<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


【帝都白書】ハロウィン・パニック
            〜まちがいだらけのハロウィン〜



 ■0■

 
 聖獣界ソーンのはずれにある、はじまりの大陸――朔には、陰と陽のニつの大国があった。
 両国は長い間、外海と殆ど交流をもたず、互いに独自の文化を築き上げていたが、陽は先代皇帝より外海諸国との交流をもつようになった。
 そして現陽皇帝――槐王は、どこで仕入れてきたネタなのか、異文化を学ぶという名目で、こんなお触書を出したのである。


『    触書
  ハロウィン祭開催

 日時:10月31日 13時
 場所:帝都長沙 朱雀門前
 内容:仮装していたずらし回る

 合言葉【いたずらしちゃうぞ!】 』


 勿論、陽どころか陰にも、そもそも、この大陸のどこにもハロウィンなどという行事や、類似の行事などは存在しない。
 その上、ハロウィンという祭りを知っている者は極少数で、他国からの旅人か、行商人か、はたまた貿易商くらいなものであった。
 そのため、誰もその間違いに気付かなかったし、誰もその間違いを指摘する者はなかったのである。
 お化けである事も、合言葉に『or Treat』が抜けている事も、そもそもハロウィンのお祭りをする理由さえも。
 かくて間違いだらけのハロウィンが始まったのだった。


 仮装して、いたずらしちゃおう!!






 ■1.ハロウィン・パレードが始まる前■

 まるでロビーの待合室のようになった甘味処――朱庵の店内の奥に、店の三分のニほどをパーティションで仕切ってドレスルームが設置されていた。更にそれを半分に仕切って、右が男性用、左が女性用になっている。
 そのドレスルームの片隅で清芳は化粧中だった。
「けっ…化粧なんてどれくらいぶりかな」
 清芳は鏡の中の自分を見ながら緊張気味に呟いた。朱庵の店員らしい女の子が笑顔で話かけてくる。
「口紅はこのお色で宜しいですか?」
「う……うむ」
 何種類もの色がある、ファンデーションやらアイシャドウやらチークやら口紅に、どれがいいかと聞かれても困るばかりの清芳には、異をとなえる余裕などない。
「少し口をあけてください」
 と言って、店員が自分に口紅を施していく。清芳は殆どなすがままになっていた。
「さぁ、出来ました。どうぞ」
 そうして姿見の鏡の前に促された。
「…………」
 スリットがぎりぎりまで深く入った碧地のチャイナドレス。芙容の花が大輪を咲かせていた。
 普段は滅多に、というかありえないぐらいのかっこうだ。仮装でなければ絶対着ることのない服である。しかし、旦那曰く「美脚」を生かせるようにと、ちょっと気合を入れてチョイスしてみた。
 というか、殆どこの店の店員におもちゃにされた感も否めなくもないが。
 ヒールは低めのものを選んだつもりだが、スリットと合わせて足下が心許ない。
「いかがですか?」
 店員が笑顔で尋ねた。
「こ……これでいいのかな?」
 清芳は不安げに聞き返す。自分のファッションセンスにはあまり自信がない。
「お似合いですよ」
 店員はやっぱりにこやかに答えた。
「う……うん」
 そうして、店員に頭を下げお礼を言って、ぎこちなく歩き出した清芳だったが、やはり低めとはいえ慣れないヒールによろめいて、傍のテーブルに手をついてしまう。
「あ、ごめ……なっ!?」
 謝りかけた清芳の声が小さい悲鳴に変わった。
 それも無理はないだろう机の上には何人分とも知れない指がいくつも並んでいたのだ。しかも、ご丁寧にも切り口には赤黒い血がべったりとついている。
 清芳は血の気が引いていくのを感じながら、後ろによろめいた。
 それでも真面目な彼女は息を呑んで何とか呼吸を整えると、そこに座ってる女性に言った。
「これは……一体どういう事だ」
 詰問に近いそれに、しかし女は動じた風もなく、その中の一本を手に取ると清芳の目の前に突き出した。
「美味しいわよ」
 そう言って彼女は自らの口の中へそれを放り込む。
「あなた!?」
「まぁまぁ、宜しかったら一本いかがですか?」
 女の前に座っていた、水のエレメンタリスは、おっとりした口調でそう言うと一本とって清芳の手にのせた。
「…………」
 恐る恐る清芳はそれを手で掴む。柔らかい感触だが、手触りは明らかに人の指ではない。よく見れば、焦げ目があって、指でつまんで折ってみると、それは簡単に二つに割れた。中にはあんこ。
 甘いものには目のない清芳は恐々と口の中に入れてみる。月餅のような味がした。
「これ……お菓子?」
「いたずら用ですわ」
 エレメンタリスが笑顔で言った。



 清芳が女性用のドレスルームを出ると、店内には既に旦那――馨が先に着替えをすませたのだろう、カウンター席に腰掛け優雅にお茶を啜って待っていた。
 黒の長袍を着ている。服が違うというだけで、いつもと違って見える彼に、わけもなく清芳は緊張してしまった。
 一つゆっくり深呼吸してみる。
「いたずら……してもいいんだよね」
 誰にともなく確認するように呟いて、清芳は小さく拳を握ってみた。きっと彼のことだから、こっそり忍び寄ったのでは、彼の傍まで辿り着く前に気配を気付かれてしまうだろう。
 だから清芳は一気に駆け出すと、彼が振り返るよりもはやくその背中に抱きついた。
 驚いたように振り返る彼の鼻頭に口付ける。
 せっかくのいたずらなのだから、これくらいは許されるだろう。逆に喜ばせそうな気もしたが、それも大事な旦那様だしな、と自分に言い聞かせて。
 彼の言葉に翻弄されないように身構えていると、馨はきょとんと目を丸くして、口付けられた自分の鼻の頭を確認するように指で撫でていた。
 何で自分はこんなにも緊張しているんだ、と思いつつ彼の反応を待っていると、馨が何かに気付いたように言った。
「ああ、ヒールを履いてるから……もう少し、下ですよ」
 どうやら、それで、目測を誤ったと思われたらしい。清芳は体中の血液が頭に昇っていくのを感じてうろたえた。このままでは、腰砕けになってしまう。既にその兆しが。
「なっ……ばっ……」
 バカと言いたいのだが最早言葉にならなくて、清芳は照れ隠しにまくし立てた。
「さ……先に朱雀門の前に行ってるからな」
 それだけ言って踵を返すと逃げるように駆け出してしまう。これ以上この場にいたら、本当に腰砕けてヘタレてしまいそうだったから。どこかでこの頭に昇った血を鎮めなくては。
「…………」
 走り去る妻の背を見送りながら、馨は自然にやけてくる頬を隠すように、口元を手で覆った。
「可愛いいたずらをしてくれるじゃないですか」
 そうして、朱雀門へは向かわずに男子更衣室へと引き返して行ったのだった。






