<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


気高き人

 とんとん、と控えめなノックの後、サクリファイスはパティシア人形工房のドアを開いた。
「失礼するよ‥‥こちらで心を吹き込まれた人形、『ちま』を作ってくれると聞いたんだが‥‥」
 はいはーい、と奥から元気な返事が聞こえてくる。この工房の主であるエルザだ。
「いらっしゃいませー♪ ちまだね、勿論請け負ってるよー。チラシ? やっぱりチラシ? うっわぁ、チラシの効果って絶大ー!」
「いや、確かに作ってもらいたいん、だけど――」
「じゃあ早速なんだけど、このアンケート用紙に記入してもらえるかな。これで基本的な事を把握するから」
「ああ、わかった‥‥って、そうじゃなくて!」
 エルザのハイなテンションに引きずられ、サクリファイスは勧められるまま椅子に腰を下ろし、ペンを握り、アンケート用紙に向かい、そこでようやく流れを断ち切った。
 急に大きな声を出したサクリファイスに、エルザはきょとんとしている。
「‥‥その前に、少し確認してもいいかな?」
 驚かせてしまった事を申し訳ないと思ったのか、肩をすくめるサクリファイス。だがエルザはまったく気にしていない様子で小首を傾げた。先を促されているのだろうと判断して、サクリファイスは話を続ける。
「その‥‥『ちま』というのは、『心』を吹き込まれた人形と聞く。それはつまり、私のちまを作ろうとして私の『心』をちまの素体に吹き込んだ時点で、『私』と『ちま』はそれぞれ独立した心を持つ存在である‥‥と、いう事でいいのかな? 仮にちまを作った後に私の心がどう変わろうと、私は私、ちまはちま、とそういう事だろうか?」
 真剣な眼差し。サクリファイスの真摯な態度を前に、エルザのテンションも落ち着きを取り戻していく。商売人の顔ではなく、職人の顔へと変わっていく。
「何か、気になる事でもあるのかな。簡単に言えば分身を作るわけだし、取り除ける懸念は取り除きたいな」
 エルザはテーブルに身を乗り出して真剣な眼差しを返す。
 だがサクリファイスは、そうではないと、やや悲しげに笑った。自分自身に対して苦笑するように。
「いや‥‥私は、神の怒りに触れて天より堕とされた者で。罰のつもりか、心に狂気の火種を吹き込まれている」
 え、という呟き。エルザの視線が動いて、サクリファイスの後方へ。そこには彼女の纏う鎧と同じ色‥‥漆黒に染まった、4対の翼がある。
 今は屋内にいる為に折りたたまれているが、広げればかなりの大きさになるだろう。その翼で大空に舞い上がる姿は、さぞ美しい事だろう。
 だが本来の色はおそらく‥‥目が覚めるような純白だと思われる。
「今はまだ、小さな火種だけど、いつか大火となって身を焼き尽くすかもしれない」
 自らの胸に手を当てながら、サクリファイスの言葉は続く。
「焼き尽くされる前に、私の心を、残しておきたくて」
「そう、なんだ‥‥」
「ああ、そんな顔をしないでくれ。そういう顔をさせたくてこの話をしたわけではないんだ」
 しょんぼりとしたエルザを元気付けようとしてか、サクリファイスは慌てて普通の笑顔をつくる。
 ところがエルザは急に立ち上がったかと思うと、猛ダッシュで奥へと走っていった。
「‥‥?」
 何が起きているのかもわからない。仕方なく、大人しく待つ事数分。
 エルザは去っていった時と同じ勢いで戻ってきた。その腕に、二体の人形を抱えて。
「む、お客さんだったのか」
「あらあら、ごめんなさいねぇ。お洗濯物を取り込んでいたものだから、気づかなくて」
 立派な髭を蓄えた中年男性風が一体と、物腰の柔らかい中年女性風が一体。彼らは軽快な動作でテーブルの上に飛び降りると、サクリファイスに向かってきちんと頭を下げた。つられてサクリファイスも頭を下げる。
「これは‥‥本物のちま、か?」
「そうだよ。あたしのお父さんとお母さんの、ちま。ちまぱぱとちまままっていうんだよ」
「なるほど‥‥」
 小さくて、可愛らしくて、丸っこくて。いかにも庇護欲をそそるそのフォルムに、サクリファイスはつい手を伸ばす。するとちまままも手を伸ばし、握手を交わす運びとなった。心温まる肌触りを感じたサクリファイスは、なんとなく、心が温かくなったような気がした。
 それからちまぱぱとも握手をした後で、ふと思い立った事を口にする。
「モデルとなった両親はどこに?」
 しかしこの質問への回答に、今度はサクリファイスのほうがしょんぼりとする事になる。
「あたしが成人する前に死んじゃってるんだ」
 内容のわりには、随分とあっけらかんとした語調だった。
「あ、その顔はなし。あたしもキミにそういう顔をさせたくてこの話をしてるわけじゃないからね。あたしが言いたいのは‥‥このちま達が、生前の二人そっくりだって事」
 先ほどサクリファイスに言われたものを同じ言葉をエルザは返した。
「あたしがちまを作る技術を教わって、初めて作ったちまがこの子達。ほどなくして、二人は競うように死んじゃったけど‥‥二人は今も、ここにこうして存在して、あたしを見てくれてる。こんなにちっちゃいのに、本当の両親みたいにあたしの事心配するんだよ、笑っちゃうよね」
 威厳ある父と、優しい母だったのだろう。ちまぱぱとちまままを見ていると、それがわかる。
 二対の小さなおめめにじぃっと見つめ返されて、これなら、とサクリファイスは感じた。意識的に一回瞬きをして、頭を下げた。
「よろしく頼む」
「こちらこそ」
 それは、改めて交わされる、正式なちま製作契約だった。

