<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


捕らえられた魔道彫金師

―レムを助け出す。
静かだが決然とした少年の言葉にエスメラルダは大きく肩を竦めた。
普段は呆れる程けんか腰にやり合うくせに、いざとなるとやはり師匠のことが心配なのだ。
使用人に泣き付かれるまでもなく一人でも助けにいく気だっただろう。準備万全の少年の姿を見れば、一目瞭然だった。
もっとも、猪突猛進せず冷静に仲間を募るところは流石である。
「レム殿の……珍しいな、どうかしたのか?」
「あっ〜れ、なんだお前。何でここにいるんだよ?」
「よぉ、レムの弟子じゃねーか?」
「なぜ貴方がここに?レム様が……」
何人かに声をかけてみるわとエスメラルダが言いかけた瞬間、聞き慣れた声が店に響く。
(探す必要がなくなったな。)
少年は口の端を小さく上げながら、ゆっくりと振り返った。

「相手はエルザードから5日くらい行ったとこの地方領主……いわゆる貴族様。で、向こうには私の存在はバレてるし助けようとしてるのもばれてる。」
あっさりと状況を説明してくれる少年に唖然となるが、事態が変わる訳でもないので納得する四人も四人だとも思うがこの際それは関係ない。
選択肢は自由だと笑顔を向ける少年にアレスディアは毅然とした表情で応じる。
「……例え貴族だろうと、王族だろうと、道理に合わぬ行いが許されるはずがない。他ならぬレム殿のこと。了解した。私で良ければ、協力しよう。」
「私も微力ながら協力させて頂きます。」
「俺も協力する!!けど……お前のお師匠さん、強そうなのに何で捕まっちゃったんだ?」
控えめながら強い決意をにじませるノエミ。
二人に負けじと遼介は元気よく応じながらも、当然の疑問を口にする。
が、少年は視線を泳がせ、その疑問には答えなかった。いや、答えるのがなんとなく怖い気がしたのだ。
ともかく理由はどうあれ、顔なじみであるレムの窮地を放って置けない。
協力に感謝し、カウンターに置かれた指輪をしまおうとした少年にオーマが確信を込めた声で告げる。
「全ての真はその指輪が知ってやがるのかもしれねぇな?」
「だろうね。ま、その辺はレムを助け出せば分かるよ。」
小さく肩を竦めつつも、少年は鋭く瞳を閃かせた。


人目を避け、木々の間からそっと視線の先にある煌びやかだが堅牢な館を窺う。
外敵を防ぐ城壁が四方をぐるりと取り囲み、定期的に重装備姿の兵士達が唯一の入り口である門の前を行き来する。
予想以上、いや予想通りの物々しい警備が敷かれ、容易には侵入できそうにないのを見てアレスディアは小さく舌を打ち、緊張のためかノエミは息を飲む。
鋭く周囲に視線を送りながら、オーマは侵入できる場所を窺う。
神経を尖らせる三人に対して当事者の少年はこれからの事態に素早く考えを巡らし、楽しげに喉を鳴らす。
隣に寄ってきた遼介は瞳を輝かせて覗き込んできた。
「情報どおり厳重だね〜」
「ホントだな〜で、どうするんだ?」
あまりにのほほんとした感想を口にする少年にわくわくした感で応じる遼介。
そんな二人に絶句するアレスディアとノエミに対し、オーマは大仰に肩を竦めた。
歳だけでなく性格も近いだけに危険を楽しんでいるように思えたのだろうが、心配することなどない。
一見無謀なことをやりそうに見えるが、いざとなると視野が広い上天性ともいうべき戦闘のカンを発揮する遼介。
この歳では考えられないくらいの経験に裏打ちされた深い洞察力と超一流の腕を持つ少年。
実際のところ、この二人だけでもレムを助け出せるんじゃないのか?ともオーマは思ったが、そうもいかないことも充分に理解していた。
―館の中で最も警備が厳重になっている。なんでも御許婚の逃亡に手を貸したとかいう聖都の魔道彫金師を軟禁しているらしい。
情報屋から入手した館の間取り図によると、レムが捕えられている可能性があるのは2ヶ所。西側の地下牢と東の塔。
他にもいくつかあるが、最近館に出入りした初老の庭師からの情報と照らし合わせても可能性が最も高い。
おそらく一つは偽り。だが、今の段階ではそれ以上のことは分からない。
あまり時間がかかりすぎるとリスクも高くなる。
相手はどんなに不道理な奴だろうと貴族。正規の私兵を多数抱えているだろうし金にあかせて腕利きの傭兵たちを集めてくる可能性もある。
まだ許婚の失踪から日が浅く、多少ながら館内は混乱している今が好機だ。逃すわけには行かない。
「無用な争いは避けたいところだな。」
「同感です。何か良い手があるといいのですが……」
「ここは俺様が失踪した許婚の恋人になりすまして兵の気を引く。その隙に忍び込めばいい。」
警備を窺いながら自らの考えを口にするアレスディアにノエミが大きく頷く。状況がどうあれ、無用な血を流したくはなかった。
考え込む二人にオーマは意を決したように提案するが、即座に少年が反論する。
「止めといた方がいいよ、それは。」
「なんでだ?いい手だと思うぜ。」
「結婚式当日に逃亡するって事は別に恋人がいた可能性が充分にありえるよ。」
「では、どうする?」
アレスディアの問いに少年はしばし考えを巡らせ、ふと館へと通じる街道に目を留めた。


