<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


『漂流都市〜完結編〜』


●白の騎兵
 かつて、天空都市レクサリアと呼ばれた地に、混沌の影が舞い降りる。
 豪壮を極めた面影はとうに無く、人々の不安と恐怖だけが、その地を覆い隠そうとしていた。
 そこに。
「還れ混沌達!」
 純白のブランゴーレム『ユラン』が舞う。
 一刀の元に魔物を斬り払い、足元に倒された影がちり散り散りに分かれていくのが見えた。
「徐々にペースが上がってきているわね……」
 ユランの制御胞にあって、風見雪乃は一人呟いた。
 天空の門まであと僅か。人より遥か先まで見通せる視界には、既にその全容が映っている。
 その門の上空から一体、また一体と大型のカオスの魔物が姿を現していた。
「エラン、小さい連中は任せるわ。私は空から来る連中を片付ける!」
 足元のエトワール・ランダーにそう声をかける。
 先程倒した中型の魔物の影から、幾つもの小型の魔物が生まれていた。ここまではユラン一体の力で押し切ってきたのだが、そろそろ手が足りなくなろうとしていた。
「分かった! こちらの事は気にしないで!」
 蒼のアミュートに身を包み、エランはエクセラを構えた。
 前方に何体かのカオスの魔物が立ち塞がっている。巨大な人型兵器たるユランから見れば小さなそれも、彼女らからすれば大きく見える。だが、退く素振りも見せず、彼女はエクセラを振り上げた。
「各自、前方の魔物を排除しつつ前進! 『門』に取り付くぞ!」
「おう!」
「は、はい!」
 エランの両脇を固めるのは、虎王丸とリュウ・アルフィーユである。
 それぞれ火之鬼とマリンソードを構え、眼前の魔物を睨みつけていた。
 そして、エクセラが振り下ろされたのを機に、仲間たちは一斉に突撃を開始した。先陣をきって飛び込むエランと虎王丸。リュアルはバックアップとして風を展開させた。
 前方に具現化したのは猿の頭を持つ巨大な獅子だった。
 その頭が何事かを唱えると、周囲の瓦礫が空中に浮かび上がり、雨のように彼らに襲い掛かってくる。
「風よ!」
 リュアルが先頭の二人を中心として、風の防御結界を編み出す。
 彼は水竜王の神殿から遠いところに飛ばされており、ここに合流するまでに何度も魔物に襲われていた。身に着けている鎧も、既に傷だらけになっていた。
(い、生きて還るため……なら、僕は何だって、協力……する、よ……!)
 途切れ途切れになる意識を保ち、この牽制部隊に合流する頃には、戦いにも少しは慣れていたのだった。
 瓦礫が落ちきったのを見て、結界を解除する。そのまま、風を真空刃に変えて連続して叩きつけていく。魔物の外皮が切り裂かれ、全身が朱に染まった。
「でぇぇいっ!!」
 振り下ろされる爪をかいくぐり、虎王丸が抜き打ちを放つ。
 白焔がかけられた刀は、下から胴体を斬り上げ、容易に致命傷となる一撃を見舞った。異臭の漂う体液を避けながら、間合いをとる彼の周囲に、火球が幾つも浮かび上がる。
「火焔弾!!」
 弧を描き、火球が魔物の巨体に着弾していく。
 前回の戦い以降、白焔の使い方は飛躍的に向上していった。元来はあまり得意ではなかった補助的な使い方も堂に入っている。
 もっとも、それはいつも傍らに居てくれた相棒、蒼柳凪が居ない事にも起因しているのかもしれない。彼は今、地竜王の神殿に向かっているはずだ。
「もらった!」
 巨体が揺らいだ隙を見逃さず、エランがその懐に入った。
 逆手に持ち替えたエクセラが斬り上げられ、フリーズブレードの凍気が足から首筋までを一瞬で凍結させる。
 その刹那。
「アブソリュート・ゼロ!!」
 神速で練り上げられたオーラが首筋に炸裂した。
 氷の結晶が散らばる空中から、魔物の首が大きな音を立てて崩れ落ちた。


 戦士たちが少しずつ天空の門に近づいている間にも、ユランは次々と飛来する魔物の対処に追われていた。
 幸いにもユランは飛行能力を有する為、空を飛ぶ魔物にも優位に戦えた。
「次……7体め!」 
 放たれるブラックフレイムを剣で切り払い、圧倒的な突進力で肉薄する。
 今も2体を相手にしながら、ブラックフレイムを誰も居ないところに弾くだけの余裕があった。
「とはいえ……ちょっと剣に負担をかけすぎてるわね……」
 さすがに盾を構えたままでは、飛行はおぼつかない。彼女自身は飛翔魔法が使えるため、空中戦も苦にしていない。それゆえ、竜騎士と違って飛行制御には長けていないのだ。
 現在装備している剣は、以前使っていたブラン製のものではない。
 一級品の剣ではあるが、こんな戦い方をしていたのでは負担がかかりすぎる。
「ちぃっ!」
 もう一匹を倒している間に、新たに飛来した魔物がエランたちの方へ向かっているのが見えた。
 制御用のクリスタルに念じ、一気にその真上まで近づく。
 空中から自重を預けるようにして、剣ごとぶつかり、地面に叩き落す。
 周囲で歓声をあげる仲間たちに向かってゴーレムの手を振り、雪乃は再びユランを飛翔させた。
「相変わらず、英雄的な戦い方ですね……」
 その姿を見送って、山本建一が呟く。
 昔からそうだった。彼女の戦い方は、周囲の者に勇気を与え、鼓舞する効果を持っている。
 共に戦っていた頃のことを思い出していたのは一瞬に過ぎなかった。
 彼は水の精霊杖を掲げると、前方に向かって強力な電撃を放ち、仲間たちの進路を開けてやった。
「さて、地竜王の神殿に向かった方々は大丈夫ですかね?」
 遠く南の空に視線を向け、建一はもう一度静かに呟いた。


●地竜王の神殿〜前編〜
 その頃、蒼柳凪は地竜王の神殿の入り口にあった。
 こちらに回ったメンバーで、ここに来た事があるのはファルアビルドを除けば彼しかいない。
「俺が来た時は、地竜王の亡骸は中央の大広間にあったんだけど……」
 現在もそこにあるという保障は無かった。それは既に何者かが亡骸を操っているからだ。
「神殿の構造はそれほど変わっていないはずだ。凪が見たのはこの辺りじゃないか?」
 ワグネルが地面に簡単な地図を書き、凪に確認をとる。
 即興で描いたにしては良く描けていた。それを見た凪が大きく頷く。
「うん。大体この辺りで間違いないと思う」
 ワグネルがちらりとジェイク・バルザックの方を見る。
 彼の向けた視線の意味に、ジェイクも気がついていた。
「そうだな。『竜王の鱗』の示す反応も、その辺りだろう。しかし、問題は何故そんなところで待ち受けているかだ。太行が後に遭遇した時は、神殿に入る前に襲い掛かってきたと聞くが……」
 首を捻った男の後頭部を、こつんと叩く者がいた。
「まーた悪い癖が出やがった。考え込んでも仕方ねぇだろ。あたし達のやる事は一つ。立ち塞がる奴ぁ叩きのめす。それだけだ」
「ふっ……それもそうだったな」
 不適に笑うジル・ハウの顔を見て、ジェイクは肩をすくめた。時間もなく、彼らは何が立ちはだかったとしても、それを乗り越えていくしか道は無いのだ。
「あたしゃ運がいいな。まだまだ気をぬくと死ねる敵がいる」
 軽く周囲を見回すジル。
 強がりでもなんでもなく、彼女はこの状況を楽しんでいた。戦場がどこであろうと、相手が誰であろうと、負ければ死ぬ事に変わりは無い。
 彼女にとっては、それだけの事であった。
「一応、入る前にブレスセンサーとバイブレーションセンサーをかけておこうかの。ここまでは妨害も入らなかったが、ここからが正念場じゃろう」
 アレックス・サザランドが一歩前に出る。
 しかし、その顔がやや曇った。 
「どうした?」
「呪文の効果によって、中の振動を感知できるようにしたんじゃが、まるで反応が無い。カオスゴーレムであれ、魔物であれ、ある程度動きはあるはずなんじゃが」
 ジェイクの問いかけに答えるアレックス。
 何分、新しく覚えた呪文なので、勝手が分からないところもある。
「こちらが近づいたら反応するタイプかもしれんな。動きがあれば教えてくれ」
 その言葉にアレックスは重々しく頷き、一向は隊形を整えて神殿へと足を踏み入れていった。


 神殿の中はところどころ破損していた。
 やはり主を亡くしてから、いろいろとあったのだろうか。そんな事を感じさせる趣がある。少なくとも、他の神殿は人気はなくとも、それなりに造りはしっかりしていた。
「ん? あれは……?」
 二列目に入っていた凪が声を上げる。
 一行の間に緊張が走ったが、彼が指差した先にあったのは、既に破壊されつくしたゴーレムの残骸であった。
「うぉ。派手にやったなぁ〜」
 カイ・ザーシェンが口笛を吹く。そこにあったのは一体や二体ではない。通路中に散らばったそれはことごとく何者かによって斬られていた。
「俺が来た時には、こんな残骸はありませんでした。戦闘になった時も、ここまでの数は相手にしてませんし……」
 残骸を観察するジェイクの口から感嘆の息が漏れる。
「ヒートブレードの切り口に似ているな……。それに腕もいい。殆どが一太刀かそこらで葬られている」
「虎王丸の切り口にも似てますね。でも、ここまでは無理だろうな」
 凪もそんな感想を漏らした。
 確かに彼の相棒も刀に『白焔』と呼ばれる力を付与して戦う剣士だ。
「ん〜……」
「どうした、グリ?」
 ジルは、グリム・クローネの顔が百面相する姿を横目で捉えていた。
「先生が言っていた事を思い出してね。切り口から剣士を想像していたんだけど、かなり大きな人なんじゃないかなって……」
 そしてちらりとジルに視線を向ける。
 そう。これくらいの体格がないとここまでの破壊力は出せないだろう。
 少なくとも、自分の腕力ではこういう斬り方は不可能だ。
「お〜い、何やってるんだよう! 早く先に行こうぜ!」
 通路の先から湖泉遼介が声をあげた。
 ワグネルと二人、先を偵察しに行っていたらしい。
「一度戦ってみたい気もするが、ゴーレムと戦っていたところを見ると敵でもないのかね」
 ジルがチェシャ猫のような笑みを浮かべて立ち上がり、歩き出したところでふと立ち止まった。
「どうしたの?」
「いや、何でもない……急ごうぜ」 
 再び奥に向かって歩き始める中で、ジルは心中で呟いた。
(一瞬、旦那の気配がしたような気がしたんだが……まさかな。こんなところにいるわけもないか)
 通路の先でしきりに急かす遼介に苦笑を浮かべつつ、彼女はグリムと一緒に走り出した。


