<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


【楼蘭】梔・立香


 蒼黎帝国外れの緑豊かなとある街。
「困ったな……」
 瞬・嵩晃はいつも飄々としている顔に苦渋の色を浮かべて、自分の空になった薬箱を見つめた。
 いつも街へと訪れるときは旅の薬師として赴いているため、今ここで正体を暴くつもりはさらさらない。
 いや今はそんな小さなこと以前の問題で、今ここで瞬が薬を作らなければこの病はもっと広がっていくだろう。

 街中に立ち込める香立つ花の匂い。

 街の薬師たちも例に漏れず病に倒れ、今瞬が平然と立っていられるのは本当は仙人という立場ゆえ。
 しかしそんな中、仙人でも妖怪でもないのに何事も無く動いている人が居る。
 そうそれは異国から来た人々だった。





 その街に訪れたのは偶然だった。
 加えて、この場に3人が集まったということも。
「……瞬殿には何かと尋ねたいことがあるが……」
 街にて現在ただ一人の薬師として普段はまったく動かないであろう瞬が、忙しなく働いている。
 アレスディア・ヴォルフリートはその姿を見るなり前々からの疑問を今は飲み込み、今は病の源を何とかすべきだろうと瞬に問いかける。
「この匂い…分かるかい?」
 瞬の言葉にアレスディアは小さく頷く。
 病に冒されることは無くとも鼻の奥で燻るように残る気高き花の香り。
「原因は、これだよ」
 匂いが人を苛むと言うのか。
 いや、確かこの国へ来た時に、聞いたことがあるような機がする。長年月と日の光を浴びた動植物は不思議な力を持つ。と―――
 ならばこの匂いの元もそれに準じた何かと言えるだろう。
「微力ではあるが」
 協力しよう。と、アレスディアが口にした瞬間だった。
 すっとアレスディアの横を瞬が駆け抜けていく。しかし、
「大丈夫ですか?」
 聞こえてきたのは瞬の声ではなく、どこか聞き知った女性の声。
「君は――…」
 倒れた街人に付き添うようにしてその場に腰を落とし、街人の顔を覗き込んでいたのはシルフェだった。
 熱に浮かされ意識も朦朧としているであろう街人の家の中を覗き込めば、水がめが空になっている。
 きっと喉が渇き、水を探してだるい体を引きずってきたはいいが、ここで力尽きたという事だろう。
 瞬は立ち尽くすアレスディアに小さく「水を」と頼む。
 アレスディアは頷くと、街の井戸へと走った。
「とにかく治療いたしませんと」
 水操師として癒しの力を街人に使用してみるが、一時顔色は戻るものの、すぐさま熱に浮かされる。
「元を断たなければ、繰り返すだけなのだよ」
 同じ重さの症状であっても、徐々に酷くなって行くよりも、一度全快し今度は一気に酷くなるほうが、体だけでなく心に受けるダメージも大きい。
 瞬はシルフェが支える街人の傍らに膝を付き、懐から小さな包みを取り出す。
 今は、酷くならないよう症状を緩和し、元を断ってから完全な治療へと進むことが最善であろうと思われた。
 顔を上げたシルフェは瞬の顔を見るなり小さく呟く。
「あなたはいつぞやの」
 程なくして井戸から戻ってきたアレスディアから水を受け取り、薬と共に口に流し込む。
 呼吸が安定した街人を民家の中へと寝かせ、二人は家の外へ出た。
 現状、街人が起きてくるというハプニングはあったものの、瞬の薬で落ち着いているのか街は静かだ。
「ええと瞬様こんにちは」
 ニコニコと微笑んで、軽く腰を折ったシルフェに、
「シルフェ殿も瞬殿と知り合いだったのか」
 と、アレスディアは目を丸くして問いかける。しかし、
「名を名乗ったかな?」
 あの桃の子の家を見ていれば、定期的にあの家に薬を届けていると分かるだろう。
 きっと家主の誰かに聞いたに違いない。
 しかし、シルフェはそんな瞬の問いにも、少しだけ困ったように眉を寄せて、頬に手を当てる。
「いわゆるアレですか? 後々の市井見物の為にも正体は隠しておきたいというところでしょうか」
 なぜ自分が仙人であるという事を隠して行動しているのかと遠まわしに責めているようにも聞こえる。
「でしたらわたくしが変わりに『通りすがりの仙人様から承りました』と、うふふ」
 だって瞬が普通の徒人であったならば、同じように病に倒れているはずである。
 見も知らぬただ偶然通りかかっただけの街の人たちを、なぜ助けたのかと問われたら、そう答えておいた方が真実味が増すというもの。
 あながち、間違っていないのだけれど。
「そんな親切な仙人が居たら、会ってみたいものだけど」
 シルフェの言葉にも、瞬はさらりと笑って切り返す。
「あらあら、本当ですね。うふふ」
 蒼黎帝国における仙人など、この国の宰相たる華精の彼女を除けば、実に気まぐれなもの。こんな風に“偶然”に騒ぎにでも遭遇しなければ自ら手を出すことなど殆ど無いと言ってもいい。
「そうだね、私からは―――」
 瞬はしばし考えるように口元に手を当てて、シルフェに向けてにっこりと微笑んだ。
「“街を代表”して。お願いするよ」
「承知しておりますよ」
 シルフェは最後、うふふと微笑んでその言葉に答える。
 瞬とシルフェの会話に、アレスディアはおろおろとお互いの顔を見やる。どちらもニコニコと笑顔なだけに逆にそれが怖かった。
「物は相談なのだが」
 笑顔だけが辺りを支配し始めた中で、アレスディアはためらいがちに口を開く。
 シルフェと瞬の視線が一気にアレスディアに集まった。そんなきょとんとしたような2つの双眸にアレスディアは一瞬言葉に詰まる。
「以前ならば、人に害なす存在、退治する……だったが」
 それ以外の道があるならば、それを模索してみたい。
 過去何度か倒すだけではない人たちと行動を共にしたアレスディアの中で生まれた気持ち。
「私にその道が行けるかわからぬが、初めから諦めていては何もできぬ」
 だから、この匂いを――病を発している元に出会ってもむやみ攻撃せずに、説得を試みたいと訴えた。
「そうだね、今どんな状態かまず確かめようか」
 そんな悠長な事を言っていてもいいのかと思ったが、円満に収まるならばそのほうがいい。
 街の人々には少々辛いかもしれないが、死ぬわけではない。
「それで、決めよう」
 手に負えないようならば―――