 ■2.13時丁度。パレードはこうしてスタートした■

「げっ……」
 と、低く呻いて立ち止まったかぼちゃ頭の僵屍の背に、人は急には止まれなかったらしい、後ろを歩いていた彼女はしたたかにぶつかってしまった。
 聖獣界ソーンのユニコーン地域にある聖都エルザード。そのエルザード王立魔法学院のヴィジョン使いたちを育成するといわれる付属学園の生徒たちが着てる制服の襟をセーラーカラーにアレンジしたようなデザインの服を彼女は着ていた。手には先端にかぼちゃの付いた杖を握っている。ビジョン使いというよりは、魔女といった感じだろうか。せっかく異文化を学ぶのだから、と香雪が選んだものである。
 本当は、陛下を連れ戻すように言われてやってきた香雪なのだが、祭りに参加できない陛下のためにお菓子でもと、城下で話題の甘味処朱庵に出向いたら、丁度貸し衣装をやっていので、ついつい試着などしてみたら、気付いたら、こうなっていた、というわけであった。丞相閣下は怖いけれど、陛下に一緒にパレードに参加しようぜ、なんて誘われたら死んでも断れない。
「ああ、申し訳ありません陛……」
 僵屍なんてかっこをしているが、まごうことなき陽の皇帝槐王である。その背にぶつかってしまい、慌てて謝罪を述べようとした香雪の口を、彼の大きな手が塞いだ。
「町中では槐でいい」
 一応、名目はお忍びの彼なのである。
 しかし槐に口を塞がれ頭に血が昇ってしまった彼女に、その真意が伝わったかどうかは、はなはだ疑問であった。
 槐は香雪から手を離すと、そちらを見やって嫌そうに呟いた。
「しかし、なんであいつがいるんだ……」
 香雪もそちらを振り返る。
「まぁ……」
 朱雀門の触書の前。そこには仮装パレードでありながら仮装もせず、しかし何となく場に溶け込んでいる丞相閣下の姿があった。
 恐らくちっとも香雪が戻ってこないから、槐を連れ戻しに自ら出向いて来たのだろう。パレードの最前列でイライラと辺りを見渡している。
 槐は、ジャック・オー・ランタンのかぼちゃをかぶり、完全に頭を隠していたが、それでも見つからない自信が無くて、こめかみをかぼちゃの上から押さえた。
「これじゃぁ、パレードが始められないじゃないか」
 困ったな、と頭を抱えていると、一人の可愛い女の子の僵屍が丞相――介子推に近づくのが遠目に見えた。
 青い髪の毛先は透けて、額には、お札の代わりというわけでもないのだろうがブルーのひし形の石を付けている。水のエレメンタリス――シルフェであった。
「まぁ、もしかして一番先頭の方が皇帝陛下さんかしら?」
 シルフェは両手を前に伸ばして、両足で兎のようにぴょんぴょんと跳ねながら、彼に近づいた。シルフェが皇帝と思っている男は実は丞相なのだが、この国の人間でもなく、最近帝都へ訪れたばかりの彼女には知りようもない。
 その推が、シルフェが後ろに立った瞬間、肩を竦めて首筋に手をあてがいながら空の方を不思議そうに仰いだ。
 シルフェは「うふふ」と満足げな笑みを漏らす。
 いたずらに、水を一適彼の首筋に垂らしたのだ。思えば相手を皇帝陛下と判じていたずらをしかけたのだから、さすがはシルフェというべきか。
 丞相が彼女に気付いて眉を寄せつつ見下ろした。
「素敵なお祭りにお招き頂きありがとうございます」
 シルフェが優雅に礼儀正しく一礼する。
「は……はあ……」
 シルフェの笑顔にのまれて推は困惑げに応えた。
「いや、私は……」
「違いますよ、陛下」
「へ?」
「ハロウィンではご挨拶をする時にはお互いにかぼちゃを抱えないといけないんですよ」
「あ……ああ、そうなのか」
「はい、どうぞ」
 シルフェはどこに隠し持っていたのかかぼちゃをニつ取り出すと一つを推に差し出した。
「う……うむ」
 いつの間にか完全にシルフェのペースにのせられて、推はかぼちゃを受け取る。
 シルフェは思いつきで適当な事を言っているだけなのだが、残念ながらこの祭りに詳しくない推には気付きようもない。
「うふふ。ご存知でしたか? 悪い子は頭をかぼちゃにされてしまうんですよ」
「何?」
 その時だった。突然、推の頭がかぼちゃになった。
「まあ」
 シルフェが驚いたようにおっとりと声をあげる。
「冗談で言ったつもりでしたのに……」
 全くもってそうだろう。本当に悪い子がかぼちゃになるのなら、一番先にかぼちゃになる人間は既に決まっている。彼女たちがまだなのだ。と、余談はさておき。
 勿論、推の頭は本当にかぼちゃになったわけではない。かぼちゃの頭をかぶせられただけだった。
 シルフェに気をとられている間に推にかぼちゃを被せたのはこっそり彼の背後に忍び寄った香雪である。勿論、彼女にそんな大胆な真似をさせたのは、一人しかいない。
「でかした、香雪! よし、今の内にパレード出発だ!」
 槐が意気揚々と行列の先頭に踊り出た。



