<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


【楼蘭】菊・屍抑





 一人の男が印を構える。

………ボッ…

 一瞬にして燃えて消える菊の園。
「師父が残したこの最後の僵屍があれば……!」
 男はその場で狂ったような高笑いを響かせる。

―――王に! 私こそが王に!!

 しかし、その声は燃える菊の炎によって、かき消されていった。





 蒼黎帝国が首都楼蘭の星稜殿。
 宰相の月・凛華は苦渋に眉をゆがめた。
 国外れの村が一つ壊滅しのだ。
 僵屍によって壊滅したと思われるその村には死した人の姿は1つもなく、言い伝えの通り僵屍に殺されたものは僵屍になるという理に則り、他の生きる人を求めその場を去っていったのだろう。
 その村は一面の菊の花の園が有名な村で、時期になると小粒から大粒多種多様な菊がなぜか一斉に咲き誇る不思議な場所だった。
 それが一夜にして焼き払われ、そして次の晩に村は壊滅した。
 凛華は星稜殿の重い書庫の扉を開け放つ。
 言い伝えだけが残る僵屍の資料を求め、凛華は書庫を歩く。
 そして、書記約800年前―――
 凛華は手にした巻物の紐をその場で開け放つ。

『使用做反魂法人,朔有(反魂法を使いし者、朔にあり)
 把名,稱為道師(名を、道師と言う)』

 短い。
 本当に短いけれど。
 明らかにこれはあの僵屍を作る事ができる者の事を指しているのだろう。
「…………」
 凛華は手早く巻物を元の状態に戻し、書庫から出た。
「至急朔に書簡を送るのじゃ! 式でも構わぬ!」
「是!」
 事は緊急を有する。体裁など構っていられない。凛華は巻物を握り締めぐっと唇をかみ締めながら、星稜殿が本殿へと早足で歩を進める。
 道師と書かれている以上、これは完全に兵士達ではなく、自分達仙人や本業である道師でなければ対処できない。
「だれぞ助力を…っ」
 基本的に自由奔放に生きている仙人を捕まえることなど難しい上に、人々のことなど無関心な仙人も多い。
 凛華は危険を承知で力ある異国の旅人に助力を求めた。





 額に楼蘭の璽印を頂く、人にならざる少女にしか見えぬ者が、恭しく頭を下げる。
 仙人たる楼蘭の宰相より送られてきた“緊急の書簡”。
 朔の―――陽の皇帝である、陽・槐王は話を咀嚼するように小さく頷きながら話を聞く。
 しかし、陽の者達は楼蘭からの訴えに難色を示す。
 なぜならば僵屍を作成する術は、陰の邪法であるから。
「分かった」
 そして槐王は隠密機動隊の郭・向を向わせる事を約束する。
 その決定に、城内が一瞬ざわめく。
 この人が両国の国交を頭に入れて結果を出したとは思い難いが、何にせよそういった思惑が働いた事は確かなように見えた。





*****





「なんともまあ、大変なことになってしまいましたね」
 人々が忙しなく駆け回る星稜殿内で、山本建一は緑の髪に緋色の瞳という絶世の美女とも言える様な女性と顔を突き合わせていた。
 両国に足を踏み入れた事があり、かつ加えてそう美女こと宰相の凛華とも顔を合わせたことがある建一は、こうして星稜殿内を歩いていても怪しまれる事は余り無かった。
「大変などという程度ではない」
 もしこれが蒼黎帝国中に広まれば、この国は混乱の坩堝へと変わるだろう。
 どこか疲弊した凛華の面持ちに、建一はすっと頭を下げ告げる。
「失言でした」
「いや、助力を借りたいと申し出た身、力を貸してもらえるだけで助かる」
 凛華は机の上に書庫から引き出しておいた資料から、数点を建一に手渡す。
 楼蘭に残されている僵屍の情報は朔の道師が行う反魂法という情報しかない。
 けれど、朔に赴いた事がある建一ならば、何か情報を知ってはいないかと思ったからだ。
「流石に我が国に道師は居らぬ」
 それでも、流石に仙人の部隊を作るのは無理だが、仙人予備軍である道士で編成した部隊を至急手配することは出来るだろうという事。そして、その間に、何とか僵屍たちを一箇所に留めておいて欲しいと言う物だった。
「瞬には、別の御仁が向かってくれたが……」
 果たして手を貸してくれるだろうか…と、凛華は傍らの机に手を付いて、もう片方の手を軽く額に当てて深く長く息を吐いた。
「瞬さんが何か知っているのですか?」
 建一は資料に落としていた視線を上げて、小首を傾げ凛華を見る。
「いや、何も知らぬじゃろうて」
 それでも彼がこの国一番の薬師であることは事実。
「資料には一通り目を通しましたので、そろそろ向かおうかと思います」
 杖を手に歩き出した建一に、凛華は今回手を貸してもらえる事になった2人は、各々別の場所にいるため、まず合流してほしい、と告げる。
 建一はその言葉を受け、星稜殿を後にし、事の発端である菊の園の村へと足を向けた。


