<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>
『残月』
閉店間際、エスメラルダは突如訪れた珍客に眉を寄せた。
装飾の施された剣を見せ、身分を示すと男は短く言う。
「依頼書を拝見したい」
エスメラルダは依頼書の束を取り出す。
「ここ三ヶ月分全てだ」
言われたとおり、エスメラルダは男に三ヵ月分の依頼書を渡す。
男は素早く依頼書を捲り――数枚引き抜いた。
「この依頼を受けた人物を紹介してほしい」
「身元を把握しているわけではありませんので」
「分かる範囲で構わない。その他、武術、魔術に優れた者、隠密行動に優れた者を求めている」
「どういった、用件ですか? 場合によっては、来店した時に私からお話しますが」
エスメラルダがそう言うと、男は黒山羊亭を訪れた理由について話し出す。
彼が所属する組織が、他国の精鋭部隊がこのエルザードで諜報活動を行なっているという情報を掴んだ。
エルザード城への侵入は阻止せねばならないが、聖都での諜報活動自体は珍しいことではない。
問題は、その精鋭部隊の活動にある。
聖都エルザードに拠点を設けたその部隊は、エルザードの民を攫い、誑かし洗脳し、日に日に勢力を増しているという。
「看過すれば、エルザードはいずれ、内部崩壊の危機に瀕するだろう。そこで、だ」
男は一枚の写真を取り出し、エスメラルダに見せる。
「この少女を探している。彼女は奴等が今、もっとも欲しがっている人材だ」
「キャトル? でもこれって……」
「言うな。彼女にとって知られたくない過去だ」
写真を仕舞い、写真のことは口に出さぬよう言うと、男は話を続けた。
「少女……キャトルといったな。彼女に協力を願いたい。都心で大掛かりな戦闘を行なっては、多大な被害を及ぼしかねない。故に、彼女を囮に奴等の主力をおびき出し、その隙に、拠点に潜入し間諜。最終的には焼き払う」
「何故その精鋭部隊は彼女を欲しているのですか?」
「それはわからん。で、彼女の居場所はわかるか?」
「いえ。ですが、たまにここに顔を出しますので、その時でよろしければ、お伝えしておきます」
「頼む。早急に連絡をいただきたい」
男は、連絡先が記された紙を、エスメラルダに手渡す。
その紙には、こう名が記されている。
近衛騎士団/ゼルフェデク・ヴィザール
**********
●序章
数日後、エスメラルダから紹介を受けた者達が、黒山羊亭の個室に集まった。
賞金稼ぎのケヴィン・フォレスト、冒険者のリルド・ラーケン、アトランティス帰りの山本健一、多腕族の戦士シグルマだ。
そこには、キャトル・ヴァン・ディズヌフの姿もある。とても明るい彼女だが、普段とは違い口数が少ない。
流石に緊張しているのだろうか――。
「良いぜ、その話乗ってやるよ。少しは楽しめるんだろ?」
簡単な説明を受けてすぐ、そう言ったのは冒険者のリルド・ラーケンだ。
「……それに、アイツがいるかも知れねぇしな」
続く言葉は、独り言のようであった。
リルドには、借りを返さねばならない相手がいる。
あの集落の事件に関わりがある依頼であるなら、戦いの場に“アイツ”が現れるかもしれない。
ただ……。
ちらりとキャトルの方を見る。何故、彼女が奴等に必要とされているのかがわからない。
リルドが彼女について知っていることといえば、魔力が高いが不安定なため、魔法が使えないということ。しかし、魔法抵抗力が非常に高く、幻術等にはかからないということくらいだ。その他、何かの才能に秀でているわけでもない。更にキャトルは酷く痩せていて、非力である。
そして、そんな彼女を囮に使うことについても、納得がいかなかった。
「しかしだ。何故わざわざ狙われてる奴を、奴等の前に出す必要があるんだ?」
ゼルフェデクに軽く聞いてみる。
「おびき出す手段として、もっとも確実だからだ」
そうだろうか? 彼女独りに主力が動くか?
