<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>
交響幻想曲 −結論へと続く遁走曲−
逃がしたというか、逃がされたというか―――
冒険者達は舞い戻った黒山羊亭でエスメラルダに街で出会った――いや、戦ったカデンツのことを話した。
話し合いは、殆どその機会を与えられず決裂。それどころか、冒険者を一人行方不明にしてしまった。
人質か…はたまた、別の思惑があるのか……それは本人に聞いて見なければ分からない。
彼女は考えるように黒山羊亭の中を歩き回り、そしてまるで1つのオブジェと化していたあの水晶の鎖をシャラリと手に取る。
「これを、持っていってちょうだい」
彼と話をするために、そして―――
そう言って、エスメラルダは全ての鎖を手に、冒険者たちと向き合う。
「危険かもしれないわね」
現在確認できている唯一の住人と分かり合えない今の状況では。
「それでも、行ってくれるかしら?」
カデンツに街の謎と鎖の関係性を明らかにするために。
エスメラルダの言葉に頷いた冒険者に、彼女は鎖を託した。
「それからこれも」
そう言って、エスメラルダが手渡したのは、今までの手書きの地図を複製したものとは違う、専門家が編集した売り物とも思えるような綺麗な地図だった。
All human wisdom is summed up in two words--wait and hope. Alexandre Dumas
珍しく、キング=オセロットはその口に煙草を銜えてはいなかった。
手で持っているわけでもない。
煙草を吸っていないのだ。
オセロットは、今は居ないカデンツがそこに居るかのように一点を見つめる。
(カデンツ……か)
死出の管弦楽団を率いる指揮者。
奴が組み立てた演奏楽曲順(プログラム)が全て終了した時、いったいこの街に何が起こるのだろう。
だが、カデンツという人間を思い出してみる限り、余り良い結果が起こるようには思えない。
ならば、奴がこの楽曲を終わらせる前に、まずはこちらの自由演奏といこうか。
オセロットはふっと笑うように、軽く口の両端を持ち上げる。そして、ざっと一歩近づいた足音に気付き、振り返った。
「早く遼介を取り戻して帰ろう」
サクリファイスの言葉に、オセロットだけではなく、共に街に降り立ったシルフェとアレスディア・ヴォルフリートが頷く。
シルフェは祈るような気持ちで胸の前で両手を組むと、ゆっくりと瞳を閉じた。
「未来を……」
本当は手を組むなんて仕草、未来視には必要ない。けれど、より良い未来を願って、シルフェは祈るように手を組んだ。
暗闇の中、走る足音。弾むと息。
逃げている? それとも、ただ出口を求めて走っている?
けれど、周りには何もない。ただ暗闇が広がるのみ。
未来と言うよりは、夢を覗いているかのような光景。
「暗闇の通路か…」
光が届かないとすれば、街の内部や、地下などだろうか。
もし、地下にいかなければならなくなったとして、自分たちには地下へ下りる通路や入り口の場所は分からない。
考え込むようにして一同は動きを止めた。
「…………」
何も始まっていない今、ただ沈黙が流れる。
カデンツの対処や、もしくはこの街にと捕われた湖泉・遼介を探すことを優先して考えていたため、ほかの事にはあまり頭を回していなかった。
今まで集めた水晶の輪が、全てここに集まっているというのに、カデンツが現れるような気配は一切ない。
やはり、この街と水晶の輪を呼応させなければ、カデンツは反応しないと言うことか。
カデンツに見つかることなく街を探索できるなら、これほど平和なことはない。けれど、カデンツに出てきてもらわなければ、先日連れて行かれた遼介の現在の居場所も分からないのだ。
歯痒い。
出会えば一悶着。しかし、避ければ話が先に進まない。
だが、この街全体が巨大な魔方陣が絡み合った存在だと報告されている。ならば、魔方陣そのものを止めてしまえれば、この街の出来事は解決するのかもしれない。けれど、魔方陣は一般的に視認できる状態ではない。結局のところ、どう見ても普通の街にしか見えないのだ。こればっかりは、やはり個々の能力による探査の結果なのだろう。
