<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


慟哭に呼ぶ夜想曲



―――速く、速く行かなきゃ……
―――無くなってしまう前に
―――亡くなってしまう前に
―――手遅れになる、前に!


 黒山羊亭に届いた新しい依頼に、エスメラルダはなぜこんな短期間にこんなにも騒動があるのかと薄く笑う。
 片や草原に見知らぬ街が落ちてきたかと思えば、片や今回は『悪魔』の討伐だと言う。
 この世界に『悪魔』? と、エスメラルダは不思議に思ったが、鱗化した腕や光る瞳、背中に生える黒い翼という目撃情報から、確かに『悪魔』と伝わっているモノに近いと感じる。
 水晶の輪の耳飾りを付けた『悪魔』の風貌をしたソレは、何かを求めるように盲目的に突き進み、その軌道上に居た人間が傷を負い、危険と判断され討伐依頼が黒山羊亭に来たらしい。
「誰がこの依頼受けてくれるかしら?」





***





 少し時は戻り、朧月が淡く照らす一室で、アクラ=ジンク ホワイトはふと顔を上げた。
(開いた―――…)
 薄い雲が風に流れてゆっくりと移動する。
 観測点の一致ではない。
 これは明らかに無理矢理開いた扉。
 アクラが見つめる先、黒い羽根を持った塊が、雲を切り裂いてこの世界へと落ちる。
 奇しくもその場所は、後日エスメラルダが『悪魔』の討伐を依頼した方角と同じであった。





*****





 黒山羊亭に伝わった『悪魔』の情報から、偶然にもこの場に集まった誰もが思い当たる節でもあるのか、思い思いの表情をその顔に浮かべる。
「……同じ言葉というだけで、同じ物と決め付けるわけにはいかないが」
 そして、キング=オセロットが軽く煙草をふかして口を開き、
「あの街のことを考えてしまいます…」
 誰もが一度頭に浮かんだことをシルフェが小さく呟く。
「……偶然と片付けるのは、気になる」
 そう、あまりにも出来すぎたタイミング過ぎるのだ。
 アレスディア・ヴォルフリートは、槍を持つ手に力を込め、「その風貌だけで、悪魔と決め付けるわけにはいかぬ」と、周りを諭すように真剣な眼差しを向ける。
「こうして吹かしているだけよりかは、同じ水晶の輪と決め付けて動いた方がいくらか有益だろう」
 オセロットの言い分は尤もで、結果的に『悪魔』と出会い、本物を見つめ、自分たちが知っているものと違ったとしても、その時は「関係なかった」とすればいいだけの話。
「……その『悪魔』、今どこへ向かっているか、せめて方角だけでもわからないか?」
 皆の言葉を聞き、サクリファイスはエスメラルダに振り返る。
「わたくしも、悪魔さんがどちらを目指しているのか気になります」
 目指している方向によっては、水晶の輪に関係なく、本当に全くの無関係である可能性もあるのだから。
「そうね…。確かにエルザードに向かっているような気もするわ」
 遠いというわけではないが、さして聖都エルザードから近いわけでもないのだ。
 『悪魔』が確認された場所から、聖都エルザードまで、まだその間には集落も村もいくつかある。
 向かっている方向は、まだ確定できない。
 けれど、裏を返して言えば、もし目的地がエルザードだった場合、その直線コース上に位置した集落や村は確実に『悪魔』に潰される可能性があると言える。
 目的がなんであれ、その集落や村を助けるために、『悪魔』を止める事は必須に思えた。
「その『悪魔』の今までの、今の動きを教えてほしい」
 結局のところ、今直面している問題に関係がなかろうとも、村や人を傷つけるまま放っておくわけにもいかない。オセロットは、行動予測を行い、地図と照らし合わせ最短の道を計算しようと考え、エスメラルダに問いかける。
 アレスディアは依頼内容が書かれた書類をやり取りしているオセロットとエスメラルダを一度見やり、椅子を立ち上がる。
「ともかく、まずは追いつかねばなるまい。目撃談からその者が進んでいる方向を探り、追いかけよう」
 知識上の予測が早いか、行動上の予測が早いか、それは一重に何も言えないが、黒山羊亭にもたらされた情報だけでは足りないという事もあるだろうし、聞き取りを行うことで最新の情報や届けられなかった情報を知ることもできるかもしれない。
「では、わたくしはその『悪魔』さんについて、調べてみたいと思います」
 もし、文献か何かに残っているようなものならば、未知のものとしてではなく、ちゃんとした対処が立てられる。
 そして、エスメラルダに今現在伝わっている『悪魔』の情報を可能な限り教わると、シルフェも椅子を立ち上がり、先に出て行ったアレスディアを追うように黒山羊亭を後にした。
「方向がある程度予測できたのなら、私はそれを空から確認しよう」
 サクリファイスならば、家や壁に邪魔されない分、徒歩よりも早く追いつけるだろうし、探しやすいだろう。
 こうして、作業を幾分か分担し、各々『悪魔』についての行動を開始した。