●混沌を狩るもの
(ふぅっ……気づかれなかったようだな)
 彼らが立ち去ってから、さらに300を数えた頃。反対側の道に身を潜めていた影が姿を現した。
 巨漢の戦士だった。
 背には一振りの大太刀。精悍な顔つきの中にも僅かに愛嬌を残した若者である。
「ラゴウ〜〜!」
 振り向くと、ハーフエルフの少女が足音も立てず近づいてきていた。
「もういいのか?」
「うん! 父さま若かったなぁ〜」
 嬉しそうに少女が微笑む。
 まだ子供のようにも見える笑顔は、廃墟の神殿の中にあって、まるで向日葵が咲いたような明るさを振りまいていた。
「ならば行くぞ。元々、ここに寄るのも予定外の行動なんだ。今回は剣を届けに来ただけなんだからな」
「いいじゃない。こんなチャンスもう無いかもしれないんだから。ラゴウだってゴーレムぜ〜んぶ斬り捨てちゃったくせに。因果律の揺り返しをくらっても知らないよ?」
 頬を膨らます少女に苦笑を浮かべ、若者は懐から魔法具を取り出した。
「あいつも来られればよかったのにな」
「仕方ないよ。この時点じゃ因子が足りないんだからさ。それよりどうだった? 母さまを見た感想は?」
 目を輝かせて近づいてくる少女の肩を軽く抱く。
「そうだな……出来れば手合わせしていただきたかったが」
 口元からにやりと犬歯を見せて笑うと、若者は魔法具を発動させた。
 二人の姿が一瞬にして消え、あとには元通りの静寂だけが残された。


●地竜王の神殿〜後編〜
 そこは、かつては大広間と呼ばれていたのだろう。
 今や壁と天井からの崩落物に占拠され、瓦礫の山と化していた。しかし、その奥には開かれた巨大な扉があり、まだ天井部の灯りが生き残っていた。
 凪が以前来た時には神像が横たわっていたその場所は今、戦場だった。
「皆さん! 出来れば胴体部の破損は最小限でお願いしますわ!」
 それに対する返答はない。
 ファラの言葉は全員の耳に届いてた。だが、答えを返すだけの余裕がなかったのだ。
「Garuufffhehheur!!」
 南天地竜王と呼ばれたモノは、大広間全体を震わすかのように吠えた。
 既にグリムがテレパシーを試みたのだが、他の竜王たちのように明確な反応は返ってこなかった。
「ぐうっっ……!」 
 間合いに入ろうとしたレドリック・イーグレットの顔が苦痛でゆがむ。強大な重力に押し潰されそうななるのを懸命に堪えた。
 地竜王は大広間の中心で、その翼を活かすことなく彼らを迎え撃っていた。以前は空から襲撃があったと聞いていたので、レベッカ・エクストワを始め警戒していたのだが、空中戦にはならなかった。
 しかし、大地に足をつけた地竜王の強さはそれよりも遥かに強大なものであった。
「むぅ、いかん!」
 アレックスの放ったファイヤーボムがその首筋を捉えるも、どれだけのダメージがいったかは分からない。
 だが、重力波は弱まり、レッドがその隙に斬りかかった。
ガキン!
 石を叩いてるかのような感触がレッドの手に伝わってくる。それでもくい込んでいるだけマシな方だ。
 先程からそのスピードを活かして立体的な攻撃を繰り返している遼介だったが、『水流刃』で生み出した2本のナイフは表面に傷を残すのが精一杯だった。
「くそっ! こいつ硬い、硬いよ!」
 瞬間的なスピードでいえば、この場の誰よりも早い遼介であったが、その彼でさえいつものキレはなかった。
 地竜王の欠損している右腕が振り回されるたび、白い骨が仲間達の誰かの体を跳ね飛ばしていく。
「きゃ!」
「グリム!!」
 壁に叩きつけられそうになった少女を、間一髪でカイが受け止めた。
 それでもあまりの衝撃に呼吸が止まりそうになる。
「ほらよ」
 後ろで立ち回っているワグネルがポーションを放り投げた。
 先程からこの繰り返しが続いている。地竜王というだけあって、その防御力は目を見張るものがあった。アレックスのバーニングソードがかけられていてなお、エクセラが効いていない。
 ドラグーンでもあれば別なのだろうが、正直言って攻撃力不足の感は拭えなかった。
 今、低空で飛びながら地竜王を牽制しているレベッカにしても同じだ。先程放った風の精霊剣技は弾かれたし、ライトニングブレードもレジストされる可能性が高い。
 打つ手がなかった。
 凪の八重羽衣がかかっている間はよかったが、それもそろそろ切れかかっている。
 その凪は先程から天恩霊陣を待っていた。これは周囲の空間を精気で満たし、微弱な回復効果を与え続けると共に、アンデッドにダメージを与える空間を創造する舞術だ。
「ちぃっ、亡骸相手でこれではな……!」
 ジェイクが歯噛みする。彼も今ひとつ精彩を欠いていた。
 同じ地の精霊力を使うだけに、これだけ上位の存在がいると戦いづらい。向こうが大技を放つたびに精霊力が消耗していく感じがする。
 『竜王の鱗』で四天結界から補給されていなければ、五分とアミュンテーコンを維持できなかったかもしれない。
(くそっ……ドラゴンモードを使えば……!)
 レッドの心に誘惑が聞こえる。
 しかし、彼は出発の前にレベッカと約束していた。切札として、最後まで封印しておくと。
 ドラゴンアミュートの力については全てを打ち明けてある。その上で、彼女と共に生き続けるために決めた事だった。
「このままじゃ埒があかねぇ。レッド!」
 ジルが両手に構えた小剣を炎で包み込んだ。
「あたしが目くらましをかけるから、デカイの一発ぶちかませ! いいな!」
 真紅のアミュートが輝きを増す。
 大柄な彼女が掲げた小剣から、炎が立ち上った。
「いけぇっ!!」
 振り下ろされた切っ先から炎の刃が乱れ飛ぶ。自身の前方にだけ集中しているが、『火刃乱舞』の応用だ。
 もっとも威力は抑えられているので、地竜王相手ではまさしく目くらましにしかならないだろう。
「ヴォォルカニック……!」
 その隙を逃さず、レッドの精霊剣技が発動する。
「……ブレーードォォ!!」
 炎の大剣が振り下ろされ、爆炎が地竜王に迫った。
 しかし、直前でそれは不自然に方向を変え、僅かに逸れて右腕の骨を切断するに止まった。
「なんだぁぁ!?」
「……瞬間的な局所高重力操作か。精霊制御に余程の差がないとあんな真似は出来んぞ……!」
 ジェイクも驚愕の表情を浮かべる。
 彼も地の背霊力を扱うが、どちらかといえば水晶などの『石』系の特殊能力を使う。重力系の、それもこんな規模の特殊能力を見るのは初めてだった。
「ジェイクさん!」
 振り向くと、凪が決意の表情を浮かべていた。 
 両手に構えた扇を重ね、精神集中に入る。
「今から長い舞術を踊ります。時間を稼いでください。今の技に対抗するには恐らくこれしかないと思います……!」
「分かった!」
 極度の集中に入った凪は、その間周囲の状況が感じられなくなる。
 後衛に回ったワグネルとファラが、彼のガードに入る。
 同時に、アレックスも周囲に風の精霊力を展開させた。レベッカもそれに倣う。
「風よ……戒めの結界となれ!」
 強化されたストリュームフィールドが発生する。
 行動を制限する風は、必然的に地竜王の周りでは荒れ狂う暴風となった。
「行くぞ!」
 その中をジェイク、ジル、そしてレッドの三人が走る。
 他の二人の動きを読みながら、絶妙のタイミングでカットに入るのは、空間認識能力に長けたレッド以外では務まらないものだった。
 時間が過ぎる。
 体を張って戦士たちが生み出した時間により、凪の最後の動きはかろうじて間に合った。
 扇が、垂直に振り下ろされる。
「よし!」
 狭窄していた視野が戻り、凪に時間の感覚が戻る。会心の舞に、思わず声が出た。
 前衛の三人はその声を合図とみて、射線上から退く。しかし、凪の舞術によってもたらされた効果は、その行為を必要としなかった。
「Vohhooeruffeef!?」
 それは忽然と発生した。
 地竜王の左腕。肩口の辺りの空間が歪み、どんな岩石よりも固い鎧が捻じ切られる様に切断される。
 そして、巨大な音と共にゆっくりと左腕は石畳へと沈み込んだ。
「『空薙常世之弦』……。たとえ重力をもって防ごうとしても、空間に直接働きかけるこの刃は防げない……!」
 地竜王の口から悲しげな声が響き渡り、その声が途切れる頃、それは静かに動きを止めた。


 両腕を失い、膝を着いた地竜王はぴくりとも動かなかったが、誰も近寄れずにいた。 
 ジルが小剣をくるりと逆手に持ち替え、一歩前に出ようとした、その時であった。
「!」
 身を翻し、大広間の奥にあった巨大な扉に視線を向ける。
 先程まで感じなかった人の気配を感じ取ったからだ。
「誰だい!?」
 その言葉に仲間達が一斉に振り向く。 
「見事なり。冒険者たちよ」
 そこに立っていたのは、黒い衣装を纏った一人の男と、一歩下がったところに控えた少女だった。
「あんたは……」
 黒装束の少女には見覚えがあった。天空の門の回廊であった忍びだ。腰の小太刀を目の前の床に置いている。
「敵意はないっていう事かい?」
 油断なく、カイがそちらに目を向ける。
 万が一、それに手を伸ばす素振りを見せた時には、動ける体勢を取っている。
「うむ。事ここに至ってはな。汝らの力は確かめさせてもらった。十分な力量を有している」
「どういう事か説明してもらおう……捕らえられている仲間の事も含めてな」
 ジェイクの瞳に冷たい光が宿る。
 それは、かつてランスと呼ばれていた頃の非情な眼差しであった。
 ジェントスに着てからのジェイクしか知らない遼介などにとってみれば、震えが来るような目つきだ。
「お前達の仲間……ジェシカ・フォンランは無事だ。『門』の近くにいる。レグ・ニィの奴は拘っていたが、今は部屋に閉じ込めて会わせていない」
 少しだけジェイクがほっとした表情を浮かべる。
 もちろんまだ安心は出来ないのだが、ずっと気がかりだったジェスの行方が確かめられた事は、彼に活力を与えた。
「それで? これはどういうつもりだ? いや、それよりもお前は一体誰だ?」
「私の名は張珠江。ギルドマスターだったヒルダに招かれた者だ」 
 その言葉に、一同の視線が集まる。
「ヒルダの仲間がどうしてこんな真似を? 俺たちを倒すように言われて来たんじゃないのか?」
 遼介がにらみを利かせる。
 彼にしても直接ヒルダと戦った一人だ。彼女が冒険者の死骸を操って戦わせた事は忘れていない。
「私がヒルダの誘いに乗ったのは、一つは未完成だった反魂の法について学ぶためだった」
 ちらりと、後ろの少女に視線を向けた。
「そしてもう一つは、孫太行に個人的な恨みがあったからだ。直接、今の奴にではないがな」
 そこで少し言葉を切り、珠江は言葉をつなげた。
「いずれにしても、私の目的はカオスの魔物などと関わるものではなかった。騙されていたなどと弁解するつもりはない。だが、今の状況は少々面白くない」
「ふむ。そこまでは分かった。それで、これからどうしようというのだ」
 ジェイクがゆっくりと近づく。
 不審な素振りを見せれば、いつでも抜き打ちに出来る構えを崩してはいない。
「お前達がヒルダを倒し、『門』を破壊できるようであれば、その方がありがたいと思ったまでだ。ここで私の手駒である南天地竜王と戦い、戦力をすり減らすのは惜しいとな」
 珠江も正面からジェイクの顔を見据えた。
 少なくとも、その顔からは謀略の気配などは感じられなかった。
「南天地竜王を復活させれば、都市の機能は蘇る。そういう事なのだろう? 私はそうさせない為にこの亡骸を操作して手の届かない場所にやる事も出来た。だが、そうなると私は自分の力だけで戻る手段を講じなくてはならない。それは面倒だ」
「引き渡す……と?」
「そうすれば、あとは一切余計な手出しをするつもりはない。お前たちが『門』を破壊し、都市を聖獣界に帰還させるのを傍観するだけの話だ」 
 全員の視線に貫かれながら、珠江はまったく動じる様子もなかった。
 ある者は疑わしげに、またある者は信じていいものかを判断しながら見ていたが、最終的に結論はジェイクに委ねる事になった。
「ジェスの身の安全も保障するのだろうな?」
「儀式が終わった後、開放しよう。同時にお前達を転移させてやってもいい。今は時間が惜しいのだろう?」
 確かに、時間はいまやダイヤモンドよりも貴重であった。
 ジェイクは皆の顔を見回し、確認をとる。
「……いいな?」
「あたしゃイマイチ信用できないからね。こいつの首をはねられる場所にいる事にするよ」
 ジルだけが肩をすくめてそう言い、他の者は黙って頷いた。
「よし。その取り引き……応じよう」


