<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


迷路???

「助けてくれ!」
 白山羊亭に、飛び込んできた青年がいた。
「僕の恋人が迷路にさらわれた! 助けてくれ!」
「落ち着いて! 順を追って話してみて……」
 看板娘のルディアが氷水を持ってくる。
 青年はそれをあおり、冷たいっとぶるぶる顔を振った。
「それで、迷路にさらわれたって?」
「そ、そうなんだ。いつも歩いてる道が突然迷路になったんだ。そして『女はもらっていく』って声が聞こえて――次の瞬間には僕は迷路から弾き出されて普通の道にいて、彼女はいなくなっていた!」
「そ、それで、その迷路は……」
「街外れにまだ残ってる。でも僕ひとりで入るのは自殺行為に等しいかと思って」
 誰か一緒に来てくれ! と青年は声を枯らさんばかりに大声をあげた。

     **********

 青年の名はラクシャと言った。
 ラクシャの悲痛な叫びに、反応した冒険者たちが数人。
「迷路、なぁ……またずいぶんと暇なやつもいたもんだ。さらっといてわざわざ、さそいこむなんて」
 と、葉巻をふかしながらトゥルース・トゥースがぼやく。
「無理強いっつーか、女の恨みは怖ぇの知らねぇのかね?」
 トゥルースと飲み明かしていたオーマ・シュヴァルツがうんうんとうなずいた。
 彼らの隣の席では、彼らにたまたまおごられて酒を飲まされている少女がふたり。
「迷路、と……ふむ、その誘拐犯は一体何の意図があって……というのは、後回しにすべきか……」
 考え込むようなしぐさをしながらうなったのは、銀髪のアレスディア・ヴォルフリート。
「迷路……」
 アレスディアと同じ席には、両手でエールの入ったグラスを持った黒髪の少女、千獣[せんじゅ]がいた。
「まあ、いい。どこの暇人の仕業か知らねぇが、兄ちゃんにとっちゃ、一大事だもんな」
 分かった手伝ってやるよ――とトゥルースが灰皿に葉巻を押しつける。
「トゥルースが行くなら……んじゃまあ、俺たちもかね?」
 オーマがアレスディアと千獣の顔を見る。
 少女たちは軽くうなずいた。
 ラクシャが目を輝かせる。
「ありがとうございま――」
「待って!」
 傍らから翼を持った少年が口を挟んできた。
「迷路なら任せて! とにかく、彼女を捜して助け出せればいいんですよね」
 リュウ・アルフィーユ。通称リュアルは、いつになく元気がよかった。
「おいリュアル……一応危険がつきまとうぞ?」
「え? 何でですか?」
 オーマの言葉に、リュアルはきょとんと言い返す。
 だめだこりゃ、とオーマとトゥルースが天井を仰いだ。
「失礼ながら――」
 さらにリュウの横から、少年がひとり顔を出した。
「俺も参加していいですか?」
 外見年齢十歳をいくばくか過ぎたくらいの少年。しかし彼も立派な能力者だと他の面々は知っていた。
「おいゾロ。何をそんなに怖い顔してんだ?」
 オーマが少年――ゾロ・アーに尋ねる。
 ゾロは笑みを作って、
「何でもありませんよ。――依頼内容は『迷路の中から女性を救い出す』ことですね?」
「そうです俺の彼女を見つけ出してください……っ」
 ラクシャが泣きそうな声でそう言った。
 ゾロは目を細める。
(この依頼……怪しいですね)
 彼は誰にも聞こえない心の声でつぶやいた。
(目の前で恋人がさらわれたというのに、ああも冷静に状況を判断できる人間がいるでしょうか――われを失って飛び込んでもおかしくないでしょうに)
 「自殺行為、か」とゾロが言葉をもらす。
「あん?」
 オーマが首をかしげた。「ゾロ、どうした?」
「いえ……」
「まあいいが……とりあえずもう一回さらわれたときの状況を話してみちゃくれねえか、ラクシャ」
「説明なんて! こうしている間にも彼女は――」
「馬鹿、冷静に状況判断してからじゃねえと解決できるもんもできねえよ」
 オーマはどうどうと興奮状態のラクシャをなだめる。
 ラクシャは頬を真っ赤にしたまま、
「ええと……彼女とふたりで歩いていたんです」
「それで?」
「目の前が、こう、ぐにゃって曲がって」
「空間を操ったな。それで?」
「変な入口ができて。暗い……奥が見えないような……」
「ふむ」
「その入口に、彼女が吸い込まれたんです」
「……それは迷路なのだろうか?」
 アレスディアが不思議そうに口をはさんだ。
 ラクシャは彼女のほうを見て、苦々しい顔をした。
「暗い入口はすぐに閉じて、代わりに近くの塀に見たことのない入口ができたんです。僕は焦って一度は入ってみた――けれど、その先の道は四つに分かれていた」
 どこを進んでいいか分からなかったんです――と。
「そのうちの一本に、少しだけ踏み込んでみた。そうしたら、さらに道が分かれていた。迷路だ、と思った」
「なるほど?」
 ゾロがなぜか深くうなずく。
 ラクシャはまくしたてるように続ける。
「ここに来るまでにも、何度も何度も塀にできた入口のほうを振り返った。今にもなくなるんじゃないかと思って不安だった。――今、なくなってしまっているかもしれない」
「焦んな、ラクシャ」
 オーマが仲間たちをともなって立ち上がった。
「今から行ってやるからよ」


