<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


交響幻想曲 −天上で嗤う狂詩曲−





 危険を承知で送り出してしまった冒険者たちの安否に、一物の不安を感じて、エスメラルダは黒山羊亭の入り口から遠く見えている、落ちてきた街を見つめる。
「え……?」
 嘘。という言葉は声にはならなかった。
 エスメラルダが一心に見つめていたあの落ちてきた街が、徐々にその姿を消していく。
 消えるというよりは、だんだん、空気にとけ、空にとけ、透明になっていく。
 そしてエルザードに流れる、不可思議なオーケストラの響き。
 まるで動き出した街と呼応するかのように。
「どういうこと……!?」
 薄く口を開いたエスメラルダの言葉を遮ったのは、黒山羊亭に保護されていた少女、ルツーセ。
「あなた、起きて!」
 大丈夫なの? と、エスメラルダは彼女に駆け寄るとその肩を支えるように手をかける。
「これじゃ、約束を果たせない!」
 その場で崩れ落ちるルツーセ。
 彼女の耳で水晶の輪が光る。
 街でいったい何があったのか。
 どうして行き成り街が消え始めたのか。
 なぜ管弦楽団が響き始めたのか。
 ばっと見上げた空からは、今だオーケストラが響いていたが、今まで街が見えていた場所には、嘘みたいに爽やかな風が吹き抜けるのみ。
 肝心の街は消えうせてしまった。けれど―――エスメラルダの元に、冒険者たちは誰一人帰ってきてはいなかった。
 崩れ落ちたルツーセを支え、エスメラルダは空の向こうを見つめる。
「やっぱり……」
 小さく呟かれた声に、ルツーセはゆっくり振り返る。
「アクラ!」
 エスメラルダの腕の中から、踏みしめるように歩き始め、ルツーセは最後には駆け出した。
「うわあぁああああ!!」
 アクラの腕の中でルツーセは泣き崩れる。
「皆が帰ってきてないって、聞いたんだ」
 一度街に行った事があるコールは、エスメラルダに何があったのかを尋ねるように、その隣へ歩み寄る。
「えぇ…。あの街が、消えてしまったのよ」
 エスメラルダはまた空を仰ぎ、ぐっと唇を小さくかみ締めた。
「話してよ。何があったのか」
 どうして街が現れ、ルツーセが呪いに触れることになったのか。
 アクラの問いに、ルツーセは頷き、話し始める。
 街が、ルツーセやルミナス、元はアクラがいた場所を襲ったこと。時空の扉を開き、街を追放しようとしたが、失敗してしまったこと。動力として取り込まれる前に、ルミナスが逃がしてくれたこと。降り立った世界が、街がたどり着いた世界とは違っていたこと。
 目的は、誰も居ない世界へ街を飛ばすこと。それだけが、全てだったのに。
 街は、全てを嘲笑うかのように、その姿を消してしまったのだった―――……










The greatest obstacle to discovery is not ignorance --it is the illusion of knowledge.           Daniel J. Boorstin