 珠江が腰に下げていた『竜牙の鈴』を粉々に砕くと、地竜王はただの石像に戻ったかのように見えた。
 彼はくるりとファラの方を振り向くと、自分の立ち位置を譲った。
「ここからはお前でなければ無理だ。唱えるがいい……全ての竜語魔法を」
 ファラはゆっくりとその場所に近づいた。
 途中、一人一人に礼を言い、レベッカとは抱擁もかわした。
 そして最後にグリムの前に立つと、彼女はそっと自らの眼鏡を差し出した。
「これは貴女に差し上げますわ……きっと力になってくれるはずですから」
「あたしに……?」
 困ったようにグリムは隣のカイを見上げたが、彼は黙って頷いただけだった。
 ファラは眼鏡を手渡すと、最後にもう一度全員に頭を下げ、もう振り返りはしなかった。 
「Aelsufre……」
 一つ一つ呪文を唱えるごとに、彼女の身体は金色の輝きを纏っていった。
 まるでファラ自身の金髪が乗り移ったかのように。
 長くない時間の後に、最後の声が響き渡った時、光り輝くその手は地竜王の水晶核に触れ、そして彼女の姿は広間から消えた。


 ただの石像と化していた物に、見る見るうちに生気が宿り、失われていた両腕が復元する。
 長い時の果てに、再びその威容を取り戻した南天地竜王。
 その瞳は、暖かな慈愛に満ち溢れ。
 その体は、眩い限りの金色の竜鱗に包まれていた。
 ゆっくりとその体が浮上していく。そして石造りの天井を透過して視界の届かないところに去る間際。
 グリムは地竜王ファルアニィースの心を『見た』気がした。
 彼女はこう言っていた。
「この天空都市に残る全ての人々を聖獣界に無事に帰す」と。


●天空の門へ
 気がつくと、珠江の姿は消えており、少女もいなくなっていた。
 あとにはただ、何の変哲もない鈴がひとつと、短い書き置きが残されていた。
(準備が整ったら、この鈴を鳴らせ。仲間の下へ転移させる)
 それだけであった。
 一行はワグネルが持っていたポーションなどを分けあい、装備をもう一度見直した。
 時間はない。後戻りも出来ない。
 彼らはひと時語り合い、もう一度地上で会うことを約束した。
「先生とも約束してるしね」
「ああ、そうだな」
 そして鈴が鳴る。
 足元の影に飛び込み、彼らは跳んだ。
 行き先は天空の門。そこで彼らを待っていたものは、戦場だった。


●再会
「ジェス!」
 転移した先は、だだっ広いだけでベッドと机の他には何もない部屋。
 銀髪のエルフは急に開くようになった部屋のドアを何度も確かめていたところだった。
「ジェイク……遅いんだよ、馬っ鹿野郎!」
 涙を浮かべながら、その女性はジェイクの腹に強烈なボディーブローを打ち込み、痛みで顔を引きつらせる恋人の頬にそっと自らの頬を寄せた。
 いつものメンバーにしてみればいつものお約束であったが、遼介はその凄さに目を白黒させた。
 ややあって、互いの状況を説明しあい、足りない情報を補完し合う。
 だがさすがに、カオス界の真っ只中に放り出されているという状況は、ジェスにも衝撃を与えたらしい。
 しばらく絶句していたが、持ち前の元気はジェイクと会えた事で取り戻せたらしい。すぐに行動すべしと訴えた。
 そんな彼女に、ジェイクはシルバーアミュートとエクセラを差し出しながらもこう言った。
「いけるか? もし、駄目なようなら凪と一緒に太行に合流してくれ。俺達には時間がない」
 しかし、ジェスは迷わず水晶球に手を伸ばした。
「俺が行かないで誰がお前の背中を守るんだよ。それにな、借りを返さなきゃなんない奴もいるしな……」
 コマンドワードを唱え、ジェスはアミュ−トを纏った。
 そんな彼女にジェイクは軽く手をかざす。その手にハイタッチをして、ジェスは再び戦いの場に舞い戻った。  


「よし。それじゃ、凪は別働隊のメンバーに合流し、状況の確認を頼む。俺達はこのまま『門』に向かう」 
 ジェスが閉じ込められていた建物からは、『門』まではそう遠くないように思われた。
 元々、レグらも泊まっていたらしいので、当然といえば当然かもしれない。
 ジェイクが指差した方角では、ユランの勇姿が見てとれた。
 あちらに向かえば別働隊の誰かに合流できるだろう。テレパシーを送ってもいいのだが、乱戦の最中には命取りになる事もある。
 先程の大技で一時的に舞術の使えない凪は、何も言わずジェイクの指示に従った。
「それじゃ……また後で!」
「ああ……またな!」
 そして彼らは互いに駆け出す。
 また、地上で会えることを固く信じて。


●闇を統べるもの
「なぁ、太行! 気づいてるか!?」
「空のことか?」
 隣で戦う虎王丸から聞かれ、太行はふっと空を見上げた。明らかに先程までより空を覆う四天結界の色が濃くなっている。
 それに先程までとは、カオス魔物が降ってくるペースが明らかに落ちていた。
「それだけじゃねぇ。『竜王の鱗』を通じてくる力も増したような気がするぜ」
 虎王丸自身は精霊力というものを理解してはいない。
 ただ、白焔を使っていても疲労を感じなくなってきたという事を、体が理解しているだけなのである。
「ああ。どうやらジェイクたちがやってくれたようだな」 
 既に別働隊も半分以上が散り散りになっていた。
 彼らの全てがやられたとは思っていないが、被害は相当なものになるだろう。
「行くぞ、虎! あいつらが帰ってくる前に『門』を抑える!」
「おっしゃ! 行くぜ行くぜぇ!」
 凪と彼らが会うには、まだしばらくの時間が必要であった。


「どうやらやってくれたようね」
 ユランの制御胞の中で、雪乃は笑みを浮かべた。
 先程までは全力を出せなかったが、今なら出力も限界まで出せそうだ。
 しかし、そんな彼女の笑みも目の前に現れた魔物の姿を見てきつく引き締まった。
 『闇を統べるもの』
 ジェトにいた頃、風の噂に聞いた事はあったが、まさか出会う事があるとは思わなかった。
 ピョン吉風情と言ったはものの、本能的に強力な魔物であるという事は理解していた。だが、今の自分にはユランがいる。
 怖くなどあるはずがなかった。
「これはまた……随分と倒したものだな」
 どことなく愉快そうな笑みを湛えたまま、闇を統べるものはユランの前に立っていた。
 闇よりも黒き衣装を纏い、白の騎兵の前にあってなお、その魔物には余裕が感じられた。
(何かある……なんだ?) 
 ユランに慎重に剣を構えさせ、雪乃は外に叫んだ。
「観念して出てきたってわけかしら? 言っとくけど、容赦はしないわよ」
 それを聞き、闇を統べるものはいっそう楽しげな笑みを浮かべた。
 黒きマントを翻し、一言ワードを唱える。
「集まれ我が僕(しもべ)たちよ。汝らが闇は我が手足なり」
 周囲に散らばっていた大型のカオスの魔物たち。一部、離散していたものもあったが、その全てが空中に霧となって吸い上げられていく。
 その渦の中心に、闇を統べるものはあった。
「いけない!」
 本能的に危機感を覚えた雪乃は、全力で踏み込んだ。中心にいるはずの魔物に向かって、剣を振り下ろす。
ガキィィン!
 甲高い音をあげて、プラチナ製の刀身が折れた。
 空中でくるくると回転しながら、地響きをあげて大地に突き刺さる。
 その僅かの間に、ユランの目を通じて雪乃は見ていた。
 眼前に聳え立つ、巨大なカオスゴーレムの姿を。
「白のユラン……なかなか強大な力を秘めているな。精霊力だけで言えば、この身体をも凌ぐかもしれん。だが、それでもその機体では私には勝てないよ」
「理由を……聞いておこうかしら?」
 背筋を伝う一筋の汗を感じながら、恐怖を微塵も感じさせない口調で雪乃は尋ねた。
 気合で圧倒されるわけにはいかない。それが死を意味する事を、彼女はこれまでの人生で幾度も経験してきたはずだった。
「汝らは、ゴーレムとは何かを理解せぬまま使っている」
 諭すように、抑揚の感じられない口調で説明する。
 それがかえって真実を告げているようで、雪乃の癇にさわった。
「貴方は理解してるっていうの?」
「当然だ」
 優雅に、両手を広げる眼前のカオスゴーレム。いや、ゴーレムですらないのか。
「ゴーレムとはすなわち僕だ。使役されるべきものだ。何ゆえ『闇を統べるもの』である我が、僕に傷つけられねばならぬ」
 もう一度、雪乃に戦慄が走った。
 それはつまり……。
「いかに強くとも『ゴーレム』である限り、汝は我に傷一つたりとてつける事は出来ぬ。それが可能なものはただ一つ」
 『闇を統べるもの』の真紅の唇がつり上がる。
「竜の力を宿したもののみ」
 絶望が闇に姿を変えて、辺りを包もうとしていた。


●天空の門〜突入〜
 その頃、エランは既に北側の施設にまで取り付いていた。
 だが、ここからはカオスゴーレムと魔物たち、その両方に阻まれてなかなか先へは進めずにいた。
「おい、リュアル! 水だ。水を風に乗せてばら撒け!」
 猛明花の言葉に、リュアルは慌ててマリンソードを構えた。
 彼の意思に呼応して、海皇玉が大量の水を具現化させる。それを風に乗せて敵の足元にばら撒く。
「轟雷斧刃脚!!」
 魔法拳士である明花が、強力な雷の斧を中央に振り下ろす。
 本来は浴びせ蹴りとシンクロして放つ技だが、単発の魔法として使っても強力である。
 直撃を受けたゴーレムが大破すると同時に、周囲の敵も極端に動きが鈍る。水を通して伝わった電撃が効いているのだ。
 リュアルも一体、また一体と確実に止めをさしていく。 
 マリンソードに付与された雷魔法が効いているのだ。
「この辺はあらかた片付いたけど……」
 エランは後半部を飲み込んだ。
 もはや周囲を見渡しても仲間は彼女の他には明花とリュアル、それに建一しかいなかった。
「さすがに人も減りましたね」
 建一にはまだ余裕がある。
 先程からSEFSの力が戻りつつあるからだ。
「さ、さすがに四人で乗り込むのは無謀です……よね?」
 明花に凄い目つきで見られたので、とりあえずエランに聞いてみた。彼女は普段は優しく接してくれる。
 しかし、エランにもいつもの余裕はなかった。
「行けるとこまで行くしかないわね……」
 さすがに疲労が重くのしかかってくる様になってきた。余計な装備を捨て、最低限の装備だけを身に着ける。
 覚悟を決めた彼女だったが、そこに呼びかける声が聞こえてきた。
「おーい! 皆、無事かー!?」
 太行と虎王丸であった。
 彼らは既に凪と合流を果たしており、ジェイク側の動きを掴んでいた。
 その情報を聞いて、張り詰めていたエランの顔にも笑みが浮かぶ。
「よし。これでちょうど正反対から挟撃する形になる。どちらかでも辿り着けば……」
 そこまで言いかけた時、不意に周囲の風景がぐにゃりと歪みだした。
 咄嗟に全員が戦闘態勢をとるが、いち早く気がついたのは、建一だった。
「いけない! 転移魔法です! みんな、一箇所に集まってください……!」
 以前にも感じた事のある、天地が逆転するかのような感覚。
 そして一行の姿はかき消えた。