 ラクシャの言う塀の入口は、まだ残っていた。
「とりあえずだ――」
 オーマは入口の様子を調べながら、「入口を残すってぇのは大抵罠だ。気をつけねえとな」
「迷路……空、から、見渡せ、ない、かなぁ……」
「僕もそう思っていたんです」
 リュウが賛同し、ふたりはそれぞれ獣の翼、有翼人の翼で飛び立った。
 見送っていた面々はしばらくして目を見張った。
 ぐにゃり、とふたりの姿がゆがんだのだ。
「――千獣、リュアル! 戻ってこい!」
 オーマが大声をあげる。
 千獣とリュウが戻ってくる。体のゆがみは直り、二人は無傷だった。
「おい、大丈夫か嬢ちゃん、兄ちゃん――」
 トゥルースがふたりの存在をたしかめるようにぺたぺた触る。
「………? 大丈、夫、だった、よ……?」
「ただ、迷路は見えませんでした。なんていうか……こう、視界がゆがんだみたいで」
「敵さんは空間操作能力があるからな」
 オーマは上空を見上げた。「上空もゆがめてあるんだろう」
 千獣はラクシャを見る。
「その、こい、びと、の……匂い、する、もの……何か、ない……?」
「彼女の、ですか?」
「誰か、に……さら、われ、た……なら……匂い……たどれ、ない、かも、しれない、けど……念の、ため」
「え、ええとええと」
 ラクシャは慌てて自分の服をまさぐり、
「こ、これなんてどうでしょう!?」
 と自分が首にさげていたペンダントを示した。
「彼女がくれたペンダントなんです。こ、これにならひょっとしたら」
「う、ん」
 千獣はそのペンダントに顔を寄せる。
 その間にゾロが、魔法使いを作成していた。
 ゾロは物つくりの神だ。何だって作り出せる。
「この魔法使いはテレポートと鎌鼬生成、それから地形把握の能力があります」
 それを五・六人作り出すと、
「まあ、入口の罠を警戒して」
 と先に迷路に入らせた。
 魔法使いたちは、何の支障もなく迷路の中に入って行く。
 戻ってこい、とゾロが命じると、やはり何の支障もなく迷路から出てきた。
「さて、これは安全ということかね。それとも……」
 トゥルースが新しく葉巻に火をつけ、煙を吐き出す。
「とにかく、入ってみるしかないのではないだろうか」
 アレスディアが言った。
「そりゃあそうだな」
 全員は覚悟を決めた。
 そして――
 ラクシャを含む全員が迷路に踏み込んだ、その瞬間。