***





 エルザードで誰でも閲覧が可能で、一番充実した図書館といえば、エルファリア別荘内にある図書館だろう。
 しかし思い返してみれば、現在伝わっている『悪魔』という風貌に近しいというだけで、誰もそれが『悪魔』だとわかっているわけではない。
「図書館で調べて解りますでしょうか?」
 シルフェはそう独り言ち、エルファリア別荘の玄関から、図書館へと進む。
 図書館に足を踏み入れた瞬間、入り口近くのカウンターに陣取っている司書の声が館内に響いた。次いで聞こえていた謝っているような声。この声は―――
(あらあら。うふふ)
 声が反響して場所までは詳しく分からなかったが、声が届く範囲内に居るとわかれば充分だ。
「こんにちは。………まぁ」
 ひょっこりと顔を出してみれば、そこに出来上がっていたのは決壊した本の山。
 シルフェはある意味予想通りの状況にくすっと笑う。
「あれ? どうしたのシルフェちゃん」
 もしかしてボクに会いに来てくれたの? と、シルフェの顔を覗き込むようにして、にっこり笑顔の澄まし顔で口を開いたのは、アクラ=ジンク ホワイト。
「ご期待には添えそうにありません。うふふ」
 エスメラルダの依頼で、悪魔のことを調べに来たと告げれば、アクラはどこか含むように言葉を濁してシルフェから視線を外した。
「何かご存知なのですか?」
 むしろ、何か知ってらっしゃるのね。と、シルフェの語気が訴えている。
「あくま?」
 何それ? と、言わんばかりの口調で、本をまず積み上げ直しているコールがシルフェを見る。
 シルフェはエスメラルダから聞いた特徴を手短に伝えるが、やはりコールは首をかしげたままだった。
「ああ、アレだよ」
 アレみたいな種族。と、シルフェが知らない単語で説明したアクラに、コールはやっと納得したように頷いた。
「アクラ様って、意外と博識でらっしゃいますのね」
「これでもボクはいろ〜んな世界旅してきてるしね」
 だから、シルフェが告げる『悪魔』の風貌がどんなものをしているのか直ぐに想像がついた。そして、それの違いも。
「ちょっと気になることあるし、ついて行ってみようかな」
「そうしていただけると助かります」
 元々話を聞いてみたいと思っていたのだ、シルフェにしてみれば好都合。
「えー! 僕も行く!」
「コールは司書と一緒に本を片付けないと、でしょ?」
 にやりと微笑んで告げたアクラの言葉に、コールはうっと言葉を噤み、しぶしぶと本の片づけを開始した。
「気になることと言いますと?」
 黒山羊亭に戻る道すがら、シルフェは問いかける。
「ま、いろいろ」
 何とも都合のいい言葉である。
「あの街と何か関係がおありとか……」
「そこまでは“まだ”分からないけどねー」
 軽口を叩いているうちに、ベルファ通りまで戻ってきていた。
 黒山羊亭の扉を開けて中を見たシルフェは、まだカウンター席に座っているオセロットの姿を見て取り、ほっと胸をなでおろす。
 『悪魔』に対する文献的な情報を集めるため図書館に行っている間に、仲間たちが先に向かってしまっていたら、途方にくれることになったからだ。
「何か良い文献はあったかな?」
 扉が開いたことに気がついたオセロットがシルフェに問いかける。
「文献はございませんでしたが……」
 シルフェはそう言って少し立ち位置を変えた。
「ほう」
 オセロットの驚きのような、楽しむような、そんな意外性がこもった感嘆詞を受けて、背後から現れたアクラは軽く手を振る。
 シルフェは黒山羊亭のカウンターへと進み、また1つ違っている状況に首を傾げる。
 そう、出て行くときはここにいた、サクリファイスが居ないのだ。
「サクリファイスならば、確かめに行ってくれているところだ」
 オセロットが導き出した進行方向の予測が正しかったのかどうかを。
 もし見つけたら、直ぐに知らせてくれることになっている。そして、無駄なく進むためにそのための最短ルート計算も終わらせた。
 今はもし違っていた場合を想定して、別のルートを計算しているところ。
 ガタン! と、黒山羊亭の扉の耐久度を無視するように、思いっきり開け放たれた音が響く。
 驚きに眼を向ければ、逆光の中立っている蒼い髪の黒い天使。
 全速力で戻ってきたのだろう。サクリファイスの息は少し上がっているようにも見て取れた。
 サクリファイスは一度唾を飲み込んで、大きく口を開いた。
「見つけた!」