**


「瞬殿」
 凛華の見立てどおり、アレスディア・ヴォルフリートは、蒼黎帝国内のとある町で小さな薬棚を背に飄々と街を歩いていた瞬・嵩晃を見つけ、その背に声をかけた。
 名を呼ばれた事に瞬は振り返り、その先に立つアレスディアの姿を見て取り、「久しぶり」とその顔を綻ばせる。
「どうしたんだい? そんな難しい顔をして」
 宰相である凛華より依頼を受け、アレスディアは瞬の前に立っていた。
「僵屍の話は聞いておられるだろうか?」
 凛華が言っていた、仙人や道士は基本的に人の世界には無関心だと。だから、瞬も先だって村を壊滅させた僵屍の事を知らない可能性も考え問いかけた。
「僵屍は知っているけれど、あれはこの国のものではないだろう?」
 800年の年月など仙人にとって見れば、そこまで長い年月ではない。一度国交が途切れた時期に入ってきた情報の中に微かにあったもの、それが僵屍。だから、瞬でも知っていたのだ。
「菊の園が有名な村が、僵屍によって壊滅したのだ」
 その言葉に瞬の瞳が一瞬大きく見開かれる。
 が、それも瞬きの間の幻想に終わり、瞬の顔には何時もの微笑み。
「瞬殿ならば、浄化できると聞いた」
 アレスディアは実直すぎるほど実直な性格。言葉で誰かを動かすような事柄には向いていない。それはアレスディア自身にも良くわかっていた。
 人々を救うのが、努めであるとか、そんな説教じみた事を言っても彼は動かないだろう。だから、そのまま正攻法で、アレスディアは瞬の瞳を真正面から貫き、告げる。
「お力を、貸してほしい」
「凛華だね?」
 返事ではなく疑問で返され、アレスディアは一瞬面食らうように瞳を瞬かせる。
 それは、居場所を知らせた人物が凛華かと問うているのか、助力を請うようアレスディアに頼んだのが凛華かと問うているのか。
 返答に困っているアレスディアに、瞬はにっこりと笑顔を浮かべる。
「菊の園の村なら、私も知っているしね」
 不必要なほどに微笑んだその顔が、なぜか不思議だった。


**


 朔より遣わされた郭・向は、事の発端である村にある空き地に立っていた。
 焼けた野原。そう、ここは元々数々の菊が咲き誇る事で有名だった場所。
「郭様は菊と僵屍の関係にお心当たりは?」
 その傍らに立ち、郭の顔を見上げ尋ねたのはシルフェ。
「僵屍を作る事自体に菊はそもそも何の関係もないんだけど…」
 楼蘭という地で僵屍がどういった変貌を遂げ、どうしてこうなったのかに至る経緯を導き出すには、楼蘭に残された最古の資料である800年前から推測することは些か困難を極めた。
 この800年という間に自分たちの間に伝わっている僵屍と、ここ楼蘭にて見つかった僵屍との使役・作成法に何かしら変化が起こった可能性は否めない。呪方だけでなく言葉や技術というものは時の中で移ろいそして変化していくもの。
 伝わらずに終わった秘術があったのかもしれない。
「人を襲う以上は人の集まる場所…ですよねぇ」
 いつも絶えず微笑を浮かべているシルフェの顔に、苦渋の色が浮かぶ。
 多分、僵屍が取るであろう経路上に存在している村や街は宰相である凛華が早々に手を打って避難させているはずである。
(問題は……)
 焼けた荒野と化した菊の園を見つめ、シルフェは考える。
(わたくしが荒事に相変わらず不向きだということです…うぅん)
 シルフェは軽く首を振り、未だ元菊の園を見つめる郭を見上げる。
「襲われた方の治療法など、ありませんでしょうか?」
 もしかしたら、襲われた人々は感覚でオリジナルの居場所が解るかもしれないと思って。
 そうすれば闇雲に僵屍の一団を探すことはせずに済む。
「そうだなぁ」
 僵屍は基本的に焼くものだ。それを治療したいと口にしたシルフェに、郭は、なぜ? と、シルフェを見やる。
「いえ…、傷の浅い方でしたらあるいは、と」
 水に近い髪が風に遊ばれて軽く踊った。
「僵屍は元々陽の地に遺体を埋める事によって作るのさ。だから、仲間を増やす能力なんて元々無いはずなんだ」
 だから、僵屍と対峙するための有効な手段を教える事はできても、治療の方法というのは見当がつかないという。
 そして郭にはもう一つ不思議な事があった。それは、僵屍には道師という使役者が必要であり、件の僵屍にそれらしき人物が見当たらないという事。
 郭と共に、シルフェは焼け野原を見つめ思う。
(何が切欠で僵屍が現れたのでしょう)
 菊と僵屍と焼けた野原。菊を燃やしたのは―――誰?