 ぐにゃり

「―――!?」
 出入り口がゆがみ、そしてそのまま消え去った。
 アレスディアが慌てて出入り口があった壁をどんどんと叩く。手にしていたルーンアームで突き刺してみてもびくともしない。
「ちっ。ここに来て罠発動か」
 オーマが舌打ちする。
「何が原因だった……?」
 トゥルースが葉巻を揺らした。
 ゾロが厳しい顔をする。
 ――どこからか、声が聞こえてきた。
『冒険者たちよ……』
「誰だ!」
 リュウが虚空に向かって声を張り上げた。
『よくぞ来た。この無限の迷路の地へ……』
「だから誰だ!」
 リュウの問いかけもむなしく、声は続ける。
『迷路から無事脱け出せたなら、女は返してやろう……』
「匂い、が……」
 千獣が戸惑ったように周囲を見渡した。
「匂い、が……途切れ、た……」
『せいぜい頑張ってくれたまえ』
 ピキィィイ
「―――!」
 鼓膜が破れるかというような金切り音が襲いかかり、皆が耳をふさぐ。
 高笑いが聞こえた。それはやがて小さくなって消えた。
「しまった……」
 オーマが口惜しそうに、「三半規管を狙ってきやがった。――俺らの方向感覚がゆがむ」
「どうやらそのようですね」
 ゾロが険悪な声で言う。
「とにかく三手に分かれて迷路をさぐってみるか……」
 トゥルースが、落としてしまった葉巻を足で踏み消した。
「俺はラクシャさんと右の道を行きますよ」
 ゾロがすかさずそう言った。「魔法使いもいることですしね。一番右の道は俺ひとりで充分です」
「そうか?――そうか」
 となると――とオーマは残りの面々を見渡す。
「役に立つかどうか分からぬが、マッピングの用意のついでにコンパスを持ってきた」
 アレスディアが懐からコンパスを取り出す。
 案の定、そのコンパスは針がぐるぐる回って使い物にならない。
「まあとりあえずマッピングの用意があるならアレスディアを中心にひとつの道を行ったほうがいいな」
「迷路……迷う……」
 千獣がぽつりとつぶやいた。
「道、忘れ、ない、ように……地図、取る……」
「お、千獣もマッピングの用意してきたのか?」
「……のは、誰か、に……任せ、る……」
 ずるうっとその場にいる全員がすべった。
「で、では千獣殿。ともに行こう」
 アレスディアが慌てて笑顔で千獣の腕を取る。
「うん……」
「オーマはひとりで事足りるんじゃねえか?」
 トゥルースが言った。
「まあ、自信がないでもない」
 おい、お前さん。とオーマはラクシャを呼んだ。
「ほら、これ持ってみ」
「え?」
 ――オーマがラクシャに渡したのは、美しい偏光を放つルベリアの花――
「それ持って、彼女のこと考えてみろ」
 ラクシャが言われたとおりにすると、偏光は一直線にどこかを指し示した。
「よし。このルベリアがあれば俺はひとりでも充分だ」
 ルベリアを返してもらいながら、オーマは言った。
「それじゃあ俺は兄ちゃんと一緒に左端の道を行くぜ」
 トゥルースがわしわしリュウの髪を撫でながら左端の道を指差した。
「ふむ。――まあそれでいいだろう」
 トゥルースとリュウ。
 アレスディアと千獣。
 ゾロと魔法使いとラクシャ。
 そしてオーマ。
 この四手に分かれて、彼らは迷路を突き進む――


「方向感覚をつぶされちまったからな……」
 トゥルースが苦い顔をしてリュウを見た。
「お前さんも、突っ走るな。迷路に余計迷うぞ」
「は、はい」
 ――左端の道は、しばらく一本道だった。
 トゥルースはあらかじめ用意していたマッピング用具――紙にペンで慎重に線を引いていく。
 しかし、一本道だったのもやはりしばらくの間だけ。
 やがて道は曲がった。
「ん? こりゃこのまま行くとUターンか?」
 方向感覚がつかめずトゥルースが眉根を寄せる。
「あのう……」
 リュウが口を出してくる。
「壁、破壊しちゃっていいですか」
 トゥルースは飛び上がるほど驚いた。まさかこんな大人しそうな少年がそんなことを言い出すとは。
「壁……壁なあ……」
 ――壁を破壊して突き進む。
 それはそれで、迷路攻略法には違いないが……
「たぶん、迷路の主がもっとややこしくして返してくるぞ」
「………」
 リュウが押し黙る。その髪をまたわしわしやってから、
「とりあえず前に進んでみようや。な、兄ちゃん」
「はい」
 リュウはどこかむっつりとした表情のまま、小さくうなずいた。