街を壊すことで魔方陣をも壊すことが出来るなら、そんな簡単なことは無いが、自動的に修復されるような機能や、暴走させれてしまっては元も子もない。
だが、これだけの魔方陣を操るためには、それ相応の場所と言うものが存在しているのではないだろうか。
カデンツの存在自体が街を動かす鍵ならば、遼介をわざわざ連れて行かなくても、その場から“本当の意味で”街を動かすことが出来たはずだ。
そう、壁や路地を動かすなど、小手先の稼動だけではなく。
問題はこの街の何処に遼介が連れて行かれてしまったのか。ということ。
この街に後どれだけの人形が残っているのかは分からない。この数回の探索で全ての人形を輪に戻しつくしたとは考えにくい。
ならば、水晶の輪がどれだけこちらの手に渡っているかも、カデンツは把握していないはずだ。
「輪を5つに別けて持とう」
4つはそれぞれの懐に、1つはカデンツの前に差し出すために。
顔を見合わせ、水晶の輪を落とす。
それは、鈴の音を伴って、辺りに波紋を描いた。
民家の屋根の上に現れたカデンツは、一同を見下ろし、またかという表情でやれやれと首を振った。
「私たちが今まで集めてきた水晶の輪を持ってきた。これで遼介を返してもらいたい」
返してくれないならば、渡さないという言葉は取引材料にはならない。なぜならば、彼は自分たちが持っていた輪を、確実に取り返していたから。
「それは訊けぬ相談でございますな」
輪が要らないのか? いや、取引もならないだけ。
「彼には、私がこの街に封じた人形を、輪に戻してもらわねばなりません」
カデンツの言葉に、シルフェはぱちくりと瞳を瞬かせ、まぁと口元に手を当てると、すぐさまふわりと微笑を浮かべた。
「あら、それでしたら。遼介様だけではなく、わたくしたち全員が人形さんを輪に戻す方法を知っておりますのに」
最初に遼介だけが輪を持ち込み、そして、カデンツとの邂逅のおり、輪が奪われることを恐れ人形を元に戻さなかったことで、遼介のみが輪を戻せるのだと思われてしまった。
「遼介様をお返しいただけるのでしたら、残りの人形さんをぜ〜んぶ輪に戻してさしあげても構いませんのに」
「シルフェ…!」
ほうっと頬に手を当てて、軽く小首をかしげる仕草を交えつつ告げたシルフェを、サクリファイスはおろおろと小さく名を呼ぶ。
「では、言い方を変えよう。遼介がいる場所に、我々も案内してはもらえないか?」
オセロットは、努めてにこやかな表情を浮かべ、言葉を募る。
遼介と輪と。カデンツが欲するパーツを取り上げる。そのためには、闇雲に探すよりも、彼らがいる場所へと案内してもらえば一番早い。
「遼介殿の無事をこの目で確認することが出来たなら、残りの人形を輪に戻すことに協力する」
カデンツはしばし考えるように顎に手を当てて、空を仰ぎ見る。
「それもまたいいでしょう」
そして、胡散臭い限りの好々爺然とした顔で笑った。
「こちらへ」
適当な民家の入り口から入り、たどり着いたオペラホールは、暗がりに包まれ、客席とその先に舞台がある以外はっきりと見て取れなかった。
「彼を逃がしましたね?」
カデンツの低い声がホール内に響き渡る。
けれど、その問いに答えを返す者はいない。
しかしこの言葉が本当ならば、遼介はカデンツの手の内から逃げ出しているということ。
「どうやら、遼介はここを脱したらしいな」
それはつまり、再度、カデンツの手に落ちる前に見つけなければいけないということ。
コンサートが行われていないホールは、暗がりが広がり、何があるのか良く見て取れない。
けれど、この場所に先ほどまで遼介が居たのだろう。
「運ぶのは手間がかかるのですよ。戻ってきてもらわなくては」
カデンツは指揮棒で客席をコンコンと叩く。
客席が、動き始めた。
振り返ったカデンツは、一同に向けてにこやかに微笑む。
「後ほどお目に―――」
カデンツの目の前で、オセロットの金髪が揺れる。
突き出された拳はカデンツの顎を捉え、体勢を崩した瞬間を狙って、そのまま床に組み伏せる。
組み手で押さえ込めるとは思わないが、一時しのぎにはなるだろう。加え、今回は間接を極めるだけには止めぬ、確実に、外す!