 瞬が診療所へと材料を手に戻ってきてみれば、大柄な大男が一人、沈痛な面持ちで患者達を見守っていた。
「君は?」
 いや、どこかで見たことがあるような気がするけれど、いまいち覚えていない。加えてこの匂いの中動くことができ、瞬と同じ仙人でなければ、異国の旅人であると言える。
「こりゃ、酷ぇな」
 大男――オーマ・シュヴァルツは、振り返り様小さく呟き、ふと瞬を視界に入れる。
「お前さんも患者かい?」
 診療所へと入ってきた自分と何故か中に居るオーマの位置からして見ればそう思われても仕方が無いのだが。
「いや、今はここの主と言っておくよ」
「って事ぁ、先生か」
 事実は違うけれど、似たようなものかと瞬は適当に肯定の返事を返し、集めてきた材料を手に診療所の奥へと歩き出す。
 オーマ自身も医者であるが為に、いろいろと持参の薬らしきものを検分しているが、どれが有効なのか思いあぐねている様子が見て取れた。
「うぅ……」
「大丈夫か!?」
 それでも目を覚まし高熱に唸る患者にすぐさま駆け寄り、安心させるようにその手を握るオーマ。
 瞬はそんなオーマの姿を見て、にっこりと微笑んだ。
「そうだね、ここも人手が足りないし、君に手伝ってもらおうか」
 オーマは瞬から渡された薬を患者の口の中に水とともに流し込む。
 すると徐々に乱れた呼吸が正常へと戻り、また夢の淵へと誘われていく。
「なぁ先生、原因は分かってんのかい?」
 寝息だけは心地よさそうに規則正しく繰り返す患者をそっと寝かしつけ、オーマは瞬に振り返る。
「匂い、だよ」
「何だって?」
「匂いさ。妖怪化しかけた梔子の――ね」
「梔子といやぁ……」
 オーマの中には白い可憐な花と、その花が持つ花言葉の意味が思い出される。それを考えれば考えるほど梔子が人を病に貶めるなどとは思えなくてオーマは眉をしかめた。
「本当……なんですか?」
「お前さん寝てなかったのか!」
 二人の会話に割って入ったのは、先ほどオーマが薬を飲ませたはずの患者。
 瞬はやれやれと苦笑してすっと身を翻し、薬の調合を行うために去っていく。
「あんなに…綺麗な……」
 梔子が? と、信じられないとでも言わんばかりの口調で患者は瞳を伏せる。
「何か知ってるのか!?」
 梔子が原因であるならば、その梔子のことを何か知れればもっと早い解決になるだろうと、オーマは反射的に問い返す。
 しかし一度は覚醒した意識も徐々に薄れていき、オーマの質問が聞こえたのかどうか分からないような朦朧とした口調で、患者はまるで寝言のように囁くだけだった。
「今年は、匂いが強いから…新しい株の花が咲いたのだと思っていたのに………」
「………」
 そのまま今度は完全に夢の世界へと旅立った患者を無理に起こすことは出来ず、オーマは無言のままそっとその患者の額に手を当てる。
 オーマは自身持つ具現能力を応用した具現精神感応を使用して、病の素が梔子であるならばその病の気から梔子の力や宿る想いを知ることができないかと思ったから。
 そして見えた情景は、広がる梔子の畑が徐々に枯れていき、最後に1本――この病を撒き散らす梔子だけが残った姿だった。





