<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


■真白の書−打たせ響かせ−■



「……さて、これで何度目になるか、また、ペンを執らせていただく」

 そう仰って、いつもと変わらぬ深い眼差しで書を見据えられるのはキング=オセロット様。
 空も曇りがちな中お越し下さいまして、マスタも心得たものです。

「過ごし易い季節は短いものだな」

 そう仰ったオセロット様にマスタは意味有りげに微笑まれながら――あの人いつでもそういう企んでいます的な笑い方ですので意味は実際はありませんよ。ええ――ペンを差し出した後はお客様の呟きに耳を傾ける姿勢です。
 いつもと同じ、長い指がマスタの渡されたペンを掴まれて。
 しかし、と微笑を湛えておられるような声音で呟かれました。
「易い難いはともかく、季節の移り変わるその様は悪いものではない」
 そうですね。
 私もこの書棚にしか居りませんけれどそう思います。
「時を刻めなくなった体ではあるが、変わりゆく一瞬一瞬は楽しめる」
 落ち着いた声。
 いつだってオセロット様の声は静かで聞く側も冷静にさせるよう。
 けれどその分だけ胸の内は周囲には悟り難くもあるのでしょうか。

「機械として情報を処理するのではなく、人として、心で楽しめる」

 言葉を記されたペンが止まる頃に洩らされた小さな、とても小さな呟き。
 どれほどの想いがそこに湛えられているのかは私には推し測ることも叶いません。
 ですからそれは、ただオセロット様の言葉であったとだけ、私は覚えておきましょう。


 此度の言葉はこれからの空模様を映したかのようなそれ。
 さあどのような物語が広がるのでしょうか。

 どうぞ、そのいっときを書の綴る木陰に下さいませ。


 ** *** *


 広く伸ばした枝先の、まだ若い緑の葉のさらに先が揺れて落ちる水滴。
 飽きることなく繰り返されるその風景の一区切りを、キング=オセロットは胸中の覚れぬ静かな瞳に映して佇んでいた。彼女が居るのはその若い葉を辿った幹の傍だ。
 一日が始まった頃には多少弱いながら確かに陽は射していたというのに、食事を摂り人を眺めるようにして街中を目的もなく歩き、その間に雲が腕を広げてしまった。
「……やれやれ」
 ぽつ、と頬に肩にと触れた感覚に気付いたけば雲は、凄まじい速さの風を想像させる動きでもって重なり垂れ込めていたのだ。雨かと思う間にも始まり叩き付ける粒の降り出し。
 間の悪いことにオセロットは広場――天使の広場ではなく、柔らかな土と緑で成されたものだ――で咲いた花に目を留めた折だった。無論、近場に雨を凌ぐ場所などなく手近な木の世話になったという次第である。

 はるかに伸びる低い空の端は白く明るい。
 いささかの時間はかかろうとも雨は遠からず引き下がるはずだ。
 広がった枝葉の影から覗く遠くの家並みは歩く人影もまばらに過ぎて。

 ふ、と肩の力を抜いて幹に背を触れる。
 もたれる程には至らないのはかつての経歴ゆえか気質ゆえか。
 急ぐ用もなし、空気さえ浄めたと感じさせる雨上がりを待つのも悪くはなし、とそんな気持ちでオセロットが聖都の一角であるはずながら人気のない広場を見回した。
 そういった折の。



 雨に煙る下草の悪戯のような、そんな指先程の奇妙さのいっとき。



 ――ぱち、とオセロットにしては珍しくも子供の瞬きのようなはっきりした動きを眸が見せたのは、遠く白む気配を見せる空へと幾度目かの視線を投げた後のことだ。
 雨音は広場の緑に殆どが呑まれ、木々に降りるものだけがかろうじて存在を主張する静かな空間を堪能していた彼女の青瞳が映したもの。
「…………」
 ひょいひょいとあちらこちらの木の影、いや幹に添うている、うすぼんやりとした何者かであった。
 湿気るばかりだからと懐に収めたままの紙巻だが、火を点けずとも唇に挟んでいればそのバランスを崩していてもおかしくはない。これも彼女らしくはないだろうか、微妙に緩んだ口元。
 ひょいひょい、ぱたり。
 オセロットが視線を眼前から外した僅かな間に広がった場面は彼女が全体を見、己の傍らに佇む一人に気付くまでの間も続く。
 そう、彼女自身の隣にも一人のうすぼんやりとした存在が現れていたのだ。
「……ごきげんよう?」
『――』
 彼女の名誉の為に言うならば、断じてオセロットは気配に鈍くはない。むしろ身体の機能と経験、勘に似たものまで含めるまでもなく鋭敏と言うのが確かなはずだ。悪意・害意の有無で対処を決めて素知らぬ風を装うことはあっても、だ。
 だのにこの、うすぼんやりとした何者か達は彼女に違和感の一つも抱かせずに現れた。
 さてこれはソーンという世界の些細な不思議であろうか。
 思いつつ、平静を装って――というよりも実際にたいして焦ることもなく挨拶をしてみたオセロットにそのうすぼんやりとした何者かの一人は口の部分を丸く開けて動かしてから頭を不安定に揺らした。
 この彼女の傍らにいた一人を、何某か、としよう。
 何某かはゆらゆらと挨拶を返したのかもしれない。
 そしてその動きのまま今度は身体ごとゆらゆらと、外観と通じる曖昧な様子でオセロットと広場とそれから木々を眺め出す。実際に眺めているのかはいまいち解らないが、目の部分の丸をすいすいと身体(これはそこだけ見ると前後が解らない)と一緒に動かすのでそうだろうという推測だ。
 何某かの仕草を追う。
 どう見ても危害を加えるような輩には思えない姿がゆらゆらと動くのに合わせて視線を一巡りさせて、それから「ふむ」と気付いたオセロット。
 いつの間にか現れた何者か達は、これまたいつの間にか増え続けまた減り続けてもいる。


