<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


【楼蘭】薄・月夜





 ある日の白山羊亭。
「いや、だからさ!」
 淀みの森に居を構えるティファイは全力疾走で走りながら白山羊亭の入り口に逃げ込んだ。
「お待ち下さいましー」
 それを追いかけるようにしてどこか間延びしたような声がティファイを追いかける。
「あら、どうしたの? ティファイさん」
 ルディアがトレーを手にしたまま肩で息をするティファイを見つけ問いかける。
「へ…変な子供に、追いかけられて……」
「変とは失礼でございますのです」
「うわぁああああ!!」「きゃあ!」
 突然背後から上がった声にティファイだけでなくルディアも短い悲鳴を上げる。
「当方、貴方様を月見にご招待するのでありますです」
 強い口調でそう宣言した年齢不詳の子供は、びしっとティファイを指差した。
「お月見くらい付き合ってあげればいいじゃない」
 クスクスと笑うルディアとは裏腹に、ティファイの中でどうにも形容しがたい不安が胸にこみ上げてくる。
「それにしても、どこかで見たような服ね」
 ルディアは子供を見下ろしてうぅむと唸ると、数秒後合点がいったとばかりにポンと手を叩いて、
「あぁそう楼蘭よ楼蘭」
 子供の服装はお土産話に何度か聞いたことがある楼蘭の衣装に良く似ていた。
「でも、楼蘭ってちょっと遠いんじゃなかったかしら?」
 今からお月見に誘って、楼蘭に着く頃にはお月見の時期なんて当に過ぎてしまっているのではないかとルディアは問いかける。
「大丈夫なのでありますです。当方文でございますゆえ、一発バビュンとお連れするのでありますです」
 ですってよ。という感じでルディアは子供からティファイへと視線を戻す。
 ティファイは「俺を見るな」と言ったつもりだったが、つもりで終わっていたようで、ルディアの視線は一向に解かれない。
「何か嫌な予感するんだよ。凄く! こうサバイバルな感じの」
 このティファイの叫びは後々真実となる。
「俺一人で行くのは絶対嫌だ。あ、あんた、あんたが一緒に行くなら俺も行く!」
 かくして子供の視線はティファイからその場に集う冒険者へと向けられた。
「あらあら」
「道ずれですか……」
 どこか困ったような声音を含みながらも、まったくもって困った様子がない2つの声が子供の視線の先から上がる。
 そのテーブルに居たのはシルフェと山本健一。
 先日会合した楼蘭での一時を、此処エルザードへと戻った後、偶然であった白山羊亭にて思い返すように会話に花を咲かせていた時だった。
「なんだかこれも全て瞬様の気紛れに思えますねぇ」
「おや、シルフェさんもですか」
 どこか遠くを見つめるように頬に手を当ててそう呟いたシルフェに、健一は同意の言葉を漏らしその顔に苦笑を浮かべる。
 それもこれも彼のあの性格を知っているからこそ。
「だって他に仙人様は存じませんし……」
 が、子供は「瞬からの迎え」だなんて一言も口にはしていない。その事実を思い当たったのか、はたまたただ思い出しただけなのかシルフェはポンと手を打つと、そういえば、とでも言うようなノリでポロリと言葉を続けた。
「あ、宰相様も仙人様ですね」
「ですが宰相さんならば、こんな回りくどい事はしないように思います」
 健一の突っ込みはもっともな事で、
「いや、この際『誰が』ってのは二の次で…」
 と、会話に口を挟んだティファイの言葉には、誰も同意せずにこの話は無かった事に。という期待が込められているような気がした。
 シルフェは席を立ち、とことこと項垂れるティファイの元に歩み寄ると、改めて、と言う様なにっこり笑顔を浮かべる。
「初めましてティファイ様」
 そして、その瞬間、ティファイの淡い期待は粉々に打ち砕かれた。
「ではご一緒に参りましょうか」
「はい?」
 目をぱちくりとさせてシルフェの言葉を胸のうちで繰り返すティファイ。
 誰かが一緒に行くということは―――
 背後で子供がニコニコと微笑んでいる。
 今だ言葉のうちが理解できずに目をぱちくりとさせているティファイと、それにまったく気がついた様子もなくキラキラ笑顔を浮かべているシルフェを見つめ、
「ティファイさん……」
 健一はあまりにも哀れなティファイの姿に同情を禁じえなかった。
 が、何はさておき。
 物事は最高の予測よりも最悪の予測を立てて行動する事が基本である。たとえば山登りとか。
 仮にこの招待が宰相からだったとしても、あの瞬・嵩晃からの招待だと予想して準備をして行った方がきっと害が少ないに違いない。
「ありがとうございますなのです!」
 一緒に行くと言ったシルフェに子供は満面の笑顔を浮かべ、やっと理解に達しその足元で灰と化しているティファイは無視して、嬉しそうにピョンピョンと飛び跳ねる。
「はい。では、“一発バビュン”とお連れ下さいませ。うふふ」
「あ、ちょっと待ってください」
 承知しましたです! と、術を発動させようとしていた子供を引き止めるように健一は声をかける。
 そしてシルフェとティファイ、子供の輪の中へと歩を進め、興味津々と言った面持ちで事の成り行きを見つめているルディアに振り返った。そして、
「ルディアさん。封の開いていないボトルを何本か譲っていただけますか?」
 と、問いかける。
 ルディアは承知したと言わんばかりに微笑んで、カウンターに並ぶワインのボトルを数本健一に手渡した。
「健一様?」
 不思議そうに見つめるシルフェに健一は振り返りざまにっこりと微笑む。
「土産がなにもないでは様になりませんし」
 それに出来れば弁当のようなものも用意できれば…と、ボソリと口にする。
 そう、健一の中でティファイが口にした「サバイバルな感じ」が胸につっかえていた為だ。
「杞憂に終わってくれれば、いいんですが……」
 健一は白山羊亭が冒険者が集う酒場であった事に感謝して、いくつか常備してあったロープを肩にかける。
 そしてカウンター近くでは、
「出来合いでごめんね」
 と、ルディアがバスケットを手にしていた。
 近場にいたシルフェに差し出されたバスケットに、当のシルフェは首をかしげる。
「ほら、せっかくのご招待だし」
 そして成る程。と、ポンと手を叩くと、シルフェは納得したようにバスケットを受け取った。
「ありがとうございます」
 バスケットの中には簡単なサンドイッチが並んでいる。
「ご準備は御済でございますですか?」
 ちょこっと可愛らしく小首をかしげて尋ねる子供に、シルフェと健一は頷いた。
 そしてそのしぐさを見るや、完全に魂を口から飛ばしているティファイの襟首をがっしりと掴むと4人は光に包まれた。







