<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


交響幻想曲 −結論へと続く遁走曲−





 逃がしたというか、逃がされたというか―――
 冒険者達は舞い戻った黒山羊亭でエスメラルダに街で出会った――いや、戦ったカデンツのことを話した。
 話し合いは、殆どその機会を与えられず決裂。それどころか、冒険者を一人行方不明にしてしまった。
 人質か…はたまた、別の思惑があるのか……それは本人に聞いて見なければ分からない。
 彼女は考えるように黒山羊亭の中を歩き回り、そしてまるで1つのオブジェと化していたあの水晶の鎖をシャラリと手に取る。
「これを、持っていってちょうだい」
 彼と話をするために、そして―――
 そう言って、エスメラルダは全ての鎖を手に、冒険者たちと向き合う。
「危険かもしれないわね」
 現在確認できている唯一の住人と分かり合えない今の状況では。
「それでも、行ってくれるかしら?」
 カデンツに街の謎と鎖の関係性を明らかにするために。
 エスメラルダの言葉に頷いた冒険者に、彼女は鎖を託した。
「それからこれも」
 そう言って、エスメラルダが手渡したのは、今までの手書きの地図を複製したものとは違う、専門家が編集した売り物とも思えるような綺麗な地図だった。





All human wisdom is summed up in two words--wait and hope.           Alexandre Dumas





 湖泉・遼介はその重たいまぶたをゆっくりと持ち上げた。
 いつもの部屋の中ではない。
 すわり心地だけは無駄に良い椅子の上で、今は誰も居ない舞台をただ呆然と眺めていた。
 ―――今は誰も居ない?
「!!」
 遼介は飛び起きる。
「……ぁ…?」
 身体に走る脱力感。
 遼介は立ち上がった瞬間に椅子に崩れ落ちた。
「ちっくしょ…」
 だるい。
 果てしなくだるい。
 喉の渇きや、空腹以上に、何かしら言い知れない疲労感が遼介の身体全体を支配していた。
「どこ…行きやがった…」
 遼介は、前の客席の背に手を着いて立ち上がり、客席を伝うようにゆっくりと歩き出す。
 ところどころ、誰も居ない舞台を見つめている人の形をした水晶が客席に座っていた。
 不気味だった。
 巨匠が作り出した作品には魂が宿るというが、まさにそんな神の造詣たる彫刻がここに終結しているような……そう、今にも動き出しそうな錯覚。
 遼介は客席と客席の間に走る通路へ出ると、改めて辺りを見回した。
 やはり、何処にでもあるようなオペラホール。分かりやすく言うならば劇場の造り。
 今は演目者もいないためか、舞台は暗く閉ざされている。
 遼介は、カデンツが現れ消える舞台に、何かしら仕掛けでもあるのではないかと、舞台へと向かう階段を下りた。
 よっと舞台の上に上がり、客席を振り返る。
「あれ…?」
 思い出せ。何か、違うはずだ。
 最初に来た時とは、確実に変わっている部分がある。
 それはカデンツが居ないからとか、そんな直ぐ分かる違いなんかじゃない。もっと、違う部分で……
「水晶の手が…」
 拍手の形をしていない。
 なぜ? どうして?
 カデンツが居た時は拍手をしている人の形をした水晶が、今は、客席にただ座しているのみ。
 けれどその視線の全てが舞台へと注がれている。
 遼介は背筋に嫌な汗が流れたのを感じて、思わずぐっと息を呑む。
(……あれ?)
 この場所へ連れてこられた時、一瞬だけ見た、銀色の頭。
 流れる銀糸は水晶ではない。
「人だ!」
 遼介は水晶の彫像に見つめられていることも忘れて、舞台から飛び降りる。
 瞳を閉じ、顔を伏せ、両腕を肘掛に置き、身体は深く椅子に腰掛けている、銀髪の青年。
 彫像の足をすり抜け、その顔を覗き込む。青年の額には、シルフェと似た真珠のような石があった。
 生きているのか、それとも水晶とは違う人形なのか……
 遼介は、つい観察するように視線を移動させる。
「…!?」
 青年の袖から垂れて落ちる、水晶の鎖。その鎖を構成している1つ1つに、遼介はとても見覚えがあった。
 遼介は思わず手を伸ばす。
「触っては、だめ、です」
「あんた意識が!?」
「その、左の鎖は、死を、刻みます」
 うっすらと開いた虚ろな瞳が遼介を捉える。
「君は、なぜ…ここに?」
 青年は言う。ここは、この街の操縦室であり、動力室。カデンツが、動力を集める場所だ―――と。
「よくは分かんないけど、気がついたらここに居たんだ」
 眠らされる直前、カデンツに何か言われたような気がしたが、あまりにも意識が朦朧として覚えていない。
「そう…ですか。ならば、早く、街から、出たほうが、良い」
 街が稼動し始める前に。稼動し始めたら、きっと遼介も巻き込まれてしまうから。
「無理矢理、ですが、繋ぎましょう。僕には、それくらいしか、できません。君は、そこから、逃げて、下さい」
 どうやらこの青年は、遼介をこの場所から逃がそうとしてくれているらしい。
 この青年はこの街の謎を知っている。遼介には、聞きたい事が沢山あった。
「俺だけ逃げるなんて出来るかよ。あんたはどうするんだ」
「僕は、動けません。……いえ、活動を、最小に抑え、生命を、維持しているのです」
「それって、どういう……!」
 遼介は息を呑む。
 意味? という言葉は、出てくる前に飲み込まれてしまった。
 青年はそっと首を振る。その顔に称えられた笑顔が、切なく、そして儚げで、遼介は二の句を続けることが出来なかった。
「君は、逃げなさい。僕に、構わず」
 そして、
「ルツーセに、伝えて…ください」
「ルツーセ?」
 遼介の知らない名前。
「はい。始まりの、輪を持った、白い、髪の、少女に―――」

