<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


『オウガストの絵本*−金貨20枚の人魚−』


< 1 >

 雨が急に激しくなった。ピアノキィのように心地よかった軒先の調べがシンバルの連打に変わり、オウガストは慌てて窓を閉めにバルコニーへ走った。
「あれ?キング=オセロットさん?」
 煙る驟雨にもくっきり輝く金髪、黒い軍服に似たコート、見間違うはずはない。大家ダヌの扉の前で、小さな屋根を頼りに肩をすぼめて雨から身を守っていた。いや、彼女が守っていたのは、口許で安らぎを与える紙巻き煙草だったかもしれない。
 彼女は、片眼鏡の隙間から、オウガストを一瞥する。特に言葉は無い。それが挨拶だったようだ。
「また、うちの大家のすっぽかしですか?」
「いや。私が約束も無しにダヌに会いに来たのだ。気温を下げるいい雨だ」
 オセロットは煙草をくわえたままで答えた。と、その先に水滴が落ち、じゅっ!と意地悪な音と共に火が消えた。
「・・・。」
 オセロットは憮然として目を細めた。
「どうぞ、うちで一服してください」
 オウガストは部屋へ入るように勧めた。
「すまんな。まだ、あの絵本はあるかな?また見せてもらってもいいか?」
「ええ、どうぞ、どうぞ」
『あの絵本』とは、オウガストが書いて返品された商品のことだ。マジックアイテムのインクで書いた為に、読む人によって内容が変わってしまうのだった。
「お茶を沸かして来ます。勝手に入っていてください。灰皿も出しておきます」
 雨の日のお客は嬉しいものだ。オウガストは台所へと茶の準備に走った。

 オセロットが好みそうな白のシンプルな茶器をテーブルへ運ぶと、彼女は既に本を手にして読み耽っていた。
『人魚姫』。
 このクールなコマンドーは、どんな世界に遊んでいるのだろう。


< 2 >

 オセロットが傭兵として所属した部隊は、王子の護衛の一軍として船に乗り込んでいた。陸軍と海軍は何故か仲が悪い。オセロット達も、下男と変わらぬような船底の粗末な大部屋へ放り込まれた。揺れが直接床に伝わる部屋で、しかも柱や天井のパースの狂いが引き起こす目眩が、さらに船酔いを悪化させた。
 屈強な兵士たちが情けないため息をついて床にへたりこみ、蒼白な顔色で吐き気を我慢していた。
「大丈夫か?水はいるか?」
 船酔いの無いオセロットは、同僚たちを気遣って回る。オセロットは高機動型サイボーグであり、荒れた波で気分が悪くなることはなかった。
 一通りの介護を済ませ、オセロットは懐中の煙草を確認して、上へと出た。部屋で喫煙すると煙は籠もる。気分の優れぬ同僚たちに悪いと思ったのだ。

 何やら甲板が騒がしかった。多くの水夫や、襟章を付けたような者までがうろたえて怒鳴りながら、波間を指差す。船の上は予想以上に強風が吹き荒れ、オセロットは煙草を諦めて長い髪を抑えた。
 目を凝らすと、のたうち回る波の上に溺れる青年の頭があった。
「早く誰か飛び込め!王子を助けろ!」
 海軍少佐が水夫に命令するが、みんな首を横に振る。この波では、飛び込んだ者も危険だ。
『王子が・・・海に落ちたのか?』
「仕方ない、泳いで来るか」
 オセロットはぽつりと呟くと、ポケットの煙草を少佐に手渡した。
「濡らしたくないんでね。預かってくれ。
 ロープをくれ。体に縛りつける。私が王子を捕まえたら、引き上げろ。
 ああ、そうだ、これも頼む」
 右目だけにセットされた眼鏡も外し、指揮官へ預ける。

 海へ飛び込んだオセロットは、波間の王子の場所に見当をつけると水面下へ潜った。海上で波が荒れていても、潜水だとそう響かない。暗い海水の中をバタバタともがく白いタイツの足が見え、そこへ真っ直ぐに向かう。
『え?』
 その時、金色の巨大な魚が、王子を海上へと引き上げた。魚?いや・・・黄金に輝いて揺れたのは、髪ではなかったのか?
 目が合った。オセロットは水中で手足の動きが凍りついた。
『人魚・・・』
 オセロットに負けぬ、鮮やかな輝きの金色のウェーブ、黄金色の瞳に白い肌の・・・まだ若い娘のように見えた。細い腕で暴れる王子を掻き抱き、オーロラ色の鱗輝く尾で水をキックして海上へと昇る。
 オセロットも正気を取り戻すと、後を追った。海面へ顔を出したオセロットに、人魚は既に意識の無い王子の体を引き渡した。そしてすぐに体を反転させ、そのまま海中へ戻って行った。
「おい!」
 オセロットの声も無視し、尾鰭は遠ざかる。
「・・・。」
 深追いしても仕方ない。王子の容体のこともある。オセロットは船へと振り向き、手を挙げて合図を送った。体に巻いたロープに負荷が加わり、オセロットと王子を船へと引き戻した。

