<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


戯れの精霊たち〜すべての命に、感謝を〜

 精霊の森に訪れたアレスディア・ヴォルフリートは、
「今日はファード殿を街にお連れしたい」
 とクルスに言った。
「ファード? ザボンじゃなく?」
 森の守護者クルス・クロスエアは目をぱちくりさせた。アレスディアは「うむ」とうなずいて、
「一度彼女と話してみたかった。どのような方かと思って。よいかな?」
 と樹の精霊ファードがいる方角を、遠くを見る目で見つめた。

 特に、反対する者がいるわけでもなく。
 ――意識を重ねる瞬間は、まるで体の中に枝葉が伸びていくような感覚。
 自分も樹になる。そんな心地。

 樹の精霊だけに、やはり少し体が硬い。もっとも岩の精霊ザボンを宿らせてさえ平気なアレスディアには大した変化ではなかった。
『あなたが……噂に聞くアレスディア……?』
 頭の中で、優しげな女性の声がする。
『いつも話を聞いています。ザボンや……あの子から。大切な友達だと』
「あの子……ああ」
 アレスディアは1人の少女を思い出し、
「私も、彼女やクルス殿の口からよく話が出るあなたとお話したかったのだ」
『あら……何のお話かしら』
 アレスディアは少し沈黙してから、
「とりあえず、街へ参ろう」
 と少し微笑んだ。


 今日は少し曇天だ。湿気があって、けれどファードは湿気を喜んでいるようだった。
『――あら、ごめんなさい。つい、自分のことにのめりこんで』
「いや、構わぬ」
 樹なら当然のことだろう。アレスディアは首を横に振る。
 曇天でもこの昼下がり、天使の広場や商店街あたりは人であふれている。
 ――今日は、人通りが少ない場所を選ぼう。そう思ったアレスディアは、歓楽街のベルファ通りへと向かった。この辺りは、昼間なら大抵すいている。
「……ファード殿の体は、薬になるという」
 アルファ通りの店舗の壁にもたれて、ルーンアームを横にたてかけ腕を組んだアレスディアは、空を仰いだ。
 雲の動きが不気味だ。まるで、落ちてきそうな。
「クルス殿や我が友……彼女にとって大切なあなたが傷つくことは、私にとっても辛い」
『アレスディア……』
 湿気のせいで前髪が少しべとついた。アレスディアは前髪をかきあげてから、
「だが、今は、その是非を問うのではなく……」
 灰銀色の髪を指で梳いた。「……例えば、傷に塗る軟膏、病を患ったときに飲む粉薬……」
 何気なく使っていた薬も。
 ――元は何かの命。
「……薬だけでなく、日々の食事にしても」
 私のこの命を何と多くの命が支えてきたのだろう――……
「この命をないがしろにすることは支えてきた命をもないがしろにすることになるのかな、と」
 アレスディアは目を細めて曇天の空を見る。
 雲は東へ流れていき、雨が降る前に太陽が見えそうだった。
「このようなことは奪った側からのものでしかないのだろうけど、この命を支えてきてくれた命に、奪い傷つけた悔恨や罪悪感より、何よりも感謝を」
『………』
 ファードは黙って聞いていた。
 顔は見えないけれど、微笑んでいるような気配がした。
 アレスディアは苦笑した。
「……済まぬ、私だけ一息に話してしまって」
『いいえ、アレスディア』
 ――彼女に名を呼ばれることは、なぜかひどく特別なことのような気がした。
 雲の隙間から、陽光が差し込んでくる。
 幻想的な景色。何と美しき光の芸術。
 しばらく2人でその景色に浸った。まるで太陽の光は、2人を歓迎しているようだったから。
「そうだ、ファード殿は食事が好きだとか」
 アレスディアは以前友人から聞いたことを思い出す。
「良い店を知っている。いかがか? もちろん――」
 彼女はにっこり笑って言った。
「もちろん、ありがたいと、感謝しながら」