「千獣殿は、マッピングをなさらないのか?」
 アレスディアはともに千獣と道を歩きながら尋ねていた。
「………」
 千獣は無言で、アレスディアの持っていたマッピング用の紙にペンで文字を書く。
 もーれつにへたくそだった。
「………」
 アレスディアは黙ることにした。
 ふたりが突き進むと、やがて道は三つに分かれた。
「参ったものだ……どこから手をつけていいやら……」
「ちょ、っと、待って、て……」
 千獣は背中に翼を生やし、三つに分かれている道のうち右端に飛んで入っていった。
「千獣殿!」
 アレスディアは慌てて呼んだ。飛んでいったのは走るより早いと思ったからだろうが……
 しばらくして、千獣は戻ってきた。
「この、道……先、行き、止まり……」
「そ――そうか」
 アレスディアはマップに×を打つ。
 それから心配そうに千獣を見た。
「あまりひとりで動かれないほうがいい。方向感覚が狂っている今は――」
「方向、感覚、って、よく、分から、ない……」
 千獣は小首をかしげて、「でも……私、の、中、の、子たち、が……私、に、教え、て、くれる……」
「―――」
 獣や魔をその身に飼う千獣。それを思い出してアレスディアは苦笑した。
「なるほど。……さしもの黒幕も、そこまで考えがいかなかったか」


 ゾロは右端の道に入るなり突然蜂の群れに変化し、分裂して道をさがし始めた。
 後ろをゾロの作った魔法使いたちがついてくる。
 そのまた後ろをラクシャが――
 ラクシャは蜂の群れになったゾロに驚いたようだった。が、おそるおそる何とかついてくる。
 いくつもの分かれ道に遭遇した。
 蜂の群れとなったゾロは、分裂してすべての道を同時に捜索した。
 これも黒幕の予定外だったのだろうか――
 蜂の姿になると、狂わされたはずの方向感覚が戻った。
 分かれ道では、いったんラクシャをその場所に立たせ、蜂の群れですべての道を捜索する。そして、行き止まりの道とまだ続きそうな道をたしかめるといったんラクシャの元へと戻ってきた。
 ――その間、ラクシャのことを監視しておくよう魔法使いにひそかに命じ。
(まだ信用できない……なぜ俺たちを呼びにいっている間に犯人が恋人をつれて逃走するとは考えなかったのか。なぜ「恋人の捜索」ではなく「迷路内での恋人の捜索」なのか……)
 ゾロは魔法使いに命じ、ラクシャが正しい道を行くように導いた。
(とりあえず、迷路を攻略することは間違っていませんからね)
 そう思いながら、いくつもの分岐点を、蜂となったゾロは捜索し続けた。


「さぁーて、他の連中も無事のようだし……」
 具現派動で仲間たちの気配を感じ取りながら、オーマは最後にようやく動き始めた。
「俺も行くとすっかね」
 ――本当は、全員が同じ道を行くべきだと、そう思った。なぜなら敵に空間能力があるのなら、迷路は常に作り変えられ、通常の突破方法ではまず無理だと考えたからだ。
 だが――
 ひとつだけ疑問点があった。
 オーマは空間能力に長けている。三半規管を狙われたくらいでは方向感覚を狂わされたりはしない。
 具現派動を全開にして迷路全体を把握しようとしたところ――

 魔の、気配が。
 いたるところに、あった。

(あれは何を意味する?)
 ちょうど他の三パーティが進んだ先に、それらは現れる。
 テレパシーで仲間に伝えようとしたら邪魔をされた。空間を操る者同士の静かな戦いが、ここで行われていた。
 ――手にしたルベリアの花が偏光を放つ。
 一直線に、オーマに割り当てられた道に――


 迷路は入り組んでいた。方向感覚を狂わされ、トゥルースは途中でマッピングを諦めた。
 リュウがめらめらと燃えているのが分かる。迷路にいらいらしているのだ。
 とりあえず分かれ道には印をつけるようにし、地道に迷路攻略を試みる。
 と――
 何の脈絡もなく、眼前の空中がぴしりと割れた。
「あ?」
 トゥルースはどしどし前に行こうとしたリュウを引っ張って制し、
「待て」
「え? はい」
 ポケットから小石を取り出す。あらかじめ用意しておいたものだ。
 それを、ひびわれた空間に投げ入れる――
 ぴし
 ぴし ぴし びし

 バリン!!!