 アレスディア・ヴォルフリートと、キング=オセロットは、たどたどしく歩く青年の後を着いていく。
 教会までの道筋を通っているのは分かるが、その速度はあまりにも緩慢だった。
 が、それだけ青年が疲弊しているのだろう事も、見て取れる。
「一つ、訊いても良いだろうか」
 会話しながら歩くことは、もしかしたら負担になるかもしれないと思ったが、青年がこの街のこと、そしてカデンツのことを知っているのなら、アレスディアには訊ねたいことが幾つかあった。
「カデンツを倒せれば、あなたはこの街を制御できるのか?」
「倒す、ですか?」
 問い返した青年に、アレスディアはどうして制御できるのか問うた理由を続ける。
「この街が何であれ、悪用せぬものが制御すれば問題ないと思ったのだ」
「ごめん、なさい。それは、できません」
 この街は、契約者、つまりは、起動者であるカデンツにしか動かすことができない。自分に行えるのは、街を構成している魔方陣に無理矢理介入し、多少書き換えることくらいだ、と青年は答える。
 その答えで、街を制御できないことは分かった。次は、カデンツの存在が必要なのかどうか知る必要があるとオセロットは考え、口を開く。
「では、念のため聞くが、カデンツを倒すことに問題は?」
「本当に、彼を、倒すと、言って、いるのですか?」
 アレスディアだけではなく、オセロットからも“倒す”という言葉が出たことに、青年はあまりの驚きように瞳を大きくした。そして、ゆっくりと首を振る。
「彼は、倒せません」
 もしや、カデンツを倒すことで、何かしら街に問題が起こるのでは? と、考えたオセロットだったが、彼の驚きが別の部分に対してだったことに、彼らは本当にカデンツを倒せないと信じているのだと思った。
「いや、カデンツがいなくなることで街が暴走するとか、そういったことが無ければいいんだ」
「はい。それは、ありません。彼が、居なくなれば、街は、起動停止、します」
 起動停止。それはこの街が完全に止まるということだろう。しかし、草原に落ちていたときも、起動停止していたと言うことはできないだろうか。
 けれど、その考えは簡単に否定される。
「彼が、いる、限り、街は、起動、し続けます」
 それは即ち、今自分たちに降りかかっているような出来事が、カデンツがいる限り誰かに降りかかる可能性があるという事。
「ごめん、なさい。今、稼動停止、させることは、できません」
 彼は謝ってばかりだ。何を1人で抱え込んでいるのだろう。
「稼動停止?」
「はい」
 もしそうなってしまったら、不可を受けるのは自分1人だけでは済まなくなってしまうから。
 彼の言葉を汲み取るならば、この街は今まで起動停止していたのではなく、稼動停止していたということ。
「街から、出られるよう、頼んで、みますから、倒す、なんて、考えないで……」
 誰も傷ついて欲しくないから。倒そうとして、多くのヒトが犠牲になった。その様を、見ていたから―――。
「心配ない。奴を倒す手がかりを見つけた」
 ヒントは教会。
 街の頂き。全てを見下ろすその場所に、カデンツが不死たる秘密が隠されている。
 その秘密が何たるかは、これから探るべきことだが、確実にそこに答えがあることだけは明白。
 ある種の確信を持って、アレスディアもオセロットもカデンツを倒すと口にした。
 そんな2人の面持ちに、青年は開きかけた口を閉じ、「先へ進みましょう」と、また歩き始めた。
 地下と言う構造のためか、いや、自分が作り上げた迷宮に余程の自信があるのか、3人の行く手を阻むものは何もなかった。
「もう直ぐ、です」
 角を曲がり、足を踏み入れた小さなホールの中央に、入り口を塞がれた階段が顔を出す。
 早急に入り口を開け放ち、降り立った教会の内部は、エルザードにも存在している教会と然したる差異は無かった。
 宣教台と、宗教的シンボル。天井は高く、大きなステンドグラスが輝く。
 清廉たる空気を纏っていながら、その全てがフェイク。
 誰も居ない教会を、中心の廊下を歩き、全体が見渡せる位置に移動する。
 この教会の宗教シンボルは不思議なものだった。
 十字架に、銀で作られた柘榴の実がついた花輪がかけられている。まるで、墓碑と、それに飾られた花輪のよう。
「なぜ、連れてきた? ルミナス=メルツ」
 カデンツが低い声で教会内に響く。
「彼女、たちを、街から、出して、ほしいのです」
 彼女たちだけではない。この街に今滞在する自分以外のヒトを全て。
「愚かな提案だ」
 カデンツの口調が変わっている。
 あの老紳士……まがりなりしも紳士と呼べるような口調だったものが、完全にぶっきらぼうな、乱暴な口調になっていた。
「私を怒らせた罪は重い」
 カデンツが手を振り上げる。
「止め……っ!」
 ルミナスは自分で自分を抱きしめその場に倒れこむ。
「ルミナス殿!」
 アレスディアは倒れこんだルミナスに駆け寄る。地下道で倒れたときと同様、ルミナスの頬には青白い線が走っていた。
 カデンツは思いのほか会話が好きだった。独り言も含め、行動を起こすよりも口を開いているほうが多い。
 それは動揺を誘うためなのか、ただ口から言葉が零れて落ちているだけなのか。
「“全て”が揃っていれば、ほぼ永久機関として、完璧だったものを……」
 倒れこんだルミナスを一瞥し、カデンツは瞬きと共に二人に視線を向ける。
 そして、怪しく微笑んだ。
「死んで、いただきますよ」
「それはこちらの台詞だ」
 オセロットはすらりと立つ。何かしら構えをする必要は無い。
 カデンツの本体がいると考えていたが、この場に現れたのは相変わらずの老紳士だ。オセロットは老紳士を警戒しながら、“カデンツ”を探す。
 教会の外では何が起こっているのか分からないが、足元から伝わる振動を考えるに、街の機能を何かしら動かしたのだろう。
 しかし、今現在教会…いや、この街の中核に居る自分たちには外の様子など関係―――…
(サクリファイスたちは無事か)
 一瞬そんな思いが脳裏を過ぎる。

