＜聖獣界ソーン・ＰＣゲームノベル＞
記憶の欠片、歩き出すための道
「こん、にち、は」
背後から声をかけると、ルガート・アーバンスタインは飛び上がって驚いた。
「ははは、はいっ！？」
慌てて振りむく。千獣はきょとんとした顔でルガートの顔を見た。
長い黒髪に赤い瞳。体中を呪符を織り込んだ包帯で包んでいる――それが千獣。
「あ、なんだあなたは――」
ルガートは、その少女が見覚えのある人間であることにほっとしたらしい。
「あの……くおれ、の人、いる？」
千獣は先だって色々と話をした少年のことを口に出す。
ルガートは――困った顔をした。
「フィグっすか……困ったな、ひょっとして記憶覗き目当てで？」
ルガートが千獣の顔色をうかがうように言ってくる。
千獣はこくりとうなずいた。
ルガートはますます困った顔になり、
「どうしたもんかなあ……」
腕を組んで視線をさまよわせた。
「どう、した、の？」
千獣は問う。ルガートが「いやね」とくせっ毛の赤髪を乱しながら顔をしかめた。
「フィグのやつ、もう記憶覗きはやらないとか言い出してて……」
「え……」
千獣は眉を寄せてルガートに迫った。「それ、じゃ、困る……」
「俺も困ってるんすよ。依頼をのきなみ断らなきゃいけなくなってて」
「………」
千獣は――
ある大きな決心をして、ここに来ていた。
通称『クオレ細工師』ことフィグが、その仕事をやめたからといって、このまま帰る、とは絶対に言えない。
「……じゃあ、」
千獣はルガートの手を取った。
「せめて……一回、会わせ、て。話、だけ、でも、させ、て」
「………」
千獣の赤い瞳の必死さに、何を見出したのだろうか。
ルガートは苦笑して、
「分かりました。――何も起こらないといいけど」
と千獣の手を握り返した。
ルガートが管理している『倉庫』の地下室に、フィグの部屋はある。
千獣は久しぶりにここに足を踏み入れたが、記憶にある通りごみごみしていて汚い部屋だ。
いや――記憶以上か？
「すんません、今フィグがいつも以上に荒れてるものだから……」
ルガートが小さな声でぼそぼそと伝えてくる。
「……誰が荒れてるって？」
そんな小さな声さえ、聞き取られてしまったらしい――
部屋の奥から、ルガートのものではない少年の声がした。
「あ……」
千獣は声をあげた。「くおれ、の、人」
「記憶覗きならもうやめましたよ」
ごみの山からのっそり起きだしてきた十代半ばほどの少年は、千獣を一瞥してきっぱりとそう言い捨てる。
千獣はよたよたとごみの山をこえ、少年――フィグの元へと近づいた。
フィグの黒水晶のように透明度の高い、すべてを見透かしたような綺麗な瞳が近くなる。
近づいてきた千獣に対して、それは呆れを見せているようだった。
「あなたにはもう二度も記憶覗きをやりました。どちらもいい記憶じゃなかったでしょう――今度は何をしにいらしたんですか」
「記憶、見て、ほしい……」
千獣は正直にそう言った。
「だからやめたと」
「それ、じゃ、困る……私、の、生きる、道……決める、ため、に」
「―――」
フィグは目を細める。
「……今度はどんな過去が見たいんです？」
問われて、千獣は深呼吸をした。――なぜか、言葉にするのが難しかった。
「……前、記憶、見せて、もらった、よね……」
「ええ」
「私の、記憶、見れる、なら……私の、中に、いる、獣、の、記憶も、見れる……？」
後ろで聞いていたルガートが目を見張る。
フィグは片眉をあげる。
「何のために？」
「……見ても……何も……変わら、ない……と、思う……でも……それでも、いい……」
千獣は胸に手を当てる。
「……これから、も……生きて、いく、のに……知りたい、だけ、だから……」
胸の奥。どくんどくんと鼓動が高鳴っている。
包帯に巻かれた体の中。大量の獣が猛っている。
何年も、何十年も、何百年もともに生きてきた彼ら。
――その心を、知ることができるなら知っておきたい。
