<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


■真白の書■





 はらりと書の頁を繰る音が響きます。
 先日、別の物語をお手伝い頂いた方が本日のお客様。
 馨様と仰いますその方は落ち着いた中にはっきりとした枠組みの寛容さを覗かせる、そんな瞳の男の方。携えられた刀には何か思うところがおありなのでしょうか、触れる指先ひとつとりましても深い気配を私に感じさせます。
 さて、私が馨様を拝見する間にも短い遣り取りだけでマスタは馨様に書を差し出されました。
 ペンを添えておくだけで心得たご様子。静かに文字を綴られます。
 それは、儚く、けれどその中にささやかな力を求めるような――


 綴られるもの。それは所詮はただ織るばかりの物語。
 ですがそこに言葉の一つなりと、望まれた何某かを見出されますでしょうか。

 ――さあ、ここに世界がひとつ描かれます。


 ** *** *





 しんと降る白の正体が何であるのかと見上げて思う。
 周囲に残る残骸でもなく凍えた天候を招く程の気温でもなく、あるいは周囲が青で溢れていれば海中の小さな粒を考えたかもしれない。けれど青は深く塗り重ねられ凝っている。そこから降るものがあるとは思えない程に動きのない濃藍だった。
 であればやはり何の白であるのだろうか。
 ふ、と洩れる息が鼻先を掠めて降る白にかかる。
 途端に細かなそれが呆気無く消えてしまうのを瞳を眇めて馨は見た。幻であるかのように降っては消える白。雪に似た砂に似た塵に似た降り落ちるもの。
 足を進める度に鳴るざりりという荒れた音を拾いながら彼は周囲を見回した。鍔元に手をかけて僅かに上方を仰ぐ。
「奥、ですか」
 次いで何かを探るように視線を動かして馨は朽ちた柱の更に向こう、蟠る薄闇へ意識を動かす。周囲はどこまでも白く、よくぞこれほどにと思わせる鮮明さであるのに彼の見た奥先は頼りなく曇っている。けれどそれもごく僅かな粒子で足音を零しつつ進めば段々と色を落として白くなるものだ。
 門柱のように設えられた彫像の間を抜ける。
 どういった世界のどういった時代であったのか、優美な曲線の名残を見せる彫像からはたいした推測も叶わない。砕け朽ちて久しいだろうそれはかつて人が手を入れていたというそれだけしか思わせぬ。
 彫像の門を越えて広がる庭園じみた空間に足を踏み入れたところでつと振り返り、歩いた道筋を見る。降る白は己の進んだ通りを覆うようにしてひたひたと積もり、そして積もる端から消えていく。
 その正体も知れぬ白はけれど不吉な様子もなかった。
 ただ静かに降り積もり消える。その繰り返し。
 しんと降る白を眺めてから馨はただ静かに笑んで更に奥へと向かう。
 僅かに残る天蓋の向こうは小さな光がぽつぽつと散る空。
 けれど外気さえ入り込むのは天蓋の大半がはるか遠くの時代に失われて久しいからだ。さわと細く走る風が空間に溢れる緑をくすぐって、その香りを摘み取った手で馨を撫でていく。踏み入ったその途端に。

 そこは庭園、いや植物園と呼ぶべきだろうか。
 むせ返る程の圧倒。茂る緑の氾濫だった。

「これは、また」
 声を落として踏み込むそこは、計算も何もなくただひたすらに茂る木々が花をまとって存在している。人の手の名残は傾いた柵であるとか、支柱と繋いでいた結び目の端であるとか、そういった古いものしかない空間。
 鮮やかな。ただただどこまでも鮮やかな。
 それは天恵さえ及ばぬ見事な緑の花の彩――


 * * *


 刀工が短く問う。
 預けるに足るお人かね。
 馨は隻眼の老爺を沈黙のまま見詰めて返す。
 貴方がそう思って下さるのであれば。


 佩いた常の刀剣とは別に馨が懐に収めるのは、小太刀よりも華奢な、けれど巷でいうペーパーナイフの類というには鋭い刃先を鞘に隠した一振。
 理由も聞かされぬままの預かり物は本来であれば危険この上なかったが、覗いた刀身と出逢った造り手、それだけを判断の基準にして馨は受け取り道を行った。普段の彼はそのような浅慮とは無縁の男だけれど、同時に己の感覚というものについても冷静な理解を持っていたのだ。
 降る白は変わらず、正体の知れぬまま土に緑にあるいは馨の肩にと触れては消えていく。触れるたびに心の端がさざめいて、何か意味のあるものなのだろうとは知れるがやはりそこまでだった。