 ・:.:*.:.☆:・:..★.:・*.:*・



「遅いな。パレード始まっちゃったじゃないか」
 先に朱雀門の前に来ていた清芳は、どこか落ち着かない顔で朱庵の方を見つめていた。しかし、いっこうに彼が出てくる気配はない。
「置いてきたのを拗ねてるのか」
 清芳は小さく溜息を吐く。
 パレードの順路を見ると、どうやら朱庵の前を横切るらしい。もしかしてそれを見越して、パレードが朱庵の前まで来るのを待っている可能性もある事に気が付いた。
 ものぐさな奴だからな、と清芳はパレードの列に加わって歩き出す。程なくして朱庵の前に差し掛かった。
 しかし彼の姿はない。
 店の中でまた、お茶でも啜ってくつろいでるのだろう、と店内へ入ろうとした時だった。
 彼女の手を、突然何かが掴んだ。
 手……といえば手なのだろう。しかし人の手の感触ではない。それが自分をぐいぐい引っ張っていく。
 振り返って清芳は言葉を失いかけた。
 仮装行列なのだ。勿論、こういうのがあってもおかしくはない。
 そこに立っていたのは、白い頭に、黒い耳、黒い縁取りの目をしたパンダだった。パンダの手を模した黒の手袋に、黒のブーツを履いている。着ているのは白の長袍だから、それはスラリとしたチャイナパンダに見えた。
 それが彼女の手をしっかりと掴んでいる。呆気に取られてそれを見上げていると、パンダは無言で清芳の手を引っ張り、もう一方の手でパレードを指した。どうやら誘っているらしい。
 清芳は一瞬戸惑うようにして朱庵を振り返った。
 窓越しに店内を覗く。彼の姿はない。彼が出てくる気配もない。
 ――知るもんか。楽しんでやる。
 拗ねたように心の中で呟いて、結局清芳はパンダと共にパレードに加わったのだった。



 ・:.:*.:.☆:・:..★.:・*.:*・



 自分の視界が突然真っ暗になって、暫くもがいていた推は、やっとかぶっていたかぼちゃを脱いだ。
「か〜い〜……」
 パレードは出発してしまっている。推は搾り出すように呻いて地団太を踏んだ。
 そこへ一人の女が近づいてきた。僵屍と言っても先ほどのシルフェとはやや異なる。大きな胸を強調するかのように挑発的に開かれた胸襟。その胸元には顔が描かれた唐辛子のネックレス。残念ながらそれがハバネロだと気づくほど推は食材に詳しくない。それよりも、短くカットされたスカートの下にはレースのスカートを重ねているのか。白い足がすらりと伸びている方に目がいった。
 見た目の年齢はともかくとして実年齢は160歳を越えるというのに、その割りに女性経験の浅い推は、それだけでひるんだ。無意識に一歩後退る。
「bullying or Liquor!」
 女が楽しげに推に言った。
「酒?」
 推が眉を顰める。
「こんな明るい内から何を言ってる……」
 推は呆れたように女を見返した。
 それに女はにっこり微笑む。どうやら彼は今の発言でいじわるを選択したことになったらしい。
 まずは挨拶、とばかりに手を出した女に、首を傾げつつも求められるままに推が握手をかわす。
 離した手の平に何かが残った。
 それが人の指だと気付くのに、それほどの時間は必要とせず。推は驚いたように仰け反ったが、女は楽しそうに、それを取り上げると口へ運んだ。
 美味しそうに咀嚼する女を、推は気味悪げに見返す。一体誰の指なのか。推し量るような目つきの推に、おもむろに女の手が伸ばされた。
 押し倒すように足を払われ、バランスを失い後ろにこけそうになった推を、彼女の手が助ける。
 背を支えられ、女の顔がゆっくり近づけられた。
 推は無意識に息を呑む。
 何度も言うが、彼の女性経験は決して深いものではない。
 ――食われる!!
 と思って推が目を閉じた瞬間、口の中に何かが押し込まれた。それは先ほど彼女が食べていた指だった。
 目を白黒させて推が息絶える――勿論過言。
 その額に女は一枚の紙切れを貼り付けた。

『いじめなら とことんやっちゃう ハッピーハロウィン』

 合言葉はいじめちゃうぞ。
 何かをほんのり間違えて、女――ウェルゼは楽しげにその場を後にした。
 どうせ間違いだらけのハロウィンである。
 口に押し込まれ、気道を塞いだそれが、指の形の月餅をベースにしたお菓子であったと、推が気づくのは、もう少し後の事であった。



 ・:.:*.:.☆:・:..★.:・*.:*・



「何をしていた?」
 パレードの列に加わりながら天女が尋ねた。天女といっても神聖な雰囲気は殆ど感じられない。どちらかといえば邪悪な印象を与えてくるのは気のせいではないだろう。シェアラであった。
「ちょっと、落書きを、ね」
 ユリアはいたずらっ子のような笑顔で舌を出した。こちらは陽風の文官衣のような衣装を身に付けている。しかし装飾がごてごてしていて今風ではない。
「落書き?」
 首を傾げるシェアラにユリアは「ええ」と頷いた。
 内容を尋ねると、ユリアはその内わかると思うわ、と笑っただけだ。その内明らかになるならサプライズとしてお楽しみは後に取っておいた方がいいだろう。シェアラはそう結論付けて、それ以上聞くのをやめた。
「それは何?」
 ユリアがシェアラの手元に気付く。シェアラは何やら布の束のようなものを持っていた。
「ああ、これか? これは、な」
 シェアラは、静かに、或いは、ナイショ、とでもいう風に人差し指を一本立てて口にあてると、手の中の布を一枚、ふわりと広げて見せた。その布はまるで意志を持っているかのように宙を舞うと、くるくると巻き上がって前を歩いていたスラリとしたチャイナパンダの背にこっそりと大輪の花を咲かせてみせる。
「わぁ……」
 彼女の可愛いいたずらに、ユリアが感嘆の声をあげた。
 それからニ人は顔を見合わせて笑う。
 勿論、応用も出来た。ニ人は暫く仮装行列に参加している人々の背にいろんなものをくっつけて、ささやかないたずらを楽しんだ。
 最後の一枚を、さてどうするかと思っていると、その足下へ何かが降って来る。
 それが人の指であると気付くのに、どれくらいを要しただろう。恐らくは数秒もあるまい。
 ニ人が空を見上げる。
 パレードの人々も気付いたのだろう、あちこちに降る血のついた指に、どよめきや悲鳴が交わった。
 血の付いた指をばら撒いている僵屍にユリアは眉を顰めてそれを拾いあげる。
「ユリア?」
「これ、お菓子だわ……」
 呟きながら、ユリアはそれを包む透明な包みを開けた。血の付いた指というのが先行して、それが透明な包みに入ってることにも気付かなかったのである。
 シェアラも拾って包みを開けると、それを二つに折ってみた。それは簡単に二つに割れ、中にはあんこが詰まっていた。
「…………」
 ユリアはそれを食べてみる。ベースには朱庵の月餅を使っているだけあって、かなり美味しい。
 紅茶が欲しいかも、と思いながら溜息を一つ。
「彼女のやりそうないたずらよね」
「知ってるのか?」
「ええ」
「なら、少しは手加減するかな」
 そう言ってシェアラは最後の一枚を広げてみせた。
「どんな文句がいい?」
「そうねぇ、――酔っ払い」
 ユリアの言葉にシェアラが一つ頷くと布に文字が浮かび上がる。
 ニ人は顔を見合わせてこっそりと笑みを零した。
 布が風に舞い、空を飛ぶウェルゼの背中にこっそりと貼付いたのだった。