リルドは考えを巡らせる。
……作戦次第ではある。
「ねえねえ、もしかして、少しは心配してくれてるー?」
いつの間にかキャトルが、リルドの側に寄ってきている。
「だ……あ、ああ心配だ。あんたが俺等の足を引っ張りゃしねぇかとな」
「はっはっはっ、引っ張らないとは言い切れない! というか、引っ張るだろうねー」
キャトルの言葉を聞き、吐息交じりにリルドは言う。
「武器、持っていけよ」
「うん。ね、やっぱり少しは心配してくれてる? してくれてる?」
「誰が」
「もうっ、心配してるって言ってよー!」
キャトルはリルドの手を掴んで、揺すった。リルドは煩わしそうに手を振り解く。
「あたしはリルドが心配だよ。リルドはキレるとおかしくなるからね。防御忘れてつっこみそうだし。あたしのこともすっかり忘れて見境なく斬りまくりそうだし」
「これでも相手は選んでる。しかし、あんたのことは忘れるかもしれねぇなー」
「うぐっ、じゃあ、対リルド用の武器持っていかなきゃ!」
冗談を交えた言葉に、キャトルは笑顔でそう答えた。
両者共に、少し緊張がほぐれた。
相手が相手だ。他の誰かに任せるより、キャトルのことは、自分達が守ればいい。
そう考えて、リルドは作戦の提案に移る。
「主力を誘き出す手段だが、街中でゴロツキに派手に暴れさせて、人質としてキャトルを拉致させるっていのはどうだ?」
「誘き出すならルクエンドの地下水脈だな。あそこなら派手に暴れられるし、迎え討つにしても有利だろ」
そう言ったのは多腕族の戦士、シグルマだ。
リルドに異存はない。元々水辺に誘い込むつもりであった。
「なるほど、では、彼女を街中で柄の悪い連中に捕らえさせ……」
ゼルフェデクが話を纏めようとしたその時だった。
「待ってください!」
青髪の青年が、髪を振り乱して駆け込んできた。自警団員のフィリオ・ラフスハウシェだ。
フィリオはメンバーを見回し、キャトルに僅かに目を留めた後、ゼルフェデクに詰め寄った。
「自警団のフィリオ・ラフスハウシェです。彼女……キャトルさんを囮に使うというのは、本当ですか?」
「そうだが……。自警団は拠点壊滅の方に動いてもらう。君も早く行きたまえ」
「認められません! そんな、力のない少女を犠牲にするような作戦」
「犠牲にするつもりはない。彼女のことは、こちらの作戦に動く者で守る」
「いいえ。聞けば、敵主力との戦闘を見越しているそうではないですか。個々の力が秀でていても、例え、一人であっても無力な少女を守りながらの戦闘では、こちらが不利です。防御戦は可能でも、主力を倒すまでには至らないでしょう」
フィリオの言葉にゼルフェデクは唸る。フィリオは言葉を続ける。
「つまり、これは結果的に彼女を犠牲にする作戦です。余裕がなくなれば、彼女の安全より敵主力を叩く方を優先するのでしょうから」
「フィリオ……といったな。これは聖都の住民全ての命を背負った作戦だ。彼女もこの作戦の趣旨を理解し、協力すると言ってくれている。ここに集ったメンバーも命を賭しての戦いに向うことになる。彼女もその一員だ。危険もやむを得ないものだと考えている」
「フィリオ、あたしは大丈夫だよ」
ゼルフェデクの言葉に続き、キャトルが言った。
「あたしは、死んでも死なないし!」
「だから、その考えが危ないんです。キャトル、あなたはいざとなったら皆の盾になるつもりですか?」
フィリオの言葉に、キャトルは押し黙った。
「どうしても、彼女がこの作戦に必要だというのなら、私を彼女の護衛に回してください!」
フィリオがゼルフェデクに詰め寄る。
ゼルフェデクは両肘をテーブルに付けて腕を組み、考え込む。
誰も言葉を発しない。キャトルを囮に使うという作戦に関しては、疑問を感じている者も多かった。
「わかった」
ゼルフェデクが吐息交じりに言った。
「彼女は私が保護しよう。作戦には替え玉を使う。奴等が今まで接触してこなかったことからも、彼女の外見はさほど彼等に知られていないと思われる」
その言葉に、フィリオは胸を撫で下ろす。
「では、指示通り、自警団は拠点へ向え。ここに集まった者は、替え玉が用意出来次第、主力の誘き出しにかかる」
ゼルフェデクの言葉に一同は返事をし、作戦の詰めと準備に取り掛かる。
「私からも少し案が……」