***





 エルザードから数キロ。やはり徒歩では時間がかかることもあって、近くまで乗合馬車を利用して移動する。
 そして、停留所からサクリファイスに導かれるようにして訪れた街道沿いで、『悪魔』はゆっくりとソレが思う目的に向かって進んでいた。
 幸い……と、言うならば、ここが人が居ない街道沿いだという事。
 『悪魔』にとって突然目の前に訪れた自分たちはどう映っているのか。それともまったく意に介していないのか、それは分からない。
 けれど、『悪魔』の歩みはそんな事は関係ないとばかりに進んでいることだけは事実。
 近づかずとも、しばし待てばこちらへ到着するだろうが、一同がもう少し近づこうと足を踏み出したときだった。
 遠く、蹄の音が徐々に音を上げて響き渡る。
「見つけた!」
 馬を駆り、『悪魔』の背後から現れた女性―――
「アレスディア!」
 やはり『悪魔』は背後からの存在など意に介さず、前へ前へと突き進む。
 アレスディアは予想しうる『悪魔』の間合いに入らないよう回り込み、一同の前で馬から下りた。
「よく迷わず来れたな」
「幸い進行方向に目印が残されていたのだ」
 そう言って指差された『悪魔』の向こうに視線を向ければ、地面がすれたような跡を見つけ、オセロットはなるほどと頷いた。
 進行方向にやっと障害を見つけたらしい『悪魔』の眼光が鋭く光る。
「ヒィイイン!!」
「あ!?」
 アレスディアが乗ってきた馬は一度嘶き、前足を持ち上げて無理矢理手綱を緩め、逃げるように走っていってしまった。
 借り物の馬だったのに、どう弁明しようかとアレスディアは一瞬考えるが、今はそれよりも『悪魔』の対処が先決か。
「このまま前進しては通過点の町や村にも被害が出るかもしれぬ」
 『悪魔』の残した筋を辿ってきたアレスディアは、この先にあるかもしれない町や村を思い言葉を紡ぐ。
「その心配は無用だ」
 サクリファイスが空から自分の目で見た光景であるし、その情報は確実である。それに、この先一番最初にある一般人が立ち寄りそうな場所は、オセロットやシルフェたちが降りた乗合馬車の停留所くらい。
 停留所も壊れてしまっては確かに不便ではあるが、町や村ではないだけ幾分もマシだ。
「立ち止まってはもらえないか!」
 声を張り上げるものの、言葉が通じているかどうかは分からない。
 一度立ち止まって欲しいのは皆同じ。
 誰もが同じように制止の声を叫ぶ。

―――邪魔、しないで!