 金色の光に包まれ、眩しさに閉じていた瞳をゆっくりと開けると、太陽が真上に輝く真昼のさなか、どう見ても目の前は山という場所に立っていた。
 見回してみても町や村はおろか民家さえも見当たらない。
「予想は的中…でしょうか」
 それはこの招待が瞬からのものである。というもの。
「当たらない事を祈ったんですが」
 健一は苦笑して目の前の山と広がる草原を見る。
「それでは、主様が庵でお待ちしているのでありますですー」
 と、此処まで飛ばしてくれた子供はその一言を最後にふっと姿を消す。
 そして一同の上からひらひらと1枚の紙が舞い降りた。
「これは……」
「地図…で、ございましょうか」
 パシッと手にした地図を、健一とシルフェはまじまじと覗き込む。
 その紙には墨で大きく山を書き、その中央あたりに1本線が、そして山の中腹よりも少し上辺りに○が書かれているだけのかなりアバウトなもので、地図というのもいささかおこがましく思えるような代物だった。
「「…………」」
 つい、シルフェも健一も口を閉ざす。
「ええとでは地図に従いまして真っ直ぐ真っ直ぐ……」
 見回してみても左右は草原、目の前が山。そして、この場所に出たということはやはりこの目の前の山に登れということなのだろう。
 シルフェは地図を片手に眼前の山を見上げた。
「ティファイさん。いい加減我を取り戻してください」
 健一は燃え尽きているティファイの頬を軽く叩く。
「このままここにいても何の解決にもなりませんよ」
 きっと山を登った先には美味しい酒と肴が待っている……はず。
「あ、あぁ、すまない」
 本当に来たくなかったんだなぁ。と、どこか他人事のように健一は見つめてしまったが、いまやティファイの不安は自分たちにも降りかかる共同運命だ。
「さ、お二人とも参りますよ」
 がさがさと地図の通りに山に分け入っていくシルフェを見つめ、ティファイは小さく呟いた。
「彼女…強いな……」