 飛び出してきたのは三つの頭を持つ黒狼――
「ケルベロスかよ……!」
 トゥルースは飛びかかってきた黒狼の首のひとつをわしづかみにした。
 しかし、他の二首がぐにゃりとまるで首の骨がないかのような動きをしてトゥルースに向かい、その手首にかみつこうとする。
 とっさに剣を抜いたリュウが、二首に向かって剣を振り上げた。
 その気配に、二首が首をもたげる。その隙に、トゥルースはわしづかんでいた首の喉あたりを拳で痛打した。
 がっくりとその首が気絶する。
 残りの二首が咆哮をあげた。
「いちいち殺してんのもなあ……」
 またもや首をぐりんと曲げてくる黒狼を、ぽいっと放り出してトゥルースはぼやく。
「なら気絶させちゃいましょう」
 リュウはやる気まんまんで、手に持つマリンソードを構えた。
「まずヤツの周囲を囲んで……」
 リュウは近くの壁を破壊した。
「おいおい……」
「壁の石でやつを囲むんです。岩はなるべく隙間のないようにびっしりつめて」
 リュウの目があまりにもすわっているので、トゥルースも仕方なくあたりの壁をぶち壊して岩をつみあげた。
 黒狼もおとなしくしていない。その相手はトゥルースが務める。学習能力でもあるのか、最初の一首のように簡単には捕まってくれなくなったので、地道に敵の攻撃を受け止めてカウンターの打撃に勤めた。
 やがてほどよく黒狼が岩に包まれたころ――
「トゥルースさん、出てください!」
 リュウが岩の上に乗っかり、仁王立ちで言ってくる。
「あいよっと――何する気だお前さん」
 黒狼の攻撃をうまく避けて、岩の囲いの外に出たトゥルースの目の前で――
「マリンソード!」
 リュウはかかげていた剣を振り下ろした。
 大量の水が発生した。
 リュウの思惑通りびっしりと包み込まれた岩の中で、黒狼ががぶがぶと溺れていく。
 トゥルースは呆然とそのさまを見ていた。
 やがて――
 黒狼が、動かなくなった。
 岩の隙間から水が染み出している。
「おい、危ないぞ! 早く水を消せ!」
 小さな穴でも水圧に押されれば激しい水の流れとなる。トゥルースは慌てて叫んだ。
「もう大丈夫です」
 リュウはマリンソードをおさめた。
 水がマリンソードへと戻っていく。
 トゥルースは岩場を越え、黒狼の様子をたしかめに行った。
 ――幸か不幸か、気絶しているだけらしい。
「まったく、無茶すんな兄ちゃん……」
「僕の武器はこれだけですから」
 少しだけ気分がさっぱりしたのか、リュウは言った。
 と――
「?」
 突如、ふたりの体を浮遊感が襲い、
 ふたりの体はその場からかき消えた。


 ゾロの目の前には、一匹の大蛇が現れていた。
「本来世界を覆うほどの大蛇……ヨルムンガンド?」
 ゾロは蜂の姿からもとの姿に戻り、眉根を寄せる。
「ばかばかしい。神話の敵がここに出てきますか?」
 ちらと見る先。震えているラクシャの姿。
 魔法使いたちが、即座に鎌鼬を放ち始めた。――大蛇に向かって。
 ゾロは自らも、高らかに声をあげた。
「黒狼よ!」
 ――召喚された魔獣は、大蛇に向かって駆けていく。
 黒狼か、とゾロは微苦笑した。
「ヨルムンガンドにケルベロス……何かを思わせますね」
 大蛇は迷路内が狭かったため、首以外ろくに動かせなかった。
 代わりに首がしきりに動いたが、首の射程範囲内に魔法使いたちはいない。
 何度も硬い表皮を裂かれ、黒狼にかみつかれ、大蛇は簡単に動かなくなった。
「まったく……手ごたえのないことです」
 ゾロは依頼人を再度盗み見る。
 依頼人は、ふうと息をついていた。それは、安堵しているようにも見えた。だが――
「―――っ」
 ゾロは浮遊感を感じてしまったと己の失態を呪った。
 ゾロの姿がかき消える。
 残ったのは、魔法使いたちだけだった。