ゴキッと肩の骨が外れる音が鈍く響く。
オセロットは振り返り、叫んだ。
「遼介を探せ!」
カデンツにまた、遼介を取られる前に!
「オセロットは!?」
サクリファイスが振り返る。
「私は大丈夫だ。カデンツには先の礼もしなければいけないしな」
皆がオペラホールから姿を消したのを確認し、オセロットは組み伏せたカデンツに視線を向ける。
もし唯のヒトであるならば、ねじりを加えた腕は相当に痛むはずである。
「学習能力がないのですか、貴女は?」
やれやれといった素振りでカデンツが息を吐く。
「やはり間接を外す程度では何とも無いか」
オセロットの言葉に、カデンツは動かぬ肩で身を竦めるように笑う。
「だが、こちらとて、そんな事は重々承知している」
微かに聞こえる何かが流れる音。
オセロットの手には細いワイヤーが握られていた。
光を受けたときのみ微かに光るワイヤー。
ぐっとワイヤーを握る手に力を込める。
カデンツがぎりっと奥歯を噛み締めた。
「貴女はこの街で一番不要だ! 何の“力”もない!」
腕を不自然に垂らしたまま、カデンツの身体には幾重にもワイヤーが絡みつく。その絡め取る力は、オセロットの微かな動き一つできつくも緩くもなる。
「あなたの言う“力”が、何を指すか分からないが」
不要ならば、一番最後まで残っていても、追い出されることはあっても、拘束されることはない。
「流れる生命の波動がない貴女など、この街には要らぬのだ!!」
「!!!」
一瞬、ワイヤーを持つ手が緩んだ。
この街が必要としているのは、生命力とでもいうのか!
カデンツが跳ぶ。
開けていたはずの間合いが一気に狭まり、気がつけばオセロットの眼前にカデンツの顔があった。
それは、今までのどこか作り物のような表情とは違う、良く言えば人間的な、悪く言えば狂気に満ちた表情で、嗤っていた。
(なに……!?)
突然の衝動。
肩に食い込む違和感。
なんという咬筋力。カデンツは、オセロットの肩に噛み付き、そのまま壁に飛ぶ。
二人が飛んだオペラホールの壁は、ブラックホールのような穴を開け、二人をオペラホールの外へとはじき出す。
「っぐ…!」
時間差で背にかかる衝撃。砕け散る瓦礫と、舞い散る粉塵。痛覚を切り替えてしまえば、オセロットにとって痛みとてただの情報でしかない。けれど。
民家の壁を突きぬけ、視界の端に光がともる。
壁を突きぬけ、そのまま街へと吹き飛ばされた。
オセロットの手を離れたワイヤーは、カデンツを拘束から解き放つ。
「やれやれ、肉体と言うものは万能ではないので、もう少し丁寧に扱っていただきたいものですなぁ」
サっと路地に解けて落ちるワイヤー。
外したはずの肩などものともせず、カデンツは首に手をあてコキコキと数回鳴らす。
外すだけでは駄目だというのか。外すのではなく砕く勢いでなければ。
「オセロット殿!?」
通路から外へ出た瞬間、壁に食い込むように座り込んでいるオセロットの姿を見て取り、アレスディアが驚きの声を上げた。
「っふ…。私のほうが早かったか」
ある意味、ショートカットで外へはじき出されたことと同義。
オセロットは皮肉を込めた声音で呟き、自嘲する。
サクリファイスはばっと屋根を仰ぎ見る。大きく開いた穴。崩れ落ちている壁。
「オセロット様!」
たっとシルフェはオセロットに駆け寄り、何か怪我をしてはいないかと、傍らに座り込み、視線を走らせる。
「問題ない。私は人ではないからな。シルフェの癒しも功を奏さぬだろう」
「それでも、わたくしは……!」
ふっと優しく微笑んだオセロットに、シルフェは弾かれたように眉根を寄せ、スカートを握り締めるように拳を作り、俯く。
オセロットはそんなシルフェの肩を優しく叩き、すっと瞳を細めると、鋭い視線でカデンツを見つめた。
(肉体と言うものは万能ではない。あの言葉……カデンツに取って、老紳士の身体は重要ではないのか)
推測から導き出される答えは、カデンツの命、意思は別の場所にあるのではないか。というもの。
「あくまで邪魔立てするか……」
屋根の上に立つカデンツを睨み付けるサクリファイスの瞳が、何故だか色を変化させているように見えた。
徐々に…その速度は緩慢であれど、確実に、サクリファイスを狂気へと落とす焔。
アレスディアは、握り締められたサクリファイスの拳を、下すように触れる。
「カデンツの足止め、引き受けよう」
不必要に追い回すようなことはすまいと思っていたが、今は完全に逆だ。追うのでは無く、追われる側。そして、カデンツは完全にこちらの邪魔をしようとしている。
「サクリファイス殿は遼介殿を探してほしい」
多分、このメンバーで一番遼介のことを考え、心配していたのは、サクリファイスだと思うから。そして、その翼で一刻も早く街の外へ。
アレスディアは槍を持つ手に力を込めた。
(―――今回は指揮棒を狙うなどと大人しいことはせぬ!)