 何があろうとも、この街へ戻ってきては駄目。
 この街が止まっている――僕が生きている――間に、別の世界へと送ってください。





 出口はもう直ぐだろうか。
 青年が開けてくれた出口は、灯りも無くただ暗闇ばかりが続いていた。
 ふと、微かな灯りが扉の隙間を縫って遼介の元へと光を運ぶ。
「っぅ……」
 民家の扉を蹴破って抜け出せば、大量の光が一気に遼介へと降りかかり、あまりの眩しさに遼介は顔をしかめた。
「遼介!?」
 突然名を呼ばれたことに、遼介はまだなれない瞳で声の方向へと視線を向ける。
「サクリファイス…と、シルフェ?」
 やっと慣れてきた視界に移る、サクリファイスとシルフェの姿。
「ご無事でなによりです」
 シルフェは遼介が怪我でもしていないかと、その傍らへ歩み寄ると、そっとその手を取った。
「あ、大丈夫大丈夫。怪我とかは全然!」
 それよりも、数日間食事を取っていなかったことの方が、身体に堪えている。
 サクリファイスは自分の腕に下げているバスケットに視線を落とし、くすっと笑う。
「夕食までは待てないか」
 その瞬間、遼介の腹からは盛大な音が鳴り響き、誤魔化すようにあははと苦笑いをもらす。
 遼介はサクリファイスが持ち込んだバスケットの中身、サンドイッチを頬張りながら、やっと生きた心地を感じてほっと息を吐く。
「遼介様を先に街の外へ。わたくしは危なくなりましたら、どこかへ隠れますから大丈夫です」
 今更だが、結構ちゃっかりしているシルフェは、何かしら事が起きても全く巻き込まれない体質をしていたりする。それはつまり、逃げ足が速いとも言える。
「直ぐに戻る」
「はい」
 サクリファイスの言葉に、シルフェはにっこりと微笑み、飛び上がる2人を手を振って見送る。
 サクリファイスに吊り下げられている形で、遼介は空を飛ぶ。
「何かさ……、ごめん」
「謝るな。遼介は何も悪くない」
 そう、悪いのは、全ての現況は、あのカデンツという名の老紳士。
 ゴ―――!!
「「!!?」」
 突然目の前に生えた、大きな壁。
「っく…」
 サクリファイスの両手は遼介を支えている。
 遼介はポケットに手を伸ばし、ヴィジョンカードを取り出した。剣はない。けれど、遼介には水貴がいる。
「ミズ……つぁ!」
「どうした遼介!?」
 壁はこの間にも天へ向かって伸びる。
 まるで、2人の行く手を阻むように。
 遼介はヴィジョンカードを握り締め、苦痛の表情で奥歯をかみ締める。
「カデンツに、何かされたのか!?」
「何もしておりませんよ」
 街と、繋げた事くらいしか。
 声は辺りに響くように広がる。
「アレスディア様とオセロット様は…!?」
 路地の上、シルフェの目の前に、カデンツが立っていた。