 ■3.おやつの時間。お菓子〈お酒〉をちょうだい■

 パレードは大雁塔の前を通過して西へと向かう。
 背中にたなびく酔っ払いの文字に、シルフェは空を見上げなら「まぁまぁ、ウェルゼさまったら」と楽しげに呟いた。
「お行儀の悪い方にはお仕置きですわよ」
 そうして首にかけられた海皇玉のペンダントをこっそり掲げてみせる。
 すると真っ青に晴れわたった雲ひとつない空から、突然滝のような雨が、超局地的にウェルゼの頭上に降り注いだ。
 突然の土砂降りの雨に、ウェルゼは失速して地面に落ちてしまう。とはいえ、転んだり頭から落ちたりするような事はなく、足からストンと音もなく降り立ったのだが。
「???」
 雨はすぐに止み、空は相変わらず晴れ渡っていた。
 ウェルゼは不思議そうに暫く空を仰いでいたが、やがてこれは自分に対する挑戦だと解釈する。
「やってくれるじゃない」
 女王様気質の彼女は、自分がいたずらするのは大いに構わないが、自分がいたずらされるのは、大いに不愉快だった。
 もの凄い形相で挑戦者を探し始めたが、そう簡単に見つかるものでもない。
 代わりに。
「わっはっはっはっはっ」
 失墜にびしょ濡れのウェルゼを笑った奴を見つけた。
 パレードの先頭を歩いていたかぼちゃ頭が、愉快そうに笑っているのだ。かぼちゃの頭に隠れて中身の表情はわからないが、声を出しているぐらいには、笑っている。
「あなたの仕業なの?」
 ウェルゼは二本の剣を手に尋ねた。剣が炎を纏っている。一薙ぎで辺り一面を焼き払う事も出来る業火だ。
 しかしかぼちゃ頭は別段動じた風もない。
「ちがう」
「笑われるのが一番我慢ならないんだけど」
 一歩踏み出したウェルゼに、かぼちゃ頭の傍にいた香雪が、心配そうにかぼちゃ頭の袖を掴んだ。
「じゃぁ、これでも飲んで気を鎮めない?」
 かぼちゃ頭はそう言って、ジャック・オー・ランタンを差し出した。
「何よ、それ」
 興味もなさそうにウェルゼが尋ねる。
「かぼちゃのお酒」
 かぼちゃ頭が答えた。結論から言ってしまえば、お酒、で話しはかたずいた。
 合言葉は『お酒をくれなきゃ、いじめちゃうぞ!』なのである。お酒を貰ったからには、いたずらは控え目に、なのであった。
「しょうがないわね」
 ウェルゼはまるで今までの事は綺麗さっぱり忘れたかのような、手の平を返した笑顔で、いそいそと剣を仕舞った。剣の炎が発する熱で、しっかり彼女の体は乾いている。もしや、濡れた体を乾かすためにだけに炎の剣を抜いたのだろうか。
 ウェルゼはかぼちゃ頭からかぼちゃのお化けを受け取った。頭に付いているコルクの蓋を開けると、芳しいアルコールの薫が漂ってくる。
 ウェルゼはそれを一気に喉の奥へと流し込んだ。
「ぷはーっ。うん、旨い!」
「それは、良かった」
「お礼にこれをあげるわ」
 ウェルゼは旨い酒に更に機嫌がよくなって、どこからともなくそれを取り出すと、かぼちゃ頭に差し出した。
「これは?」
 尋ねたかぼちゃ頭にウェルゼは上機嫌で答える。
「ハロウィングッズよ」
 それは顔の絵の描かれたウェルゼのネックレスとお揃いのハバネロのランタンだった。
「ふむ」
 かぼちゃ頭は嬉しそうにそれを受け取って、目の前で掲げてみた。
「かわいらしいですわね」
 香雪がランタンを見やってそう言うと、かぼちゃ頭は喜色満面で頷いた。
「うん」