確実にその動きを止める。例え四肢を砕こうとも。
「シルフェも、サクリファイスと一緒に行ってくれ」
すっとオセロットはシルフェの背を押す。
現状、この状況で、カデンツと対峙する2人の方が怪我を負う危険性が高い。だが、未だ見つかっていない遼介のほうが、もしかしたら重症を負っている可能性だって有るのだ。
自分たちはまだ己の足で街を去ることが出来る。
「はい。分かりました。くれぐれもお気をつけて」
シルフェは頷き、立ち上がると、サクリファイスの後を追いかける。
シルフェには分かっていた。ここに残ることは、2人に余分な負担をかけることになると。
「貴女方の相手をするなどと、申した覚えはないのですがね」
やれやれと言った素振りでカデンツは首を振り、ふぅっと息を吐く。そして、外された肩を繋ぎなおし、指揮棒を振るった。
音ではない。前のときのように壁や床が踊り始める。
「だが、止まってもらうぞ」
倒すことが出来れば尚良いが、目的はカデンツを倒すことではなく、カデンツが求めるものを取り上げ、この騒動を終わらせる。
もし、その過程の中にカデンツを倒すことがあるのなら、倒す。それだけ。
「奴は、身体が拘束されると、口を使ってくる」
「歌うと言うのか?」
初めてカデンツと出会ったとき、奴は最後、指揮棒を使って音による攻撃を繰り出してきた。
「歌うだけなら可愛いものだな」
いや、音による攻撃をしていたのかもしれないが、オセロットには一切通用しなかっただけかもしれない。
動かせないほどではないが、肩の稼動部に微かな違和感を感じて、オセロットは目を細める。そして、そっと肩に触れると、どうして自分がアレスディアたちよりも街へと戻ってきていたのかを説明した。
「まさか、あの時!」
アレスディアは、自分たちが街へ出た瞬間に見たオセロットの姿を思い出す。
そう、カデンツのヒトとも思えぬ咬筋力によって噛み付かれ、そのまま壁へと飛ばされた姿。
2人は踊る壁を避けながら、少しずつカデンツとの間合いを詰めていく。
「もう一度、奴を止める」
高く聳え立つ壁の上に飛び上がり、オセロットはカデンツを見た。
アレスディアは屋根に上り、カデンツへ向かって走る。
「動きを奪われた奴は」
ぐんっとオセロットは壁を蹴りつける。
「一直線に突っ込んでくるだろう」
その時、カデンツが一番無防備になる。
そこを狙って、討て!
「承知した…」
たった数分離れていただけなのに、気がつけばかなり経験の差が出来ていたのだと感じて、アレスディアは素直に頷く。
組み伏せるだけではまた地下へと落とされる。
ならば、オセロットはどうやってカデンツを止めるのだろう。
アレスディアは槍を構え、いつでも全力で繰り出せるよう精神を尖らせる。
オセロットの手がキラキラと光の筋を握り締める。
まるで、ワイヤーが意思を持ったかのように繰り出される。
指揮棒が無くても、音楽は身体全体で行うものだと言ったカデンツ。その、身体の自由さえも奪われてしまったとしたら?
