<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


 Bloody Howling


『――ひぃっ!!』

 ズ……と、鈍い音と共に幾人かの者がまるで糸の切れた操り人形の様に、力なく地面へと崩れ落ちていく。
 弾け飛ぶ石畳や石柱に晒されながらも、必死にその場にある一つの出入り口に縋り生まれた人の波の中、その流れに逆らい破壊の元凶を見据える、一つの影。

 アレスディア・ヴォルフリート。

『これは……。ツヴァイ殿、なのか? 貴方が――』

 凛と立つ姿は艶やかな銀髪と白い肌を鎧装に包み、対峙を果たすもまだ幾分と呑み込み切れない状況に戸惑うばかりで。

 彼女――アレスディアは、今しがたまでは見慣れた寺院の、とある資料を借りる為古びた倉庫にいた。
 其処で目に留まった、埃にまみれ、ヒビの入った一つの手鏡。
 誘われるかの様に無意識に手に取ったそれが、鈍く輝いた様な気がした――その時から。
 アレスディアは、寺院であって寺院でない。僅かに若さを残したヴ・クティス教養寺院の広間に、茫然と立ち尽くしていた。

 手元を見遣れば、触れた筈の手鏡の姿は影も形もない。
 明らかな異常な現象にアレスディアが突撃槍による構えを取ろうとしたが、それは朗らかな子供等の声によって留められた。

『あははっ。こっち、こっちだよ〜!!』

『くっそぉ〜!! 俺のおやつ返せぇええ!!』

『!! ヴァ・クル殿!』

 数人の子供達が楽しげに、恐らく菓子の入れられた袋を振り回しながら走り去って行くその背後を、この寺院の守護者であるヴァ・クルがいかにも必死の形相で追走を試みている。

 思わず掛けてしまった声は届かなかったのか、その儘の勢いで終には見えなくなってしまった姿に一つ息を吐く。
 自分は白昼夢でも見ているのだろうかと、アレスディアが軽く自身の額を押さえた時――聞き慣れている筈の、けれど随分と幼く、荒ぶった声が広間へと響き渡った。

『俺はっ! もう充分に師……いや、師長に携われる力を持っている筈です!! それなのに、どうして俺には試験さえも受けられる機会が与えられないのですか!!』

(あれは……若しや、ツヴァイ殿――なのか? では、今私の居るこの場所は……)

 歳の頃は十と幾つと言う程であろうが、赤みがかった鮮やかな金髪とその顔立ちは間違えようがない。
 そして、ツヴァイと思われる少年の眼前には、寺院の統率者であるオイノイエが何時もと変わらぬ穏やかな面持ちで、彼へと向かい合っていた。

『ツヴァイ――そのお話はまた後程、貴方の納得のゆくまでお話を致しましょう。今は皆が一丸となって行われる集会へ、耳を傾ける事に心を置いて下さい』

『…………っ』

 オイノイエから掛けられた慈悲ある言葉にもツヴァイは不満げに顔を歪め、差し伸べられた手ごと振り払うとアレスディアの脇を乱暴に走り去って行く。

『……貴女も、傍聴にいらしたのでしょう? どうぞ――気兼ねなくお入りになって下さい』

『え――あ、ぁ。はい……』

 異変を来たして始めて掛けられた言葉に戸惑いながらも、アレスディアが改めてオイノイエを見詰めれば確かに、盲目とは言え彼女の意識は確りと自分へ向けられている。
 自分の姿は周りの者に見えている。その事実を改めて認めると、幾分と笑みの陰るオイノイエの背に逆らう理由もなく、アレスディアは集会とやらが行われるであろう、宛ら巨大な教会を模した堂へ進んだ。

 入室と同時に荘厳な鐘の音が響き、師長らによる由緒ある書が読み上げられていく。
 そんな、静やかに幕を開けた集会に水をさしたのは――余りにどす黒い狂気だった。

『?! な、何だ……?』

 何処からかそんなざわめきが漏れ始め、間も無く寺院に差し込まれる光の一切が遮られる。
 直後、書を読み上げていた師長から鈍い呻き声が漏れ、闇よりも深い黒に包まれて、倒れた。

『!!』

 溢れる悲鳴と同時に、真っ先に突撃槍を構えたアレスディア。そして、オイノイエを護る為に特殊な棍を手に、寺院の師達が彼女を囲い、ツヴァイがその正面に無防備に立ち尽くす。