 その数刻前。
 南側の施設からの進入に成功したジェイクたちは、カオスの魔物による激しい抵抗にあっていた。
「統率が取れてないのだけがせめても、ってとこだな」
 この期に及んでも、カイの軽口が止むことはない。
 ファラが地竜王になった直後から、『竜王の鱗』を通して流れ込んでくる精霊力の量は一段と増えている。
 アミュート使いである彼らにしてみれば、特殊能力や精霊剣技をある程度使えるのがありがたかった。
「ちぇっ、邪魔くさいなぁ。ストームブレードで一気に突っ切るか?」
 隣にいるジェイクにジェスが問いかける。
 疲労が一番少ない事もあって、先陣をきって戦っているのだが。
「それ程の敵じゃない。お前とレベッカ、それにレッドで押し切れるだろう」
 遮蔽物の向こうからは次々と魔法が飛んできている。
 こちらもアレックスのウインドスラッシュ、グリムのムーンアローなどで散発的に反撃はしているものの、手数が足りてない感じだ。
「よし。俺が牽制でデカイのを一発打つ。それを合図に飛び込んでくれ」
 フレイムジャベリンのチャージを開始するワグネル。
 細い砲身が真っ赤に熱を持ち始めた頃、遮蔽物からすっと身を乗り出して射撃する。
 強力な火線が魔物たちの出鼻をくじくと同時に、三人は一気に宙に舞い上がった。
 『風の翼』を展開したジェスとレベッカが一気に間合いを詰め、エクセラで魔物を斬りつける。
 一歩遅れてレッドが到達した時、魔物たちは潮が引く様に後退していった。
「なんだ? ありゃあ?」
「妙に不自然な後退だったね」
 彼らも元はレジスタンスの一員である。不自然な撤退には何らかの罠がつきものだと身をもって知っていた。
 ジェスは追撃する構えだけ見せたが、結局は二人と同じ結論に辿り着いて自重した。
「皆、無事じゃったかの」
 アレックスが追いついた時には、既にワグネルは周囲の様子を調べていた。
 その結果。
「……罠?」
「ああ。あのラインから向こうに行くと発動するタイプだと思う。解除するか?」
 手早く罠の解除に取り掛かるワグネル。
 大体、こういうタイプの罠は発見は困難だが、解除自体は難しくはない。それは過信ではないはずだったが。
「これで……と」
 最後の慎重な作業に取り掛かった瞬間。
 神殿が僅かに揺れた。
 彼らは知る由もなかったことだが、それは外でユランの刀身が大地に突き刺さった時の振動だった。
 そしてそれは、偶然と呼ぶにはあまりにも致命的なものであった。
『おおっと』
 ピックを引き抜いたワグネルの眼前に、小さなヴィジョンが浮かび上がる。
「しまっ……」
 以前にも感じた事のある、天地が逆転するかのような感覚。
 そして一行の姿はかき消えた。


●偶然と必然
「痛ぇ……」
「僕の上に乗ってるの誰〜……?」
 意識を失っていたのは、ほんの数秒の事であった。
 消失していた自重が感じられるようになったと同時に、彼らは意外な人物に驚かされた。
「建一……? どうして君がここに?」
 ジェイクが周囲を確認しながら問いかける。
 この場に居たのは彼とレベッカ、レッド、遼介、そして建一の五人だった。
「転移魔法で跳ばされたようですね。石の中にでも閉じ込められなかっただけマシだと思いましょうか」 
 肩をすくめる建一。
 しばらく、お互いの状況を確認しあう。
「ふむ、ワグネルさんが罠の解除に失敗したと考えるのが妥当でしょうね。回廊全体にまで及ぶとは、大掛かりな仕掛けですが」 
 結論とすればそれ以外には考えにくかった。
 ジェイクが唸るように呟く。
「グリムがいればテレパシーで確認がとれたのだがな……」
 その彼女からの連絡は来ない。
 これは飛ばされた先で戦闘状態にある可能性を示していた。  
「どうするジェイク。皆を探すか、それとも先に進むか」
「それなんですが……」 
 レッドの声を遮るように、建一が手をあげる。
「どうも私たちは『門』のかなり近くに飛ばされたようです。杖を通して、かなり強い力を感じ取れますから」
 そしてSFESを壁の方向に向ける。その向こう側にあるという事なのだろう。
「……よし。進むぞ。どの道、全員目指す場所は同じだ。上手くすれば合流できるだろう」
 一人一人の顔を確認し、彼は話した。 
 その言葉に頷いて、五人は壁の向こう側を目指して走りだした。


「ちょうど探してたところだ……俺も運がいい」 
 エクセラを構えたジェスと対峙しているのはレグ・ニィだった。
 背後にカオスの魔物たちを従えている姿からは、かつてバの騎士だった頃の面影は無い。
 さらに。
「おい、アレックス。ありゃあアミュート……なのか?」
「黒いアミュートなんぞ見たこともないがのぅ。噂に聞いた、カオスアミュートという奴かもしれんな」
 尋ねたジルが鼻を鳴らす。
 確かにアミュートは着用者のエレメンタルカラーに染まるものだ。どこまで濃くなっても、漆黒にはならない。
 だが、天界人騒乱の際にジェトの一部で、暴走したアミュートの噂が流れた事があった。
 それは着用した者の精神を汚染していったとも伝えられている。 
「俺の過去の話を聞こうと思って干渉してみたのだがな……」
 その表情には既に何の感情も浮かんでいない。
 メルヴェイユで最後に戦った時のレグには、まだ人としての葛藤のようなものがあった。
「どうやらどうでもよくなったようだ。お前を見ても心が動かん」
 左目が金色に光っている。
 カオスの欠片はどうやら記憶の全てを食い尽くしたらしい。
 彼に最期まで付き従った女魔術師の事も含め、もはや言葉は彼の心には届かないだろう。
「もう一つ。カオスナイトも貴様達の仲間に興味があったようなのでな。奴のところに飛ばしておいた。ここを切り抜けられたら助けに行くがいい」
 そういってレグは剣を構えた。
「切り抜けられれば、な」
 その言葉が合図だったかのように、魔物たちが一斉に三人に襲い掛かった。


●旋風の竜創騎兵
 純白の魔法金属ブラン。
 黄金の百倍の価値を持ち、それ以上に高度なマジックアイテムなどに流用することで知られている金属である。
 ユランの全身もこの金属で出来ており、それゆえ『白の騎兵』の異名を持つ。
 だが、今やその全身は無数の傷跡で覆い尽くされていた。
「くくくっっ……この期に及んでも消えぬその闘志。実に美しい」
 『闇を統べるもの』が腕を振るう。
 真紅の爪牙が一閃するたびに、確実にユランのダメージは蓄積されていった。
 雪乃は全力で回避行動を取りながら、何か手はないかとずっと考えていた。しかし、SFESで出力を増したところで、根本的な解決には至らない。
 また、マリンに助けを求めようにも、隔離されたこの空間では声が届かないらしい。先程から何度となく繰り返した呼びかけにも返答はなかった。
(普通の人なら諦めもするんだろうけどね……)
 先程、制御胞を掠めた一撃で、額から血が流れている。
 それを拭う余裕すらない戦いの中にあっても、まだ彼女の心は折れていなかった。
(今の私に出来る事は、ダメージを最小限に抑えて皆が『門』を破壊してくれるのを待つくらい……)
 聖獣界にさえ帰還できれば、マリンの助力を受ける事も出来よう。
「万策尽きたか……? しかし、我もこの遊びに少々退屈してきたようだ。そろそろ終わりにさせてもらうとしよう……!」
 抜き手が通常の間合いの外から一気に伸びてきた。
 純白の装甲を貫通し、ついに左腕の反応がなくなる。
「くうっっ……!」
 歯を食いしばって衝撃に耐える雪乃。
 逆に至近距離から右の拳を叩きつけるも、やはりダメージにはならないようだ。
「ここまでだな! 堕ちろっ!!」
 『闇を統べるもの』の爪牙が制御胞に迫る。
 スローモーションで近づくそれらから目を逸らさず、雪乃は中枢だけを守るイメージをユランに伝えた。
 その時。
ガキィィィン!!
 剣を百万本くらいまとめて叩き折ったような音が響き渡った。
 雪乃がやられたのかと視界を動かした先には、翼に風を纏いし一体のドラグーンが舞っていた。

 
『主よ。黒いゴーレムと白いゴーレムが戦っているようですが、どちらに味方をするおつもりですか?』
「決まってらぁ……」
 制御胞の中で、グランディッツ・ソートは新たな相棒に向かって吼えた。
「白い方だっ!!」
 長大なサンソードを担ぎ上げるように構え、グランの新たな翼、ゲイルドラグーンが戦場に舞い降りた。 


●闇を斬り裂く月光
「グリム! 後ろは任せろ。お前はあいつだけを相手にしてればいい!」 
「うん!」 
 カイとグリムの二人が跳ばされた先は、カオスの魔物たちの真っ只中だった。小ぶりなのが多いとはいえ、数が数だ。
 背中合わせになって戦い続ける二人だが、何といっても多勢に無勢である。
 執拗にグリムを狙う紅のカオスナイトの前に、ジュエルアミュート『ザ・ルビー』の装甲が削られていく。
「くっ……」
 ゼラの教えを受けていなかったら瞬殺されていただろう。
 どこまでも加速していく切っ先を目で追うのを諦め、一つの流動体として動きを捉える。
 そうする事でカオスナイトの意思の光を先読みしようと試みる。月の魔法戦士であるグリムにしか出来ないスキルだ。
 意識を前方に集中することで、より明確にそれを捉えようとする。
 背中はカイに委ねている。アイスチャクラムが攻防に舞っているのが視界の外で感じられるが、それを確認するだけの余裕は彼女にはなかった。
「!」 
 見えた。
 切っ先は追えずとも、必殺の突きが『見え』る。
 それでも完全にはかわしきれないのが現実なのだが、一手ごとにグリムの剣技はカオスナイトのスピードに対応できるようになっていった。
 そしてどれだけの時間が流れただろう。
 疲労を超越した時間感覚の中で、カオスナイトが大きく間合いをあけようと飛ぶのが分かった。
 同時に、背後でカイの『氷雪嵐』が炸裂するのが判った。
 立ち位置を変え、幾度も移動を繰り返していく中で、気がつけば周囲は魔物の屍で埋もれていた。
 彼女自身、最後の方は向かってきた敵を無意識で斬り返していたはずだ。
「大したものだ……」
 初めてカオスナイトが言葉を発した。
 その意味を考える前に、背中にカイの体重が感じられた。
「カイ、ありがと……」
 言い終える前に、カイの身体が後ろ向きに滑り落ちてきた。その時、ようやくグリムは気がついた。
 愛する男の全身が、流血で彩られていた事に。
 シアンのアミュートは既に、元の色さえ判別できないほどに血で染まっていた。その身をもってグリムをかばい続けていたのだろう。鎧を貫通した針が無数に生えているかのようだった。
「いやぁぁぁぁぁ!!」
 グリムの膝が崩れ落ちる。
 両腕で必死にカイの顔を抱えこみ、声をかける。
「カイ……嘘だよね? 返事をしてよ……ねぇ。カイィッ!」
 静けさの戻った部屋に少女の絶叫がこだまする。
 その時、僅かにカイの右手が動いた。
 ゆっくりとグリムの右頬を触り、力なくジュエルアミュートの胸元に落ちる。
「グリム……」
「ん? ん?」
 既に肺をやられているのだろう。口元から吹き出す血がそれを示していた。それを癒す手段は、もうグリムの手にはない。
「俺の心も持っていけ……『ザ・ルビー』。グリムを……守るた……めに……」
「嫌だ……やめてよ、カイ。ずっと一緒だって言ったじゃない……ずっと一緒にいてくれるって!!!」
 激情が迸る。
 カイの口元が少しだけ動いたが、もはや声にはならなかった。
『ずっと、一緒だ』
 聞こえなくとも、グリムには見えた。
 そんなものを見たくはなかったが、見えてしまった。それがカイの本心だったからだ。
 ジュエルアミュートが乳白色の光を強める。
 冬の夜空を照らす月明かりのように。
「別れは済んだか」
ピクッ
 カオスナイトの言葉にグリムの肩が揺れた。
 そっとカイの頭を床に横たえる。自分のグローブを外し、それを枕にしてあげる。
「悲しむことはない。すぐに後を追うのだから」
 ゆっくりと。
 ゆっくりとグリムが立ち上がった。表情はなく、瞳に浮かぶ感情すら見えない。
 ただ、頬を伝う一筋の涙だけが、彼女の心の全てだった。
「うん……行くよ、カイ」
 静かにエクセラが上がる。
 それを見て、カオスナイトも剣を構えた。
 二人の間の時間が急速に密度を増す。
『深い哀しみと、』
 グリムが動く。
『冷たい怒りが心を満たすとき』
 カオスナイトの剣が四発のソニックブレードを放った。
 さらに前へ出る。
『月光は、』
 真空刃が四肢を断ち、必殺の剣がグリムの細い腰を薙ぐ。 
 前へ。
『闇を斬り裂く』
 エクセラは、届かなかった。


