<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


□■おとぎの国〜Die Sterntaler〜■□


■開幕■
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 その一瞬前まで、キアラは白山羊亭の看板娘であるルディアと歓談していた筈だった。ところが瞬きの後、キアラの前からは机や昼食、ルディアや喧騒を生み出す客達の姿全てが消え去っており、代わりにただただ白い空間が広がっているばかり。
 そうして呆然と立ち竦むキアラの視界の真ん中で、座り込んだ道化。
 声を掛けようか躊躇うキアラに道化の方が気が付いて振り返ると、道化の顔は涙でぐちゃぐちゃだった。唇を象る筈の赤、睫を彩る黒と青、頬を飾る黄色の星型、その全てが雑ざり合っている。
 その顔で泣き笑いをされると一層不気味だが、その道化が自分に飛びついて来た時には及ばない。
 道化はキアラの胸倉を掴むようにして、早口で捲くし立てる。

『あァ、良かっタ!! 本当ニ良かった!! コレこそ神のお導キ――感謝シまスっ。もう死んでモ良イ――は言い過ぎダケド、感謝シマス!! 食後の祈りヲもう少シ長クしまス、今日カラ!!!!』

 一頻り喚いて胸元で十字を切った後、道化の目線はやっとキアラの瞳とかち合った。引き気味のキアラに幾分冷静さを取り戻した道化は、やがて、何事もなかった様に話し出す。
 この空間の事、そして【星の銀貨】の世界の事を。

『コこ、おとぎの国は捩レ曲がった童話の世界――ソの一端の【星の銀貨】ハ今、存亡の危機に晒されテいるのデス!!!』

 道化が指差す方向に、歪んだ一軒の家が見えている。その家から小さな足跡が野原に向かって残っているのがわかる。
 それは両親を失くして、ほとんどの物を失った信心深い少女が神様に縋って、森を目指した跡だった。優しい少女はその道すがら、出逢った人々の求めに応じ、自分の持つものを一つずつ与えていくのだ。そうして行き着いた森で彼女は着る物一つすら失う。

『ケレど神様ハ、そんな少女を見捨てハしない。少女の頭上かラ落ちた星々が銀貨へと変わリ、彼女はそれを拾イ集めテ、幸せニなるのデス……本来デあれば』

 ところがその配役――少女に出会って与えられる者達は、今食中毒に倒れてしまっているのだ。つまり少女は身一つになる前に森に行き着いてしまうと言う訳で。

『あァ、本当ニ、アナタに会えテ良かった……っ。ドウか少女ガ森に着く前ニ!!! 彼女カラあらゆる物を奪っテ下さい!!!!』

 あまりに道化が真剣なので、キアラはその犯罪めいた行為を拒否する事が出来なかった。

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 ……というか。
「ど、どうしても、物を奪わなければなりませんか?」
 両手を両頬に当てながら困ったようにキアラが聞けば、道化はそうだと首肯する。
『当たリ前。じゃナキャ、この世界ハ成り立たナイのサ★』
 道化自身はその行為にちっとも疑問を抱かないらしい。
 けれどもキアラは、神に仕える立場。
「他人様からそんな――恐れ多い事です……」
 思わず肩を震わせる。
 そんなキアラに道化はさも当然と言う。
『ソウ、かナ? だっテコレは、彼女ノ為ダよ? 彼女ガ幸セにナル為ダモノ。そうしてアゲなきゃ彼女ハ、ズット貧しい思イをシナケレばナラナイカモしれナイよ? キミにどうシテも、助けテ欲しイ』
 最後には額を大地に擦り付けての懇願。
「わたくしがお役に立てるなら……精一杯、が、頑張りますっ。――全ては、主の御心のままに……」


