<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


■小箱の赤■



 ひとつの箱がある。

 それは手の中に納まる程度の小さな箱だ。
 振るとさらさらと何やら動く音がする。
 開けてみる。
 赤い小さな小さな石が幾つか転がっている。
 ひとつ、開いた拍子に転がり落ちる。
 行方を追う。
 見つからない。見失う。諦めて箱に目を戻す。
 蝶番を支えに開いた蓋の中に大層磨かれた鏡がある。
 覗き込む。瞳が映る。瞳の奥が映る。

 奥深くの暗い場所が映る。

 蓋を閉じる。
 手の中に納めて道具を取る。
 片手に箱を納めて片手にその道具。

 それは使い慣れた道具。

 人の居なくなった部屋の床板に、小さな小さな赤い石がある。
 それは一度転がってからぱしゃりと溶けて飛沫になった。
 赤い赤い血の飛沫。

 贈り物だと包まれていた箱に添えていた些細な手紙。

 封を開ける為に出された細いナイフの鞘は手紙の重しのように転がっている。

 そして細いナイフの行方は。



 冒険者を斡旋するような、そんな酒場で働いているからだろうか。
 エスメラルダは娼館で続く事件についてその働き手の一人と昼過ぎに立ち話として聞いたけれど、妙に背筋に落ち着かない感覚があった。我が事ではないが、完全な他人事でもない、そんな。
「小さいけれど綺麗な箱を見つけたから、くれるんですって」
 些細な約束事に綻ぶ相手の顔。
 それに頷いてやりながら奇妙なそれは引かず、そして。

 少女のように顔を綻ばせていた話し相手は贈り主を、次の訪れの際に殺したのだ。



 箱がある。
 石は減らない。

 赤い血の飛沫の石はけして。


 ** *** *


 黒山羊亭の踊り子から聞いたときと同様に背を伸ばして唇を引く。
 僧服に包まれた清芳の身体は凛と佇み古物商の店舗の前にあった。出たばかりの扉を背に動かないまま立つ彼女。

『子供が小遣い稼ぎに漁って来る物でも、売れそうなら買い取るからな』

 件の娼館から連絡があったのかもしれない。
 店の主は清芳の覚悟していたよりも随分と丁寧に答えてくれた。とはいえ箱の行方については更に辿る必要があると知れただけだ。
 だが話が通っていた為か協力的な店主はそこで話を終わらせず、記憶を探っていてくれた。そこでも決定的な何が出て来るでもなかったけれど、沈黙を守って情報を待っていた清芳に対して彼は机の下から薄い紙を出すと何人かの名前を書いて差し出したのだ。
『あそこ一帯に出入りの多い店だ。ウチじゃなくてもどこかで引っ掛かるだろう』
 他の事件についてはまた別だが、と付け加える店主。
 娼館に赴いて品を広げるのにもある程度のテリトリーがあるらしい。
 礼を言って紙を受け取り店を出る。
 そちらについても訪ねて回り、後の確認はキング=オセロットなる元軍人の調査待ちだと、清芳はヴェールから覗く髪を揺らして思う。日の高い間は褪せた空気をまとう街並み。

(何処から流れ来たのか、何処へ流れ行くのか)

 それはあるいは火の粉のように。
 小さな熱が燃え上がり、燃え盛り、広がりやがて灰と成る。何一つ残す事無く赤々と。
 一連の、その出来事はまるで。

 紙に記された名と場所を確認し足を出す。
 長い年月で角の崩れた石畳の上を叩きながら、視線は正面を見据えて清芳は裏通りに近い古物店を後にした。

 それはまるで――炎のようだ。


 ** *** *


 歓楽街は騎士団があからさまに動き回ることを歓迎しない。そして異界からの来訪者に寛大なエルザードの者達は冒険者が事件を解決しようと動くことにも寛大だ。
 その辺りの事情もあったのかもしれない。
 知人が起こした事件、それに憔悴した様子でいたエスメラルダから話を聞いて一同が調査に乗り出してからの住民の協力は。
 いかがわしいとされる界隈に、表通りの者達を迎えたくないと、その思いから。


