<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


■真白の書−ただ知る為の−■





 ――あら。
 どなたかがおいでになったようです。

 最近は訪れる方が多くて書が物語を綴る機会も増えました。
 出歩く事さえ稀なマスタには良い事です。
 勿論、私にとっても日々に起伏があって楽しいですしね。

 さてよろしければ書棚の主と言葉を交わし、書を開いてみて下さいな。
 虚実定かでない真白の書。
 それは今この瞬間にも世界を織るべく白を広げているのですから。

 すまして扉をお開けしましょう。
 さあ、お客様はどのような方なのかしら――


** *** *





 広がるハーブティーの香りがまだ立ち消えぬ頃に再び書を開く。
 巫澪の手には余りそうな重たげな本は、その指にかけられて栞を境にゆったりと重なり厚みを見せる頁の束を割って見せた。
「……あ、違う」
 一行も目を走らせないうちに見出した言葉にひっそりと眉を寄せる。
 澪の手元で控えた紙の中、インクの艶が覗く文字の中に同じ言葉があるのだが扱い方がまるで異なっていたのだ。
「接続が成り立たないから……あれ、でもさっきの図面の説明が、こっちじゃ……」
 ぶつぶつと考えをそのまま零しているのだろう澪。
 彼女と本を挟む形で小さく柔らかな毛玉が鼻先を動かしつつ難しい表情になっているのを見上げて――澪のペットゴーレム、ゆすらだ。時折その白い毛に澪のものとは違う幾分固い印象の指先が潜り込んでは撫でるのに、白兎を象ったゆすらはすいと目を閉じている。
 何度も繰り返されるそれをちらりと見て澪はきゅ、と眉を顰めた。
 語法の違いに気付いた瞬間とは別の理由からである。
(……手伝ってくれたりしないかな)
 指の持ち主に対して思い、すぐに思い返す。
 有り得ない。きっと彼は澪の作業に協力しない。
 自分のペットゴーレムのふわふわと柔らかい毛を見遣ってから視線を手元の頁に戻すと見えるのは、過日の書。


 見知らぬ文字。人の形。輪郭の随所に書き込まれた何か解説のような違う法則。植物。鉱物。魔法陣。術式。方程式。化学式の異端。永劫とも思える記号の羅列。読めない模様――生命の指標。何者かを作り上げる鋳型の型紙。


 暗い暗い世界で一人居た人から。
 眩い光に溢れる書棚に在る人から。

 譲られた錬金術だろう内容の書物。
 澪はこの日、持ち歩くには随分な負担である重量のそれを抱えて硝子森の書棚を訪れていた。
 譲り受けた書物の解読、という建前でもって。

 そう。建前である。
 書にも興味は確かにあるが、それ以上に興味のある対象が書棚には。
(今は、寂しくない?)
 澪が落ち着いた茶の眸を向ける先で書棚の主が青の眸を伏せていた。


 * * *


 どん、と置かれた本にマスタは読書の手を止めた。
 しかしそれも一瞬のこと。
 繰り返される行動をいつまでも気に止める程に彼は繊細ではない。
 彼の前でテーブルの中程を陣取り日向ぼっこにいそしむ白兎のゴーレムは、流石に目を開けて鼻を揺らしているが作り主の行動であるから仕方ないだろう。
「読みがいある本ばっかりで大変だよ」
「そうか」
「そうなの」
 もう一冊、と踵を返す少女の背中をちらと見る。
 ペットゴーレムのゆすらもしばらく彼女へと身体ごと向き直っていたが、何を思ったか置かれたばかりの本の上に上りそこで座り込んだ。
「…………」
 本気かどうか不明ながら、マスタが『くれてやった』書物の解読の為だと来た以上は使う本のはずだ。上に乗るものではあるまい。
 無言でカモミールティを傾けてからマスタは手を伸ばす。
 調べ物をしながらお茶だお菓子だと気を回す澪はまだ書棚のどこかだろう。
「それはお前の主人が読むのだろう」
 丸い毛玉に耳がついた風になったゆすら。
 それを掬い上げるとテーブルの上に戻してやった。