 オーマがルベリアの偏光を元に壁をどっかんどっかんぶち壊しながら前に進んでいると、やがてアレスディアと千獣がいるところにまでたどり着いた。
「おんや?」
「オーマ殿?」
「オーマ……」
 何も迷路を破壊しなくとも、と渋面を作るアレスディアに、
「いや、このルベリアの光をまっすぐたどるためには仕方なくな――」
 とオーマは言い訳をした。
「そう言えば……そのルベリアという花は、心を映し見ると――」
「そうだ。……恋人をさがすには一番さ」
「なん、で、最初、から、みん、な、と、一緒、に、行かな、かった、の……?」
 千獣が上目遣いでオーマを見上げる。
 オーマは難しい顔をした。
「……今、トゥルースたちとゾロたちが魔物と戦って、そしてどこかへ飛ばされた」
「なに?」
「どこへ行ったのかは分からん。空間がねじまがっていて――」
 そして、とオーマは言った。
「――今、ここにも」
 目の前に。
 ふわりと、降り立った存在がいた。
 半身が青黒く、半身が肉の色をした不気味な容貌の女――
「モンス、ター……」
 千獣がうなり声をあげた。その女の匂いをかぎとったのだろう。
 女が一歩こちらに進み来る。
 アレスディアがコマンドを唱え、ルーンアームを身軽な黒装へと変える。
 オーマはつぶやいた。
「どっかの本で見たことあるな、この女……たしかどこかの神話で」
 女は懐中時計を取り出した。
 しゃらん……
 それをふりこのように揺らす。
 しゃらん……
 鎖が、やけに耳の奥に響いた。
「聞くな! ふたりとも!」
 オーマが耳をふさぐように指示をする。
 しかし耳をふさいでは、武器を手放すことになる。
 アレスディアは逡巡した。
 しかし千獣は――
「効か、ない……よ。……私、の、中、の……子、が……暴れる、だけ……」
 女がたじろいだ。懐中時計を振るのをやめる。
 千獣はオーマをちらっと見て、
「ぐーで、殴って、気絶、かな……」
 右腕の呪符包帯をはずした。
 獣の手が現れる。大きな手が。
「ちょっと、痛い、けど……我慢、して……?」
 千獣はたんと地を蹴った。
 そしてオーマとアレスディアが呆然としている間に――

 どっごん

 女を、ぐーで殴った。
 女は一撃で気絶した。転がったその体の不気味さを見下ろして、千獣は切なそうに囁いた。
「あなた、も、私、の、仲間……?」

『違うね』

「―――!」
 ひゅっ
 浮遊感が三人を襲った。
「しまった……っ」
 オーマが口惜しげにうなる。

 何秒か、何分か、分からない時間が経ち――

 気づいたときには。
 真四角に囲まれた白い部屋の中央に、彼らは、いた。

 オーマ、トゥルース、アレスディア、千獣、リュウ、ゾロ。全員が揃っている。
「ここはどこだ……?」
 白い白い部屋を見渡す。出入り口がない。
 ぱち、ぱち、ぱち、とまばらな拍手が聞こえた。
「――よくぞ僕のかわいい三人の子たちをやぶったね」
 白い部屋の片隅に、玉座。
 そこに高く足を組んで座っている金髪の青年。その足にしなだれかかるように、ひとりの女が床に座っている。
「誰だお前は……!」
 リュウが叫ぶ。
 千獣が目を見開いた。
「匂い……匂い、が……ラク、シャと、一緒」
「やはりあなたが黒幕ですか――ラクシャ!」
 ゾロが鋭い声を発した。
 残りの冒険者たちが目を見張った。
 金髪の青年は、椅子に肩肘を乗せながら、ぴゅうと口笛を吹いた。
「最初から検討をつけていたキミには敬意を表するよ、ゾロ……とか言ったっけ?」
「匂い、が……」
 千獣の赤い視線がラクシャの足にしなだれかかる女に向かう。
 同じく女に向かっている光は――ルベリアの偏光だった。
 くすくすくすと、女は笑っている。
「あなたは誰です、ラクシャ」
 ゾロが低く尋ねる。
「キミも神族なら知ってるんじゃないかい。僕の本名はロキさ。悪戯と欺瞞の神――」
「……ならばそちらの女性は」
「ああ、僕の正妻でシギュンという。よろしくね」
 女はくすくすと笑うばかりだ。
「何のまねだ……」
 オーマは奥歯をきしらせた。
「俺たちを罠にはめて――なんのつもりだ!」
「だから言っているだろう? 僕は何の神だと言った?」
 ――悪戯、と、欺瞞――
「たったそれだけのことか!」
 アレスディアが吼える。
「それだけではないわ……」
 初めて、シギュンが口を開いた。
「あなたたちにさしむけた三人は夫の子……でも私の子ではない。私のふたりの子は人間に殺された……」
「復讐を兼ねてるってわけさ」
 ロキはくっくと笑う。
「キミらが迷路を必死で攻略しようとしているさまは滑稽だったよ。楽しませてもらった」
「――ここから、出してもらおうじゃねえか」
 トゥルースが、額に血管を浮き立たせてうなる。
 ロキはにやりと笑った。
「この僕に勝てたらね」