■少女を追って■
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 少女の足跡を追っていく途中で、ユーア、オーマ、キアラ、そしてクレシュの四人は出会った。
 黒髪金目の中性的な――見た目は男性と見紛うユーア。黒髪赤目の色々と風変わりな様相の巨漢はオーマ・シュヴァルツ。修道着を纏った可愛らしい顔立ちの青髪青眼の女性はキアラ・ユディト。白衣を着た銀髪碧眼の美男子がクレシュ・ラダ。
 彼らは出会った瞬間悟った。
「あんたら――」
「お前ら……」
『少女を追ってるのか!』
 オーマとユーアが揃って言うと、キアラとクレシュが頷いてそれを肯定した。
 見知った顔なので間違いない。
「いやぁ、いいよねぇこういうドキドキ。まるで狩人になったみたいで新鮮だなぁ」
 心なしか頬を紅潮させてクレシュが遠い目を、少女の足跡が刻まれた大地に向けている。
「皆もそうでしょ? なんかワタシ、こういう道に走ってしまいそう♪ ね?」
「そ、そんな、わたくしは……」
 突然話をふられて、キアラはびくりと肩を揺らして、そして見る間に顔を蒼白に染めた。そもそも彼女が着る修道服は騙りでは無いのである。彼女は敬虔な神の信徒。そんな事にも気づかないクレシュに、ユーアは冷ややかな目線をくれてやる。
「最低だな」
 オーマの方は何だか酷く狼狽しながら、今までライバルと呼び合っていた男を見ていた。
「クレシュ……お前。……し、知らなかった……」
「ほえ?」
「そうまでして女の子の服を剥きたいなんて……ロ、ロリコンっ…だったんだ、な……」
「「「は?」」」
オーマの頭の中で少女が奪われる最終過程の肌着が、嬉しそうなクレシュの手に握られる想像がされていたが、それを知る由も無い三人は、思わず口を揃えて小首を傾げる。
 固まる三人を前にオーマの妄想は止まらない。
「お前の嗜好をあーだこーだ……い、言う気はねぇよ? 愛があれば年の差なんてねぇしな!? だがっ!! 俺の娘はやらん!!!」
 何を言ってるんだオーマは、という顔で呆れるユーア。キアラの方は思わずクレシュと距離を取り、クレシュは慌てて叫んだ。
「ちょっとオーマ君!? それって誤解だよ!? っていうか何で!!!」
 半泣き顔でクレシュは弁解を続ける。
 その間にも少女との距離は遠のくというのに。
「ワタシが欲しいのは、彼女の血であって!!」
「何だ、結局変態か」
 さらにユーアまでクレシュから一歩離れる。
「あわわ、違くて!! これは言わば研究者としての性で!! おとぎの国の住人の生態調査の一環だよっ!」
「せ、生態調査――ですか…?」
「そうそう。種族としてどうなのか。人間なのか違うのか。赤いのか青いのか。薬物反応はどうなのか。皮膚、髪の毛、色素、骨まで、その存在がどういう構造で出来ているのか、つまり……そう!! ワタシはその為に彼女が欲しい!!」
 言い切った、と清清しい顔で拳を握ったクレシュに三人は一瞬沈黙した後。
「やっぱり変態じゃねぇか!」
 ユーアとオーマはキアラの両手をそれぞれ引っ張って、駆け出した。


■ヤサシイ少女■
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 三対一の追いかけっこはしばらく続いた。キアラはユーアとオーマに半ば抱え上げられた状態で、後から追ってくるクレシュの泣き声を聞いていた。普段人見知りが激しくて対人恐怖症の気があるキアラだが、幸いというか予想外の出来事に思考は停止状態。
 頭の上ではオーマとユーアがお互いのこれからの動向を話し合っている。
「じゃあオーマも別に追剥するつもりは無いんだな?」
「ああ。子供とはいえ異性の前で裸見せるのは問題だろ。物語上仕方ねぇってんなら、ほら、モザイク付き眼鏡で見えないようにしようと思ってな」
 オーマが懐から出したるは、何だか異様な気配を放つ眼鏡。渡されたユーアの手の中で黒縁のシックな眼鏡へと形を変える。
「!?」
「ああ、これな。手にした瞬間それぞれに合わせて多種多様に変化すんだ。――で、お前も追剥じゃねぇっつうと?」
「護衛希望だ。俺も、さすがに裸はどうかとな」
 二人は、同様キアラも追剥希望外だと推測する。なんといってもシスター様だ。
「それにタイミングの良い食中毒の原因も、犯行性も否めねーし」
「……っと、止まれ!!」
 オーマの言葉に頷きかけて、ユーアは慌てて制止の声を放ち、草原の中を走る一本道から草原へと身を潜めた。
 オーマも続きかけて、後を追ってきたクレシュを引っ張り込む。
「な、な、何??」
 息を切らせるクレシュにしっと唇で指を立てて、オーマは道の先を指差した。
 道には一人の少女が、ぼろぼろの服を纏って経っていた。その前には這いつくばった、こちらもボロ雑巾の様な体様をした男。
 少しずつ近付きながら、四人は耳を澄ます。
 男の声が切れ切れに少女に向かって放たれている。顔はこけて青白い。瞳が飛び出さんばかりの眼窩が不気味だ。
 少女が腰を落とし男に優しく微笑んだ。
「お腹が、空いたの?」
 男はお腹を押さえて震えている。
 少女は手に握っていた一片のパンをそっと男の手に握らせて、もう一度笑う。
「どうぞ」
 そうして立ち上がり、道を歩き出した。足跡が更に、続いていく。
 四人は草原から飛び出して、少女を追った。
 這いつくばった男は、明らかに……お腹を鳴らしていた。けれどそれは空腹からくるものでは無く。
 ユーアは男を飛び越し、オーマも続いた。クレシュは器用に男の服だけを踏んで歩いた。最後にキアラは男の手に――薬草を握らせた。
「お大事に」
 男の症状は、食中毒だった。