「似た事件が最近多く、流石に気に掛けていたというのもあるだろう」
 キング=オセロットがメモを広げて卓の上に置く。
 昨日の開始とはいえ、時間は丸々一日避けるわけではない。
 よくもこれだけ、と思わせる量だった。
「今回箱が失せていたこともある。場所柄……痴情の縺れ、という類の事件も少なくないからな。全てがそうとは思わないが」
「……いくつか、箱の購入を確認出来た者の名があるな」
「では取り分けておきましょう」
 清芳が己で書き留めた紙と照らし合わせる端から馨がそれを丁寧に卓の一角にまとめていく。
 倉橋葵は広げられたメモ――事件毎に分けてあるものを無造作に選び取って目を走らせていたが、まとめられ始めたのを確かめてそちらを一つ一つ読み出した。
 オーマ・シュヴァルツとサモン・シュヴァルツの二人も同様にメモを確かめていく。情報として書き留められたに過ぎないものでは『想い』から繋がりを辿ることも叶わないが、件の娼婦の部屋で視た想いと、そこから漂う感情達を探り巡った記憶から重なるものを探している。
「そもそも繋がってる可能性ってのも、話を聞いて気付いた程度だったんだが」
「最近どこの娘もこうだ――だったか」
 娼館の主達もいい加減に連続性があると思い始めた頃に六人が顔を出した、という見方もある。
 気付くのが遅い、というには元の環境から愛憎絡みに対して磨耗した感覚があったとも。
「箱が、複数ある可能性は……どうだろうな。低いか」
「複数あるなら、事の後に消え失せる必要もさほど無くはないか?」
 葵の声に律儀に顔を上げて清芳が応じる。
 そうだなと頷く葵にしても一つ的を潰す程度の気持ちだった。

 箱は、集めた幾つもの事件の中にも跡を残している。
 けれどそれは今回のように誰かが加害者から贈り物の話を聞いていただとか、悲鳴に飛び込んで取り押さえた直後に見ただとか、その程度のものだ。
 気付けば失せているその箱は、改めて清芳やオセロットが訊ねるまで記憶から消えていた。
 気のせいか、見間違いだったか、そんな風に。

「箱の中を見た方は、いらっしゃるんでしょう?」
「ああ。出所問わずでも質は問わないわけにはいかない。どの店でも見ていた」
「何か入ってたか?宝石箱の類だろう箱ってぇのは」
 清芳が馨に答えると次にはオーマが問い掛ける。
 ルベリアを摘んでいるその色の暗さに知らず目元を厳しくしながら僧兵は首を振った。なにも、と左右に。
 彼女も箱の中に何か、例えば巷でも耳にすることのある『呪いの石』の類が置かれ、店主達に何某かの影響を与えてそのまま人の手を渡っている状況も考えていたのだ。けれど誰もが一様に「空っぽの綺麗なンだった」と答えて。
「仮に入っていたならそれは、店主達に見えなかったということになる」
「清芳さん。そちらかもしれません――見えなかった、という」
 ふむと清芳が取り分けたメモを確認していたオセロットの手も止まる。
 同様の葵やサモンもまた馨の発した声に瞳を巡らせた。


『箱の中に、小さな……赤い石、が見えて……綺麗だなと思って』

 短い手紙を何度か読み返してから小箱を手に取った。
 遅くなるからと先に館の者に預けていった彼を、いくらでも待つのにと思いながら蓋を開けた。
 よくしてくれる、贔屓にしてくれる、いつか一緒にと些細な約束。
 約束は、叶うとも叶わぬとも気持ちは揺れて、それを思い出しながら覗き込んだ小さな箱の中に転がっていた石の数は覚えていない。

