<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


例えばこんな物語




 最近白山羊亭には毎日のように1人のお客がやってくる。
 彼は、店内全てを見渡せるようなカウンターの椅子に座り、ウェイトレスのルディアに無邪気に話しかける。
 彼の名はコール。
 この世界に始めて降り立った際に、凍るように冷たい瞳をしていると誰かに言われてから、そう名乗るようになった。いわゆる記憶喪失である。
 年の頃20代中ごろといった風貌なのだが、記憶をなくしてしまった反動か、どこかその性格は幼い。
 服装も、頭に乱雑に――だがかっこ悪いというわけではなく――ターバンを巻いて、布の端々から銀の髪を見ることが出来た。
 どこかエルフを思わせる青年は、店内をぐるりと見回し、ルディアにこう告げる。
「新しい物語を考えたんだ。そうだなぁ主役は、あの人」
 影に紛れるように白山羊亭に足を踏み入れた早々、見ず知らずのヒトに指差され、思わず足を止めて自分自身を指差したのは鬼眼・幻路だった。
「うむ? あの人とやらは拙者のことでござるか?」
 確認するように問うてみれば、コールは大仰に顔を上下させる。
「ふむぅ、拙者、表の世界で語れることのない者なのでござるが……」
 と、何か言い募ろうとしていた幻路だったが、一拍置いた後に、にっとその口元に笑みを浮かべた。
「いや、しかし、その拙者が物語の主役とは面白い。是非、お聞かせいただこう」




【ランタナの黒】


『絵の具師がどうして黒の衣装を着ているか知ってるか?』
 昔々、仕事仲間であり親友が言っていた言葉。
 親友は黒が好きだった。
 だが、幻路には全てを塗りつぶし、修復が出来ない黒という色がどうしても好きになれずにいた。
 だから、絵の具師という職業が黒い衣装を着ることについても、伝統だからとして深く考えなかった。
『汚れが目立たないようにでござろう』
『違うさ! 欲張りなんだよ』
 怪訝そうな眼差しで親友を見やり、眼を細める幻路。親友は笑うだけだった。
「…………」
 そんな会話を交わしたのはいつだっただろうか。
 なぜ欲張りなのかどれだけ訊いても親友は答えてくれなかった。そして、結局その理由を聞けぬまま、彼は材料集めに行った日に、土砂崩れに巻き込まれ、この世を去った。幻路に、その言葉の謎を残したまま。
 今現在、幻路はニッケルを手に、断崖絶壁を登っていた。
 絵の具は鉱石から出来ている。
 鉱石を削り、潰し、粉にして、油と混ぜ、造り上げる。
 本当に良い絵の具師は、材料となる鉱石を自分の手で、目で、選び、手に入れる。
 どうも街に仕入れられてくる鉱石では物足りず、幻路もこうして自分の足で材料を手に入れる絵の具師だった。
 背の高さは仕方が無いが、おかげで芸術系の職業でありながら、幻路の体は筋肉がついてかっしりとしてしまった。
「……………」
 幻路は一心不乱に崖を上る。
(本当にあるのでござろうか…)
 生前、親友が言っていた言葉。
 そう……この山が、親友の命を奪った、仇。
『すっごく綺麗な赤が作れる鉱石が取れる山があるらしいんだ!』
 古い地図を片手に、昔の絵の具師が残したとされるそれは、今は採掘されていない鉱山の場所が書き記されたものだった。
 かつての親友の言葉が胸に蘇る。
『この鉱石を見つけて、俺は“赤”の頂点に立つ』
 絵の具も売れなければ生活できないため、ほどほどに納得のいく色を造り上げ、市場に卸す。だが、絵師同様、絵の具師は絵の具の色に芸術を求める部分がある。
 ―――そう、自分が納得のいく、究極の一色を造り上げる事は、難しい。
 そして、形見分けとして手に入れた古い地図。
 この地図が偽物で、たどり着いた先に何もなかったら、親友があまりにも浮かばれない。
 だが自分は、そんなものは元から無かったのだと証明して、馬鹿なことで死んじまって…と、思いたいのか、それとも、確実に見つけ出して、お主の言葉は本当だった…と、思いたいのか。
 親友としての幻路と、ライバルとしての幻路。二人の幻路が心の奥底でせめぎ合う。
 負けたくない。
 根底に眠るそんな思いが、幻路の中に靄を落とし、ただその場所へ向かえば答えが出ると、他力本願なことを考えていた。
 幻路はぐっと俯くように一度唇をかみ締める。
(そんな曖昧な気持ちで……拙者、山をなめているでござるな)
 親友は、どこで山に連れて逝かれたのだろう。
 目的が山を登ることではなく、鉱石を探すことだとしても、行っていることは登山と全く変わりない。油断をすれば自然に負ける。
 幻路は気を引き締めるように、軽く崖に額を打ちつけ、最後の一踏ん張り。断崖絶壁を登りきった。
 一面に広がるなだらかな傾斜の林。
 そして、傾斜と木々に隠れるようにぽっかりと明いた薄暗い穴。
 幻路は辺りを見回し、地図に眼を落とす。
 どうもこの地図、崖を上った先の洞窟の位置が曖昧で、穴が他にもあるのかここだけなのかいまいち分からない。
 可能性は1つ1つ潰していくほかない。
 幻路は穴の中へと降りると、松明に火をつけた。照らされた穴の中は、自然が作り出した天然の洞窟。松明は、辺りを照らすことも出来れば、洞窟内の空気の残量も知ることが出来る一石二鳥な代物だ。幻路は火の揺らめきに注意しながら洞窟の中へと踏み入った。
 幻路は時々古い地図を確認しながら、足場の悪い天然の洞窟は、ヒトの侵入を拒んでいるようにさえ思えた。
 自然の明かりなど一切入らない洞窟の奥。大柄な幻路には少々窮屈な通路を抜けた先、
「なっ………」
 目の前に広がった光景に、思わず息を呑む。
 松明の灯りに照らされ、浮かび上がった鮮やかなまでの赤。
 赤瑪瑙で作られた天然の洞窟がそこに出来上がっていた。
 層を描く瑪瑙の地盤。ここまで鮮やかなほどに出来上がるまでには、どれだけの時間がかかっただろう。
 よくよく見てみれば、赤だと思っていた瑪瑙は微妙に黒くくすんでいる。
 幻路の行動は早かった。
 急くように背負っていた鞄から持ち運んでいた道具を取り出し、瑪瑙を削り、愛用している絵の具の粘りを出すための油を取り出す。
 削り、潰し、粉にして―――
「っ……」
 がさがさと鞄を探り、取り出した紙と筆。
 筆の先を染めた赤で、紙に線を描く。
「!!」
 今までに見たことが無いほどの綺麗な赤だった。





