<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


戯れの精霊たち〜それは芳しき○○○〜

 その青年は、森を目の前にして深く息をついた。
「悪いかなあ……悪いよなあ……でもなあ」
 他に、付き合ってくれそうな知り合いがいない。
 右手が重い――荷物を持っているからだ。
 青年は豊かな銀髪を後ろへ払って、ぽりぽり首の後ろをかいた後、思い切って森の中へと足を踏み入れた。

 精霊の森、と呼ばれる場所がある。
 文字通り、精霊が棲む場所だ。泉と川には水の、焚き火と暖炉には火の、岩には岩の、樹には樹の、
 そして空気には風の。
 銀髪の彼――デュナン・グラーシーザが森の中を歩いていると、ふと覚えのあるような風が自分にからみついた。
「ああ……もしかしてフェー? ごめんね、今日はクルスさんのほうに用があるんだ」
 すると風は文句を言うかのように、強くデュナンの体に当たる。
「あいたっ! あいたっ! ごめんごめん、また来るからさ――」
 風の精霊フェーとは、以前遊んだことがある。そのためフェーは自分のところに来てくれたのだと思ってしまったらしい。
 そんなフェーに申し訳なく思いながらも、
(本当に申し訳ないのは、クルスさんのほうになんだけどな……)
 デュナンは重い足を進めた。
 向かうは森のほぼ中央にある、森の守護者の住む小屋――


「やあ、デュナン」
 小屋の扉を叩く前に、森の守護者――クルス・クロスエアは顔を出した。
 緑に青のメッシュの入った短い髪、森のような深い緑の瞳。
 デュナンより歳下に見えるが、彼は不老不死である。実年齢は分からない。
「今日はどうかした? フェーならさっきから君にまとわりついてるようだけど……」
「うん、フェーには悪いんだけど」
 今日はクルスさんに用があって――とデュナンは頭をかいた。
「僕に、かい?」
「………………」
 デュナンはおもむろに、持っていた袋をクルスの前へ差し出した。
「………ごめん、コレ、付き合って………」
 その本気で申し訳なさそうな顔に、クルスは一瞬で意味を悟って、顔を引きつらせた。

