<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


ただひとつの勇気のために

 彼女を迎えた森はいつも通りに優しく穏やかで――力強く。
 千獣はそっと天を見上げた。
 木々に遮られて差し込んでくるだけの日光。
 ――自分はあんなに美しく在れるだろうか。

「おはよう、千獣」
 朝一番で精霊の森に来た千獣にも、嫌な顔ひとつせず森の守護者は出迎えてくれた。
 眼鏡の奥、森の色と同じ色彩の瞳を持つ彼。クルス・クロスエア――
「どうしたんだ? ファードに用かい?」
 千獣は小さく首を振る。
 それからじーっとクルスを見つめた。
「?」
 クルスは千獣に近寄り、その視線を疑問符を浮かべながら見返す。
 ――ぽふっ、と。
 千獣は彼の胸元に額をつけた。
「千獣?」
 彼の自分の名を呼ぶ声は優しく……
「……いっぱい、あった……」
 千獣はたどたどしく言葉をつづる。
「言おうと、思ってた、こと」
 ――たとえば、ファードのことでクルスに八つ当たりしたこと。
 ……謝りたかったこと。
 ――たとえば、クルスが自分の知らない黒魔術を使っていたこと。
 ……知りたくて苦しくてたまらなかったこと。
「いっぱい、あったんだけど……」
 ひとつ息を吸って、吐いて。
 あれこれ考えているうちに、言葉が出なくなって。
 否。
 ひとつだけ――ある。

 今、この胸にあるたしかな言葉はただひとつ。

 ――でも、その前に。

 千獣はぎゅっとクルスに抱きついて、
「……これから……私の、中の、子達……私が、牙に……爪に……かけて、きた……獣、たちの、記憶……見に、行って、くる」
「千獣……」
「……その、あとで、ね……クルスに……伝えたい、言葉、ある……」
「………」
「……ちゃん、と、伝え、られる、か、わから、ない……受け、とって、もらえる、かも……わから、ない、けど……」
 千獣はたよりなげな赤い瞳で、青年の森の瞳を見上げた。
「それ、でも……聞いて、くれ、る……?」
「………」
 クルスは無言で、ただ抱きしめ返した。
 千獣の体に熱が移る。青年のたしかな体温。たしかな鼓動。
 彼は千獣と同じように、人間でありながらまた人間とは違う存在。
 森の中で、ひとりきり精霊たちを護ってきたひと。

(もう、ひとり、には、させない……)

 そう誓って。どれくらい経つだろう。
 心にあふれる言葉はそれだけではなくなった。
 いつの間にこうなったんだろう。
 いつの間にそうなってしまったんだろう。
 けれど……

(いや、じゃ、ない)

 彼に告げたい言葉がある。だから自分はここにいる。
 彼に告げたい言葉がある。でもその前に、やらなきゃならないことがある。
 彼に告げたい言葉がある。彼の顔をしっかりと見ておいて。
 勇気をもらって。
 強くなって。
 そして一度彼の胸から離れよう。
 やるべきことを満足のいくまで行って、
 そして彼の胸へ戻ってこよう。

「……千獣……」
 か細い声が、聞こえた。
 はっとして千獣が顔をあげると、
 そこにひどく頼りない青年の顔があった。
「キミは……本当に帰ってきてくれるのか……?」
「―――」
 驚いた。まさか、彼がそんなことを言うなんて。
 抱きしめる腕に力がこもる。まるで千獣を放すものかと言いたげに。
「俺は怖いよ。キミが知ろうとしていることが分かるから……怖いよ」
「クルス、が……? どうして……」
「キミが傷つく……ことがじゃない」
 青年はうなだれてつぶやく。「そんなことじゃない……キミはそれを覚悟で行くのだろうから」
「……傷、つく……」
 千獣は青年の背中に回していた手を片方はずして、青年の顔に手を当てた。
「……じゃあ、なに、が、怖い、の?」
「――すべてを知って、キミが俺から離れていくことが」
 言って、クルスは苦笑した。
「卑怯だな。……俺も色々隠していたことがあったのに」
「隠し、て……」
 はたしてそうなのだろうか。彼は、自分に隠しごとをしていた?
 ――ううん、きっとそうじゃない。必要がないから見せなかっただけで。
 隠していたつもりはきっとない。だって必要なときは平気でその姿を見せていたから。
 ――自分が獣の姿になれることを意図して隠していたのとは……違う。違うはずだ。
「クル、ス。クルスは……違う」
 首を振って千獣は否定した。
「何も、隠して、なかっ、た。……隠す、つもり、なかっ、た……」
「………」
 クルスがそっと自分の頬に触れる千獣の手に自分の手を重ねる。
「キミはいつも純粋に、俺を信じてくれるんだな」
 ずきりと、胸に痛みが走る。
「……信じちゃ、だめ、なの……?」
「……いや」
 クルスはゆっくり首を振った。「俺は、キミには勝てないから」
「………?」
「キミの前では嘘をつけないから。だから」
 ――緑の瞳が、苦笑した。
「キミの前で正直な自分が出るたびに、俺のほうが嫌われるんじゃないかと冷や汗だよ」
「私、が……」
 ――自分が、この青年を嫌いになる?
 そんなことがありえる? ありえた?
 いつだって胸を熱くする彼に、もどかしさを感じたのは真実だけれど、
 それは『嫌い』という言葉ではなかったはずだ。

