<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>
いざ武術大会へ!
「退屈ねえ」
とどこぞの金持ち婦人は考えた。
「何か、華々しくやりたいものね」
婦人は扇の奥であくびをしてから、つぶやく。
「執事! 何か考えなさい」
と部屋の入口にひかえていた執事に鋭く声をかけると、
「は」
執事は斜め四十五度の角度に腰を折って返答した。
「わたくしめといたしましては、奥様のお好きな武器類を扱う大会がよろしいかと……」
――婦人には武器類の収集癖があるのである。
ぱちん、と婦人の扇が閉じられた。
「執事」
「は」
「今すぐ用意なさい。武術大会よ」
「は」
執事は斜め四十五度を崩さず礼をした。
**********
武術大会のうわさはすぐに街中に広がり――
その賑わいのわりに、参加者募集に反応したのは数人だった。
「ほう、武術大会なあ……」
酒場でカクテルを飲んでいたトゥルース・トゥースが、配られてきたチラシを見ながらぽりぽりと首筋をかいた。
「まぁ、暇つぶしにゃあ、ちょうどいいか。よし、俺もでるか」
誰が他に出るんかね、とトゥルースは葉巻をふかしながら唇の端をつりあげた。
大会当日――
トゥルースが会場に出向くと、見知ったひとりの少女と出くわした。
「よう、千獣」
「あ……」
長い黒髪に赤い瞳。あどけない表情をした千獣[せんじゅ]は、トゥルースの顔を見て微笑んだ。
「お前さんも出るのかい?」
トゥルースの問いに、
「出る……? 何、に……?」
「んん? ここは選手控え室への通路のはずなんだが」
トゥルースは武術大会のことを話した。
千獣は小首をかしげて、
「………?」
「……いや、だからな。赤と白に分かれて戦うってぇわけだ」
「………??」
ますます千獣は首をかしげる。
トゥルースは困ってしまった。
どう説明したもんだかと悩んでいるうちに、
「……うん」
千獣が何を納得したかうなずいた。
「戦え、ば、いい、ん……だよ、ね……」
「まあ、そういうこったな」
ようやく納得してくれた、とトゥルースはほっとする。
……真の意味で理解してくれているかどうかは謎だが。
「で、お前さんは赤組と白組のどっちにでるよ」
「赤……? 白……?」
トゥルースは組訳を示すリボンを千獣の前にたらす。試合中に腕につけておくものだ。
試合はこれを狙って破り、先にチーム全員のリボンが破れたら負けとなる。
千獣はまた小首をかしげていたが、
「こっち……」
と赤を指差した。
あっちゃー、とトゥルースは笑った。
「それじゃ俺とお嬢は敵同士だ。俺は紅白っつったら白だからな」
「そう、なの……?」
千獣が寂しそうな顔をする。
トゥルースは笑いながら千獣の頭をぽんぽん戦き、
「どうせお遊びだ。楽しもうぜ、お嬢」
「うん……」
頭を叩かれて、千獣はくすぐったそうに表情をほころばせた。
選手の控え室に入ると、もうひとり見知った顔があった。
銀髪に青い瞳の女性――アレスディア・ヴォルフリート。
控え室の隅にいた彼女は、腕を組んでなにやらぶつぶつと考えごとをしていた。
「富裕層が退屈しのぎに金に飽かせて人々を戦わせる……釈然としないものを感じないでもないが、しかしなぜか、私はここにいる……」
「アレスディア?」
トゥルースがかけた声にも気づかないまま、
「まあ……腕試しと思えば」
うん、とうなずきひとつ。
それからアレスディアは顔をあげた。
目の前に、トゥルースと千獣がいた。
「よう、アレスディア」
「こん、にち、は。アレス、ディア……」
「二人とも……」
アレスディアは目を丸くした。「いつの間にそこに?」
「いや今来たところなんだがなあ。声かけても気づかねえから」
「それは失礼した」
アレスディアは丁寧に頭をさげた。慌ててトゥルースが、いいっていいってと手を振る。
「ところでお前さんは赤組なんだな?」