 しかし、行く手を阻むように立っていた一同に、『悪魔』は邪魔をするなとばかりに咆哮し、腕(と思われるもの)を振るう。
「ありがとうございます」
「気にするな」
 サクリファイスは俊敏な動きができないシルフェの脇に手を回して空へと飛び上がり、オセロットとアレスディアは跳躍するように横へ避けた。
 確かに一見攻撃を仕掛けられたように見えなくもない。
 けれど、眼前の障害物がなくなったと判断した『悪魔』は、また一同の存在など忘れてしまったかのように前に進み始めた。
 横を通り過ぎ、オセロットの目に入った光を受けて輝くモノ。
「水晶の耳飾……か」
 大きさは街で拾ったものよりは幾分かしっかりとしているもののように見えなくもない。しかし、関連性が無いと言ってしまうには形が酷似しているように感じる。

(この…声は―――!?)

 『悪魔』の初撃に気を取られ、誰も彼の変化に気がつかない。
「あなたは何処から来て、どこへ向かおうとしているんだ?」
 オセロットはグシャっと煙草を携帯灰皿にぶち込んで、『悪魔』に向かって叫ぶ。
 答えを1つ1つ丁寧に答えてくれることを期待はしていないが、何かしら反応を示してくれることを願って。

―――行かなくちゃいけないの!

 獣のように尖った口から零れ出る声は、くぐもっていて確実に聞き取れないが、少女の声音のような高さを感じる。
「招かれていらっしゃったのでしょうか…」
 サクリファイスに空に持ち上げられたまま、シルフェは小さく呟く。
「招くとしても、誰が招いたのかが問題だな」
 こちらの味方となってくれる誰かか、それとも、まったく別の誰か、か。
 サクリファイスはシルフェを地面に降ろし、自分も地面に降り立つ。
「直球ではあるが――…」
 アレスディアが『悪魔』の前に躍り出る。『悪魔』はアレスディアを障害物と認識し、手を振り上げた。
 懐に伸ばした手が、もしものためにエスメラルダから借り受けた水晶の輪に触れる。そして高らかと『悪魔』の前に掲げて見せた。
 関係者か否か、その一動作だけで区別がつく。
 『悪魔』の振り上げた手が、ストンと落ちる。
「!!?」

―――それ、は……

 今まで盲目的だった『悪魔』の動きが止まる。
 初めて自我らしきものを見せた『悪魔』に、誰もがほっと胸をなでおろし、顔を見合わせた。
「最近、オーケストラが聞こえてきたかと思ったら街が振ってきた」
 かまをかけるような、いや、最後の確認のようなオセロットの言葉に、『悪魔』の瞳が揺れる。
 オセロットが投げかけた言葉の反応を見て取り、サクリファイスは考えていた可能性を言葉に乗せる。
「あなたはカデンツを知っているか?」
 街を知っていることは分かった。けれど、敵か味方までは今の段階では分からない。

―――止めなくちゃ!

 だから、邪魔しないで! と、『悪魔』はまたも腕を振るう。
 だが、この行動から、『悪魔』がカデンツを止めたいのだという事は分かった。
 だとすれば、味方になり得るかもしれない。
「知り合いがそこに閉じ込められて困っているのだ」
 オセロットの言葉に、進み始めた『悪魔』の足が止まる。

―――遅かったの? もう…遅かったの……?

 『悪魔』が絶望に震えた瞬間だった。

―――あァ阿Aあ亜阿※%#!

