<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


【楼蘭】藍・上染





 貴方の心を私の色に染め上げることが出来たなら―――

 一人の娘がそう願った。
 その願いは偶然それを聞いた仙人の興味を引く。
 数日後、青年は娘のこと以外の全てを忘れてしまった。

 青年は片言に娘の名を呼ぶ。
 しかし、歩き方も箸の持ち方も、生きるに必要な全てをも忘れてしまった青年を見て、娘は嘆いた。

 こんな事になるのなら、私の事など知らないままのほうが良かった―――と。

 そして仙人は娘に言う。
 これは貴女が望んだことなのに、どうしてそれを否定するのか。
 ならば貴女が最初に彼を求めた以上に“強く望め”ば彼を元に戻そう。
 けれど、元に戻った彼は貴女の事など覚えていない。

 そして娘は慟哭した。








 鬼眼・幻路は蒼黎帝国のとある町を訪れていた。
 何処かしら懐かしさを含んだような街並みに、幻路は感慨深くしみじみと歩を進める。
「……形は違うでござるが、瓦、引き戸、障子…懐かしいでござるなぁ」
 エルザードの街並みは、レンガ、ドア、ガラス、幻路が元いた世界とは全く違っていた。
 ふと幻路の足が止まる。
 それは、ある噂話。一人の娘の願いが、とある青年の全てを奪ったというもの。
「うむ……国を違えても男女の問題は尽きぬものではござるが……」
 それだけ聞けば、娘はかなりの悪女で、青年を路頭に迷わせたように聞こえるが、
「心を一色に染め上げられればと願い、本当にそれ以外のことを忘れてしまうとは」
 何か別の大きな力が働き、本当に娘のこと以外の“全て”を忘れてしまった青年。その事に、娘は実は呪いが使えるのではないか、と、あらぬ噂まで生んでいた。
「ああいや、感心している場合ではござらぬな」
 大きな独り言を呟いていた幻路に、町人の視線が一気に集まる。その顔は、自分たちの言動を棚に上げて、部外者でありながら、何を言っているんだと告げていた。
「ところでその、鈴露殿は何処に?」
 解決策など何もない。
 なぜならば、その方法さえも、娘――鈴露の手にかかっているのだから。
 町人は、幻路の問いかけに大仰にため息を着き、やれやれと両手を広げ、首を振った。
「あんた、そんなこと言ってるが、関わるのは止めときな」
「今の噂の範囲ではござるが、何やら引っかかりを感じるでござる」
 噂にもあった仙人が言っていた言葉。(噂の一部では、その仙人に鈴露が呪いを教わって、青年を変えてしまったという尾びれもついている)
 それを思い返せば、何やら言葉遊びのような気さえしてくるんだ。
「噂をすれば影ってな」
 噂話をしていた町人の一人が、すっと一瞥するように視線を動かす。
 その視線の先には、ぼろぼろの服に身を包んだ娘が一人、大量の荷物を抱えて、珠の汗を流しながら歩いていた。
 幻路は思わず駆け出す。
 娘の細い両手で支えられる重さ以上の荷物が、その両手にかかっていたから。
「手伝うでござるよ」
 幻路はすっと手を出して、娘――鈴露が抱えていた荷物をひょいっと持ち上げる。
 だが、
「……結構よ」
 と、鈴露は幻路が持ち上げた荷物を取り返そうと手を伸ばす。だが、幻路にその身長差を生かして荷物を届かないところへ持ち上げられてしまい、苦々しそうな視線で幻路を一瞥し、ふっと息を吐き、手を引っ込める。
「あなたも噂を聞いたんでしょ。私に関わると呪いがかかるわよ」
 嘲笑するような笑いを口元に浮かべて、鈴露は告げる。
「いやいや、拙者はそんな噂は信じないでござる」
「これだから余所者は……」
 まるで、自分自身で他人を拒絶しているかのような科白に、幻路はん? と、眼を瞬かせる。そして、一度何かを考えるように瞳を泳がせたが、すぐさまにっと笑顔を浮かべた。
 誰だって、気難しい顔よりも、笑っている顔のほうがいいはずだ。
「娘さんが、一人で重たい荷物を運んでいるのを見た。それだけで手伝う理由は充分でござるよ」
 幻路は、見た目明るく、ずんずんと歩き出す。
 今まで受けたことの無い優しさに、ただ呆然と立ち尽くす鈴露。
 ふと、幻路が足を止めた。
「……お宅は、どちらでござろうか?」
 申し訳なさそうに眉根を寄せて振り返った幻路に、鈴露は初めて小さいながらに笑みを零した。