 ファードから異論が出るはずもなかった。

『私の食べたものはいずれあの森全体に伝わって、あの森が元気になるのです」
 アレスディアがやってきた定食屋でおいしそうな定食を頼んだファードが、嬉しそうにつぶやいた。
『アレスディア、あなたのおかげで森が元気になる』
「それは違う、ファード殿」
 アレスディアは他の客に聞かれないよう小さな声で、笑いながら言う。
「ついさっき言ったばかりではないか。私のおかげではない、命を捧げてくれたものたちのおかげだ」
 ふふ、とファードが微笑んだ。
『そうだったわね。ごめんなさい』
 ――不思議な精霊だ、とアレスディアは思う。
 大人びているようで……どこか子供っぽい。
 彼女のまとう暖かい雰囲気に、友人やクルスは惹かれてやまないのだろうと思っていたけれど。
 自分はむしろ――この精霊の子供っぽさに惹かれるかもしれない。
(……いや。暖かいことに変わりはないが……)
 彼女を身に宿している間ずっと、まるで母に抱かれているような心地がした。
 おそらく――赤子が母を抱くような、感覚だろう。
(私も……赤子の部分が残っているか……)
 きっと、人間は誰だって。
 どれだけ成長しても、赤ん坊の部分は消せないから。
 頼んだ定食がやってくる。アレスディアは手を合わせ、箸を取る。
(――すべてのものたちに、感謝を)
 心の中でつぶやくと、唱和するようにファードがつぶやいた。
(すべての命に、感謝を)
 例えば食べるもの、薬にしてきたものだけでなく。人間は助け合っていくものだから。
(……すべての命に、感謝を)
『あなたも、その「すべて」に含まれているのですよ――』
 ファードが囁いた。汁を飲もうとしていたアレスディアは思わず吹きそうになった。
「わ、私が?」
 不審に思って尋ねると、やはりファードは優しい笑みで、
『私の森を愛してくれている。クルスや私の娘を愛してくれている。ザボンを愛してくれている。……感謝してもしきれない』
「………」
 アレスディアは少しだけ照れた。頬を引っかいてみてから、
「……それは逆だ。あの森が私を受け入れてくれた。クルス殿や彼女が私を友と呼んでくれた。ザボン殿も。きっと……ファード殿も」
『ええ、ええ、あなたは私の友であり、娘だわ』
「娘は1人で充分ではなかろうか。彼女ににらまれるかもしれぬ」
『あの子はそんなに心の狭い子ではないわ』
 そんなことは知っている。アレスディアはくっくっと笑った。
 目の前の定食を見ると、色んな具が入っていた。海産物、山菜、野菜。木の実からしぼりだしたジュース。
 それを自分が食べる。そして自分が狩りに行く。狩りで得た動物の肉はまた誰かが食べるのだろう。
「……命の輪は、こうやってつながっていくのだな……」
 感慨深くつぶやいたアレスディアに、ファードが囁いた。
『水もですよ。雨となり、川に流れ、海に出て、蒸発して雲となり、また雨となり……』
「途中でファード殿が吸い取ってしまわれると、どうなる?」
『私たち森が元気になる。私たちの森にはいませんが、普通の森には動物がいます。動物が過ごしやすい森となる。動物が吐き出したものを栄養にして……また森も元気になる」
「森ばかり元気になるのか」
 アレスディアが笑うと、ファードは少しだけ困った顔をして、
『……森が元気になれば……木の伐採がされます』
「―――!」
 アレスディアは身を震わせた。
 そして、しばらくしてがくりと力を抜き、
「……その木で家を作ったり色々……ここでもつながり、か……」
 思えばどこもかしこもつながっているものだ。
『定食、冷めてしまいますよ』
 ファードに言われ、思考にふけっていたアレスディアは慌てて箸でご飯をかきこんで――
 のどにつまらせ、げほげほとむせた。