 ――少年、答えガ欲しイだろう――。

 ――力に見合っタ、答えが欲しいだろウ……――。

 黒の中から纏わりつく様に響き渡る、その不快な声が誰に掛けられた物か……アレスディアには分かった気がした。

『ツヴァイ殿……!!』

 咄嗟に吐き出された、アレスディアの声が全てツヴァイへと届き切らぬ儘に――彼の喉元が、僅かばかり動く。

 そして、全てを混沌へ貶められた、今。
 ツヴァイの身は黒い靄を纏い、俯いた顔から覗くのは只、意図の汲み切れぬ笑みだけだ。

『――……け……』

『……何……?』

 緩やかな歩みでアレスディア達の下へ近づくツヴァイが何かを呟き、聞き返すべく言葉を漏らした彼女の眼前には、既にその言葉を落とした者は居ない。

『どけぇえええええ!!!!』

『――……くっ!!』

 自身を覆う影に反射的に上空を見遣り、愛用の盾を力強く掲げる。
 ツヴァイの叫びと共に、彼の持つ装具に強い光が放たれ生まれたそれは槍であろうか。一撃目をアレスディアに防がれたツヴァイは忌々しげに舌を打つと、その瞬間彼の持つ槍が分かたれ、両に刃を持つ短剣へと変化した。

(……ツヴァイ殿の、過去。今のツヴァイ殿からは想像できぬ様だな……)

 そんな場違いな事を思い馳せながらも、恐らくは魔の物の加護であろうか、とても子供とは思えない程のツヴァイの一撃、一撃を冷静に流し――ふと、気付いた。
 寺院に存在する制服、紋……それら全てが、アレスディアの持つ記憶とは対称に描かれている。
 だとすれば、宛ら鏡の様な世界。内容の真偽はどうあれ、過去等と言う高等な物ではなく、安っぽい虚の代物である確率が遥かに高い。

『お前等に、何が分かる!! 俺は……っ、お前に――!!』

 最早誰と相向かっていると言う事も理解してはいないのだろう。アレスディアの後方で未だ押し合い避難を試みる院生達を鋭く見据え、我武者羅に振り回される両腕はフェイクで、真に気を置かねばならないのはツヴァイに憑く魔の物の方だ。
 高い防御力を誇る鎧装を纏っている故、自身の油断さえ無ければこの戦い、早々に決着をつけられる自信があった。

 例えこれ自体が寺院に起こり得た史実であろうと、目の前で振るわれる凶刃を見逃す訳にはいかない。
 アレスディアは僅かにツヴァイとの距離を取ると、勇ましく胸を張り、自身の鎧と盾を晒す。

『自身の力と違え受けた、悪魔の力など如何程の物か……この鎧、破壊出来るものならやってみろ』

『――……!!』

 掛けられた安い挑発を選ぶ理性等、今のツヴァイには欠片程も残されてはいない。
 周囲に向けられていた散漫なツヴァイの憎悪と意識が、アレスディアの元へと急速に集まった。

『俺は、違うんだ!! お前等とは……!!!』

 一層光を増し、顎を狙い打ち上げられた短剣での一撃を盾で防ぎ、次ぐ猛攻と同時にツヴァイの纏う闇から繰り出される触手の様な、それでいて重い連撃にアレスディアは呼吸を深めつつ、鎧の各所で正確に受け止め続ける。
 人ならざる物の力、手数では渡り合えない。更にツヴァイからでは読む事の出来ない魔の物の攻撃は、長引けば長引く程こちらに不利になる。
 ――故に一瞬の隙も逃さず、一撃を叩き込む。

『うわぁあああああ!!!』

 尽きる事の無い連撃に、僅かにアレスディアの背が反る。崩れた体勢にツヴァイが勝機を見てか、再びツヴァイの短剣が槍と成り眼前の喉を穿とうと振り被った。

 取られる間合い、瞬間、遠のく触手……。
 ――……隙が、見えた。

(……許せ――!)