***



 シルフェと郭は近づく足音に気がつき、ゆっくりと振り返る。
「これは酷い……」
 2人と並ぶように焼け野原を見つめ呟いたのはアレスディアだった。
 その後ろから瞬が微かな笑みを浮かべ、袖口が合わさっているようにしか見えない手を軽く前に出し、郭に向けて小さく頭を下げる。その姿に郭がぎょっと瞳を見開いた。
「皆さんこちらに集まっていたんですね」
 村の入り口から心持早足でその場に着いた建一は一同を見る。
 凛華から合流して欲しいと言われてはいたが、正確に何処にいるのか知らなかったので、とりあえず事の発端である菊の園に来たのだ。
「これは、流石に予想以上であった」
 建一の声に応えるように、微かに見える地平線でさえも、焼けて焦げ茶色に染まった園から広がる誰も居なくなった村へと視線を向けて、アレスディアは微かに唇をかみ締めた。
 人っ子一人居ない村。黒く変色し、もう色の変化さえも見て取れないが、確かにそこに残る血の後。そして、焼けた野原。
 どうして今、僵屍が―――
 その疑問は答えられることなく風に消える。
「宰相様からの伝言をお伝えしますね」
 建一は星稜殿からこちらへ向かう際に言われた凛華の言葉を皆に伝える。
「なるほど、本格的な討伐隊が出向くまでの足止め役という事だな」
「治せる範囲の方々の治療を、道士様たちがいらっしゃるまでに終えなければいけないという事ですね」
 道士の部隊は、この騒動を引き起こしたであろう僵屍と、それに追随して移動する元蒼黎帝国の人々であった僵屍を焼き払うだろう。
 なぜならば、これ以上の被害を食い止めるには、それしか方法が無いから。
 シルフェは3人がその話をしている間中―――いや、郭に挨拶をした後、此処に来てからずっと焼けた菊の園を見つめたまま微動だにしない瞬にすすっと歩み寄った。
「もしもぅし」
「あ、なんだい?」
 何時もの笑顔でシルフェに振り返ったが、シルフェが声をかけた瞬間、瞬の瞳が微かに見開かれたような気がする。
(……?)
 その微かな変化にシルフェはぱちくりと瞳を瞬かせた。
「お力添えを…いえ、菊の事をお教えくださいませんか?」
 もしかしたら、アレスディアと共に此処へ訪れたという時点で、手を貸してくれるために来たのだろう。シルフェは言いかけた言葉を飲み込むと、この関連性の無い不思議な菊の事を問いかけた。
 瞬の口が微かに動く。
「……?」
 それは、小さな呟き。シルフェは小首を傾げたが、瞬の顔は何時もの気弱な微笑に戻っていた。
「菊は、防腐・殺菌の作用―――ここで言うならば、封印の役目を果たしていたんだろう」
「他所の菊では無理なのでしょうか? 土地にも何か?」
「ここは均衡が保たれている。と言うべきかな」
「均衡……?」
 それは、郭が言っていた僵屍を作るために必要な土地の属性の事だろうか。
「陰陽の均衡だよ」
 そう答えた瞬に、シルフェはやっぱり…と、頷いた。
 それにしても、シルフェの問いかけに、瞬は意外にも素直に答えてくれるではないか。もし、助力を渋るようであれば、宰相たる凛華への口添えや、マリンオーブからの水芸で、などと考えていたのだが、実行せずに済みそうだ。
 シルフェと瞬がそんな話をしている最中、アレスディアは元々楼蘭だけでなく朔の人間でもない自分が持つ知識の中で、類似という点で有効な解決法が見つからないかと模索する。
「僵屍とは、つまるところアンデッドと同じと考えていいのだろうか」
 そして、道士の皆が僵屍を全て焼いて浄化する、という言葉はアレスディアの中でそう結論付けるには充分の要素を持っていた。
「そうですね」
 それに答えたのは建一。
「概ね、僕たちの間に伝わっているアンデッド……もしかするならば、ヴァンパイアに近しいかもしれません」
 燃焼による浄化・撃退はアンデッド。
 吸血行為による同族化はヴァンパイア。
 その二つを併せ持った、僵屍。
 ただこちらに勝機があるとすれば、ヴァンパイアのような不死性が僵屍にはなく、燃やしてしまえば無と消す事が出来るという事。
 建一はふと星稜殿での凛華の呟きを思い出し、瞬へと顔を向けた。