 ・:.:*.:.☆:・:..★.:・*.:*・



 やがてパレードは西市へと差し掛かる。
 パレードのコースの道端には多くの出店が並んでいたが、特にこの西市は今までにない賑わいぶりだった。
 造り酒屋の前では、ジャック・オー・ランタンの入れ物に入った酒を山のように積んでいたが、特にそれが飛ぶように売れていた。
 売れていた理由はひとえに皆、ウェルゼのいじめを恐れて回避するためのアイテムとして、だったのだが、酒屋の親父は泣いて喜んだという。
 そんな中、一軒の屋台の点心に、そういえば昼食を食べ損ねていた事を思い出して、清芳はパンダと共に立ち寄った。オープンテラスのように道端に簡易テーブル席があったので、休憩も兼ねて腰を下ろす。
「あふっ……あふっ…あふっ」
 出来たての小龍包を頬張って、清芳は慌てたように口で息を吸い、口内の温度を下げようと手で風を送った。
 小龍包の皮が破れてじゅわっと広がるスープは美味しいやら熱すぎるやら。
 そんな清芳を隣でパンダが微笑ましげに見守っていた。作り物のパンダの顔は笑ったそれで、実際中の人間がどんな顔をしているのかはわからない。それでも笑われているような気がして、清芳は何とか小龍包を飲み込むと、照れたように笑った。
 それから、食べないのかと声をかける。
 喋れないのか、パンダになりきって、喋るつもりがないのか。パンダは手振りで応えた。
 どうやら笹の葉を御所望らしい。
 清芳は笑って、笹の葉で包まれた中華ちまきを頼んでやった。
 それをパンダの手に持たせてやると、パンダは頭を取るかと思ったが、取らずに口から器用に中へ押し込みちまきを食べてしまった。
 どんな奴が中に入ってるのか興味津々だった清芳は、ちょっとばかり当てがはずれて残念そうにパレードに視線を馳せる。
 別段意識していたわけではないが、目は人ごみに、たった一人の人影を探していた。
 そんな清芳の顔をパンダが覗き込んでくる。
 少しだけ落ち込んでしまった気分を感じ取って、心配してくれているのだろうか。清芳は笑みを返すとパンダの手を取った。
 お代をこっそり皿の下に隠して立ち上がるとパンダの手を掴んで走りだす。
「え? お客さん!?」
 店員が慌てたが、たぶん同じくらいパンダも慌てただろう。だが清芳はそのままパレードの波に紛れて走る。
 追っ手を振り切った辺りで足を止めて、荒くなった呼吸を整えた。
 パンダが慌てたように、いいのか、と手振りで店のある方を指しているのに、清芳は笑顔で大丈夫と応えた。
「ちゃんと代金は置いてきたから」
 いたずらっ子の顔をして、ペロリと舌を出す。
「…………」
「はぁ〜、楽しかった」
 ――馨さんと一緒だったら、もっと楽しかっただろうか。
「…………」



 ・:.:*.:.☆:・:..★.:・*.:*・



「ん? パレードってこっちじゃなかったか?」
 シェアラが西市の角でふと思い出したようにパレードの進行方向を見ながら呟いた。勿論ここには来たばかりで土地勘があるわけではない。だがほぼ碁盤目状の通りである。ルートの書かれた地図では、西市の端を南に向けて出て行かなかったか。南門をくぐって朱雀門に戻るようだったから、やはり南に向かうのが正しいと思うのだが。その証拠にというべきか、屋台は南へと軒を並べている。
「ふふふ」
 隣でユリアが忍び笑いを漏らした。
 それでシェアラが思い当たる。
「まさか、落書きって……」
 そうなのだ。ユリアはパレードがスタートする少し前に、いたずらを仕込んで置いたのである。
「だって、あのパレードのコースだと軍の詰所を通らないんだもの」
「…………」
 シェアラは呆れたような、何とも微妙な笑みを零してユリアを見やった。
 とはいえ、運営側だって事前にパレードのルートをおさえてあるのだから、ユリアの直前のいたずらに、彼らが引っかかるというのも妙な話である。多少の混乱があったとしても、最終的には正しいルートに戻るのではないのか。
 しかし誰も別段気にもとめず、行列はそちらへと進んでいく。
 ――いくらなんでもおかしくないか?
 首を傾げたシェアラに、それもそうね、とユリアは顔を見合わせた。
「やっぱり変よね」
 呟くユリアに別の声が重なる。
「槐っ!!」
 発狂寸前みたいな形相の男が髪を振り乱し、はったと行列の最前列の方を睨みつけながら駆けて来た。そしてそこで息が切れたようにぜーぜーと荒い息を吐いて小休止を取る。
 ユリアが着ているものより今風というか、この国の衣装の変遷は知らないが幾分動きやすく整えられた文官衣装を着ている。
「あれだけ軍部をコースからはずすように言ったのに……」
 男は忌々しげにそう呟いて再び走りだした。
 その背中にはウェルゼの字で『バカ』と書かれた張り紙が付いている事も気づかないようで。
「……今のは?」
 首を傾げたシェアラにどこからともなく、ユリアとは別の声が答えた。
「陽国の丞相、介子推さま。この国の皇帝に継ぐ権力者さんですわ」
 返事を期待していたわけでもなかったシェアラが、振り返る。ユリアもそちらを見やった。
「あら、シルフェさん」
 そこには僵屍姿のシルフェが立っていた。
「こんにちは、ユリア様」
 それからシェアラを見やって一礼する。シェアラもそれに応えた。互いに自己紹介を交わした後、ユリアが尋ねる。
「そんな方が一体……?」
 あんなに慌ててどうしたのかしら、という顔でシルフェを見やった。
「うふふ」
 シルフェはパレードが始まった直後に、皇帝陛下の傍にいた女性から教えてもらった情報を披露した。
「一番先頭のかぼちゃ頭さんは陽の皇帝陛下だそうですのよ」
「はぁ?」
「いたずらしちゃいましょう、なんて、素敵な方ですわね」
「ああ……」
 何となく二人は理解した。
 ユリアのいたずらに便乗したのは、この祭りの言いだしっぺであるこの国一番の権力者――陽皇帝本人なのだ。となれば誰も止められまい。彼が進む方へ、皆従うだけである。
 そして丞相閣下のご様子から察するに、これが皇帝陛下のいたずら、なのだろう。
「面白くなりそうね」
 かぼちゃの酒瓶を手に、シルフェの肩に肘をついてウェルゼが言った。
「まぁ、ウェルゼさまもそう思います?」
「勿論よ」
「では、特等席を確保しに参りましょう」
 ニ人はそうして丞相閣下を追いかけるように、意気揚々と足早に先頭集団へ向かっていった。
 その背を見送りながらユリアはシェアラにぼんやり尋ねた。
「たとえば、この後、皇帝陛下が丞相閣下に捕まって、どうして軍の詰所に向かったんだ、って話しになった時、陛下が『誰かのいたずらでルートが書き換えられてたんだ』なんて言い訳したら、それって次にやばくなるのは、私だと思う?」
「……さあ?」
 シェアラには、なんとも答える事が出来なかった。
 たとえば、それは推測の域を出ることはないが、明らかにこれが皇帝陛下の悪乗りであったとしても、誰もそれを咎める事は出来ないだろう。それは、丞相閣下でも。
 この先で、何かとんでもない事が起こった場合、果たして責任を取らされるのは……。
「止めた方が……いいわよね」
「そうね」
 ニ人は足早に、ウェルゼとシルフェの後を追いかけた。
 だが、結論から言ってしまえば、それはちょっぴり、間に合わなかったのだった。






