<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


ライバル心は一途に燃える。

 夜も更け、歓楽街がますます盛況するこの時間帯。
 金髪に碧眼の20歳ほどの青年が、黒山羊亭で考え事をするようにうなっていた。
「どうしたの? 坊や」
 エスメラルダがさりげなく彼の前に注文の品、エールを置きながら艶やかに笑む。
「坊やはないじゃん。俺もう20」
「坊やよ、まだまだ」
 エスメラルダは軽く笑った。
 目の前の青年が誰か知っている。――トール・スノーフォール。月雫の民と呼ばれる種族で、また、彼の家は大富豪でもある。
 まさかお金に困っているということもあるまい。
「何かご依頼?」
 エスメラルダは尋ねる。
「依頼……依頼、かあ……」
 なあ、とトールはその碧眼をエスメラルダに向ける。
「ここって冒険者がよく集まるところだよな? 冒険者って戦い慣れてるよな?」
「そうねえ」
「じゃあ、俺に紹介してくれよ。俺、今ライバルがいるんだけどどうしても勝てないんだよ」
 トールは真剣に、椅子の向きまで変えて頼んできた。
「俺に、戦い方を伝授してくれるやつ、探してくれ。頼むよ。謝礼はいくらでもはずむじゃんよ」

     +++ +++ +++ +++ +++

 エスメラルダに懇願しているトールの元へ、2人の少女が近づいてきた。
 長い黒髪に赤い瞳。体中に呪符を織り込んだ包帯を巻いている少女、千獣。
 銀灰色の長い髪に、穏やかに輝く青い瞳。幾重にも刃が重なったルーンアームという武器を片手にしている少女、アレスディア・ヴォルフリート。
 2人はトールの傍らまで来て、止まった。
「あら、千獣さんにアレスディアさん」
 エスメラルダが彼女たちを呼んだことでようやく、トールは彼女たちの存在に気づき――げっと後ろへ退こうとした。カウンター席なので無理だったが。
「ひょっとして、トール君の話聞こえてた?」
「大きな声だった故」
 アレスディアが硬い声で言う。千獣は小さくこくりとうなずいた。
 そして2人の少女は顔を見合わせうなずき合うと、トールを挟むようにして席に座った。
 トールが冷や汗を流して左右を挟んでいる少女たちを見る。
 ――前回、精霊の森で彼女たちにこっぴどくやられたことは、どうやら覚えているらしい。
 千獣はむうっとしながら、上目遣いでトールをにらんでいた。
 アレスディアはルーンアームをカウンターに立てかけると、呆れ果てたように腕を組んだ。
「……まだ……言ってる……」
 千獣がつぶやく。「……ねぇ、どう、して、戦い、たい、の……?」
 アレスディアがうなずいて、
「……そもそも、何故勝ちたいのだ?」
 と問うてきた。
 トールは胸を張った。
「やつが俺のライバルだからだ!」
「ライ、バル……」
 千獣はますます眉間にしわを作る。
「別に……食べる、わけ、でも、ないし……クルス、が、あなたを、襲った、わけでも、ないん、でしょ……?」
 だったら、どうして……?
「だから、ライバルだから」
 トールは千獣の胸に人差し指をつつくようにしながら繰り返す。
 そんなトールを座席ごとぐるりと自分の方に向かせたアレスディアは、
「強くなりたいというのならば、何故強くなりたいのか」
「クルスに勝ちたいから」
 アレスディアは片手で顔を覆って、
「――切磋琢磨することは、悪いことではない。より高みを目指すことも良い。だが、それが何故なのか、自身できちんと見極められているのだろうか?」
「だから、クルスに勝つため――」
「しつこいっ」
 アレスディアの声とともに、ぺしっと後ろから、千獣の白い手が軽くトールの後頭部を打った。
 アレスディアはこめかみをひくひくさせながら、腕組みをしたまま目を閉じた。
「闇雲に求める力は、他者だけでなく自らや、自らの大切なものをも傷つけかねぬ」
「うーん?」
 トールは首をひねり、頭の悪そうな反応をした。
「……私はあなたのことを知らぬ。何らかの事情があってのこと、志あってのことであれば非礼は詫びよう」