『それから蓋の裏のよく映る鏡を見て』

 その前に一つ、蓋との合わせ目に引っ掛かってでもいたのか転がり落ちた石はあったけれど。
 見失って、その後に鏡を覗いて。そうして。


「確かに彼女は石を見たと話しておられました。一つ転がり出るのも見たと」
 どうして、と震える手を晒して訴えた殺人者は今日もその部屋で見張られているのだろう。
 嘆き声を嗄らさぬよう、昂ぶって舌を噛み切らぬよう、戒められて。
「数は思い出せないとのことででしたが」
 石の数も関わりがあるかもしれない。
 思って涙を溢れさせる娘を宥めながら確かめたが記憶にはやはり無いというばかりだった。
 それとも関わりがないのか、と思いもしていた馨は清芳のいう「店主は見えなかった」という言葉に判断を戻す。数はともかく石はやはり何か関わりがある。
「……赤い、石……」
 馨が話した娼婦の言にそれぞれが唇を一度閉じてメモと、その探る先にあるはずの箱を見る風にした中で赤い髪の少女がぽつりと声を発した。
 ずっと沈黙してメモを見、会話を聞いていたサモンは視線を手に持ったメモから動かさないまま独り言のように言葉を続ける。
「赤を、何度も……重ねて塗ったような、色。それが『想い』の上に、あったよ」
「ちょうどこのルベリアみたいな感じだな」
「……そうだね」
 オーマが補足するのに同意するサモン。
 想い、とやらは他の者には見えも感じもしない。
 だが先程から二人の前にある花が示すその色から考える。イメージするのは存外と容易だ。
「上からかぶせているような……元の想いを隠して」
「意思を上から、か」
 オセロットの確認にサモンはこくりと首を上下に一度振った。
「本人の意志ではない、ということだな」
「彼女の様子からすれば納得出来ますね」
「他の女達から聞いた分からも外れない」
 看板の踊り子が絡んでいることもあって、日の高い間から黒山羊亭の卓を占拠している。
 だが流石にその踊り子の姿はなく、普段の彼女の指定席じみた位置に視線を走らせてから葵は僅かに姿勢を動かして口を開いた。商売仲間の女達が言うには、と。


『確かにちょっとのめりこむ子だったけど』
 娼館の主が言っていた「情を傾けすぎるが」ということの通りの話。
『でも行き過ぎて殺しちゃうほど思いつめちゃいない』
『感情的になって騒ぎを起こす子はいるけど、あの子は違うよ』
 馨が話す際に一緒に向かい、間近で確かめた娘もその通りの――罪を犯すだけの衝動があっても九割方は手前で止まる、どちらかといえば感情の振れ幅が静かな類の人間に見えた。人間観察は専門ではないが、ある程度は人を見ている葵だ。正反対の判断ではないはずだった。
『それに』
 ひそと声を交わす。
 目線で先を促すのに娼婦達は口々に声を溢れさせて。
『いいお客さんで』
『あの子はちょっと不安だったみたいだけど』
『あたしらから搾り取るような下衆野郎じゃなくって』
『大事にしてて』
『本気だったみたいでさ』

 それなのにどうして、と。


「男女仲がどうの、ではないわけか」
「俺はその辺りは面倒でね。あんた達の方が解るんじゃないのか」
「……私達?」
「そうですねぇ。どうでしょうか」
 な、と瞬いた瞳を直後に見開く清芳と穏やかな笑みで返す馨。
 うっすらと唇を引いて二人を見る葵。
 にやりと眺サモンがめるオーマが更に引っ掻き回す言葉をぽんと投げ込む前に、娘のサモンがひっそり父の脇腹を打ったのを嘆息しつつオセロットは確かに見た。