作戦について話すフィリオを腕を、キャトルが掴んだ。
一通り話し終えた後、フィリオはキャトルと向かい合った。
「あたしだって、みんなに危ないこと……フィリオに危ないことしてほしくない。怪我、しないでね、もうあんなの嫌だからね」
「私達は大丈夫です」
時間も余裕もなかったが、フィリオはキャトルに笑みを見せて、黒く染めている彼女の髪を撫でた。
キャトルがフィリオを見つめながら、口を開いた。
「しばらく、遊べない、ね」
「少しの間だけです。すぐに迎えにいきますよ」
「うん……待ってる」
言って、キャトルは不安の残る顔で微笑んだ。
フィリオは自分の腕を掴むキャトルの手を取った。
彼女の手の甲に、騎士が姫に捧げるようなキスをして、彼女と微笑み合う。そして一人、黒山羊亭を後にした。
●拠点に残されたもの
作戦を聞いて数日、竜騎士のレニアラはとある飲食店に毎日顔を出していた。
近場で作業員として働いているふりをしながら、訪れる度に神経を張り巡らせ、情報収集に勤しむ。
作戦決行のその日も、いつもと変わらぬ一般客として、彼女は店に現れた。
目標の集合住宅は1棟30戸である。普通の集合住宅を装ってはいるが、監視が厳しい。
店頭を掃く掃除婦も、監視員のようだ。
住民達は宴会を装い、毎晩のように個室に集まる。時折大笑いが響く他、個室の会話は漏れてはこない。その笑い声も、レニアラにはわざとらしく感じた。
食事を済ませると、レニアラは席を立ち、化粧室へと向った――ように見せかけ、厨房へと入り込む。料理人が一人、まな板に向かっていたが、レニアラには気付いていない。
レニアラは気付かれないよう通り抜けると、事務所の前に立った。店長は今、給仕に出ている。この時間、他に従業員はいない。
レニアラは音を立てず、事務所に入り込む。戸棚の書類を開いてみるが、飲食店の経営に関するもの以外は存在しないようだ。
周囲を調べる。
……案の定、事務所には不信なドアが存在した。この集合住宅の内部は、ほぼ繋がっているのだろう。
迷うことなくドアを開き、中に入り込む。
平日の日中。しかも、主力を誘き出す作戦も同時に決行している今、この建物内にいる人物は少ない。
首領の部屋は3階の真ん中辺りと目星をつけている。
一つ目の部屋は女性の部屋のようだ。窓際にはカモフラージュの為か、ぬいぐるみが大量に置かれている。
ベッドの側の本棚にも、クローゼットの中にも怪しいものは見当たらない。
2つめの部屋で、レニアラは机に向う少年の姿を見つける。
背後から近付き、レイピアを少年の喉元に突きつけた。
「首領の部屋に案内しろ。下手な行動はやめておけ」
言って、レニアラはレイピアを軽く動かし、少年の首に一筋の傷を作った。
「わか……った」
少年は掠れた声でそう言い、ゆっくりと歩き出す。レニアラはレイピアを突きつけたまま、少年の後に続く。
少年は浴室に向うと、天井を開け、梯子をかけた。
警戒しながら、レニアラは少年に続き、梯子を上り、2階に出る。
「こ、この上あたりだよ。あの階段を上ってすぐだ」
少年は手を上げて、壁際に立った。
レニアラは少年を縛り上げると、目的の部屋へと向う。
鍵穴ではなく、蝶番を壊し、首領の部屋へと身体を滑り込ませる。
思いの外片付いたその部屋には、多くの書物が並べられていた。
金庫――は開きそうもない。
机に向い、引き出しを探る。
「やはり……」
書類の多くは、聖都のデータであった。
また人物についてのファイルも大量にあった。
短時間で押収せねばならない書類をピックアップし、手近な鞄に詰め込む。
更に金庫を引き摺り出すと、レニアラは窓に近付き、紙を一枚放り投げた。
――それが合図であった。
「火事だー!」
突如、大声が上がる。
道行く人々が振り向けば、集合住宅の裏側から、僅かに煙が立ち上っている。
近付こうとした人々の前に、自警団が回りこむ。
「危険です。下がってください」
残りの自警団員が玄関から入り込み、集合住宅に突入していく。
次々に野次馬達が集まってくる。
「隠密行動とは言われているが……。派手にやるか」
首領の部屋に留まっていたレニアラは浅く笑みを浮かべ、部屋を飛び出した。
幹部だろうか。けたたましい足音と共に、首領の部屋へと男達が集まる。レニアラは鞄を一旦置くと、レイピアを構えた。