アレスディアの腕の赤いリボンを目にして、トゥルースは言った。
「ああ。……千獣殿も赤組か」
「うん、赤……」
千獣はトゥルースにつけてもらったリボンをいじる。
「俺だけ白だからよ」
トゥルースががははと笑った。「姉ちゃんたち、手加減よろしくな」
「なんの。トゥルース殿こそ強力な戦士……」
アレスディアは苦笑した。「できれば、敵に回したくなかった」
「心配することねぇぜ。ここのルールでは聖獣装具の利用は禁止らしいしな」
さて、とトゥルースは控え室を見渡した。
「他の連中は、と……」
控え室は閑散としていた。トゥルースたちを含めると五人しかいない。
残りの二人、ひとりは壁に向かって立ち、剣を握りしめながら真剣な横顔でぶつぶつと何かをつぶやいている。
彼の腕のリボンは赤だ。
最後のひとりは、魔術師用の杖を持ち、掌に炎を生み出しては壁に向かって放り投げていた。
「おいおい、他に人間がいるところで火遊びたぁ危険じゃねえかい」
白いリボンをつけている魔術師に、トゥルースは眉をひそめてさとす。
魔術師はトゥルースを見て、へらへらと笑った。
「僕の魔術さえあれば一発でみんな全滅さ。この大会の賞金はもらったよ」
「………」
トゥルースは嘆息し、「他には参加者いねえのかー」と何となくすがる気分で声をあげる。
あいにくと、参加者はこれで全員らしかった。
「こんなやつと二人で戦いか……」
千獣とアレスディアの強さはよく知っている。それだけに、白組にも強力な人間がいてほしいのだが……
「そちらの方」
アレスディアが千獣をつれて、壁に向かって立っている剣士に声をかけた。
はっと剣士が二人のほうを見る。まだ少年と言ってさしつかえない、若い参加者だ。
「考えごとをしていらっしゃるところを申し訳ない。私はアレスディア・ヴォルフリート。今日は同じ組だ……よろしく頼む」
「私、千獣……」
「あ……はい! 僕はナザハっていいます。よろしくお願いします!」
少年は慌てて頭をさげてくる。
それを見ていたトゥルース、魔術師に向かって、
「おい、俺はトゥルース。お前さんは」
「僕の名前を知らないというのかい!?」
魔術師は嘆くように両手を広げた。「この世界最高の魔術師たる僕の名を! シザール・アジスティの名を知らないなんて……!」
「悪かった悪かった。シザールな。よろしく頼むぜ」
気のない返事をトゥルースが返すと、シザールはにやにやと笑った。
「あれが赤組かい? みんな子供じゃないか――僕の魔法一発で終わりさ」
「あまり甘く見ないほうがいいと思うがなあ」
トゥルースは新しい葉巻を取り出しながら、ぼやくようにつぶやいた。
戦いは赤組三人対白組二人の団体戦――
五人は観衆の見守る円形の戦場へ足を踏み入れた。
「僕は後衛なのだからね。しっかり頑張ってくれたまえ」
シザールが偉そうにトゥルースに命令する。
へいへいとトゥルースは葉巻を踏み潰して「どうしたもんかな」と考えた。
赤組は全員が、前線タイプの人間――
トゥルースの武器といえば、これぞ漢! な『拳』である。従って、相手の懐に入れなくてはならない。
(ナザハと千獣は懐に入らせてくれそうだが……)
問題は武器が長槍のアレスディアだな、とトゥルースは判断した。
千獣は千獣で、当たったら一発でノックアウトな攻撃を繰り出してきそうだ。
ナザハの力量だけが分からない――
トゥルースはちらりと、後ろでふんぞり返っているシザールを見やる。
「こいつが少しでもアテになりゃあなあ……」
「ん? 何か言ったかい?」
「何でもねえよ」
トゥルースはまた嘆息して、戦場の中央に向かっていった。
「ねえ……あの、後ろ、の、人、の、杖……武器……?」
千獣がアレスディアに尋ねる。
「いや、あれは魔術に使うものであって武器ではないと思うが……」
アレスディアはルーンアームを黒装に変化させながら答えた。
「じゃあ……武器、持って、る、人……いない、ね……」
「そういうことになる」