 匂いが強くなる方へと足を進めたどり着いたのは、小さな梔子がポツンと一株咲いているだけの原っぱだった。
 小さな梔子の木を前にして、二人はなぜだか踊らされているような気がする。
「この方が妖怪、なのですね」
 初めて見ました。と、どこか楽しそうに口にするシルフェ。流石にこの蒼黎帝国内でもこうした妖怪に出会うことなどそうそうない。
 楼蘭で初めて出会ったあの子の話を思い出すならば、妖怪は悪い存在である。
 しかし、この梔子はまだ妖怪ではない。いわば見習いだ。
「これでは、らちが明かぬな」
 伸びる枝がまるで鞭のようにしなり、言葉を発してはいないものの、近づくなと言われているよう。
「話はできぬものだろうか」
 足元ではねる枝を避けながらアレスディアはつぶやく。
 街中に居たころはコレが病を運んでいるなどと信じられないくらいに芳しかった香りが、今は鼻を突くほど鋭く強い匂いに変わっている。
「なんだか興奮してらっしゃいますねぇ」
 激昂した心を宥め鎮めるのも、水操師の力の1つだ。
「「!?」」
 一瞬にらみつけられた様な視線。
 アレスディアとシルフェは顔を見合わせる。
「口が利けぬという事は……」
 意思の疎通をと思ったが、相手の言い分が聞けなければ一方的な意見の押し付けにもなりかねない。
「あらあら、赤ちゃんのようですね」
 うふふ。
 口が利けないから、言葉が発せれないから、赤ん坊は泣き声で自分の訴えを親に伝える。
 枝の鞭がいっそう撓った。
「一度、報告に戻ろうかシルフェ殿」
「はい」
 これ以上この場にシルフェを連れていたら、尚更梔子を怒らせるような気がして、アレスディアはシルフェを促し一度街に戻ることにした。
 そして、瞬が逗留しているという診療所に足を運び、忙しなく使われているオーマを見つける。
「オーマ殿ではないか」
「あら、オーマ様」
 すっかり診療所の看護士と化しているオーマは、入り口に現れたアレスディアとシルフェに一度「よう」と手を上げて、辺りをきょろきょろと見回し始める。
 その服装は、やはりちょっと角度を変えればピンクにも見えそうな白のフリルエプロン。
「一番深い色の壷を持ってきてくれるかい」
「おうよ」
 診療所の奥から聞こえた声に、オーマは答え言われたとおり該当の壷を手に奥へと駆けていく。
「瞬殿は……奥か」
 現状、瞬にとってオーマは良く働く労働力になっているようだ。
 シルフェは診療所の部屋という部屋で眠る患者達を視界に居れ、
「寝顔はとても穏やかそう」
 と、小さく呟く。
 この街に来た時、熱にうなされた街人に出会っているだけに、シルフェの顔が少しだけ曇る。
 目覚めればあの熱にうなされるのだろう。だが眠っていれば苦しむことは無い。
 奥へとたどり着くと、瞬はオーマに持ってきてくれるよう頼んだ壷を受け取っている所だった。
「どうだった?」
 そして帰還した二人に向けて、微かに瞳だけを向けて問いかける。
「暴れておいででした」
「だろうね」
 その言葉にはそれは予想済みという色が含まれている。確かにこうして街の人々を病に貶めているのだから、瞬でなくても予想の範囲かもしれないけれど。
「妖怪見習いというお話ですが、仙人見習いに変更は不可でしょうか」
「あぁ、そうか仙人への過程を知らないのだね」