人数は多い。しかし、武術に長けてはいないようだ。
男達が抜いたのは、一般的な長剣。レニアラは躱しながら、レイピアで敵の急所を貫く。
数が多くとも、狭い通路だ。必然的に一対一になる。
退く必要はない。
全て――倒すまで。
次第に煙が充満してゆく。それにつれ、男達の動きは鈍くなる。
レニアラは隙を見逃さない。強く、踏み込む。前の男の身体ごと、続く男の身体をも貫く。
最後の一人を片付けた後、レニアラは飛竜を呼び、鞄と金庫を抱えて飛び乗った。
自警団員が正面から突入する中、フィリオと同僚は裏口に待機していた。
5本目の発煙筒を投げ入れた時、突如壁が回転し、男達が連れ立って現れた。
「なんじゃ貴様はー!」
彼等に支えられるように現れたのは、白髪の老人であった。
「金ならないぞー! わしは天才じゃー!」
パニックを起こし、騒ぐ老人。
取り巻く男達は、剣を抜いた。フィリオと同僚も剣を抜く。
「大人しく投降しなさい」
フィリオの言葉に耳を貸さず、男達は斬りかかってくる。
まず、フィリオが風を起した。発煙筒の煙を巻き込み、周囲の空気が白く濁る。
感覚を研ぎ澄まし、男達の動きを探る。
風はフィリオの味方だ。
空気を裂いて振り下ろされた剣を、自らの剣で受ける。
呪文を口ずさみ、足下に風を起す。男達が足をとられた瞬間に、刀の峰を続け様に男の腹に叩き込む。
勝負は一瞬だった。残りの二人は同僚が片付けた。いずれも、命を奪ってはいない。
「わしは人間じゃー。喰っても上手くはないぞー!」
おかしなことを口ずさむ老人も、捕らえなくてはならない。男達を縛った後、老人を宥めつつ近付き、身柄を拘束するのだった。
正面から入り込んだ本隊の奇襲も大方成功だった。
窓から逃げ出した者もいたようだが、作戦の趣旨は犯罪者の拘束ではないため、仕方がないだろう。
そう、近衛騎士団ゼルフェデクから命じられていた今回の作戦は、拠点の調査と、活動場所の破壊であった。あくまでこちらの身分は明かさず事を済ませるようにとの指示があったのだ。
そのため、レニアラもフィリオ達突入した自警団員も身分は伏せ、一般人として作戦に当たった。集まった野次馬には、小火騒動だと説明してある。
しかし、フィリオも自警団員も少し疑問を感じていた。そのような活動拠点が存在するのなら、住民に被害を及ぼさぬよう細心の注意を払いながらも、人員を全て捕縛する方向に動くべきではないかと。
その疑問には、騎士であるレニアラが答えた。恐らく、秘密裏にことを済ませたいのだと。
他国とは、恐らくアセシナート。現在は国境付近での小さな衝突に過ぎない両国だが、アセシナート軍は聖都に攻め入る口実を欲している可能性が高い。少しの火種が戦争につながり、大きな犠牲を出すことになるかもしれない。
そんな懸念からだろう、と。
だが、レニアラとて今回の作戦には大きな疑問がある。
自警団の詰所で、業者に金庫を空けさせて後、その疑問は膨れ上がった。
金庫に入っていた書類は、集合住宅の権利書や貨幣。そして、人体実験、禁呪等、聖都では禁止されている部類の実験について記された書類である。
「出来すぎている。そして、意味がない」
レニアラは低く呟いた。
それらの書類は、奴等の活動を証拠づけるものとなるだろう。だけれど、それだけだ。
聖都に関するデータは、自分達にも調べ上げることが出来る程度のものである。
実験や禁呪については、テーマについては書かれているものの、細かい記述については一切書かれていない。
更に、自警団のメンバーと作戦を練った際、互いに気にかかっていたことがあった。
数ヶ月前、フィリオが担当した依頼――多くの少女達が何者かに攫われた事件は、正式にレニアラの耳に入ってはいなかった。
外部に漏らさぬよう、情報規制したにしても、騎士である自分の耳には入っていてもいいはずだ。何の対処もしていないとなると、極めて不自然である。
黒山羊亭で情報を耳にし、多忙な近衛騎士団に手を貸す――貸しを作るつもりで参加した作戦であったが、なにやら危険な領域に足を踏み入れてしまったらしい。いや、今なら何も気付いていない振りをし、普通に職務に戻ることも可能だが……。
「ああ、そういえば、ゼルフェデク・ヴィザール……聞いたこともない名だ」