「そっ、か……じゃあ、爪、使わ、なくて、いい、ね」
「………」
千獣がその体に巻く呪符を織り込んだ包帯をはずしたときの、獣の手を知っているアレスディアは、「あの爪で引っかかれたら武器も一撃で粉砕だな」とひそかに思った。
「武器、ない、人、は……ぐー、で、気、絶……」
「……気絶で留めてくれ、千獣殿」
「………? う、ん……」
「ナザハ殿はどうなさる?」
アレスディアはナザハを見た。
ナザハは剣を両手持ちに持ち……
がたがたと震えていた。
「ナザハ殿?」
アレスディアは眉をひそめる。ナザハの剣の持ち方は、慣れた者のそれではない。
「ナザハ殿」
もう一度呼びかけると、ナザハはようやく我に返ったように、はっと顔をあげた。
アレスディアと千獣に向かってにこっと笑いかけると、
「頑張りましょうね!」
と明るく言ってくる。
「ああ……」
アレスディアは釈然としないままうなずく。
「頑、張る」
千獣がするすると腕の包帯をはずしながらつぶやいた。
どこぞの婦人は高みの見物で会場を見下ろしていた。
「面白いことになるといいわねえ……」
うふふ、と婦人は扇の奥で微笑んだ。
二つの組は、整列して向き合った。
トゥルースがにやりと片頬をあげて、
「これからしばらくは敵だぜ、姉ちゃんらよ」
「これからしばらく、修業のため」
「………? よく、分かん、ない……」
こんな会話が交わされている中で――
審判が、旗を二組の間に差し入れた。
そして、
旗があがり、
戦いの――
火蓋が切って落とされた。
先手を取ったのは千獣――
素早い身のこなしでトゥルースに向かって獣の拳を振り上げる。
「おっと」
トゥルースは半身をずらして避けた。
どごぉっ
トゥルースに当たらないまま地面を打った千獣の手が、土を派手にえぐる。
「参ったね、こりゃ」
トゥルースは苦笑しながら、攻撃後の隙を狙って千獣の二の腕をつかみ、拳を腹に叩きこむ。
――横隔膜だ。
さしもの千獣も、呼吸をするのに大切な部分を思い切り打ち込まれて呼吸を乱した。
「よっしゃ嬢ちゃん、リボンもらうぜ」
獣の腕になっている腕から、トゥルースは赤いリボンを引きちぎろうとする――
と、
次の瞬間には、トゥルースはその場から横へと退いていた。
一瞬前にトゥルースがいた場所に、槍の先が突き出されていた。
「これは団体戦だ、トゥルース殿」
背後からアレスディアの声がする。
「そうだったな……」
トゥルースは笑った。
そしてまだ呼吸を乱したままの千獣に「許せよ嬢ちゃんっ」と言いながら懐にもぐりこみ、千獣の軽い体を持ち上げた。
「―――!」
アレスディアが瞠目する。トゥルースは持ち上げた千獣の体を、アレスディアに向かって投げつけた。
アレスディアが慌てて槍を引っ込め千獣の体を受け止める。
そしてそこへ――
「僕の魔法で灰になるがいい!」
いつの間にかシザールの魔法詠唱が終わっていた。
シザールの杖から、炎の奔流が噴きだした。
アレスディアは千獣を抱えたまま、命からがら炎から逃げ出す。
「ほほう……けっこう強力な魔法が使えんじゃねぇかい」
トゥルースが感心していたそのとき――
背中に鋭い痛みを感じた。
「っ!?」
トゥルースは振り向いた。
そこに、ナザハがいた。振り下ろした剣を持つ手を震わせながら。
「ぼ……僕も赤組ですっ」
ナザハは異常に汗をかきながら、もう一度剣を振り上げる。
それは隙だらけの剣の扱いだった。だが、そこにこもった気迫のすごさに、トゥルースは隙をつくことができなかった。
ナザハの剣を避けたとき、千獣が復活した。
千獣はトゥルースに向かって四足で駆ける。
アレスディアはシザールに向かった。
「御免!」
槍を突き出す。シザールのマントがびりっと破れた。
「ひいいっ」
シザールがアレスディアに向かって杖を突きつけ、ものすごい早口で魔法詠唱を終える。
水がほとばしった。
アレスディアは顔面から水をかぶった。目に水が入り、痛みが走る。