 小屋に入ると、暖炉のふわふわと穏やかな炎が部屋を暖めているのが分かった。
 デュナンは袋の中身を取り出した。まず箱があって、箱を開けば黒いケーキ……らしきもの。
「本人いわく、ガトー・ショコラだって」
 デュナンはクルスに椅子をすすめられるのも恐縮するほどに肩を縮めながら、
「昨日のバレンタイン、姉さんの家族感謝ケーキから逃げ損ねちゃって……ごめん。他に付き合ってくれそうな人思い付かなくて……」
「………」
 クルスは腕を組んだ。
 以前、デュナンの姉から「本人いわくパウンドケーキ」を頂いたことがある。
 その日、クルスは新しい世界を開いたのだ。なんとケーキが、腕力では右に出るもののいない岩の精霊にどばきっと割ってもらわなければいけないほど硬く、そのくせ水でふやけることもない。
 作ったデュナンの姉本人は、がりっがりっぼりっと平気でそれを食べていた。
 クルスはばきっばきっぼきっと「ありがたく」そのケーキを食し、
「ああ、新世界が開けた」
 と訳の分からない感動を覚えたのである。
 ……あごや頭が痛くなるのと引き換えに。
「お願いします。付き合って!」
 デュナンが深く頭をさげる。
 これではケーキ持参で告白されているようだとクルスは思った。
「実はね。お姉さんのケーキを食べたとき、ちょっとだけ歯が欠けたんだ」
 ひそっと言ってみると、デュナンは神妙な顔で、
「ちょっとだけ欠けるだけで済んだなんて……さすが精霊に護られし守護者」
「次の日から腹痛で四、五日寝込んだ」
「四、五日で済むなんて、さすが精霊に愛されし守護者」
「頭痛が消えるのに一週間かかった」
「一週間で済むなんて、さすが精霊に愛情を捧ぐ守護者」
「あごが痛むせいで半月くらい硬いものは食べられなかったんだけど……」
「半月で済むなんて、さすが」
 デュナンはうんうんうなずいていた。
 自分の護る精霊たちにそんな能力あったかな、とクルスは思った。
「今日はね。せめてものお詫びにと思って紅茶の葉を持ってきたんだ」
 デュナンが取り出したのは、ケーキと同じ袋に入っていた、茶葉の袋。
「ちまたでは有名な美味しい葉だよ」
「わざわざ持ってきてくれたのか……それは悪いね」
「いや……」
 デュナンはぼんやり『ガトー・ショコラ』を見つめ、
「美味しい水で淹れた美味しい紅茶で、食後くらい和もうと……」
 すでに死の縁にいるかのような目つきだった。
 クルスは慌ててデュナンの肩を揺さぶる。
「しっかりしろ! 新世界との出会いは人を大きくする! ここで逃げたいのはよく分かるが、修業だ!」
「しんせかい……?」
「新世界だっ!」
 クルスはぐっと拳を握る。
「彼女は新世界を伝えていく伝道者なんだ!」
「……生まれて初めてだ、あの人をそんな前向きに見てくれる人……」
 デュナンはそのことに感動したらしい。がしっとクルスの手を握る。
「その心意気で、ぜひ今回もお付き合いをっ」
「無論! 逃げるつもりはない!」
「本当に!? うわークルスさんってやっぱりいい人だねー」
「ここで食べるのをクリアしなくては、美味しい紅茶が飲めないじゃないか」
 あまり街に出ることのないクルスには逃せない味だ。ぜひとも飲みたい。
 するとデュナンは横を向いて、
「紅茶作戦成功……」
「ん? 何の作戦?」
「いやっ。何でもないよ?」
 デュナンは初めて笑顔を見せ、「一緒に食べてくれるなら嬉しいな。早速切ろうか!」
「今ナイフとお皿を用意するよ」
 しばし準備の時間――
 ふたりそれぞれの前に、取り分けるためのお皿。
 ナイフはひとつ。
 目の前には――黒いケーキ。
 ……ごくり、とクルスののどが鳴った。
「こ……っこれは、前のように硬い……のかな?」
「俺でも持てる重さだから硬くないと思うんだけど……」
「いや、あの人が作るものだから常識を超える」
 クルスは激しく警戒した。ケーキをぐるぐる回し、何かをさがしている。
「何を捜してるんですか?」
 デュナンは不思議に思って訊いてみた。
「いや。兵器でも含まれていないかと……」
「……ケーキに含むとしたら毒だけだと思うよ……」
「あの人の作ったケーキ。小型大砲ぐらいついていてもおかしくないっ」
 いやそれは警戒しすぎ、とは悲しいかな、言えないデュナンであった。
 やがてクルスは慎重に慎重に、ナイフをケーキに刺した。
 さくっ……
 さくさくさく……
「ああ……いい音だ……」
 クルスは音さえも堪能するようにゆっくりゆっくり切っていく。
「――え? お前変態になったのかって? やかましいぞグラッガ!」
 唐突に暖炉に向かって怒鳴りつけるクルス。デュナンは、「そう言えば焚き火にも精霊がいたんだっけな」と思い出していた。
「切り分けるのはうまくいきそうだね」
 デュナンがクルスのナイフの動きを見ながら頬杖をつく。
「いつもはここでもう難関だったんだけど……少しは成長したのかなあ、あの人」
「香りも芳しい」
 クルスは微笑んだ。「きっと訓練して、ここまで作れるようになったんだ」
「そうだね」
 ――やがてケーキは、ふたりの取り分け皿に分けられた。
 ごくり。
 のどを鳴らしたのはどっちだったか。それともふたりともだったのか。
 フォークをケーキに近づける、ふたりの手が震えていた。
 さく……っ
 ケーキはフォークで簡単に切れ、そして簡単にフォークの先が刺さった。
「こ……これは食べやすい……!」
 フォークに刺さったケーキに感激し、クルスはそれをはむっと口の中に入れる。
 瞬間。
 つきぬけた味に、がふっとケーキを吐き出してしまった。
「す、すまない」
 口元を慌てて拭いてから、続いてデュナンに飛んでしまったものを払い落とし、それからテーブルを整える。
「すまない……大失態だな」
「いいよ。あの人の作るケーキだからね……今くらいの反応がちょうどいいよ」
 デュナンは警戒して、小さく小さくケーキを切り分けてからちょっとずつ口に運ぶ。
「ああ……」
 デュナンはるーと涙を流した。「あの人のケーキだ……間違いない……」
 苦い。とにかく苦い。超絶に苦い。
 むしろ苦いを通り越して、味がない。
 クルスは暖炉に目をやった。前のときは暖炉を見て、デュナンの姉のケーキを「甘いレンガ」と称したものだが――
「今回は『芳しい炭』か……」
 ちょこっとはむっ。ちょこっとはむっ。ちょこはむ、ちょこはむ、ちょこはむ。
 食べないわけにはいかないだろうと、クルスもデュナンの真似をしてちびっこく食べていく。ちょこはむ。ちょこはむ。
 無意味に薫り高い『炭』とはどうしてこうも胸を痛めるんだろう。
「今回の新世界は……ビターだ……」
 クルスは滂沱と涙を流した。
「新世界はビター。黒いビター。炭のようなビター。きっとその世界では炭こそが一番の食料なんだ……」
 何だか意味不明のことを言い出す。
 それは姉の作るものを食べた人が大抵かかる副作用だと知っているので、デュナンは黙って聞いていた。
「僕はその一番の食料を食べさせて頂いた……なんて幸せなんだ……」
 幸せ、とまできた。
(クルスさん……あの人のせいでそこまで人格壊れちゃってごめん……)
 デュナンは心の底から詫びた。
「この新世界で、おそらく腹を壊して一ヶ月は動けなくなるだろう……」
 クルスはふっと遠い目をしながら笑った。怖い笑いだった。
「うん……一ヶ月で済むとしたら、やっぱりクルスさんは精霊に護られてるんだよ……」
 自分は三ヶ月だな、とデュナンはつぶやいた。

