<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


『月の涙』

 キャトル・ヴァン・ディズヌフは、診療室から出てきた少女に駆け寄った。
「どうだった?」
「うん、なんともないって」
 キャトルの問いに、友人のミルトはそう答えた後、腕を差し出した。
「あのね、さっき気付いたんだけどね」
 ミルトは白い腕をキャトルに見る。
「ほら、この間血を採った場所。まだ痕残ってる」
「ホントだー! もしかして、普通の体に戻ってる?」
「うん、多分もう大丈夫。……だ、だけど」
 途端、ミルトは泣き出しそうな顔になる。
「それを確かめに……来るかもしれない」
「うーん、あれから何事もないとはいえ、絶対ないとは言い切れないよね」
 彼女達の側には、屈強な男性達の姿がある。ミルトの父が彼女につけた護衛だ。
「でも怖がってたら、いつになっても普通の生活に戻れないだろっ。お父さんと相談してみなよ」
「うん、そうする」
 ミルトは少しだけ笑顔を見せた。
 キャトルは励ますように、彼女の肩を優しく叩いて、彼女を家まで送ったのだった。

――数日後・白山羊亭――

「娘さんのボディーガードですか?」
「そうです。当分の間、行動を共にしていただくだけで構いません。あまり物物しいと普通の生活ができませんので、普通っぽい人物を3,
4人希望しています」
 父親に手を引かれているミルトという少女は、とても気弱そうである。
「俺、やりたい!」
 ルディア・カナーズが依頼書を取り出す前に、近付いてきた少年がいた。
「ちょうど仕事探しててさ。俺、剣が得意だから守れるし、年も同じくらいだから一緒にいても、違和感ないだろ?」
 そう言って、少年は笑みを見せた。
「君、名前は? どこに住んでるんだい?」
「名前はレノア。遠くに住んでたんだけれど、家が焼けちゃってさー、仕方なくここで仕事探してるってわけ。生活かかってっから、全力で頑張るぜ!」
 ミルトの父の問いに、くったくのない笑顔で少年はそう答えた。
「その依頼、俺も受けるぜ」
 酒場の隅、手を上げて立ち上がったのは冒険者のワグネルであった。
「よう」
「ワグネルさん」
 ミルトが安堵の笑みを浮かべた。
 対照的に、レノアの表情が曇る。
「君か、ここの依頼とは別に、お願いしようと思っていたところだ。是非頼むよ」
 ミルトの父親もワグネルのことは知っている。ワグネルは、ミルトが行方不明になった際、依頼に応じ、彼女を救出してくれた人物である。
「レノア、来てたのか」
「うん。えっと……この間はごめん。俺、どうかしてた」
「なんのことだ? 受けた依頼によっちゃあ敵になることもある。元々俺等はそういう関係だったはずだ」
 ワグネルの言葉に、レノアは小さく笑いながら「そうだね」と言った。

**********

 ミルトの家は、閑静な高級住宅街にある。
 3階建の屋敷では、5人前後の使用人が働いている。
 ミルトはこの家の長女であり、他に弟と妹がいるらしい。
 母親は病気で臥せっているらしく、姿を現さない。
「本当に勉強教えましょうか?」
 並んでベッドに腰かけ、彼女に優しく寄り添っているのは、セフィスという女性竜騎士であった。
「知人から事情は聞いたわ。安心してね」
「はい。ありがとうございます」
 知人の話と白山羊亭の依頼を知ったセフィスは、家庭教師としてミルトに付き添うことにした。
 ミルトは聞いていたとおり、素直で大人しい女の子であった。
「とりあえず、不審者が潜伏し難いように庭木の枝や草は短くして、見通しを良くしてもらうわ」
 具体的な話をすると、彼女は少し震える。怖いらしい。
 そんな時には、セフィスは彼女の手を握って、「大丈夫よ」と囁きながら、頭を撫でてあげるのであった。
「人のいない部屋も、明りはつけておくようにしてね」
「わかりました」
 セフィスは部屋を見回して、窓を指した。
「あと、窓には近付かないでね。念の為に」
「はい」
 ミルトはか細い声で返事をする。
 父親には先に同様の意見を述べておいたので、明日にも実行してくれるだろう。
 一方、レノアとワグネルは、ソファーで寛いでいる。
 剣を向け合ったことなど忘れたかのように、2人は談笑していた。