 楼蘭の人々であるならばそれは自衛も含めて知っている知識も、異国から来た旅人たちは知らないのは当たり前。
「妖怪を経て仙人になるものもいるんだよ」
 だから、妖怪も尚強い力を持てば邪仙となってしまっても仙人になることができる。
 ただ妖怪が多く悪さをしているように見えるのは、仙人へと自らを昇華できない妖怪が多いから。
 だけれど、植物自身に宿る聖の魂が自らの華精を生むように、一概にも妖怪になってしまうわけではない。
「その梔子、華精になれそうだったかい?」
「ただの駄々っ子に見えましたよ」
「何かこうよぅ、梔子を怒らせるようなことしたんじゃねーかと思うんだ」
 ぽりぽりと頭をかき、オーマは眉をしかめながらそう口にした。
 仲間達がどんどんと枯れて行き、最後には自分一株となってしまったこと。そして、その原因が人間だと思って、怒っていること。
「私もその意見には賛成だ」
 会話を聞いていたアレスディアは、オーマの言葉に同意するように小さく頷く。
 そしてオーマは診療所に運ばれていた患者たちに付いた梔子の気から読み取った情景をアレスディアとシルフェに話した。
 やはり少々筋肉と腹黒が加わった話し言葉に少々解読を有したが、それはやはり付き合いの長さであろうか、二人は器用にもその中から情報だけを掻い摘んで納得する。
 確かに人間が原因で梔子の仲間達が枯れたのならば、この梔子の怒りは相当なものとなるだろう。そして、独りになってしまった悲しみと、その原因と思い込んでいる人間への怒りが今回の病の発端になったことは確かだと思った。
「1つ、聞きてぇ事があるんだが」
 オーマは首を傾げつつ神妙な顔つきで瞬の下へと歩み寄る。その声に気がつき、瞬は先を促すように顔を上げ首をかしげた。
「その梔子、何で一人になっちまったんだ?」
 本当にこの街の人たちが梔子を枯らしたのか。
 オーマはアレスディアとシルフェに伝えた話をかいつまんで瞬に説明する。すると瞬は少しだけ瞳を大きくして、
「あぁそうか、そういう事か」
 と、何か考えるように口元に手を当てて顔を伏せる。
 一人納得を始めた瞬に、オーマはただただ眉をしかめ首をかしげた。
 シルフェはふぅと一度長い溜め息をつくと、徐に頬に手を当てて軽く眉を八の字に歪め小首をかしげる。
「わたくし臥せっておられる方々心配ですから、もうお酒を根っこから呑んで頂いてへべれけ放置なんて推奨いたします」
 やれやれとも言いそうな雰囲気を背負って溜め息をつくシルフェに、アレスディアは恐る恐る「シルフェ殿…?」と声をかける。
「へべれけにしてしまっては、説得のしようもないと思うのだが……」
「我を忘れてらっしゃるようですから、一度何かありましたほうが正気になれるかと思いまして」
 確かに一度寝たりすることは気持ちの切り替えができたりも、する。
 シルフェにそこまで深い考えを持ってこの提案をしたわけではないのであろうが、一度梔子を黙らせるには最適な案ではないかと思った。
「それは、いいんだけど」
 しかし、そこへ瞬がボソリと言葉を挟む。
「誰が、梔子まで酒樽を運ぶんだい?」
 そしてニコニコと顔の周りに花を咲かせんばかりの笑顔で瞬がそう口にした瞬間、アレスディアとシルフェの視線が一点に注がれた。