■森へ続く道■
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「おい」
 声と共に駆け寄ってくるユーアに、少女はゆっくりと振り返った。少女の顔も、お世辞にも健康的とは言えず、人にパンを恵んでやれる程余裕があるようには見えなかった。
 見ず知らずの、組み合わせ的にも不思議な四人を見ても猜疑一つ頂かずに、淡く微笑んでみせる姿。
「何でしょう?」
「あんた、森に行くんだろ?」
 その少女を見ると、何だか無条件に助けてあげたくなるような。そんな気持ちが湧き上がってくる。
 素直に頷く彼女が哀れで仕方ない。何時か騙されそうだ。
 それを抱いたのは一人ではない。
 キアラは一つ唾を飲み込むと、意を決したように口を開いた。
「あの……っ」
 きょとんと目を瞬く少女を見る事が出来ず俯く。
「えと……わたくし……」
 彼女の足が視界に映って息を飲む。穴が開いてる。底が擦り切れて、あまり靴の役目を果たしてなさそうだ。
「キアラ?」
 オーマに呼ばれてびくりと肩が跳ねる。
「わ、わたくし………も……」
 誰かの役に立つ事がキアラにとっての至上の喜び。道化が困っていた。そして少女が幸せになる為。
 だからキアラがそうする事は――。
「あ、あああああた、頭が寒いの、です……!」
 思い切って顔を上げると、少女のやつれた顔。頭には色褪せた頭巾。
「その、頭巾を………」
 少女の純真な目がキアラを真っ直ぐに見つめている。そんな彼女から、例え正しい目的としても誰が奪えるだろう。
「貸してくださいませんか?」
 少女はどちらでも快く差し出してくれただろうが、キアラにもまた、奪えやしなかった。

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 キアラの精一杯の勇気も、ほんの数分で終わりを告げた。前を行く少女の頭が、目に映るたび、キアラの心臓は大きく悲鳴を上げるのだ。
 努力はした。けれど。
「ごめんなさい」
 小さく呟くキアラの頭を撫でながら、ユーアはため息をついた。護衛の役目を全うしたら少女から肌着以外のものを報酬としてもらう気でいたが、何だかそういうわけにはいかなさそうだ。
 前を歩く少女の頭には、似合いの頭巾が乗っかっている。
 誰も何も奪えない。そんな気がしていた。
 気が、していたというのに。
「もう、我慢出来ない!!」
 静かな道行を唐突に破ったのは、今まで最後尾で黙りこくっていたクレシュだった。
 クレシュは唐突に高く跳躍すると、少女の前に降り立つ。
 あまりに唐突過ぎて呆気に取られる面々の前で、クレシュは白衣の裏に隠された注射器を構えて見せた。
 血走った目が、少女を見据えて笑う。不気味だ。不気味な事この上ない。
「お嬢さん!!」
「は、はい!??」
 優しい少女さえ声を上擦らせて、少しだけ後ずさってしまう。これは性的嫌悪に違いない。
 震える注射器を見て、彼の真意を悟るユーア。
「その血を……ぶっ!!」
 言い終わる前にクレシュの顔に長い足をめり込ませて、ユーアはまた足を振り上げる。
 ガス。
「が」
 がすがすがすがすがす。
「ぐM、げっ……Gうっ――」
 ガスがすガスがすガスがすガスがすがすガスがすがすがすがすがすガスガスガスがすがすがすがすがすがすがすがすがすがす………。
 何度も何度もユーアの足がクレシュの顔といい体を踏みつけるが、止める者は誰もいなかった。


■森から先■
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 森へ辿りついた時、一行のメンバーは一人減っていた。言わずもがなクレシュである。気絶するまで蹴り倒されてそのまま放置されたのだが、気にしているのは少女とキアラだけで、二人にしても道を行く最中ちらちらと後方を気にするだけで口にして「大丈夫かしら?」等とはけして言わなかった。きっとああいう人種は長生きするし。
 道すがら他の強奪者とも出会わず仕舞い。どうやら食中毒を押して這ってこれたのも最初の一人だけだったらしい。あの男も見る限り相当酷い具合だった。
 兎にも角にも森の中、全てを失わなくても大丈夫かという杞憂はあったものの、少女の見上げた星空から銀貨は落ちてきた。
「星の、銀貨……」
 その様は美しく、まさに神の恩恵だった。
 少女は泪ながらに微笑んで、神に祈りを捧げ――。