――ドゴッ!!

「………?」
「!?」
 アレスディアとオセロット、そして、カデンツまでもが音の方向に視線を向けた。
 ぱらぱらと内側に注ぐ白い粉塵。
 覗く空は、水色を称え、白い雲が流れている。
 そう、教会の天上に大穴が開いていた。
 降り立ったのは、
「大丈夫か!?」
 巻き起こる粉塵の中からアレスディアに向けて走る少年。湖泉・遼介だ。
 ここに何かあると分かっていたならば、始めから壊して探索していれば幾分か解決が早まったかもしれない。けれど、何があるか分からない時点で壊すことはただの破壊行為だ。
「……怪我は、無かったか?」
 粉塵が風に舞い上がり、その場に立っていたのは、かの剣を、魔断を抜いた、サクリファイス。
 人がいるとは思わずに壁を壊してしまったため、瓦礫によって怪我は無かっただろうかと問いかける。
「いや、助かったといえるかもしれない」
 オセロットはふっと笑いかける。サクリファイスたちの登場によって、カデンツが何か仕掛けた動きを止めることができた。
「おい、あんた大丈夫なのかよ!」
 ルミナスは遼介の声に反応して薄らと瞳を開ける。
「無事、で……」
 一生懸命笑おうとしている口元が上手く動かない。
「直ぐに、あいつ倒すから」
 遼介はすっくと立ち上がり、ヴィジョンカードを取り出す。
 水が巻き上がり、中国風の青年が遼介の傍らに呼び出される。
 高位ヴィジョン―――水貴。
 もしかしたら、遼介の精神力によって呼び出されている水貴も、カデンツの範疇足りえるかもしれない。
「あいつ倒すぞ。ミズキ」
 ヴィジョンは静かに頷く。
 自分がこうして動けるのは、全ての負担をルミナスが肩代わりしてくれているからだ。いつ、こうして動けなくなるのか分からない。ならば、動ける間に全力を出し切る。
「すまぬ……」
 アレスディアが発した言葉に、ルミナスは小さく首を傾げる。
 けれど、アレスディアは視線をカデンツに向けたまま立ち上がり、
「今回は傍で護りにつけぬ。どうか避難を」
「気に、しないで、下さい」
「心配ない。彼は私が保護しよう」
 サクリファイスの言葉に答えるよう、アレスディアは頷く。
 すっと流すように視線を泳がし、アレスディアは教会内部を視る。エルザードにもあるような教会となんら変わらない内部構造。だが、赤い光を放つような光源と思われるものが見当たらない。
 光源が無く、それでも赤い光は教会から発せられ、その光によって老紳士が生き返ったのならば、その出所を探すにはどうすれば良いか。
 そんな事は簡単だ。
 もう一度、老紳士を壊せば良い。
 そう、スイッチが見当たらないなら、自分たちが知っている方法でスイッチを入れる。そして、赤い光の出所を掴み、その源を制することができれば、きっとカデンツは完全に倒れるだろう。
 アレスディアは、もう一度切欠を手に入れるために、老紳士を壊す決意をする。
 けれど、このまま老紳士を攻撃し続け、その不死たる秘密が暴かれたとしても、サクリファイスには少々心配事があった。
 この街の動力が生命力だと言うのなら、遼介だけではない、生身であるアレスディアや、加えるならば自分もその歯牙の内にいるのではないか。
 どういった基準で生命力が奪われるのか分からないが、奪われている時は、頬に紋章や文様のような青白い線が入る。
 いざとなったら、あの天井にあけた大穴から彼と共に教会を脱する。いや、今からでも離脱しておいた方がいいだろう。
「教会にいては危険だ。ここから離れよう」
 サクリファイスは教会の壁に身を預けているルミナスの傍らに膝を着き、話しかける。彼1人程度連れて飛ぶくらい、サクリファイスには苦ではない。
「離れても、同じ、ですから」
 一度繋がってしまったら、街の結界内から脱出しない限り、何処にいても同じ。
「僕の、ことは、構わずに…」