狂気に満ちたカデンツの瞳、もがけばもがくほど食い込むワイヤー。
ワイヤーは簡単に切れるようなものではない。絡み取ってしまえばこれほど最高の拘束具はない。
ぐっと奥歯をかみ締め、憤怒の形相でカデンツが走る。
「はぁあ!!」
カデンツが動いたのを狙って、アレスディアも屋根を蹴る。
衝突点は、2本の直線が交わる瞬間。
アレスディアの槍が、カデンツの四肢を砕く。
血は流れない。けれど、中に存在しているヒトとしての証が、辺りに散らばっていく。
目を見開いたままカデンツはその場へ崩れていった。
痙攣を繰り返していた身体が、その動きを止める。
―――刹那。
辺りが赤く染まる。
夕日の色ではない。
血色の輝きが辺りを埋め尽くした。
「何だ? この光…」
光の出所は、何処だ?
「…っ!!?」
ゆらり…と、四肢を崩したまま、カデンツが立ち上がる。
「何!?」
ニタリ。
カデンツが、嗤った。
先日落とされた時とは違う。さらに最下層へと落とされたらしい。
オセロットは辺りを見回し、最短距離で地上へと戻れそうな方角を探る。
距離は近い。嘘みたいに。
だが、上へ向けての距離はかなり遠く感じた。
所謂地下室。いや、
「地下道…か」
まだ街に残っているだろう2人は無事だろうか。ちゃんと合流できただろうか。
(必要がないと言うならば、街の外へと追い出せばいいものを)
それを、これ見よがしに、自分の力を見せ付けるかのように、地下へと堕とす……。
ふと、オセロットは、肩に噛み付いたカデンツの顔を思い出す。完全に正気を失ったかのような瞳。彼はもう、ヒトではなくなっているのかもしれない。
「いや…」
心音がなく、どんな痛痒さえも感じない時点で、彼はヒトの形をした立派なモンスターだ。
アレスディアに四肢を壊され、確かにカデンツはその息を止めたのだ。だが、その瞬間、辺りは不気味な赤に染められた。
そして、倒れたはずのカデンツは起き上がり、自分たちを地下へと落としたのだ。
赤い光の出所は、教会―――
探索を始めたころから、その存在感を知らしめていた場所。
教会に、カデンツが不死たる秘密があるに違いない。
それにはまず、この地下を攻略し、街へ、ひいては教会へ行く必要がある。
灯りが無くともオセロットには何ら不便は無いが、アレスディアには少々慣れるまでに時間がかかるかもしれない。
できれば灯りが欲しいところだ。と、オセロットは辺りを見回した。
「……っ」
アレスディアがゆっくりと起き上がる。
「怪我は無いか?」
鋼の身体を持っている自分と違って、アレスディアは生身だ。
あまりの暗がりにアレスディアは軽く辺りを見回し、オセロットの気配を感じて、軽く微笑んだ。
「大丈夫…っつ」
「足が折れているようだな」
あれだけ高い場所から落とされたのだ。無傷と言うほうがおかしい。それでも足が折れるだけで済んだのは幸いと言えた。
「何か添え木になるようなものがあればいいが、あいにくこの場所には何もないらしい」
ただ、地上の街のような迷路が広がっているのみ。
「相当深く落とされたらしい」
オセロットは天井を見つめ、ふっと息を吐く。
指先が無意識のうちに凹んだ煙草の箱に触れていた。
こういう時は一服尽きたいものだが、如何せんここは地下道。換気もままならない。下手に煙草を吸っては臭いがこもってしまう。服や髪に臭いがついてしまうのは、もう仕方がないと悟っているが、一緒に居るアレスディアもそうとは限らない。
此処から脱出できるまで我慢しておこう。
ある種願掛けのような気分で、オセロットは煙草の箱から手を引いた。
「外観を見たときから、地下があるのではないかと思っていた」
アレスディアは槍を松葉杖代わりに立ち上がる。
途中、やはり松葉杖ではないため、無駄に手首に力が入り、バランスを保てずよろめく。
やはり地下はあったのだ。ただ、アレスディアが最初思い浮かべていたような、水道や下水などの地下道ではなく、迷路と言えるような地下道が。
街に下水管やそれに伴う設備がなかったことも、これで納得言った。
街と地下は完全に切り離された別の空間。
ふと、アレスディアは口を開く。
「思うのだが、カデンツの本体…核は別の場所にあるのではないだろうか」
それはオセロットも感じていた予想。
「アレスディアは教会が赤く光るのを見たか?」
そして、その後にカデンツが復活した。