レニアラは一人、不敵な笑みを浮かべた。
●誘き寄せたのは
「早く行けオラッ!」
リルドが少女の背を蹴り飛ばす。いや、少女に扮した子男の背だ。
しゃくりを上げながら、少女は洞窟に入り込む。
「もたもたしてんじゃねーぞ、クソガキ!」
辺りを蹴っていると、つい本気で暴れたくなってしまう。
しかし、それはこの後のお楽しみである。
傍らには、ケヴィンの姿がある。少女に扮した男に、剣を突きつけている。相変わらずやる気がなさそうな顔であるが、その憮然ともいえる態度は、遠目では冷徹に見えそうだ。
少女に扮した男の後に、ケヴィンが続き、その後にチンピラ風の男達が3人入り込む。最後はリルドだ。
薄暗い洞窟の中、子男とチンピラ風の男達――雇われ冒険者達は脇道へと入り込む。予めこの辺りについては調べてある。その先は森の中へと出るはずだ。
用意してあった岩を動かし、ケヴィンとリルドは脇道への穴を塞いだ。自然に見えるようカモフラージュして、そのまま奥へと進む。
規則的に落ちていた水滴の音が、1度、途切れる。
追跡者の存在に気付き、二人は足を速める。
「よろけてんじゃねーぞ、真直ぐ歩けってんだ!」
時折罵声を発しながら、リルドは進む。
無論、この先も確認済みだ。
ほどなくして、川辺に出る。水が心地よい音を奏でている。リルドの顔に笑みが浮かんだ。
「右だ右! さっさと進め!」
怒声を上げながら、岩陰に隠れる。
警戒しているのだろう、追跡者は姿を見せない。……それも計算済みだ。
リルドは意識を集中する。通ってきた洞窟の内部へと。
呪文を唱え、印を結ぶ。
小さな叫び声と共に、男が2人、飛び出してきた。洞窟内の水滴を爆発させたのだ。
瞬時にケヴィンが動き、棒を回転させ、二人の背を打ち、川辺へとたたき出す。
「さあ、楽しもうぜ」
剣を抜きながら、リルドはにやりと笑った。
相手も、剣を抜く。ケヴィンも棒から剣へと武器を変える。
打ち下ろされた剣は、意外に重い。強靭な肉体を持っていた集落の少年達を思い出しながら、ケヴィンは剣を捌く。油断はできない。
リルドは、相手より先に走りこみ、一撃を胴に叩き込んだ。男は剣を下ろしてリルドの攻撃を受ける。力は拮抗していた。
「あれだけか?」
一方、シグルマと健一は先回りして既に川辺に到着していた。高台から見下ろす彼等の眼に映っているのは、リルド、ケヴィンと剣を交える2人の男性だけだ。
「そのようですね。とても主力とは思えませんし……作戦はしっぱ……」
そこまで口にした健一が、突如口を閉ざし、精神を集中する。
「随分と、凝った結界ですね。気配を感じませんでした」
薄く、笑みを浮かべながら、健一は一方を見る。
二人からさほど離れていない大木の陰から、女性が姿を現す。その姿は半透明だ。透過の術を使っていたらしい。
次第に、はっきりとするその容姿には見覚えがある。忘れもしないあの事件――多くの少女達が誘拐された事件で指揮をとっていたと思われる魔術師。……と、彼女の容姿は酷似していた。
しかし、年齢が明らかに違う。あの女魔術師は40代に見えたが、目の前の女性は20代前半といったところだろうか。
黒いローブに、緋色の口紅。髪型さえも似ている。
「彼女が狙われていると聞いて、もしやと思いましたが、やはりあの時の一味ですか」
健一は冷たい笑みを浮かべて言う。
「あなた達にかける情けはないですよ」
「ちょうどいい、貴様だけは仕留めておかねぇとな」
シグルマは四本の武器を全て手にとった。
作戦の段階で意見してある。この魔術師が現れたのなら、確実に仕留める必要があるということを。そして、妙な回復能力を有している可能性がある為、敵の首を切り落とすことの必要性をも。
シグルマは、武器を構える。
「貴様等は、選ばれた者だ」
女が、淡々と語りだす。
「気付いていないのか? 追い込まれたのは貴様等の方だ。我等の計画に必要な人材であり、エルザードに不要な人間だ」
女は、懐から細身の剣を取り出す――その柄には、満月の模様が刻まれている。
細い指で、刀身に触れる。赤い血が一筋、刀身に流れ落ちた。
「召喚魔法です。離れて!」
健一は、即座に、背後に飛んだ。シグルマも健一に続く。
「我、汝と血の契約を結びし者。我が血を辿り、来たれ、黒竜ッ」
黒竜!?