 ルミナスはサクリファイスの手をやんわりと戻し、
「一度に、搾取できる、量が、少なく、見逃されている、だけで、あなたも同じ、なのです、から」
 カデンツがその力を奪おうと思えば、関係なく奪うことができるのだと、暗に告げているようにさえ聞こえた。
「あなたの負担を少しでも軽くすることはできないのか!?」
「…ありがとう」
 ルミナスは微笑んで告げる。
「僕は、あなた方が、カデンツを、倒す、ことに、期待します」
 それが、一番の早道だから。
「例えそうだとしても、戦いに巻き込まれては、あなたの身自身が危険に晒されてしまう」
 生命力を奪われるということ自体が何処にいても行われるのなら、その危険を回避する術は皆無といって良いが、離脱によって、肉体が追う可能性のある傷を回避することはできるはずだ。
「いいえ、ここに、居させて、下さい」
 彼の瞳には何かしらの決意があった。そして続ける。
「僕は、掛けます。その時、あなたは、あの子を、一番に連れて、結界を、脱してください」
 この瞬間で、自分のほかに街と繋がれているのは彼1人。自分に何かあれば、チャンネルが切り替わる。チャンスはきっと一度きり。動力が不足し、そしてチャンネルが切り替わる寸前。だから、その一瞬を見極めるために、自分はここにいなければいけないのだと。
「分かった……」
 サクリファイスの同意に、ルミナスはほっとしたように微笑む。
「だが、今ここにいるあなたの安全。私に、守らせてくれ」
 誰の命でさえも、カデンツに渡すわけにはいかない。
 あなたの声が直ぐに聞こえるように。その間際を逃さないように。
「……ありがとう、ございます」
 ルミナスは静かに微笑んだ。
 オセロットの中には、一度老紳士を壊した情報が蓄積されている。
 そう、老紳士を壊すだけならば、然したる苦ではないのだ。
 その身体全ての動きを封じ、怒りにかまけた奴を真正面から打ち砕くのみ。
(ワイヤーは使ってしまったか)
 手札はあまり残ってはいない。
 あるとすれば、この左手に隠された神の御手か。
「すまないが、今回は無茶をさせてもらう」
「オセロット殿…?」
 あまりに低く呟かれた言葉に、アレスディアは尋常ではない空気を感じてオセロットを見る。
「危ないと感じたら、その場から離れてほしい」
 オセロットがそっと触れた左腕。
「これは私の我侭だ。それに付き合う必要は無い」
 皆のことを考えず、カデンツを制するために、この場を破壊しつくしてしまうかもしれない。
「オセロットだけ何かっこいいこと言ってんだよ」
 パンっと背中を軽く叩かれ、オセロットは視線を向ける。
「こうなっちまったら、我侭なんて関係無いだろ? みんな目的は一緒なんだ」
 遼介の言葉に、オセロットはふっと笑う。
 そう、遼介とサクリファイスが降り立つ前、カデンツは自分たちに「死んでいただく」と言った。
 それはすなわち、今回はこちらからではなく、あちらから仕掛けてくるということを意味している。
「無理は、するなよ」
「そっちもな!」
 遼介は駆け出した。先陣を切ったヴィジョンを追いかけるように。だが、遼介の狙いはカデンツではない。その裏に隠された赤い光の源―――
 カデンツとヴィジョンの打ち合う音が反響して建物内に響く。
 オセロットとアレスディアは駆け出した。
「優しいな、あなたは。そして、強い」
 信頼した微笑を向けたアレスディアを見て、オセロットは一瞬戸惑いを見せ、釣られるように微笑む。
 優しいと言われただけでこんなにも嬉しい。言うならば“心が温かくなる”ような感覚。
 この気持ちを感じられるオセロットは、紛れもなく“人”だった。
 ヴィジョンの打ち込みがカデンツにヒットした隙を見て、遼介は教会の奥へと走りこんだ。
 十字架。ステンドガラス。蝋燭のない燭台。ステンドグラスを挟んで2箇所、凹んだ壁に備え付けられた本物の彫刻。