「宰相様が瞬さんの名前を口に出しておられたのですが、何か知っている事でもおありなのですか?」
「何かって?」
「いえ、僵屍の事について、何か」
 凛華は何も知らないだろうと言ってはいたが、何かしら関係があるため名前を出したのではないか。そう思って。
「そんな曖昧な質問に応えられる答えはないよ」
 まるで言葉遊びのようだ。
 そう、質問をするにも、自分が何を聞きたいのか、何を知りたいのかを明確にしていなければ、相手だって上手く答えることが出来ないのは当たり前。
 建一は至極真っ当な瞬の返答に、そのまま口を噤む。
「あら建一様、僵屍の事でしたら、こちらの郭様にお聞きくださいませ」
 尋ねられなければ会話に加わる気はサラサラ無かった郭が、ぎょっとしてシルフェを見れば、彼女はとてつもなく爽やかなニコニコ笑顔を郭に向けていた。
 郭はしょうがないと建一に顔を向ける。
「僵屍について、聞きたい事って?」
 その言葉に、建一は「そうですね…」と、小さく呟いて、
「火に弱いという事は分かりましたが、他に何か特徴のようなものがあるのなら、知っておきたいんです」
 アレスディアは、郭に僵屍の情報を尋ね始めた建一に一度視線を送り、そのまま瞬へと視線を向ける。
「では瞬殿、浄化のほうよろしく頼む」
 共に行かず、この菊の園の浄化と、そして傷の浅い者を浄化するための薬を此処で作る瞬に、軽く頭を下げる。
「菊からの浄仙丹…か。私でも滅多に作らないのだけどね」
 こんな事なら、素直に隠居を決め込んでいればよかった。と、瞬は悪戯っぽく呟いて、アレスディアに向き直る。
「それに、君が頭を下げる必要はない」
 これは、蒼黎帝国で起きたしまった騒動で、アレスディアは好意とはいえ、依頼され手を貸してくれている側。頭を下げるのはむしろ瞬のほうだ。
「いや、私には人々を救う事ができぬ。けれど、瞬殿はそれができるのだ。私は、人々を出来るだけ救いたい」
 魔法、ましてや仙術などという類の力をアレスディアは持っていない。できる事といえば、皆を守るために矛を振るい、皆を護るための盾となる事。
 アレスディアとの会話に出てきた、“浄仙丹”。その言葉に、シルフェはすっと瞬に視線を向ける。
「瞬様。わたくしでも、浄化や治療はできますでしょうか?」
 郭に尋ねても知る事が出来なかった、僵屍になりかけている人々を治療する方法。
 少しでも早く治療が間に合えば、僵屍と化しはじめている人々を人間へと戻す事が出来る。もしその治療法がシルフェにも出来るものであるならば、少しでも多く人々を救いたい。
「シルフェ自身が浄化の力を持っていたとしても、その力が有効かどうか私には分からない」
 もしかしたら僵屍と化してしまう前まで戻す事が出来るかもしれないし、徒労に終わってしまうかもしれない。
 ただ言えるとすれば、吸血鬼に血を吸われ吸血鬼になってしまった人を、水操師が元に戻せるかと言えば、答えはNo。癒す事が出来たとしても、それはきっと噛まれた首筋の傷まで。
 なぜならば、その変化は生態の変化であり、呪いや魔法の力による異常な状態では、ないから。
 完全に僵屍と化してしまった人にはこの定義が当てはまるが、まだ傷を受けただけの人ならば、呪と認識できる範囲であるならば―――!
 そのときこそ、シルフェにも治療を行う事ができるだろう。
「わたくしが…できる事は……」
 シルフェ自身には明確な戦闘能力は無い。ならばせめて治療をと。
 瞬は微かな笑みを浮かべたまま、軽く瞳を伏せた。
「討伐隊が合流する前に、連れてくるのだよ?」
 本当に助けたいと思うなら。
 そして、指先で軽く印を組み、小さな人型の式を創りだす。
 一瞬行き成り何を言われているのか分からず瞳をぱちくりとさせてしまったが、この式が先日シルフェや建一を瞬の庵のある山へと移動させた能力を持つ式ならば、軽度の人々を此処へ飛ばす事が出来るのだろう。
「承知いたしました」
 戦う力は無くても、助けられる人々を見つける事はできる。
「では、僕が乗ってきた馬車がありますので、それで向かいましょう」
 式をつれ、一同は村外れに止めてある馬車へと歩き出す。
 人々を助ける残された時間は、討伐隊が辿り着くまでの後僅か。