「思ったよりもあっさり侵入できたな。」
「どんなに厳重にしてても抜けてるとこはあるんだよな〜やっぱ。」
苦笑混じりに呟くアレスディアに楽しくて仕方がないと言わんばかりの表情で遼介が答える。
館内に潜入してから既に半刻。
巡回する兵士達の目に付かないよう、物陰に潜めながら辺りを窺う。
「けどよ〜もっと他になかったのか?藁で口の中がざらざらするぜ〜」
うんざりした様子でつぶやくオーマに全身に付いた藁を払いながら少年は心の中で同意した。
無駄な戦闘を避ける為とはいえ、飼葉の荷車に身を潜めたのはいいが服の間に細かい茎が入り込み、かなり大変だった。
「こうして無事潜入できたのですからいいではないですか。」
なだめるように微笑むノエミに少年は息をつくと、気を取り直して間取り図を取り出す。
今いるのが、館の真裏にある馬屋でちょうど地下牢と塔の中間に位置している。
どちらから調べるにしても全員で動いては時間の無駄だ。
「二手に別れるか。その方が手っ取り早い。」
思案を巡らせる少年にオーマがあっさりと決断を下し、皆も小さくうなずく。
前述したが、時間との勝負もある。だが、それ以上に『あの』レムがいつまでも大人しくしているはずがない。
考えてみる暇はもはやなかった。

固く閉ざされた塔の扉を警備する軽武装の兵士が二人。
潜入してからかなり時間がたつが、未だ何の騒ぎも起こっていないところを見るとまだ気付かれていない。
いや、まだ何も起こっていないほうがかえって不気味だ。
塔は館から突出し、独立した建物になっているが最上階部分からやや下がったところから細長い通路があり、それは館の最上階とつながっている。
「ここから侵入すれば館まで行けるか……」
「地下牢に行ったオーマ達に先を越されるぜ。早く行こう。」
慎重に間取り図と実物を見比べるアレスディアに遼介がせっつく。
―事は急ぐが慎重を期する方がいい。
警備を見ながら少年はそう結論付けるが、何か腑に落ちない。
パズルを解くために重要な欠片が足りない気がするのだが、遼介が危惧するように西の地下牢に向ったオーマとノエミが心配だ。
ぐっと気を引き締め、前方を見据える。
アレスディアは周囲に注意を払いながら、足元に落ちていた小石を拾うと警備る兵士達から少し離れた場所へと投げた。
小石は軽い音を立てて、壁に当たり地面に落ちる。
兵士の一人がそれを聞きつけ、扉から離れると同時に小石が落ちた反対側に黒い影が走る。
「何者だ!!」
残っていたもう一人の兵士が大声を上げて影の方へと駆け出した瞬間、腹部に強烈な痛みが走った。
ひゅぅと喉から空気が漏れる音を立てて、前かがみにのめり込む兵士の身体を少年が支える。
何事かと振り返った兵士はその光景を脳裏に焼き付けて、首筋から駆け抜けた苦痛に意識を手放す。
「すまぬ。」
「早く早く!!他の連中に気付かれるぜ!!」
崩れ落ちる兵士にアレスディアは短く詫びる。
二人が兵士を気絶させている隙に扉を開けた遼介にせかされ、少年は壁に兵士をもたれさせるとアレスディアを促して塔へと踏み込んだ。
思ったよりも中は広く、大柄な男が3〜4人通れるほどの幅がある螺旋怪談が上へと続いている。
他の兵士に気付かれる前に、と急いで駆け上がっていく。
が、階段を半ばまで過ぎた辺りで少年は妙な違和感を覚え、足を止めるとその場にかがみこむ。
前を行くアレスディアと遼介は少年の行動に怪訝な表情を浮かべ、立ち止まった。
「どうかしたのか?」
遼介の問いに少年は答えず、険しい表情で手近な窓に身を乗り出す。
その行動にアレスディアは慌てて止めようと手を伸ばすが、最上階と階下から聞こえてくる複数の足音に気付き、ハッとなる。
先を振り仰いだ遼介にも緊張の色が走り、小さく舌を打つ。
「やられたな…ここにレムはいない。」
塔の周辺を囲んだ兵士達の姿を認めて、少年は苦いものを飲み込むように呻く。
足元の石段にうっすらと積もった埃にはいくつもの足跡が残っており、ここに誰かが捕えられていたことは確かだろう。
だが、それは最近ではない。少なくともレムが捕えられるよりも前のことだ。
その証拠に3人の足跡はくっきりと残っているが、埃が他の足跡の上を覆っていた。
「いくらなんでも警備が二人じゃ手薄だよな。」
「中に入る事はないって踏んでたんだろうね。外の警備が異様に多かったから。」
頭の後ろで手を組みながら、半ば感心したように言う遼介に手に付いた埃を払いながら少年がさらりと言い放つ。
的確な指摘にアレスディアは嘆息した。
外壁の警備は異常すぎるほど厳重だったが、内側は重要な場所以外は呆れるほど手が抜かれている。
だが、今はのんびりとしている状況ではない。
上下から迫る兵士達の手から逃れないとレムを救出するどころか、自分達が捕えられてしまう。
その時、どこからか耳を劈くような爆発音が響いた。
窓を覗くとちょうど館の中央部から白煙が立ち上っているのが見える。
「どうやら待ちきれなくなったみたいだね。」
少年は後頭部を掻きながら、窓の下に見える通路に目を向けた。