 一応“道”なんだと思う。
 ちょっと捨てられた感のある獣道は、草ぼうぼうになっていても辛うじて何かが通っていた跡が残っていた。
 流石に女性に先陣を切らせる訳には…と、地図を片手に先頭を歩く健一と、もし足を滑らせても支えられるようにと最後を歩くティファイ。
 一応の安全な順番の中でシルフェはほぅっと息を吐き眉根を寄せた。
「でも人を招くのに出迎えもなく地図だけというのもどうなのでしょう。うふふ困りものですねぇ」
 口調の最初は本当に少しだけ困ったような声音だったが、最後の言葉は明らかにこの状況を楽しんでいるような気がして、ただただ苦笑が漏れる。
「招待してくださった方にとっては、これもちゃんとした道なのかもしれませんね」
 正直山慣れしていない者には辛いだけの獣道。
 いつ途切れてもおかしくないような道を歩きながら、伸びすぎた草を除け健一が言う。
「現地へ飛ばさない辺り問題だと思うんだ……」
 此処まできてしまっては、もう引き返す事もできないティファイが小さく呟く。
「本当、困り者ですね。うふふ」
 エルザードの白山羊亭から、一気に此処――蒼黎帝国へと飛ばす力がありながら、月見の本番である現地まで一気に飛ばさないなんて、故意的にそうしたとしか思えない。
「まぁまぁ、エルザードと楼蘭の距離を飛ばすだけで精一杯だったのかもしれませんし」
 確かにこの二国の距離はかなり遠い。けれど、それだけでは後たった数キロの距離が飛ばせない理由には弱い。
「健一様はとてもお優しい方ですのね」
「いえ、そういうわけでは」
 健一自身はとても優しい青年だが、今この状況でその言葉が当てはまるかと問われれば、疑問しか浮かばない。ただ、前向きに考えなくては割に合わないという心がどこかに生まれていたのかも、しれないが。
「ほら、運動の後の食事は美味しいと言いますし」
 尚も笑顔でそういい募る彼を見ていると、やはり健一という人本人が優しいのだろう。
「あ、そういえばサバイバルと仰っておられましたね」
 と、シルフェは振り返り、困ったように眉根を寄せて「わたくし身一つですよ? どうしましょうか」と、ティファイに告げる。
「予感がしただけで本当にそうとは限らないし」
 現状おかれている獣道散策も一歩間違えば登山と変わらない事になってしまうのに、ティファイの口から出た言葉は気休めか、はたまた願望か。
 しかし、シルフェは先ほどの困ったような声音はどこ吹く風、今ではどこか楽しそうに手を合わせて、
「うふふ、もしもここでわたくしが行き倒れたら水の妖怪にでもなれますかしら」
 そうなると悪者ですねぇ…。などと口にする。
 それを聞いて、
「縁起でもない事を言わないでくれ!」
 と、叫ぶティファイ。その言葉を聞いてシルフェはまた「うふふ」と笑う。
 健一はそんなある種漫才とも取れるような会話を聞きながら、ふと空へと視線を向けた。
 木々の隙間から差し込む太陽。
「この地図の一本道が、今僕たちが歩いている獣道だと思うんですが……」
 どうにもだんだん獣であっても道が道じゃなくなってきたような気がして、健一はふと言葉を漏らす。
 シルフェはそんな健一の呟きを耳に留めると、
「道が無くなってしまいましたら、水を探して…源流を探しつつ上を目指してみましょう。どうせ一本道の先は“お山のてっぺん”というものなのですから。うふふ」
 一瞬その考えに虚を突かれたかのように瞳を瞬かせた健一であったが、
「そう…ですね」
 その考えにも一理あると納得すると、頷いて“地図に記された道”である獣道を進んでいった。
 そして途中、ルディアが用意してくれたサンドイッチをおやつに休憩を挟み、一同はまた目的地目指して歩き始めた。







