<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


『オウガストの絵本*−人魚姫とお茶を−』


< 1 >

「今、お茶を入れますね。紅茶より中国茶の方がいいのかな?」
 敬語と普段使いの言葉を混在させて、部屋の住人・詩人のオウガウトは尋ねた。相手は年下と思える若い娘なのだが妙に落ち着きが有り、どんな話し言葉が適当か迷ったせいだった。
「どちらでも結構だ」
 ソファに深く腰掛けた翠嵐は、ドレスのスリットから伸びた足を組み換えると、薄い唇をろくに動かさずに愛想なく返事した。怒っている様子はない。こういう物言いの娘なのだろう。まっすぐに切り揃えた黒い髪が、小刀の刃のように頬の横で揺れる。

 翠嵐は、元は鉄扇・・・長い年月を経て命を宿し、ヒトの形へと変化した物である。ソーンへ迷い込んでからは武器へと姿を戻したことはない。だが、自分が暗器であることは、片時も忘れたことはなかった。
 ソーンには不思議な者たちが集う。自分に似た境遇の者がいるかもしれないと、有名な魔女・ダヌの家を訪ねた。
 しかし、ダヌは不在であった。隣のアパートメントに住むオウガウトが翠嵐を見つけ、「部屋で待つといいですよ」と招いてくれたのだ。

 居間のテーブルには、包装を解かれたばかりの数冊の絵本が乱雑に置かれていた。手描き手作りの一冊ものの絵本だ。
「さる富豪の依頼で作った、物語に入り込める絵本です。でも、ダヌから貰ったインクで書いたら、それがどうもマジック・アイテムだったようでね。読む人によって話が変わってしまう。不良品だと、返品されてしまいました」
 異世界から持ち込またお伽噺たち。それらをオウガストなりに書き直したと言うテーブルの上の絵本は、表紙絵を見ているだけでも楽しかった。
「へえ・・・」
 翠嵐は何気なくその中の一冊を手に取った。
「気に入った本があったのかな?どうぞ暇潰しにお読みくださいな」
「ああ」と翠嵐は頷いて、『人魚姫』の表紙をめくった。


< 2 >
 
 朝一番に、翠嵐はその娘の為にお茶を入れる。何故なら、この娘付きの侍女だからだ。
 娘の身の回りのあれこれをしてやるのが、翠嵐の仕事だった。お仕着せの白いエプロンは胸が窮屈で、家政婦の仕事は退屈だ。
 本来、翠嵐が娘付きになったのは『護衛』目的であった。だが、城の建物から少し遠い庭の離れで暮らす娘に、未だに刺客が訪れたことはない。
 この娘は、王子の36人目の恋人だ。きっと刺客も娘のことは忘れているのだ。当の王子だって、忘れているに違いない。
「お茶、熱すぎたか?」
 娘は一口飲んだ後、もうカップに唇を近づけなかった。翠嵐の問いに、娘は金色の豊かな髪を揺らして、首を横に振った。そして鼻の頭に皺を寄せ、顔をしかめてみせた。
「苦すぎたのか?」
 うんうんと、笑顔で頷いた。
「そうか、すまん。まだ茶を入れるのに慣れん」
 翠嵐はにこりともせず、紅茶を入れなおす。侍女の方が偉そうな口調である。娘は椅子にかしこまって、新しいお茶が入るのを待っている。

 娘は口がきけない。
 翠嵐は寡黙な女である。
 部屋には、娘がカップをソーサーに置く音が時々するだけだ。レースのカーテンが風で擦れる音、駕籠のカナリヤの声、庭の池に木の実が落ちる水音。
 一日は、ゆっくりと時間が流れ、そしていつもあっという間だった。
 翠嵐は愛想は無いが、気が効かないわけではない。娘が言葉にしない要望の数々を察し、尋ねると、たいてい当っている。娘は耳は聞こえるのだ。
 きちんと娘を観察していると、言いたい事がわかるようになった。
『お腹が空いた』
『寒い』
『暑い』
『喉が乾いた』
 人間とは突き詰めればシンプルなものだ。