 輪へと戻っていない人形など今更どうでも良い。外へ出たはずの水晶の輪が街へと戻り、そして、丁度良い端末も手に入れた。優しい彼は動くだろう。
 端末を、助けるために。
「仕方ありません」
 大切な、端末ですが。
 カデンツはすっと指揮棒を振り上げた。
「うぁ……」
 がくっと膝から力が抜ける。まるで生命力を吸収されているかのような、オペラホールで目覚めた時とは比べ物にならないほどの疲労感。
「遼介!?」
 サクリファイスが視たものは、遼介の頬に走る青白い光の線。いや、何かの文様に見えるこれは―――?
「私もこの場所に長く滞在したいとは思ってはおりません」
 カデンツはその口元に微笑をたたえたまま、愁いを帯びたような声音で告げる。
 ふいに、辺りの空気が変わったような気がした。
「何か聞こえてきます」
 そっと耳に手をあて、シルフェは辺りを見回す。
「だからこそ、動力の一部であるその輪を返して欲しいと言っているだけのこと」
 奏でられるは、オーケストラの絃の音か。
「今すぐにでも返して頂ければ、彼の負担も軽減されるのですが?」
 卑怯だ。カデンツは遼介の命を天秤に乗せる。返せなど言わなくても、奪うことが可能なのに。
「死には致しません。この街を飾る彫像の1つになるだけのことにございます」
 けれど、街が稼動している限り、遼介にかかる負担が減る事はないのだ。
 遼介は、一人で立つことさえままならぬ状態でカデンツを睨み付ける。自分ひとりでこれだけの負担ならば、あのオペラホールの座席で、一人残っている彼が受けている負担は……?

―――ピキィ…

「!!?」
「おや」
 指先から感覚が無くなる。
 遼介はゆっくりと震える指先を自分の視界へと持ち上げた。
「これって…まさか……!」
「結晶化している!?」
「思いのほか早いようですなぁ」
 カデンツが浮かべる昏い笑み。
 オペラホールの客席に座していた、人の形をした水晶の彫像。あれは彫像ではなく、力を全て吸い取られたヒトの成れの果て―――
「街と繋がっていることが問題なら……!」
 街の外へ出てしまえば良い!
 サクリファイスは遼介を抱き上げ、街の外へと向かって飛ぶ。
 隼のように飛び上がり、翔ける。
「う…!」
 サクリファイスは何かに弾き返され、空中でたたらを踏む。
「サクリファイス様! 遼介様!」
 名を呼ぶが、シルフェの声は二人に届いてはいない。
 しかし、シルフェは見た。
 空へ向かって上昇したサクリファイスを遮る見えない壁を。
 それは透明で、まるで弾力のある水面のように空に波紋を描き、サクリファイスを弾き返した。
「っく…」
 完全に閉じ込められた。
 いや、違う。
 街が―――稼動し始めたのだ。
 シルフェはゆっくりと顔を上げた。
「オーケストラが…」
 聞こえる。
 先ほどよりもはっきりと。
 ヒトを滅ぼす音……正確には音波か。それは、オーケストラに隠れて伝わる、不可視の衝撃。
 今、立っていられるのは、カデンツにその気が無いからだろうか。それとも、動いているだけでオーケストラは流れ出るのか。
 噂が広がったことを考えれば、稼動するだけでオーケストラが流れると考えていい。
 街の稼動。それこそが、エスメラルダが探していた、草原の管弦楽団。そして、その草原のオーケストラは、決して人の目に触れることのない管弦楽団だった。
 ならば、オーケストラが流れている間、不可視の効果を持った結界のようなもので覆われているのだろう。
 不可視になるために、街の出入りを遮断させる。
 そう考えれば、サクリファイスが弾かれた理由も(閉じ込められたことは不本意だが)納得が出来るものではあった。



 カデンツの取引は、サクリファイスやシルフェと行われているものではなかった。彼女たちを通り越し、ただ一人のヒトへと向けられた、脅迫と言う名の取引。
 カデンツ…あなたと言う人は……!
 あのオペラホールの客席で、一人の青年が悔しそうに奥歯をかみ締めた。
 ここで今、号を下さなければ、彼は物言わぬ水晶と化す。
 例えこの判断が最悪の結果を招いたとしても、今目の前の命を枯らすことなんてできない。