「結局…俺かぁあ!!」
 しなる鞭のごとき枝を揺らしてオーマの接近を拒む梔子。
 オーマは抱えた酒樽を落とさないようしっかりと抱えながら、
「今ここで日ごろ鍛えた桃色大腹筋下僕主夫修行★が役に立つ時ぃい!!」
 うぉおお! と、雄たけびを上げて、なぜか目をシュピーンと光らせつつ剛速球で近づいていく。いや、あまりの剣幕にそう見えただけで、実際は違ったかもしれないが。
「おお!?」
 カクーン。
 オーマの体勢がだんだん前のめりになり、樽の中の酒がまるで伸びるアメーバのように樽の口から地面へと落ちていく。つるんとオーマの手から抜け出た樽は、地面に少しずつ酒を零しながら梔子に向かって飛んでいた。

 シュバッ!!

 その樽を攻撃と見なした梔子は枝で樽を真っ二つにする。
 もし梔子が感情を露に出来たなら、きっと今の心情は「!!?」な感じであっただろう。
「あ……」
 梔子の真上から降り注ぐ酒の雨。
 程ほどであれば香りよいはずの強い芳香を放っていた梔子の匂いを払拭するように、どこか瑞々しい酒の香りが当りに広がっていく。
 これが、仙酒の持つ力か。
「大人しくなったようだな」
 枝が地面にくたっと垂れ下がっている様を見て、アレスディアは身を隠していた草の間からそっと立ち上がる。
 シルフェも同じように立ち上がると、パンパンと服についた土を払う。
「あらあら、すっかりご機嫌のようですね。うふふ」
 少し枝が長いだけのただの梔子となってしまった小さな梔子を見下ろしてシルフェは笑う。
「大丈夫か? オーマ殿」
 盛大に転んだオーマを心配するように覗き込むアレスディア。
「おう、俺は何ともねーぜ」
「ならばよかった」
 にっと笑ったオーマにほっと胸をなでおろしたアレスディアであったが、なぜかプチっという音が耳に入りきょとんとした表情で、ゆっくりと視線を移動させる。
「えいっ」
 またプチっと。
「シルフェ殿!?」
「シルフェ!?」
 アレスディアとオーマは驚きと共にシルフェの名を呼ぶ。
 足元には摘まれた梔子の花。
「少ぅしのお仕置きは必要だと思いませんか?」
 燃やしたり切り倒したり、梔子としての命を絶ってしまうことは確かに簡単だろう。だけど、それはずっともっと先の最終手段。
「ええと、人に当てはめるなら半殺しくらいの気持ちで…」
「それも充分酷いと思うのだが……」
 突っ込むアレスディアに、シルフェは首をかしげ、では病気になった街の人々は酷くないのかと問いたげな視線を向ける。
「確かに…匂いの元となっているのは梔子の花だが」
「はい。ですから、花を全て落として『ぽい』してしまいましょう」
 シルフェは少し怒っているのだろう。
 自分が腹が立ったからといって誰かを犠牲にしてもいいわけではない。梔子が復讐として行った、風に乗る自分の花の匂いで撒き散らした病に。
 梔子の花を手折りつつも笑っているシルフェの顔が逆に怖かった。
「花、か……」
 オーマはエプロンの腰掛に当たる部分を上手く袋状にすると、シルフェが摘んでいった花を腰掛袋に入れていく。