「うわぁ、派手な事やったんじゃないか?お前のお師匠さん。」
「ある意味、あいつらし過ぎて怖い……」
「無駄口を叩いてる暇はない。急ごう。」
塔から伸びた通路の屋根から館に飛び込んだ3人が目にしたのは崩れ落ちた天井によって塞がれた通路の入り口。
その天井も入り口部分だけがきれいに切り取られたように落ちていただけで、素人が見ても修復は容易に思えた。
真反対の地下牢にいるオーマとノエミは時間的にも地理的にも不可能。
というよりも、こんなことをするのは少年が知る限り、師・レディ・レム以外いない。
それ以上言うと後が怖い気がし、無言で中央―間取り図によると大広間へと急ぐ。
真紅の絨毯が敷き詰められた廊下を左へと突き当たり、3人が幅広い廊下に出ると、奥から銀の鎧で武装した壮年の男に先導されてこちらへかけてくるオーマとノエミが見えた。
「どうなってんだ?」
「御無礼をいかようにもお詫びいたします。なれど、どうか……」
呆気にとられる遼介に鎧の男は悲痛な表情で頭を下げる。
アレスディアと少年はとっさに男のすぐ後ろにいたオーマを見る。
沈痛な面持ちで頷くオーマにそれ以上は追求せず、少年は大広間の扉を押し開き―その場にいた誰もが絶句した。
「あら、遅かったわね。馬鹿弟子。」
背筋が凍るのではないかと思うほどの涼やかな声音でのたまうレディ・レム。
彼らがそこで目にしたのは右頬を大きく腫れ上がらせ、白目をむいて気絶する主である貴族の青年と囚われの身のはずなのに女王然と立つレディ・レム。
すぐそばには雇われと思われる粗野な身なりの男がクロスボウを手に腰を抜かしている。
「大人しく捕まっているとは思わなかったけど……ここまでやるか?普通。」
「別に捕まってたんじゃない。目的があっただけ。」
頭痛を覚え、こめかみを押さえる少年にレムは嫣然とした笑みを浮かべて、足元で呻き声を上げる貴族を見下ろす。
レムの注意が一瞬そちらに移ったその時。
腰を抜かしていた護衛がクロスボウを無防備になったレムの背に向ける。
制止の声をかける間もなく、矢が放たれ、がら空きとなったレムの背中を貫くかに見えた。
シュッという小さな風切り音と共に男の悲鳴が響く。
「不意打ちなんて卑怯だぜ!!」
「ありがとう。お陰で助かったわ。」
怒りをにじませた遼介にレムはわずかに瞳を細め、気絶した護衛を見下ろす。
あの一瞬。高速移動した遼介が矢を叩き落とし、手にしていた槍をアレスディアが護衛に向って投げつけた。
槍の柄が護衛の手首を直撃し、護衛は苦痛に顔を歪め、クロスボウを取り落とす。
そこをつかさず駆け寄ったオーマが護衛の首筋に手刀を決めたのだ。
見事な早業と連携に鎧の男のみならず兵士たちも息を飲む。
背後から駆けつけてきた傭兵たちを手にした剣で制止していたノエミと少年は苦笑いを浮かべる。
勝負ありだった。
「次はない。大人しくすることね。」
ようやく意識を取り戻した貴族に向ってレムは冷ややかに言い放つと悠然とその場を後にした。