健一は眉を寄せる。初っ端から、とんでもない召喚獣だ。
それだけ、自分達は認められているということか――。
しかし、召喚獣は健一達の前には現れなかった。
「ぐはああああああ」
「ぐぎゃあああああ」
下方から声が響く。
リルドとケヴィンが剣を交えていた相手が、突如苦しみだし、その姿を変える。――黒い、竜へと。
魔術師の力は計り知れない。だが、魔術で負けるつもりはなかった。
健一は距離を取りながら、長い呪文を詠唱していた。両手で印を結び、発動する。
突如、空が暗くなる。雲の間に光が走り、次々へと地上に光の刃を打ち下ろす。
爆音が鳴り響き、周辺の木々が燃え上がる。広範囲に降り注いだ雷は、一瞬にして、あたり一面を荒野に変えた。
しかし、女の姿は――ない。
なかなかの力量をもった剣士だった。
その剣士が突如、身体を抱えもがきだし――姿を変えた。
「なんだ、と……」
リルドもケヴィンも俄かには信じられなかった。
目の前にいるのは、黒い竜だ。体長は5メートルはある。
リルドの血が騒ぎ出す。高揚ではない、恐怖だ。
これは、リルド自身の感情ではない。リルドと同化した竜が感じている恐怖。動物が敵わぬ相手と遭遇した際に感じる自然の感情――。
「お前は眠ってろ。俺が、殺る!」
剣を持ち直して走る。斬ったのでは大したダメージを与えることができない。
ならば、急所を貫くまで。
対照的に、ケヴィンは一旦後方に退いた。背負っていた弓矢を取り出す。
竜が翼を広げた。
狙いを定め――打ち抜く!
弓は翼の付け根に突き刺さった。倒すほどのダメージを与えることはできないが、確実に力を殺ぐことはできる。
暴れる竜の足に、リルドは剣を突き刺す。もう一匹の竜の爪が、リルドの頬を打つ。リルドは飛ばされながら、魔法で川の水を浮き上がらせる。
「もう一発頼む!」
滑るように着地し、リルドが叫ぶ。同時に、ケヴィンは弓を放っていた。2本打ちだ。
リルドはそれに合わせて、水魔法を解除し、雷魔法を発動する。水を被った竜に、雷を帯びた矢が突き刺さる。
リルドは風の力を借りて跳躍し、黒竜の喉に、剣を突き立てた。
ケヴィンも剣を抜き、駆ける。もう一方の黒竜が震えながら口を開く。炎が吐かれる寸前、黒竜の腹に剣を突き立てる。瞬時に引き抜き、剣を逆手に持ち替えて、力任せに腹を切裂く。体液が飛び散り、ケヴィンの身体を赤く染め上げた。
「驚いた。想定外だ」
声は、シグルマが背にしていた木の上から響いてきた。
次の言葉を発する間も与えず、健一が風刃を放つ。
女魔術師は、魔術で対抗しながら、飛び降りた。
着地先には、シグルマが跳んでいた。降り立つ魔術師に斧を投げつける。同時に鉄球を左側面に打ち込む。
避けきれない。
瞬時に察知した魔術師は身を屈めた。鉄球が、魔術師の即頭部を殴打する。赤い血が、魔術師の顔を染めた。
シグルマの剣が魔術師の目前に迫る。
「はっ!」
魔術師が掛け声を上げる。魔力の放出による爆風が起き、シグルマの身体が弾き飛ばされる。シグルマの身体が離れた瞬間に、今度は健一の魔術が魔術師に炸裂した。無数の風の刃が四方八方から魔術師に襲い掛かる。
魔術師は魔術で対抗する。しかし、攻撃魔法を唱える時間はない。健一の魔法攻撃の後には、シグルマの攻撃が待っていた。
魔術師が、懐から杖を取り出す。――宝玉が嵌められたその杖には見覚えがある。
「あれは!? 一旦離れ……」
健一の言葉が終わらないうちに、周囲に炎が湧き上がる。健一は水魔法で相殺を試みる。シグルマは鉄鎚で顔を庇いながら、構わず魔術師に向かっていった。
宝玉が不気味に光る。
空気が震動した。シグルマは身体が引き裂かれる感覚を受ける。続いて脳が拘束される感覚――思考が途絶えてゆく。しかし、この一撃だけは。
既に身体への命令は行っている。魔術師はシグルマの剣の前にレイピアを差し出し、呪文を唱えた。
その瞬間。
魔術師の肩を何かが貫いた。
赤い、存在――。
竜の血に濡れたケヴィンだった。下方よりケヴィンが放った矢が、魔術師の肩を射た。魔術師の呪文が途切れ、シグルマの剣が魔術師の首を薙いだ。
声も立てることなく、その首は確かに斬られた。
確実に、骨まで切断されていた。
健一の魔法により、炎が消え去る。シグルマは痺れる頭を左右に振っていた。
何かが、おかしい。