 ドッ

 それは攻撃として、余りにささやかな動作だった。
 彼女が今扱える攻撃の手段として、最も有効な長剣――征竜さえも振るう事無く、人間の急所として存在する中心線……先に自身が狙われた喉元を、拳で。しかし今持てる自身の最大の力で殴打した。
 過去の記憶、しかも幻影に近い偽りの像といえど、刃にかけたくはない。
 そんなアレスディアの一撃に呼吸を失い、意識までも引き摺り込まれていくその最中に、擦れた声色でツヴァイが呟く。

『俺、は……ただ……――』

 ――皆に、認めて欲しかっただけなのに……――。

 恐らくは、稀に見る才能と特異な体質に望まぬ冷遇を受けた事もあるのだろう。
 彼自身が抱いているコンプレックスからの、言葉の受け違いもあったのかもしれない。
 それが何時しか、歪んだ渇望を生んだ。

 ツヴァイの零した僅かな涙と、奥底に秘めた言葉を胸に……アレスディアはこの後の判断を仰ぐ為、幾人かの師が残る背後を振り返る。

 ツヴァイが倒れると同時に彼へと駆け寄る師や、結局最後まで外へ避難する事のなかったオイノイエ。その手には黄金色に輝く装飾を持ち、恐らくこの後にあの装飾へと魔の物が封じられたのだろう。
 そんな風景に、一筋のヒビが入り。宛ら崩れ行く様に映るそれは、現実への帰還をアレスディアへと感じさせた。

 彼等のツヴァイへの眼差しは、魔の物への危惧と同時に明らかな慈愛に満ちて。これだけの事をしでかし、それでもまだ慕ってくれる者がいる。その事に幾ばくかの安堵を受け俯きかけたアレスディアの視界の端……。オイノイエが緩慢に振り向き、柔らかな笑みと共に、こう告げた気がした。

 ――……有難う……――

『!! ……――』

 そして、白んだ視界が元に戻る頃には……。アレスディアは、埃の塗れた倉庫へと帰還を果たしていた。

『もしもし、お嬢さん? こんな所に何か面白い骨董でもあったのかい?』

『!? ツヴァイ殿、いえ、特には……』

『そうかい? 倉庫に行ったっきり一向に帰って来ないんで、オイノイエ様が心配していたよ』

 先に見た一連の出来事に、不可抗力とは言え些か罪悪感を抱きぎこちなくアレスディアが反応を返すと、その様をツヴァイがどう取ってか朗らかな笑みを浮かべる。

(この手鏡と起きた出来事を、ツヴァイ殿に告げるべきだろうか……)

 咄嗟に自身の背の影に置いた手鏡を横目で見遣り、アレスディアが一考していると目敏くそれに気付いたツヴァイが瞳を見開き、手鏡へと手を伸ばす。

『あ……――』

『あぁ、この手鏡! 何時だったか文献と照合した時、失くしたと思ってたんだが……ここに有ったのか』

『――……え?』

『君が見つけてくれたのかい? 有難う。――それじゃあ、そんな立派な行いを果たした君に、お礼をあげよう』

 そうして着込んでいた白衣のポケットを探り、手渡されたのは桃色の包装に包まれた飴玉で。

『は、ぁ……有難うございます』

 無くし物が見つかった事でか、自分の行いに満足してか、満面の笑みを浮かべるツヴァイにどうした物か、今までの事柄を改まって報告する気も失せて。又、そうする必要性も、結果無い様に思われて……。
 ただ一つ。今回アレスディアの見た出来事は、過去ツヴァイが手鏡を調査した際に写し取られた記憶を映した……と言う事、だろうか。

 そんな推測を軽く頭を振るう事で払うと、アレスディアはその後ツヴァイに招かれる儘、オイノイエ、ヴァ・クル達との穏やかなティータイムを楽しむ為に、倉庫を後にした。


【完】

〔登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
【2919/アレスディア・ヴォルフリート(あれすでぃあ・う゛ぉるふりーと)/女性/18歳(実年齢18歳)/ルーンアームナイト】

〔ライター通信〕
 ・アレスディア・ヴォルフリート様
 この度は、『Bloody Howling』へのご参加を有難うございました。
 今回は鏡の偽りの世界でありながら、ツヴァイの過去に実際に起きた出来事と言う事で、虚像のツヴァイへへも寛大な処置を頂けた事をとても嬉しく思います。
 過去、色々と生易しくはない道を歩んだツヴァイですが、諸々含めてこれからも寺院関係者一同とお付き合いを頂ければ幸いです。
 その時には、ヴ・クティス教養寺院は家族宛らにアレスディア様を歓迎したく思います。

 そして、別れ際のツヴァイが手鏡の能力に感付いていたのか、否か……。
 そんな謎を胸に、またのお越しを心よりお待ちしております。