 ならばあんたに預けるとも。
 ひたと馨の深い眸を透かし見て刀工は潔い声音で言うと差し出す一振。
 鋭い刃を繊細な細工物を思わせる鞘に隠したそれを静かな笑みと共に受け取ると、そこで馨は頭を僅かに下げた。穏やかな強さ、大地の応え。
 預かりましょう。必ずや、貴方の語るその場所まで。


 この知らぬ世界の歴史の中。
 庭園はいつ朽ちる道へ招かれたのかは知る術も無い。
 刀工が望んだ場所は過去の庭の奥だったけれど、まさしくこの朽ちた場所がそうだと馨には解る気がする。集めた情報ではなく、刀工が祖の物語を告げて馨に問うたとき――預けるに足るか、と問うたときの感覚と重なるのだ。
 まるで理屈に合わない理由であったが、それを保証するかのように懐の一振が仄かに存在を主張する。老爺の、最上の刃。
「ええ。もうすぐですよ」
 周囲の緑を見回してその命の鮮やかさに唇を緩めながら、馨は更に奥へと向かいつつ一振にとも隻眼の刀工にともつかず凪いだ声で呼びかけた。
 降る白、揺れる緑、溶ける花の彩り。
 全てを馨は瞳に映し心に納め、そして丁寧に囲っていく。
 あるいはそれは書物を開き読み耽るような。
 小さな子供が読む絵物語とて長じて後に読むのでは受け取るものは違う。常に真新しい何かを受け取っては自分のものに噛み砕いていくことは意識の外で続くこと。
 胸内に留めようと心掛ける風に時折視線を一巡りしては笑みまた進む。
 踏み入ったこの庭園に至る道もまた朽ちた世界の名残だった。
 大きな街路は石畳の一つとて古く廃れた影を帯びて在る。空は重く大気は冷たく、突き放すのではなく訪問者を気にも留めない古い都。まさしく廃都と称すべきその街中にある庭園。
 けれど今歩くその庭園は歴史に沈んだ場所のはずであるのに瑞々しく今も時を進めていた。
 足元を時折擽る名も知れぬ草。
 エルザードの街中で今も見る小花の群れ。
 蔓を纏って誇る鮮烈な花弁。
 どれもが作り物ではなく、生きた存在だ。
 それらは他の命が全て消えた――数多が死に向かった後にも天へ地へ水へと向かい育っている。人の手によるものはたとえば彫像の残骸、たとえば潰えた水路、輪郭ばかりの天蓋。硝子の割れた欠片さえいまや見当たらぬ過去の名残に過ぎないそれらだけ。
 誰かが歩き笑いさざめいた痕跡なぞ見当たるはずもなかった。
 ちらりと寂しさを覚えるのは馨もまた人であり、今も生きる緑とは異なるからだろうか。
 けれど、と馨は人の背より幾分丈高い木の一つに腕を伸ばす。
 触れるだけでざわりと伝わるものがある。それは誰かの語りかける声であったり、傾ける手の先に握られた水皿であったり、屋内であってもかぶる塵を拭う仕草であったりと――人の、今は痕跡も残さない人のもの。
 今のこの地この世界において、地術師である己を馨は嬉しく思う。
 流れる時間の中で沈めばそこで人の遺すものは朽ちるばかりであっても緑と花と土が記憶する。それを他者よりもおそらくは明瞭に、より多く視ることが叶うのだから。
 確かに愛されて慈しまれた植物達の声無き声を聞きながら伸ばした腕をゆるりと下ろす。
 満ち溢れる緑の向こうにまた朽ちた彫像があった。
 振り仰ぐ一際大きなそれを越えて覗く建物が目的の場所。
 確信は、懐の一振が与えてくる。
 僅かに砂を擦って歩を進めれば欠けた天蓋から風が吹き込み降る白を躍らせた。
(――あるいは、これは)
 儚く消えるばかりの白を視界に映しながら馨は心の片隅で思う。
 更に色を濃くする空の星が落とすといっても通じる朧。それが緑に触れると彼らは僅かに馨に伝えるものを声高にした。人の残した彼らへの様々なものを。
(人が何かを遺すのであれば、形ばかりではない)
 その証は馨の精神にも在り、携える刀を考えても確かに在る。
 鍔に刻まれた家紋を手で確かめて多くを彼に伝えた師――今は記憶の中の父。
 思い返すその間も足は動き道を行く。割れた足元に広がる緑を踏み躙らぬようにと無意識のままに進みながら、馨はほどなく彫像の門を再び抜けた。
 ――失われた場所だが今も在る。解るかね。
 刀工の生の中、あるいは刀工の父母祖父母の生の中、遠い過去の都市を求めていたのだろうとは表情から知れた。今生きる地から目を逸らす様子でもない以上は何某の思い入れもあるのだと推し量り馨はそこで頷く。それだけの遣り取りが目的地を示すもの。
 歩く内に辿り着く。着かねばここに戻ってくる。
 何人かに既に依頼したのかもしれなかった。信頼を踏み躙る者はおらずとも期待に応える者もまたおらず。だからこうして馨が預かった。そして初めての、また最後の期待に応える者になるのだろう。
 かつんと掌に収まる程度の欠片が馨と入れ替わりに建物の外に出て落ちた。
 建物は、これもまた時の手から逃れ得ず朽ちて天井を失っている。そこから差し込む明かりは陽の光では最早なかった。どこかしら頼りなく曖昧な、儚い色味の夜の光。
 それに照らされ浮かび上がる祭器の残骸。
 懐から出した一振を収める鞘の装飾はどこかそれと似通っていた。
 改めて見遣りその造作の程に感嘆し、ややあって多少の熱中を隠して馨は祭器へと歩み寄る。両の手で捧げるようにして一振をそこに翳し、ついで鞘から抜き払う。残骸に打ち付けるようにして振るえば当人の技量と相俟って見事な傷を一つ入れた。
 ちりと鋭い刃先が震えるように鳴る。
 傷と刃と両方からごく僅かな輪郭の崩れが見られ、傷はすぐさまそれを止めたが刃は馨の握る場所さえ構わず加速しながら崩れていく。ほろほろと崩れ舞い上がる。掴んだ鞘を見ればこちらも同様に輪郭を溶かしていくところだった。
「捧げる……まさに」
 喪失した都の奥で、と言われて素直に都市を求めて道を行き招かれた。
 刀工の愛想の無い言葉を思い出しながら舞い上がる朧を見ていれば、それは降る白と容易く重なっていく。いや、まさしく白はこういった物の果てなのだ。老爺が渾身の、時間も命も技も篭めた作。想う何某かとてそこには有る筈だ。それがここで捧げられて還る――どこに。
「世界」