 甲板で医師の人工呼吸を受け、王子はすぐに意識を取り戻した。そのあと船室へと運び込まれ治療を受け、数時間で普通に話せる状態に回復したという。
 お手柄のオセロットも王子の部屋に呼ばれ、側近と王子本人に礼を言われた。
「荒れた海に飛び込み、よく果敢に助けてくれた」
 王子の栗色の髪は乾いて整えられ、頬も薔薇色に戻っていた。オセロットは表情を変えず、黙礼をひとつ返す。
「オセロット、おまえ一人か?私を助けた者が、もう一人居なかったか?」
 王子は、オセロットが辿り着いた時にはまだ意識があった。あの人魚を見たに違いない。
「確かに。先に王子の元に辿り着いて、助けた者がいた」
「朦朧とした中で、村娘のような素朴な若い娘が居た気がする」
 王子が目にしたのは、娘の影か、髪や顔の一部だったのかもしれない。オセロットは余計なことは言わないことにした。人魚だったなどと証言して、狂人と思われるのも面白くない。それに、人間の娘だろうが半魚人だろうが、オセロットには関係ないことだった。
「私をあの荒波から救うとは、随分泳ぎが達者だ。近所の海女か漁師の娘だろうか」
 その村娘に、金貨20枚の褒美が授けられることになった。
『さて。人魚が名乗り出るかな』
 苦笑しつつオセロットは、自分の金貨の包みをポケットに無造作に突っ込んだ。


< 3 >

 陸に戻ってからのオセロットは、傭兵から正式な城警備兵へと雇い入れられた。これも王子を助けた恩恵だろう。賃金は上がり部屋も与えられたが、お仕着せの制服を着なければならない。オセロットは宿舎の鏡の前で、ドブネズミ色の安っぽい生地の軍服の衿を止めながら、苦笑した。恩恵も良し悪しだ、と。
 隣室の兵士がオセロットのドアを叩いた。
「また例のレスキュー娘が現れたそうだ。王子が確認してほしいそうだよ」
 賞金が出たことで、偽者が何人も名乗り出ていた。しっかりと姿を見たのはオセロット一人なのだ。