「ほ、ほら! きみ、こっちだよ! この僕のマントを破ったこいつをさっさと倒すんだよ!」
シザールはトゥルースに訴える。
トゥルースは千獣の攻撃を避けながら、呆れてシザールに言った。
「リボン破るくらい自分でやりな」
「ぼ、僕は風系統の魔法は使えないんだっ」
「自分の手で引きちぎれっての」
「そ、そんな野蛮なことっ」
そんなことを言っている間にアレスディアは復活した。まだ痛む目を何とかなだめすかし、槍を剣のように使ってシザールの首あたりを打つ。
シザールは悶絶した。
しかし彼は、意地でも杖を手放さなかった。
早口詠唱を終え、杖の先端から炎が噴き出る。
アレスディアがいったん後退する。しかしその炎は――
「うわああああ!」
ナザハの悲鳴があがった。
がらん、と剣が落ちた。ナザハの手が――
「あ……ナザハ……」
千獣がトゥルースを攻撃するのをやめ、ナザハを抱きかかえて後退する。
そして火傷を負ったナザハの手を舐め始めた。
「ナザハ殿!」
アレスディアが声をあげる。
「大丈、夫……まだ、軽い……」
はあ、はあとナザハは息を荒くして軽傷の火傷を負った両手を見下ろす。
そして、
「ま、まだ戦えますよね……僕のリボン、無事ですよね……っ」
すがるように千獣に言った。
「うん……まだ、ある、よ……リボン……」
「よ、よかった……早く武器取ってこなきゃ、早く武器を……」
ナザハは地面に落ちた剣を取りに戦場へ戻ろうとする。
トゥルースはその剣を踏みつけた。
「おいおい兄ちゃん、その手でまだ剣を扱おうなんて無茶すぎるぜ」
「僕はまだ戦えます!」
悲痛な声だった。トゥルースが驚いて、剣から足をどかした。
ナザハはよろけながら剣を持ち上げ、トゥルースに向かって構えなおした。
「さ、さっきはすみませんでした。リボン破るだけのつもりが、背中を切ってしまって……」
「……いや、この戦いの中で謝られるこっちゃないと思うがな」
トゥルースは困ったように後ろ首をかく。実際トゥルースはたしかに切られたが、大したダメージにもなっていない。この程度の怪我はあってしかるべきだろう。
剣を構えるナザハの背後から――
飛び上がった千獣がトゥルースに向かって拳を突き下ろしてきた。
「っと」
トゥルースは避けた。千獣の『ぐー』による攻撃は、避けるに限る――
シザールの早口詠唱が耳の隅で聞こえた。
炎が来る。トゥルースはシザールのほうを見る。
杖の先端がこちらを向いている。
アレスディアが杖を跳ね飛ばそうとしても、シザールは意地でも杖を放さず――
質量の多い炎が放たれた。
アレスディアが仕方なく避ける。トゥルースも避けた。
千獣は、足のすくんだナザハをかばうように炎を受けた。両手を広げるように、まともに。
「千獣!」
敵チームとは言え友人。思わずトゥルースが声をあげると、
「大丈、夫……」
千獣が負った火傷は、負ったそばから回復していった。
「私、の、中、の……子、たち、が……癒して、くれる……」
「……そうだったな」
トゥルースはほっとして、そして構えなおした。
「よし来い、嬢ちゃん」
「ぼ、僕も……っ」
「ああそうだったな。来い、二人とも」
言いながらトゥルースはさっと横に飛ぶ。
背後から、アレスディアの槍が伸びていた。
――アレスディアの槍筋を読むのは簡単だ、とトゥルースは判断した。
トゥルースに対しては、あくまでリボンしか狙わないからだ。シザールと違って頑丈で、戦闘不能を狙えないからだろう。
もちろんそう読まれることは、アレスディア自身も自覚しているだろうが――
千獣の一撃がトゥルースの顔すれすれを過ぎていく。トゥルースの背に冷や汗が流れる。
ナザハの体当たり的な一撃が来る。
それが自分に当たる前に、トゥルースはナザハの手首をつかんだ。
ナザハはそれだけで、剣を落としそうになった。
――どうにも気になる。
なぜこんな少年が、この試合に参加している?
