<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


竜の蜜酒

 「こーんにちはーエスメラルダさーん」
「あらぁ、お久しぶりね。シェル。今日はどうしたの?」
 シェルと呼ばれた少女は両手に大きな瓶を抱えて、エスメラルダの前に置いた。
「うちのお客がね。宿代滞納しちゃったの。それで足りない分を自分の商い品から出すって言ったらこれが出てきたのよ」
 瓶からはほのかに甘い香り。
「……これ、もしかして蜜酒?」
「そ♪しかも、竜の蜜酒だったのよ!これ一つでも十分おつりが来るほどの価値だと思わない?」
「それはすごいわね、で、これうちに分けてくれるの?」
 少女はにっこり笑って頷いた。
「まぁ、ただで分ける代わりに、酔いつぶれたお客をうちの宿に回してくれればね♪」
「ちゃっかりしてんだから。でもまぁ、いいわ。その条件でのみましょ」
 今宵はきっとドンちゃん騒ぎ。
 滅多に手に入らない幻の竜の蜜酒で、甘い夢のような気分に浸ろう。
「夜が楽しみね」
 エスメラルダは嬉しそうに開店準備に取り掛かった。

===============================================================



  今宵の黒山羊亭はいつも以上に盛り上がっていた。
 それぞれが手にグラスを掲げ、乾杯の音頭が何度も聞こえてくる。
 勿論、ただ盛り上がっているだけではなく、皆一つの物を心待ちにしているからだ。
 素面でつまみだけを食いながら、そわそわとそれを待つ者もいれば、端っから勢いづいて場を盛り上げるムードメーカーを買って出る者もいる。
 待ち方は十人十色。
 しかし待ちわびている物は皆共通。
 竜の蜜酒が登場するのを、今か今かと待っていた。
「あら、今日は何時にも増して賑やかね?」
 ひょっこりと顔をのぞかせるナーディル・K(なーでぃる・けい)は、今宵黒山羊亭で振舞われる物の情報を得て、興味津々でやってきた。
「楽しみですね♪」
「お? アンタも例の酒目当てか?」
 ナーディルの背後からのそりと顔を出す、一見して男と見紛うようなすらりと背の高い女性。
「ええ、アナタもですか?」
「美味い食い物、美味い酒、手の届くところにあるんなら手を出さなきゃ失礼ってもんさ。さぁ!今日は飲んで食って飲んで食うぞ――ッ」
 豪快な笑い声で店内に入っていくその女。名をユーアといった。
「面白い方ですね」
 楽しい酒の席になりそうだ。
 ナーディルは心躍らせ、店に入っていった。



 「何か、ありそうですね。 お酒を飲み過ぎないように気をつけておきますか」
 竜の蜜酒の情報を聞きつけ、黒山羊亭に足を運んだ山本健一(やまもとけんいち)。
 聞いた事のない酒だが、珍しいものであるということは周囲の反応からしてすぐにわかる。
 そしてそれが酒飲みの間では特に珍重されているような雰囲気だ。
「竜か…」
 健一もこれまでに何度か竜に遭遇している。
 戦ったこともあれば、共に酒を呑んだことも。
 彼らも自分専用の酒などつけていたりするのだろうか?
「とりあえず、宴に興を添えましょうか」
 持ち歩いている水竜の琴レンディオンを片手に、健一は黒山羊亭内で楽師がよく座るあたりに陣取った。