 それは、片方は女性、もう片方は男性の彫像だった。例えるなら聖母と聖者のような。違うとすれば、その彫像は背に羽を持っていることくらいか。
 天使とはまた翼の質が違う。どちらかと言うならば、妖精のような羽。
 遼介はちらりとカデンツを見る。
(泳がされてる…? でも、そのほうが好都合だ)
 うろちょろとかぎ回っているのに、遼介のことを一切気にする素振りを見せないカデンツ。しかし、カデンツから取ってみれば、遼介という存在は街の中にさえいるのならば、何処にいようが構わない存在。そう、街を構成する魔方陣の一片を組み込んだ端末など、その意志一つでいつでも止められる。
 故に、遼介の動きは完全にノーマーク。
 彫像二つの視線の先を追いかけるように、遼介は視線を動かす。その先には、十字架。
 それはまるで、墓碑を見守る神々のよう。
「うわっ」
 遼介は思わず宣教台にもたれかかるように倒れこむ。
 そして、振り返った。
 床が、くもの巣を重ねたかのようにひび割れている。
 オセロットが、カデンツを殴り倒していた。
「……確かに、この体は血肉の欠片も無い鋼だ」
 痛覚を全て情報に切り替えたオセロットの力は、通常の非ではなかった。そう、人間が筋力の数%しか使っていないのは、肉体の負荷を抑えるためと言われている。
 限界を超えた力は、自らを崩壊させる。
 通常、この限界を超えないよう、人は自然に計算して生きているのだ。
 例え、当分腕が使い物にならなくとも、今カデンツを倒すことが出来ればそれでいい。
「貴様が望む生命の波動など流れていない」
 もし、コールの世界から来たと言うならば、彼がかつて言っていたように、カデンツも鋼の体の意味が分からないだろう。だが、そんなことは関係ない。心音も無く、負傷に痛痒も感じない、その点だけ見れば2人は同じなのだから。
 けれど、オセロットとカデンツには決定的な違いがあった。
 繊維が切れる音が微かに響く。
「心は、ある。…人としての心は、ここにある!」
 カデンツの腹に当てられた、神の左腕。
 完全に優位を取られた側でありながら、カデンツは喉でくっくと笑う。
「心を糧とでもしているのですか? 生命を糧にしている私のように」
 オセロットはぎりっと唇を噛む。
「私は、貴様とは違う!」
 激しい感情の起伏。怒りこそ、心を持った証―――。
 ゼロ距離で発せられたソレは、老紳士の上腿を吹き飛ばした。
 肉塊と化した老紳士の足がバランスを崩して倒れていく。
 血は流れずとも見ていて気持ちの良いものではない。ただ腐らず“その中”に保管されていただけのような臓器が辺りに散らばった。
「!!」
 アレスディアと遼介は、思わず目を逸らす。
「心の有無など、邪魔なだけだ」
 声だけが響いた。口など、いや、顔など、無いはずなのに。
「問題は、その力を変換できるかどうか!」
 染まる視界は、不気味なまでの緋色。
「………ぅぁっ!」
「ルミナス!」
 彼のそばにいたサクリファイスがその体を支える。
 ヒト1人を生き返らせる負荷は、全て動力たるルミナスへ。
 輝きは、1つに集約されていく。
 それは、教会ならば絶対に存在している―――
「もう一度、私を殺せば、彼は彫像と化すかもしれませんね」
「貴様……っ!」
 老紳士が立ち上がる。
 額の真珠に亀裂が走った。
 それは、奴とは永遠に分かり合えないと悟った瞬間であり、そして、
「貴様の相手をする必要はもうない」
 赤い光―――カデンツの命、本体たるものを、見つけた瞬間。
 それは誰もが見た、ある一点。
 一斉に赤い光の下へ向かって走る。
「あなた方を見くびっていたようだ」
 自分の命だ。カデンツが気がつかないはずがない。
 今まで自分を一度でも倒す―――壊す存在など居なかったため、その存在を守らねばならないなど思いもしていなかった。
