<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


夜と昼の双子 〜本当の笑顔を



 俺は夢を見る。
 彼女の秘密を知ってから。
 あの呪いを知ってから。
 夜ベッドの中。
 昼白昼夢。

 彼女が虚ろな瞳で水が滴るナイフを手に佇む姿。
 そして地面には、床には、横たわる自分。

 水は血。
 獣の舌なめずりが聞こえる。
 俺は、その場で立ち尽くす。
 黒い影の奥、光る二つの双眸を―――見た。





「……ああ、あるほど、な……」
 どうも腑に落ちないが、けれどどこか納得するような面持ちで国盗・護狼丸は腕を組んで歩いていた。
(関わった奴が死ぬってのは、こういうことか)
 不慮の事故や病気ならば偶然で済ますことだって出来るが、誰かと親しくなるたびに、あの夢の出来事が起こっていたのならば、確かに人を遠ざけるのも納得できる。
「ゴロウマル」
 名を呼ばれて護狼丸は足を止めた。
 まさか呼び止められるとは思わずに、思わず笑顔で振り返る。が、
「マーニ?」
 にっこり、と。不自然なほどに微笑んでいるマーニの顔を見て、護狼丸は思わず蹈鞴を踏む。
「会イタカッタ」
 マーニは軽く駆け出し、護狼丸の懐へと飛び込み、その顔を見上げた。
「すこーるガ、オ腹ヲ空カセテイルノ」
 確かに笑顔ではあるけれど、マーニの瞳は笑っていない。
 ぞくっと背筋が凍る感覚。
「すまん!!」
 護狼丸は思わずマーニの肩を押すように引き剥がす。
「マーニ…?」
 引き剥がしたマーニの手には短剣が握られていた。
「運ガイイヤツダ」
 マーニは短剣をすっと構え直して、小首をかしげ瞳を細める。
「おまえ、マーニじゃないな?」
 マーニの姿を模している何か。いや、体はマーニのもので、何かに精神を乗っ取られているのかもしれない。
「ドウシテ?」
 何処からどう見てもマーニには変わりない。けれど、
「マーニは、そんな風に笑わない」
 護狼丸の言葉にマーニは鼻で笑う。
「関係ノナイコト」
 その言葉を放った瞬間、マーニは地面を蹴った。
 一瞬で狭まる間合い。
「っく……」
 乗っ取られているとはいえ、護狼丸には女の子、ましてやマーニに手を上げるなんてことはできない。
 護狼丸はぎりっと唇をかみ締め、弧を描くようにして放たれる短剣の切っ先を、何とか身をそらせて避ける。額から冷や汗が流れた。
「余裕ソウダナ」
 マーニがにやりと笑った。
 その言葉と共にマーニは動きの法則性が変え、一気にスピードを上げる。
(まずい!)
 確認できる視線の端に映る短剣の切っ先。
 護狼丸は避けきれないと悟り、自らの掌を犠牲にするように迫り来る短剣の刃を掴んだ。
 痛みが走る。だが―――
「…??」
 思いっきり刃を掴んでいるはずなのに、痛みは在れど掌から血が流れてこない。
「肉体ノ苦痛ナド人ニトッテ微々タルものダロウ?」
 マーニがにやりと笑った。
「掴モウガ、意味ノナイコト!」
 刃が護狼丸の拳をすり抜ける。本当に刃がついていたならば、護狼丸の指は切り落とされていたかもしれない。
 そして、マーニはそのまま真っ二つにせんばかりの勢いで短剣を真横に凪いだ。





 呆然と焦点の合わない虚ろな瞳でその場に座り込んでいるマーニ。
 こんな場所に居ただろうか。と、一瞬思ったが、きっとまたあの夢を見ていたのだと納得して護狼丸はマーニに近づいた。
『なぁ、マーニ』
 傍らに座り込んで話しかける。
 今こんな事を言うのは可笑しいかもしれないけれど、出会ったときに伝えておかなければ、いつ伝えられるか分からない。
『正直なところ、この気持ちがなんなのか、今でもわからない』
 光を失ったままのマーニの瞳。
『だって、まだ本当のマーニと会ったとは言えないだろ』
『本当のあたしってなぁに?』
 虚ろな瞳のままマーニは抑揚のない声で問いかける。
 突然の質問に面食らい、護狼丸は腕を組んで「そうだな…」と小さく呟くと言葉を続けた。
『きっと心から笑える。それが本当のマーニなんだと思う』
 虚空を見ていた瞳が微かに揺れる。
『マーニは、笑わないわけじゃないだろ?』
 浮かんだのは、あんな“夢”の中で見た笑顔じゃない。ほっとした微かな笑顔だったけど。
 それは銀狼に向けた笑顔であって、自分に向けたものではない事が残念だが、それでも、マーニはちゃんと笑えるのだ。
 呪いを解いて、咎とかそんなもの全てから解放されれば、きっとマーニも笑ってくれる。心からの笑顔を取り戻せるはず。
『俺は、そんな笑顔を浮かべられる、本当のマーニに会って、この気持ちが何か、確かめたい』
『確かめる?』
 何だか恥ずかしい台詞を吐いているような気がして、護狼丸は苦笑を浮かべる。
『マーニの存在が、俺の中でそれだけ大きいんだよ』
 マーニの視線が此処で初めて護狼丸を捕らえた。
『ねぇ笑うってなぁに?』
 楽しいから笑う。嬉しいから笑う。面白いから笑う。それはマーニにも当てはまるんだろうか。
『それはこれから見つけていかないか?』
 マーニが笑顔になれるような事を。
 だから、いつか、本当の笑顔を―――