アレスディアはシザールのリボンをちぎるのに苦戦していた。
(この魔術師……意外とやる)
弱そうに見えて、いや実際弱いのだが、致命的な一撃を与えることができない。急所を知っているのだ。
そして何より、詠唱が信じられないほど早い。
(詠唱の邪魔を狙っていたのだが……はずれたな)
しかし、シザールは苦手な相手ではない。あちらから懐に入られることはないからだ。
槍の届く範囲ならば、それはアレスディアのゾーンだ。
シザールがアレスディアに向かって水を放つ。
水に濡れると体が重くなるため、アレスディアはそれを避けた。そしてそのまま槍を突き出した。
シザールはアレスディアに何度も破かれたマントをひるがえして、リボンがちぎられるのを避けようとする。
(やはり……戦意喪失を狙うか……)
一度気絶させるしかない。そう判断したアレスディアは槍を逆向きに持った。柄のほうが前に来るように。
「ははははっ! 僕の魔法に勝てるかい!?」
ナルシスト全開のシザールが炎の魔法を放つ。
アレスディアはシザールに向かって走りながら、炎を避けた。
シザールはほぼ連発に近い周期で魔法を放ってくる。それを右へ左へうまく避けながら、だんだんシザールに近づいてゆく。
シザールは、魔法を放ちながら後退するという真似はできないようだった。近づいてくるアレスディアに焦って杖の動きが揺れる。照準が少しずつずれてくる。杖を持つ手が疲れてきたのだろうか。
――しめた。
アレスディアのゾーンに入った。
そこからはもう、突き出すだけ。
――シザールのこめかみを、槍の柄が打つ。
シザールが体を揺らす。ぐらんぐらんとふらふらした後、青年はその場にばったりと倒れた。
「御免」
アレスディアは槍を持ち直し、その先端で、シザールの腕の白いリボンを破り裂いた。
「ナザハ……」
千獣は剣を持つ少年に、そっと囁きかけた。
「戦い、たく、ない、なら、戦わ、なく、て……いい、よ?」
びくんとナザハが反応する。
しかし少年は、剣を捨てなかった。
「し、白組さんは、あとひとりですよね。勝てますよね」
「………?」
そう言われて、千獣はようやくシザールがリボンを裂かれたのに気づいた。
「ほんと、だ……」
しかし――
「でも、ね……あと、ひとり、さん、が、強い……」
目の前に、友人である金髪の男がいる。いつもくわえている葉巻が今はなくて。
トゥルースを前にして、千獣はすべての攻撃を避けられていた。
どうして避けられるんだろ? という千獣の疑問は、「すべて大振りだからだ」という考えには行き着かない。
――横隔膜――という名を千獣は知らなかったが――を打たれたときは苦しかったな、などと考える。
どうすればトゥルースを攻略できるだろう?
アレスディアが戻ってきたら、相談してみようか――
と、
ナザハが苦しそうな声で言い出した。
「ぼ、僕じゃ無理かもしれませんけど……おとりになります」
「え……?」
「そ、その間に、その、あの大男さんを、倒して、ください、ね」
震える声で言って、ナザハは「やー!」と剣をトゥルースに向かって突き出した。
トゥルースが簡単にその腕をつかまえる。
そしてその手から剣を奪い取った。
「あ……」
千獣は思わず手を伸ばし、殴るのではなくトゥルースの手からナザハの剣を取り戻した。
「なんだなんだ?」
トゥルースがナザハの腕をつかんだまま、訳が分からないといった表情で後ろ首をかく。
「おい――ぼっちゃんよ、お前さん、なんでこの試合に出てんだ?」
「―――」
ナザハは答えなかった。トゥルースがナザハの腕を引き寄せて、その腕からリボンをちぎりとろうとする。
「―――!」
ナザハは必死な顔をして、リボンをその手で隠した。力では到底勝てそうにないトゥルースの手から逃げようとする。
千獣は拳をかためて、
どっ!