 カデンツは手を振り上げる。目線の先に現れる陽炎は、音波という名の衝撃。
「っつ……」
「アレスディア!?」
 米神を押さえアレスディアがたたらを踏む。逆に遼介は何とも無い。それは、今は搾取されていなくとも、この街と繋がっていると、認識されているからか。
「大丈夫だ。少々眩暈がしたのみ」
 行動に大きな変調をきたすほどの衝撃ではない。呼応しあうものが少なければ、その衝撃は少なくて済む。今回は、アレスディアにはそこまで魔法力の素質が無かったことが幸いした結果だった。
 カデンツは残念そうな面持ちで、肩を竦める。
「この世界の住人は勝手が違い面倒ですな」
 カデンツは身体の向きを変える。自らの手で屠るため。
「お相手しよう」
 アレスディアは迫り来るカデンツに向けて槍を構えた。今ここで邪魔をされては元も子もない。
 迫り来る老紳士を退けている間に、誰かが赤い光の源を制してくれればそれでいい。
 背後では遼介やオセロットがカデンツの源を壊すだろう。そうすれば、カデンツの命はここで途切れる。
 けれど、それはすなわち“カデンツ”を殺すことになるのではないか。
(…………)
 アレスディアはぐっと唇をかみ締める。殺さずに済むのならその道を進みたいという気持ち。けれど、自分にはその道が見出せないから……それが、歯痒く、そして矛先を躊躇わせた。
 あぁここで引いてくれたなら、深追いはしないのに。
 そんなこと、叶わぬ夢と知りながら、それでも望むのは、優しさゆえか。
 走りこむ遼介の手にはヴィジョンカード。
「いっけ!」
 ヴィジョンの姿は、カデンツが一度倒れたときに消えている。
 得物は懐のナイフのみ。けれど、今はナイフよりも、ヴィジョンカードを使って繰り出す技が一番確実だ。
 遠距離且つ高性能な刃を持った、水の刃。人には向けないと誓ったそれを、遼介はある一点に向けて放つ。
 標的は、皆同じ。
 オセロットがその身に持った砲塔を構える。
 一度撃ったのだ、今更服がどうなるかなどと気にしていられない。
 終曲の太鼓が鳴り響く。
 それは、オセロットの左腕から発せられた。
 光。光。
 赤黒い光。歪まれた命の光。闇に染まった魂の光。
 輪廻を忘れた消滅を呼ぶ―――光。
 一瞬、時を止めた教会。
 遼介の刃と。
 オセロットの砲と。
 真っ二つに割れる十字架。
 打ち抜かれた花輪。
 花輪があった場所では、空中でありながら、まるで水の中のように気泡が浮かび、消えていく。
 それは、失くした何かをもう一度生成するかのように。
 赤黒い何かが、創られては弾け、割れて落ちた十字架を赤黒く初めていく。
「!!?」
 アレスディアは反射的に槍を止める。
「ぁがああああああああ!!」
 背を仰け反らせ、天へ向かってカデンツが吠えた。
「早く、外へ! その子を、早く!!」
 ルミナスが叫ぶ。
「へ?」
 サクリファイスが飛び上がり、遼介を抱き上げ、教会の穴から全速力で空へと舞い上がる。
 街を囲っているはずの不可視の結界は、カデンツの制御が上手く行われず、その精度が落ちているはず。
(薄い…?)
 結界に全力で飛び込むことを覚悟して飛び上がったサクリファイスだったが、何か膜のようなものが軽く身体に巻きつくのみで、簡単に大空へと飛び込むことができた。
 ほっとしたように薄らと微笑を浮かべ、
「ルミナス殿!」
 傾ぐ彼の体を、アレスディアは走り込んで支える。その体重は驚くほど軽かった。
 安堵に微笑んだ彼の、額を彩っていた真珠が、割れる様を見る。
 老紳士の身体が泥となり、砂となり、風に消えていく。
 カデンツの声無き声は、まるで、無理矢理奏でられたヴァイオリン。
 老紳士の肉体はもうない。けれど、代わりとなる新たなる肉体は、構成が終わる前に四散する。
 再生と消滅を繰り返す心臓。
 ここで今動力が切れれば、心臓は止まる。