 何だかんだで律儀なふたりである。ちょこはむちょこはむしながら、ものすごい時間をかけてケーキをワンホール食べ終えた。
 その後は、約束通りデュナンが持ってきた紅茶を、精霊の森の澄んだ水で淹れる。
「うーん……」
 台所で紅茶を淹れたクルスが、難しい顔をしてうなった。
「どうしたの?」
 デュナンが席から声をかけると、
「いや……新世界ビターケーキの後だと……香りがこっちのほうが不自然で……」
 またもや副作用が。デュナンは「ごめんなんか間違えたかも」と詫びた。
 テーブルの上に、ふたり分の紅茶が置かれる。
 それを一口飲んで、デュナンははーと大きく息をついた。
「……時々ね、思うんですよ。もしかしてコレ、手の込んだ嫌がらせじゃないだろうかって。だって、料理はマトモなんですよ? なのにお菓子だけコレって、変でしょう? ねえ、そう思いません?」
「えっ」
 クルスは大きく目を見張った。
「料理はまともなのか!?」
「そうなんですよ!」
「それは……ではやはりっ」
 クルスは拳をぐぐっと握った。
「彼女は普通の料理じゃ飽き足らず、たくさんの菓子を作り研究したことで、新世界の開ける素晴らしい菓子を発明したに違いない……!」
「素晴らしいですクルスさん! あの人の菓子作りをそこまで前向きに評価した人初めてです!!!」
「なぜなら僕は実際に新世界に出会った! 歯が欠けあごを痛め腹を痛め頭を痛め――」
「それであの人を恨まないあなたが素敵です! クルスさん!」
「なぜ恨まないのか? それは彼女のせいじゃないからだ。悪いのは新世界だ! この世に新世界があっちゃだめなんだ! この世界だけでいいんだ!」
 もはやクルスの演説は訳が分からない。それでもデュナンはぱちぱちと手を叩いた。
「俺は異界から来たから肯定はできないけど、何となく意味は分かるよ! あの人のせいにしないなんて、あなたは何て優しい……っ」
「しかし」
 クルスは急に力を抜いた。
「……これが手の込んだ嫌がらせでしかなかったら、僕はあの人に何しに行くか分からないな……」
 ――あ、正気だ。
 デュナンは正気とぶっとびとを意識して使い分けているらしいクルスに、心底感心した。
 紅茶の香りが、ようやくビターな香りを打ち消して、薫り高く部屋に広がっていく。
「本当においしいよ……」
 しみじみとクルスは言った。「新世界から引っ張り出してくれるようだ……」
「新世界にこだわるねー」
「……いや、その程度には馬鹿を言っていないとやってられなくて」
 ――あ、やっぱり正気だ。
 デュナンはしみじみと、自分の姉がまき散らしている公害について考えた。こんな真面目な青年にまで馬鹿をやらせなきゃならないなんて。
「というか、本当に新世界が見えてしまうというか」
「それ危ないから、クルスさん」
「ああ、危ないと思ってるんだが……キミのお姉さんのパワーには勝てない」
 はあ、とクルスは額を手で覆ってため息をついた。
「深く考えないで……とりあえず食べてくれるだけで嬉しいから」
 デュナンはその背中をなでて慰めた。
 何だか、変な構図だった。

「ひょっとして、三月にもキミのお姉さんは何か作るつもりかい?」
 デュナンが帰ろうとしたところで、ふと思いついたようにクルスは言った。
 デュナンは振り向いて、引きつった笑いを浮かべた。
「多分、ね……」
「……ご愁傷様」
「さすがに三度目は付き合ってはくれないのかな」
 デュナンがすがるような目をすると、クルスは虚空を見て、
「そうだなあ……」
 とつぶやいた。
「キミのことが大好きらしいフェーに、擬人化してもらって、一緒に食べてもらうかな……」


 ―FIN―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0142/デュナン・グラーシーザ/男/26歳(実年齢36歳)/元軍人・現在何でも屋】

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■         ライター通信          ■
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デュナン・グラーシーザ様
お久しぶりです、こんにちは。笠城夢斗です。
今回はまた面白いネタをありがとうございましたw
前回のお姉さんのときと比べるとクルスの反応がおとなしいですが、こんなのもありかなと思って書いてみました。いかがだったでしょうか。
よろしければまたお会いできますよう……