 侍女同士で話をすると、王子の他の恋人達はもっと色々要望が多いという。侍女達は、お嬢様に付き合って、もうくたくただと愚痴をこぼす。
『あれをしろ、これが欲しい、あれは気に入らない、これには腹が立つ』、口がきけるお嬢様達の方が、人生に不満が多い。
「そうか。大変だな」
 翠嵐としては本気でねぎらったつもりなのだが、その物言いが侍女仲間を怒らせてしまった。

 王子の35人の恋人は、離れでなく城の中に部屋をあてがわれている。
 王子は、王が老いてから生まれた一粒種で、唯一の直系の後継者である。隣国の姫と国益の為に結婚予定であるが、姫がまだ11歳なので挙式はあと2年後であった。姫が嫁いで来ても、王子の子供を産めるのはもっと先の話だろう。
 二十代の王子には、35人の恋人との間に9人の娘と3人の息子がいる。正妻が男子を産む前に王子が亡くなると困るので、保険として子供を作っているらしい。
 王子の跡継ぎを産むと恋人の地位は高くなる。跡継ぎは少ないほど有利。恋人の数も、少ないほど有利。恋人たちのバックには我が国や近隣諸国の貴族やら政治家やら富豪やらの思惑が蠢いている。恋人達に刺客が差し向けられることもしばしばだった。
 そこで、翠嵐のような、護衛能力メインの女が侍女として雇われることになる。
 侍女としての能力には疑問が残る翠嵐だが(いや、もともと侍女ではないし)、娘は自分のことは自分でやるので、翠嵐の仕事はあまり多くない。
 漁村で海女をしていた身寄りのない娘だそうだ。舟遊びではしゃいだ王子が海へ落ち、それを助けたのがきっかけだと聞いたような気がするが、「王子を助けた娘に酷似していた」だったのか、「助けた娘と同じ村に居た美しい娘」だったのか、色々な噂があって翠嵐も詳しくは知らない。本人は話ができないし、王子に聞くわけにもいかない。それに、翠嵐もあまり興味が無いのだった。
 王子はこの離れには来たことはない。恋人と言っても、助けて貰った礼に引き取っただけかもしれない。城内に住まわさなかったのは、この娘は別と考えたのか。それとも、美しいから連れて来たものの、言葉の通じない娘相手ではつまらないのか。どのみち35人も恋人がいれば、忙しくてここを訪れる暇なんぞないだろう。


< 3 >

 窓から外を眺めていた娘が、『寒い』と言ったような気がして(もちろん声は発していない)、翠嵐はショールを肩にかけてやった。娘は微笑して唇を動かす。これは『ありがとう』だろう。窓辺のカナリヤがチチチと歌った。
 秋が深まり、娘は外を見る時間が長くなった。窓の外には造り物の四季が広がる。色づいた木々はどこかの山から移植させたものだった。
「そろそろ夕方だ。冷えて来た。窓を締めた方がいい」
 娘は、侍女の命令のようなアドバイスを素直に受け入れ、窓を閉じると食事用のテーブルに着いた。
『お腹が空いた』
「今日はまだ下男が夕食を届けに来ない。もう少し待ってくれ」
 娘は不服そうに唇をつきだし、翠嵐は苦笑した。
 三度の食事は、城で作られ運ばれて来る。少し待つとドアをノックする音がした。
 翠嵐はチェーンをしたまま細く扉を開ける。いつもの下男と目が合った。

 夕食のトレイをテーブルに置いた翠嵐は、下男からの言い訳をそのまま娘に伝えた。
「城で騒ぎがあって遅れたそうだ。14番目の恋人の食事に毒が盛られていたらしい。毒味係のところで発覚し、事なきを得たそうだがな」
「・・・。」
 娘の食事も、必ずカナリヤに毒味させている。カナリヤが人間の食べ物を好んで食すわけもないので、翠嵐が毎回指で頭を抑え、嘴から無理矢理押し込んで飲み込ませるのだ。カナリヤは金切り声を挙げて抵抗するが、指を離した3秒後には全てを忘れて涼しく歌っている。
 この時、娘はいつも、耳を抑えて下を向く。鳥に厭な思いをさせていることがつらいのか、それとも、自分の代りに命を落とすかもしれない鳥を哀れんでいるのだろうか。
 そして娘も3分後にはそれを忘れたように、笑顔で夕食をほおばっている。
『おいしい』
 この娘はなぜここに停まるのか。この娘は幸福なのか。翠嵐は知る由もない。