「……見せて、もらえる……？」
千獣は、ともすれば迫力だけで負けてしまいそうなフィグの黒い瞳を、それでもまっすぐ見つめた。
「………」
フィグは天井を見た。しばらくの沈黙――
「……記憶を見るのは、好きじゃない」
「………っ」
「人の苦しみも一緒に味わうことになる」
「いぐ……？」
相変わらず『フィグ』と発音できない千獣に、フィグは苦笑した。
「意図していなくても、気をぬけばすぐ近くにいる人間の記憶が飛び込んでくる。それが当たり前のことだった。――今まで」
だから――
こんな汚い地下室にひとり――
必要がないなら、誰も近寄らせずに――
フィグは天井から、視線を千獣に戻した。
「あなたは」
黒い瞳が鋭い光を放つ。
「自分が当たり前だと思っていた苦しみと、立ち向かおうというんですね」
「……苦しみ、だと、思っ、て、いなかっ、た……」
否――
苦しみ、という言葉さえ、最近まで知らなかったのかもしれない。
呪符をほどけば出てくる獣たち。それがおかしいとさえ思っていなかった、この町に来るまでは。
この町で多数の冒険者たちと出会うまでは。
それが、今までの価値観が、どんどんと覆されていって――
否。それまでの千獣に『価値観』などなかった。
この町に来てようやく、千獣ははっきりと「ひとりの人間」として確立したのだ。
「ねえ、獣、たちの……この、こ、たち、の……記憶、見て、もらえ……ない……？」
「………」
フィグは立ち上がった。
ルガート、と友人の名を呼ぶ。
「お、おう？」
「何焦ってるんだ。椅子を持ってこい」
「――おう！」
ルガートが嬉しそうな声を出して部屋の隅に走っていく。そこに、いつも記憶覗きをするときに客を座らせる椅子があるはずだ。
ルガートはものすごい勢いで椅子を持ってきた。
「どうぞ」
フィグは千獣を座るように促した。
「本当は、多重人格と同じでもう片方の記憶を見るためにはもう片方の姿で来てもらわないと見えないんですがね――あなたは獣の記憶が見たくても、あなた自身がその記憶を知りたいわけだから……」
うまく行くかどうか分かりませんが、とフィグは少し伏せ気味の目で言った。
「――腕だけ、獣化させてください。それで獣たちの記憶をあなたにも見せることができるかもしれない」
千獣はほっとした。椅子に座り、腕の包帯を解きながら、しかし怪訝に思ってフィグを見上げる。
「どう、して、やって、くれ、る……気に、なった……の」
「―――」
フィグはつぶやいた。
「俺自身の答えにつながるかもしれないからですよ」
千獣の右腕が、今まで幾度となく人目に触れさせてきた獣のものに変わる。
フィグが、その獣の腕に触れる。
――目を閉じて。
少年の優しい声に従って瞼を落とすと、急速に記憶の世界に落ちていく――
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
殺さなければこちらが殺される。
食べなければ生きていけない。
弱いものは強いものに蹂躙されて、
強いものはその地位をたもつための苦労をして、
人間の女に食われた獣たちがいた。
魔と呼ばれるものもいた。ただの小動物もいた。
喰らわれた。喰らわれた。
恐怖の中で喰らわれた。
けれどそれは、その女が生きていくために仕方のないことで。
獣は――
人間よりもずっと、シンプルに生きる。
殺さなければ殺される。食べなければ生きていけない。弱いものは強いものに踏みにじられて、強いものは頂点に君臨して。
……女も。
そのサイクルに組み込まれた、ひとりだった。
人間であるはずなのにそのサイクルに組み込まれた、ひとりだった。
否。
人間だって動物を喰らうのだから。
人間も最初から、サイクルに組み込まれていたのだ。
殺さなければ殺される。食べなければ生きていけない。
弱いものは――
強いものは――
オマエ ヲ トラエタラ
人間の女を目の前にして、虎は思った。