 ■4.日は暮れて、祭りは最高潮を迎えるらしい■

 楽しそうに笑う清芳の笑顔に、ほんのわずか寂しそうなそれが混じっている事に気づいて、パンダは少しだけ胸を痛めた。
 楽しそうに話しながら屋台のあれこれに舌鼓を打って、たわいもないいたずらをしては走り回る。それでも時折彼女の視線は誰かを探してパレードの行列を移ろうのだ。
 あの朱雀門で待っていた相手を。
 その姿が見つけられなくて小さくこっそり溜息を吐く。
 それからそんな自分に気付いてムッとしたように鼻を鳴らす。拗ねたように少しだけ頬を膨らませて、それを振り払うように、かぶりを振って。
「あ、中華まん!」
 と、笑顔で駆けていくのだ。
 その背を見やりながらパンダは満面の笑顔のかぶりものの下で、苦笑いを浮かべていた。
 良心の呵責というやつか。
「そろそろ限界だな」
 なんて誰とはなしに呟いて、パンダの頭に両手をかけた。
 刹那。
 ボディーブローをくらったようなズシンと体に響く大きな音に、地響きが重なった。
 一瞬よろめいて清芳の元へ駆け寄る。
 ヒールにバランスを崩して転びそうになっている彼女の体を支えてやると、パンダの腕の中で清芳はゆっくり北の空を振り返った。彼女の視線を追いかけるように、パンダもそちらを振り返る。
 確かに今の衝撃の発信源は北、パレードの最前列、右羽林軍詰所にあるように思われた。
 最初は地震か何かだと思ったが。
 真っ赤に染まった赤色は、決して夕焼けのせいだけではあるまい。



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 それは、ほんの少し時間を遡る。
「まぁ、ウェルゼさま。こんなにたくさんロウソクがありますわ」
 と、シルフェは軍詰所にある武器庫の中で笑顔でのたまった。
 黒い円筒状の筒。その先にはたこ糸のようなものが出ている。
 昼間から酒を飲み、ほろ酔い気分のウェルゼが目を眇めた。彼女にはシルフェが見ているよりもっとたくさんに見えていた。
「お祭りなんだし、ぱーっと景気よく火を付けましょー」
 そしてランタンにセットするのだ。間もなく日は暮れる。夜道にランタンは必須アイテムだ。
 ウェルゼは背中の剣を抜いた。剣が炎を纏う。はっきり言ってロウソクを付けるのにそんな火力は要らないだろう、だがウェルゼは非常に機嫌が良かったのだ。
 それだけである。
 開け放たれた武器庫のドアの向こうから推が何事かわめきながら駆けてきたが、その声はウェルゼにもシルフェにも届かなかった。
 ウェルゼは炎の剣を振るった。
 剣が炎の線を作る。
 ロウソクたちに、一斉に火が付いた。
 それは仄かに灯るでもなく、生き急ぐようにパチパチと燃え盛った。
 推が武器庫の入口に駆けつけたのと、それは、どちらが速かったのだろう。
「それは、ダイナマイトだー!!」
 と、叫んだ推の言葉に、ダイナマイトの爆発音が重なった。


 ド・ドーン。


「遅かったか……」
 よろめくような轟音と地響きにユリアは痛くなった頭を抱え込みたい衝動で、手の平を額に押し付けた。
「これは、また……」
 シェアラも言葉を失ったようにそれを見上げている。
 真っ赤に燃え盛りながら、まだ爆発音は続いていた。巨大な体育館といったそれが見事なまでに全域、炎に包まれているのだ。
 小さな爆発は、他の武器に引火し、更なら爆発を生む。爆発が爆発を誘発しながら、炎は更に激しさを増し続けていた。
 その大火事現場から一つの黒い影がゆらりと現れた。
 それを推と判じるのに、多くの時間は必要なくて、ユリアは息を呑む。
「これって、私のせい?」
「まさか……」
 しかし、これは誰かが責任を取らなくてならなくなるのではないか。そして、パレードがここへ訪れるきっかけを作ることになったのは、紛れもなくユリアなのである。ニ人はまだ、この爆発を引き起こした張本人がシルフェとウェルゼである事を知らなかったのだ。
 よろよろとよろめく推に、二つの影が駆け寄った。
 一人はかぼちゃ頭で、ずっとこのパレードの先頭にいた男だ。シルフェの言が正しければ、彼が陽皇帝なのだろう。傍に、一人のセーラー服姿の魔女が付き人のようにくっついていた。後で互いに自己紹介をした時、彼女は香雪と名乗った。
 軍詰所に詰めていた者達が消火のために駆け出してきた。しかし今だ爆発の続く現場に、皆手をだしあぐねているようだ。代わりに、パレードの参加者らを詰所の外へと誘導している。

「大丈夫ですか、丞相閣下」
 香雪が推に声をかけた。
 推は視点の定まらない目をどこかへ彷徨わせ、呆然と立ち尽くしている。香雪の声も聞こえない風だ。
 既に彼は気を失っていた。立ったままで。目を開けたままで。
「陛下……」
 香雪は不安そうな顔でかぼちゃ頭を見上げた。
「大丈夫だよ。人気もないし、軍の武器庫だ。戦時でもない今なら誰も困らない。それに、これで仕事も増えるしな」
「え?」
「仕事が増えれば労働者に仕事を提供できる。労働者はそうして金を稼ぎ生活は潤う。そうすると町は賑わい活気が出、やがて国そのものが富むんだ。さすがは推。考えているな」
 かぼちゃ頭の槐王はそう言って笑った。その表情はかぼちゃ頭に隠れて見えなかったが。
「そうだったのですか。そこまでのお考えでこのようないたずらを思いつかれたのですね。さすがは丞相閣下。お考えがお深いですわ」
 香雪が感動したように推を振り返っている。
「…………」
 彼らから十歩ほど離れた場所で、ユリアは呆気に取られたようにニ人の会話を聞いていた。
「全部、丞相閣下、のせい?」
 口のうまい皇帝もいたものだ。そうして、自分が勝手にユリアのいたずらに便乗して軍詰所に遊びにきたのも、全部丞相のせいにしてしまったのである。
「いいんじゃないか。今の話なら、これといった処断も下るまい。陛下の御英断にあやかっておくんだな」
「それもそうね」
 何か腑に落ちないものを感じながらも、自分に火の粉が降りかかるよりはマシだろう、ユリアは不承不承頷いた。
「しかし、このままでは町まで燃えてしまうなぁ」
 燃え盛る武器庫に、内容の割りに意外とのんびりした口調で皇帝が言った。
 それに、香雪が一歩前へ進み出る。
「わたくしにお任せ下さい」
 そう言って彼女は、胸に光る青のマリンオーブのペンダントを掲げると、炎の海にどしゃぶりの雨を降らせてみせた。
 大量の水に瞬く間にして炎が消える。