 数日間、4人は共に過ごした。
 ミルトにとっては、3人共先生のようなものだった。
 知らない世界の話をしてくれる先生である。
 彼女の生活は、習い事が中心だ。娯楽といえば友人とのショッピングや家族旅行くらいで、普段は家で読書をしていることが多いらしい。
 そんな彼女にとって、3人の日常はとても不思議な物語であった。
 レノアとワグネルの冒険談に目を輝かせ、セフィスが担当した事件には、強い関心を示す。
「皆さんは、強いから……今の私のような目に遭っても、自分で切り抜けられるのでしょうね」
「勿論! 自分で切り開いてみせる」
 そう言ったのは、レノアだ。
「寧ろ、切り抜けられないような事件には首を突っ込まないことだ」
 ワグネルは仕事を選び、生きてきた。
「切り抜けられないような時には、仲間に頼ります。だらら、ミルトちゃんも、私達を頼ってくれていいのよ」
 セフィスはそう言った。その言葉にミルトは「はい」と返事をして、微笑んだ。

 その日は最後の検診日だった。
 ミルトは、定期的に検診を受けていた治療院へと向う。無論、セフィス、ワグネル、レノアも同行する。
 診察室へはセフィスが付き添い、ワグネルとレノアは待合室で待つことになった。
 レノアはしきりに診察室の方を見ている。
「なんだ? ミルトの検診に立ち会いたかったのか?」
 悪戯気なワグネルの言葉に、レノアは即反応した。
「なっ……あ、当たり前だろ。健全な少年として当然の感情だ」
「まだまだ子供だぜ、あの子は」
「なんだよ、ワグネルは立ち会ったことあるのか? ミルトって結構可愛いよな、金持ちの子だし。ワグネルも逆玉狙いか!?」
「なんだお前、そんな理由でこの依頼受けたのか?」
「いや、そうじゃねぇけどさー」
 レノアとワグネルは笑い合った。
 本当にそんな理由だったらいいと、二人同時に考えていた――。
「お待たせしました!」
 ミルトとセフィスが診療室を出、二人に近付いた。
「やっぱり、異常ないみたいです。薬の効果も消えたみたい」
 安堵の笑みを浮かべるミルトに、ワグナルは「よかったな」と声をかけた。
 ――その時だった。
 ガチャン
「きゃっ」
 派手な高音が響く。窓ガラスが割れた音だ。
 ミルトを抱き寄せながら、セフィスは警戒する。
 パン、ガシャッ
 続け様にガラスが割れた後、覆面をした人物が2人押し入ってきた。
 覆面の人物は、真直ぐこちらに向かってくる。
「……逃げるわよ」
 低く言い、セフィスは廊下の奥へ走り、窓を開けると笛で飛竜を呼んだ。
 ワグネルが前に立ち塞がり、男達に大刀を向ける。
「なんの用だ?」
「その娘を渡せ」
 若い男の声だ。
「そりゃあ無理な話だ」
 ワグネルが言うや否や、覆面の男が長剣を抜き、ワグネルに斬りかかる。ワグネルは片方の男の剣を大刀で受け、押し返す。もう片方の男の剣がワグネルに迫る。
 ワグネルは咄嗟に身を屈め、両手で大刀を支えたまま、足を払い、男の体勢を狂わせる。
 よろめいた隙に刀を引き、身を反らす。
 2対1は不利である。
「ワグネルさん、あなたもこちらへ!」
 セフィスが手を伸ばす。飛竜が到着したようだ。ミルトはセフィスに任せておけば大丈夫だろう。
「いや、俺には仕事が残ってるんでね」
 そう言うと、ワグネルは覆面の男達を躱し、駆け抜けた。