 確認しよう。
 我々は山を登っている。
 山は上へ行けば行くほど空気が薄くなり、標高何千メートルというような高い山では逆に植物さえ見つける事が出来ないはずである。
 しかし、3人の周りに生えている木々は生き生きと―――いや、それはいいとして、山に生えている木とは言いがたいラインナップになってきているのは気のせいか。
「あの……」
 誰とも無く口を開く。
「わたくしの気のせいでしょうか」
 その言葉を皮切りにしてシルフェも気がついたのだろう。困ったように眉根を寄せて小首をかしげ頬に手を当てている。
「蒸し暑いような気がしなくもないですね」
 そう感じていたのが自分だけではなかった事に、健一はどこかほっとしてそう告げる。
「山にしては木の種類が間違っているような気がするんですが」
 そうして健一は足を止めると、周りを見回し、そして確認するように振り返った。
「わたくし木の事にはあまり詳しくありませんが、こう、ジャングル……と、言うのでしょうか。そんな森を連想してしまいます」
 シルフェは辺りの木々を見上げて、蔦や木と言ってしまうのは少々おこがましい様な草の延長線上の植物たちを見る。
「嫌な、予感がする…」
 ティファイの最初の呟きはまさかこの状況を想定していたのだろうか。
 現状おかれた光景にまた呟く彼にシルフェと健一は振り返り、不思議ではあるが別段ちょっと蒸し暑く感じるだけで実害は無いジャングルもどきの森にもう一度視線を向け、その後顔を見合わせる。が、
「さ、参りましょうか」
「そうですね。先に進みましょう」
「えぇ!?」
 あれだけ思わせぶりな仕草を見せておきながら、ティファイの言葉などまったく聞いていなかったかのようにすたすたと歩いていく二人を駆け足で追いかける。
 そしてその先に見つけた何かにはっと瞳を見開いた。
「危な―――ぎゃぁああ!?」

 ブペッ!!

「今、ティファイさんの声が聞こえませんでしたか?」
「変な音も聞こえたような気がいたしますねぇ」
 そして二人はゆっくりと振り返る。
「まあ」
 シルフェはその場に突っ伏しているティファイの姿を見て口元に手を当てる。
「大丈夫ですか、ティファイさん! いったい何が……」
 健一は倒れるティファイに駆け寄り、彼を支えるようにして立たせる。
「こ…こここここここ……」
「落ち着いてくださいティファイさん!」
 あまりの動揺に呂律がおかしくなっているティファイに、強い口調で言い聞かせれば、ティファイはうんうんと頷いてゆっくりと深呼吸を繰り返す。
「大丈夫でございますか?」
 そして呑気にてってと二人に向かってシルフェが歩き出した瞬間、
「ここ、危ない!」
 というティファイの叫びとほぼ同時。

 ズゴ―――!!

 何か先に赤いような橙のような物をつけた蔦が木々の隙間から走り出た。
「シルフェさん!?」
 赤いような物はぱくっとシルフェを咥えて、勝ち誇らんばかりに空に掲げている。
「あのー。わたくし、どうしましょう」
 ぷら〜ん。と、空に吊り下げられたような状態になってしまったシルフェ。
 よくよく見てみれば、赤いような物は、花弁のように見て取れた。
 そしてその花弁はシルフェを咥えたまま、なんだか嬉しそうに左右に蔦をくねくねさせている。
「俺は吐き出されたのにな」
「女性のほうが言いという事でしょうか」
 きっと最初のティファイの叫びはこの花弁に捕まった時のもの。そしてその後の変な音は花弁がティファイを吐き出した音だったのだろう。
「はぁ、困りましたねぇ」
 頬に手を当てたシルフェは、空の上で自身を捕まえている花弁を首をひねらせて見つめる。
 健一はそんな花弁と蔦を見上げ、
「人を食べると言うよりは捕まえて満足しているようですが、このまま安全とも言い切れませんし」
 ジャングルのような森で代表的といえば食人花だが、どうやらあの花は似ているだけで違うものらしい。
 それだけが唯一の救いだろうか。いやしかしそんな物を自分の山に住まわせている人間も人間だ。
「そうですね……僕が魔法で蔦を切りますから、ティファイさんはシルフェさんを」
「分かった」
 ティファイはついたままの埃を払い、空中のシルフェを見据える。
「シルフェさーん。直ぐに助けます〜」
 健一はお空の上のシルフェに向けて手に扇を作り言葉をかける。
 空の上のシルフェも唇の動きでお礼の言葉を述べているように見えたが、いかんせん彼女は遠く離れているからと言って声を荒げるようなことはしない。加えて、シルフェはこの状況の中でもマイペースを崩す事なく、むしろこれ幸いにと辺りの様子を見ているように見て取れた。
 そして、健一は浅くすぅっと呼吸をすると、ゆっくりと手を差し出した。
 その瞬間手の平から真空の刃が蔦に向かって放たれる。