「事情なら、クルスに勝つ――」
「しつっこい!」
 再び怒声と背後からのぺしんぺしん攻撃。
 気を取り直してアレスディアは言う。
「……だが、何も知らぬまま言わせてもらうならば、今のあなたは幼子が刃物を手にどこまで切れるか試したがっているだけのように見える」
「んん?」
 またもやトールは頭の悪そうな反応をした。
「だからだな……」
 唇の端を引きつらせながら、それでもアレスディアはぎりぎり平静を保った。
「あなたの力は強大だ。魔術などには疎い私にとて、それはわかる」
「あ、やっぱり? 俺って強いじゃん?」
「そういうことを言っているのではない!」
 背後からはぺしんぺしんぺしん。
「さっきから痛ってーよ」
 トールは千獣を振り返る。
 千獣のふくれっつらは悪化していた。
 本当はクルスや森のために、この青年に戦いの助言などしたくないのだが。
 このまま放っておくと余計に邪魔になりそうなので……渋々と。
「あなたは……攻撃、ばかり、でしょ……?」
「おう? おう。俺ってば防御系さっぱりだからよ。攻撃系魔術を攻撃系魔術で相殺するぐらいしかないじゃん」
「攻撃は……必要な、時、必要な、だけ、する、ことが、重要……」
 長い年月で身につけてきた戦いのこつを、千獣は伝授する。
 トールが瞳をきらっと輝かせた。
 千獣は続ける。
「……無闇、な、攻撃は、隙を、生むし……関係、ない、人も、巻き、込む……」
 息を大きく吸い込んで、吐き出した。
「……それじゃ、だめ……」
「俺別に、他人を巻き込んでるつもりないじゃん」
「嘘をつくな!」
 背後からアレスディアの怒声が聞こえた。
「先日、思い切り精霊の森を巻き込もうとしていただろう! あれとて他人を巻き込んでいるのと同じだ!」
「だからさー、クルスに精霊の場所移動しろよって言ったのにー」
「だ・か・ら・それは無理だからっ。クルス殿はそれをしなかったのだとあの時も言わなかったか!?」
「……言ったっけ」
「………」
 アレスディアは、すーはーすーはー息を吸っては吐いて呼吸を整えた。
「……あなたの魔力が強いのは分かった」
「だろ? だろ? うまくやればクルスにも勝てるだろ?」
「そういうことを言っているのではなくて!……あなたは強い。だからこそ、怖い」
「怖い?」
 トールはむうっと腕を組んだ。
「クルスのやつは俺を怖いと思ってくれているだろうか……」
「……ある意味怖いと思っていると思うが」
「まじで!?」
 本気で喜ぶトールに、アレスディアは呆れ返った。この青年、本当にどこか抜けている。
「トール殿!」
「なに?」
「強大な力を振るうことの意味、責任をきちんと考えられよ」
「へ?」
「勝つとか勝たないは、それからの話だ」
「ほ?」
「私の言った言葉に対して、何の考えも示せぬまま再びクルス殿や森に挑もうとするならば、クルス殿の前に私が相手となる」
「………」
 アレスディアの普段は穏やかな青い瞳が決意の光を見せたのを見て、トールは動きを止めた。
 ゆっくりと、千獣の方へと向き直る。
 千獣は最初から、その赤い瞳に決意を乗せていた。
 一部始終を見ていたエスメラルダがくすくすと笑って、
「少しは男の甲斐性を見せてみたら? トールの坊や」
「………」
 トールはがりがりと後ろ首をかく。
「……なーんかさ、根本的に、あんたらとは考え方が違うと思うわけなわけじゃん」
「根本的……?」
「俺でも知ってるじゃん? あんたらはいわゆる、『護るために戦う』人たちってやつっしょ?」
 千獣とアレスディアは口をつぐんだ。
「そこでもう違うんだなあ、俺の場合」
 なあ、と青年は手を広げた。
「『ライバル』の意味、知ってるか? もちろん『好敵手』って意味だ。好い敵なんだ」
「そ……なの?」
 千獣はアレスディアを見る。
 アレスディアは目を伏せてうなずいた。
「俺さー、今まで負けたことがないんだよね。ほんとに強いんじゃん?」
「……この間は負けたではないか」
「あれは捕らえられただけで、完敗したわけじゃないじゃん」