 鮮血が乳白色のアミュートを染め上げた。
 グリムが、がくりと膝をつく。 
 その背後で、紅のカオスナイトが傾いた。その傾きは徐々に加速していき、ついに床へと倒れ伏した。
「馬鹿な……」 
 胸元にただ一つだけ残されていた傷跡。
 そこから生まれたひび割れは、今や全身に広がろうとしていた。
「私の……『核』だけを……斬り裂く技……?」
 鎧が砕け。
 足が砕け。
 腕が砕け。
「人の……心の力……か」
 胴が砕け。
 表情のない金属質な顔にもひびが走っていた。
「私の……負けだ」
 そして頭が砕け散った。 


 グリムはゆっくりと起き上がりかけ、それを果たせず、血溜まりの中に沈んだ。
「先生と約束したんだ……生きて帰るって……」
 渾身の力を振り絞り、立ち上がる自分をイメージする。
 だが、彼女の小さな身体には、もうそれを実行するだけの力は残されていなかった。
 なんとか仰向けになり、天井を見上げる。
 それが精一杯。
 再びジュエルアミュートが輝き、仲間達の戦いをまぶたの裏に映し出していく。
 ジェスのところで止まった。 
 親友が戦っている相手は、レグ・ニィだった。
「くっ……」
 最後の力を振り絞り、両腕を天にかざす。
 両掌の上に、淡い光を宿した蝶が形作られた。
 それは音もなく宙を旋回し、やがて壁の向こうへと消えていった。
「はぁ……はぁっ……」 
 どうやら約束は果たせそうにないようだ。
 先生は、そして無骨な姉弟子は怒るだろうなと考える。
 そして、顔だけを横に倒した。
 暗くなりつつある視界の先に、カイの亡骸があった。もう、傍に行くことも出来なかった。
「カイ……」
 声に嗚咽が混じる。
「一人は嫌だよ……カイ……。一人はさびしいよぅ……カイィ……」
 薄れいく意識の中で、男の声が聞こえた気がした。
『ずっと、一緒だ』
 大きく息を吸い、少女の呼吸が止まる。
 その表情は、確かに微笑みを浮かべていた。


●最期の力
 レグの姿が四体に分かれた。
 それらを捉えようとしたジェスの剣は宙を斬り、返しの刃が肩口に叩き込まれた。
「くっそぉ!」
「火の特殊能力だ! 惑わされんな!」
 カオスアミュートを纏ったレグの強さは半端なものではなかった。
 全ての属性の特殊能力を次々と繰り出す彼の前に、三人は防戦一方になる。
「ムーンアローじゃ!」
 絶対命中の光の矢は、しかし黒のアミュートから生み出されたブラックボールに相殺されて消える。
 アレックスが一時的にストリュームフィールドを解いた事で、魔物たちからの飛び道具が再び数を増す。
 代わって前衛に立ったジェスが『風の翼』を最大限に発動させ、それらを逸らしていく。
 どちらも決め手を欠く戦いだった。
 しかし、それは『竜王の鱗』によって精霊力がチャージされ続けているからこそであって、そうでなければとっくに押し切られていたであろう。
 既に『身体覚醒』を維持しながら『火刃乱舞』を連発しているジルなどは、供給が追いつかなくなってきていた。
「ジル、そろそろじゃぞ!」
 警告を発するアレックス。アミュートの特殊能力はけして無限に使えるものではない。
 不幸中の幸いか、カオスの魔物が相手である為に、陽炎の小剣は実力を発揮していた。そちらに回す精霊力は必要なかった。
「てめぇっ! 本当にヴァレリーやあの三人の事はどうでもいいって言うのかよっ!」 
 繰り返し投げかけられるジェスの言葉も、まるで反応を引き出せずにいた。
 恐らくは、このレグの異常な戦闘力の上昇も、カオスの欠片が成長している影響なのだろう。それが彼をレグから魔物へと変貌させつつあるのだ。
 そしてついにジルが捕まる。
 ジェスを狙った魔物を倒す為に片方の小剣を投げつけた隙に、一体の魔物が足を取ったのだ。
「くっ……こいつらぁ!!」
 死を恐れない魔物の群れが次々とジルに圧し掛かる。
「ジル!」
 カバーに入ろうとする二人だったが、その鼻先をライトニングサンダーボルトが制した。 
「う……うぉぉぉぉぉぉっっ!!」 
 右手の小剣を床に叩きつけるように突き刺すと、ジルの全身から炎が吹き上がった。あたかも毛を逆立てる山猫のように。
 だが、この戦士は山猫ではありえなかった。
 炎が爆発すると同時に、本日最大級の『火刃乱舞』が発動した。
 群がる魔物たちが根こそぎ吹っ飛ばされる。その余波はレグはおろか、ジェスやアレックスにまで及んだ。
「む。無茶しおって……」
 この場には彼らの大切な仲間であるグリムはいない。
 もし、彼女が暴走しても止める者がいないのだ。
「見て、アミュートが!」
 ジェスが息を呑む。
 ついに供給が追いつかなくなったか、アミュンテーコンが解除された。
 その隙を見逃すようなレグではない。一気にジルに向かって突進した。ところが。
「がぁぁぁぁぁっ!!」
 アミュートを纏っていないにもかかわらず、『身体覚醒』状態が継続されている。
 オーラマックスに匹敵する速度で、ジルはレグを迎え撃った。
 突き。
 払い。
 そして蹴る。
 本能の赴くままに加速し続けるジルの前に、さすがのレグが一度身を引いた。
「逃が……さねぇっ!!」
 右手の小剣を囮に使い、左の拳がレグの兜を捉えた。左腕が焼けただれるのも構わず、炎を叩き込む。
「ぬぅぅっ!」
 初めてレグが苦痛の声を発した。
 そして、瞳が金色に輝くと。
「ぐわぁぁぁぁっ!」
「ジルッ!?」
 レグの身体からごく近い範囲内に、漆黒の炎に包まれた結界が発生していた。
 発動に巻き込まれたジルの左腕が、二の腕辺りから寸断された。
 跳ね飛ばされた彼女の大きな身体を、ジェスがキャッチする。あまりに鋭利に切断された為だろうか、大量の血が吹き出したのも束の間、腕を縛り上げている間にも血が止まる。
(そんな馬鹿な)
 ジェスが信じられないものを見る目でジルの傷口を凝視する。
 血管と筋肉が収縮し、血は止まろうとしていた。通常であればショック死していてもおかしくないほどの怪我でありながら、ジルの戦闘意欲は衰えを知らなかった。
 野獣のような雄叫びが喉から漏れ出る。
 一方、アレックスはハルバード状のエクセラを構えたまま、注意深くレグの結界を観察していた。
(一番近いのは、カオスフィールドかの)
 バジュナでの戦いの後、フリーウインド領に残った彼はもう一度基礎から魔法を研究していた。
 その中には、カオス魔法についての供述が寄せられた文献もあったのだ。
(じゃとすれば、生半可な攻撃では通用せんと言うことか……)
 そこまで考え付いたところで、彼は不思議なものに目をとられた。
 月光のように淡く輝く蝶。
 それが戦場の真っ只中で舞っていた。ゆるやかに弧を描いた蝶が、アレックスの肩口に止まる。
「!!」
 アレックスの表情が驚愕に変わり、ついで苦渋を浮かべる。
 低い、唸るような声が漏れた。
「なんだよ、アレックス。敵か!?」
 ジルに気をとられていたジェスも蝶に気づいた。だが、アレックスには力なく首を振ることしか出来なかった。
「ジェスよ……そいつはお前に力を与える為に来たようじゃ。受け入れよ。エクセラに、その力をな……」
 ハルバードを手に立ち上がる。
 その姿が何故か、ジェスには杖を必要とする老人のように見えた。
「わしが命に代えてもあの結界に傷を作る。おぬしはその剣で奴を斬れ。よいな?」
「あ、ああ」
 アレックスが見せた気迫の前に、ジェスは頷くしかなかった。
 それは彼が初めて見せる決意の表情だった。
「行くぞ! 『ザ・エメラルド』よ! その力をエクセラに捧げよ!」
 振り回されたエクセラがクリスタルソードによってコーティングされる。その状態で彼は呪文を一つ唱えた。
 ライトニングトラップ。
 範囲に入った者に電撃によるダメージを与える結界魔法。そこに彼は自ら突っ込んだ!
「ぬぅぅぅぅ!!」
 痛みが全身を走るが、構わず駆け抜ける。
 エクセラはその電撃を残らず吸収していた。
「ゆくぞ! サンダーボルト……チャージング!!」
 アミュートの背中から圧縮された空気が一気に放出され、爆発的な加速を見せる。
 まさしく一条の電光と化して、アレックスが身体ごとレグの結界にぶち当たる。
「むぅ!?」
 エクセラが負荷に耐え切れずに砕け散った。
 だがその刹那、結界に開いた小さな穴を、ジェスは見逃さなかった。
 乳白色に輝いたエクセラを、アレックスと同じように『風の翼』を全開にして突き立てる。
「駄目か!?」
 その切っ先はアミュートの一番厚いところで止まり、装甲を貫通しなかった。そしてエクセラに宿っていた光が消える。
 ジェスが大きく離れる。
 ジルもその様子を腕を抑えながら、固唾を呑んで見ていた。
 一人、アレックスだけが、戦いが終わった事を確信していた。
「……!」 
 突如、結界が消える。
 カオスアミュートもまた、ブラックオパールへと変わり、レグの足元で二つに割れて転がった。
 そしてレグの表情が変わる。
 左目の黄金の輝きが消え、元の赤い瞳に戻った。真っ白だった顔に血の気が戻り。表情に人間らしさが漲ってきたように感じられる。
 そして。
「ここは……どこだ?」
 警戒を解かないジェスを見て、さらに困惑の表情が浮かぶ。
「お前は……レジスタンスの。ここはどこだ? 私は一体……?」
 その様子を見て、ジェスの顔にも喜色が浮かぶ。
「おい、レグ……! お前記憶が戻ったんだな? そうなんだろ!?」
 ジェスも右手が高々と掲げられた。
 それは彼女にとっての勝利宣言であったのだ。