―――生命の鎖よ…戻りなさい





The important thing is not to stop questioning.           Albert Einstein





 水晶の輪が微かに光を放ち、自分たちの手から放れていく。
 だが、その輪はカデンツの元へ向かうのではなく、床へ、地面へ、溶け込むように沈んでいった。
 街のように見えるだけで、この街全体が巨大な魔方陣なのだから、魔方陣に取り込まれていっていると言った方が正しいか。
「輪が…!?」
 何か別の意志が働いているとしか思えない。
 浮かび上がった水晶の輪を追いかけるように、掴もうと手を伸ばすが、その指先をすり抜けて輪は地面に吸い込まれていく。
 微かな寝返りさえも打てぬほど、ぐったりと身体を横たえていた遼介は、はっと目を開く。そして、信じられないといった表情で起き上がり、自分の両手を見つめた。
「治ってる……」
 遼介は、両手を握ったり開けたりしながら、自分の手が元に戻ったことに、小さく言葉を吐き出した。
「良かったです、遼介様。本当に」
 “力”を吸い取られていくという行為に対して、水操師の力は何ら及ばない。ただ、衰弱していく様を見ることしか出来なかったシルフェは、本当に安心したように微笑んだ。が、
「良くない。全然良くないって!」
 突然叫んだ遼介に、シルフェはきょとんと瞳を瞬かせてしまう。
「どういうことだ?」
 問いかけに振り返れば、本当に街から出られなくなってしまったのか確かめるため、街の上空を飛んでいたサクリファイスが、舞い戻ってきていた。
「この街を動かしてるのは、銀髪の…皆ぐらいの年の男のヒトなんだよ!」
 ぐっと無意識に拳を握り締める。しかし、
「いや、でも動かしてるのはカデンツだから、えっと!」
 あまりの動揺に遼介は頭を抱え、ぐしゃぐしゃとかき回す。
「あーもう何て言ったら良いんだ!」
「要するに、動力源が、その青年と言いたいんだな?」
 動力源などという言い方をすると、まるで無機物をさしているように思えてしまうが、サクリファイスが例えた言葉が一番しっくりしている。
「そして、カデンツ様はその方から奪った力で、街を動かしていらっしゃるのですね」
「そう、そうだよ!」
 そして先ほど、その動力として遼介も取り込まれそうになった。
「俺が助かったのは多分……」
 彼一人で、動力がまかなえる状態になったから。
 それは、つまり―――
「水晶の鎖が、元に戻ったんだ」
 水晶の鎖を外して、輪から人形を作ることで力の分散を図り、この街を動力不足にして落とした。
 なぜ、そんな事をしたのか?
「あの少女の言葉を思えば、理解できるかもしれない」
 街が稼動している限り、誰かを殺すというのなら、街を稼動させなければいい。
 サクリファイスは、今は黒山羊亭で眠る“悪魔”だった少女の言葉を思い出す。
 カデンツは死なない。それは、何故カデンツが死なないのかと言う理由を、知らないせいではなかろうか。
「教会へ向かおう」
「え?」
 教会から赤い光がほとばしった瞬間、カデンツは何事もない姿で自分たちの前に現れた。
 オセロットたちと離れたとき、肩の骨が外れ、歪な身体の形をしていたにも、かかわらず。
 なれば、教会にカデンツの不死たる秘密があるに違いない。
 街を稼動しているものが、唯の無機物であったのなら、それを破壊して逃げるだけ。
 けれど、違うと分かった今、見捨てて行けるか?
 いや、街から出られぬ今、遼介の命だけでなく、自分たちの命もカデンツに握られているも同然。
 どちらにせよ奴は倒さなくてはならない。

 教会へ――――!

 最上層に聳え立つ教会を見上げ、ぐっと唇をかみ締める。
 天上から、カデンツに嘲笑(わら)われているかのような気がした。
















to be...







☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【1856】
湖泉・遼介――コイズミ・リョウスケ(15歳・男性)
ヴィジョン使い・武道家

【2994】
シルフェ(17歳・女性)
水操師

【2470】
サクリファイス(22歳・女性)
狂騎士

【2919】
アレスディア・ヴォルフリート(18歳・女性)
ルーンアームナイト

【2872】
キング=オセロット(23歳・女性)
コマンドー


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 交響幻想曲 −結論へと続く遁走曲−にご参加ありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
 今回はかなり怒涛のペースでいろいろな謎が解けた話にしたつもりなのですが、読み取れないようでしたら一重の当方の力不足によるものです。申し訳ありません。
 加え、分岐もかなり多く、謎が別方納品ノベルにて答えが書いてある場合もあります。一旦黒山羊亭に戻ってはいませんので、エスメラルダへの報告もありません。
 お任せありがとうございます。というか、お任せになってしまいますね、この状況では。とりあえず、今回、核心に近い答えがぽろぽろとあります。
 それではまた、遼介様に出会えることを祈って……