 そう言われればそうとも言える。事実、彼は網に一度は捕らわれたものの、その後その隙を狙って森を攻撃した。
「まだたっぷり魔力あまってんだけど……」
 青年はうん、と伸びをする。「なかなか全力で使う場所がなくって」
「……クルス殿が相手だと、全力を出せるとでも?」
「そうじゃん。あいつもあいつで魔力ためこんでる。まだ全力じゃない。んー、体力がないせいだろうけどさー。俺はさー」
 トールは遠くを見るような目をした。
 憧憬の目だった。
 何を見ている? クルスか? クルスと戦っている自分か?
「……全力で、力出しつくして、それでばったり倒れて疲れて眠るーってのが、夢なんじゃん」
「そ……!」
 千獣が思わず立ち上がった。「その、前、に……クルス、が、倒れたら、意味、ない……!」
「だいじょーぶ」
 トールはにっと笑った。
「……俺の見込んだライバルだし」
「………」
 アレスディアは厳しい顔でトールを見ていた。
 千獣は顔を真っ赤にしてトールを見ていた。
 トールは何を気にした様子もなく、エールを手にとって飲んだ。
 そして、ぷはぁっと心地よさそうに息を吐いた。
「うめぇ」
「………」
 2人の少女が立ち上がる。
「うん? もう行っちまうの? 戦い方の伝授――」
「もう充分したはず」
 アレスディアはまなざし鋭く言った。
「じゃ、謝礼――」
 トールがごそごそと懐を探り出すと、
「いら、ない」
 千獣がきっぱり言った。
 そして、トールをまっすぐ見て、言った。
「あなたに、どんな、理由が、あっても……私は、クルスと、森を、守る……それは、変わらない、よ……」
 2人の少女は揃って黒山羊亭を出て行く。
 残されたトールは、「あーあ」と頭の後ろで手を組んで、ため息をついた。
「結局よく分かんないじゃん」
「……分かってないのはあなただけよ、トールの坊や」
「えー?」
 不満そうな顔をエスメラルダに向けるトールに、エスメラルダは苦笑した。
「……あの森に手を出すのは、ひかえめにしておくことね。怖い人がいっぱい待ってるわ」
「………」
 トールはむくれて、テーブルに両肘をつき、頬杖をついた。
「クルスだって、俺がいて楽しいはずじゃんかー……」
 ライバル=男の友情。
 トールはどうもそう思っているふしがある。
 今時古いわね、と思いながらも、エスメラルダはこの青年が憎めなかった。
「……子供っぽすぎるのよ」
 小さくつぶやくと、トールは「ん?」と首をかしげてきた。
 エスメラルダは、くすっと笑った。

 月雫の民は『命』を人間と同じように見られない。
 けれど生きる理由は同じことだ。
 楽しいことを見つければくらいつく。それは人間とて同じだろう。
 トールは――
 本能に忠実な、だけだ。他の月雫の民がそうであるように。

「どちらがどちらを理解すればいいのかしらね……」
 ふと窓を見ると、今日は満月だった。
 そこから落ちた雫から生まれたという民の末裔が、今ここにいる。
 ――どちらが、どちらを。
 ついた吐息は、夜の黒山羊亭の、オレンジ色の灯りに吸い込まれて消えた。


 ―FIN―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2919/アレスディア・ヴォルフリート/女/18歳/ルーンアームナイト】
【3087/千獣/女/17歳(実年齢999歳)/獣使い】

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■         ライター通信          ■
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アレスディア・ヴォルフリート様
いつもありがとうございます、笠城夢斗です。
今回は少人数で阿呆の相手をしていただきましたが……ご苦労さまでした(汗
やつはまだ懲りずに何かをしかけるつもりらしいので、よろしければお相手ください。
それではまた。よろしくお願いします。