「此度はご迷惑をお掛けしました。レディ・レム様を初めとする皆様方にはお詫びのしようもございません。」
平身低頭で謝罪する老執事に誰もが同情の念を覚える。
だが、戸惑いながらも茶を入れる使用人を促し、レムは平然としたまま動こうとしない。
それはそうだろう。
自分の館に押し込まれ、大事な彫金の品を壊されたのだ。
笑って許すほどレムが寛容ではないことを少年はよく知っていた。
「でもさ、なんだってこんなことになったんだ?」
「うむ……話してもらえぬと納得できぬ。」
「レム様、お願いいたします。」
遼介、アレスディア、ノエミの視線を受け流し、レムは沈黙を守ったまま茶をすする。
未だにご立腹だと伝わり、老執事は哀れなほど小さくなる。
「子供じゃなねーんだぞ?いい加減にしろよ。」
「レム……初めから話してもらえる?どこから話すか考えてるならそこからにしてくれ。」
怒りをにじませたオーマの声に少年の呆れた声が重なる。
優雅な仕草でカップをテーブルに置くと、レムは口を開いた。
「元々の依頼人はあの貴族の護衛だった青年。恋人に贈る結婚指輪を作って欲しいって依頼。私は喜んで引き受けた。」
その時の光景を思い出し、レムの表情がわずかに緩む。
身分は高くないが、優秀で真面目な青年ときりりとした乙女。
幸福そうな二人にレムは彫金師として最高の品を作ると請け負った。
が、わずか数日も立たぬ内に悲痛な表情を浮かべた青年から依頼を取り消すと告げられ、その理由をレムは問い詰めた。
結婚の約束をかわした恋人が今回の貴族に見初められ、無理やり婚約させられてしまったという。
あまりのことに青年とそれに同情した家臣たちが抗議はしたが、別の女性を紹介するから許せ、と取り合わず、強引に結婚を決め、どうにもならない事態だというのが理由だった。
「許されません!そんなこと。」
「信じられねー!!絶対許せねーよ、それ!!」
「道理に合わん!許せんな。」
「サイテーな野郎だな、あの貴族様は。」
皆の怒りを受けてますます立場をなくす老執事に見ながら少年はなるほどと納得した。
身勝手極まりない馬鹿貴族に怒りを狂ったレムは恋人に呪いの指輪を使うように指示を出し、動けなくなった隙に青年と駆け落ちさせた―というところ。
大方、貴族の目がレムに注意を向いている間に二人は手の届かないところへ逃亡という計画だろう。
「全くもって申し訳ございません。此度のことは前面的に我らが悪うございます。二度とこのようなことを起こさぬように主を教育いたします故、どうか……」
床に額をこすりつけんばかりに詫びる執事を横目に逃亡した二人が幸せになるよう祈りつつも、二度とレムを助けに行くもんかと思う一同だった。


FIN

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1856:湖泉・遼介:男性:15歳:ヴィジョン使い・武道家】
【2919:アレスディア・ヴォルフリート:女性:18歳:ルーンアームナイト】
【1953:オーマ・シュヴァルツ:男性:39歳:医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】
【2829:ノエミ・ファレール:女性:16歳:異界職】


【NPC:レディ・レム】

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■         ライター通信          ■
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こんにちは、緒方智です。
初の黒山羊亭冒険記ご参加ありがとうございます。
今回のお話はいかがでしたでしょうか?
捕まった割に大人しくしていないところは相変わらずなレムでしたが、無事救出になりましたのでひと段落です。
また機会がありましたら、よろしくお願いいたします。