<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


戯れの精霊たち〜ケーキとの戦い?〜

 精霊の森と呼ばれる森がある。
 その森の守護者は、普段あまり森の外へ出ることがなかった。それが最近、ひょんなことからひょこひょこ顔を出すようになり、友人と呼べる人々さえできたのだ。
 これはその友人のひとりとの、ちょっとした日常のお話……

 森に誰かが入ってくれば、森のやや中央部に位置する小屋に住んでいるクルスにはすぐ分かる。
「ん……誰か来たな」
 お茶でも用意して待っていようかと、樹の精霊から採れる茶葉を道具棚から取り出す。
 客人の気配が近くなってくる。
「……女性か」
 気配でそう察して、クルスは髪をかきあげた。「珍しい気配だな……森に来るのは初めてじゃないか?」
 以前、とあるいざこざで大変世話になった人物の気配と、クルスの感じる気配は合致していた。
 客人の気配はさらに近くなってくる。
 クルスは彼女が小屋のドアを叩くのを待たずに、自分からドアを開けて姿を現した。
「おお。久しゅう」
 山桜ラエルが、ちゃっと手をあげた。長い銀髪を高く結い上げ上でまとめて、飾り紐をつけている。赤い双眸はどこかいたずらっこのようだった。
 彼女はソーン人ではなく異界から来たのだと、いつだったか聞いた気がする――とクルスは思い出していた。
「久しぶり」
 何やら片手に大きな袋を持っているラエルに、クルスは不思議に思って、
「それは何だい?」
 と尋ねてみた。
 ラエルは、
「土産だ」
 と袋をクルスに差し出した。
「ああ、ありがと――う!?」
 ずしっ
 受け取った瞬間、袋を持つ手首がぐきっとそれた。
 重い。何だか知らないが重い。とにかく超絶に重い。
 ラエルは不思議そうな顔をして、
「どうした?」
 と訊いてくる。
「い……いや……こんな重いもの、片手でよく持ってきたね……」
 慌ててもう一方の手で支えて、それでもやっぱり重い袋をクルスは抱き抱えることにした。
「重くなんかないぞ?」
 ラエルはいぶかしそうに腕を組む。
 ……彼女と自分とでは、かかる重力が違うのだろうか。クルスは本気でそんなことを考えた。
 とりあえず、
「小屋に入ろうか」
 重い荷物をどうにかしたくて、クルスは引きつり笑いでラエルを促した。
「うむ」
 ラエルはこくりとうなずいて――その場に立ったまま動かない。
「どうしたんだ?」
「普通、客人が来たら家の者がドアを開けるものではないか?」
「今の僕は両手がふさがってるよ!」
 思わずクルスは悲鳴じみた声をあげた。「勝手に開けていいから、中に入って……!」
「そうか」
 ラエルは遠慮なく、ドアノブに手をかけた。
 クルスはほっとして、ラエルの後ろから小屋に入ろうとする。そして――
 がんっ
 ……閉まった小屋のドアに、したたか額を打ちつけた。
 重い『土産』を落とさなかったのは奇跡かもしれない。思わずしゃがみこんでしまったクルスに、ラエルはひょいっとドアから顔を出し、
「すまん。お前の存在を忘れていた」
 とのたまった。
「い、いや、いいよ……」
 クルスはあははと乾いた笑いをあげた。