「何!?」
 黒山羊亭にもたらされた特徴と、自分たちが出会った時に見た鱗化した腕や光る瞳、背中に生える黒い翼があったはずだ。加え、『悪魔』と評された姿の通り、人のように四肢があり、そして、耳飾が告げるように、耳を持った生き物だった。
 けれどどうだ。今目の前にいるソレは、確かに翼を持ってはいるものの、『悪魔』と云うよりは『魔物』や『魔獣』―――所謂モンスターに近い。

ゴポッ―――…

「……っ」
 声にならない小さな悲鳴が漏れる。
 腕だと思っていた場所に大小様々な気泡が浮かび、弾け、第三の腕が生える。

「嘘だぁあ!!」

 突然の叫び声。
 『悪魔』の動きが一瞬止まる。
 その出来事に誰もが振り返った。
「アクラ…様?」
 ただ何かを考え込むようにその場に立ち尽くしていたアクラが、突然叫んだ。
「なんで、どうして…!」
 こうなると知っていたるはずなのに、何があの一族を突き動かしたのか。それほどに、“この世界”に来る必要性なんて―――
「こんなの…ここまで、そんなことって……っ!」
 疑惑が確信に変わった瞬間。
 両手で顔を覆った指の隙間から見えるアクラの強張った瞳には、『悪魔』の姿だけが映っている。
 シルフェは普段からは想像もつかないほどの狼狽を見せるアクラに駆け寄り、震える肩を支えるようにそっと手を添えた。
「落ち着いてくださいまし。アクラ様は『悪魔』さんを知ってらっしゃるのね?」
 そして、どうしてああなってしまったかも。
「呪い、だよ! “世界”に縛り付けるための!」
 誰もその扉を潜らないように。潜りたいと思わせないように。
 その力を持った者は、今に至るまであの一族しか、存在しなかったから。
 だから、“世界”は、ソレを縛り付けた。
 知らなかった。知らなかった。言葉で聞くだけでは解らなかった、その本質が。
 姿を奪い、理性を奪い、そして歪められた魂は、討たれるだけの存在として。
 逃れる者には凄惨なる死を!
 アクラは力をなくしたようにその場に崩れ落ち、地面に座り込んでしまった。
「危ない!」
「!!?」
 一番『悪魔』に近い場所に居たアレスディアに向かって振り下ろされた腕。
「助かった」
「なに、無事ならそれでいいさ」
 ちょうど間合いの外だったオセロットの叫びがなければ、アレスディアはあの腕の餌食になっていただろう。
「突然どうして…」
 しまったというのだ。
 それは誰の心にも浮かんだ疑問。
 言葉で表現するには音数が足りない叫びが辺りを劈く。
 見境なく振り下ろされた腕が、地面を抉る。
「もう少し離れよう」
 サクリファイスはシルフェに声をかけ、この場から離れるよう促す。
「立てますか?」
 シルフェはアクラに声をかけるが、彼は心ここにあらずといった面持ちで眼を見開き、唇を震わせていた。
 アクラと『悪魔』の間に何があったかは分からない。けれど、この状態は気を失っているのとさして変わらない。
「シルフェ殿は早くアクラ殿を連れて安全な場所へ!」
「はい。申し訳ありません」
 長い付き合いだ。シルフェがこういった荒事にむいていないことは重々承知している。だからこそ、前に出て怪我をされるよりも、安全な場所で待っていてくれたほうが心臓に良い。
 一向に動く気配を見せないアクラに、サクリファイスは一度瞬きすると、意を決したように息を吐いた。
「許せ」
「!!?」
 サクリファイスは肩にアクラを担ぎ上げ、シルフェと共に間合いから離れる。
 けれど、2人が怪我をしてしまった場合、シルフェにはそれを癒す力があるため、それほど遠ざからず、しかし近すぎない場所へ。
「討伐しか方法はないのでしょうか」
 アレスディアとオセロットの牽制が功を奏し、その場に立ち尽くしている状態の『悪魔』を見やり、シルフェが小さく呟く。
「止めるんだ! 止めてくれ!!」
 アレスディアの呼びかけに答える声は、獣の咆哮のみ。
 このまま『悪魔』が足を進めれば、今までのように進行を邪魔したモノに対してではなく、無差別に破壊を繰り返すだろう。
 アレスディアは悔しさに顔をしかめ、腕を手持ちの槍で受け流す。
「イレギュラーなことが多すぎるな」
 途中までは上手くいっていた。言葉に反応し、確実ではなくとも返答をしていた。『悪魔』が変貌してしまうなど、幾らオセロットに先見の目があろうとも、予想できるはずがない。
 完全に意思を、理性を、なくしてしまった『悪魔』。
 どれだけ呼びかけても、あの少女のような声はもう――聞こえない。
 サクリファイスはアクラを降ろし、シルフェに向き直る。
「アクラの言うように、あの姿が呪いならば、それを解く方法もあるんじゃないか?」
 それが分かれば討伐以外の道を選べるはずだ。
 けれど、解呪の方法が分からない。
「呪いなのでしたら、わたくしが何とかできるかもしれません」
 呪いを解くことはできなくても、呪いが発動する前まで戻すことが出来るかもしれない。
 シルフェは、足止めのため立ち回る2人の邪魔にならない場所まで戻る。
 流れる水の如く、虚偽の流れは正さなければならない。
 静かな水の精霊が、誤を正に戻すため、シルフェの下に集まり始める。
 流れが光となりて、『悪魔』を優しく包み込んだ。
 そして―――

