<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


夜と昼の双子 〜その手をとって



 私は夢を見る。
 彼の秘密を知ってから。
 あの呪いを知ってから。
 夜ベッドの中。
 昼白昼夢。

 彼が虚ろな瞳で水が滴るナイフを手に佇む姿。
 そして地面には、床には、横たわる自分。

 水は血。
 獣の舌なめずりが聞こえる。
 私は、その場で立ち尽くす。
 黒い影の奥、光る二つの双眸を―――見た。





 サクリファイスは軽く頭を手で支えるようにして路地を歩いていた。
 それにしても―――
 と、サクリファイスは足を止める。
 あの夢は一体何なのだろうか。いや、難しく考える必要などない。関わるなと言われたのに関わっている結果が、あの夢だ。
「さくりふぁいす」
 聞き知った声が自分の名を呼ぶ。
 サクリファイスはどこか安堵したような面持ちで振り返った。
「ソール……」
 けれど、その顔も一気に凍りつく。
「……ソール……?」
 声をかけてみたものの、気配が彼とは違っている。
 それに加えて、彼の顔には、普段ならば絶対に浮かべる事などない、微笑みが形作られていた。
 ソールは妖しさを伴った瞳をサクリファイスに向けている。
「会エテヨカッタ」
 そしてゆっくりとサクリファイスに向って歩き出した。
(……この気配は……あの夢の?)
 すっ…と、サクリファイスの瞳が鋭くなる。
 けれど、ソールはとても嬉しそうな微笑をサクリファイスに向けていた。
「はてぃガ、オ腹ヲ空カセテイルンダ」
 その微笑にサクリファイスはびくっと背筋を凍らせる。
 目の前のソールの顔があった。
「!!?」
 サクリファイスは思わずその身を引く。
 その瞬間、今までサクリファイスが立っていた位置に、短剣が振り下ろされていた。
「避ケチャイケナイヨ」
 ソールは、その狂気に満ちた微笑はそのままで、サクリファイスに視線を向ける。
 今目の前に居るのは、ソールの姿をしている別の何か。
 たぶん、あの夢で感じた気配に、ソールは支配されてしまっているのだろう。
「関わった者を、自らの手で殺させる……なんて」
 酷なことを!
 サクリファイスの叫びにもソールは動じた様子はなく、まるで駄々っ子を見ているかのように肩を竦める。
 そして、ソールは地面を蹴った。
 サクリファイスは反射的に避ける。
「イツマデ、持ツカナ?」
 短剣を握っているソールの手が何度も空に弧を描く。
 クスッと、笑った声が聞こえたような気がした。
(早い!?)
 ソールの攻撃は段々そのスピードを増していく。
 流石に逃げるだけではその切っ先の餌食になってしまいそうだった。
(抜けない!)
 魔断を抜けば対等に――いや、勝つことだって容易いだろう。けれど、体はきっとソールのもの。傷つくのはソールなのだ。
 一瞬の考えに行動が鈍る。
 ソールがその瞬間を逃すはずがなかった。
「くっ……」
 サクリファイスは、避けられないと悟った短剣を自らの身を捩じらせ、急所を外し受け止めた。
「!!?」
 短剣を引き抜く事が出来ずにソールはぐっと何度も腕を振る。
 その度に刃が肉を抉るような感覚に陥りながらも、サクリファイスはソールの手を放さず、その動きを封じた。
「……二度目だったかな」
 痛みで意識を保つのがやっとであろうと思われるのに、サクリファイスは微笑む。
 ソールはそんな言葉など無視するように「放セ」と何度も叫ぶ。
「あなたのことを捨て子のようだと言ったのは」
 サクリファイスはそっとその手を伸ばしてソールの頬に触れた。
「あなたは、望んでもいない孤独に、抗うことすらも諦めていて……」
 そっと語りかける。ソールに届くようにと祈りをこめて。
「声ナド、届カナイ」
 ソールの口から自由にならない事に対して、忌々しげに言葉がつむがれる。
「思わず、抱きしめてしまったけれど」
 だから放せと言わんばかりのソールの視線を見ないように、サクリファイスはそっと瞳を閉じる。
「あのときの気持ちは、なんていうんだろうな…」
 サクリファイスの瞳は少しだけ潤んでいた。
「気持ちの名前は、わからないままだけど……」
 伸ばした腕をそっとソールの背中に回す。
 そして優しく抱きしめた。
 どうか、戻ってきて―――!





