<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


戯れの精霊たち〜常に流れゆくもの〜

 森の命をつなぐのは川。
 そんな法則は『精霊の森』でも通用する。
 そんなわけで、精霊の森にも川は流れていた。
 穏やかな穏やかな川。透明に近い色をしていて、底にしきつめられた小石が見える。
 手をちょぽんと浸すと、冷たくて、なぜかそのまま飲んでしまいたくなる不思議な川だということを、その日千獣は初めて知った。

「セイーでいいのかい?」
 川の傍にかがんでいた千獣に、森の守護者クルスが尋ねてくる。
 千獣はクルスを見上げ、
「……この前、グラッガに、傷の、治し、方を……教えて、もらった、けど……でも、傷、洗う、のに……水を、もらった……」
 ……その、お礼も、言いたい……
 つぶやいた彼女に、クルスは微笑んで、
「じゃあ呼び出そうか。セイー!」
 クルスの片手に光の粒子が集まってくる。
 彼は指を鳴らした。
 ぱん、とはじけて、光の粒子が一瞬消えた。
 次の瞬間には――
 少し離れた場所で、光が何かの輪郭をかたどってまたたき――
 まぶしくて目を細めると、光は自ら役目を終えたかのように消えた。

 残ったのは、足の先が川につながっている、水色の――しかし体が透けている青年。
 歳の頃で言えば、グラッガよりもわずかに下だろうか。

 セイーはゆっくりと、それこそ川が流れてくるかのように近づいてきた。
『……なに』
 ぶっきらぼうな声。何だ、グラッガに似てる、と千獣は思う。
 火の精霊と水の精霊。正反対の属性なのに。
「このお嬢さんが話し相手をしてくれるそうだ。お前も久しぶりだろう? たっぷり話せ」
『……話すことあったっけ』
 ぽつ、ぽつとセイーは話す。『……この間……凄い勢いで桶持ってどっかと行ったりきたりしてたのは見てたけど……』
「それについてだとさ。じゃあ僕は失礼するよ」
 クルスは千獣とセイーに手を振って、身を翻し小屋の方へと戻ってしまった。
 千獣は川の傍に、かがんだままだった。
 セイーが首をかしげ、こちらもかがんで千獣と視線の高さを同じにする。
『……何の用?』
「――綺麗、な、水……」
 今まで散々見てきたと思っていたけど、改めて見ると。
 自分の長い長い放浪生活の中で、一番美しい川かもしれない。
 千獣はようやく顔を上げた。
「セイー……? 初め、まして……」
『……どうも』
「……この、前……この、川、から……水……もらった、けど……それは、大丈夫……?」
『……ああ』
「セイーは、川の、精霊、なんでしょう……? 何とも、ない……?」
『……ああ』
「この、川の……セイーの、水の、おかげ、で……クルス、傷、綺麗に、なった、よ……ありがとう……」
 ちょこり。千獣は頭を下げる。
『……ああ。あれは全部……あんたの頑張りだろ』
「そんな、こと、ない」
 ぷるぷると頭を横に振ってから、少女は川の水に手を浸した。
「……水……減って、も、セイー……平気、なんだ」
『……森の外はちゃんと雨が降ってる。……あれくらいなら大丈夫』
 一瞬“よく分からない返事だ”、と千獣は思った。
 雨。
 川。
 ――雨水が川に流れ込んでくるのか?
 雨水は正直言って綺麗ではない。それが……こんなに綺麗になるのか?
「……不思議。……不思議……」
 両手ですくってみる。
 水はさらさらと隙間から逃げていく。
「こんなに……綺麗、な、水……」
『……時々風の精霊たちが思いっきり水を跳ね飛ばしていく。その方が迷惑だ』
 千獣が顔をあげると、セイーはむっつりとした顔をしていた。
 千獣はくすっと笑った。
「仲……いい、ね」
『……俺が森の中で出会える精霊は、泉のマームと風のフェーたちだけだからな』
「他には、会った、こと、ない?」
『……俺はない』
 一本指をあごにあてて、千獣は虚空を見る。いつか誰だったかに、最近は誰かに体を貸してもらうわざができたおかげで、生涯出会うはずのない精霊同士が出会うこともあると聞いたような。
 セイーには、まだそれがないらしい。
『いつかは全員が顔を揃えられたらいいなと思うんだけどね』
 とクルスが言っていたこともある。
(そう、だね、いつか……)
 千獣はじーっとセイーの顔を見つめた。
 セイーが、首をかしげて『……なに』と言った。
 千獣はグラッガと話したときのことを思い出していた。あの、ずっと怒っていた火の精霊。
「……ねぇ、セイー……?」
『……だから、なに』
「セイー、は、私が……みんな、から、クルスを、とったって……思ってる……?」
 セイーは目をぱちくりさせた。
『……取る? クルスを?』
 千獣はこくんとうなずいて、
「私、とった……の、かな……だったら、嫌、だな……」
『……誰がそんなこと言ったんだ』
 セイーがぼそぼそと尋ねてくるので、千獣は小首をかしげながら、
「グラッガ……」
 と答えた。
『……グラッガね。グラッガ……』
 セイーはしきりにうなずいた。
『……俺が永遠に会えない精霊の1人だな』
「そう、かな。クルス、の、わざ、が、あれ、ば」
『……相性も悪いんじゃないか。俺には今の言葉がいまいちよく理解できない』
 ――クルスを精霊たちから取ってしまう――
『……クルスがどう変化しようとも、俺は流れに身を任せるだけだ。川をあふれさせようとは思わない。洪水を起こそうとは思わない』
「でも、クルス……私が、取っちゃった」
『……クルスはクルスで、誰が取るとか取らないとかじゃない。ものじゃないんだ、クルスは」
「……でも……グラッガは……」
『……確か風の誰かが――』
 セイーはちゃぷんと水の上に座り、『……グラッガは一番甘えん坊だと、言っていたな』