 どちらが夢だ?
 護狼丸は混濁した意識のままそっとまぶたを持ち上げた。
 視界に、虚ろな瞳のマーニが自分を見下ろしている姿が入る。
『強情な奴だ』
 完全覚醒とは言いがたい意識の中で、耳に入ってきた聞き覚えのある声。
『刺せ。マーニ』
 それは、マーニの兄、ソールの声音。
 マーニが短剣を振り上げる。
 先ほどまでの狂気に満ちた微笑とは逆の、まったくの無表情。
「マーニ!?」
 護狼丸は、振り下ろされたマーニの手を掴んだ。
 小さな舌打ちが聞こえ、そちらに視線を向ければ、あの銀狼がこちらを見つめ佇んでいる姿が視界に入る。
『戻っておいで、マーニ』
 声は、銀狼から発せられていた。
「うん……。兄、さん…」
 ふらり。と、マーニが護狼丸の手を逃れ、銀狼に向けて歩き出す。
「行くな、マーニ!」
 ここでマーニを手放したら、彼女は一生囚われたままのような気がして、護狼丸は一度逃した手を捕らえる。
「スコールは、ソールじゃない」
 虚ろだったマーニの瞳に、微かに正気の色が戻る。
『そいつが嘘をついているんだ。マーニ、戻って来い』
 マーニの中に浮かんだ疑問を払拭させるように銀狼が叫ぶ。
「違うだろ?」
 だが焦る銀狼の声とは逆に護狼丸の声は冷静だった。
「マーニはあの日、ソールに変わったんだ!」
 だから、その目の前の銀狼がソールであるはずがない!
 護狼丸の言葉にマーニは顔をゆがめゆっくりと首を振る。
「分からない…分からない……!」
 護狼丸の手を乱暴に引き離し、フラフラと数歩後ずさるとその場で頭を抱えて蹲った。
『マーニ。そいつは兄さんとおまえを引き離そうとしているんだ』
 それでもいいのか?
 銀狼が問いかける。
「やだ…そんなのやだ……」
 マーニは抱えた頭を激しく振る。その仕草に銀狼がにやりと笑った気がした。
『なら、消せばいい』
 その男を。
 銀狼の言葉にマーニの体がびくっと震えた。今にも落としてしまいそうなほど曖昧に握られていた短剣の柄を、ぐっと握り直す。
「マーニ…!」
 マーニはゆらりと視線を護狼丸に向ける。そして、短剣を構え走り出した。




















 マーニがゆっくりと地面に膝をつく。仰け反らせた背中は、凶爪の反動によるもの。
「本当は……最初からこうすれば良かったんだ」
 涙の筋が空へ昇っていく。

―――ドサ………

 マーニがその場に倒れた瞬間、護狼丸は呪縛が解かれたかのように走り出し、その体を抱き起こした。
「マーニ!」
 護狼丸の手には生暖かい感触とぬめり。
『お…のれ……!』
 マーニを一撃の下にひれ伏した側の銀狼が、忌々しげに声を絞り出す。護狼丸はマーニをその手で庇いながら銀狼に視線を向けた。
『小娘…がぁ……』
 マーニの手にはあの短剣がない。
 それは、銀狼の胸に深々と突き刺さっていた。
 ヒューヒューと小さな音が銀狼の喉からもれる。自ら与えた刃は、自らを蝕み、それは確実に銀狼の命をも削っていた。
「……兄、さん…」
 喉を詰まらせる血を吐き出すように咳き込んで、マーニはゆっくりと銀狼に視線を向ける。
「あたし達…弱虫、だった。本当は……気がついた時に、こうすれば…良かったんだ」
 そうすれば、自分達に関わった人たちを死に追いやることもなかった。
「どこかでまだ、期待……してた。呪いが、解けるんじゃないかって」
 親しい人を自らの手にかけていたと知ったのに。本当に小さく、心の中のどこかで、きっと期待していた。
「しゃべんな! 傷が…っ」
 銀狼に向けていた視線を、ゆっくりと護狼丸に向ける。
「ありがとう護狼丸…」
 マーニはゆっくりと力が入らずに小刻みに震える手を伸ばす。
 護狼丸はその手を握り締めるために手を伸ばす。けれど、
「あなたに逢えて、良かっ―――…」
 その手は掴まれることなく地面に落ちた。