 サクリファイスは気がつけば見知らぬ場所に立っていた。
 あのまま力尽きてしまったのかと考えたが、何故だかこの場所にとても見覚えがある気がして、サクリファイスは辺りを見回した。
―――いた!
『ソール!』
 サクリファイスは思わず駆け出してソールの手を取った。
 虚ろな瞳でソールは立つ。
『ソール! お願い。返事をして!』
 ソールの瞳は何も見ていない。その表情は全てを諦め、何も感じていないように見えた。
『諦めないで……』
 サクリファイスは立ち尽くすソールの腕を握り締める。
『私でなくてもいいから……!』
 そして、もう一度届けと祈りをこめて叫んだ。
『あなたを孤独から解き放ちたい……』
 どうすれば、救う事ができるの?
『あなたが誰かと共に在ることを、もう一度望んでくれるなら、この命も、惜しくない……だから』
 泣きそうな瞳でサクリファイスは語りかける。
 その瞬間、なぜか落ちていくような浮遊感に苛まれる。
―――惜しくないなんて、言ったから?
 けれど、それでソールが自分を取り戻し、誰かと共に歩むようになるならば。
『諦めないで』
 落ちていく意識の中、サクリファイスは消え入りそうな声で伝える。
 ああ、もう私は落ちるのだ。この闇へ。
『?』
 けれど、サクリファイスの手は強く誰かに握られていた。
 浮遊感もなくなり、薄っすらとだけ開かれた瞳をサクリファイスは移動させる。
 そして、覗きこむ泣きそうな視線に、サクリファイスはふわっと微笑んだ。
















『そう、兄さん。その短剣を振り下ろせばいい』
 意識がこの場へと戻ってきたサクリファイスが、一番最初に聞いた声。この声は、ソールの妹、マーニの声だ。
 よくよく状況を理解するように瞳を泳がせれば、ソールの顔が真上から自分を見下ろしている。
 完全に地面に縫い付けられるように動きを封じられていた。
「ソール……」
 短剣を振り上げたソールの手が震えている。
 サクリファイスが意識を取り戻したと同時に、ソールも自分を取り戻しているように見えた。
『さあ!』
 マーニの声音を発している仔狼が叫ぶ。
 ソールはぐっと唇をかみ締めて短剣を振り下ろした。
 思わず次に来るかもしれない衝撃に、ぐっと瞳を閉じる。
 だが、その衝撃はやってこなかった。
 サクリファイスはゆっくりと瞳を開ける。何処も痛みを感じない。
 そのまま恐る恐る自分を押さえつけているソールを、見た。
「ソール……?」
 ソールは、自分から今まで一度もその顔に浮かばせる事が無かった微笑で、サクリファイスを見下ろしていた。
 サクリファイスはそっとソールを見る。そして、はっとした。
「ソール!」
 ソールの腹には、サクリアイスに向けたはずの短剣。
 震える指先でそっと短剣へと手を伸ばす。
 血は、流れていない。
「本当は……最初からこうすれば良かったんだ」
『兄さん?』
 仔狼が問いかける。
―――ズッ…!
 ソールは自ら腹に突き刺した短剣を引き抜き、立ち上がる。そしてゆっくりと仔狼に振り返った。
 初めて鮮血が零れた。
「止めるんだソール!」
 サクリファイスが手を伸ばす。けれど、その手は空を切る。
 ソールの剣幕に仔狼が戦慄いた。
『や…止めろ!』
 ソールは仔狼の首を押さえ、鮮血が滴る短剣を振り上げる。『止めろぉおお!!』
 高らかと掲げられた短剣は勢いよく仔狼の胸に突き刺さった。
 そしてそのままゆっくりとその場に倒れていく、ソール。
「ソール!!」
 ソールがその場に倒れた瞬間、サクリファイスは呪縛が解かれたかのように走り出し、その体を抱き起こした。
「何故こんな事を!」
 自らを刺す必要なんて何処にも無かったのに!
「振り上げた手を……止められ、無かった…から……」
 サクリファイスを傷つけてしまうくらいなら、自ら傷を受けた方がいい。
『お…のれ……!』
 その場に倒れたソールを見やり、忌々しげに仔狼が声を絞り出す。
『小童…がぁ……』
 ヒューヒューと小さな音が仔狼の喉からもれる。自ら与えた刃は、自らを蝕み、それは確実に仔狼の命をも削っていた。
「……マー、ニ…」
 喉を詰まらせる血を吐き出すように咳き込んで、ソールはゆっくりと仔狼に視線を向ける。ソールは、仔狼をマーニ――妹だと、思っているから。
「俺達…弱虫、だった、な。本当は……気がついた時に、こうすれば…良かったんだ」
 そうすれば、自分達に関わった人たちを死に追いやることもなかった。
「どこかでまだ、期待……してた。呪いが、解けるんじゃないかって」
 親しい人を自らの手にかけていたと知ったのに。本当に小さく、心の中のどこかで、きっと期待していた。
「お願いしゃべらないで!」
 仔狼に向けていた視線を、ゆっくりとサクリファイスに向ける。
「ありがとう……」
 ソールはゆっくりと力が入らずに小刻みに震える手を伸ばす。
 サクリファイスはその手を握り締めるために手を伸ばす。けれど、
「あんたに逢えて、良かっ―――…」
 その手は掴まれることなく地面に落ちた。