 満を持して、サクリファイスはアンケートの記入に取り掛かる。氏名、年齢、職業に始まって、長所短所など、時折手を止めて悩みながらも羽ペンを走らせる。
「そうだ。お茶飲む? ごめんね、お客さんにお茶も出さないで」
 サクリファイスの外見をじっくり確認していたエルザだったが、礼を欠いていた事を思い出したようだ。テーブルの上で記入を見守っていたちまままに、お茶を出してくれるように頼んだ。
 しかしそこに、当の客であるサクリファイスから待ったがかかる。
「お茶は持参させていただいた。水筒に入れてきたから、カップだけ借りられるだろうか」
「そうなの? ありがとう。どんなお茶か、楽しみだな♪」
「私の心を伝える方法として、世間話でもしようかと思ったんだ」
 とん、とちまままがテーブルから飛び降りた。カップを取りに行くようだ。駆けていく姿は、先ほどちまを取りに行ったエルザの姿と重なって見えた。
 エルザとエルザの母親も、エルザとちまままのように、似ていたのだろう。そんなところまで同じになるのだな、とサクリファイスは感心したような納得したような、とにかくそういう風に感じた。
「世間話かぁ」
「ああ。緊急時にこそ本性が剥き出しになると言うけれど‥‥日常の事にだって、その人の性は見える。私はそう考えているんだ」
「うん、同感だよ」
 書き終わったアンケート用紙をエルザが一読する頃には、ちまままも頭にトレイを乗せて戻ってきた。トレイの上には二つのカップと、クッキーの山。これだけあれば一食抜いても平気だと自信をもって宣言できるほどの量だ。
 つまりは長時間の会話の為の準備が整ったのだ。
 さあ、のんびり、話そう。

 ◆

 翌朝。客間のベッドで眠っていたサクリファイスは、自分とそっくりの人形に揺り起こされた。
「さくりふぁいすだ。よろしくな」
 彼女と同じ蒼く長い髪を棚引かせる、凛々しくも儚げなちま。ちまが発する声もまた彼女と同じであり、彼女は我知らずため息をついた。
「おはよう♪ 満足してもらえたかな?」
 ひょっこりとエルザが客間の戸口に顔を出すと、さくりふぁいすがそちらを向き、サクリファイスに背を見せる格好になった。黒い翼がちんまりと畳まれていた。
「‥‥ちゃんと翼まであるのだな」
「飛ぶ事はできないけど、ぴこぴこ動くよ。‥‥実を言うと、何色にするか、少し迷ったんだけどね。でもやっぱり、今のキミを残しておきたいみたいだったから」
 サクリファイスとエルザ、二人揃って声がかすれている。昨日、散々話し込んだせいだ。
 色々な話をした。多くの話をした。その上で、さくりふぁいすには漆黒の翼がつけられたのだ。
「もし万が一、この先キミが変わってしまうのだとしても。未来のキミが今のキミの姿を見失っているとしても。この子が、キミのちまが、今のキミを覚えていてくれる。いつまでも、今のキミであってくれる。だから――安心してほしいな」
 さくりふぁいすがサクリファイスの手のひらによじ登る。目線の高さを合わせてやると、誇らしげに胸を張った。
「まかせろ」
 デフォルメの強いちまの体では張る胸も小さいものだが、サクリファイスには何故だかとても心強く感じられた。
 なるべく長く、今の自分であり続けられるようにと、願いたくなるほどに。




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0929/サクリファイス/女性/22歳/狂騎士】
【NPC/エルザ・パティシア/女性/26歳/人形師】
【NPC/ちままま&ちまぱぱ/ちま】

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■         ライター通信          ■
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言の羽です。
ご発注いただき、ありがとうございました。

心情など、うまく理解できているとよいのですが‥‥。
どうぞ、ちまを可愛がってあげてください。