 ―――許さない。

 それは、誰が呟いた言霊か―――……





*****





 一同は建一が楼蘭より利用してきた馬車の中で、建一が広げた蒼黎帝国の地図を覗き込む。
「宰相様の見立てでは、僵屍はこのルートを通るのではないか、と言われています」
 此処へ先回りをして僵屍たちを迎え撃つ。と、平原と書かれた場所に指を走らせる。
(時間との戦いでしょうか…)
 これ以上の被害が増えるか、進行を止め被害を食い止められるか。
 予想ではない現在の居場所を早く見つけ追いつかなければ、避難していると言っても、正確に何処へ向かっているのか分からない僵屍の一団を止められない。
 もしかしたら、凛華が予想したルートを外れ、全く他の村や町へ向かって進んでいるかもしれない。
 建一は馬車の扉を開け、すっと外へと軽く蹴りだす。
 ぎょっと瞳を見開いた郭をよそに、並走して走る馬車からシルフェとアレスディアは身を乗り出して建一を見た。
「空から様子を伺ってきます。僵屍を見つけたら連絡します」
 月の精霊の力を使って遠距離からの連絡を取れる上に空を飛ぶ事で機動性にも優れた自分が、確実に経路に回りこめるよう偵察に出る事は一番効率がいい。
「くれぐれも無理はせぬよう」
 斥候のような役目を負わしてしまう事に、アレスディアは心配げな面持ちで建一を見上げる。
「ありがとうございます」
 世の中には便利な力があるものだと思いながら、郭は飛んでいく建一を見つめる。
 それを言ってしまうと、蒼黎帝国に住む仙人は全て便利な力を持った人々ではあるが。
 そんな事はさておき、シルフェは建一より受け取った地図を見つめ、
「こちらへ、一応向かっているんですよね?」
 それは赤で線が引かれ、そして説明時に建一が指でなぞった経路。
「そのはずだが、人の予想は外れる事もある。建一殿の連絡を待とう」
 アレスディアの言葉に、シルフェは小さく頷いた。
 そして、宙に飛び上がった建一はそのまま一直線に予想進路上の空へと向かう。
 人の姿が豆粒のように見える高度から地上を見下ろす。
 空から見ればゆっくりと移動しているように見える、黒い粒の集団。
 それは、凛華の見立てどおりの方向へと進んでいるようだった。
 建一は1つの精霊魔法の詠唱に入る。
 そして、皆に声を飛ばした。