 ――とてもとてもよくある話だったのよ。



 ここ、と清芳が指先で示した地図の一点。
 開店前であるのを良いことに、メモを選り分けつつ話していた卓の隣をまた占拠して一同はそれを見た。
「箱を取り扱った店主達が話した子供達は、孤児もしくは娼婦の子で半ば放り出されている状態だということだ。売りに来るのはこの集団の誰かだと」
 苦いものを飲み下す面差しで語る彼女の示す辺りを確かめるオセロットと葵。選り分けたメモに書いた住所を手早くめくり確かめる葵が「近い」と呟くのにオセロットが束ねた金髪を揺らし、頷いた。
 清芳の聞いた箱絡みの被害者の通い先と、他に葵が聞き込んだ娘と同様の『そんなことしない子』が起こした件とを重ねて更に選り分けた分だ。
「……ここ、に……廃屋があったよね」
「廃屋っつーか、多分そのテの商売してた館だろうな」
 こちらはサモンと、その背後から彼女の上着なのか大盾なのかと首を傾げる体制で覗き込む巨躯のオーマ。
 ルベリアの色の揺らぎと、想いの糸と。
 それらを辿りつつ聞き込んでいく間に気付いた赤く重い色。じわりと広がっていたそれ。
「そこから娼婦達を操ってでもいるか……しかし」
「いや、年季が入ってるならそれもあるだろうが最近だ」
「最近……殺しの後、ってところか」
 解りやすいと呟く葵の瞳がすいと眇められ、地図で見た方角へ顔を向けた。

 関わりがある。

 それはあまりにも明らかな。
「一応覗いては見たんだが、中は崩れて危ねぇ」
「子供が遊び場にはしていると聞いたのだが」
 オーマが低く唸りながら話す。
 だが清芳が店主達から聞いたのはそこに集まる子供達が売りに来るという話だったのだ。崩れているような場所に、子供が――そこまで考えて清芳はゆるく首を振って苦笑した。
「いや、入り込んで遊んでいてもおかしくないな」
 そしてそこで箱を見つけて小遣い稼ぎに売りに行く。
 あるいは勘の良い子供が恐れて処分したがるか。
「推測でしかありませんが、有り得ない話ではないですね」
「……近い、とは思う……」
 サモンが馨の声を肯定する。
 箱が既に戻りまた売られたかどうか、清芳が聞いて回ったのは先日だがすれ違いということも。
「話は通してあるのだろう?」
「箱が売れたなら教えてくれと。買い取った後に預かっていて貰おうとも思ったが」
「万が一ということもありますから、売れた先をすぐに連絡して頂く形でお願いしてあります」
 清芳と馨が合流した後の店には箱の特徴も伝えてある。
 最初の方で回った店についてもある程度は情報が回ることは確認してあるので引っ掛かりはする。
「ふむ……」
 地図を見直しながら、事件の起きた娼館の位置の近さを再確認する。清芳が示した位置からぐるりと円を描きその内側。
 仮に男娼を扱う宿があれば、そこでも同じことが起きただろうか。
 有り得なくもない。
 オーマが話を聞いた当初に「娼婦だけか?」と確かめたのを思い出しながらその円の内側で起きた事件を数え――きゅと軽く握られていた拳に力を入れた。
 男娼がどうの、ということではなくその館での事件の可能性に思い至って。
「ここが使われなくなったのは?」
「子供の集まる?」
「ああ。どの程度の過去だ」
「……館自体は、魔術師だか誰かが娼婦に入れ揚げた挙句に思い詰めて、と聞いたが。崩れる程には昔のはずだ」
 答える間に清芳の瞳も厳しくなる。
 はたと傍らの馨を見れば彼の瞳も事に当たるときのように鋭さを奥に覗かせていた。
「あんた自身はメモなんて不要だろう?何を聞いたんだ」
 隣の卓に腕を伸ばしかけて止めた体勢もそのままに葵。
 彼の切れ長の目と一瞬視線を交わしてオセロットは唇を開く。聞いたのは、路上に転がる薄汚れた男からだったか。
「何年前だったか」