 スパン―――!!

「きゃ……」
 よく切れる音が小さく響き、シルフェの体は勢いよく重力に求められるがままに落下する。
「っく……」
 生え並ぶ木々が邪魔ではあったが、ティファイは葉や草を掻き分け、
「よっ!」
 と、ぐっと膝に力を込めて両手でシルフェを受け止めようと手を伸ばしたが、
「あらあら、申し訳ありません」
 すんでで転び、思いっきり背中でシルフェを受け止めていた。



 時間はもう昼から夕刻へと移り変わってきていた。
 着いたころには空の青と雲の白が綺麗な空であったのに、気がつけば橙と紺のグラデーションという見事なまでの茜空になっていた。
「完全に夜が更ける前に着ければいいんですが」
 ジャングルを抜け、健一は登り始めたころと同じような木々が生え並ぶ、“普通”の森に生える細い長い草を掻き分ける。
「あのう、空に飛ばされました時見えたのですけど」
 あの位置から、今のように徒歩であるならば、ちょうど完全に日が落ちた時間くらいになるだろうか。
 目算して、それくらいの時間で着けるであろう距離に見えた小さな庵。
「きっと、あそこが目的地だと思うんです」
 やっと自身の結論に達したのか、幾分か外した様なタイミングでシルフェが告げる。
「災い転じて福となると言うか、なんと言うか」
 どうにも腑に落ちないような苦笑を浮かべてティファイが肩をすくめた。
「ですが、この地図では目的地があまりにも不明確でしたし、シルフェさんには申し訳ないことをしてしまいましたが、助かりました」
「いえいえ。お空の上も楽しかったですよ。うふふ」
 手の中の地図に視線を落としてそう告げた健一に、何のことはないという口調でシルフェは答える。
「このまま進んでいけば大丈夫ですか?」
「ええ。真っ直ぐです」
 裏に出るか表に出るかまでは分からないが、このまま直線で進んでいけば、あの空から見えた庵に到達できるだろう。
「何はともあれ、ゴールは見えたって事か」
 やれやれとやっとこの状況から開放されると言わんばかりにティファイはふぅっと息をつく。
「うふふ、盛大にもてなして頂きましょう」
 今まで自分たちが被った苦労に見合うだけのもてなしをしてくれなければ割に合わない。
「たとえ何も無くても白山羊亭から頂いてきたボトルもありますし」
 まぁまぁ。と健一は宥めるように二人に向けて告げると、また眼前の草を掻き分けた。

「あ―――……」
「まぁ……」
「これはまた…」

 草を掻き分けた先、歩み出た山肌に出来た小さな広場に立った三人は、まるで真横で輝いているかのような銀とも金ともつかない光を放つ満月に出迎えられた。
 広場の中心には簡素な庵が、きっとシルフェが空から見た庵だろう。
 打ち捨てられた風も無く、けれど人の気配の薄い庵を確認するように三人は庵の周りを歩く。
 そして障子が開けた縁側で、目的の人物を見つけた。