「―――――!!!」

 サクリファイスの声にならない叫びが、その場に木霊する。
『撒き餌…ふぜい、がっ……!』
 仔狼の声にサクリファイスの瞳が鋭くなる。知らずにぐっと拳を握り締めていた。けれど、
『ああああああ!!』
 何か別の力にも苛まれるように、仔狼の命が事切れる。
 その瞬間、まるで弾け飛ぶ万華鏡の景色のように仔狼は光を放った。
「何……?」
 光は、その中に徐々に影を浮かばせる。
 呪いは、変身ではない。―――封印。
 変わったように見せていただけで、銀狼と仔狼がそれぞれその身に夜はマーニを、昼はソールを封印していただけだったのだ。
 そしてこの狼たちが、双子が親しくなった者の魂を―――喰らっていた。
 絶望のふちに落とすと言うやり方で。
 そして、トン…と、その場に足を着いたのは―――マーニ。
 呆然とその様を見つめるサクリファイスと、その腕に抱えられている青年を見て、マーニは悟った。
「兄さん……」
 マーニはソールの傍らに腰を下ろして、そっとその額に触れる。
「マーニ…?」
 サクリファイスはマーニが一体何をしでかすのか分からずに、ただその様を見ているしかなかった。
「皮肉、だね……」
 ふっと笑ってマーニは瞳を閉じたソールの額に手を当てる。
 呪いが解けて尚、生き残るのは“守りたい誰か”を見つけていない方翼なんて。
「……誤算、かな…」
 マーニが小さく呟いた瞬間、その口元からゆっくりと赤い筋が刻まれた。
 サクリファイスは驚きに瞳を大きくする。
 マーニは足に力を入れ懸命にその場で立っていた。
「傷を移すなんて……!」
 マーニは腹を押さえて、サクリファイスに笑いかける。握り締めるように抑えた指先からは、赤く滴る鮮血が零れていた。
「兄さんが、生きるべき…だ」
 はっとして腕の中のソールを見下ろせば、その瞳が薄っすらと開かれている。
「生きて…兄さん……」
 目を覚ましたばかりのソールは軽く頭を抑え、体を起こす。
「……!?」
 そして、穏やかな微笑みでその場に崩れていくマーニを、見た。
「マーニ!」
「マーニ!?」
 ソールとサクリファイスは、倒れていくマーニに駆け寄る。
 命のともし火が消えかけた妹を、ソールはきつく抱きしめた。

 それは夜明けが近づいた紫の一時―――……






























 サクリファイスは、表通りから少しだけ外れた宿屋の一室の扉を、コンコンと叩いた。
 程なくして扉は開け放たれ、2つの瞳がサクリファイスを出迎える。
「こんにちは」
 サクリファイスは微笑んで、扉を開けた主――ソールを見た。
「マーニの様子は?」
 ソールはすっと体をずらし、部屋の中へとサクリファイスを招き入れる。
 そこには、車椅子に座り、窓から月を見つめているマーニがいた。
 傷はエルザードに集う医師や、水操師達が全力を持って癒してくれた。けれど、目覚めたマーニの心は壊れていた。
 腕のいい洗心医にかかれば治るかもしれない。だが、洗心医は患者の心の中に入り、その苦痛を取り除く医者。それは必然的に2人が抱えていた悩みや呪いの事まで暴かれてしまうと言う事。
「誰かと共に在ることを…望んで欲しいって言ったよな」
「ああ」
 マーニを見つめたまま呟いたソールに、サクリファイスもまた視線は彼女に向けたままで頷く。
「………望んでも、いいか……?」
 自分から拒絶してしまったのに今更こんな事を言うなんて虫が良すぎる話だと分かっているのだろう。そんな躊躇いがちなソールの言葉に、サクリファイスは驚きに一瞬瞳を大きくする。
 そして、ゆっくりとソールを見れば、不安そうな瞳でサクリファイスを見つめていた。
 まだ、この気持ちを何て言ったらいいのかは分からない。
「私でよければ」
 そして、サクリファイスは穏やかな笑顔を浮かべ、そっとソールの手をとった。





End.










☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【2470】
サクリファイス(22歳・女性)
狂騎士

【NPC】
ソール・ムンディルファリ(17歳・男性)
旅人


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 夜と昼の双子最終話にご参加くださりありがとうございます。ライターの紺碧 乃空です。
 最初にまず、これでかなりのハッピーエンドであるという事と、Endなのにどう見てみEndっぽくない事を謝らねばならないような気がします。申し訳ございません。
 この最終話納品を機に、NPC情報の更新を行わせていただきます。
 もし、後日譚等をご希望されるようでしたら、2人っきりの場合はシチュノベを、双子を両方とも出す場合は「例えばこんな……」ゲームノベルをご使用くださいませ。

 多分最後までサクリファイス様は母性が勝っていたと思います。それは一重にソールが精神的に子供だったという事が原因なのではないかと結論付けています。
 サクリファイス様の中で恋愛に発展させてもらえるかどうかは、やはりこの先どれだけソールが大人になるか。に、かかっているような気がします。
 一夏お付き合いありがとうございました。
 それではまた、サクリファイス様に出会える事を祈って……