トラエタラ スウジツ モツ
しかし女は瞬時に異形の姿になって。
虎より先に、攻撃してきた。
一撃で終わりだった。
コドモタチガ
そんな声を最期に残したような。
けれど、喰わなければ喰らわれる。弱いものは強いものに蹂躙されるのだ。
そして女は、『強き者』としてずっと生きてきた。
――しかし。
獣たちも喰われて終わりにはせずに。
女の体の中にたしかな意識を持って巣くって、
コンナ オンナニ クワレナケレバ
怨嗟の声をあげる。
咆哮をあげる。
イヤ
ギャク ニ オマエ ヲ リヨウ シテヤル
――獣たちに人間の言葉があるはずもないのに、彼らの言葉は女にたしかに届いて。
オンナ ヨ
――私に、何か、用がある？
ナゼ ワタシ タチ ヲ クラウ
――そうしなければ、生きていけなかったから
ナラバ ワレワレ ハ オマエ ヲ ウチ カラ クラッテヤル！
獣たちは決して消えない。
喰らったものたちは欲深く次の獣を求め、暴れ、時に女の体を滅茶苦茶に苦しめる。
オマエ ハ ワレワレ ヲ クラッタ
ナラバ ワレワレ モ オマエ ヲ クラウノミ
内側から内側から。
外から来る敵と戦いながら、内側から内側から、
猛り狂った咆哮と怨嗟の念が、
噴き出してそして彼女を包んで包んで彼女の思考を止めてそして獣が獣が
ああ――
クラワセロクラワセロクラワセロクラワセロクラワセロクラワセロクラワセロ
「「―――！」」
……ふたりの人間の、名を呼ぶ声が聞こえた。
ひとりは愛してやまない、彼女にその名を名づけた初めての人間。
ひとりは獣となった自分を人間に戻してくれた……老子。
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
千獣は我に返った。
彼女の人間のままの左手が、フィグの首をわしづかみ、
獣化した右手がフィグを今にも飲み込もうとしていた。
「あ……」
しかしフィグは逃げる様子を見せない。黒水晶の瞳で千獣の赤い瞳を射抜くだけだ。
千獣は慌ててフィグの首から手を離した。
「ごめ、ん……」
フィグの首にくっきりとついた手形。それを見て、千獣は恐ろしい気持ちになった。
途中で――大切な彼らの声が聞こえなかったら、どうなっていたことだろう。
フィグは首をさすっていた。平気な顔で。
「別にいいですよ。記憶覗きで我を失ってこんなことになるのはしょっちゅうですから」
「………」
――獣の記憶など、見ないほうがよかったのだろうか。
そう思って意気消沈した千獣に、
「千獣さん」
フィグの凛とした声が聞こえた。
「あなたの、最初の目的はなんだったんですか」
顔をあげると――
フィグの顔に、もうひとり……大切な大切な森の緑の瞳を持つ青年が重なった。
「あ……」
千獣の心が落ち着きを取り戻す。
フィグはしゅるしゅると千獣の獣の手に包帯を巻きなおす。
「――いかがでした。あなたの喰らった獣たちの記憶は」
「………」
千獣はぼんやりとした顔で人間の手に戻っていく右手を見つめながら、
「……何、も、言えな、い……」
つぶやいた。
フィグは何も言わなかった。
――彼も同じ記憶を共有したのだ。そう思って千獣は少年を見つめる。
「……今、の……私、達、は……あの人、が……言った……共存、には……ずっと、遠い……」
冒険者仲間の大男を思い出しながら、千獣は言った。
――絶対不殺。魔物も獣も人間もともに生きられるはずと彼は言った。
その言葉、この胸にどれだけ深く刻まれたことか。
――今はまだほど遠い。それは身にしみて分かっているけれど。
「……でも……諦め、ない、よ……どう、すれば、そこへ、辿り、つける、か……わから、ない、けど……」
フィグの視線を感じる。
なぜか、微笑んでいるような気がした。
「わから、ない、けど……探す……これから……探して、いく……」
まだ、道は始まったばかりだ。
知ることは、知るべきことは、大量にあるけれど。