 言いたい言葉は、それではない。
 だから。

「クルス、も、私、信じて、いい……よ」
 そうつぶやいたら、背中に回っていたほうの彼の手に力がこもった。

 ――信じていいよ。
 ――本当に?
 ――『帰ってきてほしい』という彼。
 ――大丈夫だよ。
 ――本当に?

 怖いのは、自分じゃなかったっけ。
 こんがらがる想い。交錯した想い。
 こんなことが起こるのは、大切すぎるから。

 今から行く場所で、自分は深く傷ついてくるかもしれない。
 ひょっとしたら、もうこの青年とは会えないと思うかもしれない。
 否。
 それほどに傷ついても、やっぱりこの青年には会いに来るのだろう。
 癒してほしいからじゃない。
 そういうことじゃない。
 聞いてほしい言葉はきっと、傷ついても消えない。

 だから。

 この胸をうずかせてやまない言葉を告げるために。
 自分は必ず帰ってこよう。必ず。必ず……

「帰って、くる、よ……」
 微笑んだ。
 こんな顔をすれば彼も喜んでくれること、最近になってようやく分かった。
 彼の微笑が帰ってくる。
 自分も彼のそんな顔が大好きで。

「信じて」

 なぜだろう。その言葉だけははっきり発音できた。

 それを聞いた彼は――少しだけ、笑った。
「そうか……」
 くしゃり、と自分の前髪を乱して。
「キミが頑張るなら……俺も、頑張らなきゃいけない。そうだよな」
 彼が見上げたのは木々。千獣も大好きな森の木々。
「ファード……そうだよな」
 ザボン、グラッガ、ウェルリ、マーム、セイー、ラファル、フェー……
 森の精霊ひとりひとりの名を呼んで、彼は目を細める。
 ……彼も、心弱ることがあるんだ。千獣は改めてそう思う。
 そして、そんなときは自分がそばにいたいと。いてあげられたらいいと。
 精霊たちだけでなく、自分もそばにいたいと。
 そんな存在になりたいと。

 だから。
 自分は一度、彼から離れよう。
 大切なことをひとつ、たしかめに行くために。

「信じているよ」
 彼は言った。
 ――その言葉を、糧に。

 とん、と彼の体を押した。
 抵抗なく、彼はそっと腕を放してくれた。
「頑張っ、て、くる、ね……」
 囁いた言葉に彼は。
 優しい口付けで返してくれた。

 青年と離れて、精霊の森をゆっくりと歩き出す。
 背後から、たたずんだ青年の優しい視線を感じる。
 森のこずえがさやさやと鳴る。
「ファード……」
 森をつかさどっている、大好きな大好きな精霊の名を呼んで、千獣は木々を見上げた。
「ファード……私、間違って、ない、よ、ね……」
 さわ、さわさわ
 こずえの音がその応え。
 優しい音がその答え。
 胸に手を当てた。この体にいったいいくつの獣がいるのか、もはや自分も分からないけれど。
 そんなことを知ろうなんて、思う日がくるとは思わなかった。
 その彼らのことを知るために、千獣は森を出る。街を目指す。
 長い長い間、ともに過ごしてきた獣たちと向き合うために……


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【3087/千獣/女/17歳(実年齢999歳)/獣使い】

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■         ライター通信          ■
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千獣様
いつもありがとうございます、笠城夢斗です。
今回は分岐点となるノベルで緊張しました。あえて必要以上の情報をいれずに書いたため短くなっておりますが……いかがでしょうか。喜んでいただけますよう。
よろしければまた、お会いできますよう……