 いつしか茜空は、夜の帳に包まれていた。
「ちょっと予定より早いが、今の爆発でみんな慌てているかもしれないからな」
 呟いた皇帝陛下の手があがった。

 それを合図に――――。


 ド・ドーン


 と、東の空が鳴いたのを、皆一様に振り返った。
 武器庫を大破させた諸悪の根源も、そんな事すっかり忘れた顔で月餅を食べながら酒瓶を傾け花火を楽しんでいた。

 あの武器庫の爆発のあった直前――。
 ロウソクのそれが、あまりに導火線のそれに酷似している事に気付いたウェルゼは、慌てて羽を広げたのだった。
 飛翔するウェルゼに何事か察知した、というよりは、単に面白そうと思ったシルフェが、
「わたくしも飛んでみたいですわ」
 と声をかけた。
 気まぐれな女王様は、どうやら何となく波長の合うシルフェを気に入ったらしく、シルフェの体を抱き上げて、飛び立ったのである。
 もしシルフェが、実はウェルゼに滝のような雨を浴びせた張本人だと、ウェルゼが知っていたなら、こんな事はなかっただろうが。
 とにもかくにもニ人は武器庫の窓から外へ出た。
 それと入れ違いで駆けつけた推を巻き込んで、ダイナマイトは爆発したのである。武器庫が火の海になった時には、シルフェもウェルゼも空の上にいた。
 推が生きていた事が奇跡のような大爆発である。
「まあ」
 さすがのシルフェも驚いたような感嘆のセリフをのんびりと呟いていた。あまりに驚きすぎて言葉も出ない、というわけではなく、単にマイペースなだけらしい。
 ウェルゼはそのまま上空を滑空すると、帝都長沙にある最も高い建造物――大雁塔の屋根の上に降り立った。
 日は沈み、涼やかな風が吹く。
 ちょっと肌寒いくらいの風だったが、酒気を帯びたウェルゼにはかえって心地よいようだった。
 やがて東の空に花火があがったのである。

「たーまちゃーん!!」
 ウェルゼが花火に向かって上機嫌で歓声をあげた。
「なんですの?」
 シルフェが月餅を口の中にほおりこみながら不思議そうに尋ねる。
「あら、知らないの? 花火には古来よりこうやって声をかける風習があるのよ」
 ウェルゼが言った。
 どこに、とは誰も突っ込まなかった。
「まぁ、そうでしたの」
 思えばウェルゼの知識も一体どこから得られたものなのか。
 花火があがる。
「たーまさまー!!」
 シルフェは花火に向かって大きな声で呼びかけた。
 それから、笑って、
「まるで、猫さんを呼んでるようですね」
 と言った。
「かーぎちゃーん!!」
 ウェルゼが花火に向かって再び声をかける。
「かーぎさまー!!」
 シルフェもそれに続いた。
 大雁塔の屋根の上。ニ人の女の声が夜の街を駆け抜けていく。
 いつしかそれが長沙の町中に広がるのも、そう遠い事ではない。
 いつの間にか、あちこちで同じような声があがるようになっていた。
「たまー!!」
「かぎー!!」
 それから後、花火職人たちが店を出した折、その掛け声から名前を取って、『かぎ屋』『たま屋』と名付けられることになるのだが、今はともかくハロウィンの夜。


 ド・ドーン


「結構ラッキーだったかもね」
 ユリアはそれに腰掛けながら花火を見上げて言った。黒く焼け崩れた壁である。シェアラが用意した布を、ピクニックシートのようにして座っていた。
「確かに、特等席かもしぬな」
 シェアラもまた、同じくそこに腰掛けていた。
 そこには花火を愛でるのに邪魔するものは何もなかった。
 全部焼けてしまったからだ。
「おニ人もどうぞ」
 同じくシェアラの布に腰掛けていた香雪がユリアとシェアラに紙包みを差し出した。どうやら、敷き布のお礼のつもりらしい。
 しかし。
 包みには『食べるな危険』という張り紙が付いている。
 ユリアとシェアラはそれを暫し見下ろし、それからニ人で顔を見合わせ、そろって雪香を振り返った。
「陛下からいただいのです。でも、中は美味しそうな中華まんでしたのよ」
 香雪が自分も同じ包みを手に言った。その陛下は、この中華まんをどこで仕入れてきたのかというと、ウェルゼから貰ったのであるが。
「きっと、この張り紙はウェルゼさまのいたずらですわ」
「なるほど。ハロウィンだしな」
 シェアラは納得したように包みを開ける。
 だが、ユリアだけが不審そうに包みを見下ろしていた。
「どうした?」
「お腹はすいてるんだけど、何だか胡散臭くて……」
 ユリアはウェルゼのひととなりをよく知っていた。この張り紙はむしろ良心の方なのではないかと、どうしても裏の裏をよまずにはいられないのだ。
 勘繰りすぎとは思えない。だって相手はあの、ウェルゼなのだ。
「…………」
 ユリアにそう言われるとシェアラとしても不安になってくる。
 しかし香雪は笑顔で包みを広げていた。
「大丈夫ですわ」
 だってこれは、出どころはウェルゼであっても、敬愛する皇帝陛下からの賜りものなのだから。
 香雪はそうして中華まんにかぶりついた。
 彼女の動きがそのまま停止する。
「? 香雪さん?」
 ユリアが声をかけるが反応がない。
「おい!?」
 シェアラが香雪の肩を掴んだ。
 徐々に香雪の顔が赤くなっていく。突然発熱したように彼女の体は熱くなった。
「大丈夫か……?」
 よく見れば香雪の目尻に涙の粒が浮かんでいる。
「かっ…辛ーーーーーーーーーいっ」
 香雪は叫びながら包みの中に口の中のものを吐き出した。
「え?」
 香雪が吐き出したそれが真っ赤なのに、血でも吐いたのかとユリアは一瞬慌てたが、自分の中華まんを二つに割ってみる。
 中の具は真っ赤だ。
「これ……トウガラシ?」
 呟くユリアにシェアラも覗き込む。
「これはハバネロじゃないか?」
「ハバネロ?」
「レッドハバネロ。まぁ、赤唐辛子のことだが、その中でも最も辛いといわれている品種だ」
「……それは、これだけ入ってれば確かに辛いわね」
「ふーん。やっぱり、そうか」
 呟いたユリアの上から声が降ってきた。見上げるとかぼちゃ頭がユリアの手元を覗き込んでいる。
「……私たちを毒味に使ったの?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
 かぼちゃ頭は冗談とも本気とも取れないような口調で言った。
「まぁ、でも、こういう身だから不用意に貰いものを口には入れられないんだけどな」
 かぼちゃ頭は呟いて、ユリアたちに背を向けると、花火を見上げていた。
 その言葉にどこか寂しげなそれが加わっているのを感じて、ユリアは口を噤む。
「確かにそうだな」
 シェアラが言った。
「陛下……」
 香雪が目を潤ませながらかぼちゃ頭の背を見上げている。
 ユリアが立ち上がり、中華まんの半分をかぼちゃ頭に差し出した。
「毒は入っていませんでしたよ」
 何となく、彼はこれをずっと食べたかったんじゃないかと思って。
「…………」
 かぼちゃ頭はユリアの顔をマジマジと見て、それから半分になった中華まんを受け取ると口の中に入れた。
「…………ん。辛っ!!」
 そうして四人で涙を流しながら中華まんを食べたのだった。