「レノア」
 診療室の中には、血の臭いが漂っている。
 ガラスが割れた直後から、レノアの姿が消えていた。ワグネルは、彼の動向をそれとなく監視しており、ここに駆け込む彼の姿をも確認していた。
 レノアが斬ったのだろう。医者や看護士が呻きながら、倒れている。いずれも命はあるようだ。
「ワグネル……」
 レノアの手の中にはカルテがある。恐らく、ミルトのものだろう。
「最初から、これが目的だったのか?」
「そうだ。俺は、もうあっち側の人間だから」
 言ったレノアの眼は、あの山で見た時と同じように、暗く、それでいて鋭い光を放っていた。
「ワグネル」
 レノアは一歩、後ろに下がった。
「取引をしよう。いつものように」
 窓に手をかける。
 ワグネルも、一歩、レノアに近付く。手に大刀を握ったまま。
「“俺達”が必要なのは、あの娘のデータだけだ。薬を飲んでから今までのデータだ。効果はもう切れているから、このカルテさえ手に入れば、俺達はもうあの子を狙いはしない」
「つまり、見逃せ、と?」
「取引だよ。ワグネルならわかるだろ」
 彼の言葉が本当なら、レノアがカルテを持って、“奴等”の元に戻れば、ミルトは狙われなくなるだろう。
 ワグネルの受けた依頼は、ミルトの護衛だ。何者かの策略を阻止することでも、レノアを捕まえることでもない。
 彼女にとって、何が最善なのかは――。
 ワグネルは踏み込んで、レノアに近付く。
 レノアは窓から飛び出した。窓枠を飛び越えて、ワグネルも後に続く。
「じゃ、ワグネル。またどこかで!」
 振り向いて手を上げると、レノアは駆けていった。
 ワグネルは追わなかった。言い訳がたたないので、とりあえず追う振りはしたのだが、呼吸でレノアとは分かり合っていた。
 大刀を背に仕舞う。覆面の男達も深追いはしないだろう。

**********

 ミルトの家に戻った護衛は、セフィスとワグネルだけであった。
 植木屋によって整えられた庭は、最初に訪れた時より、少し寂しく感じる。
 レノアについては、急用が出来たので辞退したとミルトに伝えた。
 ミルトは帰宅してからずっと震えていた。
「ミルトちゃん、大丈夫よ。戦いにはならなかったでしょ? それとも空が怖かった?」
 ミルトはセフィスの言葉に、ただ頷いている。
 そっと、セフィスが彼女の頭を撫でた。
「ミルト、土産だ」
 ワグネルは戻る途中に購入したものを、ミルトに渡す。
「御守りだ。キャトルが言うには、元気が出るらしい」
 それは、花火の詰め合わせであった。手持ち花火の他、打上げ花火も入っている。
「あ……りがとうございます」
 ミルトは花火を受け取って、ぎゅっと握り締めた。
「あー、奴等とちょっと話をしたんだが、もうアンタを襲わないって言ってたぜ」
「ホント、ですか?」
 ワグネルを見上げたミルトの眼には、涙が浮かんでいた。無理もない、まだ13歳の箱入り娘なのだから。
「本当だ。薬の効果が切れたってことを医者が証明したんだ。だから、奴等にはミルトを襲う理由がもうない」
「ホント?」
 もう一度、ミルトが聞く。その言葉に、ワグネルは強く頷いてみせた。医者が証明したというのは嘘だが、彼女を少しでも安心させるためには、そう話すのが一番だと感じられた。
「よかった……」
 ミルトは、頭を撫でているセフィスに抱きついた。セフィスはそっとミルトを抱きしめる。
「ほら、元気ないわよ。笑って、ミルトちゃん」
 セフィスが言うと、ミルトは涙を拭いながら顔を上げて、小さく笑った。
「もっと笑って! 笑ったミルトちゃんが見たいわ」
「今はまだ……怖、くて。でもきっと……今度、キャトルちゃんと、皆で花火を上げる時には……」
 言ってミルトはまた一つ、涙を零した。
「ミルトちゃんは泣き虫だなー。大丈夫だってば」
 セフィスは今度はぎゅっとミルトを抱きしめた。
 ミルトはセフィスの胸の中、そっと目を瞑った……。

 ミルトの父親への報告を終え、報酬を受け取るとワグネルは帰路についた。
 セフィスはもう一晩泊まるらしい。
 歩きながら、考える。
 彼は先日、黒山羊亭に顔を出した際に、エスメラルダからとある仕事を紹介されていた。
 内容に胡散臭さを感じ、体良く口実を作って断ったのだが――まあ、結果だけでも聞いておくか。
 今日は満月。作戦の決行の日だ。
 ワグネルは黒山羊亭へと、足を向けた。
 空を見上げたワグネルの脳裏に、ふとミルトの泣き顔が浮かんだ。

 彼女の頬を伝った涙が、何故か満月の姿と重なった。
 
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【2787 / ワグネル / 男性 / 23歳 / 冒険者】
【1731 / セフィス / 女性 / 18歳 / 竜騎士】
ミルト(資産家の娘)
レノア(孤児)
※PCの年齢は外見年齢です。

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■         ライター通信          ■
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ライターの川岸です。
『月の涙』にご参加ありがとうございます。
後日納品予定の黒山羊亭冒険記『残月』の方も合わせてご覧下さい。
また、来月から関連ノベルの連作を開始いたしますので、そちらの方でもお会いできたら幸いです。