「マ―――ニ!!!」

 護狼丸の叫びが、その場に木霊する。
『撒き餌…ふぜい、がっ……!』
 銀狼の声に護狼丸の瞳が鋭くなる。マーニを抱きしめていなかったら、確実に一撃入れていた。
 瞬間。
『ああああああ!!』
 何か別の力にも苛まれるように、銀狼の命が事切れる。
 それと同時に、まるで弾け飛ぶ万華鏡の景色のように銀狼は光を放った。
「………?」
 光は、その中に徐々に影を浮かばせる。
 呪いは、変化ではない。―――封印。
 変わったように見せていただけで、銀狼と仔狼がそれぞれその身に昼はソールを、夜はマーニを封印していただけだったのだ。
 そしてこの狼たちが、双子が親しくなった者の魂を―――喰らっていた。
 絶望のふちに落とすと言う、やり方で。
 そして、トン…と、その場に足を着いたのは―――ソール。
 呆然とその様を見つめる護狼丸と、その腕に抱かれた少女を見て、ソールは悟った。
「ソール……」
 護狼丸にはわけが分からなかった。けれど、目の前にソールが現れた事は事実。
 ソールはマーニを抱く護狼丸の傍らに膝をつき、どこか優しい笑顔をマーニに向ける。
「大丈夫だ」
 そして、そのままの表情を一度護狼丸に向け、また視線を戻した。
「皮肉、だな……」
 ふっと笑ってソールは瞳を閉じたマーニの額に手を当てる。
 呪いが解けて尚、生き残るのは“守りたい誰か”を見つけていない方翼なんて。
「……誤算、か…」
 ソールが小さく呟いた瞬間、泣き崩れマーニを強く抱きしめる護狼丸の上に降り注ぐ雨。
 護狼丸は驚きに瞳を大きくする。
「おい、ソール!!」
 見つめるソールは腹を押さえて、それでもその場に立っていた。握り締めるように抑えた指先からは、赤く滴る鮮血が零れる。
「マーニが、生きるべき…なんだ」
 はっとして腕の中のマーニを見れば、その瞳を薄っすらと開けていた。
「生きろ…マーニ……」
 目を覚ましたばかりのマーニは軽く頭を抑え、体を起こす。
「……!?」
 そして、穏やかな微笑みでその場に崩れていくソールを、見た。
「兄さん!?」
「ソール!」
 マーニと護狼丸は倒れるソールに駆け寄る。
 命のともし火が消えかけたソールを、マーニはきつく抱きしめた。

 それは夕暮れが近づいた橙の一時―――……






























 表通りから少し離れた宿屋の一室の扉を護狼丸はコンコンと叩く。
 程なくして扉は内側から開け放たれた。
「よっ」
 護狼丸は片手を上げて小さく挨拶する。
 出迎えたのはマーニだ。
「ソールの調子は?」
 マーニはすっと体をずらし、部屋の中へと護狼丸を招き入れる。
 そこには、車椅子に座り、落ちる夕日を見つめているソールがいた。
 傷はエルザードに集う医師や、水操師達が全力を持って癒してくれた。けれど、目覚めたソールの心は壊れていた。
 腕のいい洗心医にかかれば治るかもしれない。だが、洗心医は、患者の心の中に入り、その苦痛を取り除く医者。それは必然的に2人が抱えていた悩みや呪いの事まで暴かれてしまうと言う事。
「ごめん」
 巻き込んで、ごめん。
「謝んなよ」
 別に、巻き込まれたなんて思ってない。
「うん」
 ソールの心は壊れてしまったけれど、もう二度と2人はあの呪いに苛まれる事はない。
 全て終わったのだ。
 マーニは振り返り、コツンと護狼丸の腹部に額を預ける。
「マ、マーニ?」
「ごめん…、少しだけ、このままで……」
 見下ろせば、マーニは護狼丸の着物をきつく握り締めていた。
 小刻みに震える細い肩が、とても儚く見える。
 けれど、抱きしめていいのかどうか、護狼丸にはまだ分からなかった。





End.










☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【3376】
国盗・護狼丸――クニトリ・ゴロウマル(18歳・男性)
異界職【天下の大泥棒(修行中)】

【NPC】
マーニ・ムンディルファリ(17歳・女性)
旅人


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 夜と昼の双子最終話にご参加くださりありがとうございます。ライターの紺碧 乃空です。
 最初にまず、これでかなりのハッピーエンドであるという事と、Endなのにどう見てみEndっぽくない事を謝らねばならないような気がします。申し訳ございません。
 この最終話納品を機に、NPC情報の更新を行わせていただきます。
 もし、後日譚等をご希望されるようでしたら、2人っきりの場合はシチュノベを、双子を両方とも出す場合は「例えばこんな……」ゲームノベルをご使用くださいませ。

 裏話を一つ。本当は最後にマーニには胸辺りにコツンと額をやりたかったんですが、身長差を計算してみるとどうしてもマーニの頭は腹辺りが限界でした。黄金差まで後10センチたりません。非常に惜しいです。(何のこっちゃ)
 今回は本当に焦らせてしまって申し訳ありませんでした。
 一夏お付き合いありがとうございました。
 それではまた、護狼丸様に出会える事を祈って……