アレスディアは肯定の意を示し、強く頷く。
「教会に何かあるのだと思う」
カデンツを復活させる何かが。
だが、教会には入り口もなく、街から中へ至る道は見出せなかった。
外から入れぬのならば、内から侵入する事は可能なのではないか。
例えば―――
「ポケットが…」
「ん?」
布の厚みをすり抜けて、懐から淡い光があふれ出す。
二人は顔を見合わせ、各々懐に手を入れる。
そこにあったものは、万が一のためにと別けて持ち込んだ水晶の輪。
「光っている…」
「私のものも光っているな」
なぜ光っているのかは分からない。けれど、何かしら水晶の輪に変化が訪れたことは確か。
各々の手の上に乗せていた水晶の輪は、淡い光を発したままゆっくりと浮かび上がる。
水晶の輪に何が起きているのかわからずに、ただその動きを呆然と見つめるのみ。
すると、
「!!?」
水晶の輪は、何かに導かれるようにして壁や地面に吸い込まれていく。
「どういうことだ!」
水晶の輪を取り返そうと手を伸ばすが、その指先をすり抜けるように輪は地面に融けていく。
隠して持っていた輪までもが、まるで意志を持ったかのように地面の解け、完全に2人の手元には何もなくなってしまった。
いつまでも此処にいても仕方が無い。アレスディアはオセロットの肩を借りて歩き出す。
「すまない…」
「気にするな」
どちらにせよ、この場所に居る事はできないのだ。
オセロットはアレスディアを連れ、計算上、一番近い出口(勿論壁を壊してだが)へ向かって歩き出した。
計算上導き出された外へと向かう最短距離。
オセロットは壁を壊し、その場所へと向かって一直線に進んでいった。
最後に開けた横穴の先に見える、青い空。
これで出られると思った。しかし、そこは断崖絶壁。
細い入り口へ向かって、風が2人の髪を巻き上げ、吹き溜まる。
真横をゆっくりと流れる雲。そして、眼下にも、雲。
街は地上から遠く離れ、完全に浮かび上がっていた。
「いつの間に……」
並行を取り戻した街。
奏でられるオーケストラ。
それは、街が稼動し始めた証だった。
The important thing is not to stop questioning. Albert Einstein
ずるずると何か引き摺るような音に、オセロットとアレスディアは警戒に顔を見合わせる。
もし突然襲い掛かってきたら、足を折った自分では足手まといになるため、槍を松葉杖代わりにアレスディアはオセロットから離れた。
「……どうして、ヒト、が…?」
横道から現れたのは、額に真珠を頂く、銀髪の青年だった。
カデンツ以外にもヒトが!?
青年が驚きに目を見開くのと同時に、アレスディアやオセロットもあまりに突然のことで動きを止める。
「あ…怪我を、されていますね」
青年はアレスディアに駆け寄り、すっと足元に腰を下す。
服の上からそっと手をかざすと、緩やかな波動がアレスディアへと流れていった。
「ごめん、なさい。僕も、本調子では、ないので」
「いや、こちらこそ礼を言わねば」
痛みや腫れは完全に引き、多少違和感が残るものの、歩くことに支障は無い。
「だが、あなたはなぜこんな所に?」
ここは、きっとカデンツに逆らったものが飛ばされる地下の迷宮。
「あそこに、いても、もう、意味が、無くなってしまった、ので」
憂いを帯びた瞳で青年は微笑み、同じ質問を2人に投げかける。自分たちが不思議に思うように、青年も不思議に思うのは当然だろう。
「ここへ、落ちてきてしまったんだ」
アレスディアの怪我を治してくれたと入っても、青年が敵か味方か分からない。オセロットは曖昧な言葉で受け答える。
「そう…ですか」
青年の面影は、自分たちが良く知っている誰かに似ている。
「教会へ、向かわなくては、いけません…ね」
アレスディアとオセロットにとって、教会への道を教えてもらえるのなら、願ったり叶ったりだ。
「本当の、出口は、教会しか、ありません、ので」
それは、教会の宣教台の下へと通じる、街の中核へと至る道。信心があるようには思えないが、オペラホールに戻ってこなくても、あそこには、確実にカデンツがいる。
「街が、稼動している以上、彼に、頼まなければ、いけません」
偶然居合わせてしまった人々を、街から出してもらえるように。その願いが、聞き入れられるかは、分からないが。