 事情を説明してもまるで飲み込めてないレグをとりあえず落ち着かせ、ジェスはジルの元の駆け寄った。
 カオスの欠片に操られていたとはいえ、ジルの片腕を落とした事には変わりない。殺されても文句は言えないはずだったが。
「敵じゃねぇってんなら、勝手にしな。片腕落とされたのは自分のミスだからな。今さら泣き言いう気はねぇよ」
 最後に残っていたポーションをあおり、ついでに酒まで口に含んで傷口に吹き付けたジルだった。
 血色は悪いが、とりあえず傷口の血は止まっていた。
 それどころか薄皮まで張り始めていた。
「そのポーション随分効くんだな。エリクサーか?」
 ジルは首を振った。
 あくまでもただの回復薬だ。ここまでの効果があるはずはない。だが、なんとなく彼女は理解していた。アミュートを纏って戦い続ける事で、自分の持つ本来の力の片鱗が窺えたような気がしたのだ。
「お前だって大したもんじゃねぇか。あの最後の突き。大したもんだったぜ。あの光は……?」
「さぁ? なんか知らないけどいいじゃん。カオスの欠片を斬れたんだから。大した力さ」 
 そんな二人を交互に眺め、アレックスは重い口を開いた。
 月の魔法も使える彼だから、それが聞き取れたのだ。 
 グリムの最期の声が。
「そう。大した力じゃ……グリムのおかげじゃよ……」
 一気に十歳近く老けたように見えた。それほど、その声は哀しみに彩られていた。
「グリの? どういうこった? おい、どういう事だよ!?」
 残った右手でアレックスの首元を掴むジル。
 慌てて止めに入ったジェスの顔にも、何かを感じ取った表情が浮かんでいた。
「あれが……グリムの最期の贈り物じゃよ……。わしには聞こえたんじゃ。別れを告げるあの娘の声がのぅ……」
「嘘だ……嘘だ! 嘘だ!! 嘘だぁぁぁぁっ!!!」
 部屋にジルの絶叫が響く。
 ジェスの表情が凍る。
 そして、部屋に残された、ただ一つの音は。
 アレックスの男泣きだけとなった。


●ヒルダよ眠れ
「ほ〜〜ほほほ! お猿さんたちがのこのこやって来るとわね。そのまま神殿にこもっていれば少しは長生き出来たものを!」
 ヒルデガルド・フォン・ヒムラー。この一連の事件の首謀者は、既に人間ではなくなっていた。
 黒き炎を操り、呪いを仕掛け、魔眼を操る。
 自ら『闇を纏うもの』を名乗り、冒険者達を攻めたてていた。
「ちぃっ! 調子に乗りやがって……!」
「やめろ、虎王丸! あいつの誘いに乗るな!」  
 火之鬼を手に、今にも襲い掛かる素振りを見せていたのは虎王丸だったが、エランによって厳しく止められていた。
 それには訳があった。
 先程、フリーズブレードを撃った際に、エランはエクセラを消失させられていたのだ。
 ある程度以上の魔物のみが使える力、『エヴォリューション』であった。
 同じものはカオス魔法にもあるが、これはさらに上位の力で、一度でも同じ種類の攻撃を受けていた場合、二度目に受けた攻撃を相殺することが出来るというものだった。
 その影響を受けて、力の逆流をくらったエクセラは負荷に耐え切れずに四散した。
 つまり、一撃で致命傷を与えない限り、次はないのだ。しかも、ヒルダはジェントスの街の住人の命を取り込んでいる。そう簡単には倒せないだろう。
 今ここにいる仲間は、二人の他にはワグネルとリュアルがいるのみだ。
 残念ながら、どちらも一撃必殺という技を習得しているとは言い難かった。
「スライシングエアは使っちまったしなぁ」
 お付きの魔物たちはどうにか倒したものの、フレイムジャベリンももはや限界まで過熱していた。
 次を放てば使い物にならなくなるだろう。
「僕にもっと力があれば……」
 誘いに乗って風の刃は使ってしまった。電撃等を操れるわけではないリュアルにとって、攻撃手段はマリンソードしか残されていなかった。
 虎王丸が真の力を発揮すれば、あるいは致命傷を与えられるかもしれない。
 そう、エランはふんでいた。
 彼の持つ『白焔』の力は、カオスの対極にある力だ。あれならば、三十六騎士縁の武具に匹敵するかもしれない。
(アレがあれば一番いいのだがな……)  
 彼女の仲間であるジルが持つ、『陽炎の小剣』と同質の力を秘めた武具。
 今、ヒルダがその手に持つ、黒い雷を纏った剣を見る度に思い出す。遠く離れた故郷にあるはずの、もう一つの剣。
 僅かに、エランの足が止まった。
「あら。追いかけっこはお終いですの?」
 その隙を見逃さず、ブラックフレイムが彼女を捉えた。
「くっ!」
 彼女の持つ指輪の力が発動し、攻撃魔法を吸収する。
「便利ですわね〜。で・も・何発止められるのかしら〜?」
 立て続けに魔法が飛んでくる。
 ぎりぎりのところでかわそうとするが、着弾の炎は容赦なく彼女を焼いた。
「きゃあああ!」
「エランさん!」
 その間に、ヒルダの剣が蓄えた黒き雷が輝きを放った。
「それじゃ、御機嫌よう」
 一直線に電撃が走る。
 誰も、エランのカバーに入れる位置にはなかった。
(あなた……!)
 エランが死を覚悟する。
 だが、天空から一振りの剣がその前に突き刺さった。
 黒き雷がその剣の前に四散する! 
「そんな……なぜこの剣がここに?」
 それは雷鳴の騎士ルメニフェスの剣だった。カオスの穴を封印した、ロード・ガイの三十六騎士の一人である。
 それを手に取ると、懐かしい声が柄から身体に流れ込んだ。
『貸してやるよ。下手に使って折るなよ?』
(フィリア……) 
 古き友人の声。
 本来の持ち主の声であった。
「そんな……なぜ、都合よくそんなものがこの場所に現れる!?」
「そんなこと……知った事ではないわ。解っているのは唯一つ。この剣なら貴女を何度でも斬ることが出来るというだけよ!」
 状況を好機と見たか、仲間達が最後の賭けに出た。
「やーーーっ!」
 リュアルの突きを易々とバックステップで避けるヒルダ。だが、それはフェイントだった。
「マリンオーブよ!」
 剣の柄に埋め込まれた海皇玉が、彼の意思を反映して大量の水を吹き出す。それが彼女の足元をぬかるませた。
 ワグネルが横っ飛びで狙いをつけ、フレイムジャベリンを撃つ。
「シュート!」
 火線がヒルダの左手を焼く。
 同時に、フレイムジャベリンの砲身が破裂した。
(ありがとよ。いい仕事してくれたぜ)
 感謝の気持ちを込めて、ワグネルはそれを床に置いた。
「くうっ!!」 
 ヒルダの姿が掻き消えた。
 これも魔物の持つ特殊能力の一つ。透明化であった。
 エランにとって、この動きは想定の範囲内に過ぎなかった。彼女はカオスの魔物とは幾度となく死闘を繰り返してきた騎士だったから。
「そこっ!」
 左わきの下を通して、背後に『雷の剣』を突き立てる。
 そこにいたヒルダが絶叫と共に現れ、転げまわる。
「ど、どうして気づいたんですの?」
「昔から……鏡には縁があるものでね」
 アミュートの特殊能力の一つ、『水鏡』であった。幻影や変身を看破するだけでなく、こういう使い方も出来る。
 縫い付けられたように動けなくなったヒルダを前にして、エランはその両手を大きく交差させた。
 彼女のアミュートが深い蒼を湛えながら、全ての力を開放する。
「くらえぃ……!! 精・霊・波ーーーーーーっ!!!」
 胸元から発せられた蒼き光がヒルダを直撃した。
 これが彼女の考えた、ヒルダの不死封じであった。水属性の持つ浄化作用によって、取り込まれた命の全てを浄化する。そうすれば、残ったのは本来の命だけになる道理だった。
 力を使い果たしたアミュートが解除される。
 これで二十四時間は使用不能だ。
「お願い、虎王丸!」
「おうよ! こいつで終わりだぁっ、ヒルダァ!! 」
 虎王丸の背に、白き大輪の華が咲く。
 『白焔』で加速された体で、渾身の居合いを叩き込む。
「白華一閃……散りな!」
 彼が火之鬼を鞘に納めた時、両断されたヒルダの体は大地に落ち、白い焔の中で灰になっていった。


「勝った……んですよね?」 
「ああ。あんたも頑張ったな。一人前の冒険者だったぜ」
 腰を下ろしてしまったリュアルに、ワグネルが右手を差し出し、立たせる。
 虎王丸はじっと火之鬼を見つめていたが、もうあの爺さんの声は聞こえなかった。これからは、自分の力で戦えということなのだろう。 
「へへっ」 
 不適に笑って、火炎剣士は刀を腰に下げた。
 そしてエランは。
「あ……」 
 『雷の剣』が少しずつ薄くなり今にも消えようとしていた。
 感謝の念を込め、天空に捧げる。
(ありがとう……!)
 そして辺りには静寂が戻った。
「さぁ、『門』を目指すわよ。あれを破壊しない限り、帰れないんですからね」
「おおっと。忘れかけてたぜ」
 頭をかく虎王丸に、一同から笑いが漏れる。
 しかし。
「あれ……」
 リュアルが指差した方角を見て、全員の顔が引き締まる。その先にあるものは。
「行こうぜ。天空の門によ」
 ワグネルが真っ先に駆け出す。
 彼の俊足をもってしても果たして間に合うのか。
 『門』はもう、虹色の光に包まれつつあった。


●浄化
「七つの宝玉よ!」
 建一の持つ杖から、異なる攻撃魔法が同時に放たれ、周囲を取り囲もうとしていた魔物たちが消滅していく。
 五人では完全な分担が出来るわけもなく、先程から彼も近接戦闘に巻き込まれていた。
「大丈夫かよ?」
「ご心配なく。これでも君よりは場数を踏んでいますので」
 撹乱役の遼介がかけてきた声に、澄ました声で返す建一。
 そこには年の差以上の経験を感じさせるものがあった。
「フェニックスウイング!」
 魔物たちが放った火炎魔法を吸収し、レッドはカウンターで朱雀翔を発動させる。
 高速で飛行する火の鳥が、次々と空を飛ぶ魔物たちを焦がしていった。
 五人の死に物狂いの攻撃の前に、魔物の数も数えるほどになっていた。
「『水晶結・散』!」
 ジェイクの放った水晶片がそれらをずたずたに切り裂き、断末魔の叫びと共に大地に堕ちた。 