 光の中からゆっくりと倒れたのは、白い髪の一人の少女。

 その身に纏っていたであろう衣類は、あの変貌から唯の布切れと化し、申し訳程度に彼女を被うのみ。
 その幻想的とも云える光景をしばし呆然と見つめる。
 だが、言い方を変えれば、彼女は裸と変わらない。
 一同は、はっと我に返り、倒れる彼女に駆け寄る。
 そして、アレスディアはその右肩につけている白いマントを外し、彼女を包み込んだ。
「大丈夫か!?」
 姿だけを見れば、腕の中の彼女が先ほどまでの『悪魔』と同じとは思えない。
「水晶の輪…だな」
 けれど、覗き込むように彼女の状態を確かめたオセロットの呟きが同じだと告げている。
 シルフェはマントの裾から垂れる腕を手に取り、眉根を寄せた。
「酷い…傷です」
 黒い鱗に覆われていたためか、『悪魔』の時には目立たなかっただけなのだろう。
 薄らと彼女が瞳を開く。
「目が覚めたか?」
 ほっと胸をなでおろすように声をかけるが、彼女の瞳はどこか虚ろなままで、抱き起こされていることにも気がついていないのか、ただ一点だけを見つめて立ち上がる。
「待つんだ!」
 立ち上がった拍子にマントが肩から少しずれる。
「……邪魔、しないで………」
 ズルズルと土を引き摺る足音を響かせて、ゆっくりと歩き始める。
 完全に落ちてしまう前に、マントごと彼女を包み込む。
「あたし、行かなくちゃ……約束…したの!」
 瞳を細め、ぐっと唇をかみ締めながら、苦渋に満ちたような、どこか辛さを秘めた――それでも決意が読み取れる――瞳で、彼女は何かを求めるように手を伸ばす。
 きっと、『悪魔』に変わってしまっても、ずっとそれだけを呟き続けていたのだろう。
「あの街は危険なの。あいつの動き一つでヒトが死ぬ。あいつは死なない。だからあたしは、あたし達は―――…!」
 彼女の口から放たれた“あの街”という言葉。
 その真偽を考え、誰もが動きを止めた。
 話を聞こうにも今この状態で話を聞く事はできないだろう。
 まずは彼女を休ませ、ちゃんとした衣類を身に着けさせなければ。
 アレスディアの腕の中でもがく様に先へと向けた瞳に、彼の姿が映る。
 そして、一瞬驚きに眼を見開き、泣き出しそうに瞳がゆっくりと揺れた。
「アク…ラ……?」
 彼女は小さくその名を唇に乗せて、糸が切れた人形のようにアレスディアの腕の中に崩れ落ちる。
「っ…!!」
 アクラは弾かれたように眼を見開き、俯いて唇をかみ締めた。
 バサッと腰から一対の純白の翼が広がる。
「あ、待っ…!!」
 そして、サクリファイスの静止を振り切って、逃げるようにその場から飛び去った。