 崩れた天井を抜けて空へ。
 空から風に乗って天蓋の骨組みを通り抜けて。
 緑と花と土とに降ってはそこに。
 消えてもきっとこの場所に溶け込んで。

 しばしその一振が溶けて天へ向かう様を見遣っていた馨は己の刀を鞘ごと外すと両の手で、先程の一振にしたように捧げ持ち頭を下げた。
 還すのではない。還るものではない。
 ただこの刀に在る想い、馨へと継がれるべき魂の在り様、あるいはごく些細な愛情であるかもしれない。なんでもいいのだ。人が誰かへと、それだけのこと。敬意を改めて、刀工の作を送った場で己の一振に捧げるのも悪くないと想った、ただそれだけの。

 白は途切れなく降っては消えるばかり。
 思い立って戻りの道で繁る木々を分けて端を探してみる。
 触れる度に人の居た風景を喜ばしく語ってくれる周囲に馨は微笑みを絶やさない。
 そして辿り着いた庭園の端はやはり汚れて土と緑ばかりであったけれど――過去に手入れされ補強された名残を見つけ出して、それがまたどこか過去に生きた人と今も生きる緑の繋がりを思わせて微笑みは深く。


 これは最後の品で売り物にもしねぇ。
 ただ街の今から言う場所で出来を示して一度振るってくれりゃいい。
 跡を残すのさ。代々辿り着いて何でもいいから跡を付けて来た。
 真っ当に生きたよってぇ証だ。
 最後の最後、魂も込めた出来でな。
 それで、あんたは預けるに足るお人かね。

 ――貴方がそう思って下さるのであれば。


 きっと、永遠は無くとも繋がるものであるのだ。馨が捧げたものもまた然り。
 失われた過去の人が育んだ緑が今も人々を記憶して繁り花を咲かせて種を蒔く。
 そして老爺の魂も、ここで最上の刃と共に白になっていつか、降るのだろう。





** *** *


 それは、真白の書が映した物語。
 望むものか、望まぬものか。
 有り得るものか、有り得たものか、あるいはけして有り得ぬものか。

 ――小さな世界が書の中にひとつ。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【3009/馨/男性/25歳(実年齢27歳)/地術師】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、ライター珠洲です。書を開いて下さり有難うございます。
 書いて頂いた内容におじいちゃんが混ざりました。
 そのまま散策なりというのも良いなと思ったのですが、頭の中で捏ねてみる間におじいちゃんのお願いを聞いて頂いておりまして……!
 初回ですので副題無しですが最初に副題的に連想したまま進めてます。轍というか轍跡というか、それの繰り返しのイメージです。