 動力が、切れれば――――

 飛び散る欠片は、真珠の破片と、万華鏡の景色。
 砕ける力の余波が、駆け抜けていった。










Another way in is the other way out; Never doubt where to exit; it is another entrance out.            Andrew S. Pudliner










 気がつけば、一同は元々街が突き刺さっていた草原の近くに倒れていた。
 その傍らには、小さな街の模型。
 それは、オセロットが想像していたものと酷似した形状をした、街の形のオルゴールだった。
 オルゴールを拾い上げようと、遼介がそっと手を伸ばす。が、
「やめときな」
 誰だ?
 誰もが視線を向けた先に立っていたのは、深くフードを被った少女。
「まぁ、契約者はいなくなってしまったから、起動はしないだろうが、安全とは言い難い」
 少女は一同の合間を通り過ぎると、地面に転がるオルゴールを拾い上げる。
「それから、そいつは死んでないよ」
 少女はルミナスを指差し、その後フードを整え、
「悪かったね」
 と、小さく謝罪の言葉を投げかけると、風のように消えてしまった。
 誰もが顔を見合わせる。
 街があったという痕跡が全て、無くなってしまった。
 けれど、誰もが目覚めている中で、1人未だ瞳を閉じたままの人物。街があったという生き証人が、ここにいる。しかし、その彼は―――
「呼吸がっ…!」
 そっとその口元に耳を近づける。ルミナスの呼吸は完全に止まっていた。
 彼には分かっていた。自分が動力を止めれば、その負荷が遼介にいくことを。それでも、カデンツを倒すために、動力を止めたかった。
「でも、死んでないって…」
 嘘か本当かは分からない。もしかしたら、仮死状態という事もあるかもしれない。
 そんな一縷の望みに賭けてみたい。助けられなかったなんて、そんな……
 ルミナスを抱え、一同は聖都エルザードの門を潜る。
 街が消滅してしまったことも、街が消えてしまったため、人々が知る由も無い。
 一番初めに向かう場所は、もう決まっていた。
「ただいま」
 エスメラルダが振り返る。
 黒山羊亭の入り口では、彼女だけではない、コールや、アクラ、ルツーセを含め、噂を聞いた住人までも集まってきていた。
「良かった皆…。お帰り!」
「夕食、腕によりをかけて作らせてあるわ」
 コールが満面の笑顔を浮かべ、エスメラルダが早く店に入るよう一同を促す。
 帰ってきたことに喜んでくれるのは嬉しい。けれど、今はまだ複雑な気分だった。