 想像以上に彼の現状は深刻だった。
 彼女の存在以外の全てを忘れてしまった彼は、箸の持ち方や、もっと生きるうえで重要な歩き方さえも、忘れてしまっていたのだ。
「噂……聞いたなら、知っているんでしょ?」
 鈴露は、出かけている間に彼が起こした粗相の後を片付けながら、幻路に小さく問いかける。
「嫌いになれば…と、言うやつでござるか?」
「そう……」
 幻路は、抱えていた荷物を邪魔にならないところに降ろしながら、うぅむと考えるように腕を組んだ。
「拙者思うに、鈴露殿は彼のことを嫌いになれぬのではござらぬか?」
「そうよ」
 短く告げられた肯定。
 向けられた視線は、そんな当たり前のことを聞くなと幻路に告げている。けれど、幻路はそんな視線など気がつかなかった振りをして、軽く瞳を閉じて告げる。
「鈴露殿はこの彼のことを案じるがゆえに、元に戻したがゆえに、その方法として嫌いになろうとしている」
 噂に流れる仙人の言葉、『彼を求めた以上に“強く望め”ば』という言葉では、確かに『彼を求めた以上に“嫌いにならなけれ”ば』と捕らえてしまうことも納得が出来る。何とも意地悪な仙人だ。
 そう、嫌いになろうとしているその根元は、鈴露の彼への想い。
 幻路はその根本をもう一度見つめなおして欲しいという気持ちを込めて問う。
「いくら、彼を治す方法だからといって、心底から彼のことを嫌いになど、なれぬのではござらぬか?」
「なれないから、苦しいのよ!」
 鈴露の叫びが、自分が嫌いにならなければ、彼は元には戻らない。と告げている。
「よーく思い出すでござる」
 幻路は興奮しかけている鈴露を宥めるように、あえてゆっくりと言葉を発す。
「その仙人は『強く望めば』とだけ言ったのでござろう?」
 幻路は鈴露の顔を覗き込み、最後の確認するように問いかけた。
「そうよ! 強く望め…ば……」
 そんな幻路に食って掛かろうとしていた鈴露の声音が、はっと眼を見開いたと同時に小さくなっていく。そして、泣きそうな顔で眉根を寄せて、唇を振るわせた。
 彼女は、やっと気がついたのだ。
 仙人が「嫌いになれ」と言ったのではないという事に。
 幻路は優しい微笑を浮かべて、諭すような声音で言葉を紡ぐ。
「……嫌いになる必要など、ないでござるよ」
 その声は、鈴露の奥へと染み入るように吸い込まれていく。
「彼のことを心配する、強く想う気持ちをそのまま素直に持てばいいだけでござる」
 そう言って、同意を求めるような幻路の視線に、鈴露は目尻に浮かべた雫を頬に流して、コクンと大きく頷いた。







 元に戻った彼は、全てを忘れてしまった間のことも、その間世話をしてくれた鈴露のことをも、仙人が言ったように全て忘れてしまっていた。
 鈴露は泣いた。
 けれど、それは彼が自分を忘れてしまったからではない。彼を嫌いにならなくて済んだことに。
 街中に広がってしまった噂と、仕方が無く鈴露の元に彼を預けた両親は、鈴露が呪をやっと解いた程度にしか理解しないかもしれない。
「私が願ったから…。その事実は変わらないもの」
 鈴露はそう言って首を振った。
 けれど、彼はいつしか風の噂で聞くだろう。
 記憶が飛んでしまった数日――いや、数ヶ月? 自分がどうなって、どうしていたかを。
 その時初めて二人の時間は本当に動き出すのかもしれない。
 お互いを知らない赤の他人から、どんな内容にせよ、まず知人へと。
 そして、もしかしたらいつの日か、恋人同士になれるかもしれない。
 幻路は街中を歩きながら、感慨深く呟く。
「……いやしかし、先ごろより何やら色の話に縁があるでござるなぁ」
 先日関わった色の話と、今回の色の話では系統がまったく違うのだが、“色”という言葉が使われているだけで、何やら妙な縁を感じてしまう。
「饅頭を一つ、頂くでござる」
「あいよ。ありがと」
 幻路はひょいっと口に饅頭を放り込む。そして、街を振り返った。
 二人が、今度こそ本当の幸せをつかむことを願って。
















☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【3492】
鬼眼・幻路――オニメ・ゲンジ(24歳・男性)
【異界職】忍者


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 楼蘭にご参加くださりありがとうございます。ライターの紺藤 碧です。
 舞台が中華系をイメージしていますので、町並みに多少似た部分があるだろうと想像して書かせていただきました。
 もしイメージ違い等ありましたら、遠慮なく言ってください。
 それではまた、幻路様に出会えることを祈って……