 ド・ドーン


「あ、花火……」
 清芳は呟いて夜空に咲く花を見上げた。
 色とりどりの花が夜の闇を賑わしていく。巨大な花の後、ずしんと体に響く音の振動。先ほどの爆発と何か関係があるのだろうか。だがそんな事はどうでもいいのかもしれない。真っ赤に染まっていたそれも既に今は夜の色に塗りこめられている。
 今しばらくは夜空に咲き誇る花畑を楽しんで。
「馨さん」
 ぼんやり清芳は呟いていた。
 殆ど無意識だったに違いない。祭りは楽しかったけれど、今も楽しんでいるけれど、心にぽっかり穴が開いてるみたいで。
 一緒にこの花火を見たいなと思う。
 だけど、馨さんもこの花火をどこかで見上げているのだろうか、それなら、まぁ、いいか。そんな風に自分を納得させたのに。
「はい」
 と、声がした。
 柔らかくて優しくて、どこかほのぼのとした声だった。
 清芳は一瞬目を見開いて、それから声の方を振り返った。
 パンダの頭から顔を出した彼に面食らう。
 言葉を失って口をパクパクさせていると彼が笑って言った。
「ずっと、傍にいましたよ」
「あ……あ……」
 何から言っていいのかわからなくて、安堵感と、無意識に彼を呼んでいたことへの羞恥と、それから騙されていたという悔しさと、諸々のそんな感情が混ざり合って、頭の中は半ばパニックを起こしていた。
 最初は黒の長袍だったのに、今はパンダの仮装のためなのだろう白い長袍を着ているのだ。わざわざ着替えたのか。
 このイタズラの為に。
「あ……あ……」
 何だか悔しくて、まんまとイタズラにはまった自分が悔しくて、なのにずっと一人だと思っていたら実はずっと一緒に、傍にいてくれたんだと思うと嬉しくて、嬉しい自分にちょっぴり腹がたって。
「はい?」
「バカ!!」
 踵を返すと清芳は馨に背を向けてずんずんと歩き出していた。
 ずんずんと歩いて、なのに追ってくる気配もなくて不安になる。けれど自分から足を止められるほど素直にもなれなくて。
 どのくらい歩いただろう、突然誰かに強引に手を掴まれた。
 振り返るとパンダの笑顔がある。
 笑顔だけど、ちょっぴり情けないような。
 目の前に差し出されたのは美味しそうな月餅。
 これを買っていて、すぐには追ってこられなかったらしい。
「…………」
 清芳は月餅を取り上げて、一口食べた。
 それは甘くて、このお祭りで食べたどの店のものよりも美味しく感じられた。

 ――しょうがない。許してやるか。

 清芳はふと思い出してポケットからそれを取り出した。
「馨さん」
「はい?」
「あげる」
 そう言って、握り拳を突き出してみせた。
 怪訝そうに首を傾げながら手を出した馨の手の平の上に清芳はそれをのせた。
「!?」
 小さな包みに入ったそれを覗き込んだ馨の目が大きく見開かれた。馨の反応に清芳は内心で満足の笑みを浮かべる。
 包みの中に入っていたのそれは、人の指の形をしているのだ。べっとりと赤黒い血の付いたそれが、丁度人間一人の右手一本分入っていた。
「清芳……さん?」
「美味しいんだ」
 清芳は手を伸ばしてその中の親指をつまみあげると食べてみせた。
 愕然とする馨に笑みを返す。
「…………」
 それは清芳から馨へのささやかな復讐だったらしい。


 やがて花火は巨大なシダレザクラの余韻と共に幕を閉じる。


 めでたし、めでたし。


「めでたくなーーーーーーーーーーーーーいっ!!」

 夜も更けた深夜。
 意識を取り戻した推の絶叫が長沙の町を駆け抜けた。






 ■大団円■



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┃登┃場┃人┃物┃紹┃介┃
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【整理番号/PC名/性別/(外見)年齢/種族/職業】

【0509/ウェルゼ・ビュート/女/24/魔利人(まりと)/門番】
【3312/寿・香雪/女/19/異界人/幻影師】
【3010/清芳/女/20/人間/異界職】
【3188/ユリアーノ・ミルベーヌ/女/18/人間/賞金稼ぎ】
【2994/シルフェ/女/17/エレメンタリス/水操師】
【3009/馨/男/25/人間/地術師】
【1514/シェアラウィーセ・オーキッド/女/26/亜人(亜神)/織物師】


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┃ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 ありがとうございました、斎藤晃です。
 楽しんでいただけていれば幸いです。
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