 そんな場面を澪は書棚の通路から見ていたりするのだ。
 澪の中にある彼への好意を察しているのかいないのか彼女には素っ気無く淡々としているのに、ゆすらにはしきりと触れて構ってやる。なんとなし羨ましさを覚えつつその光景に薄く笑んだ。
 前回もマスタはゆすらに構ってやっていたけれど、もしや小動物が好きなのかしら。
 思いつつ僅かに背を引いておいた目当ての本を取る。これも重い。
 両腕で抱え込んでふと澪は周囲を見回した。
 ぐるりと巡る書棚には隙間無く溢れる本、本、本。
 どれだけ光が射そうとも、埃が積もるはずだろうとも(マスタ一人で掃除には無理がある)まるでその様子を変えず色さえ褪せない。見渡す書棚は有限であるはずなのに無限かと錯覚させる程に本を納めている。
「本当にたくさん」
 澪が今立っている辺りは生命に関するものが多く置かれている。
 ぱらぱらとめくって使えそうな気配のある本を持っていっては見比べる、そんな遣り方なので実際の有用性は無駄に時間を費やしてから判断することになっていたけれど、解読が本気だったらそんなこと出来はしなかっただろう。
 とてもではないけれど溢れ返る本を一つ一つ確かめて照らし合わせて、ということが可能な量ではないのだから。
 箔押しの背表紙。糸で刻んだ題字。固い何かの皮の装丁。
『自宅で済むだろう』
『だって、ここなら調べ物にはうってつけだもの』
 つつと指先で背表紙を辿りながら、訪れた自分が扉――勝手に開いては通してくれた――を抜けて書棚に顔を出したときのマスタの言葉を思い出す。
『難解な書物の解読に資料は必要不可欠でしょう?』
 貰った本もここのものだし、関係するものもあるかもしれないし。
 そう告げて可能な限り愛想良く笑顔を浮かべてみせた自分。
 無言でマスタはしばらく澪を見下ろしていたけれど、じきに溜息をついて『好きにしろ』と窓際の椅子に座ってしまった。
(やっぱり優しいんだよね。うん)
 綻んで笑み崩れる澪はそのまま指先を滑らせて、その書棚の端まで背表紙を辿る風にして歩いていく。
(ゆすらのこと気に入ってくれているし)
 滑らせていた指が感触を見失い、空気に触れる。
 通路からちょうどマスタの座るテーブルが見えた。
 年上の、実際の歳も解らないクールな印象を澪に抱かせる彼を、けれど澪はとても好んでいる。良い人だと思っている。
 だから。
(出来れば、うん、錬金術で作れるなら小さな)
 だから真白の書で見たような。
(ゆすらみたいな――お揃いでもいいし)
 あの暗い世界に一人だった彼を思い出して考える。
 考えてしまうのだ。
(書斎に置いて貰って)
 寂しくないように、と。
 窓の向こうでちらちら瞬く硝子森の光を弾く、書棚の主の銀の髪。
 それを瞳に映しながら澪はその思いつきに胸の中で頷く。

「それを紐解いた成果とするのは勧められん」

 けれど入れ直したカモミールティを鼻先に寄せながら、その書棚の主であるところのマスタが言い捨てた言葉に思いつきは簡単に丸めて何処かに放り出されそうになった。
 澪が自ら食して認めた店のスコーンと、手製のハーブティで休憩時間。
 一度本を開くときりがつくまでの時間は長い。
 具合を聞かれてようやく澪は訪問直後のお茶以来何も咽喉を通していないことに気付いた次第での一服だ。
 ゆすらは相変わらずテーブルの上でくつろいでいる。
 行儀が良いともいえないが、主のチェックが入らないのなら良いだろう。
「でもこれは生命に関する本、でしょう?錬金術の」
 そんなゆったりと微睡みそうにさえなる中で先程考えたことを口に乗せたのだ。
 澪がマスタに、喜んでくれるかしらと思いながら。
「やめておけ」
「折角の本なのに」
 それなのに即座に否定され、まるで探究心もまた阻まれているようで、尚更に惜しく感じられる。
 茶器に唇を寄せながら窺うような目線にささやかな不満を篭めてみた。
(――あ)
 そうして見た先の、彼の。