 翠嵐も夜は隣室のベッドで横になった。人間では無いから食事も睡眠も要らないのだが、娘がリラックスできるように翠嵐は別室へ移るようにしていた。
 眠らない翠嵐の耳に、戸外の木枯らしの音がうるさくまとわりつく。細い枝は折れて散らばっているかもしれない。明日の庭掃除は、枯葉と小枝が山と出るのだろう。
『殺セ』
 ・・・?
 風に混じって声が聞こえた。いや、違う、人の声としての『音』ではない。『気』として翠嵐が感じ取ったモノだ。
『殺セ』
 翠嵐は殺意や殺気には敏感だった。誰が何の為に発した『気』なのか。
『殺サネバ、オ前ガ死ヌ』
 隣室で何かが壊れる音がした。翠嵐はランプを手に、急いで娘の寝室へ飛び込んだ。
 娘は床に伏して耳を塞いで震えていた。ベッドサイドのランプを誤って割ってしまったらしい。暗い光りの中で、床に転々とガラスの破片が光った。
 娘は翠嵐と灯りに気づいて顔を上げ、やっと安堵の表情になった。娘にもあの声が聞こえたのか、それとも。
「風が強くて怖くなったか?これぐらいの風で、この小屋はびくともしない。
 寝つくまで私が付いていよう。ガラスは夜が明けてから片付ける」
 まだ寝足りない真夜中のことで、娘はベッドに戻るとすぐに寝息をたてた。

 翌朝は昨夜の嵐が嘘のような晴天だった。翠嵐は、娘が起きる前に庭の掃除を始めた。予想通り枯葉は芝を覆い尽くし、折れた枝は池に落ちて散乱していた。秋の草花の茎は折れ、花びらは散り、壁や幹に激突して死んだ虫の死骸も転がっていた。
 やれやれ。これは、朝のお茶までどころか、昼食までに終わるかどうか。
 舌打ちしつつ必死に枯葉をかき集める翠嵐の横を、娘が軽やかに通りすぎた。
「朝の散歩か?」
 娘は嬉しそうに頷いた。いい天気だし、気分転換にもなるだろう。
「昨日の毒混入事件のこともある、あまり遠くへ行くな」
 再び娘は頷く。
「あ、その格好では寒いだろう。ショールを持って来てやる」
 翠嵐が箒を幹に立てかけ、急いで室内からショールを持って出てくると・・・もう娘はいなかった。
「しょうがないな。風邪をひいても知らないぞ」
 散歩から帰ったら、体はすっかり冷えていることだろう。すぐに暖かいお茶が飲めるように、準備しておいてやろう。

 そして娘は、もう、この小屋へは戻っては来なかった。
 敷地内からも領地からも娘の死体は見つからなかったので、事件や事故の可能性は薄かったが、翠嵐は解雇された。娘の失踪は確かに翠嵐のミスであり、謝罪し頭を下げた。が、メイド長には翠嵐の口調が気に入らなかったらしい。よけいに怒らせてしまった。
『きっと、村に戻ったのだ。こんなところ、馬鹿らしくて、いつまでも居られるものか』
 翠嵐も自分の荷物をまとめ、小屋を出た。
 まだ折れた枝が残る池に、一粒、二粒、綺麗な泡が昇った。
 今日も35人の恋人達は、飽きもせずに王子の心を奪い合い、攻防を続けるのだろう。赤く染まった葉が、ひらりと一枚、池に落ちて浮かんだ。

< END >


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
3397/翠嵐(スイラン)/女性/24/異界職(鉄扇の付喪神)

NPC 
オウガスト
娘(人魚姫)

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■         ライター通信          ■
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発注ありがとうございました。
侍女兼護衛の翠嵐さんから見た、人魚姫の物語でした。