健一が大気の感覚に違和感を覚え、風魔法でシグルマを引き寄せ、続いて魔術師の身体に風刃を打ち込む。
赤く、光った。
魔術師ではない。無残に切裂かれた魔術師の身体の側にある、杖が。杖に嵌められた宝玉が強い赤を放った。
目がくらむほどの光であった。熱を感じる光だ。
魔術師の身体が、炎に包まれて燃え上がる。
突如、炎が、鳴いた。
翼を広げて、鳴いた。
「フェニックス……」
健一が呟いた。
燃え上がった炎は、鳥の形を作り出し、周囲に飛び散った。
消えた炎の中心に――彼女はいた。
健一と目が合う。互いに、強く睨み据える。2人同時に呪文を唱え始めた。
健一の方が僅かに早く詠唱を追え、魔法が発動される。
しかし、魔術師に風の刃が届き、身体を切裂いた瞬間、彼女の姿は掻き消えた。……致命傷は与えられなかった。
「瞬間移動、ですか」
高度な術だ。だが、そう何度も多用できる術ではなく、戦闘には向かない。
「く、そっ」
シグルマは、拳で地を叩いた。また痺れが残っている。
自分は確かに首を刎ねた。それでも、殺せないというのか――。
リルドが喉を貫いた黒竜は人間共々絶命していたが、ケヴィンが腹を裂いた黒竜は、女魔術師が倒されると同時に人の姿に戻っていた。
腹の傷が、恐ろしいほどのスピードで回復してゆく。
傷が塞がる前に、ケヴィンは縄を取り出し、男をきつく縛り上げ岩に括りつけた。
「さて……」
リルドが剣を手に、男に近付く。
「テメェらが何をやろうとしているのかはどうでもいいが」
剣を男の顎に当てる。
「キャトル・ヴァン・ディズヌフを狙う理由と、あの男については、吐いてもらうぜ」
リルドは、剣先を上げ、男を仰向かせる。男は、苦痛に顔を歪めている。
「名もない集落の孤児を戦わせてた男だ。30前後の豪華な鎧を身に付けた黒髪の男。てめぇらの仲間だろッ!?」
剣先が食い込み、男の顎から血が落ちる。
「それは、おそらく……グラン・ザテッド。隊長、だ」
「どこにいる?」
「アセシナート……月の騎士団本部」
その言葉に、リルドは眉を寄せる。
アセシナート公国。頻繁に耳にする国だ。全面戦争になる日もそう遠くないと言われている国である。
一介の冒険者が近づける場所ではない。
リルドは舌打ちし、質問を変える。
「キャトルを狙う理由は?」
「血、身体、能力のいずれか。もしは全て、だ。我々は特殊な力を……求めている。お前も、ここに集った者は全て、我等が欲している人材だ。我々は、お前等の能力を見極め、引き抜きに来た」
「それは違います」
高台から降りてきた健一が、静かに言った。
「確かに、あの魔術師はその目的で現れたのでしょう。しかし、あなた方は利用されただけです。私達の能力を見極めるために。……要するに、捨て駒です」
目を細めて、微笑んだ。……冷たく、冷ややかに。
「あなたの身体には、魔術による罠が張り巡らされていますね。黒竜化もその一つでしょう」
一歩、健一は男に近付く。
「あなた達に情けをかける必要はないですね」
言った後、健一は皆に目配せをする。
リルドと、ケヴィンはその場から離れた。
健一は印を結ぶ。瞬間、炎が湧き上がる。
縛られた男と、黒竜と化したままの男の遺体が、炎に飲まれた。
●消えない月
全ての後始末を終えて後、フィリオは単身エルザード城を訪れ、近衛騎士団のゼルフェデクとの面会を求めた。
捕らえた老人は、マッドサイエンティストのようだ。しかし、痴呆症が進行しているようであり、詳しい話は聞けそうになかった。
他の男達も自警団のトップを通じ、騎士団に引渡しが完了している。
深入りするなと忠告を受けており、フィリオ達自警団には詳しい説明はなされなかった。
報告はエルザード城に届いているはずなのだが、友人のキャトルの保護先については、聞かされていない。
そして、いくつかの疑問もある。
今回の作戦も含め、何かがおかしい。
「生憎だが、お尋ねの者は、騎士団には存在しない」
騎士、レーヴェ・ヴォルラスの言葉にフィリオは耳を疑う。
「あの方は、騎士の証を持っていました。そんなはずはありません!」
「身分証を見たのか?」
フィリオは首を横に振る。見たのは身分を示す武具だけだ。
「機密行動をしていたのだろう。恐らくは偽名を使っていたと思われる。特徴を聞いておこう」
フィリオは、ゼルフェデクと名乗っていた人物に関し、思いつく限りの特徴を話した。