 「――わぉ、すっごい盛り上がり」
「そりゃそうよ、酒にどっぷりな連中の間では伝説といっていいようなシロモノだしね」
 カウンターに寄りかかり、料理の手伝いをしているシェルことシェレスティナに、エスメラルダは含みのある笑みをむける。
「うふふ、持ってきてよかった。 一応、臥龍がもうひとつの樽もそのうち持ってくるから期待してて」
「樽は一つじゃなかったの?」
 シェルが持ってきた、高さ四十センチ程の小さめの樽を見やり、エスメラルダは首をかしげる。
「あれはとりあえずよ。だって最初に大樽出して一気に呑まれても有り難味にかけるでしょ?大樽から少し移してもってきたのよ」
 シェルのところで宿代を滞納した客は、世界中の珍しい酒を集めて、高値で少しずつ売って回っている商人だったらしく、店の前には大小さまざまな樽が荷台に積まれていたという。
「なるほどね。でも大樽もってくるならそれこそなくなっちゃうわよ?」
 するとシェルは快活に笑い、カウンターに頬杖ついてご自慢の翠の髪を広げ、エスメラルダに言った。
「うちはあくまでも宿屋よ。 軽食屋もやってるけど、酒場じゃないわ。 料理に使う為にとっておいてある分で十分なの」
 なるほど、と納得するエスメラルダ。
「しっかしまぁ、これで何人の客がつぶれるのかしらね。 だってあのお酒って…」
「甘さで誤魔化されがちだけど、度数70を超えるきっつい奴だものね―」 
 ちなみに梅酒などの甘いお酒の場合、ホワイトリカーを使用しており、度数は40である。



 「美味い! 今日は何だか懐かしい感じがするな!」
 ユーアの場合、放浪しているので故郷を持たない。
 だがシェルの作る料理はそんなユーアの中で、特に印象に残っている物を見抜き再現してる。
 簡単なリクエストを聞いて、その人となりを見れば、シェルにはその人が思い描いてる味が再現できてしまうのだ。
 ユーアが懐かしいという味も、どこかの街で食べた美味い物だったのだろう。
「…ホント…何だか懐かしい味がしますね」
 子供の頃に食べた、懐かしい味。いい思い出などあまりなかったけれど、それでも微かに覚えている味だ。
 同じように健一も何かを頼む。
 昔、アトランティスにいた頃に食べた味を思い出して。
「これは…」
 見た目こそ異なるが、味わいはまさにあの頃食べたもの。
 かの地の食材がソーンにあるわけでもないのに。
 絶妙なさじ加減でそれを見事に再現している。
「気に入ってくれたようで嬉しいわ」
 若干十五歳の少女は、三人の反応を見て嬉しそうにそう言った。
「さぁ!皆だいぶ焦れてきてる頃だと思うけど?」
 エスメラルダの言葉に、店内は威勢良く応える。
 中央のテーブルを空けさせ、彼女はそこに蜜酒の樽を置いた。
 途端、店内がざわつきだす。
 あれが、あれが、と口々に、客の心は期待でふくらむ。
「一先ずこの場にいる全員で乾杯しようじゃない。 後からこれの大樽が届くそうだから、バカスカ呑む前にじっくり味わいましょう」
 エスメラルダの言葉に、一同賛成と声をあげる。
 同じグラスに皆それぞれ蜜酒を満たしていく。
 琥珀色が美しい、蜂蜜のような色合い。
 まさに蜜酒だ。
「皆行き渡った?いい?それじゃあ行くわよ――!」
「「「かんぱ―――――い!」」」
 店が揺れんばかりに重なり合う声。
 一気に飲み干す輩もいれば、ちびりちびりと舌で味わう奴もいる。
 そしてそれぞれが感嘆のため息をもらすのだ。
「っか〜〜〜! 美味い!!」
「……うふふふふふふふ……ホント、美味し―――――ッこれ!」
 二口三口呑んだだけなのに、ナーディルは先ほどとはうって変わって溌剌とした明るい声色。
 もう酔いましたかナーディルさん。
「…とても芳醇な味わいで、大変美味しいですね。 …………でもこれかなり度数高いでしょう」
 ちらりとエスメラルダやシェルを見やる健一。
 味の分かる者には、甘さで誤魔化された度数の高さもわかってしまうようだ。
「あははは。ばれてるばれてる」
 ひと舐めしたシェルの顔は既に赤い。
 エスメラルダも同様に。
「やっぱりかなりキツイわね〜〜私でもくらっと来ちゃう」
 まだグラス一杯も飲み干していないのに。
 顔を近づけてみれば、結構目にくる。
 相当にキツイ酒である証だ。
「まぁ、料理と併行してちびちび楽しみますよ」
 酔いすぎて演奏に支障がない程度に。
 それでもほろ酔い加減なのか、健一が奏でる曲は実に陽気なテンポの速い曲。
 それに合わせて何人かの客が樽の周りで踊りだす。
 呑めや歌えや空が白むまで。
「わったしも踊っちゃいま―――――す♪ きゃははははははははは」
 すっかりヨッパーなナーディルは、酔っ払いの輪に入って一緒に踊りだした。
 普段のクールさは何処へやら。
 周囲の酔っ払いより遥かに高いテンション。
 真っ赤な顔で思いっきり笑ってはしゃぎながら、周囲の連中と一緒に踊っている。
「いいぞ〜! 上手い上手い!」
 その光景を飲み食いしながら眺めるユーアは、場に酔っている節はあっても酒に酔っている様子は全くない。
 根っからのザル、無限の胃袋を有する彼女は、自らの懐が風邪をひくまで止まることはないだろう。
 そしてケロリとしている彼女に、無謀にも呑み比べ対決を申し込む勇者まで出る始末。
「お、いいねぇやってやろうーじゃねーの」
 酒飲みの意地から、この女には負けられねぇ。 そんなことで闘志を燃やすお馬鹿さん続出。
 そしてたった一杯の蜜酒でここまで盛り上がってしまった黒山羊亭に、宿から大樽を担いできた黒衣の男・臥龍が店内に入ってきた。
「……既に異様な雰囲気だな…」
 酒に酔って人格が変わるというのは、日頃からたまったストレスが酒のせいで解放されることで、その人物からは考えられない態度になるという。
 今まさにそれが最高潮に達してると見た臥龍。
「あ、ご苦労さま〜臥龍!」
「…シェルまで酔ってるな…大丈夫か? この店…」
 恐らく明日は死屍累々。
 歴戦の猛者たちも、それを上回る戦士相手には太刀打ちできないだろう。
「部屋が満員になりそうだな…」
 さすがにこの人数を宿の方へ運ぶのは、いくら臥龍でも御免被りたいところだ。
「皆ぁ〜! 本日の主役のお出ましよ〜〜」
 かなり酔いが回っているであろうエスメラルダの知らせに、一同は歓声を上げて大樽の到着を喜んだ。
「きゃ〜☆ まだこぉんなに蜜酒があるのねぇ〜〜〜〜〜〜」
 ナーディルは中央に置かれた大樽に抱きつき、頬擦りまでしている。
「っしゃぁ!野郎ども!朝まで飲み明かすぜ―――ッ!」
 挑戦者を次々とダウンさせ、連戦無敗の記録を更新中のユーアは、場の雰囲気に乗って騒ぎ倒す。
 ユーアの先導で、一同またもや店が揺れるほどの声を歓声を上げた。