 オーマの大銃が火を噴いた。
 ロキには当たらない――わざとはずした。
 その隙に、千獣が下から――アレスディアが上から――ロキを攻撃する。
 ロキはルーン文字と呼ばれる文字を空中に描き出した。
 その発動は早かった。光の壁が生まれ、千獣とアレスディアの攻撃がふさがれた。
 ゾロは黒狼を召喚する。
 黒狼はロキではなくシギュンを狙った。そうすればロキの意識が散るだろうと。
 リュウがマリンソードを振り下ろす。
 水の奔流がロキを襲った。ロキは連続してルーン文字を描き出した。防御の印――そして攻撃の印!
 爆裂。
 千獣とアレスディアが傷を受けて吹き飛ばされる。
 トゥルースが聖獣装具ロードハウルで一喝した。
 ロキの動きが一瞬だけ止まった。オーマはロキの足元に火炎弾を撃ちこんだ。
 ロキはルーン文字を描き出す。火が、一瞬でかき消える――
 シギュンに黒狼が襲いかかる。
 ロキは黒狼を蹴り飛ばし、ルーン文字でシギュンに結界を張った。
 その背中に、復活した千獣が獣の握り拳を叩きこむ。
 ロキの体が大きく反る。何とか起き上がったアレスディアが続けて突撃槍の側面でロキの首筋を打つ。
 ロキは踏みとどまり、何とか体勢を整えようとした。が――
 リュウのマリンソードによる水の勢いが、ロキの足を捕らえた。
 ロキはその場に膝をついた。首筋を打たれていたせいで頭もふらついている。
 トゥルースがロキの胸倉をつかみ――
 その横っ面を拳で殴り飛ばした。
 体が床をすべり、倒れこむロキ。その腹に空砲を思い切り撃ちこんで、オーマが。
「どうかねやっこさん。もう悪戯はしないって約束しねえか?」
 ロキは切れた唇の血を舐めとりながらふっと笑った。
「僕は悪戯と欺瞞の神。――どちらか片方を失えば、それは自分を失ったも一緒」
 シギュン! と彼は彼の妻の名を呼んだ。
 シギュンが体勢を整える。ロキは立ち上がりざまシギュンの元へ走った。いくつものルーン文字を描きだしながら。
 すべての攻撃が防がれた。そして最後のルーン文字が発光する――
「キミたちには敬意を表するよ!」
 ロキはシギュンを抱き、
「また縁があったら会おうじゃないか!」
「――しまった!」
 ゾロが叫んだ。
 その瞬間にはもう――
 ロキとシギュンの姿は、消えてなくなっていた。

     **********

「何とか外へ出られてよかったなあ……」
 オーマが疲れきった声でぼやく。
「まったくだ」
 トゥルースが葉巻を取ろうとして、もう懐に一本もないことに気づきがっくりと肩を落とした。
 一行は、あの出入り口のない四角い部屋の壁を崩して外へ出たものの、そこはあの迷路だったのだ。
 迷路もどっかんどっかんとぶち壊しながら前に進んだが、疲れることこの上なかった。
「こんなに迷う迷路なんて大嫌いだ!」
 リュウが激昂してマリンソードで迷路をさらに破壊しようとしている。
 それを慌てて「もうよしとけ!」「リュアル殿、落ち着け!」「リュアル……だめ、だよ……」「リュアルー!」と他の面々が押さえこもうとしている。
 ひとりだけ、ゾロはその騒ぎに参加せずに、ひとり空を見上げていた。
 蒼い蒼い空が、やけに清々しく思えた。


 ―Fin―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1953/オーマ・シュヴァルツ/男/39歳(実年齢999歳)/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】
【2598/ゾロ・アー/男/12歳(実年齢784歳/生き物つくりの神】
【2919/アレスディア・ヴォルフリート/女/18歳/ルーンアームナイト】
【3087/千獣/女/17歳(実年齢999歳)/獣使い】
【3117/リュウ・アルフィーユ/男/17歳/風喚師】
【3255/トゥルース・トゥース/男/38歳(実年齢999歳/伝道師兼闇狩人】

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■         ライター通信          ■
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リュウ・アルフィーユ様
いつもありがとうございます、笠城夢斗です。
今回は奇妙な依頼にご参加くださり、ありがとうございました。書き手としても意外な結果となりました。いかがでしたでしょうか。
よろしければまたお会いできますよう……