「その必要はない」
「あなたの言っている彼が、カデンツのことをさすのであれば、私たちも彼に用事があるのだ」
青年は何故? と、問うような眼差しで首を傾げる。
「彼には多大な礼があってね」
ふっと笑って告げたオセロットに、青年はきょとんと瞳を瞬かせたが、軽く頷いて顔を上げた。
「分かり、ました。一緒に、行きましょう」
どうやら青年も教会に用事があったらしい。
青年は壁に身体を預けたまま、ゆっくりと歩き始める。浅く繰り返される呼吸と、重く引き摺るような足取り。
その様があまりにも不憫で、アレスディアは思わず声をかけた。
「大丈夫か?」
覗き込んだ彼の頬に走る、青白い光の線。いや違う。何かしらの紋章が内側から滲み出しているかのよう……。
「だめ!」
差し出した手を逃れるように身を翻す青年。
だが、壁から身を離し――いや、支えるものを失った身体は、その場に座り込むように崩れ落ちる。
―――シャラン……
だらりと落ちた腕を覆う青い袖の中から流れ落ちる、水晶の鎖。
「!!?」
アレスディアとオセロットは顔を見合わせた。
なぜ、彼があの水晶の輪を持っているのか?
カデンツが探していたはずの輪が、何故―――
「…ごめん、なさい」
青年は二人の沈黙を、自分が手を振り払ったこと、そして倒れたことに対する怒りと取ったのか、小さく謝罪の言葉を述べ、また壁に手を着いて立ち上がり、歩き始めた。
「あなたは……いったい?」
それは飲み込むことも、隠しておくこともできない疑問だった。思わずと言うようなタイミング。零れ落ちた言葉。
青年は振り返る。
「僕は……」
青年は何かを言いかけ、止める。そして、満面とは行かなくとも、どこかほっとするような微笑を浮かべた。
「安心して、下さい。必ず、貴女たちを、助けます、から」
どう見ても、息も切れ切れの青年の方が、助けが要るようにしかみえる。
カデンツ以外のヒトは居ないと思われていた街の、こんな奥底でであった新たなるヒト。
「違う。聞きたいのは、あなたのこの街での目的だ」
自分たちのように街の探索に入った素振りもない。それ以上に、街の内部構造を知りすぎている。
オセロットの中に蓄積された情報が、1つの推論を導き出していた。それは、カデンツが言っていた「悪あがき」の誰か。少女が言っていた私「たち」。そして、水晶の輪を繋げた鎖の持ち主―――人形の主。
「僕の、目的は、この街を、停止、させること」
そのために、稼動力不足にして、この街の不可視の結界を解いたのだ。
「そして、誰も、いない、別の、世界へ、送る…こと、でした」
過去形。
けれど、彼の言葉には、どこかで聞いたことがあるフレーズがないだろうか。
「さあ、早く、行きましょう。僕が、動ける、うちに」
青年は、2人に背を向けて、また壁に手を着きながら歩き出す。
頂上で待つ、カデンツへと向かって―――
to be...
☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆
【1856】
湖泉・遼介――コイズミ・リョウスケ(15歳・男性)
ヴィジョン使い・武道家
【2994】
シルフェ(17歳・女性)
水操師
【2470】
サクリファイス(22歳・女性)
狂騎士
【2919】
アレスディア・ヴォルフリート(18歳・女性)
ルーンアームナイト
【2872】
キング=オセロット(23歳・女性)
コマンドー
☆――――――――――ライター通信――――――――――☆
交響幻想曲 −結論へと続く遁走曲−にご参加ありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
今回はかなり怒涛のペースでいろいろな謎が解けた話にしたつもりなのですが、読み取れないようでしたら一重の当方の力不足によるものです。申し訳ありません。
加え、分岐もかなり多く、謎が別方納品ノベルにて答えが書いてある場合もあります。一旦黒山羊亭に戻ってはいませんので、エスメラルダへの報告もありません。
カデンツの対応ありがとうございました。この街がどういったもので動いているかが読み取っていただければ幸いです。
それではまた、オセロット様に出会えることを祈って……
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