 それぞれの木の傍に水たまり。
 下草に隠れる程の小さなものが幾つも下草より上に膨れ上がっているが、これはむしろ表面張力を超えた水たまり以外の何かにも見えた。
 そこに向けて何者か達はしきりと跳ねて雫を落とし波紋を作る。どこから作るのかといえば各々が添う木の枝先。オセロットが見ていた若い緑の葉に降る雨を飛びついては揺らして落としているのだ。
 ゆらゆらと不安定なうすぼんやりとした影が跳ぶ。
 まだ若くしなやかな枝先に腕を伸ばして掴み振る。
 葉が水滴を弾き飛ばし、放たれたそれが手近な水たまり紛いに落ちて波紋を広げる。

 そこにうすぼんやりとした何者か達――それも木に添う者達よりも小さく細く見える――が波紋に合わせて飛び込んでいくのだ。それが減る何者かであり、そして水溜りに入るべく何処ともなく湧き出る何者かだった。


「ああ、成程」
 奇妙な風景だとも思いながら、再度それらを眺め回してからオセロットは傍らでいまだゆらゆらと落ち着かぬ何某かへと瞳を向けた。
 彼女の動きに合わせて何某かも彼女へと丸い目(だろう箇所)を向ける。
「ここは貴方の場所なのだな」
『――』
 声もなく揺れる何某か。
 やはり不安定にゆらゆら、あるいはくたくた、とでも表現したい動きだが何度かの繰り返しが主に前傾姿勢になっていることから頷きだと解る。くたりくたり。厚みはそれなりであるのに何某かは奇妙な軽さ、奇妙な薄さで身体を揺らす。
 ともあれ肯定だろうとは知れるので、僅かにオセロットは立つ場所をずらした。
 ゆらゆらと紙人形を思わせる動きを見せながら何某かは他と同様に幹近くに寄り、そこでふと止まる。
 ふらりとオセロットに向かう丸い目と口。
「何か違っているだろうか?」
『――』
 足を軸にぐるりと上体を旋回させる。わからない。
 さて、と相手を探るわけでもなく眺めて軽く思案しているオセロットの前でぐるぐると何某かは動いていたが、ややあって今度は見事な前屈を見せた。ああ、とそこで気付く。
「こちらこそ雨宿りに拝借して申し訳ない」
『――』
 お辞儀だ。
 礼儀正しいことだと微笑んでやればようやく何某かは他の者と同じく枝先から雫を落としだした。動作が存外に大きくさらに距離を空ける。
 流石に雨粒が片腕に当たるようにはなったが遠からず雨足も弱るだろう。
 なにそれまでのことであるし、と遠く明るさを増す空を見ながらオセロットは奇妙な光景を眺めることにした。

 どういった行動であるのか、とか。
 うすぼんやりとした者達はなんであるのか、とか。

 微かな興味を抱きはしても、理解出来る事柄ばかりではないとオセロットは知っているので追及するつもりにまではならない。
 波紋を作る、その波紋に飛び込んでいく。
 繰り返される何かの儀式に似た――あるいは儀式であるのかもしれないそれを眺めながら、彼らは害意を持った輩ではないらしい、とだけ再確認してオセロットは雨の止むのを待つ姿勢に戻る。別に雨宿りが阻まれているわけではないのだから。
 そうしてさほどの時間をかけずに気付くのだ。