 遼介は、黒山羊亭の奥、ルミナスが寝かされている客室の扉をノックした。程なくして扉を開けた少女を見て、遼介は口を開く。
「あんたが、ルツーセ?」
「そう…だけど?」
 名を名乗った覚えもないのに、名を呼ばれたことに、とうのルツーセも首を傾げる。
 あの時、オペラホールでルミナスから聞いた“ルツーセ”という名が気になっていたが、結局街から出られなかったため、結果的に必要なくとも、約束を叶えられなかったことを少し気にしていた。
「何か用事?」
 用事かと聞かれれば、取り立てて用事は無いのだが、遼介はもごもごと口元を動かすと、
「あのヒト、もう…目、覚まさないのかな?」
「そんなことないよ」
 少々深刻に考えている自分と比べて、目の前のルツーセは何ともあっけらかんとしている。
「仮死状態、ということかな?」
 突然聞こえた声に、遼介とルツーセははっと振り返る。
「失礼、扉が開いていたのでね」
 コツコツと小さな足音を響かせて部屋に入ってきたのは、オセロット。そして、ルツーセはオセロットの質問に頷く。
「失礼。エスメラルダ殿から、これを―――」
 料理が乗ったお盆を抱え、やはり開けたままの扉を潜り、顔を出したのはアレスディア。
「2人ともここにいたのか」
 アレスディアは2人の顔を見るや、ほっとしたように微笑む。そして、お盆を机に置くと、おずおずといった調子で話しかける。
「……ルツーセ殿、彼は目覚めるだろうか」
 完全に呼吸が止まってしまっているのに、死んでないと言われた。けれど、普通で考えれば、呼吸が止まれば人は死ぬのだ。
「今、彼は休眠状態なの。でも」
 ルツーセは、力なく垂れている左手に触れる。
「これで、直ぐに目覚めるわ」
 そして、自分の耳についている水晶の輪を外した。
「それが、もしかして始まりの輪?」
 遼介は問いかける。街の深奥でルミナスが言っていた、始まりの輪を持ったルツーセ。
「そうだよ」
 ルツーセはルミナスの左腕を持ち上げると、その袖から垂れる鎖の先に、輪を、繋げた。
「!!?」
 1つに戻った鎖は光を放ち、左腕から消えていく。そして、ゆっくりとルミナスが瞳を開けた。
「エスメラルダが呼んでいるぞ」
 いつから開けっ放しなのか、戻ってこないアレスディアを探して、サクリファイスが覗き込むように顔を出す。
「僕、は……」
 未だぼやけたままの視界で、ルミナスは辺りをゆっくりと見回す。その様を見て、サクリファイスの顔色が変わった。
「目を覚ましたのか!」
 瞳をあけたルミナスを見て、ぱぁっと顔を輝かせて微笑む。
 まさにミイラ取りがミイラになる瞬間。エスメラルダから呼んでくるように言われたことなどすっかり忘れて、サクリファイスは部屋の中へと入り、本当に良かったと、声をかける。
「皆がいなくちゃ意味無いよ!」
 そこへホールへ戻るよう言いながら、コールが部屋に顔を出した。が、その動きもピタリと止まる。
「あ! 目が覚めたんだね!」
 そして、嬉しそうに微笑んだ。
 ルミナスが、駆け出す。

「兄さん―――!!」

 新しい物語が始まる、歯車の音がした。



















Fin.






















☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【1856】
湖泉・遼介――コイズミ・リョウスケ(15歳・男性)
ヴィジョン使い・武道家

【2919】
アレスディア・ヴォルフリート(18歳・女性)
ルーンアームナイト

【2470】
サクリファイス(22歳・女性)
狂騎士

【2872】
キング=オセロット(23歳・女性)
コマンドー


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 交響幻想曲 −天上で嗤う狂詩曲−にご参加ありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
 長々と今シリーズにお付き合い下さってありがとうございました。そして、お疲れ様でした。皆様のおかげでこの長かったシリーズも終わりを迎える事が出来ました。
 時の流れはサザエさんですが、これから先も続いてく物語に時々でも顔を出していただけると大変嬉しいです。
 さり気に魔法力の値が何に影響しているかというのをこっそり出してみました。
 今回は終始サポート的な立ち位置になってしまい申し訳ないです。ですが、本体を倒す際足止めを引き受けてくださったのは大変助かりました。もう少しカデンツを狂わせていれば、躊躇させずに済んだのかなぁと思っています。
 それではまた、アレスディア様に出会えることを祈って……