 コレだけならばあんな病を運ぶなどと思えないほどに芳しい香りなのに。
「花を集めてどうするのだ?」
「街の連中は騒動の発端が梔子だなんて知らねぇだろ。それに捨てていくよか、何か役に立つんじゃねーかと思ってな」
「そうか」
 オーマの行動にアレスディアはふっと笑って頷き、手伝おう。と、オーマの腰掛袋に梔子の花を入れていった。
「ふぅ」
 すっかりただの緑の葉っぱだけになってしまった梔子を見下ろして、シルフェはにっこりと笑う。
「おいたをすると、叱られるんですよ」
 と、言い聞かせるように梔子に言葉をかける。
 しかしそんな言葉をかけられても梔子は一向に動かず、花が無くなってしまったことに嘆いているのか、はたまた今だ酔いが覚めずに眠っているのか分からなかった。
 一同は連れ立って街に戻れば、症状の軽い者は匂いが無くなった事ですぐさま完治したのか、ポツポツと街人に出くわした。
 症状が初期に出た者、すなわち症状が重い者は診療所に運ばれているため、多分まだ瞬はあの診療所に居るだろう。
 ただいまと声をかけて診療所に入れば、ゴリゴリと乳鉢をかき回す音だけが響いていた。
「あぁおかえり」
 3人がやっと診療所の奥まで入ってきて始めて気がついたかのように顔を上げる。
「ただいま帰りました」
 それに応えるようににっこりと微笑んで答えるシルフェ。
 手を洗うためか立ち上がった瞬は、オーマの袋状にしたエプロンの中にある梔子の花を指差して首をかしげる。
「それは?」
「あぁ、これは――」
 そんな瞬の視線を追うようにオーマも梔子の花を見る。そして、酒を飲ませた梔子をどうしたのかを説明した。
 それを、口元に手を当てて肩で笑う瞬。一通り笑った後、
「それ、貰ってもいいかな」
 と、梔子の花をエプロンに包んだまま、ごっそりと受け取り診療所の奥へと運んでいく。
「瞬殿が何に気がついたのか教えていただけぬか」
 アレスディアは、そんな瞬の背中を見つつ瞬に問いかける。
 根拠は、梔子に酒を飲ませに行く前にオーマが瞬に投げかけた質問とその反応から。それに、瞬と出会うのもコレで3度目。知らぬ仲ではない。
「うん、そうだね」
 梔子達を枯らしていたのは、病を運んでいた梔子自身なんだ。
「なん…だと?」
「それは……」
 どういう意味?
 永く、とても永い時間を生きてきたあの梔子は、新しい命に目覚め始めていた。その命の意味を理解する前に生むエネルギーに引きずられ他の梔子達の生命力を吸い取った。
 いや違う。
 あの永い時を生きた梔子を高みへと昇華させようと、他の梔子達は自らの生命力を分け与えた。
 まさか自分達の命を全て採られるなんて思わずに。
「それはあの梔子が望んだことじゃねーな…」
 それは自分達を攻撃してきた梔子の反応と、独りとなってしまった悲しみから分かる。
 だけれど、瞬はそんなオーマの言葉に「さぁ」としか答えない。
「だけど、あの梔子には使命がある」
 高みへと昇ることを望んだ梔子達の期待に応えるという―――