 小屋の中には、テーブルがひとつしかない。他にはクルスの机があるのみだ。
 とりあえず客人用のひとつきりの椅子をラエルにすすめ、クルスはテーブルに重い荷物をおろし、
「はあ……」
 とため息をつきながら肩を回した。
「どうした。この程度で疲れるとは、もう老衰か」
「……僕は不老不死なんだけどね。――お茶はいるかい」
「もらおう」
「冷たくてもいいかな」
「ああ」
 クルスは水桶から水を汲み、用意してあった茶葉でグラスにお茶を淹れる。
 ふわりと甘いいい香りが漂った。
 ラエルにグラスを手渡すと、
「いい茶だ」
 香りを楽しむように微笑んでから、ラエルはごくごくとそれを飲んだ。そして、
「おかわり」
「……はいはい」
 遠慮もなにもない客人である。けれどラエルの真顔がおかしくて、クルスは笑って二杯目を用意した。
「ところでこのお土産、開けてもいいのかな」
「ああ」
 ラエルは二杯目のグラスを揺らしながらうなずく。
 クルスは袋から箱を出し、箱の蓋を開けた。
 中から現れたのは――謎のお菓子だった。
 高さが箱の半分しかない。
「……失礼だけど、これは何だい?」
「パウンドケーキだ」
 ラエルは重々しく言った。
「ケーキ……ケーキなのか……」
 何となく嫌な予感がするなあと思いながら、クルスはケーキナイフとフォーク、ケーキ皿を用意する。
「……焼きあがった時はもうちょっと嵩があったが……重力に負けたか?」
 などとラエルは言いながら、ケーキをケーキ皿に移す。
 ごとん
 ……ケーキから出るにはあまりにも似つかわしくない音がした。
「……『ごとん』?」
 クルスは耳が悪くなったかなと、自分の耳を心配した。本当に老衰だったらどうしよう。そう思って、ラエルにも尋ねてみる。
「今『ごとん』って聞こえた気がするんだけれど」
「そんなもの聞こえたか?」
「キミには聞こえなかったかい?」
「実は私にも聞こえた」
「……ケーキって、『ごとん』って音がするものだったかな」
「私にも分からん」
 ラエルは次に、クルスの用意したケーキナイフを取り出して、ケーキを切ろうとした。
 さくっ
「……あ、いい音」
 ほっとしてクルスはつぶやいた。
 が。
「……お?」
 ラエルが柳眉をひそめる。
「どうした?」
「これ以上ナイフが刺さらん」
「は?」
 ナイフはまだ先端部分しか刺さっていない。
 クルスはケーキナイフをラエルから受け取り、自分でケーキ切りを試みてみた。
 硬い。何だか知らないが硬い。超絶に硬い。
「……なんでケーキがこんなに硬いんだい?」
「重力に負けたんだ」
「いやそんな次元の問題じゃ」
「恐るべし重力。私もかなわなかったか……」
「………」
 腕を組んでうんうんうなずいているラエルをよそに、クルスは助けを求めるように視線を泳がせた。
 と、ケーキが入っていた箱を入れてあった袋に、一通の手紙が入っているのに気がついた。
 クルスはそっとそれを取り出してみる。
 『クルス・クロスエア様』
 裏を見ると、差出人はラエルの弟だった。彼にも、以前世話になったことがある。
 中を開いてみると、一枚の便箋――

 『えるのケーキの食べ方』

「………」
 この時点で、クルスはこめかみにじんじん痛みがきていた。

 『@逆手に持ったフォークで、力いっぱい刺す……のは多分無理だから、割って下さい。』

「割れと?」
 どうやって割れというのだろう。床にでも叩きつければ割れるだろうか。
 いや、食べ物にそんなことをしてはいけない。
 ラエル自身にチョップでもしかけてもらおうか。
 ……服が汚れる、とか言って嫌がられそうな気がする。
 偏頭痛がしてきた。ずきずきずきずき。

 ラエルは、
「さてどうしたものかな……このままかじるか」
 などと言っている。
 とりあえずクルスは、ラエルに「ちょっと待ってて」と超絶に重いケーキの乗ったケーキ皿を皿ごと箱に戻し、それを手に小屋の外へ出た。
 小屋から少し歩いたところに、大きな岩がある。
「ザボン」
 クルスは呼びかけた。「頼みがある。インパスネイトしていいかな」
 岩に宿る精霊から、クルスにしか聞こえない返答があった。
 クルスはほっとして、岩の精霊ザボンに擬人化の術をかけた。
『何の用かな、クルス』
 人間で言えば外見年齢四十代。がっしりとした気のいい岩の精霊が、森の守護者に話しかける。
 クルスはケーキ皿入り袋を地面にそっと置き、
「……このケーキをほどよい力で割ってほしいんだ」
 と頼んだ。
 いちかばちかの賭けだった。ザボンの力では、皿ごと粉みじんにしかねない――
『む』
 ザボンは眉にしわを寄せ、のろいしぐさでしゃがみこみ、
『しばし待たれい』
 ケーキの硬さをたしかめた。そして、
『ふむっ』
 ばきぃっ
 ザボンの拳がケーキの中央に命中し、ケーキがぼきぼきに割れる。
 ――どこの世界に『ばきぃぼきぼき』なんて音を立てて割れるケーキがあるんだろう、とクルスはぼんやりと考えた。
 ……あ、ここにあるのか。
 ケーキは袋に入れっぱなしだったために散らかっていない。クルスはザボンに礼を言い、彼の擬人化を解いて小屋へ戻った。
「遅かったな」
 ラエルはのんびりとお茶を飲んでいた。
 クルスはラエルの弟の手紙の続きを読む――

 『Aお茶かコーヒーに投入。そのまま暫くお待ち下さい。』

「………………」
 何のためかは想像がつく。
 お茶はちょうど用意されている。クルスはだんだん悪化していく頭痛にも負けず、お茶の中に割れておかしな形になっているケーキを投入した。
 後ろで、「おお」とラエルが驚いたような声を出す。
 振り向くと、
「うちの弟もよく私のケーキをコーヒーに入れていた。お前、弟とそっくりだな」
 どうやらラエルは、自分の持ってきたケーキに弟からの手紙が入っていたことに気づいていないらしい。
「………」
 クルスはラエルの弟の顔を思い浮かべる。
 そして、心の中で「苦労してるんだね」と慰めるように声をかけた。