 それは前回も聞いた気がする。千獣は黙って聞いていた。
『……小屋の中には、風の精霊もあまり通らない。他の精霊の気配がまったくしない。小屋の中だけに、遮断されてるから』
 俺らみたいに、自由じゃないから――
『……だからクルスに引っ付いてるんだって、風のやつらはそういって笑ってたな』
「………」
『……グラッガだから、そんなこと思ったんだろ。クルスを取られたって』
 ましてや小屋の中だから、クルスと千獣が話しているところもよく見るわけで。
 クルスが笑っているところをよく見るわけで。
『……俺は川の精霊……すべてのものも流れるままに受け入れる……』
 セイーは、それこそ流れる川のように言葉を紡いでいく。
『……でもグラッガは……ひとところに固まっている炎……怒りも心にたまっていく……』
「セイー、炎、知ってる?」
『……クルスが小さいの作って、見せてくれたことがある』
「……グラッガ、は、怒って、る」
『……別にあんたを追い出したいわけじゃないと思う』
「じゃあ、なんで、怒って、る?」
『……八つ当たり、だろ』
 セイーは少し笑った。『……言ってみたかったんだよ。あんたに』
「八つ、当たり……」
『……本音ではある。あいつは本当に悔しがってるんだと思う。だからと言って』
 もし、千獣がクルスの元を去れば――
『……一番悲しむのは、クルスだって知ってる。この森の精霊の全員が』
「………」
『……あんたはなに。精霊たちが嫌だって言ったら、この森去るつもりなのか』
「……それ、も、仕方、ないって……思って、た」
『……クルスが引き止めても?』
「………」
 どうだろう、と千獣は考える。
 精霊に嫌われるのは嫌。でもクルスが引き止めるのを振り払う自信はない。
 ――クルスなら、『2人で精霊に受け入れられる方法を考えよう』と言うだろう。
 彼の腕に抱かれ、ぽんぽんと頭を叩かれながら優しく言われ、きっと自分はうなずくのだろう。
 精霊たちを傷つけても。
 きっと自分はそれを選んでしまう。
「傷、つけない、方法は、ない……んだね」
『……誰を』
「精霊、さん、たちを」
『……誰も傷ついちゃいないさ』
 千獣は驚いてセイーをまじまじと見る。
 セイーは肩をすくめて、
『……あんたが来てから、クルスはよく笑うようになった。皆感謝してる』
「そんな、」
『……本当だから安心して聞け。クルスにはあんたが必要なんだ』
 グラッガは……と千獣は小さくつぶやく。
『……やつのことは気にしなくていい。変えられないことだから、八つ当たりしただけだ。あんたが簡単に森から追い出せる人間だったら、むしろ黙ってる』
「そう、なの?」
『……そうだ』
 信じろよ――と彼は言った。
 千獣は、どうして会ったこともないグラッガのことをセイーがこんなにも話せるのか不思議に思った。
「セイー……本当、は、グラッガ、と、仲、いい……?」
『……会ったこともない』
 けど――
『……対なせいか。よく分からない。けど、分かる……』
 川は常に流れゆくもの。
 物事の変化を受け入れるもの。
 セイーはそうやって生きてきたから。
 ――大丈夫だ。そう言えるのかもしれない。
『……あんたとクルスの“時”はひどくゆっくりだ……』
 セイーはつぶやいた。
『……まるで、この森そのものだ……』
 上空を見た。
 空を覆い隠すまでの、立派な葉が見えた。
 この森は常緑樹。それも樹の精霊の力のおかげで、落ち葉がない。
 永遠に……変わらない……
『……あんたみたいなやつじゃなきゃ、クルスの孤独は癒せない』
「こ……どく?」
『……クルスは自分から、精霊とは線引きをしてる。自分は精霊じゃないと』
 彼は知っている。自分は人間だと。
 彼は知っている。彼の時間は永遠、けれど作り物だと。
 彼は知っている。――自分が精霊にはなれないと。
 知っている、知っている、知っている……
『……あんたは、精霊みたいだ』
 セイーはその手を千獣の頬に伸ばしてきた。
 ひんやり。冷たい水が、頬に触れた。
『……あんたも人間なんだろうけど。俺たち精霊にどこか似てる……』
「精霊、と……」
『……それでいてやっぱり人間なあんたに傍にいてもらうことが、クルスの休息になるんだろ』
「………」
 クルス……
 本当にそう、思ってる?
 私は、役に立っている?
 私は精霊に似ている?
 だから、私を傍に置いておくの?
 ――どんな理由でも、クルスの傍から離れるつもりはないけれど。
 だって、傍にいたいのは私の方だから。
『……グラッガの嫌味をいちいち聞いてるな。聞き流すぐらいでいい』
 セイーは立ち上がった。
『……むしろ嫌味を言ってきたら、このかわいいやつめってからかうぐらいがちょうどいい』
「………」
 千獣は立ち上がって、セイーと視線の高さを同じにした。
「……私、この、森に、いて、いい?」
『……それはクルスに聞いてくれ』
「クルス、は、優しい……他の、人、に、言われて、みたい……」
『……ファードも駄目なわけだな』
 こくんと千獣がうなずくと、
 セイーは突然、千獣の手を引いて川の中へ落とした。
「ひゃっ……」
 川は幸い深くない。腰が埋まる程度だ。
「な、なに……」
 ひどく驚いた千獣は、自分と一緒に川に埋まったセイーの顔をまじまじと見た。
『……これで、全部流せ』
 川の流れは体にあたって、ゆるやかに千獣を避けてはそのまま行ってしまう。何もなかったかのように。
『……これで、余計な考え全部流せ。……水は結局何もなかったかのように流れていく』
「………」
 千獣は自ら、頭まで沈んだ。
 なめらかな水が体中に触れて、千獣の体を清めていく。
 ――このまますべてを流して――
 また笑顔で、彼に会えるように。