とナザハをつかんでいるトゥルースの腕を殴った。
おわっとトゥルースがナザハの腕を放して自分の腕をさする。
「いてぇなあ嬢ちゃん。に、しても――」
解放されたナザハは、千獣の手からすぐに剣を受け取った。
そしてトゥルースに向き直る。
「ぼ、僕は……負けるわけにはいかないんです!」
すでに泣きそうになっていた。
「訳を――」
トゥルースの背後から、静かな声が聞こえる。
「聞かせてもらえないだろうか?」
アレスディアが、槍を下に向けて戦いの休戦を示しながら、ナザハを見た。
しかしナザハはあくまでも戦う気でいるらしい、
「やあっ!」
トゥルースに斬りかかり、ひょいと避けられる。
「やあっ! やあっ!」
何度も、何度も。
悲しくなるくらい、何度も。
――観衆からゲキが飛ばされてくる。
しかし当人たちにとってはどうでもいいことだった。
やがてある瞬間に、
しゅっ――
ナザハの剣が、トゥルースの服を裂いた。
「………っ」
トゥルースは微動だにしなかった。それを見たナザハはぶるぶると手を震わせ――
がっくりと、地面に膝をついた。
「僕じゃ……勝てない……」
「ナザハ殿……」
「僕の兄弟が……みんなが……」
ナザハが顔を両手で覆う。
トゥルースとアレスディア、千獣はそれぞれに顔を見合わせた。
どこぞの金持ち婦人は冷たい声で執事に言い放った。
「地下室にいる子供たち……すべて奴隷にしてしまいなさい」
「は」
執事は斜め四十五度の角度で礼をした。
「兄弟たちを人質に取られている……?」
怒りのあまりに、アレスディアの槍を持つ手に力が入る。
「この大会でリボンを破られたら、兄弟たちを奴隷にする……?」
「勝った、ら、解放、して、もら、える、の……?」
千獣が問う。
ナザハはうなだれたまま、うなずいた。
「そういう約束でした……」
でも――とトゥルースを見上げ、
「僕は……勝てない……」
「………」
試合が止まったことで、観衆からブーイングが沸き起こる。
トゥルースは――
「ちょっとお前ら、耳ふさいでな」
アレスディアと千獣、ナザハに言いつけると、
使用を禁止されていた聖獣装具、ロードハウルを使って観衆を一喝した。
まわりが一転、静かになる。
耳をふさぐのをやめたアレスディアが、ふっと笑みを浮かべる。
「ナザハ殿。嘆くのはまだ早い」
「勝て、ば、いいん……だよ、ね……?」
千獣が両の手を獣の腕に変えて、つぶやいた。
トゥルースがにやりと笑った。
「いいぜ、来い――アレスディア、千獣。俺のリボンをちぎれたら」
「我らの勝ちだ」
「ナザ、ハ、の勝ち……」
ナザハは呆然と三人を順繰りに見た。
はーっはっは! とトゥルースは大声で笑った。
そして、二人の少女に向かって「来いよ」と手で促す。
少女たちは地を蹴った。
千獣の両の手が、両側からトゥルースをつかみ取ろうとする。
トゥルースは後退して避けた。そこへすかさずアレスディアの槍の柄が飛んでくる。
トゥルースは少し首をそらして避けた。
トゥルースと真正面から対峙している千獣に対し、アレスディアは背後を取ろうとしている。
トゥルースは横へ横へと逃げる戦法に出た。
――懐に入りやすいのは、アレスディアだ。いまや千獣の懐に入れば自殺行為に等しい。
大振りの多かった千獣の動きがコンパクトになった。アレスディアがいることを計算に入れたからだろうか。
避けにくくなったぜ、とトゥルースは苦笑する。
千獣の大きな拳が、下から打ち込まれてくる。
トゥルースは勝負をかけて、両手でその拳を受け止めた。
その瞬間に、アレスディアの槍の柄が大分はずれた位置を通り過ぎていく。――避けることを計算に入れた位置だったのだ。
トゥルースはすぐさま千獣の拳から手を離し、顔の横に突き出てきたアレスディアの槍の柄を握りしめた。
アレスディアが槍を引こうとしたが、遅かった。
折れることのない槍。それを利用して、トゥルースは槍を前に引っ張る。
槍を手放すわけにはいかないアレスディアの体が、トゥルースに近づく。
トゥルースは半身をアレスディアに向けて、その腹を拳で打った。
「………っ!!」
まともにくらってアレスディアが体を折る。それでも槍は手放さない――彼女は一流の戦士だ。
そのとき、体を開いていたトゥルースの腹に千獣の拳が飛んできた。
「おっと」
トゥルースはアレスディアの槍を手放し、両腕で腹をかばうように構えて千獣の拳を受け止めた。
千獣の渾身の一撃だったらしい、トゥルースの重い体が一瞬浮いた。
トゥルースはにやりと笑い、その受け止めた腕ごと千獣の拳をアレスディアのほうへと流した。
千獣が慌てて拳を引っ込める。その隙に、トゥルースの拳が千獣の横腹を打つ。
千獣が体勢を崩した。
代わりにアレスディアが復活し、槍を小さく振り回した。