 暗い部屋。顔の見えない、けれど泣きそうな。


 書の中の世界と記憶が重なり指の力が抜ける。
 傾いた茶器から危うくハーブティが零れかけ、微かな重みに慌てて持ち直してから澪はそっと向かいの青年を見た。表情は、何も。
「えっと、ね。マスタ」
「やめておけ」
 冷めた青の瞳が澪を見据えたままに彼は言う。
 瞳孔の奥に深い何某かはないかと澪も見返すが見出せない。
 対峙するまま二人は窓の向こうで風に鳴る硝子森の音を聞いた。
 ちりちりと小さな鈴にも似た高く硬質のそれがひとしきり響いて止まる、そこでマスタが再び声を。
「それを読み解くのはお前の知識を高める役に立つ。だが行うには向かない」
「どうして?」
「――やめておけ」
 問い返した澪の言葉に、同じ言葉を返されるまで幾許かの間があった。
 その空白に彼の答えがあるのだろう。
 沈黙し、しばらくただマスタを見た澪が「わかった」と言いかける。
 そこにかぶせるようにして目の前の人もく、と唇を動かした。
「そもそも」
 表情が出た、と思う澪にマスタは愉快だと言わんばかりの目付きで僅かに顎を引いて。
「紐解くのにどれだけかかる。どこにどの分野があるかも解らんだろうが」
「そ、それはここで調べ物しながら!」
 なんだか意地悪い。
 そんな感想を抱く言い様に反射的に返した澪を、ゆすらがびくりと身体を動かした。そこにマスタの指が伸びて宥めるのが見える。
 やっぱり小動物好きなんじゃない。
 思いつつ澪は、一瞬高く跳ねた声を落ち着かせるべくハーブティを口に運んだ。
 立ち上るカモミールの香り。
 その見えない膜の向こうでマスタは静かに瞳を伏せている。

 ああ、今の笑みでさえ消えてしまった。

「書は」
「え」
「書は知る為にある。行いの糧として識る為ではない」

 ぽつぽつと落ちる言葉はどこまでいっても澪の思い付いた事を押し留めるものでしかない。
 けれど惜しいわけではない。
 ならば、また訪れればいいのだから。
 そう己に言い聞かせて澪はティーカップの中身を一息に――とはいっても殆ど飲んでいたのだが――空けて茶器を下ろした。
「ねえマスタ」
「なんだ」
 こんな気持ちにそういえば以前もなったなぁと思う。
 仕方がないなと苦笑して甘やかしてやりたいような、そうだ暗い部屋で本を要る要らないと話したときのような。
「また来て、続きしてもいいよね」
「構わん」
「うん。じゃあ今日はこの後で『真白の書』を開いてもいい?」
「好きにしろ」
「うん。好きにする」
 書はマスタも読むだろう。
 真白の書の物語を。

 澪へと顔を向けて鼻を動かすゆすらの背をマスタがまだ撫でている。
 白い兎。それとなんら違いのない澪の作り上げた命。
 小さなペットゴーレムに笑いかけてから超常魔導師の少女はスコーンを一つ摘むとさくりと齧った。
(ねえマスタ。どうしたら仲良くなれるのかな)



 真白の書は言葉と名前を必要とする。
 記された言葉と名前で世界を織る。
 けれど、記した者の想いもまた真白の織る世界に色をつける。

 澪の織る世界の中で、マスタが。

 優しく、そう、優しく笑っていればいい。
 泣きそうな顔も、暗い部屋も、そんなものはないといい。
 好きな人に望むものは笑顔と幸福。

 澪の織る世界の中で、澪のその気持ちが色を乗せれば。



 せめて今は書の中だけでも。
 そんな風に澪が思うなんて彼は知らない、きっと。
(後で読んだら驚くよね)
 自分の出る物語を読むマスタの姿を想像してひっそりと、気付かれない程度に笑いを堪えてみた澪がゴーレムについても別方針を打ち出してみるのはさほど遠くはなく。

「ゆすらとお揃いを私の技術で作るのはどうかな」

 書に言葉を綴りながら言われたそれに珍しくも書棚の主は瞳を瞬かせたという。
 彼のそれを知るのは館とゆすらだけ。
 澪自身はといえば、残念なことに書の織る世界に半ば映っていた為に見ることは叶わなかった。



 それは窓の向こうで鳴る硝子森の枝葉が光を弾き、書棚の中にも幾つも放り込む頃の出来事。

(ねえ、マスタ)





** *** *


 ――ああ、もうお帰りになる頃ですね。

 真白の織った世界は如何でしたでしょうか。
 それとも書棚の主と対話なさって真白は記せませんでしたでしょうか。
 いいえ、お気になさらず。
 マスタとの遣り取りさえ全て、書はいつか織るのですから。

 またお越し下さいませ。
 硝子森の書棚、その主と真白に逢いに――





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【3187/巫 澪/女性/16歳(実年齢16歳)/超常魔導師】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、ライター珠洲です。再びご訪問頂きましてありがとうございます。
 マスタを気に入って下さっているようで光栄ですが、プレイング通りではない部分も多いかもしれません。なにより真白の物語は出てませんね。
 ただこういう進め方も可能でした。説明不足で申し訳ございません。
 前回のような書との繋がりは無いのですが、この後マスタが読んで驚く事を想像すると別の意味で繋がりましたね。彼の驚き方を考えて笑ってやって下さいませ。