 じゃぱっと顔を水面に出した千獣はつぶやいた。
「また……グラッガ、と、話し、合って、みよう、かな」
『……好きにすれば』
 セイーは素っ気なかった。いや、最初の頃のセイーはそうだったような。
 話しているうちに、親身になって聞いてくれた。流れるだけのはずの水が。
 ――それは、あるいは奇跡だったのかもしれない。
 岸に上がり、ぷるぷると頭を振る。濡れた髪から水が飛び散り、顔にべたべたと髪の毛がくっついた。
 顔から髪をどけると、
「じゃあ、ね。また、来る、ね」
 と千獣はセイーににっこり笑ってみせた。
 セイーはぼんやりと千獣を見ていたが、
『……クルスがあんたを好きな理由、分かる気がする』
 とつぶやいた。
 あいにく、千獣には聞こえていなかったが……
 千獣は全身びしょぬれのまま走り出した。――さあ、会いに行こう、彼に!
 服が透けそうなほどびしょぬれの千獣を見てクルスが目をむいたという話は――その後の話。
 千獣は小屋の中の暖炉に当たった。
 グラッガに当たった。
 今はグラッガの声は聞こえないけれど、グラッガは火を小さくして意地悪したりしなかった。
 きっとそれが彼の本音。
 千獣はにっこりと笑ってグラッガに伝える――

 “ねえ、色んなことを教えてくれて、ありがとう”


 ―FIN―


□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

【3087/千獣/女/17歳(実年齢999歳)/獣使い】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
千獣様
こんにちは、笠城夢斗です。
前回に引き続きゲームノベルの発注、ありがとうございました!
今回はセイーですね。グラッガとの対照ぶりを出すのに苦労しました。というか、そうかこいつら対照的なんやなあとしみじみと実感w
私の作ってしまった穴を次々拾ってくださってありがとうございます。
よろしければまたお会いできますよう……