『何年前だったかね。男に騙された女がいたよ』
 陳腐な物語。
 うだつの上がらない、口が上手いだけの男だった。
『情の深い女で、客で来たそいつと仲良くなった。つまらない宝石箱一つを貰ってほだされて』
 いつか館から離れるときのために用意していたお金。
 頼まれ縋られる度にそれを潰して。
『壊すにも金がかかるからってそのままのあそこはいい密会場所でな。何度もそこで会っては金を融通してやって』
 わかっていた。
 わかっていたの。
 だって貰ったのは男が作った小さな箱一つだけ。
 あとは何もなくて言葉ばかり。
 でも信じていた。信じたかった。いつか。いつかいつかいつか――いつか、いつなのか。
『どうなったかなんて、すぐ解るだろう?』

 箱は無くした。
 不安になる度に覗いた鏡。自分を力付けては失敗して落ちた涙。贔屓の人と和やかに話す他の子を見ては胸をざわつかせた嫉妬。約束したのよと表面だけの優越感。
 そんなもの全て閉じ込めて、どこかに。


「殺し、後を追い、と決まりきった展開だったそうだ」
「時期が離れてるな」
 ああ、と頷くがしかしオーマとサモンが二人揃ってその館から何某かを感じ取ったというのであれば。
「繋がりを確かめる必要がある」
「……いや、確かめる必要もないかもしれない」
「うん?そりゃまたどういうわけだ」
 呟きを遮った清芳の声を、更に遮ってオーマ。
 サモンが顔を上げて扉へと視線を流すと踊り子が姿を現したところだった。葵が軽く手を上げて頷いてやる。薄く笑んでエスメラルダは奥へと消えた。
 その動作の間にも話は続く。
「あくまで推測だが、子供達が箱を見つけ出したのが最近だとすればどうだろうか」
「箱はどこかに転がっていて、人の手に渡るまでは……ということですね。確かに通じる話ではあります」
(多分……それで間違いない)
 清芳の声に成程と頷く馨の言葉。
 聞きながらサモンは静かに目を伏せる。
 父の視線を感じながら、閉じた瞼の下で辿った赤の重ねを思い返す。新しい赤黒い想いのあった場所。その下に更に一度移った痕跡のある同じ想い。更にその下にも。
 くりかえし、くりかえし。
「誰かに殺人を犯させて、そして戻って……また売られて」
 一番若い外見の、少女が酷く重い声音で呟く様は歌を思わせたけれど、誰もがそれを真面目な様子で聞いていた。
「赤い石と鏡、か」
「どちらが原因なのでしょうね。あるいは両方なのか」
 むしろ自らに問うような馨の声に「さあな」と返し、立ち上がる。葵と並んでオセロットも同様に立つと卓にあったメモを無造作に集めると握り纏めた。
 再確認が要るとは思えない。

「なんにせよ、一度踏み込んでみるべきだろうな」

 狭い場所は、どうにか。
 言いながら歩き出す後ろでサモンとオーマが相談しているのは、フレンズだの銀次郎だのとその狭い場所に入る算段だろう。
 だが清芳と馨が連れ立って戸口に向かった辺りで一同の歩みは止まった。成人前のひょろ長い姿が飛び込んでくる。


「ええとサヤカさん、か、カオルさんっていますか!」


 次の悲劇の川へ、箱は躍り出てしまったらしい。
 誰ともなく息を洩らして力を抜いた。



 ――本当に、とても、よく――どうして私だけ。



 買った男の通う相手を確かめる。
 以前に赴いた相手についても念の為確かめて、各館の主に話を通す。これは義理堅い男だったことが幸いし、一人だけだった。
 オーマがごねるのをサモンの蹴りで黙らせつつ、一室を借りて客と女が会うのを待つ。間に馨と清芳――これは第一印象で、というべきか――に件の館に集まる子供達から箱の発見場所と時期を確かめておいて貰う。

 ことは、動けば早かった。

 女が箱を受け取る。男が寝室へ向かう。唇を綻ばせて女が包みを開く、箱の造りをしばし眺めてからそろりと蓋を開く。覗き込む。拍子に赤い石が一つ。跳ねる飛沫になる女が見失い蓋を見る。鏡。どこかの声。誰の声。
 ぞろりともたげた感情はいつからあったものか。