***



<僵屍の一団を見つけました>
 突然の建一の声に、一瞬びくっと肩を震わせる。
 声を遠くへと届かせる精霊魔法の一種であると理解するのにしばしの時間を有したが、それも瞬間の事。
 一同は、建一の声に耳を傾ける。
<宰相様のほぼ見立てどおりです。手ごろな場所へ追い込みます>
 馬車を巻き込ませるわけには行かないため、3人はその場所で馬車を乗り捨て、徒歩で僵屍たちの一団へ向かう。
 軽く駆け足でたどり着いたその場所は、すでに炎の海と化していた。
 だが、よくよく瞳を凝らしてみれば、僵屍の一団は炎の壁に進行を阻まれ、その場にとどまっている状態。
 すっと建一が一同の下へと降り立つ。
 郭はその手に印を組む。
 僵屍になった方法は正規法ではないが、術師がいない僵屍ならば、道師である郭の使役下に置ける筈。そう思って。
 けれど、
「あの僵屍、僵屍であり道師でもあるって?」
 郭の口元に自嘲とも取れる笑みが浮かぶ。
 集団で移動する僵屍たちは郭の命令など一切無視して襲い掛かってきたからだ。
 アレスディアは槍を構え、郭は仕方なく剣を抜く。
「この中から、浄化できる方々を探せばいいのですよね」
 でも、どうやって?
 オリジナル僵屍の命令のままに、理性をなくして襲い掛かる僵屍に、建一は術を唱え、弱点である炎の精霊魔法を展開する。
 アレスディアは僵屍たちの足、特に膝を狙って槍をはぎ払う。
 建一のように魔法を使う事が出来ないアレスディアにとって、安易に火を使う事は周囲に延焼の恐れがあった。だから、彼らの移動力を奪うため、膝を破壊する。
 それに足止めが主な目的であるならば、焼かずとも移動に支障を来す事が出来ればそれでいい。
(……すまぬ!)
 アレスディアは苦渋に満ちた瞳で槍を払う。
 彼らは元々罪も無い楼蘭の人々であったのだ。最後、焼くしかない運命であろうとも、傷は出来るだけ少なくしたい。
「まだ、治る方々を」
 シルフェは辺りを見回す。
 どう、判断すべきか迷う。
「式さん、分かりますか?」
 シルフェの傍らでふわふわと浮いている式に、シルフェは問いかける。
 先日であった式が言葉を発したからといって、この式まで言葉を発するかどうかは分からなかったが、何もしないよりはいいような気がして。
(あら…?)
 建一のファイヤーウォールに焼かれながらも、ただ前に進もうと歩くのみの僵屍と、前線に出ているアレスディアや建一を単純に襲う僵屍。
 もしや、僵屍はゾンビのように高度な知能はもうない?
 ならば、この命令に困惑している者―――それが、きっとまだ人に近しい者。
「声が、届くのでしょうか」
 理性が、人の心がまだ残っている僵屍には。
 浮いていた式が動く。
 式に反応して一人の僵屍が――いや、人が、肩を震わせた。
「その子に触れてください」
 何時もは絶対に声を張り上げないシルフェであったが、今だけは少しでも声が届くようにと言葉を発する。けれど、それでも届くまでには至らず、彼らはただ困惑するのみ。
「彼らに伝えれば良いのだな?」
 アレスディアはシルフェの声に気がつき、そう問いかける。
 自分がアレスディアや建一と同じ場所に立ってしまっても、戦う力は無い。
「お願いします」
 シルフェはただ頭を下げた。そして、自分の力でも対処が出来る位置から、唯一の力――マリンオーブで僵屍たちを翻弄する。
「シルフェさん、水を…!」
 止めてください! と、建一の声が響く。
「あら」
 シルフェに水によって多くの僵屍たちが流され動きを鈍くしていたが、それと同時に建一が作ったファイヤーウォールも、マリンオーブから呼び出された水によってかき消されてしまっていた。



***



 シルフェの傍らから、アレスディアの傍らに移った式は、その声に気がついた人々を次々と転送していく。
 何処にいるか分からないまだ治る人々を探して、アレスディアは僵屍の一団の最中へと踊り入る。
 それは、治る人々を探すと同時に、この騒動を引き起こした張本人たる僵屍を見つけるため。
 そして、集団の中心―――
 ただ立ち尽くす顔色の悪い青年……いや、少年?
 他の僵屍のように闇雲に生きる者に牙を振るうでもなく、周りに視線を向けてさえもいない。
 焦点の合わぬ瞳は俯かれ、その顔色と合わせれば、異様なほどに赤く色づいた唇。
「もしや、彼が…!?」
 襲い来る僵屍の足を砕き、立ち尽くす少年に視線を向ける。
「オリジナルか?」
 その呟きを耳に止め建一が答える。
「では彼を止めれば、まずは解決ですね」
 アレスディアはオリジナル僵屍に向かって走り出す。きっと、周りの僵屍たちはオリジナルを護ろうとする気がして。
 建一は空へと飛び上がり、火の精霊魔法の詠唱を始める。
「私が道を作る。建一殿は、オリジナルを」
 そう、僵屍は自分たちを作り上げたオリジナルと呼べる僵屍に追随して進む。なれば、あのオリジナルの僵屍を止めれば、この元村人であった僵屍たちも動かなくなるという事。
 そうすれば、攻撃をせずとも済む。……いや、焼くしかない人々にとっては、どれも救いではないのだけれど。
「ファイヤーボム!」
 詠唱が完成し、建一の手の平に生まれた炎がオリジナル僵屍に向かっていく。
 目標地点に到達することで球形の爆発を起こすその精霊魔法は、オリジナル僵屍の近くで爆発した。
(やはり…!)
 僵屍たちがオリジナルを護るよう集まってくる。
 アレスディアは建一の精霊魔法に巻き込まれないよう、オリジナル僵屍にまとわり付く僵屍たちを弾き飛ばした。
「これは、使えませんね」
 オリジナルの周りでマリンオーブを使ってしまっては火の威力が半減してしまったり、消滅してしまう。
 カンッ! と鳴る剣の音。
「ありがとうございます。郭様」
 直接的な攻撃力を持ち合わせないシルフェは、剣を振るう郭の後ろで、オリジナルから程よく遠く、本能のままに襲い来る僵屍を水で流す。

―――バンッ!!