「やぁ。時間ぴったりだね」

 縁側で小さく丸まるようにして膝を抱えていたのは、瞬・嵩晃その人。
 その隣には三方に山盛りにされた団子と、榊立に活けられた薄、そして封がされた白磁器の瓶子があった。
「やっぱり瞬様でしたのね」
「ある意味、良かったと言いますか」
 にっこり微笑んで縁側へと進むシルフェとは裏腹に、健一は予想していた通りで良かったと逆にほっとしてしまった。
 もしこれで、この場にいる誰もが知らない人からの招待だったら、今よりもっとひどい事になっていた可能性も否めない―――だろうか?
 そんな事はさておいて、瞬は抱えていた膝を解き、ぐっと背伸びをして二人を見る。
「二人とも元気だったかい?」
 帰ったって聞いて、少し寂しいと思っていたんだよ。と続ける瞬に、健一は肩から一気に力が抜けたように微笑み、シルフェは「それは嬉しいですねえ。うふふ」と、微笑みをいっそう深めた。
 そして、
「君たちが選ばれるとは思わなかったな」
「いえ、今日は彼の付き添いで」
 そう言って、健一はずいっとティファイの背中を押す。
 行き成り話題に持ち出された事にティファイは一瞬狼狽するも、
「本日はお招き、ありがとうございました」
 呼びつけた――もとい、招待した主を目の前にして、ティファイは最低限の礼の言葉を向けた。が、
「あぁ、君が……」
 どこか観察するような瞬の視線に、思わずその場で硬直した。







 優しく、そして、穏やかに。
 月の光は一同に平等に降り注ぐ。
 あれだけの行程を経てたどり着いたのに、食べるものと言えば三方の上の団子だけで、後は薬酒ばかりと言う現状。
「へぇ、これがエルザードの」
 瞬は、興味津々と言った眼差しで健一が持ってきたボトルを見つめ、ボトルから杯などと言うアンバランスな動作でウィスキーを飲み干す。
 当の健一は、ウィスキーはエルザードに戻ればいつでも嗜むことが出来るため、瞬が作ったと言う薬酒に舌鼓を打っていた。
 そして、ふと浮かんだ疑問をそのまま投げかける。
「しかし、どうしてティファイさんなんです? ティファイさんと瞬さんは顔見知りと言うわけでもないようですし」
 加えて、ティファイは一度も楼蘭に来たことさえない様子であった。
 瞬はそんな健一の質問に、彼ってティファイって言うんだな。と思いながら、
「別に私は“面白い人”を連れておいで。と、命じただけなんだけどね」
 彼が言う“面白い人”の定義が、“見ていて面白い人”のような気がするのは気のせいか。
「うふふ、確かにティファイ様は面白い方ですねぇ」
 月を見上げ杯を傾けるティファイの後姿を見つめて、シルフェは恭しく両手に乗せた杯はそのままに、にっこりと笑う。
 ちょっとばかり似たような感性を持っているシルフェと瞬。
 表にも出さなければ、はっきりと思っているわけでもないだろうが、きっと二人の共通意識として、この言葉が当てはまるに違いない。

『弄りやすい』

 健一は、周りに花でも咲かせているような二人の笑顔を見てそれを感じ、どうしたものかと一度苦笑を浮かべて視線をはずす。
 はずした視線の先から、輝くまん丸の月が眼前に飛び込んだ。
 健一はふっと息を吐き出すと、
「ここは演奏しますか。いい月ですし」
 と、すっと竪琴を取り出して、その細い弦を爪弾く。
 ゆっくりとゆったりと異国情緒あふれる音楽が竪琴から奏でられていく。
「お団子頂いてもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
 シルフェは綺麗に山盛りに詰まれた団子を1つ手にとって、うふふ。と、頬に手を当てて嬉しそうに笑う。
「瞬様が手作りされたお団子ですのね。素敵」
 そんなシルフェの言葉に、瞬は一瞬狐につままれたかのような表情を浮かべた。
「改めて言われると照れるね」
「あらあら、うふふ」

 そして、ゆったりと、まったりと、あの登山での時間が嘘であったかのように、月見の夜は更けていった――――







fin.





☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【2994】
シルフェ(17歳・女性)
水操師


【0929】
山本建一――ヤマモトケンイチ(19歳・男性)
アトランティス帰り(天界、芸能)


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 【楼蘭】薄・月夜にご参加ありがとうございます。ライターの紺碧 乃空です。月見と言っているのに話の大半が登山です。あまり高度なサバイバルが出来なかった事が心残りです。
 お久しぶりでございます。なんというか今回の話は女性強し、シルフェ様強し、のような話になったような気が致します。
 それではまた、シルフェ様に出会える事を祈って……