トゥルースの腕に赤い線が走る。しかしリボンだけは死守される。
アレスディアは思い切り、リボンに向かって槍を突き出してきた。
トゥルースはそれを受け流した。
「大振りはいけねぇぜ」
と言ったそのとき――
ぬっと白い腕が伸びて、トゥルースの腕に触れた。
ぶちっ
布の破ける音、そして。
トゥルースは気づいた。地面に落ちているのは、破れた白いリボン……
「布……破いた、よ」
いつの間にかその白い腕に呪符を巻き、普通の手に戻していた千獣が、小さく微笑んだ。
アレスディアも微笑んで、
「我らの勝ちだ、トゥルース殿」
トゥルースは一瞬無言になってから、
腹を抱えて大笑いをした。
「よーしよし、俺の負けだ!」
千獣がナザハに向かって駆けて行く。
トゥルースは破れた白いリボンを示し、
「さあ、これが負けた証拠だ! 見ているか……!?」
――それは誰に向けた言葉だったか――
ナザハが地面に座り込み、下を向いてぽろぽろと泣いていた。
千獣が背中をなでてやっている。
それを見つめていたトゥルースとアレスディアは、やがてお互いにつぶやいた。
「トゥルース殿」
「アレスディア」
二人は顔を見合わせることもないまま、
「――やることは、まだ残っているな」
「試合は……まだ終わってはおらぬ」
ナザハの涙が本物のものとなるように……
二人は無言で、お互いの拳を打ちつけあった。
**********
いつもの酒場でトゥルースとアレスディアと千獣が飲んでいたとき、
「お客さんですよ」
看板娘に促されて、ひとりの少年が三人のところにやってきた。
「お、ナザハか!」
「はい」
ナザハは笑顔で三人に頭を下げた。
「ありがとうございました。兄弟みんな、今はなんとか生活してます」
――ナザハは両親のいない貧乏なストリートチルドレンだった。兄弟、というのも血のつながった兄弟という意味ではなかったのだ。
トゥルースとアレスディアは、享楽婦人にナザハの兄弟を返すように迫った。官憲に突き出すことはもちろん、いざとなれば暴力も辞せない覚悟で。
そして兄弟を返すついでに婦人から金を受け取ったのだ。
それは、この武術大会で賭博をしていた証拠金だった。
官憲に突き出したとき、その金も当然没収されたのだが、使い道はやはりナザハとその周辺の子供たちがよいだろうと、官憲のほうがトゥルースたちに金を預けてきた。
トゥルースたちはそれを、ナザハたちの就職場所を見つける足がかりとした。やはり最低限の食事と、それから服がいるだろうということで、そのために金は使われた。
「お前も就職決まったか? ナザハ」
トゥルースが尋ねる。
ナザハは笑顔で、
「はい、僕は酒場に」
「酒場?」
「冒険者の皆さんが集まるところにいたいと思って」
とナザハは言った。「冒険者であるお三方に救われたので……」
「そんなこたぁねぇぜ。お前さんがぎりぎりまで頑張ろうとしていたから俺らも協力する気になったんだ」
「いえ。やはり皆さんのおかげです」
ナザハは目元をなごませた。
この少年の瞳は金色であることに、今さらながら三人は気がついた。
「僕は……冒険者に憧れます。皆さんに、永遠の夢を」
あの大会があってよかった――とナザハは金色の瞳を輝かせた。
それから何度も礼を言ってから、ナザハは帰って行った。
「まっすぐな少年だ。よい仕事をするだろう」
「ナザ、ハ……また、会える?」
アレスディアと千獣が、表情をゆるませてトゥルースを見る。
「何度でも会えるさ。まっすぐなやつぁ、消えないもんだ」
トゥルースは自分が飲んでいたカクテルを見下ろした。
金色の液体の中で、冷たい氷がからん……と音を立てた。
―Fin―
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【2919/アレスディア・ヴォルフリート/女/18歳/ルーンアームナイト】
【3087/千獣/女/17歳(実年齢999歳)/獣使い】
【3255/トゥルース・トゥース/男/38歳(実年齢999歳/伝道師兼闇狩人】
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■ ライター通信 ■
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アレスディア・ヴォルフリート様
いつもありがとうございます、笠城夢斗です。
今回も依頼にご参加いただきありがとうございました。メンバーがいつものお三方なので、ストーリーも少々路線変更してこんな感じになりましたが、いかがでしたでしょうか。
……例のわざ、使えずに申し訳ございませんw
よろしければまたお会いできますよう……
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