探しに行こう……この先も、ずっと。
「……生きていきながらね……」
千獣は立ち上がった。
フィグが肩をすくめた。
「……負けましたよ」
千獣はふと気づく。――フィグの右手が、拳になり、隙間から光があふれている。
思い出した。フィグは『クオレ』を作り出せる人間なのだ。記憶から出来上がる不思議なもの――
「いぐ……何か、できた……？」
フィグは――微笑んで。
その握った拳を、天井に向けて開いた。
パァッ――
部屋中にきらきらと光る粒子が広がる。
幻想的で……美しく、また神々しく、ただただキラキラと光る世界。
「あなたは、最高の道を歩んで行くんでしょうね、千獣さん」
チラチラと光る粒を浴びながら、フィグは穏やかな声で言った。
「これ、は……？」
千獣は雪のように降る光をつかもうとして失敗した。それは掌に落ちたようで、すりぬけたようで。
「本当は凝縮して宝石の形にしてもよかったんですが――」
そんなものは必要なさそうですからね、とフィグは笑った。
彼の笑った顔など、初めて見た。
そしてフィグは、千獣を見つめて。
「これは……『いのち』ですよ、千獣さん」
「―――」
「あなたの進む道……選んだ道は、そこです」
「………」
い・の・ち
そのたった三文字が、心に何かを与えた。
光を与えた。
降ってくる光の粒にいだかれて、
千獣の頬を、涙のように光の粒が触れていって、
「いのちの……道」
千獣はつぶやいた。
なぜか胸が熱くて。今は体の中にいる獣たちも静まり返っているような気がして。
ああ、そうか――
私は、これから、
「俺も、仕事を再開します」
フィグが言った言葉に、「マジ！？」とルガートが飛び上がった。
フィグは苦笑して、
「このタイミングであなたがこんなものを見せにくるなんて……やめるなという運命でしょうね」
――私は、何か見せた――？
千獣の怪訝そうな顔に、フィグは目をそらしてまだまだ降り続ける光を浴び、
「――こんな最高のクオレは久しぶりに見ましたよ」
とつぶやいた。
こうして、千獣はまたひとりの人生を変えていく。
千獣もまた、誰かに人生を変えられた者で。
それはどんどんと連鎖していって。
そして……道となってゆく。
もう長い間外に出ていないというフィグとともに地下室を出て、倉庫を出た千獣は、太陽の光に目を細めた。
「……まぶしすぎるな、太陽の光は」
「そう……？」
フィグの言葉に小さく反応すると、
「太陽の光を浴びられる。だからあなたはこの道をいけるんでしょう」
「………」
千獣はまっすぐ前を見る。
もう間違えない。
何が待っている？ 何がそこにある？
私の歩むべき道、そこは――
私の進むべき道、その先は――
まだまだ知らないことがたくさんあることが嬉しいなんて、思いもしなかった。
見つける楽しみを、知ってしまったから――
―ＦＩＮ―
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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【整理番号 ／ ＰＣ名 ／ 性別 ／ 年齢 ／ 職業】
【３０８７／千獣／女／１７歳（実年齢９９９歳）／獣使い】
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■ ライター通信 ■
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千獣様
いつもありがとうございます、笠城夢斗です。
納品が遅れて申し訳ございません。
今回は連作ということで、獣たちの視点も入れると……難しかったですｗでも書かせていただけてとても光栄でした。
よろしければまたお会いできますよう……
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