 今までとは違う爆発が起きる。
 建一のファイヤーボムがオリジナル僵屍の顔にヒットし、爆発を起こした音だった。しかし、
『………許さない』
 不自然なほどに身を仰け反らせたオリジナル僵屍が小さく呟く。
『……我が眠りを呼び覚ませし者』
 焼け爛れた顔半分が急速な勢いで治っていく。
 オリジナル僵屍はぐっと身を立て直した。
 その光景に郭の瞳が見開かれる。
「下がれ!」

 ガキン―――!

「っ…!?」
 アレスディアの槍に噛み付いた激昂の瞳。
 目測を外した牙が槍から飛び去り、すらりとその場に立ち尽くす。
 が、それも一瞬の事で、オリジナル僵屍はその唇同様、不釣合いなほどに赤く光る瞳を見開き、地面を蹴る。
 爪が、牙が、アレスディアの複雑に絡み合う剣のような槍の隙間に食い込む。
 薙ぎ払うごとにまみえる僵屍の瞳は、ただ我を忘れた人形の如く感情を見せない。
 けれど、ある程度の規則性を持ったその攻撃は、幾度かまみえればその動きを読むことが出来る。
「はぁ!!」
 一瞬の軌跡を描いた槍が纏う光の螺旋。
 アレスディアの槍がオリジナル僵屍のわき腹を貫く!
『……っ…』
 ゆらりと僵屍の体が傾ぐ。わき腹からあふれ出すのは赤黒い血。
『許さない……』
 先ほどの激昂の咆哮が嘘のように、ただ憂いた瞳で。
『我が、菊は―――…!』
 血色に染まった両手は、そこにあったはずの幻影を掴む。
 ただ、泣きそうな瞳で。
「アレスディアさん、そこから離れてください!」
 建一は詠唱に入る。
 立ち尽くすオリジナル僵屍の足元に焦点を合わせて。
 アレスディアは一方後ろに飛び退き、そしてシルフェの元まで走った。
「マグナブロー!」
 僵屍の足元からマグマが吹き上がる。
 声なき声が響き渡った。





*****





 オリジナル僵屍の統制を失った僵屍たちは、その場で次々に倒れていった。
 まだ傷の浅い者たちは、オリジナル僵屍の統制の影響は出ず、ただその場で震えていた。
 式はそんな人々を次々と菊の園へと飛ばしていく。
 そして、大きな音が辺りを包み込み、道士たちを引き連れた凛華がその場へ降り立った。
 道士たちは、動きを失った僵屍たちに念のため封印符を貼り付け、簡素な棺に横たえていく。
 こちらの国での死者を弔う儀式の方法は分からないが、弔いの気持ちは同じだろうと、アレスディアはただ胸の前で十字を切る。
「後は我らが引き受けよう」
 大きな焔が立ち上がり、全ては灰と消えていく。
 アレスディアは頷き、その場から皆の元へと戻る。
 気を失っていると表現してもいいのか些か躊躇う肢体。
「どれだけ特殊なんだ?」
 郭が訳が分からないと言った風貌で頭をかく。
 そもそもこれは僵屍と言ってしまっていいのかとさえ呟く。
 アレスディアにわき腹を貫かれ、建一の炎に包まれたと言うのに、土に還ることなくその身は元の形にまで戻っていく。
 その原動力は、村一つ分の人々の血という名の精気。
「燃やしてしまう事が出来ないのでしたら、あの菊へまた戻すしかないのでしょうか」
 シルフェは頬に手を当てて軽く首を傾げる。
「今のところそれしか解決はないだろうな」
「どれだけの効力があるか分かりませんが、道士の方々から封印符を頂いてきましょう」
 それから棺も。
 途中で置いてきた馬車を使い、あの菊の園まで戻ればいい。
 建一は、名前も分からぬ少年の姿をした僵屍の額に封印符を貼り、棺に寝かせる。
 その顔は、土色ではあったが、どうしても死んでいるようには見えなかった。