「言葉なんて、う、そ、ばか、り」

 踏み込み抑え込んで箱を取り上げる。
 ころころと中で動く音がしたが開くことはなく、掴み上げたそれをオセロットから葵、サモンへと。娘の傍らでオーマはその箱を見る。
「なんだってこんな真似したんだ、あんた」
 焦点の合わぬ眸を見下ろして問う葵の顔を、娼婦は虚ろに見上げて定まらないままに眺め遣った。
(専門外だってのにな)
 まるで取り憑かれたようだ。
「いつもいつも優しい、の。でもワタシ不安だわ、だ、って、本当の、コトバなのかわからない」
「だから殺すと言うのか」
「他のコに会って、ワタシ嫌いに、な、れば」
「……捨てられるとでも思ったのか……」
 戻った清芳が苦しそうに洩らす。
 そんな不安、清芳は傍らに立つ人との関係の中で募らせて思い詰めたことはない。信じている。
 この娘は違ったのか。
 職業に絡んでもあるとしても相手を殺す程の。
 瑞々しい唇を噛む清芳の背を、その宣教師服越しにも解る程しっかりと広げた手で触れてから馨が進み出た。
 葵よりも更に前に出る。
 問うような眼差しのオセロットに頷いて、手で「そのまま」と意思表示してから彼は静かに娼婦に呼びかけて。

「落ち着いて下さい。貴方が今仰っている事は本心ですか」
「不安、なの。だから先に、だから」
「思い詰めてしまう程に苦しかったのですか」
「だって優しいの、ウソ、でしょ、う」
「嘘をつくような方なのですか」
 ちらりとオセロットが瞳を滑らせたのは、寝室から寄って来ようとする男を見咎めたからだったけれどオーマが素早く押し留め話をしている。大丈夫だろう。
 抑えつけておくのが申し訳ない程の華奢な肢体。
 けれど万一を思えばまだ手は離せなかった。
「いつも、それほどの不安を抱いていらっしゃるのですか」
「――いつ、も」
「殺してしまおうと思うほど、いつも?」
「ころ、し、て」

 きぃと小さな音がサモンの手の中で響く。
 握った燭台を娼婦が手放してごとりと重い音。けれどそれよりも小さい筈のその音がより響いた。
 抱えたとうのサモンまでもが瞳を大きく広げて箱を見ている。集まる視線、その中でことことと小さな赤い石。
 ことこと、こと。
 幾つかだけだった石は箱から溢れ出して床に落ち、跳ねては赤い血飛沫になる。
 ことり、ぱしゃり、ことり、ぱしゃり。
「殺すなんて考えてない」
 化粧が歪んで泣き出す前の顔。瞳に戻っている光。
 オセロットが女の様子に気付いて抑えていた腕を放すとへたり込むように床板に座り、女もその箱から溢れる赤を見ていた。
 駆け寄る客の男。人の良さそうな、少し年嵩の。
「……声、とも違うが」
「思念といった類だろう」


