合わせて、牛乳でまぜる。これで、もう完成したも同然さ。このまま焼くだけでもプレーンなケーキができる」
「……こ、こう……?」
「そうそう、上手じゃない、姫」
「葵ちゃんにそう言ってもらえると嬉しいけど……」
「あとは……プレーン以外のものは、ここにいろいろ入れて味付けするんだけど、どうせいっぺんには焼けないし、まず、これだけ、オーブンに入れよう」
 生地をへらですくってカップに分けて入れ、トレーに並べて、オーブンへ。
 火を入れているあいだに、葵のつくったほうの生地も小分けして、チョコチップ、苺のピューレ、牛乳にひたした紅茶葉をまぜていく。それぞれチョコ味、苺味、紅茶味のカップケーキができるという寸法。
 そうこうしているうちに、第一陣が焼き上がってくる。小さなカップだから、ものの20分程度で焼き上がるのだ。
「さあ、できたよ、姫作のカップケーキの――」
 トレーを引き出して、葵は固まる。
「……」
「……葵ちゃん?」
 なんだこれ。……と、口をついて出そうになった言葉をすんでのところで呑み込む。
「あ、ええと」
 紅姫の瞳が、あまりに心細そうだったので、葵は言い淀む。
 だが。一体、何をどう言えば。
 トレーの上に並んだカップには、ふっくらと香ばしくカップケーキ焼けている……はずだったのだが。
「お、温度を間違えたのかな!?」
 葵は言った。言いながら、きっとそうだと自分にも言い聞かせる。
 なにせ、ここまでの手順は、葵がとなりについて、逐一、間違いのないことを確認しているのだ。
 そうでなければ、どうしてこんな……消し炭のように黒くて硬そうなものができるだろう。しかも、まるで、オーブンの熱の中で、悶え苦しんだように、異様なかたちに捻れたような有様なのだ。
「そうなの? なにか、私が間違えたんじゃ……」
「そ、そんなことないさ! 姫はちゃんとつくってたと思うし! うん、温度がヘンだったんだな…………そ、それに、形はアレだけど、もしかしたら、味はおいしいかも……」
 と、ほんのり期待を持って、葵は、フォークを突き刺してみた。
 どろり――、と、体液じみた液体(それも、材料のどこにも含まれていないような色あいの)が流れ出たのに、腰が引けながら、葵はそのケーキをひとかけら、口に運ぶ。表面はこんなに焦げているのに、中身はどろりと粘液状のこの不思議。しかも、その味は――。

「葵ちゃん! 葵ちゃん、大丈夫!?」
「……へ、平気……」
「ど、どうしよう。やっぱり、私……」
「いや、ちょっと立ちくらみしただけだから! やっぱりオーブンがいけないんだな。こっちのを焼き直そう。今度はきっとうまくできるからさ」
 形容し難いその味について、描写するよりは、忘却してしまいたい、そんなふうに思った葵だった。第二陣をオーブンに入れると、慎重に温度を設定する……。

 それが焼けるのを待つあいだ、余った紅茶葉でミルクティーを入れて一息ついた。
「私、やっぱり、向いてないのかなあ……」
 ぽつり、と、紅姫が言った。
「そんなことないって」
「葵ちゃんに教えてもらったとおりにやったのになあ」
「そうだよね」
 それが不思議なところだ。
 あるいはこれもひとつの才能というべきか……。
「でもずいぶんたくさん材料、買っちゃったしなぁ……」
「ああ、半分は僕が使うからいいよ」
「えっ、そうなの?」
「うん。持って行きたい場所があるんだ」
 そう言った葵の顔が妙に真剣だったので、紅姫は思わずはっとする。
「いきたい、場所……」
「あ。そろそろ焼き上がったんじゃないかな」
 ちょうど時間だ。
 今度こそ――、との思いをこめて、開けたオーブンの中には。
「……」
 一体、何故。
 理解を越えた出来事に、葵は反応することができない。
 さまざまな謎と神秘がいきづく聖獣界ソーンといえど、これほどの不思議があるだろうか。
 なぜ、チョコ味のカップケーキになるはずのものがサボテン状の棘をはやした、カチカチの岩のような形状の得体の知れない何かになり、なぜ、苺味のカップケーキになるはずのものが、奇怪な蔓のからまったような、苔玉のような代物になり、なぜ、紅茶味のカップケーキになるはずのものが、ぐつぐつと泡立ちながら不気味な色の煙を吐いているのか。
「……なに、これ?」
 今度は、つい、思ったままの言葉が口から漏れてしまった。
 決まった通りの材料を、決まった通りの手順でつくったはずだ!
 念のため。これも見た目に反して味はいいかもしれない(などと考えるほうがどうかしているような形状なのだが、葵は奇跡を信じた)。
 だがしかし――
 チョコ味は舌が焼けるかと思うほどに辛く、苺味は頭が痛くなるほど渋く、紅茶味は全身が総毛立つほどに甘ったるかった。
(…………負けた)
 がくり、と膝をつく葵。
 お菓子づくりプロ、葵の腕による、完璧な教授も、この神秘に負けた。
「あ、葵ちゃん……」
「いいんだ。いいんだよ、姫」
 なにがいいのかわからないが、どこか悟ったような声で、葵は言うのだった。
「カップケーキが失敗したところで、大したことじゃないさ」
「……っていうか、葵ちゃん、顔が真っ青だけど……」
「今度は僕が焼くよ。まだまだ材料はあるからね」


☆カップケーキのつくり方☆

(1)薄力粉とベーキングパウダーを合わせ、二回ほどふるいにかけます。
(2)バターを白っぽくなるまで練ります。
(3)バターに砂糖を二回に分けて入れてまぜ、塩を少々加えます。
(4)さらによくかき混ぜた卵を三回ほどに分けて入れ、よく混ぜます。
(5)1の粉と牛乳を二、三回に分けて入れ、粉がなくなるまで混ぜます。
(6)へらですくって型に入れ、オーブンで焼けばできあがり。

(7)ただし、紅姫さんは、何も手伝わないようにしましょう♪


(FIN)