***



 馬車の音に人々が顔を上げる。
 風に乗って舞い散る細い花びら。
 菊の園の周りには、傷が浅く人間へと戻る事ができた人々が馬車を出迎えた。
 扉を開けて馬車から降りたアレスディアは、薄く唇を開く。
「これは…!」
 黄、白、そして赤、混ざり合う色が地平線を埋め尽くしていた。
 先に下りた建一に手を借りて馬車から降りたシルフェも、ほぅっと息を吐き、頬に手を当てる。
「綺麗ですね」
 目の前に広がるその色の地平線は、咲き誇る花が作り出す幻想に似た光景。
 そこに広がっていたのは、一面に広がる菊の園。
 菊に埋もれ立っていた瞬は、声に振り返った。
「おかえり」
 微笑んで告げたその声は、どこか疲れている。
「ありがとう。瞬殿」
 人々を助けてくれて。
 頭を下げるアレスディアに、瞬はまた肩を竦めるようにして笑う。君がお礼を言う事じゃない、お礼を言うのは自分だと。
「けれど、誰が菊を焼かれたのでしょう」
 シルフェが最初から感じていた疑問。
 なぜ今になって僵屍が現れ、そして菊の園が焼け野原と化していたのか。
 棺の中で眠る名も無き僵屍。
「菊の中に戻して―――」
「おお! 良くやった!」
 あげましょう。と続けられるはずだった建一の声が遮られる。
 その声に誰もが振り返った。
 がさがさと近くの茂みを揺らし、人影が近づいてくる。
 現れたのは、褐色の肌に白い髪。そして、緋色の瞳を持った男。
「モァ族……」
 どこか狂ったような笑いを浮かべたその男は、歓喜に震えた声で叫んだ。
「その僵屍を渡してもらおう! それは私が受け継ぐべきものだ!!」
 そう叫んだ後、男はぶつぶつと言葉を続ける。
 菊を焼き、封印を解除したはいいが、制御できなかった事。
 暴走した僵屍が、この菊の村の人々を襲い始めた姿を見て、身を隠した事。
「何と自分勝手なことを…!」
 アレスディアの瞳が怒りに彩られる。
 そのせいでどれだけの人が犠牲になったのか!
 シルフェは少しだけ瞳に力を混め、一人演説を繰り広げている男に照準を合わせ、マリンオーブに手をかける。
「手始めに、この国を滅ぼすのもまた――――!!?」

パァン――――!

 あまりにも突然の事に、シルフェはただ目を見開いて口元に手を当て、アレスディアはその場で固まったように瞳を瞬かせ、建一も同じように言葉をなくした。

 ―――許さない。

 それは誰の言霊か。
 その場から吹き飛び、頬を赤く染め民家の壁を壊して倒れている男。
 背を向けて歩き出した瞬を、シルフェとアレスディアは視線で追う。
 その背が、傾く。
「瞬様!?」
「瞬殿!?」
 2人は思わず駆け出した。
 壁の瓦礫に埋もれた男を縛り上げ、建一は沈痛な面持ちで息を吐いた。
「この人もまた、力を欲し溺れたのでしょうね」
 身近にある力の強さを欲し、その強さに溺れ、そして犠牲を省みず、自ら破滅して行った。
「先ほど、モァ族と仰られませんでしたか?」
「あぁ」
 蒼黎帝国へと出てしまえば、郭のように赤い目であろうとも、この男のように肌の色が褐色であろうとも疑われることはない。
 なまじ朔と蒼黎帝国は服装も似ているため、なお更区別は付きにくい。けれど、
「この風貌で道師となれば、俺たちの領分だ」
 蒼黎帝国には本当に悪い事をしてしまった。
「こいつは俺が国に連行する」
 朔の、いや陽の人間がその場にいることさえも気がつかないほど、あの僵屍を手に入れることだけに固執し、やっと手に入れた自由さえも失った哀れな男。
 建一は白目をむいて倒れている男をただ見下ろした。



***



 蒼黎帝国が首都―――楼蘭、星稜殿にて。
「皆には礼を言う」
 凛華がその瞳を伏せ、頭を下げる。
 郭は男を連れ、凛華が用意した船に乗り、陽へと帰っていった。
 そしてあの名も無き僵屍は、また菊の中へと封印された。
 安らぎ。
 それが、彼が最後に浮かべた表情。
 きっと朽ちる事も、死す事さえ出来ずとも、あの菊は永遠を眠る彼への餞だったのだろう。


 今はただ安らかに眠っておくれ。



 菊が役目を終わらせ、その花弁を散らすまで―――














fin.





☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【2994】
シルフェ(17歳・女性)
水操師

【0929】
山本建一――ヤマモトケンイチ(19歳・男性)
アトランティス帰り(天界、芸能)

【2919】
アレスディア・ヴォルフリート(18歳・女性)
ルーンアームナイト


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 【楼蘭】菊・屍抑にご参加ありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
 長々とお時間を頂いただけのものが仕上がっている事を祈ります。
 助けるという観点から見ると、対象が誰であろうと同じと考えた結果の瞬との会話になっています。
 当ノベル内での、「アレスディア」「アレス」の違いは、シナリオの軽さ具合に比例しています。意図的ですので、誤植じゃないです。
 それではまた、アレスディア様に出会えることを祈って……