*****





 一人の少女を伴って一同は黒山羊亭に戻ってきていた。
 あの後気を失ってから彼女の瞳が開く気配はない。
 『悪魔』の姿の時に付けられた傷を治療するため、現在シルフェは彼女のそばに着いている。
 彼女の口から出た“あの街”、“あいつ”、そして、“あたし達”。
 オセロットはゆっくりと紫煙を吐き、彼女の言葉を反芻する。
「あの街とは、やはり落ちてきた街のことだな」
 彼女は結局カデンツの名をその唇に乗せることはなかったが、進んでいた方向と危険があるような“あいつ”がいる街なんて、あの“落ちてきた街”くらいしか考えられない。
「それならば、あたし“達”という言葉を使ったことが気になるのだが……」
 アレスディアの中に生まれた疑問。それは、彼女が複数を示す言葉を使ったことに起因する。すなわち、彼女だけではなく、あの街をどうにかしようとした人が、最低でももう一人存在していることを示唆しているから。
「だとするならば、カデンツが言っていた『悪あがき』をしている誰かの可能性もあると思うんだ」
 アレスディアの言葉を受け、サクリファイスも気になっていた事を言葉にする。
 止めたいといった言葉は、止めるための悪あがきをしようとしているとも読み取れるからだ。
「まずは、彼女が眼を覚まさなければ、話を聞く事はできないな」
 眼を覚まし、言葉を交わせる状態になったなら、きっとあの街について有益な情報をもたらしてくれる。そんな気がしてならない。
 そして、あの場から逃げた、アクラは―――?
 カツカツと黒山羊亭の奥から響いた足音に、ふと視線を向ける。
「彼女の容態は?」
 下ろした手を腹の前辺りで組んで歩いてきたシルフェは、自分に向けられた視線を受け取り、ゆっくりと首を振った。
「傷の方は全て癒すことができたのですが、熱を出てしまわれて……」
 水操師の力をもってしても回復せず、何が原因で熱が出てしまったのかまったく分からない状態。
 今は自然治癒に任せるしかない状況がもどかしい。
 それが、明日になるのか、明後日、果ては一週間後になるのか、それは誰にも分からない。
 ただ、あの街について分かったことを述べるのならば、街は危険だという事。あいつ――カデンツはヒトを殺す力を持ち、死なないという言葉のみ。

 そして、一同は、落ちてきた街に向かう準備をするため、黒山羊亭を後にするのだった。











to be...


No, it ends.





☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【2994】
シルフェ(17歳・女性)
水操師

【2919】
アレスディア・ヴォルフリート(18歳・女性)
ルーンアームナイト

【2872】
キング=オセロット(23歳・女性)
コマンドー

【2470】
サクリファイス(22歳・女性)
狂騎士


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 慟哭に呼ぶ夜想曲にご参加有難うございます。ライターの紺藤 碧です。
 今回は同軸時間上の話ですが、番外的なものですので、次回受注予定の本編ではあまり影響しません。要するに次回本編では体調が回復していないため話を聞けないという事です。
 しかし、このシナリオをクリアすることでメリットも考えていたのですが、もしかしたらあまり必要がない状況になりそうな予感もしています。
 一重に当方の力不足ですね。切ない……。
 アクラやコールを気にかけてくださって有難うございます。
 成功要因として水操師の力を1つに考えていたので、ダブルでドンピシャでした。ありがとうございます。
 ついでですが、次回の本編でNPCを気にかけ過ぎますと、二兎追う者は一兎をも得ずということになりかねませんのでご注意くださいませ。
 それではまた、シルフェ様に出会えることを祈って……