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 それでも、まだ。
「さて、と。それじゃ次は……押し置き、だな」
「ああ」
 怪しく笑むオーマと剣呑な瞳で頷くユーアの背後では、食中毒に合った配役達を献身的に見舞うキアラの姿があった。
 オーマが気にしていた食中毒。その原因は、以外な所にあった。
 否、その懸念は持っていたのだから、考えれば確かにありえた事ではあったのだが。
 配役が食中毒に合う前に食べた物。畑で育てた野菜でもない。川で捕った魚でも無い。山で採った木野子でも無い。下手なものは食していない。ただ明らかに。食中毒になる前日に、配役全員が食べたものは――。

 二人が見据える先には一軒の、家。
 配役村の外れに位置するこの家は、道化が使っているのだという。
 いわば様々な世界を繋ぐ道化が、この【星の銀貨】を繋ぐ為の交錯点としている所。
 オーマは両手を組んでボキリと音をならすと、乱暴に扉を開けた。
 すると、次の瞬間。
『ぎゃーっ!!!!』
 椅子は倒れ、机の上では花瓶が割れ、床には羊皮紙の類が散乱し、壁にかけられた写真は傾く――そんな家の中から、恐怖に泣き叫ぶ道化が飛び出してきたのである。
 道化はオーマの姿を見止めると、すぐさまその大きな背中の裏に身を潜めた。
「何だあ?」
 ぶるぶると震える子羊のような様相で、道化は家の中へ叫んだ。
『助けテあげタのニっ!! 恩モ忘レて!!』
 良く見ると道化も家に負けずぼろぼろだった。三叉の帽子は切り刻まれ、靴はかたっぽ脱げていて、大きな唇を象る化粧は擦ったように流れている。頬や首には引っかき傷。
 家の奥からは猫の威嚇音のような息遣いが聞こえる。
「何だ?動物でも飼ってんの?」
素っ頓狂なユーアの言葉に大きく首を振って、道化は泣き叫んだ。
『アンナ危なイ人なんて、聞いテなイッ!!!』
「「ああ?」」
 要点を得ない道化の言葉は、しかしすぐに判明した。
 家の中から飛び出てきたのは――。
「「クレシュ!!?」」
 そう。目を血走らせて注射器を左手、メスを右手に構えた――クレシュ。
「キミの体、ワタシに頂戴よ……?」
 イカレテル。
『ぎゃー!!!』
 恐慌状態に陥った道化がオーマの腕を強く掴んで助けを求めてくるが、二人は顔をしかめただけ。
『助けテ助ケて助けて………!!』
「何で俺が?」
 それでもオーマが返すのは冷ややかな言葉。
「そんな義理は無い」
『酷いっ!!』
じりりと酔ってくるクレシュをオーマの背中から威嚇する事で避けながらの道化に、ユーアは低く呟く。
「道化。村人から伝言。――差し入れは、オイシカッタ――って、さ……?」
『……』
 道化の動きが止まった。それはもう、あからさまに。すぐにオーマの背中から飛び退いて、何か意味の無い音を吐き出して。
 顔を上げた時には、何時ものおどけた顔で笑って見せた。

 瞬間、大地が割れた。
「な」
「お前!!」
 足元に突如として、暗い闇が口を開いていた。
 物語から吐き出される時の、闇。オーマもユーアも知っている。
「血〜!!!!!」
 そして更に上から、村で看病していた筈のキアラまで。
「きゃ……」
 四人は落ちていきながら見た。勝ち誇った顔で口を動かす道化を。


『バイバイ。また、ヨロシクね?』






 ――次は、せめて皆様の看病が終わった後に帰して下さい。



END
 

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■登場人物■
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【整理番号/PC名/性別/外見年齢(実年齢)/職業/種族】

【2542/ユーア/女性/18(21)/旅人/人間】
【1953/オーマ・シュヴァルツ/男性/39(999)/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り/詳細不明(腹黒イロモノ内蔵中)】
【1735/キアラ・ユディト/女性/18(187)/シスター/石精霊】
【2315/クレシュ・ラダ/男性/25(26)/医者/人間】

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■ライター通信■
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初めまして、キアラ様。お会い出来てとっても嬉しいです。
そして……遅くなりまして申し訳ありません。

 今回はドタバタドタバタと、何だか【星の銀貨】の物語は明後日な方向に放置したまま進んだ感じもありますが……。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
ご参加有難うございました!!