 少女はルディアと名乗った。確かに豊かな金髪は、オセロットの記憶に残る。だが、ルディアにはすらりとした二本の足がある。あの人魚のはずはない。年齢も幼すぎる。顔も、違う。あの時の娘はもう少し細面で、色気のある顔立ちだった。
「違うのか、オセロット?」
 オセロットが難しい表情をしていたせいか、王子が先に気を効かせた。
「じゃあ、このスカーフをどう説明するの?」と、ルディアが王子に詰め寄った。螺鈿のテーブルの上に、溺れた時に海に落とした王子のチーフが乗っていた。ルディアが持参したものだ。だが、浜辺に流れ着いたところを拾ったのかもしれない。
「海の中で、オセロットさん、ルディアをしっかり見れたの?」
 ルディアはあくまで強気だ。
確かに瞳は同じ金色だった。コットンの粗末なワンピースから覗く四肢も、太くなく細過ぎず、丁度こんな感じではあった。
 魔法で足を貰った可能性も否定できない。例えばその時、十歳ほど子供に戻るという副作用があったかもしれない。オセロットは考え込み、唇を噛んだ。思考するのに煙草が欲しかったが、王子の御前ではそうもいかない。
「王子。この娘と二人で少し話をさせてくれ。私しか知らない事実もある」
 オセロットは王子の返事も聞かず、ルディアの腕を引いて部屋の隅へと連れ去った。そして小声で尋ねた。
「・・・その靴は少しきつそうだな。足が痛くならんのか?」
 ルディアはきょとんとオレンジがかった瞳を丸くする。
「別に。普段はウェイトレスをやっているから、足は丈夫。
 それより、オセロットさんがイエスと言わない限り、どんな本物も偽物にされてしまうのね。金貨20枚、10枚ずつの山分けでどう?」
 足の話に反応しなかった時点で、もう『否』だった。オセロットは苦笑いして首を横に振った。
「確信が持てないなら、今、証拠を見せてあげる!庭園のプールで泳ぎを披露するわ。サカナ並に泳げれば、あれがルディアだったとわかるでしょ!」
 あっけに取られる王子や従者を尻目に、ルディアは一階のベランダから庭に降りると、ワンピース姿のままでプールに飛び込んだ。もう数カ月使用していないプールの水は緑にどろりと濁り、枯葉や虫の死骸が浮かんでいる。
 その中を、ルディアは水蛇のように早く泳いだ。濡れた服がまとわりついて泳ぎにくいはずだが、まるで布も肌の一部のようだった。スカートは鰭に見えた。途中でいきなり反転してみせる。殆ど水しぶきも立てない。スカートの裾だけが水面に踊った。
 確かに泳ぎは達者だ。だが、彼女ではないのだ。
「違うのだな?」と王子も念を押す。
「これ以上は見苦しい。あの女の泳ぎをやめさせろ」
 王子の命令で、従者達がプールへ近づき声をかけた。だが、ルディアは泳ぎをやめようとしなかった。
「なぜ?この国で泳ぎが一番うまい娘はルディアよ。王子を助けられたのはルディアだけよ!」
 立ち泳ぎのまま、ルディアは声を枯らして従者に抗議する。そして、まだ泳ぎ続けた。
「ええい、やめさせろと言っただろう!おまえらも中へ入って停めろ!」
 王子の怒声を背に受け、従者が三人、次々とプールへ降りた。だが、従者の手前で瞬時にターンするルディアを、誰も捕まえることはできない。反転の波で水に渦が立ち、ルディアはその流れにみごとに乗って更にスピードを増す。従者の一人は水流に足を取られて転んでむせ返った。一人は、肩にへばりつく死んだ虫の足を必死に引き剥がしていた。
「早くしろ!」と王子が苛立った。
 オセロットは渋々プールサイドに立つと、小銃を構え、空へと撃った。銃声にルディアも泳ぎをやめた。
「いくらやっても無駄だ。これ以上王子を怒らせると、刑罰がつくぞ」
 そしてルディアの額へ銃口を向ける。
「・・・。」
 ルディアは観念し水から上がった。オセロットが、侍女から預かったタオルを手渡すと、物も言わずタオルをまといオセロットを睨み付けた。綺麗な金髪は藻と泥にまみれ、ワンピースも茶に染まっていた。
『とんだ人魚姫だ』
 オセロットは肩を竦めて小銃を戻した。

* * *
 オセロットが人づてに聞いて尋ね当てた食堂には、『今週で閉店いたします。全品半額!』の札がかかっていた。
 軋む扉を開けて中へ入ると、店は大変な繁盛ぶりだった。だが、金の髪のウェイトレスは忙しさをかえって楽しむように、満面の笑顔で走り回っていた。オセロットは端のテーブルに空席を見つけて滑り込んだ。ルディアがオセロットに気付き、その表情も笑顔から怒りへと変わった。
「何の用?」
 ルディアは無愛想に水とメニューを置いた。
「感じのいい店だが、閉店なのか」
「まあね。オセロットさんには関係ないでしょ。Aランチでいい?」
「ああ。それと・・・これを」
 オセロットは、握り拳ほどの紙包みをテーブルに滑らせた。
「なに?」
「金貨10枚。私が救助で貰った謝礼の半額だ。あの汚いプールに飛び込むなんて、よほど金が必要だったのだろう?
 娘の本物は決して名乗り出ない。私だけがそのことを知っている。だから偽証してもバレることはなかった。ただ、私はそうしたくなかったのだ。ルディアには済まないことをしたと思う」
 ルディアの金色の瞳からぽろぽろと涙が溢れ、無き笑いの笑顔になった。
「ありがとうございます!お借りします!
 店長が借金を金貨20枚抱えていて。この店が抵当に取られているのです。半分返せれば、もう少し待って貰えます。この店はルディアにとって、家庭みたいなものなんです。ありがとう」
「・・・。」
 オセロットはため息をついた。仕方ない。懐中を探り、残りの10枚も差し出す。
「これでオケラだ。ランチ代、貸してくれんか?」
 食堂の人魚姫は大きく頷くと、厨房へ向いて「Aランチ一つお願いしまーす!」と声を張り上げた。そして、泳ぐようにすべらかに、テーブルとテーブルの間を小走りに縫って行く。後ろに結んだエプロンのリボンが、背鰭のようにひらひらと舞った。
 
 
< END >


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
2872/キング=オセロット/女性/23/コマンドー

NPC 
オウガスト
ルディア
王子

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■         ライター通信          ■
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発注ありがとうございました。
お名前は「オセロット」さんとお呼びした方がいいのですよね?
「キングさん」より柔らかい、繊細さのある印象になりますね。