 変わらない。変わりはしない。
 身体を売って稼ぐ女がまともな男とまともな仲になんてなれやしない。良い客なんていやしない。

「偏見じゃねぇか」
「……オーマ……」

 どうして私だけ苦しいの。
 どうして約束を信じるの。
 どうして私だけあんな男。
 どうして、どうして、どうして。

「人の幸せを妬んだクチか」
「……苦悩したのだろう」

 真実裏切りを受ける前に、裏切れないようにすればいい。私のように手遅れになる前に、こちらが先に片付けてしまえばいい。

「娼館だけで起きたのは、同業を思うがゆえもあったのだろうか……」
「そうだと救われますか」
「……多少は、な」


 声ではない言葉。
 めいめいがそれを聞き、溢れ続ける赤を見守っていた。
 最後の一つが床を転がりぱしゃりと跳ねるまで。



 ――どうして私だけ、好きな人を――



 残ったのは、箱だけ。


 ** *** *


 寺院の中は神聖な息吹で満ちている。
 そこに清芳と馨は訪れて、たった今聖水での清めを行ってきたところだった。

「……消えはしない、と仰ったな」
「そうですね。余程の感情だったのでしょうけど……」
 許可を得て帯刀したまま寺院内を歩く。
 清芳の手の中には過日の箱。水気が幾分残るままに若い僧兵が捧げ持っている。
 聖水を受けたのはこの箱だった。
「ただ一つの贈り物に縋り、思い詰め、その感情が染み込む……それ程の思いか」
 回廊を並んで歩きながら清芳がそっと唇を開く。
 吹き込む風は日陰を通り涼しい。
「呪いとはまた違いましたが、いっそ鏡を覗けば身体を奪われる、といった類の術の方が殺害した人々には救いだったかもしれません」
「少なくとも、己の奥底の不安からの殺意ではないからな」
 ええ、と頷いて。

 どこまでも推測だったけれど、サモンが箱に残る想いと同調してみて話したことでもあるので正解には近いはずの。
 それは殺意の引き金になる感情。

「男女仲の不安……ことに娼婦が客と約束事をしたならば、尚更期待の中に不安を抱きもする」
 それを膨らませ引きずり出して殺意に繋げる。
 自分だけの辛さを嫌がったのか、嘆く事になる前にと女達を気遣ったのか、答えは解らないけれど。
 そして染み込んだその引き金。
 寺院の外に出れば陽は一瞬目を刺して瞬きを要求する。
 数度瞼を動かして目を落ち着かせてから、二人は整えられた植木の一つを選び傍に向かった。
 箱を置き、懐から得物を取り出して翳す。
 清芳の手に握られた金剛杵。きゅ、と握り直して。

「……人の心だけで充分だ」

 恐ろしいものは。
 振り下ろしたそれが箱を強く打つ。どういった加減か箱はピシリと蓋に亀裂を走らせて見る間にそれが広がって。
 いっとき無言で見遣り、それから二人揃って黙祷する。


 ――どうして


 落とした涙の証であったかと思わせる赤い石。
 砕けゆく箱の隙間から唐突に一つ現れて、そして消えた。



「馨さんは不安になることはあるのだろうか」
 砕けた箱は寺院の者に頼み、再度祈りを捧げてから後にする。
 門前でつと足を止めると清芳は傍らの常に穏やかな男を見た。半歩分だけ送れて止まり振り返った彼はぱちりとそれさえ優しげにまばたきして、それから微笑み直して。
「いっそ殺してと思い詰めたり、誰かの気持ちに影響されたりはしませんよ」
「……不安には?」
「どうでしょうか。ご想像にお任せします」
 ごく軽い言葉に清芳も口元を緩めて静かな笑みを佩く。
 互いに笑みを向け、それから肩を並べてまた歩き出した。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1882/倉梯葵/男性/22歳(実年齢22歳)/元・軍人、化学者 】
【1953/オーマ・シュヴァルツ/男性/39歳(実年齢999歳)/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】
【2079/サモン・シュヴァルツ/女性/13歳(実年齢39歳)/ヴァンサーソサエティ所属ヴァンサー】
【2872/キング=オセロット/女性/23歳(実年齢23歳)/コマンドー】
【3009/馨/男性/25歳(実年齢27歳)/地術師】
【3010/清芳/女性/20歳(実年齢21歳)/異界職】

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■         ライター通信          ■
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 はじめまして、こんにちは。ライター珠洲です。
 よくある話が根っこでした、というひねりのないお話ですがお届けギリギリで申し訳ございません。最初と最後が個別もしくは二名様となっております。
 共通部分は特に動きがなく、頂いたプレイングの中での「これは?」という問いに答える形のような気も見返すに致します。プレイングはどなたも冷静だったり優しかったりと、そのまま反映出来なかった部分も多いのですがありがたい内容だなぁと読ませて頂いておりました。
 またご縁がありましたら、どうぞ。

* 清芳 様

 ご参加ありがとうございます。
 生真面目かつそれ故の、という部分はとてもツボだったのですがどこにも描写出来ず己の所業ながら非常に残念です……!