 『Bふやけた頃を見はからって食して下さい。』

「……ふやける?」
 クルスはぼんやりと、お茶に放り込んだケーキを見つめる。
 フォークでつんつんとつついてみたりもした。
 ――ふやける様子がまったくない。
 というかそもそも、なぜこのケーキはグラスの底に沈んでいるのだ。ケーキとは空気を入れて作るものではないのか。
 クルスははっと閃いた。
 これはもしや新世界が開けた瞬間か……!?
 重くて硬くて水分の中に入れてもふやけない、新しいケーキを食するありがたい機会をいただけたのか……!?
 瞬間、ずっと続いていた頭痛が消えた。
 クルスは振り向いてラエルの元へ行き、がっとその手を取った。
「ありがとう、ラエルさん」
「む?」
 ラエルはお茶を片手に不思議そうな顔をする。
 クルスはしみじみと、
「新しい世界を知るのは僕としても本望……感謝するよ」
「何を言っているんだ?」
 そう言ってラエルは――
 クルスが岩の精霊に頼んで砕いてもらったケーキに手を伸ばし、
 そのひとかけらを手に取った。ゆっくりと口に運ぶ――

 ガリリィッ!
 ボキッ!

 ……ぽり ぽり ぽり

 ラエルは、食べていた。
 あの超絶に硬くて重いケーキを、食べていた。水でふやかすことさえせずに。
 どこの世界に『ガリリィッボキッ』なんて音のするケーキがある?
 そう、それは新世界にある!
「世界が開けたよ……」
 まるで悟りを開いたかのような口調で、クルスは言った。
 お茶にひたしてあるケーキのほうは、ほんのちょこっとだけ、ふやけたようだった。ケーキナイフが刺さったときのように、ほんのちょこっとだけ。
 クルスはケーキを取り出した。
 取り出しながら、ラエルの弟からの手紙の末文を読んだ。

 『もしこれでダメだったら……無理しなくて良いからね』

 クルスはケーキを口に運ぶ。

 ぼきっ

 ……あごが痛い。
 懲りずにばきっ。
 ……やっぱりあごが痛い。
 懲りずにさらにばきっ。
 ……頭まで痛くなってきた。

「新世界の扉を開くということは……いつだって痛みをともなうものさ」
 ふ、とクルスは遠い目をした。
 無理をしているわけではない。決してない。
 ……多分、ない。
 ふと暖炉のほうを見ると、暖炉を形作っているレンガが見えた。
 ――レンガを食べると、こんな感じかもしれない、とクルスは思った。
 そうしてラエルとクルスは、パウンドケーキ(別名甘いレンガ)をふたりで食べきった。ラエルは当たり前のように。クルスは新世界に慣れるために。
 食べ終わるころには、頭ががんがんと痛かった。
「気に入ってもらえたようだな」
 ラエルはクルスの食べっぷりに上機嫌だった。「また作ってきてやる」
「……ひとつだけ聞かせてもらっていいかい……」
「なんだ?」
「キミはたしか既婚者で、お子さんもいると聞いた……。旦那さんたちにも、こんなケーキを食べさせていたのかい」
 するとラエルは眉間に指を当てて、
「それがな。やつらは私がケーキを作ると決まって虫歯があるから甘いものは食べられないとぬかすんだ。まったく、自己管理がなっていない」
 ぶつぶつとぼやいて、ラエルは「夫に限らん! 私の家族は虫歯だらけだった!」とのたまった。
 新世界からの、素敵な逃げ口上だとクルスは思った。

 そうして――
 山桜ラエルは、家に帰っていった。
 クルスはふうと息をつき、「歯が欠けてないかな」と自分の口の中を舌でたしかめる。
 一年中消えることのない暖炉の炎がぼうと揺れ、
『……今日のお前、変だったぞ、クルス』
 暖炉の精霊グラッガがつっこんできた。
 クルスは遠い目をして、
「たまには我を忘れないと、人付き合いはできないんだぞ、グラッガ……」
 ははは、と乾いた笑いをもらした。

 新世界の扉を開けること。それはすなわち自我を忘れること。
「学ぶことが多かった」
 腕を組んで、クルスは上を向いた。
 何もないいつも通りの木の天井が、いやにありがたかった。


 ―Fin―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【3177/山桜 ラエル/女/28歳(実年齢36歳)/刑事】

【NPC/クルス・クロスエア/男/25歳(実年齢不明)/『精霊の森』守護者】

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■         ライター通信          ■
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お久しぶりです、笠城夢斗です。
今回は大変面白いプレイングをありがとうございました!クルスの反応が知りたいとのことでしたので、クルス視点にしてみましたが、いかがでしたでしょうか。
少しでも楽しんでいただけますよう……
よろしければ、またお会いできますと嬉しいです。