「おはようございます」
 花びらのように白い髪にその実のように橙色の瞳を持った少女が、傍らにひざをつき微笑みかけるシルフェに顔を上げる。
 広げた指先は緑の葉を持つ枝ではなく、まるで人のような象牙色。
「わたし、は……?」
 そうして少女は困惑した表情で顔を上げた。
「どうやら落ち着いているようだな」
 どこかほっとしたような口調でアレスディアは安堵の言葉を漏らし、振り返ったシルフェと笑いあう。
 ここに訪れる少し前、
『君達の話を聞いて、用意しておいたよ』
 酒を呑ませ匂いの元を取り除いて帰ってきた一同に向けて、瞬は1つの瓶子を手渡す。
『これは?』
 問いかけるアレスディアに瞬はにっこりと微笑む。
『これで梔子と話が出来ると思う』
 この言葉にオーマは腕を組んでうぅむと唸るように言葉を発する。
『熱い想いのオーラがありゃ言葉が分からねぇこたぁねーが』
『それはオーマ様だけだと思いますよ』
 が、最後まで言い切る前にシルフェに遮られ、いじいじと両手の人差し指を合わせた。
『私は、最後の薬を作らなければいけないからね』
 頼んだよ。と、また一同は診療所を送り出される。
 そんな理由があって3人はまた梔子の前に立っていた。
 梔子を―――少女にして。
「話してみねぇか。どうして街の人たちを病にしたのか」
 シルフェとは反対側の梔子の傍らに座り込み、オーマは問いかける。
 しかし梔子は警戒するように言葉を閉ざして、きっと柳眉を吊り上げた。
「安心しろ、俺達は街の住人じゃねぇ」
「それに街の人々は病の素があなただとは気が付いていない」
「そんなはずはない!」
 あれだけ匂いを撒き散らしたのに誰も気が付かないなんてそんな事はおかしいと梔子は叫ぶ。
「どうしてそう思うんだ?」
 静めるようにゆっくりとした声音で問いかけるオーマを梔子はきりっと睨み付け、
「わたしは、わたし一人で今までここに植わっていた弟妹達以上の匂いを発していたのだ! 気づかぬなどそんなはずは無い!!」
 その言葉に、オーマは具現精神感応で見た情景を思い出す。