「ようやく……辿り着いたんだね」
「ああ」
 レベッカの柔らかい茶色の髪も、既に魔物の血と体液で汚れていた。
 彼女らは間違いなく、魔物たちの屍を乗り越えてここまでやって来たのである。
 その目の前には、あの時辿り着けなかった『門』があった。これを破壊しない限り、聖獣界へ帰ることは出来ないのだ。
「ところでさぁ」
「なんだ?」
 ちらっとジェイクの顔を見て、遼介が思い出したかのように呟いた。
「これ、どうやって壊すんだ?」
 四人の視線が交錯する。
 それに対する明確な回答を、誰も持っていなかったからだ。
「……確かとはいえないが」
 ジェイクが口を開いた。
「強力な浄化作用を持つ『何か』が必要と思われる……建一?」
「はい?」
「君は四属性合成魔法を使えるか?」
 その問いかけに、建一は肩をすくめるしかなかった。
「このタイミングで聞くという事は、解っているんでしょう? 二種の合成だけでも大きなリスクを背負う魔法です。普通、それが出来る者を人間とは呼びませんよ」
 そう、実は破壊するだけではいけなかった。
 壊すだけなら可能かもしれない。だが、それでは『穴』を作るだけの事なのだ。
 カオスの穴といえば、アトランティスの人間にとっては最大のタブーである。
 英雄ロード・ガイですら、聖剣と己の命を懸けてようやくそれの封印に成功したのだ。
「破壊せず、強力な浄化の力で『門』を正常化させる。それで初めて向こうに帰還できる。ずっと感じていたんだが、カオス界に近いここでは、精霊合成がし易いようだ」
「机上の空論ですね」 
 建一が溜め息をつく。
「精霊合成と魔法の術式は、言わば弾丸と銃身です。銃がないのに弾が撃てるわけがない」
「あるさ」
「え?」 
 訝しげに視線を向ける建一に、レッドは決意を込めて言った。
「精霊剣技でそれを放つ」


「いいな。難しい事は考えなくていい。水貴に力を貸す時の感覚だけを思い出せ」
「わ、分かった」
 ぎこちなく頷く遼介。他の三人に比べれば、アミュ−トの扱いはお世辞にも慣れているとは言い難い。
 レベッカは何も言わず微笑んだ。今さら言う事は何もないという表情だ。
「すまない。君にしか出来ないことだからな」
「竪琴の調律だと思えばどうということはありませんよ。僕より、彼に言ってあげてください」
 視線の先にはレッドがいた。
 他の誰にも出来ない。彼だけの仕事だった。
 四つの精霊を合成させるというのは大変だが、それよりもっと大変な事は、それを放つ者へのフィードバックだ。
 魔法の術式とは、力を対象に放つ際に生じるフィードバックから身を守るための防壁までがワンセットになっている。
 だが、精霊剣技とはあくまでもそのフィードバックをアミュートの力で抑えているに過ぎない。
 自分と同じ属性であればそれも問題ないが、合成されたそれに耐えうるのは桁が違う。
「頼む……!」
「おう!」
 ひどい事を押し付けている、とジェイクは思っていた。
 精霊騎士団の先人達が合成剣技を封印した理由は、フィードバックに耐えるためには限界を超えてアミュートの力を引き出さねば身体が持たなかった為だ。
(恐らく、俺では体がバラバラに砕け散るだろうな)
 この『門』に集結したメンバーの中でも、恐らく耐えられるのはレッドくらいであろう。
「それでは十文字に並んで、精霊力を開放してください。バランスの調整は……」
 建一がSFESを掲げた。
「これで行います」
 合成には四種の属性の力を完全に同一にする必要がある。
 この中で言えば、レッドと遼介では開放できる量がまるで異なる。それを均一化させるのが、建一の仕事であった。
 合成魔法を使う力量を持つ、彼だからこそ可能なのだ。
「いくぞ!」
 赤、橙、緑、青。四色の光の柱が立ち昇る。
 杖を掲げる建一の腕に力が入る。
 圧倒的に足りない水の精霊力を、SFESの力を使う事で調節する。それでもなお、バランスを保てずにいた。
「遼介くん。もっと力を解放してください!」
「やってるよ!」
 一心に念じる。
 特殊能力を使った時の感覚。そして旋海刃を使った時の集中力。それらを心の底でイメージする。
「思い出せ、ヴィジョンの力を引き出したときの事を!」
「!」
 ジェイクの言葉に、あの時の情景がフラッシュバックする。
 そして、蒼い中国風の衣装を纏った少年の幻影が遼介の背後から重なり、彼と同調した。
「来た!」
 額から汗を滴らせ、建一の指が滑らかに杖の表面を滑る。
 七つの宝玉がシンクロした。
「レッドさん!」
 集められた力が虹色の球体に姿を変え、レッドの体を包み込んだ。
「くっ……ぐうっ!!」
 一瞬の出来事だった。
 優れた精霊騎士である彼は、このままでは自分の肉体が持たない事を直感的に悟っていた。どうすればいいのかも。
 迷っている時間は、無かった。
「十倍……ドラゴンモーードッ!!!」
 赤竜の騎士のエクセラが、合成精霊力を導く。
 七色の光刃は闇を斬り裂き、奔流のごとく『門』を貫通した。


「レッド……?」
 レベッカが震える声で問いかけた。
 虹色に輝く『門』に手を振れ、赤竜の騎士は振り向いた。
「グランが来ている様だ。私も行かなくてはならない。闇を、聖獣界に連れて帰らぬために」
 炎の翼を広げ、レッドの体が宙に舞う。
 次の瞬間、空中に残像を描き、その姿は北へと飛び去っていった。


●闇を滅するもの
 ゲイルドラグーンに乗って間もないというのに、グランは完璧にこの相棒を乗りこなしていた。
 翼が風を切り裂く感触が、ゴーレムグライダーを思わせて心地よい。
「いけぇっ! ソニックインパルス!!」
 突き出したサンソードごと加速するドラグーン。
 衝撃波を纏いながら、『闇を統べるもの』にぶち当たる。
「小癪な……この空間にまだ竜の血族がいたとはな……」
 それでもなお、戦いは五分に過ぎなかった。
 ユランはそろそろ稼動限界というところまで追い込まれていたし、グランも眼前の敵と斬り結ぶだけで精一杯だった。
 だが、三者の動きが同時に止まる。
 『門』のところに発生した浄化の力に気がついたのだ。 
「おのれぇっ! あの女は何をしておるのかっ!」
 体を翻す『闇を統べるもの』。
 それを追撃しようとした時、グランと雪乃の心に声が響いた。
『刀を、天に。我ら四天竜王の力を一つに集め、竜帝剣を授けます』
 ゲイルドラグーンがサンソードをユランに投げ渡した。 
「使ってくれ! 俺が奴の足を止める。その隙に……!」
 翼を羽ばたかせ、旋風となって敵の後を追う。
 そして、ブランゴーレムがぎしぎしと立ち上がった。
「お願い、ユラン。もう少しだけ……!」 
 熱を発し始めた制御胞の中で、雪乃が気力を振り絞る。 
 ユランはその意思に応えた。
 サンソードが、空を覆う結界に掲げられた。  


「こっから先へは行かせねぇ!」
 制御胞の中でグランが吼えた。
 師の、そして小さな友の教えを無駄にしない為にも、ゲイルドラグーンで勝たなくてはいけなかった。
 手刀から放つ真空刃で敵を足止めしながら、彼は全力で相棒を操った。
『主よ!』 
「ああ……準備は整ったようだな、あとはどうやってこいつに一泡吹かせるか、だ」
 機体越しにでも感じる。
 ユランに与えられた力を。
 そして。
「!」
 『門』から一筋の光が走ったのが見えた。
(レッドか……あいつ……!) 
 一瞬だが、戦士たちの視線が交錯する。それで十分だった。
「ヴォォォルカニック……ブラスタァァァァ!!!」
「ソニックスマッシャァァ!!!」
 互いに竜の翼によって増幅された精霊力を展開させ、己の技を加速する。
 ピンポイントで打たれた衝撃で、『闇を統べるもの』の足が止まった。
「還れ、混沌よ!!」
 竜の力を宿した刀身が、白の騎兵によって振り下ろされる。
 肩口から入ったその斬撃が、闇を光へと変えていく中で、『門』は静かにその役割を果たした。


●ワグネル・パウロ・カルロス・デ・オリベイラ
 青い空がある。
 白い雲がある。
 そして、風が冷たい空気を運んでいる。
 それは『堕ちた都市』の遥か上空、かつて天空都市と呼ばれていた頃の高度にあった。
 ゆっくりと降下する都市の中で、戦いを終えた戦士たちが施設から姿を見せつつあった。
 仲間達の中で、グリムとカイの亡骸はジルたちによって回収され、今は綺麗に寝かせられている。
 他にも明花が命を落とし、重傷の太行に背負われて帰還する事になった。
 誰一人として勝利を祝う声は無い。
 失ったものの重さを、ただ噛み締めるしかなかった。
 隻腕となったジルは、膝をついたまま動かなかった。幾度も仲間の死は見送ってきたはずなのに。
「姉様んとこに帰るんだろうが……?」
 こんな憔悴したジルの声を聞いた者はいなかった。
 ワグネルは、彼女らの為に花を探しに出たが、どこにも見当たらなかった。
 三人を安置した建物まで戻って来た時、たまらない喪失感が彼の心を去来した。 
(まただ。また俺は何もしてやれなかった)
 それがいつの事をさしているのか、それすら気づかず。
 ただ、拳を壁に叩きつける事でしか気持ちを抑えられなかった。
(もしも願いが叶うなら……!)
 固く閉じられたまぶたの裏に、在りし日の仲間たちの笑顔が浮かぶ。
 その時だった。
チリィィィン……
「?」
 彼の背中の大刀が鍔鳴りを起こし、自然に宙に浮かび上がった。
『お前の願いはなんだ』
 どこからか響き渡る声に一同が周囲を見渡し、淡い光を放つ大刀と対峙したワグネルに気がついた。
「……あんた、神様ってやつか」 
『その質問は二度目だが』
 返答などワグネルの耳には聞こえていなかっただろう。
 ただ、強い感情だけが彼の心の中を吹き抜けていた。
「あいつらを助けてくれ……頼む……! 皆を! 元に戻してやってくれ! 笑顔を! 戻してやってくれ……」
『その願いは少々大きすぎる』
 ワグネルの表情が消える。
『だが、前回はただ食いだったからな。今回はサービスしておこう』
 そして強い光が、辺りを覆いつくしていった。


●エピローグ〜それぞれの明日へ〜
 街並みは未だ荒れ果てていた。
 それでも人々はそこで生活し、生き抜いていかねばならない。
「おーい、行くぞ」
 仲間に声をかけられ、ワグネルは我に返った。自分が今、武器商人の警護中だという事をすっかり忘れていた。
「ああ、今行く」 
 鈍く輝く大刀を背負い、彼は仕事に戻っていった。


「……結局、彼が呼び出したモノは何だったんですか?」 
「じかに見たわけではないのではっきりとはしませんが……恐らく、高位の魔神の一種なんでしょうね」
 鑑定所の二階から外を眺めていた太行の問いかけに答えたのは呉文明だった。
 彼の推測によれば、持ち主の『思い出』を糧として生きているのではないかという事だ。
 それが強ければ強いほど、魔神は力を発揮する事が出来るのだとも。
「そしてその『思い出』を失うと。なーんか本末転倒のような気もしませんか?」
「まぁ、人間とは思考回路も違うんでしょう。我々の尺度で物事を測ってはいけませんよ」
 二人は遠くなっていくワグネルの背中を見ながら、ゆっくりと茶をすすった。
「記憶は失っても」
「?」
 それまでずっと黙っていた明花がふいに立ち上がったので、二人はそちらに目をやった。
「ここで過ごした日々はあいつの体に染み込んでいるはずだよ。冒険者なんだからさ」 
 階下に下りていこうとする。
「もう一度仲間からやり直すってのも、悪くはないよね?」
 そう言い残して駆け出していった。
 遠くなった男の背中に向かって一目散に駆けていく。
「兄離れしたようで何よりですね」
「まったくです」
 苦笑を浮かべ合う二人。
 伸びを一つして、太行も階下に下りていく。
「そろそろギルドに戻りますよ。将已の奴に書類を押し付けてきちまったんで。あいつ怒ってんだろうなぁ」
 最後に奥を指差し、頼みますと告げて彼も去っていった。
 静けさの戻った鑑定所は、今日も穏やかな風が吹き抜けていた。