 波紋は、水たまりに雨粒が落ちても出来る。
 けれど誰もが、誰かの手によって跳ねた雫から出来た波紋にしか飛び込まない。

 視界に納めて朧に思う間にも幾つもの影達は跳ねた雫が打つ水面に飛び込んで何処かへと去っていく。増えて減って、であったものはいまや減るばかりだ。
 気付けば枝先を揺らしていた影達もぽつりぽつり、枝を殊更強く揺らして波紋を生むと忙しなく(しかしゆらゆらと)水たまりに飛び込んでいく。木に添わず、小さく細い者達が飛び込んでいる水たまりもある事を考えると分担があるのかもしれない。
 で、あるのならば。
 自分の傍らで佇んでいた分、今もひょろひょろと枝を揺らす何某かは遅れているのではかろうか。
 時折軍服の袖から雨粒を払いながらオセロットは思う。
 そしてそのちょっとした心配は的中するのだ。


「……雨が止んでしまうが、貴方は」
 入らないのか、とまで問うのは気の毒だった。
 ゆらゆらふらふら、落ち着きなく動く何某かは他の全てが飛び込んだ後に自らも向かおうとしたのである。しかし気の毒なことに控えめに歌うばかりとなった雨音から知れる通り、雫が影の届く高さに殆ど落ちなくなって来てしまったのだ。
 それでも幾度かは努力していた。
 子供がするように腕を伸ばして枝先の、更に上にある枝を掴もうとしては掴み損ねて無駄に雫を飛ばし、揺らしていた枝先はといえば水たまりを打つ程の水滴はなく。
 ふらりと何某かが旋回する。
 気落ちというよりは考えているようにも見えるが判別不明だ。
 ともかく何某かが困っているのだろうとはオセロットにも解る。そして今現在の状況ではそれで充分だった。
「貴方さえよければ」
『――』
 さりげなく唇を開く。
 上下逆の振り子のように旋回して何某かがオセロットに向き直るのを確かめて、腕を枝に伸ばしてみせた。
「私が揺らそうと思うのだが」
『――』
「いや、私が場所を借りていた分だけ貴方は遅くなったのだから」
『――』
「たいした作業ではない。私が作る波紋でもよければ」
 明確な意思の疎通は出来ていない。
 けれどこの短時間の間にもおぼろげな意思の推測は出来るようになっている。
 不思議なことだとは思うけれど、この些細なことがオセロットの感情を刺激しているのかもしれない。情報として処理を行う純粋な機械では、この正体の解らぬ何某かの思考なぞ理解の糸端さえ掴めないだろうから。
 ふらりと一際大きく揺れてから、その何某かは動きを止めて。
 かと思えばゆらゆらとオセロットに近付いて彼女の腕を取った。感触も、人間とは判別出来ない気もしたが関係なく――そろりと弱く捕まれたのが握手なのだと気付いて自身も控えめな力加減で握り返した。
「もう雨もやむ」
『――』
 一方的にしか思えない言葉の遣り取りを経て、何某かは水たまりの傍に立つ。
 オセロットであれば届く枝先を掴んで静かに下げる。撓り、葉先に溜まる雫が覗く。
『――』
「縁があれば」
 振り返ってひらりと手を振るのに笑い、手を離す。
 距離も軌道も、計算を出すのは簡単だった。



 鮮やかに広がった波紋と一緒に何某かも、去り。



 さて彼らは一体なんであったのかと頭の片隅で思いながら街路を行く。
 あの後さほどの時間も経たずに雨は止み、清涼な空気が空から満ちていた。それに合わせたかと思うタイミングで奇妙な水たまりは全てが土に染み込んで、去り際には痕跡もなかったのだけれど。
 やはりソーンの些細な不思議で片付くことだろうか。
 うっすらと笑みながらオセロットは石畳の窪みに小さな水たまりを見出した。
 普段であればそれは何気なく踏み越えるだけのものだ。

 言葉もなく仕草さえも明確でなく。
 だがあの短時間に距離を近くした何某かとオセロット。
 言葉ばかりではない、意思の反響。

 ――打たせ響かせ。

 言葉も、仕草も、雨も雲も、若葉から跳ぶ雫の一つさえも。
 何事かが何事かに連なっていく。

「また、いつか」

 さりげなく踏み入れた靴裏が小さな水たまりにさえ波紋を広げて。





 ** *** *


 それは、真白の書が映した物語。
 望むものか、望まぬものか。
 有り得るものか、有り得たものか、あるいはけして有り得ぬものか。

 ――小さな世界が書の中にひとつ。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【2872/キング=オセロット/女性/23歳(実年齢23歳)/コマンドー】

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■         ライター通信          ■
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 今回は微妙な不思議生物と遭遇となりました。こんにちはライター珠洲です。
 さて、天候の為に紙巻に気を使われる時期ではないかと思います。そんな中での雨に降られたいっときを不思議生物との一幕に頂きましたが如何でしょうか。こういう奇妙な場面も慌てずに見守ってしまわれるのがオセロット様かしらとライター考えてみた次第です。
 書を気に入って下さり、いつも嬉しく書かせて頂いております。