 食事が終わって外へ出ると――
「……おや?」
 先ほどまで美しい光の世界が出来上がっていたはずの空が、またもや曇天となっていた。
 いや。もはや曇天ではない。
 雨模様だ。
「ファード殿……!」
 ルーンアームで頭上を隠し、何とか傘代わりにしながら土砂降りの雨の中を走っていると、ファードは、
『ごめんなさい……心地よくて』
 と申し訳なさそうに言った。
 アレスディアは苦笑する。そんなものなのだから仕方ない。
 そう思って彼女は――
 傘代わりにしていたルーンアームをどかした。
『………! アレスディア……!』
 どしゃぶりの雨を全身で受け止める。傘など平常から持ち歩いたことはないので、濡れることには慣れている。
「ファード殿!」
 アレスディアは空を見上げて、雨が目に入らないよう目を細めながら声をあげた。
「ここでたっぷり水を吸い込んで! 英気を養ってくれ! そして森を――あの森を、どうかこれからも」
『―――』
 ファードはアレスディアの全身に、枝葉をめいっぱい広げたようだった。
『ええ……空からの、そしてあなたからの贈り物。無駄にしません、私は樹の精霊……! あの森を、司るもの……!』
 アレスディアはその言葉に満足した。
 自分が樹になったかのように、一体化したかのように、目を閉じて。

 瞼の裏に、精霊の森がますます青く生い茂る様子が浮かんだ。
 ――きっと、ただの夢じゃない。
 水よ、どうかこの樹の精霊に力を、心を。
 あの森が永遠に暖かい場所であるように――

「水にも、感謝せねば」
 つぶやいたアレスディアの視線の先に、虹がかかっていた。
 それは見事な、くっきりとした虹だった。
「あの虹は……どこから来て、どこへ行くのだろうな」
 胸の中で、ファードが微笑んだ。
『あの虹もきっと……輪をつないでいます。こうして、人々の心を揺さぶる力をもって……』
「虹は円形だと聞いたことがある」
 アレスディアは微笑んだ。
「まさしく、すべてのつながりの象徴……だ」


 森に帰ってきたアレスディアは、全身びしょぬれでクルスに驚かれた。
「そんなにひどい雨だったかい?」
 この森は木々でほとんど空が遮られている。雨がほとんど入ってこないのだ。
 タオルを小屋から持ち出してきたクルスは「悪いね」とアレスディアの灰銀色の長い髪をぱたぱたと叩くように拭ってやった。
「ファードが水を喜んだんだろう? キミまで巻き込んで……」
「いや、クルス殿」
 アレスディアは満面の笑顔でクルスを見た。「今日は色々なつながりを知れて素晴らしい一日だった」
「そうかい? ならいいんだけど」
「――すべての命にはつながりがあると。それを学んできた」
 それを聞いたクルスが眼鏡の奥の目を細め、
 それからにっこりと微笑んだ。
「うん。いいことを知らせてくれた。僕も勉強になるよ」
 ファードがいつになく元気になったな、と精霊の姿をその目で見る青年は嬉しそうに言う。
「本当だろうか? ならば素晴らしいことだ」
 アレスディアは笑みのままで、「このまま分離させてくれ」と言った。

 意識が離れる瞬間はするすると枝葉がぬけていくような感触。
 今まで自分を支えていた何かがなくなるような気がして、アレスディアは慌ててルーンアームにもたれかかった。

 森が――
 ざわりと揺らめいて――

「――こりゃすごい――」
 クルスが感心したように声をあげ――
 アレスディアが顔をあげると、

 森の緑はますます色をつややかに鮮やかにし、枝葉を伸ばし、それでいて陽光は取り入れられるように葉を重ね、
 みずみずしく活力あふれる森へと

 ――ありがとう、アレスディア――

 聞こえるはずもない精霊の声が、聞こえた気がした。
 アレスディアはクルスを見る。クルスは微笑む。

 ――ファード殿、どうかこの森を、
 もっともっとこの森を愛するために――

 それは命の輪廻のわずかひとかけら。
 それでもひどく輝いていた、かけがえのないひとかけら――


 ―FIN―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2919/アレスディア・ヴォルフリート/女/18歳/ルーンアームナイト】

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■         ライター通信          ■
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アレスディア・ヴォルフリート様
お久しぶりです、笠城夢斗です。
今回はファードシナリオにご参加いただき、ありがとうございまいした!
後半部は完全にライターの好き勝手に書いていますが、いかがでしたでしょうか。
よろしければまたお会いできますよう……