「さて、行こうか?」
 凪は相棒に声をかけた。
 予想外に長居をする羽目になってしまった。そろそろ次の町に行かなくては。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。どうも荷物が入りきらなくてよ……」
 溜め息を漏らす凪。
 今回の一件で随分と腕は上がったようだが、荷造りの方はまるで上達しなかったようだ。
 宿の外に目をやると、人々が忙しく動き回っている。 
 この街はこれからが本当の発展なのだ。
「おう、待たせたな」
 虎王丸の背嚢はパンパンに膨れ上がっていた。
 街道に続く道を歩きながら、彼は凪に問いかけた。
「なぁ。またいつかここに来る事があるよな?」
「そうだね。いつかきっと……ね」
 抜けるような青空の下を、二人は真っ直ぐに歩いていった。


 リュアルと遼介は、その後も何度か冒険で顔を会わせる事になった。
 お互いに年も近いし、前衛型と後衛型の二人は意外とウマの合う仲間であった。
 ただ……。
「俺の言うとおりにしやがれ!」
「どうして、お前はたまにそうやってキレるんだよっ!」
 ぶつかり合う事もしばしばあった様だ。
 剣と魔法。
 二つの道はこれからも互いに助け合って冒険を続けていくだろう。
 少年達の冒険は、まだまだこれからなのだから。
「も〜うやってらんねぇ。今度という今度は許せねぇ!」
「それはこっちの台詞だよ!」
 まぁ、喧嘩別れしなければの話なのだが。


「やっぱり行くの?」
「ええ。元々キャロルたちを探す旅の途中だったわけですから」
 白の騎兵の足に腰かけたまま、雪乃は建一に手を振った。
 あの時からちっとも変わっていない。きっと次に会った時も同じ感想を抱くのではないだろうか。
「貴女こそどうするんです? ロウさんを探してカニンガ砦に行くおつもりですか?」
 雪乃はユランの痛々しい姿を見上げ、器用に首をすくめた。
「一度シーハリオンに帰らないとね。あそこを空っぽにもしておけないでしょ?」
 それでもきっと、いつかは行くのだろう。
 風見雪乃の人生に、諦めという言葉は似合わない。
「それじゃ、いつかまた」
「ええ。またね」
 微笑をかわし、二人はそれぞれの人生へと戻っていった。


「レッド……。俺が負けたら、レベッカは素直に譲ってやる!」
 グランが決闘を申し込んだのは、彼自身が旅立つ前日の事だった。
 真っ向勝負を挑み、敗れた。
 悔しさはなかった。
 レッドが本気で戦ってくれた事の方が嬉しかった。
(これでレベッカを諦められる)
 自分なりのけじめだった。
 グライダーでは誰にも負ける気はしないけど、剣を交えた戦いならレッドの方がずっと上だ。そう思っていたからこそ、敢えて剣での勝負に拘った。
 レベッカには、自分よりもレッドの方が相応しいと思うから。
(もっとこの世界を、知らない街を見てみたい)
 だからゲイルドラグーンの鍵はギルドに返上し、単身グライダーでの旅を選んだのだ。
 仲間達に別れを告げ、彼は再び飛び去った。
(今なら故郷へも帰れる気がする)
 感傷を振り切って、グランは果てしない旅を続ける。


「エラン……元気でね」 
「貴女もね。大丈夫、すぐにまた会えるわ」
 我が子と友人が厄介な事に巻き込まれているという連絡をうけ、エランも堕ちた都市を離れる事になった。
 ふと、レベッカの顔を見つめる。
 初めて会った頃の面影はそのままに、彼女は美しくなった。
 子供の頃から見守ってきた役目も、そろそろバトンタッチする時期が来たのかもしれない。
 傍らに立つ青年に目を向ける。
「レッド? この子を泣かしたらゼロ・ブレイクよ?」
「泣かしたりはしませんよ。約束します」
 いい返事だった。
 幼い頃から運命に翻弄され続けてきた少女を幸せに出来る、そう信じさせるだけの力が言葉に込められている。
「よし!」
 二人を抱きしめて、別れの挨拶を済ませると、エランは友人の森へと旅立っていった。


 ジルもまた、復興を見届けずに街を離れる事を選択した。
「ワグネルのおかげで腕がくっついたのはいいけどよ。片腕失うポカを犯したってのは事実だからな。しばらく一匹狼に戻って傭兵稼業をするつもりさ」
 当初、彼女は誰にも別れを告げずに去るつもりだったのだが、長い付き合いの仲間たちは見逃さなかった。
「今なら、バジュナでの戦いの後、アミュートを置いて立ち去った奴らの気持ちが少しだけ分かる気がするんだ」
 そう言って遠くを見つめる。
 視線の先にあるものは、まだ見えない。だが、いつかは辿り着けるはずだ。 
「この街の事はグリに任せるよ。姉さまからもそう言われてる。子供たちの事もよろしくとよ」
「うん。先生に会ったら伝えて。あたしもまだまだ頑張るからって」 
 あの日、ワグネルが起こした奇跡はグリムを蘇らせた。
 その事をたまらなく嬉しく思う一方、心のどこかでささやく者がいるのだ。 
(このまま幸せになれると思うのかい?)
 自分の本性はどこまで行っても修羅のままだ。
 グリムやレベッカの様に幸せにになれるとは思っていない。
 だから旅立つ。
 なに、生きていればまた会う事もあるだろうさ。
 それがジルの生き方だった。
「何かあったら飛んでくる。いつでも呼んでくれ。あ、それと……」
 ちょいちょいとカイを指で呼び寄せる。
「そろそろ腰を落ち着けて、こいつを幸せにしてやってくれよ。大事な妹弟子なんだからな」
 軽く手を上げて別れを告げると、もう振り向く事はなく、ジルは何処かへと旅立っていった。


 そしてレベッカとレッドの旅立ちの日がやって来た。
 ある程度街の復興の目処がつくまでは、と伸ばし伸ばしにしてきたのだが。
 聖獣界に戻った後、四天竜王は『天空の門』と中央の施設だけを宙に残し、街を元あった場所へと不時着させた。
 転移の際に入り乱れていた街並みはそのままだったが、便宜上街の西側をジェントス、東側をカグラと呼ぶことになった。
 新たな街の名はレクサリアと決まり、東西のギルドの代表には太行とジェイクが就くことになった。
 西側に人材が不足しているため、バランスをとるという意味もあったし、前ギルドマスターの文明が人事の一新を強く主張した為でもある。
 その文明自身は隠居を宣言。正式に鑑定所を担当すると共に、上空とを繋ぐ唯一の『門』を見張る役目を引き受けた。
 街の南側の地区はまだまだ瓦礫も多く、モンスターが住み着いている場所も残っているらしい。
 まだまだ冒険者が職を失う事は無さそうであった。
「じゃ、皆。落ち着いたら手紙を書くよ」
「ああ。気をつけてな」
 ジェイクも忙しい職務の合間を縫って駆けつけてくれた。
 服装とかは以前のままだが、一つだけ変化があった。旧ジェトの紋章を意匠した飾りを胸に付けている。
 修理を終えたシルバーアミュートと共にディアが持って来てくれたものだ。
 チャック爺さんが最後に作ったものらしい。
『もうそろそろ自分を許してやってもいいんじゃねぇか?』
 それがジェイクへの遺言だったとの事だ。
「東方にはタチの悪い風土病とかもあるから注意しろよ」 
 旅の先輩として、ジェスも手向けの言葉を送った。
 最近はジェイクの手伝いなどもしているようだが、本人の風来坊気質は相変わらずで、いつまた旅に出るかは分からないと笑っていた。
 もっとも、レベッカには。
「ジェイクがしばらくここに落ち着くって言うからさ。ここに帰ってくれば、あいつに会えるって事だろ?」
 と冗談めかして話していたものだ。


「レベッカーー! 元気でねーー!」
 大きく手を振るグリムに応えるレベッカ。その左手には、レッドが送ったリングが光っていた。
 とりあえずはファラの故郷に向かい、預かり物を渡すのが目的だが、その後の事は未定らしい。
 雪乃が別れ際に贈った白いドレスは、荷物の一番奥に大切に仕舞われていた。
 二人の姿が見えなくなると、ジェイクもジェスと仕事に戻っていった。
 最近では『地竜王の騎士』と呼ばれる事も多くなったという。本人はそう呼ばれる事を頑なに断っていたが、その内に定着する事になるのかもしれない。
 残ったグリム、カイ、アレックスの三人は今日も復興作業の手伝いが待っている。中央の市場に向かって彼らは歩き出そうとした。
「あ〜、ところでグリムさん?」
「なに?」
「そろそろ腕を放しちゃもらえないでしょうか?」
「ダ〜メ」
 あの一件以来、グリムの甘えっぷりが一段と強くなった事にアレックスは気がついていた。
 倒れた前後の記憶ははっきりしないという事だったが、潜在意識に恐怖が染み付いて消えないのだろう。
「わしは一足先に行っておるよ。ゆっくりと来るが良い」
 気を利かせたつもりなのだろう。
 手入れされた髭を弄りながら、彼は悠然と立ち去っていった。
 カイにしてみれば、昼間っからあまりくっつかれるのも、まぁ嫌ではないが人目も気になるのである。
「ねぇ、カイ?」 
「ん?」
「あたし……子供が欲しいな。カイにそっくりな男の子」
 一度も言い出したことはなかったのに、そんな事まで言い出した。
 だからこの際、きっぱりと言ってやる事にした。
「駄目だ。グリムにそっくりの女の子がいい。それでもう、ベッタベタに可愛がるのさ」
「ずるーい!」
 二人の笑い声が風に乗って飛ばされていく。
 街角に吹く春風は、アトランティスのそれと変わらない。
 自由に空を舞う風の乙女達が、彼らを見守っていた。






                                   堕ちた都市の物語 −完−




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0929/山本建一/男/19歳/アトランティス帰り
1070/虎王丸/男/16歳/火炎剣士
1856/湖泉遼介/男/15歳/ヴィジョン使い・武道家
2303/蒼柳凪/男/15歳/舞術師
2361/ジル・ハウ/女/22歳/傭兵
2365/風見雪乃/女/27歳/ゴーレム乗り
2787/ワグネル/男/23歳/冒険者
3076/ジェシカ・フォンラン/女/20歳/アミュート使い
3098/レドリック・イーグレット/男/29歳/精霊騎士
3108/グランディッツ・ソート/男/14歳/竜騎士
3116/エトワール・ランダー/女/25歳/騎士
3117/リュウ・アルフィーユ/男/17歳/風喚師
3127/グリム・クローネ/女/17歳/旅芸人(踊り子)
3216/アレックス・サザランド/男/43歳/ジュエルマジシャン

※年齢は外見的なものであり、実年齢とは異なる場合があります。

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■         ライター通信          ■
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 お待たせしました。
 堕ちた都市シリーズ最終作、漂流都市〜完結編〜をお届けします。
 これが神城のライターとしての最後の作品になります。
 足掛け2年近く、このシリーズにお付き合いいただきまして、本当にありがとうございます。
 最後の2本だけで10ヶ月くらいかかっていたりしますが、何とか終わりまでこぎつけられました。
 これも皆様の応援があっての事と感謝しております。

 ご縁があれば、どこかでお会いできる事もあるかもしれません。
 その時はまたよろしく。
 お相手は、神城仁希でした。