『―――みんな、なぜ枯れていくの!?』

 梔子はそんなオーマの表情には気にも留めず言葉を続ける。
「街の人間共が何かしたに違いない! だから、わたしは匂いを発したのだ」
 その匂いに病を乗せて。
「事実も確かめず人に害を為したのか」
 悲しげな面持ちで梔子を見つめ、アレスディアが口を開く。
 以前ならば、人に害を為す存在、退治する――だったが、それ以外の道を行く人々と行動を共にし、アレスディアも変わりかけていた。
 それが善であれ悪であれど、何か行動を起こすには何かしらの理由がある。
「どうやって確かめろと?」
 そう、今は少女の姿であれど、元は動けぬ梔子の木。
 先ほどまで言葉さえも発することが出来なかったのに。
「匂いから病を起こせるのですし、匂いを使って梔子様の様子をお伝えできたのではないですか?」
 正確にではなくとも、一人となってしまった悲しさや、弟妹達に何かしたのではないかという疑問を乗せて。
 だって梔子が発した病は、その原因を探りにこさせるどころか、街人の動きさえも全て封じてしまったのだから。
 突然植物達が枯れていく理由なんて分からない。
 ただ分かっていることは、人の力で梔子が枯れたのではないということ。なぜなれば、梔子達は彼女を除いてあくまで自然に枯れていったのだから。
 そして―――
 枯らしていたのは、この最後の一株である梔子自身だったのだから。
 言葉を交わし、梔子自身もその事実に気がついていない事も分かった。
「「「………」」」
 そうして一同はそっと顔を見合わせる。
 事実を告げるべきか否か。
「話は着いたのかな?」
 まるで風に乗るようにして聞こえた声に、アレスディアとシルフェはその声の主の名を呼んで振り返る。
「もしかしてまだだったかい?」
 小脇に大き目の巾着袋を抱えた瞬は軽く首をかしげて一同を見る。
「瞬殿はどうしてここへ」
 アレスディアの記憶では、瞬は最後の薬を作るために街に残ると言ったから。
「これを、届けにね」
 そう言って広げた巾着袋の中から出てきたのは大量の梔子の種だった。
「これ…は……」
 瞬の手の中の梔子の種を困惑の表情で見つめる梔子の少女。
「君の種だよ」
 この辺り一帯に植えるんだ。と、にっこりと笑って口にした瞬に、梔子の瞳が開かれる。
「わたくし花を全て取ってしまいましたのに」
 シルフェの言葉の中には「どうして種があるのでしょう?」という意味合いが含まれていた。
 オーマはそんなシルフェの言葉に何か感づいたのか、ん? と、何か考えるように一度瞳を虚空に向ける。
「もしかして、俺が持って帰った花か?」
「正解」
 彼はいつも植物と共に――。
 そうして何か言葉を促されるように向けられた視線に、シルフェは一度ゆっくりと息を吐いた。
「隠していても仕方がありませんね」
 そしてその言葉を引き継ぐようにしてアレスディアも同意して頷く。
「そうだな、梔子殿はこの原に生きていた梔子達全ての希望なのだから」
「え…?」
 自分達の弟妹から高みへと昇る命を望んだ梔子達の心。
 梔子の少女の瞳から涙が溢れ出す。
 兄弟姉妹達は知っていたのだ。自分が高みに憧れていたことを。
「わたしはどうなるのですか?」
 理由を知らされぬ悲しみと勘違いの怒りから妖怪化していたが、こうして歳若いながらも華精へと変じることが出来た自分。しかし、その怒りから人に害を為してしまった自分は―――。
「運よく知り合いに華精が居るから、頼んでみよう」
「え?」
 何のことは無いと瞬から発せられた言葉に、梔子は驚きに目を見開く。それを聞いていたシルフェは頬に手を当ててきょとんと目を瞬かせると、
「あら、瞬様が教えるのではないのですか?」
「一介の薬師に華精の師が務まるわけがないだろう?」
「そうでしたね。うふふ」
 ぽわぽわと小さな花が回りに咲いているような雰囲気をお互いかもし出しているのだが――
「「………」」
 そんな様子を見て顔を複雑に歪めたのはアレスディアとオーマ。
「なんつーか…」
「あぁ」
 シルフェと瞬の二人の間に流れる空気に、オーマとアレスディアはただただ苦笑するしかない。
 しかし何はともあれ病を発していた梔子は自分の誤解を認め反省し、しかも仙人としての修行をこれから行えることになったのだ。
 誰の犠牲も払うことなく解決できたことに、皆はただ安堵の微笑を浮かべ、誰とも無く顔を見合わせる。

 空は輝く青を湛えていた。













☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【2919】
アレスディア・ヴォルフリート(18歳・女性)
ルーンアームナイト

【2994】
シルフェ(17歳・女性)
水操師

【1953】
オーマ・シュヴァルツ(39歳・男性)
医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 【楼蘭】梔・立香にご参加くださりありがとうございました。ライターの紺碧 乃空です。予想と反してかなり長い時を頂き申し訳ありませんでした。楽しんでいただければ幸いです。プレイングを統合した結果、人に害を為した結果が軽くなってしまったような気がしています。しかし意思の疎通をという行動からこんかいの結果が導き出されました。この後、皆が幸せであることを祈ります。
 梔子が暴れた理由はオーマ様の霊視プレイングにて決めさせていただきました。加えまして診療所にて雑用としてお手伝いありがとうございました(笑)オーマ様のプレイングはいつも想いを重視されておられますが、当方としましては昔のオーマ様の口調でのプレイングの方がオーマ様の想いを受け取れたように思います。
 それではまた、オーマ様に出会えることを祈って……