 あれから数日後―――
 幻路は結局手ぶらで何時もの長屋に帰ってきた。周りの親しい人々に結果を聞かれたが、笑って誤魔化した。
 結局、瑪瑙ではなかったかもしれないが、今はもう確認する術もない。
 あの地図は焼いてしまった。
 ―――赤は、奴のものだ。
「うおっと」
 作りかけの絵の具を誤って落としてしまった。
「拙者としたことがうっかりしていたでござる」
 これではもう売ることが出来ない。仕方が無いと、幻路が片付けようと腰を曲げた、その時だった。
「!!?」
 足元で混ざり合う全く互換性のない絵の具たち。
 幻路は思い立ったかのように筆を執り、一見乱暴とも取れる動作で筆を絵の具に突っ込んだ。
 赤、青、緑……ゆっくりと幻路は絵の具を混ぜていく。
 徐々に、そう、徐々にだが、絵の具は色を変えていく。
 絵師が絵の具を混ぜることで、今までにない色を造り上げている事は知っていた。だが、
「これは……」
 手当たり次第に混ぜ合わせた結果、出来上がった色は―――

『欲張りなんだよ』

 親友の言葉が幻路の脳裏に蘇る。
 幻路の口から抜けるように、ふっと笑いが零れた。
 黒は、黒曜石で作られる、染まらぬ色ではない。
「全ての色を持った色、だからでござるか」
 絵の具師は、数多の色をその手で作り上げる。
 だからこそ、全てを内包した黒の衣装なのだ。
「あはは……」
 小さな笑いが幻路の口から零れ落ちる。
「はははははは―――!!」
 幻路は笑った。今度こそ、腹のそこから大声で。未熟だった自分に、そして、空の親友に向けて―――
 そして、どれほどの時を笑い続けただろう。ふと笑いが途切れ、幻路は項垂れるように肩を落とし、頭を伏せる。
「……拙者の負けでござるよ」
 目じりに浮かぶ涙。
 だが、その顔には微かな笑みが浮かんでいた。
 辺りにヒトが集まりかけているのも気付かずに、親友の死に泣けずにいた大柄な男の一人泣きが、長屋中に響いた。




終わり。(※このお話しはフィクションです)





























 まさか自分の黒の忍者服がそんな風に捉えられるとは思わずに、幻路は思わず眼を丸くして頭をかいた。
「……拙者、歴史の影に生きる者でござる。それが当然でござったが……」
 そして、自分の本当の職業のことを思い、感慨深く呟く。
「歴史じゃないけど、影に生きる者。だよ」
 ニコニコと語るコールに、幻路は「ん?」と眼を瞬かせる。
「だって絵の具が無かったら、絵も出来上がらないでしょ」
「そういう意味でござったか」
 絵の具師という職業も決して表の舞台で語られることの無い職業ではあるが、忍者と比べれば真っ当な一般職。
「例え物語の中でも、日の下で語られることができて、良かったでござる」
「日の下?」
「いやいや、こちらの話でござるよ」
 首を傾げるコールには、幻路ははっはと笑って誤魔化すようにビールを飲み干した。









☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【3492】
鬼眼・幻路――オニメ・ゲンジ(24歳・男性)
【異界職】忍者


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 例えばこんな物語にご参加くださりありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
 初めまして。もうBUからして思いっきり忍者で、隠密系で書くべきかどうか迷いましたが、日の下でのご職業が希望だという事で、ちょっと風変わりな職業になって(?)しまいました。
 一応忍者ルックを尊重しまして、ほんのり和風テイストになっています。お楽しみいただければ幸いです。
 それではまた、幻路様に出会えることを祈って……