 ――――そして…



 空が白み始める頃。
 少しずつ黒山羊亭は静かになっていった。
「…なんでぇ。 皆弱いなぁ」
 残った料理をつまみ、酒を過ごしながら、ユーアは床やテーブルの上に転がる酔っ払いたちを一人眺めていた。
 当然ながらナーディルもその一人だ。
「あ〜楽しかった!料理もお酒もかなり出たし、今日は結構な儲けになったわね」
 途中から呑むのをやめて世話にまわったエスメラルダは、すぐには起きそうもない客をセレクトして臥龍とシェルに任せた。
「こっちの代金もそっちでまとめてとっといてね。 後で貰いに行くから」
「りょーかぁい! いや〜…思った以上の人手たっだわね〜」
 複数の酔っ払いをまとめて担ぐ臥龍に、そう話しかけるシェル。
 そしてそんな光景を目の当たりにした健一は、ため息一つついて呟いた。

「…やっぱり…こうなりましたか」


―了―
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0929 / 山本建一 / 男性 / 19歳 / アトランティス帰り(天界、芸能)】
【2542 / ユーア / 女性 / 18歳 / 旅人】
【2606 / ナーディル・K / 女性 / 28歳 / 吟遊詩人】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

 こんにちは、鴉です。
ナーディルさん、ユーアさん、健一さん初めまして。
この度は黒山羊亭ノベル【竜の蜜酒】に参加頂き、まことに有難う御座います。
それぞれの特徴がしっかり出せたかどうか不安もありますが、お気にましましたなら幸いです。

ともあれ、このノベルに関して何かご意見等ありましたら遠慮なくお報せ下さい。
この度は当方に発注して頂きました事、重ねてお礼申し上げます。