調べておくとの言葉を受け、その日はそのまま帰るより外なかった。
嫌な予感が胸に渦巻く。
キャトルと初めて会ったあの事件。
あの事件は、確か上から圧力がかけられ、全てもみ消されてしまった。
まさか既に、城に入り込んで――。
考えを吹き飛ばすかのように頭を左右に振り、街へ出た。
説明は得意ではないため、ケヴィン・フォレストは報告を仲間に任せ、一足先に、黒山羊亭に戻ってきた。
店内を見回すが、薬売りの少女――キャトルの姿はない。
カウンター席に腰かけると、エスメラルダと目が合った。
「怪我はないみたいね。……でも、僅かに血の臭いがするわ」
身体は洗ってきたのだが、若干臭いが残っているようだ。
ケヴィンは出された水を、少し口に含み、個室に目を向ける。
「キャトルならいないわよ。家族へ手紙を書いた後、連れて行かれたわ。可哀想に……動き回るのが好きな子なのにね」
酒場で見かける程度ではあったが、キャトルは自分とは対照的な騒がしい子である。
「それにしても……」
エスメラルダはケヴィンの隣に腰掛けて、小声で話し始めた。
「あの騎士、キャトルの写真を持っていたんだけれどね。写真の彼女、髪が金色で、顔中痣だらけだったのよ。彼女は普段、髪を黒く染めているし、あの外見では、親しい人にしか彼女だってわからいでしょうね」
恐らく、写真を見たのがケヴィンであったのなら、分からなかっただろう。ケヴィンは黒髪の彼女しか見たことがない。
「最近の写真のようだったけれど、近衛騎士団が何であんな写真、持ってるのかしら?」
エスメラルダの問いに、ケヴィンは首を横に振った。何も聞いてはいなかった。情報の出所についても。……キャトルを探す人物を捕らえ、吐かせたのだろうか?
ケヴィンは肘をつき、拳にこめかみに当てて情報を整理する。
まるで眠っているかのように、眼を閉じて。
疲れているのだろうと、エスメラルダはそっと立ち去った。
奴等から出た言葉――月の騎士団――聞いたことがない。
最近結成された騎士団なのか、アセシナートの機密組織か……。
少なくとも、あの魔術師の実力を見れば、精鋭部隊であることはわかる。
自分達は、誘き寄せたのではなく、誘き寄せられたのか。
手引きしたのは、誰だ?
キャトルを狙う理由とは?
見聞きしたこと全てを、ケヴィンは記憶に深く刻み付ける。
ゆっくり、眼を開ける。
「何にする?」
エスメラルダが微笑んでいる。
そこには、いつもと変わらぬ光景があった。
次第に、仲間が揃う。
個室に入って簡単に報告をしあう……。ただ、それだけだった。自分達は騎士でもなければ、組織に所属しているわけでもない。
その後は、明け方まで飲んで、騒いだ。
陽気に、楽しく。
窓に目を向ければ、空が白みがかっている。
朝が訪れようとしていた。
しかし、空に、まだ月が残っている。
まるでそれは、自分の心を表しているようだ。
深く心に刻まれた
消えない、月
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【3425 / ケヴィン・フォレスト / 男性 / 23歳 / 賞金稼ぎ】
【3544 / リルド・ラーケン / 男性 / 19歳 / 冒険者】
【0929 / 山本建一 / 男性 / 19歳 / アトランティス帰り(天界、芸能)】
【3510 / フィリオ・ラフスハウシェ / 両性 / 22歳 / 異界職】
【0812 / シグルマ / 男性 / 29歳 / 戦士】
【2403 / レニアラ / 女性 / 20歳 / 竜騎士】
【NPC / キャトル・ヴァン・ディズヌフ / 女性 / 15歳 / 無職】
ゼルフェデク・ヴィザール
女魔術師
※PCの年齢は外見年齢です。
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■ ライター通信 ■
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ライターの川岸です。
黒山羊亭冒険記『残月』にご参加いただき、ありがとうございます。
状況等は、後日開設予定の専用の個室でご確認ください。
連作でも皆様にお会いできれば幸いです。
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